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COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅧ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]

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<2015年7月29日 ドイツ・ドレスデン ツヴィンガー宮殿・屋上回廊の上から>
 屋上回廊から下を何となく眺めていたら何かの撮影のような一団が。花嫁の写真を撮るのかと思ったが、それにしては黒とピンクのドレスというのはいかにもそれらしくない。カメラマンと撮影助手まで黒ずくめ。しかも機材をいっぱい抱えて傘を用意している子どものスタッフまでいる。結局何なのか確認する前に次の集合場所へ移動した。

『この感染症で何故日本では死者が少なかったかの論証として(第二章)』

<まえがき>

 前編でも述べたが、『表題の問い』に答えるには、医学といった自然科学からのアプローチだけでは限界がある。自然科学は万能ではないからだ。というより自然科学だけが科学ではない。

 故にこの記事(レポート)は人文科学的アプローチからの論考となる。

 とはいっても筆者は人文科学分野の学者ではないし、ましてや自然科学の学者でも専門家でも、そういった学術畑に籍を置く者でもない。

 だから当然この論考は学術的な話にも純粋科学的な話にもなり得ない。また拙ブログを読む方もそんなことは期待していないだろう。しかしそれでも敢えて、どのような立場でこれを論ずるのかと言えば、人文科学的なアプローチからこれを論じたいと思う。

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 新型コロナウイルスで、こうも感染者が少なかったり死者が少なかった理由、あるいは原因として今筆者の頭の中にあるのは、日本の独自の歴史と歴史観あるいは地政学的見地であったり、先の大戦前後の社会環境の劇的変化であったり、他国にはない日本固有の社会慣習や世の中の在り方や、そうした中で培われた人々の心の在りようとその結果の言動であったり、日本人という民族の集団心理的傾向といったものだ。

 人間は自然の産物だが実のところ自然科学の法則で動いている訳ではない。それは人間には心があるからだ。そして心の分野は人文科学である。

 新型コロナウイルスの被害情況(感染率や死亡率)が国家間で大きな差異があるのは、このウイルス性感染症の特性によるものではなくて、日本人のみならず各国の『人の心の在りよう』が、大きく作用した結果だと筆者は考えている。

 なぜなら新型コロナウイルスは、人の好き嫌いや民族的あるいは人種的な違いで感染対象者(生物)の選り好みなどしないだろうし、恣意的に(気まぐれ)で感染したりはしないだろうからだ。

 民族固有の遺伝子が影響しているという説があるが、同系統の民族が国によって大きな感染の開きがある現状からして、それはあり得ないと筆者は考えている。そうした不確定要素や矛盾点、あるいは相反する現象まで明確な論理によって説明できてこそ、初めて科学的論考といえる。そして医学界からも遺伝子研究の分野からもその解はいまのところ得られていない。

 米国では白人に比べ黒人の感染率や死亡率が高いと発表されているが、それが直ちに人種的違いに因るものではないことは、米国の社会状況や保険制度を見れば明らかだ。米国は貧富の差が命の分岐点になる社会である。そして黒人の多くは未だ貧困や低所得に喘いでいる。

 ものごとの本質はあらゆる方向から見ることで初めて明らかになるものだ。

 その原因が何かといえば、白人警官によるジョージ・フロイドさんへの暴行致死事件の例を見るまでもなく、250年以上連綿と続いている白人社会の黒人への拭いきれない人種差別意識と社会構造にあることは明らかで、その根本にあるのは白人の黒人に対する蔑視感情と黒人層の貧困である。

 感染しても助かるか助からないかの分岐点は、米国では貧困層であるかそうでないかという実にラジカルな理由で決定するのである。けして人種遺伝子的要因で感染率が変化する訳ではないだろう。資料がないので調べてはいないが恐らく裕福な黒人層の感染率や死亡率はそれほど高くないはずだ。

 まさに生きるか死ぬかは地獄の沙汰ではないが金次第なのである。それ故に、原因はまったく別のところにあるのに、偏見や差別意識といったものが新型コロナウイルス禍と混同綯(ない)い交(ま)ぜにされ、結びつけられることを筆者は危惧している。

 なぜならば日本も日本人も、歴史的にいっても現在でもけっして差別意識のない国家でも国民でもないからだ。それに海外に長期間滞在するか暮らしてみれば分かるだろうが、日本人だとて国によっては人種的蔑視の対象から逃れられない。むしろ異国で同胞と同じように迎えられると考える方がおかしい。

 だが改めて考えるまでもないが、白人も黒人も人間としても人類としても、本来は何ら違いはないはずだ。つまり人種・民族的差異、言葉を変えていえば人種・民族的遺伝子の違いが、感染の度合いを変えた訳ではない。なぜならウイルスに差別や蔑視という感情がある筈もなく、従って人類や民族を選り好みはしないからだ。

 それらを勘案すれば、このウイルスの感染情況が国によって大きく差異が生じている主な理由は、この新型コロナウイルスの特性や感染者の遺伝子の素性などによるものではなく、その殆どが国家体制やそれら国民の行動や思考パターンの違いといった、人為に因って差異が生じていると考える方が自然だし妥当だろう。

 考えてみれば、このウイルスの特性や素性が医学的・臨床的にどんなに明らかになろうと、それで万全な感染予防対策が出来る訳ではない。理系や工学系の人たちはどうしても自然科学は万能だと思いがちだがそれは誤りだ。現実に世の中の現象あるいは事象の、ほんの一部しか自然科学は解き明かしてくれていない。理(ことわり)が不明な事象の大多数は未だ解明されてはいないのだ。

 現実の世界をよく見れば、人の世に一つの現象あるいは事象が発生し、そこに人が介在する以上、人の意思によって個々にそれに対応する訳で、その場合多くは自然科学ではなく、人文科学的原理・原則、つまり『人の心の在りよう』によって突き動かされて結果が得られる訳だ。しかもそれが正解とは限らない。

 人は論理や数式に則って動くのではなく情動によって動くのだ。それこそが世の中の真理というものだ。つまり自然科学の方程式によって人々は動きはしない。

 もっと分かりやすく言えば、『一般相対性理論』は自然の理(ことわり)を教えてくれ、人々の知的好奇心を大いに満たしてはくれるが、けっして『腹』は満たしてくれない。それが人間社会の本質だ。

 今回のウイルス禍でよく判ったと思うが、政治と人間の行動原理が世の中に与える影響は計り知れない。そして政治と人間の行動を解明するのは自然科学ではなく人文科学だ。ゆえに人文科学こそがこの謎を明快に解き明かす。

 この災禍の現実をよくよく見れば、人の心が反映される「政治」は正真正銘人文科学の範疇だ。社会科学の中の哲学も宗教学も『人間行動学』もそうだ。更にいえば文化人類学も歴史学も民俗学も、心理学さえも人文科学だ。

 この全てが今回の新型コロナウイルスと密接に関わっている。

 一方の自然科学である感染症学や病理学や疫学や臨床データは、現象と傾向はは明らかにしてくれるがその理由までは説明してくれない。それに比べ『人間行動学』といった人文科学ならば、自然科学には解明できない真理に近いものが見出せるだろうし、実際的に人の役に立つ答えが見出せるだろうと考えている。

 それに元々人々が新型コロナウイルスをどう思い、どう対応したかを探るのは人文科学であって自然科学ではない。そして今日本や一部の国で死者が少ないという現状と、それとは真逆の感染率も死亡率も高い大多数の国々の現状も、自然科学的要素によるものではなく、あくまでも人文科学的な『人為』が作用した結果の、現況の数値の違いと言えるだろう。

 今回の災禍で思ったのは人為・人災的な側面が、大きく感染状況に影響していることだ。日本に限ったことではないが、国家体制や政治家あるいは為政者の混迷も、各国の国民の一部が外出禁止令や行動自粛要請に従わなかったのも、外出禁止令や緊急事態宣言発令中も、政令解除後に夜の街に繰り出してクラスター感染を引き起こしたのも、みな人の心の為せる業だ。そうした人の心の問題を扱うならば、人文科学の中の『人間行動学』こそがふさわしい。

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 改めて言うまでもないが、これから述べることは純粋に学術的な論考とはなり得ない。だがそれでもこの論考の価値が些かも減ずるものではないと信じている。むしろ民間人あるいは素人だからこその、視点と、気づきと、閃きが、時に専門家以上に真理に迫っていることさえあると常々筆者は考えている。

 今はこのブログ記事(論考レポート)の真価が分からずとも、いずれ筆者が指摘あるいは推測した原因を、文化人類学者や歴史家や、民俗学あるいは心理学を専門とする学術畑の先生方が、新型コロナウイルスが日本にもたらした影響を検証・論考し、その正解を導き出すだろう。そうした専門家の地道で真摯な研究成果によって、この論考の正しさは自ずと明らかになるものと筆者は確信している。

 どれほど時間が経過しようとも、この一連の論考はそうした学者先生や専門家や、後の世の歴史の検証にも、十分耐えうるものと信じている。

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<まえがき>が長くなってしまったが、それでは第二章の論考に話を進めていこう。

 第一章はいわば概論で、第二章以降はこの論考の核心部にどんどん迫っていく。第三章と最終章は具体例を挙げてその分析と解説と、そこから導き出された解、つまり原因の特定と結論を提示する予定だ。第二章以降は最終章まで毎日三日連続の更新となる。

 間もなく新型コロナウイルスで、なぜこうも日本は感染者や死者が少なかったのかが明らかになる。

 心して見よ。そして信じよ。さらば真理と正解は諸君に与えられん。

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 改めていうまでもないがCOVID−19自体の病理学的あるいは疫学・臨床的研究は自然科学の分野だ。だがこのウイルスに感染したりそれが原因で亡くなってしまう事象を検証するのは何も自然科学に限る話ではない。病理は医学だが、病に罹るのは社会的動物である人間だからだ。

 思うにこのウイルス禍に於いて、それぞれの国々の人々が何を考え、どう行動したのかが、各国の感染率や死亡率に色濃く反映されているように思える。だから医学的にも臨床的にも現象をキチッと捉えることは可能だとしても、その結果がなぜもたらせられたのかまでは説明も解明もしてくれないし、ましてや原因を突き止めることは不可能だ。日本やいくつかの国々で死者が極端に少ないという現状を、自然科学的法則や論理法則によって推測・推論すらできないだろう。それを証明する手立てもなければ、何一つ明快に説明すらできないと思われる。

 死者が日本や韓国や台湾やベトナムで少ないことで民俗的な遺伝子が関係しているのではないかとも言われているが、これは恐らく今言われているような民族的な遺伝子(DNA )の差異によるものではない。米国に於ける黒人の例を見るまでもなく、多分研究するだけ無駄だと思われる。

 なぜなら、日本と韓国は歴史的にも現実にも共通のミトコンドリアを持つ遺伝子を持つ人たちが一定割合で存在するから類似性を論じる土壌はあるが、台湾人を構成する人たち(内省人と外省人)との共通した遺伝子はないし、ましてやベトナム人は全く違う遺伝子だ。それに同じく死者の数が少ない、欧米アングロサクソン人系白人や、原住民族のアボリジニのオージー(オーストラリア人)やニュージーランドの人々が共通した民族的遺伝子を持っている筈がない。

 もっと端的に言えば、オージーと英国が移民や先住民族は別として、ほぼ同じ民族なのに今までの経緯と結果はあまりにも違う。違い過ぎる。今や多くの移民を受け入れ最早多民族国家となった英国と、東洋人の移民が多いオーストラリアという側面を考慮に入れながら、それを遺伝子レベルで解明できるとはとても思えない。そしてその点をまさに遺伝子情報から解明できなければ、原因を解明したことにはならない。

 だが現状からして自然科学的にその説明も証明も不可能だと思われる。

 それ故に民族的違いによる遺伝子的要因と考える方が本来おかしい。これこそ学者や遺伝子研究者のこじつけだろう。自然科学にしろ人文科学にしろ、例外も含めて、事象あるいは課題のすべてを論理的に解明できなければ論説を証明したことにはならない。それからすると遺伝子からのアプローチでは、あまりに民族の違いがありすぎて、医学的あるいは遺伝子学的証明は困難というより無理がある。

 だからこそ真相を解明するのは自然科学ではなく人文科学だといえるのだ。

 ここに解決の糸口、あるいは突破口がある。

 つまり自然科学で事実(現実の確認可能な事象)の解明ができないなら、社会科学の中の『人間行動学』がこの結果の解明には一番適しているであろうし、それに付随して文化人類学やあるいは民俗学、または宗教や歴史学や哲学、更にいえば心理学からの説明も必須なのではないかと考えた。ゆえにそれらすべてを内包した『人文科学』こそが今回の新型ウイルス禍の解明には適していると言えるだろう。

 ただ筆者は何度も申し上げた通り、その道の専門家ではないから学術的論証法を知らない。またそうした論証法を踏襲しようなどとも思わない。しかしそれゆえに皆様には却って分かりやすく説明できるだろうと考えている。少々理屈っぽいけど(o゚∀゚o)

(ところで『心理学』を『精神医学』と混同して自然科学分野だと勘違いする方がおられますが、心理学はあくまで人文科学です。心の問題は哲学同様、人文科学でしか扱えません。「心の病」と勘違いしないで下さい)

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 心にバイアスを掛けず虚心坦懐に、つまり素直に且つ自然に考えるならば、ウイルス性感染症の一つであるCOVID−19の本質が見えて来る。

 このウイルスは、本来であればその発生源から人々の移動を通して徐々に周りに伝播し、感染を広げ、やがて世界をこのウイルス性感染症で席巻することになる筈だし、今のところ実際にそういう経過を辿っている。

 そうなれば(国々によって状況は異なるので)正確な予測は不可能だが、それぞれ感染のピークは異なるにせよ、結局のところ世界中のどの国でも同じような経過を辿り最終的には集団的免疫(あまり信頼性の高い理論ではありません)の出来上がる頃には、感染リスクはほぼ同じになるはずである。つまり感染(陽性)率も死亡(致死)率もほぼ同じ数値を示す筈である。

 あくまでも自然科学的に捉えるならばそういう結果にならなければならない。

 だが実際にその自然法則から大きく外れた国が複数見られるのは何故だろうという疑念が湧く。日本や韓国や台湾・ベトナム、モンゴル、そしてオセアニアのオーストラリアあるいはニュージーランドの現状は、統計学上から見てもたぶん許容範囲には入らない、イレギュラーな経過を辿っているものと思われる。つまり例外な存在であり結果なのだと考えられる。

 これは余談だが、新型コロナウイルスの抗体が出来れば、二度と発症しないとは言えないことが、多くの臨床例によって既に判明している。

 抗体には三種類あるとされていて、その感染症に有効に働く「善玉抗体(中和抗体)」と、感染すると却って重症化する「悪玉抗体」と、毒にも薬にもならない「役なし抗体」の三つのタイプ(型)があるそうだ。因みにHIVにワクチンがないのは「役なし抗体」しか作らないからだそうです。

 SARSとMARSでは「善玉抗体」と「悪玉抗体」が出来ることが分かっていて、そしてCOVID−19で現時点で分かってるのは、このウイルス性感染症に罹れば「善玉抗体」と「悪玉抗体」と「役なし抗体」3種類全てが出来ることが判明しています。

 しかしそれで安心してはいけません。新型コロナウイルスでは「善玉抗体」の発現率というか、量的レベルがかなり低い人が一定の割合でいることが分かっています。つまり「善玉抗体」が出来にくい人が、一定の割合(30%)で存在するということです。判りやすく言えば10人感染して7人は抗体ができるが、残り3人は抗体ができにくいということです。この意味お分かりなりますよね。

 ワクチンも上記の理由で各国で有効性が確保出来ず開発しにくい情況にあるらしい。だから当初は1年後には出回るのではないかと言われていたワクチンが、1〜3年後の供給というように幅が出来てどんどん話が後退している訳です。

 現実にはワクチンの第一号が米国で治験に回されて、日本でも大阪ワクチンが治験を始めるそうですから、その結果を待ちたいと思います。しかし上記の話からするとそのワクチンで本当に抗体が出来るかどうかは治験の結果待ちだと思われます。

 ところがワクチン接種で一旦抗体が出来ても、その有効期間は1年長くて2年ではないかといわれています。元々人体が感染することによって作られる抗体と、ワクチンなどで人為的に作られるワクチンでは一回の感染あるいは接種によって働く体内免疫システムの有効期間には大きな違いがあるそうです。

 つまりインフルエンザワクチンと同様、毎年流行する前に接種しなければ安心出来ないということになります。しかもインフルエンザのワクチンも間隔を開けて接種しなければならない。そうなると基礎疾患のあるもない人も、毎年冬になる前に必ずワクチンを2度も注射しなければならないということになり、特に基礎疾患のある者にとってはあらゆる意味でそうしたことは結構な負担となります。

 更に言えば、先ほど述べたように「善玉抗体」の発現率がかなり低いことから、一度感染しても再び罹病する恐れがあり、人によっては抗体がまったく出来ず、それこそ何度も感染する恐れさえある、というのが現時点の研究成果です。従って一度罹ったら安心だという考えに現時点で根拠はまったくありません。

 それだけでなくこの新型コロナウイルスが体内の「免疫システム」に誤動作を引き起こさせ、肺胞を自らが攻撃し肺炎の症状を加速度的に悪化させることが臨床的にも分かっています。恐らくこれは「免疫システム」によって「悪玉抗体」が出来ることによって生じた、体内システムの異常だと筆者は推測しました。

 閑話休題。話を元に戻しましょう。

 総人口比で見て死亡率が低い国家は、日本の他に、モンゴルや韓国や台湾、ベトナム、そして白人国家としてはオーストラリアとニュージーランドなどがあります。しかし、この中で日本だけは、厳しい感染防止策を採った訳でもないのに、感染者も少なければ(比較的これ程までに)死者も少ない情況にあります。

「なぜこの様な結果(まだ終息した訳ではありませんが)になったのだろう」

 世界中の誰しもがそう考えています。そして自然科学分野の学者や専門家は医学的にその現象を解明しようと試みています。しかしその解は未だ得られていません。理由は先に申し上げた通り、自然科学的にこの結果あるいは現況を証明することは不可能だからです。だからこそ人文科学的証明が必要なのです。

 現実には各国の事情は異なり、その対策も異なるところから結果が異なるのは当然だとしても、大多数の国家が厳しい外出禁止令や政策を打ち出しても被害が甚大であったし、被害が少ない国にしてもいち早く徹底した対策を講じたことに加えて、厳しい法的拘束力を持った外出禁止令や行動制限を設けて、人々の行動を徹底して規制した結果の被害の少なさだったといえよう。

 それに対し日本だけがこんな危機管理能力のない政権の、ザルみたいな緩い感染症対策で、しかもちぐはぐで後手後手な政策の所為で、当初(2月・3月)は中国や韓国やヨーロッパ諸国から人の移動を通して、大量のCOVID−19感染症を呼び込んでしまったであろうことは想像に難くないのに、結果は悪くはなかった。

 ゆえにどうして被害が諸外国と比較して軽微なままなのは何故かという疑問は、当然ながら諸外国のみならず、日本人の中にも存在するであろうことは想像に難くない。だがその解を医学や医療の学者先生や専門家と言えども、未だ誰一人明確に説明できる者がいないのが現実だ。

 筆者はその主な要因を、日本人の「恥の文化」や「世の中の同調圧力があった」からなどとは考えていない。「恥の文化」など現代日本に於いては前世紀の遺物かあるいは死語だ。

 たとえばフェイクニュースの発信や著作権侵害などに血道を上げるIronbridgeさんのツイッターを見ると、果たして日本人の心の中に「恥の文化」など存在するのかと思える程で、陰湿で悪意敵意に満ちた個人攻撃と侮蔑と嘲笑の渦巻く、はなはだ人として醜い状況が展開されている。誹謗中傷、フェイクニュース、それこそありとあらゆる憎しみと敵対感情がネットを覆い尽くしている。そのいったいどこが「恥の文化」を知る日本人の為せる業と言えるのか。

「同調圧力」にしても「自粛警察」やそれにシンパシーを覚えるようなストレスを他人にぶつける人たちには有効ではあっても、「パチンコ依存症」や「賭け麻雀好き」なギャンブル依存症やおのれの行動を律せない自我・欲望優先派が、無視できないほどの割合で一定数以上いるかぎり、日本の感染リスクは世界と同等かあるいはそれ以上と言えるだろう。

 例えば今の日本で、ドイツのようにトコトン几帳面で、庭先やキッチンを常日頃から整理整頓してきれいにして置かないと、隣近所の住人に遠慮会釈もなく文句を言われ苦言を呈されるほどの、「私たちと同じように住環境を整えなさい」的な「同調圧力」が掛かるとはとても思えない。

 それに比べれば、日本の「同調圧力」など微々たるもので、例えばモンスターペアレントや町のうるさ型などという自己主張唯我独尊タイプの人たちには何も言えない「自粛警察」なのであった。

 それからすれば日本人の本質は「判官贔屓」というよりは、むしろ「弱い者イジメはトコトン大好きで、強い者には卑屈なほどにへりくだる」文化が幅を利かしている訳だ。だから日本人は「御上の自粛要請という指示」に従順に従ったというか盲従して、ただただ怯えながら緊急事態宣言が完全解除されるのを心待ちしていたに過ぎない。

 そして解除後の経過を見れば、下手をすれば元の木阿弥どころか、第2波を乗り越えることは出来ない恐れさえあるように見える。法的拘束力で雁字搦めにすれば猛反発するが、自由に動けるとなると実際何をしていいか分からないお子ちゃま心理。ある程度御上というか上位にある保護者から束縛されないと、少しも安心できない困った国民性なのである。

 それはまるで『嵐の過ぎるのを待つ、首と脚と尻尾を引っ込めた亀の如し』であり、日本人の本質だといえよう。この事例は日本で感染が広がらず死者が少なかった重要なファクターの一つだが、果たして自然科学でこの事象が証明できるだろうか。人文科学的アプローチによる考察しか、新型コロナウイルスの影響を解明する方法は見いだせないだろう。

 だからこそ古来から言われているような、あるいは今になって取って付けた日本は「恥の文化」で欧米は「罪の文化」だ、などという東西対比的固定観念論に、短絡的に結論づけるのは愚かしいことだと思うし、実態にまったくそぐわないだろう。

 なぜなら現代日本人の民度は、ツイッターのネトウヨさんのツイートやリツイートを見るまでもなく、どこぞの財務大臣の述べた事とは裏腹に、諸外国に比べてハイクオリティーと言えるほど高いとは、とてもじゃないが思えないからだ。こんな民度発言に浮かれる人たちの気が知れない。

 またそれで解決できるほどこの事象は単純ではない。前にも申し上げた通り、この問題は様々な要素が相互に作用して現状に至っている訳で、「恥と罪の文化」の影響がまかり間違えてあったとしても、その影響など実体が見えないことからしても極めて微々たるものだ。

 むしろ『生活環境』や『社会慣習』や(同調圧力など及びもつかない)『日本人特有の集団心理』といった民族文化の違いの方が、感染率や死亡率に強固に影響していると思わざるを得ないし、より上位の要素を占めてると断言できる。

 今までCOVID−19問題に関して医学や感染学や疫学の分野から様々な研究成果が発表されてきた。最新では感染動向などを算出する公式は医学関係者からではなく、物理学者から提示さえされている。

 たとえば山中伸弥教授の掲げた『ファクターX』は自然科学に属する医学者からの分析だが、ファクターの候補として挙げられた8つの項目のうち、4つは人文科学に類する山中教授の専門外の項目だし、山中教授の専門とする遺伝子的アプローチである「日本人の遺伝的要因」と「遺伝子の遺伝子変異の影響」という2項目も恐らく、後述する理由に因り完全解明には至らないだろう。

 筆者は山中教授の挙げた『ファクターX』の中の4つの人文科学的項目に加えて、経済的な要素と医療体制の人為的な中身(実体)と、日本人の行動原理に言及することで、それらのファクターを明らかにする。

 つまり『ファクターXマイナス「遺伝子的要素」+α』だ。

 ただし筆者は『ファクターX』に拘っている訳でも対抗意識を持っている訳でもない。ゆえに自分の見地に立って独自に論考することになる。

 というより筆者の論考の項目と『ファクターX』の要素の一部が、たまたま重複していた程度の関わりしかない。論点もまったく違う。なぜなら2ヶ月も前から原因がハッキリしている事を既に読者に明示していたし、山中教授の『ファクターX』は名前だけは知っていたが、その中身については書き始めて一週間以上も経過した、今日になって初めて知ったからだ。

 更にいえばその中身を知っても、それによって筆者の掲げた5つの要因に何ひとつ影響はなかった。つまり『ファクターX』に因って軌道修正しなければならない要素はなかったのだ。しかしそれも当たり前だろう。

 筆者は人文科学からのアプローチで原因と真相に迫ろうとしているのだから。

 Written by H☆imagineU3

<第二章> 終わり

 第三章は明日2020年7月2日午前00時00分更新。 

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コメント 7

扶侶夢

>人間は自然の産物だが実のところ自然科学の法則で動いている訳ではない。それは人間には心があるからだ。
>だからこそ真相を解明するのは自然科学ではなく人文科学だといえるのだ。

まったく同感ですね。科学的視点から推論できるも部分もあるでしょうけれど、それが全てではない。この部分をハッキリ言う “覚悟あるスタンス”の欠けている評論家が多いから混乱してくるのだと思います。
by 扶侶夢 (2020-06-30 12:20) 

U3

みなさま こんにちは。
 まだMacのトラブルが解決せず。今日もApplesupportと2時間以上もお話しました。正直修理に出してからのトラブルなので換装したロジックボードを新しいものに今度は無償で交換してくれという感じです。
 この一連のシリーズの原稿は、今最終章の4/5程度書いたところで上記Applesupportからの電話で中断した状態です。
 これからコーヒーでも飲んで今日中に脱稿する予定です。
 遅れ遅れですが悪しからず。
 しかし最終章までお読み頂けたならば、必ずや納得頂ける内容と自負しております。たぶん心にバイアスを掛けずに、虚心坦懐でお読み頂けたなら、皆さまの心の目から鱗が落ちるでしょう。
 それほどに自説には自信を持っています。
 乞うご期待!!!
 
by U3 (2020-06-30 16:46) 

U3

扶侶夢さん こんにちは。
 たぶん言いっ放しで責任を取ろうとしない、専門家とかコメンテーターが多すぎるのだと思います。それは何もTV番組や新聞だけじゃなくて、与野党含めた国会議員や、事勿れ主義が本分の役人であったり、民間人とて同じです。ツイッターなど見ると殆どそんな人で溢れています。好き勝手言ってそれで満足している。自分の言ったことや書いたことに責任を取ろうともしない。
 それが今の日本であり、日本人の本質であり、民度の限界なのだと感じています。
by U3 (2020-06-30 16:55) 

八犬伝

さて、どのような展開になるのか
楽しみです。
by 八犬伝 (2020-06-30 20:17) 

U3

八犬伝さん こんばんは。
楽しみにしていて下さい。具体例を挙げて書いているのでご納得頂けると思います。
by U3 (2020-07-01 00:29) 

tarou

U3さん お早うございます
明王院にコメントを有難うございました。
町は洪水によって埋まってしまったが、愛宕山のふもとに有った明王院は、川底の町をそっと見守っていたと思うと感じるものがありました。

中山法華経寺の情報を有難うございました、東京・横浜のコロナ感染者数を見て、出掛けて見たく思っています。国宝の立正安国論を納められたパゴダも見て見たいです。
by tarou (2020-07-01 08:19) 

U3

tarouさん おはようございます。
是非とも中山法華経寺を訪れて一度記事にして下さい。
なおこの境内は猫の多さでも有名で、以前はここを舞台にしたSSブログ(当時はSo-net blog)の猫ブログもありました。
by U3 (2020-07-01 12:04) 

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