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COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅩ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]

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<2015年7月30日 チェコ・テルチ・ザハリアーシュ広場にて>
 バスであちらこちらに行ったものだからここがチェコのどの辺りにあるのかを知らない。
 しかし記憶にはしっかりと残ってるからたぶん良い想い出だったのだろう。街の成り立ちは、16世紀に街全体が焼失するという大火災があったことを機に、当時の領主であったこの広場の名前ともなっているザハリアーシュが、新たに建物を建てる場合はルネサンス様式かバロック様式に限るとしたことで、この様な統一性があって尚且つカラフルな街並みが出来上がったということです。
 街の日陰のテーブルでは地元の住人が昼間からお酒を飲みトランプゲームに興じていました。日常から離れた長閑な空間でした。
 因みに右に写っている後ろ姿の女性は同じツアーの方で筆者とは何の関わりはありません。妻はこの後ろ姿の女性とツアー中に仲良くなりました。ピアノの先生だそうです。

『この感染症で何故日本では死者が少なかったかの論証として(最終章)』

 新型コロナウイルスの、他のSARSやMARSといった同系統のコロナウイルスにはない特徴は、無自覚無症状な感染者が8割もいると言われている点だ。それがこのウイルスの感染が止まらない最大の要因だ。咳をしていたり高熱を発しているといった、発症の疑いのある人には誰でも近づかないだろうから、この無自覚無症状キャリアが、知らないうちに多くの人に感染を広げしまっているのは明らかだ。

 現在臨床的には、感染から7日目に発症するケースが主で、そうした発症の3日前から0.7日前がもっとも感染力が強いということが研究成果として公表されている。ところが、発症していないのだから本人も含めて当然ながら誰一人感染していると気づかない。これがこのウイルスの最も恐ろしいところだ。

 何しろ無自覚無症状では警戒しようがない。

 現実にも無自覚無症状キャリアが野放しで外を歩いている。しかも政府の対策は後手後手。そのお粗末な政府の出した、緊急事態宣言の各項目には法的拘束力がまったくなかった。そして政府は結果的に外出自粛を国民にお願いするしか方法がなかった。

 日本はそんな環境にあって、通常ならば感染者がもっと増えていても、少しもおかしくはない状況にあった訳だ。

 だが日本の死者は想定したよりも遙かに少なかった。つまりその事実から想定されるのは、(日本でも諸外国でも同様に)飛沫感染は微々たるもので、接触感染が主な原因と考えられるが、その接触行為自体が、日本では感染源となり得るモノに人々が触れても、そこには諸外国ほどウイルスは存在しなかったので感染がそれほど広がらなかった、という事実に突き当たる訳だ。

 入出国の禁止措置を政治的な思惑で遅らせた日本には、現実には相当な量の新型コロナウイルスが流入していたはずだ。しかしその感染が『人から人』は勿論、『モノから人』の感染が思ったよりも伝播しなかったという真実、これは繋がっている。推測ではなくこれは事実だ。死者の数が少ないという事実は何よりも雄弁にそれを物語っている。それは取りも直さず日本そのものが、

『接触機会が圧倒的に少ない社会環境であった』

 という何よりの証左になり得ることなのだと思う。

 そのこと自体『日本人の極端な潔癖症』に起因しているだろうことは筆者には容易に想像できる。日本では新型コロナウイルスの流行以前から、電車の吊革や階段の手すりなどに掴まらない人が一定の割合でいた。

 電車の座席の前は比較的空いているのに、出入口のドアの周りだけに乗客がぎゅう詰めになっている通勤ラッシュの光景は、新型コロナウイルス襲来以前の日本では当たり前の光景ではなかったか。

 あれはどう見ても無意識に何にも掴まりたくないという心理が作用していたからだと考えられる。満員電車から目的地に着いたらすぐに出られる様にという心理も働いていただろうが、深層心理では汚いものに触れたくないという、日本独特のというより古来からある、『穢れ』に対する恐れを連綿として引き継いできた結果だと筆者は考える。それからすると、請け売りで何処ぞのおバカで軽薄な連中が唱える「恥の文化・同調圧力」などという明治以来の近代に唱えられ東西対比的に見たお題目ではない。もっと根深いものだ。

 『穢(けが)れ』自体は迷信やシャーマニズムに類するが、これは日本人のDNAにしっかり組み込まれ、今日も神道にしっかり組み込まれている。禊(みそぎ)は穢れを落とすために行う儀式だ。けっして過去の遺物ではない。そして今回の新型コロナウイルスだが、これは正に日本人にとっては穢れそのものだという事実に突き当たるだろう。

 皆さんは蠱物(まじもの)という言葉をご存じだろうか。『死』や『病気』は正に穢れそのものなのだがそれを引き起こすものとしてこの蠱物がある。自分たちには理解できない得体の知れない物が、自分たちに災厄をもたらすという概念は、古今東西未開社会にはどこにでもある。

 だがこれほど文明が発達した現代日本にあってもそれは生きていて、普段は日本人の深層心理に埋もれてはいるが、いざ何か事が起こるとこの穢れと蠱物を恐れる心理が無意識に働くのだ。

 日本社会の中で古来より連綿と続いているこの心情は、自分たちとは違うもの(部外者・よそ者・異国人)を遠ざける、あるいは排斥するという心理に転化して、やがて日本国内では村八分という共同体や集落を律する社会制度となって顕在化し、今日では『いじめの心理』に引き継がれている。

 今では良い事よりも悪い意味合いの方が大きいであろうが、これは日本ならではの自己防衛本能発現の一種だと考えられる。日本人特有の潔癖症もここから来ていると筆者は考えている。たぶん文化人類学や歴史民俗学や心理学の先生なら、日本人のこういった潔癖観念を穢れの思想や蠱物などという概念から明確に説明できるだろう。

 だが外国ではそんな神経症とも受け取られかねない、些か異常なほどの潔癖症的行為や光景を筆者は一度も見たことがない。正直イギリスでもフランスでも、スペインでもハンガリーでもオーストラリアでも、チェコでもポルトガルでも、日本人ならおしなべて「えっ!」と思うような衛生観念を目の当たりにしている。夏はどの街も腐敗臭がどことなく漂ってくるのが当たり前だ。

 ペストなどの大流行で、幾度となく多くの人が亡くなった歴史を持つ、ヨーロッパ人でさえそうなのだ。しかしそんなことを気にするのはたぶん日本人だけだろう。現に現地の人や欧州の旅行者はそんなことは口にすらしない。言えば怪訝な顔をされるのがオチだ。

 それからすると、欧米人は過去の苦い経験から多くのことを学び、教訓は常に生きていて、それゆえにその対策などしっかり作り込むから心構えは十分だ。だからこそ、けしてそうした災厄が再び訪れても慌てたりしないし、ましてや災厄自体を(必要以上に)恐れたりはしないし迷信を信じる環境にもない。それゆえに今回は過去の教訓がまったく生きずに苦労はしているが・・・。

 ところが日本人は一度恐い体験をすると、亀のように手足を引っ込め何もしない。ゆえにその経験が生きず、いつも何の準備も出来ないまま遣り過ごす。

 そんな訳だから何か災禍が起きる度にそこか何ひとつ得るものはなく、学ぶのは常に「羮に懲りて膾を吹く」事ぐらいで物事を深くはあまり考えない。そうした能転気な国民性ゆえか、いずれ「喉元過ぎれば熱さ忘れる」本来の国民性を発揮してまたぞろ同じ過ちや失敗を繰り返す。

 平和憲法を破棄して戦力を持とうという機運はそうした国民性の表れのひとつかもしれない。その是非はともかく、国民の話し合いによる意識形成(国民の総意形成)がされない日本は毎度のこと。

 いつも『右寄り部落』と『左寄り部落』が対峙し、その周りを『どっちつかずの漂流民』が眺めている。みな自分たちと異質なものを排斥して認めない『穢れ思想に凝り固まった村社会』ゆえだ。何ひとつ意見の一致を見ない国民性。そしてまた同じ轍、同じ過ちを繰り返す。それこそ何度も何度も性懲りもなく。

 余談はともかく、以上のことから日本人の心理と社会環境と生活慣習を考えるならば、電車のつり革、電車やドアのガラス、会社のドアノブやドアレバー、不特定多数が触る公共交通機関の改札機に、新型コロナウイルスが付着していたとしても、それらに触れることを極端に嫌うあるいは避ける『穢れ意識』が強く働いて、感染しやすい環境にあるにも拘わらず、それらを避けて行動した結果感染を避けられた。つまり日本人固有の穢れを嫌う行動原理により『感染機会が少なかった』という『真相』あるいは『事実』に行き着く訳だ。

 もしそれら身近なモノがウイルスに汚染されていれば通常は感染するのが普通だ。しかし触れなければ感染はしない。空気感染はしないのだから当たり前だ。穢れを嫌う国民性ゆえソーシャルディスタンスは厳守しているから飛沫感染などまずあり得ない。そしてモノに触れなければウイルスに感染すること自体基本的、否、絶対にあり得ない。

 だが日常的に人は何かに絶えず触れている。それでも日本では感染者数が少なかった。だとしたら究極的な解答としては『感染機会も接触機会もそもそも日本では少なかった』と、かなりの確度で推定されるという訳だ。

 そしてこれは推定などではなくて『紛れもない事実』だと思う。

 ところでこれは民族的かつ歴史的な必然の結果であって、先ほども、そして以前にも申し上げたようにけして偶然ではない。その事実からすれば今後も日本人が今までの慣習とこの数ヶ月で得た知識と、ソーシャル・ディスタンスとか3密という概念を忘れずに行動するならば、日本の感染者数も死者も諸外国並みになることはけしてないと断言できる。

 しかし別の角度から見ると日本の現状は極めて危うい。

 インフラ整備は未だ途上にあり、一時的な感染減もあり進捗が滞っている。しかも新型コロナウイルスを受け入れる設備を整えた病院は大赤字で、医療報酬は激減し職員にボーナスも払えない経営状態に陥っている。なかには経営の危機と率直に述べた経営陣もいるのが現状だ。

 今現在東京都では対応ベッド数の空きは十分だと言っている。しかし医療機関のこの経営の危機の補償もなしに、第2波が来た時に対応病院は陽性患者を果たして受け入れてくれるのだろうか。なかには辞退する病院も、これからは出て来るのではないかと予想される。

 なにしろ政府も自治体も対応病院の医療報酬の激減をまったく補填していないのだ。それで医療機関が持ち堪えられる訳がない。それなのに国会議員も政府職員も地方自治体職員も収入は減りもせず、しかもボーナスまで満額貰っている。民間がこれだけ喘いでいるにも拘わらずだ。

 河井案里、河井克之議員は国会にもまともに出ない雲隠れ時期もあったりして、今は公職選挙法違反で拘留中だがボーナスは満額というこの不条理。国会議員は与野党とも誰一人ボーナス返上をしていない。これが『選良』の正体であり日本の現実だ。

 政府だけでなく東京都の欺瞞も甚だしい。都の10万人当たりの感染者はアラート基準の0.5人をとうに上回る2.61人(6月29日午前00:00現在)だ。それなのに今度は経済優先で新基準を作って数値化した東京アラートにしないという? どうやら小池知事、数値化しないで恣意的に都政を運営しようというお考えのようだ。

 米国は経済を優先して規制を緩めた今、一日4万人を超える感染者数を毎日出している。果たしてこれは対岸の火事だろうか。政府も東京都も緊急事態宣言の再発令や東京アラートの発令の基準を数値化しないで、どうして国民の安全を保証できるというのだろう。筆者にはまったく謎だ。

 心配事は数え上げたらきりがない。そんな中、国会は閉幕し東京都は都知事選に入った。決まっている事とは言え、今は平常時なのかと、思わず問い掛けずにはいられない。

 安心材料として挙げている対応病院のベッド数の空きなど、上記で挙げた通り青息吐息で、今後は病院への補償や財政的支援なしにはあり得ない。そうしたことをひた隠しにして、東京都の対新型コロナウイルス対策は推し進んでいる。

 それでも東京都の有権者は無批判に小池知事を当選させてしまうのだろうか。もし支持をするなら、諸々のこうしたことの改善を公約として約束させるべきだろう。それなしに周りに流されて投票することの愚を、東京都の有権者はまた繰り返すのだろうか。

 日本の将来が実は危ういという話から大分逸れてしまったので軌道を元に戻す。

 感染を多くの日本人が逃れられたのは、「民族的かつ歴史的必然の結果」と話したが、しかし敢えてつけ加えておくが(もう『耳タコ』かもしれないが)、それは日本人の民度が高かったからではない。自虐意識はまったくないが、冷静かつ客観的に見て、むしろ民度はそれほど高くはないのではないかとさえ筆者は考えている。

 何しろ、いじめの心理と同質の排他的感情が、このウイルスの感染抑止効果となっていたのだから。この事象からして、日本人を正確に表現するならば、それはけっして民度が高かったからではなくて、『弱い者イジメが大好きで、強い者には滅法弱い、付和雷同でおしなべて(表向きは)従順な国民性』ということに帰結するのではなかろうか。

 これが日本人の民度の正体だ。

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<2015年7月30日 チェコ チェスキー・クルムロフにて>
 誰もが知るチェコで一番美しいと言われる街。ヨーロッパ一という話もある。
 街の中をプラハにも流れているヴルタヴァ川(モルダウ川)が流れていて、地名の「クルムロフ」とは、「川の湾曲部の湿地帯」という意味で、まさにその地名通りの湾曲したヴルタヴァ川が流れる美しい光景が眼下に広がっていた。
 ちなみに冒頭の地名にある「チェスキー」とは「ボヘミアの」という意味のチェコ語である。ここはチェコの首都プラハから180kmの距離にある。

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 ついでながらまだ納得いかない方のために、穢れの意識が、いじめの心理に繋がり、それが新型コロナウイルス感染の抑止に繋がったという根拠を、具体例を一つだけ示しながらまったく別の視点から述べてみよう。

 5月29日、東京上空を6機のブルーインパルスがスモークを吐きながら飛行した。TV・新聞をはじめとしたマスメディアや、SNSなどで大いに話題になったのを皆もまだ覚えておいでだろう。

 このデモンストレーション飛行では賛成意見が多かったと思うが、これに違和感を感じた人も少なくなかったのではないかと考えている。実は筆者もその一人だ。ただし違和感を感じた方の大方がこれを政治利用だとか騒音などについて言及していたのに対し、筆者はまったく違う視点から違和感を感じていた。

 このブルーインパルスの飛行の目的は、産経新聞によれば『新型コロナウイルスと戦う医療従事者への感謝を示す目的』で実施されたという主旨であった。筆者はその一文を見て、ハタと思ったのだ。なぜ政府がこんな事を?

 政治利用などと言うおこがましい意見を述べるつもりは更々ない。だが極素直に考えて、なぜ政府がそんなことをしなければならないのかと、ふと疑問に思ったのだ。

 そういえば日本では、自発的に国民が医療従事者を激励するという事例があまり報道されていなかった。そこに違和感を感じたのだ。

 むしろ日本では、新型コロナウイルス治療に従事する医療関係者への嫌がらせや誹謗中傷や偏見が先に立っていたように思う。SNSで医療従事者を攻撃したり、医療従事者の子どもが感染リスクを理由に保育所(保育園)や託児所に預けるのを拒否されたりといったことが、日常茶飯的に日本各地で頻発していたのではないか。

 保育所の言い分は「他の親御さんが警戒して看護師などの医療従事者の子どもを預からないで欲しい」と言っているとか、現実にクレームが来ているからだとのことではなかったのか。それが一転ブルーインパルス6機でいとも簡単に医療従事者への感謝と賞賛に変わる。今までの(都合の悪い)ことはきれいさっぱり忘れて、まったく違うことを言う。こうした日本人というもののいつも通りの欺瞞に、筆者は強い違和感を覚えずにはおれなかった。

 こうした日本人特有のいじめに通じる心理あるいはいじめそのものは、異質なものを排除するという日本独自の『穢れに対する恐れ』から来ているのはほぼ間違いないと考えられる。タイトルでは、SNSなどでブルーインパルス6機に対して賞賛の渦が巻き起こったと産経新聞は記載していたが、LINEなどのSNSでは、それ以前は医療従事者への偏見と嫌がらせと誹謗中傷は後を絶たなかったのを産経新聞は知らなかったというのだろうか。それがブルーインパルス6機で舌の根も乾かぬうちに医療従事者への感謝と賞賛の声に変わるこの変わり身の早さ。この賞賛がいじめの感情の裏返しであり、無意識の贖罪行為だと日本人の過半が気づかぬこの異様な世界への違和感。

 それを感じたのが筆者一人だったとしたら悲しい。

<2020/07/03 11:39> 以下赤太文字部分、上記内容を補足するため追記しました。

 その穢れを忌避するいじめに通じる心情が、まさに新型コロナウイルスを忌避する思いに直接繋がって、感染機会を結果的に激減させたという皮肉な実情こそが現実に日本を救ったのだ。いじめっ子の心理がこの災厄から身を守ったとしたら何だか素直に喜べないのはたぶん筆者だけではないだろう。

 一方のヨーロッパでは夜9時に医療従事者と心を一にする連帯の拍手の輪が広がりました。ベランダや屋上からプロのオペラ歌手が歌うフラッシュモブも行われました。こうしたことがごく自然発生的に行われている。何ひとつ気負いもせず、医療従事者への迫害や嫌がらせもなく、そうしたことが粛々とごく普通の感覚で行われている。自らは何もせずに民意どうのこうのと言っている日本人の意識とは、えらい違いだと筆者は思ったものです。

 まあそれで日本人がそれこそ何から何まで、欧米の人たちより劣っているなどと言う積もりは筆者にもありません。なぜなら欧米人は合理主義の国の人たちです。だから優しさと同時に非情さも同時に持っている。

 情に流されるのは愛する人とか身内の人に対してだけでしょう。

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 下記に日本が元々このウイルスに抵抗力があった五つの根拠を示そう。

 つまりこれが日本で新型コロナウイルスの感染が想定されたほど広がらなかった真の原因で、従って死者が少ない理由だ。前出した『穢れを恐れる日本人特有の心理』がその根本にある。

 だがこれを維持し継続する限り、日本では新型コロナウイルス性感染症による甚大な被害は出ないだろう。あくまでも慢心せずこれからも今までの新習慣を厳密に守るならばという極めて難しい条件付きではあるが・・・。

 日本は元々『非接触社会』である。

 そもそも家族の在り方が諸外国とは根本的に異なる。『非スキンシップ社会』と言い換えた方がより分かりやすいかも知れない。つまり感染機会が圧倒的に少なかった最大の要因はここに在る。しかも生まれてこの方自分以外の人々に常に触れる機会が少ないことが自分以外のものへの『潔癖症』となって現れている。これは(歴史や風習と絡むが)穢れを嫌う国民性由来の特質だ。

 日本人の本質は基本的に『村社会』である。

 その本質は排他性であり穢れを嫌う心理であり集団で外敵から身を守る心理である。翻って言えば、仲間内以外は人も物も考え(思想)も皆が皆、「敵」ということになるその集団心理だ。ただこれが全て悪いことだとは思っていない。仲間内には手厚い庇護があったり、常に皆と一緒という連帯感も同時に持ち合わせているのがこの『村社会』の特徴の一つである。あくまで仲間内ならけして見捨てたりはしないのだ。ただしそこには明確な支配関係があるのは大いにマイナスではあるが。
 日本社会は集団的思考と行動によって成り立っており、その概念に反する個人主義は成立せず元々個の概念の希薄な民族である。だから集団というかコミュニティーの中から外に出るのが恐ろしいと考えがちだ。他人はどうなってもいいから自分だけは助かりたいと思う者も出てくるだろう。LINEで過去に起こった事件や悲劇はそうした負の心理に根ざしていなかったか。
 しかしその反面人々の結びつきは弱く、コミュニティーの人間関係は案外脆弱だ。そのように人々の結びつきと相反する性質も同時に内包している。人々はそれがゆえに基本的には相手を信用せず、常に周りの人々を遠くからあるいは気づかれないように気をつけながら監視するいう社会構造になっている。
 だからいとも簡単に人間関係は崩壊する。そうであるにも関わらず、その人間関係は雁字搦めで、いざとなると身動きできない社会環境・世の中の仕組みになっているともいえる。つまり個々が判断し独自に動くという思考パターンではない。それ故に人々の行動には常に相互監視に基づいた集団心理が働く。それが表も裏もある日本社会の常識だ。

『日本固有の民族性』『戦後の社会構造の変化』が今の日本を形作っている。

 これはにもも通じる話である。どの民族にも長い歴史があり、例え国家は変われど同じ民族である以上、その文化や慣習が途絶えることなく連綿と続いている。
 しかし日本は長い歴史を通して国家はずっと一つだ。慣習、習慣、社会構造、思想、文化といったあらゆるものが、連綿として今の日本を形作っている。その結果の今の日本だ。
『穢れの中のマイナス思想』『排他的村社会』『自分で解決しようとしない神風思想』・・・みな負の遺産だ。

 すべては『和を以て貴しとなす』、から始まった。

 集団の中で内外の争い事や困難を回避・克服し、常に相手を思い遣り、全体の和を乱さず仲良くやっていく、という生き方を尊ぶ精神風土が元々存在したつまり1300年以上も前に、期せずして日本の未来(今日)は決定づけられていた。
 更にいえば
僅か152年前までは260年以上鎖国状態で、しかも島国であったことで『歴史的独自性』が保たれた。それが諸外国と日本との大きな違いだ。一つの国家が基本的に単一民族で1300年以上続いてきた、という歴史を背景に持つ国家は日本以外にない。の結果の現在だ。これこそが真実に導く鍵のひとつとなる。これがいざとなると、他の国にはない一体感が日本人の心中に生じる所以である。他の人に迷惑を掛けてはいけない。誰か困っている人がいれば後先考えずその人を助けようとする。その時の日本人はたぶん「情けは人のためならず」などという諺など念頭にもないだろう。

 横並びを好む日本人の特性『極端な貧困層を少なく』している。

 この『貧困あるいは格差社会』こそが今や世界の紛争の火種になりつつある。日本でも今や学童の1/6が貧困家庭で貧富の差は拡大していると言われているが、世界の貧困とか低所得者層というものとは実態はかなり違う。
 元々日本は生活が困窮する者を見捨てたりはしない社会なのだ。それが『村社会』の長所のひとつだ。ルールを遵守している限り仲間内である。そして日本人という仲間内である限り、けして見捨てたりはしないのが日本の社会なのだ。
 それだからこそ一応『国民皆保険制度』は機能している。しかも無保険者でも日本の医療機関は診察を拒んだりはしない。つまり日本では、富める者も貧しい者もそれこそ誰もが等しく、医療の提供を受けられる環境にあるということだ
 日本以外の多くの国では、それこそ地獄の沙汰も金次第ではないが、裕福な者は優遇され貧困層は見捨てられる。日本の医療従事者の医療に従事する根本的動機と理念は『医は仁術』だが、世界の医療の趨勢は『医は算術』である。

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 たぶん『一人の生命は地球より重い』なんてフレーズを、本気で信じているのは日本人だけだ。対する外国はそれこそ野生動物さながらに『弱肉強食社会』そのものだ。一旦弱みを見せたらそこを徹底的に突くのが欧米流だ。一方利害関係が生じない相手にはとことんフレンドリーでありフランクな態度であり続ける。

(これは余談だが『グローバルスタンダード』という言葉は、自分たちを基準に、地球上のシステムを変えてしまおうという欧米人の謀略だ。インターネットもIT社会も、クラウド技術も、ビックデータもその一環だ。これに対抗する手段を持たないと、日本人はたぶんケ〇の毛まで抜かれるだろう)

 それに対して日本は『非合理的社会』だが、欧米は『合理主義社会』だからトリアージという考えも当然というか必然的に出て来る。これは緊急性で判断し治療の優先順を決めるという合理的な考えに基づくシステムだが、実のところもう助からないと判断された者や、お金のない者は見捨てられるというのも、このシステムの大きな特徴の一つである。

 アメリカやイタリアでは実際にそういったことが起こっている。黒人の死亡率が高いのはそうした社会的側面に拠るところが大きいと思われる。けっして民族的遺伝子が関係しているのではないという筆者の指摘は的を射ていると思う。

 米国の国民皆保険制度はトランプ大統領と共和党議員によって廃止された。理由は中産階級以上が多い共和党が、「なぜ自分たちが貧乏人のために税金という形で自分たちの金を拠出しなければならないのか」という発想をする格差社会を象徴する精神風土が米国には存在するからだ。そこには協調して生きようとか共存意識とか共同体という意識もない。根強い人種差別もそこから発生している。

 閑話休題。

 日本がトリアージの理念を(貧富の差で判断するのではなく)、純粋に履行しているのは本当に日本人らしい生真面目さから来ているものと思われる。けっして欧米人にはない考え方だと思う。

 たぶん日本人と欧米人の医師や救急隊員が共同でトリアージを行ったしたら、そこに必ず欧米人側からのクレームが発生するだろう。日本人側はより多くの人を助けたいと思い、欧米人側はまず切り捨てる者から選別を始め、そして黒のタグをつける。まだ死亡していないにも拘わらずだ。しかし日本人側は本当に死亡したことが確認されるまで黒のタグは付けない。そのトリアージの差は日本人側と欧米人側との間の火種になりかねない。なぜなら『一人の命は地球より重い』と思っている日本人と、純粋合理的であらゆる意味で冷徹な欧米人とでは根本的に考えが合う筈がないからである。

 そうした精神土壌があるから日本の医療の最前線では自分の身を削ってでも、出来るだけ多くの人を助けたい、命を救ってあげたいという一念が医療従事者の道べーションにもなっているし医師としての信念になっている。いざとなれば医師としての使命優先で、報酬など二の次の話なのだ。欧米の医師とは根本的に考え方が違うのである。欧米の医師も間違いなく助けられなかった命を見て己の無力さを悔いることはあるだろう。人の死を悼む気持ちに洋の東西はない。だがそれでもやはり、根本的に日本の医師と欧米人の医師は根本的に考え方が違うのだと思う。

 だがこの事が正に日本で死者が少なかった事の重要なファクターとなっている。

 日本は仏教の影響もあり生きとし生けるもの、全ての生命は皆等しいという基本的概念がある。言うなればそうした精神風土が根本的に日本を救ったのだ。だから日本の医師は必死になって命を救おうとする。救急の最前線ではそれこそ死の間際まで、患者と共に必死になって傷病と闘っている。これは本当に掛け替えのない尊い行為だと心底思う。

 だからだけは日本が世界に誇って良いことだと思う。この点だけは、それこそ民度が高いと言えるのだろうと思う。他人を思い遣る心が、ボランティアなどという概念や制度ではなく、心の在りようとして日本人の精神というかDNAに組み込まれているのかもしれない。

 そうした数々の条件を総合的に捉えると、新型コロナウイルスによる日本の現況は予見されていたと言えるだろう。それを日本人だから為し得たと捉えるとすれば、自己を誇るよりもむしろご先祖様と日本の歴史と、戦後の日本社会の在り方に感謝すべきだろう。

 だがそれがいつまでも続くという保証はどこにもない。何故なら、過去を忘れ、かつての栄華の残滓に縋って生きているのが、現代を生きる日本人の現実のしかも真実の姿なのだから。

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からについて順を追って詳細に説明していこう。

 まずだが、『日本は元々非接触社会である』という説と比較するために、日本だけでなく欧米の例を挙げてみよう。それとお隣韓国との比較もしてみよう。

 欧米の例として取り上げるのは中国以外で最初に感染爆発が起こったイタリアと、外出禁止令など一切出さず、新型コロナウイルスの第1波を乗り切ったスウェーデンの2例である。(※ただしスウェーデンは第2波で感染爆発の最中にある。そうなったのは、どこかで社会の在り方が大きく変化したと考えられる)

 イタリアは、ラテン系民族国家ということもあって『スキンシップ社会』そのもので、人々が触れ合うことで成り立っているコミュニティだ。

 それは家族や親類縁者や知人や顔見知りや仕事相手も含めた、それこそ社会全体が触れ合うことで成り立っている社会だと言える。つまり社会の成り立ちそのものが『人と人とが触れ合うことで成り立っている』社会だ。
 朝起きれば家族はお互いにハグをして頬にキスをする。夫婦は勿論親子の間でも子ども同士でもそうする。しかも顔見知りであれば誰とでもそうするのがエチケットでありイタリア社会の常識である。(欧米は大なり小なりそういう社会だ)

 しかもイタリアは大家族が多く三世代所帯など当たり前である。食事は家族全員が揃ってするのが普通だ。その度にハグをしてキスをする。潔癖症の日本人から見れば、こんな四六時中ベタベタした家族の在り方や、イタリア社会の人間関係の在り方などとても考えられないだろう。

 イタリアに嫁いだ日本人妻の話では、プライバシーなどあってないかの如きで、義母にはいちいち口出しされるし何かにつけ手伝おうとしたり親切の押し売りをする。しかしそこに悪気はなくそれこそがイタリアなのだという。つまり個人主義というよりは家族優先主義でコミュニティー優先主義だ。

 それにイタリア人は老若男女を問わず恋愛好きだ。そして恋愛にスキンシップは欠かせない(o゚∀゚o) そんな『スキンシップ社会』に一旦COVID−19が入り込めば、あっという間に感染が広がるのは火を見るよりも明らかだろう。たぶんこれに異論はないと思う。

 しかし同じヨーロッパでもスウェーデンはある意味真逆だ。同じようにハグなどのスキンシップは習慣となっているが実にアッサリとしている。基本にあるのは徹底した個人主義だ。だから独立志向は常識だ。ゆえにスウェーデンに大家族世帯は存在しない。子どもは18歳で成人すれば選挙権も与えられる。つまり完全に成人として社会に認められる訳だ。

 しかもそういったお国柄だから成人すれば家から出て独立して暮らすのが当たり前の社会だ。社会保障が徹底している国だから、大学の授業料は完全に無料で、しかも学生の間は生活費も政府が無償+有償で補助してくれる。その額は月に6900クローナ。日本円にしてしめて103,500円。物価が高い北欧だからこれで十分とは言えないが、足りなければバイトをして生活費を得ればいい。

 それだけでなく、学生に限らず若者の一人暮らしを容易にする為に、政府は若者向けの住宅費補助金制度も設けている。家賃の半額から1/3を補助するが、それは本人の月々の収入額によって決定される仕組みになっている。

 学生の中には家賃が高いのでルームシェアする者も多いが、せいぜい3人程度で一軒借りるというのが通常で、イタリアやスペインの学生寮のような、大勢の男女が同時に一緒に同じ家に住むなどということはまずあり得ない。

 つまりスウェーデンでは個人主義が当たり前で社会保障が徹底してることもあり、他人に頼り頼られるという日本のような相互依存的精神土壌がない。それ故に実質的にCOVID−19には罹りにくい環境にあったと言えよう。現在はまったく規制がなかったが故に感染爆発が起こっているが、3密とソーシャルディスタンスを遵守していれば、感染を抑えられる可能性を持った唯一の欧米国家であった事は確かだ。

 そしてお隣韓国だが、一見して日本と同じ『非接触社会』のように見える。だが李氏朝鮮成立以来600年以上、基本的には朱子学を基本とした儒教が社会の中心にあり世の中を律している旧態依然とした国家だといえよう。この国にとってイデオロギーとか宗教は日本以上に絶対的価値を持つ。

 しかも日本人以上に群れたがる民族性を持つ。共通の敵を見いだせばそれまでいがみ合っていた者同士が手を携えて敵に対峙する。対日本人意識を見ればそれが如実に分かろうというものだ。

 信教の話に戻るが、韓国の儒教なるものは日本の儒教とはまったく異なるものだ。権力基盤を強固にする為に存在するのが朝鮮民族の儒教だ。その説明だけで100頁にはなってしまうので詳述はしないが、この儒教とは自分たちが社会の中心で、その他は夷狄(蔑視且つ排除の対象)という根本思想だ(これを『小中華思想』という)。

 だから一族郎党はトコトン大事にするが、それ以外は排除するという社会構造になっている。虚礼が日常茶飯で社会全体の贈収賄が後を絶たないのもこの儒教思想故である。日本に対して高圧的で礼儀を弁えないのも、約束事を守らず反故にして平気なのも日本は夷狄で自分たちより下だ(現実はどうであれ『日本人は韓民族より下でなければならない』)、という排他的民族主義を未だに捨てきれないからだ。これを時代錯誤だと日本人は思うが、韓国人にとっては息をするようにそれは当前のことだ。

 こういう一族郎党を大事にするという特殊な社会構造だからクラスター感染が一旦発生すると大規模になりやすい。宗教団体、ホモセクシャル・ナイトクラブ。みな仲間、つまり一族郎党を大事にする社会だからこそ起こり得た必然である。そうした日本との社会興亜像の違いはあるが、遺伝的には日本と殆ど同じであるし非接触社会だから、日本とほぼ同じような死亡率なのである。これはたぶん医学的には両国とも差異のない同一グループと見做されることだろう。ネトウヨさんには受け入れがたい事実かも知れない( ̄∇ ̄)

 さて最後に日本だが、世界で一番『非接触社会』が進展しているのが日本だろう。特に第二次世界大戦で敗戦したことで日本の精神風土が根底から覆されたことが結果的に『非接触社会』を促進させたというか助長させたと言えよう。

 何しろ日本も元々は家長を中心とした大家族社会だったのだ。これは当時の大人たちにとって社会環境の激変といってよい程の激変だったのではあるまいか。子どもですらその激変を肌で感じて育ったのである。それが後の世に影響を与えないはずはない。

 軍隊は持つことを禁じられ、財閥は解体され、家長制度は形骸化された。そして形ばかり民主化された国家となった。その事の意味は良い意味でも、またその逆の意味でも大きかった筈だ。何しろ日本の既成概念が根底から覆されたのだ。

 第74回直木賞受賞作である佐木隆三の小説『復讐するは我にあり』で、主人公の榎津巌(えのきづいわお)の考えが根本的に変わってしまう契機となったのは、終戦の日を境として大人がコロッと考えをそれこそ180度変えてしまったことにあった。

 これを筆者はフィクションと考えていたが、NHKのファミリーヒストリーで仲代達矢が同様の経験をしていることに驚いた。その時仲代は「大人どもが云々・・・大人に対する不信感が未だにあります」語ったことが、かなりの強いインパクトを持って印象づけられた筆者だった。あれはフィクションではなっかったのだと心底思った。それこそ日本人にとって敗戦とは天変地異と同義語だったということだろう。

 話を元に戻そう。

 しかしスウェーデンのように個の確立した個人主義社会が育たなかった日本だ。お互い支え合って生きている小集団社会で成り立っているのが日本の実体なのだが、それでいて人と人との結びつきは、恐らく世界で一番希薄なのではないか。依頼心が強いのにも拘わらずにだ。こうした矛盾した心理を内包している社会は常に不安定で猜疑心と相互監視という人間関係を生みやすい。それが『非接触社会』に拍車を掛けるという悪循環を繰り返しているのが戦後日本の姿なのではなかろうか。

 家族の在り方で対極にあるのが先に挙げたイタリアで『三世代一家』は当たり前だ。それに比べて一方の日本は『核家族』が当たり真前で、朝昼晩を通して家族が全員揃って食事することはまれな社会だ。そして恐らく単身世帯の比率は日本が世界一なのではないだろうか。オタクや引き籠もりの比率も人数も恐らく世界一だろう。さらに言えば単身所帯は当然だが、夫婦に子ども二人という標準家庭でも、ハグもしなければ頬にキスもしない。しかし、もしそんな日本人家族が存在していたら逆に日本では極めて異常だ(*´∀`*)

 人々は押し並べて清潔を心掛け、世界から見れば些か潔癖症というよりむしろ『プリッグ(prig)』扱いだ。因みにプリッグとは、「うるさ型の人」とか「道徳ぶった人」あるいは「気取り屋」というシニカルな意味合いを持つスラングだが、翻って『過度に潔癖な人』という意味を持つ。どう?、、、あなたも含めて日本人の典型だと思いませんか!(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v

 先日、千葉県の2019年度の学校でのセクハラ調査の結果がニュースに流れていた。東京新聞のデジタル版『教職員の言動588人が不快、19年度調査・・・』にもその記事が掲載されていたのでリンクを貼っておきます。その中で教職員によるセクハラで児童・生徒が最も多いと回答されたのが「必要以上に身体を触られた」で、回答全体の2/5を占めていたという。その他諸々アンケートの回答はあったが、それはまさにセクハラそのもので、ゆえに敢えて割愛するが、筆者が注目したのは具体例として挙げられていた「(教員から)身体を舐めるように見られた」という回答であった。

 ご存じのようにセクハラとは、一旦そう思われたらそれは正真正銘『セクハラ』なのだという。非接触でも視線だけで接触されたと感じてしまう日本人の意識と社会構造は、その感覚の是非はともかく世界的にみて正常な反応と捉えられるだろうかと、少なからず考えさせられるニュースだった。

 ここから筆者が思ったのは、日本人は押し並べて自意識過剰で、被害妄想傾向があるということだろう。筆者もこの自意識過剰で被害妄想人間には、それこそ幾度も遭遇して現実に『被害』にも遭っている。しかもそんなに人間が稀にではなく世間にはゴロゴロしているのである。これって正常な社会だろうか。

 このセクハラ記事を見て更に思ったのは、以前の報道特集番組で見た電車での痴漢は後を絶たないが、それに伴って現実には冤罪も多いという報道だった。冤罪なら容易に証明できそうな気もするが、実際には一旦痴漢扱いされたらそれが冤罪だと証明することは難しく、その信用回復は容易でないという内容だった。

 確かにそれで会社をクビになり、全ての社会的信用も失い、場合によっては妻や子どもから軽蔑され、しかも失業の憂き目に遭ったとなれば単なる災難で済む話ではなく、ある意味死活問題だといえるであろう。

 かなり前のことで正確には覚えていないが、たしか痴漢だと訴えた相手は、事件当時女子高生だったがそれは結果的にイタズラというか出来心で嘘をついたということが公判を通して明らかになったのだが、それで冤罪にあった被害者の人生が元通りになる訳ではないというところに、冤罪被害者の立場が身につまされて人生の悲哀を感じた筆者だった。

 痴漢ではないが、物を盗んだとか嘘をついたとか他人にあらぬ疑いを掛けられて、挙げ句の果てに告げ口をされ弁明も無視されて、その社会から白眼視をされてとても悔しい思いをしたことがある。小さい頃も含めてそんなことが幾度もあり、それが今もトラウマになっている。

 だから日本人というものの本性を知るがゆえに心底信じられない筆者なのだ。

 これは余談だが『他人の心の痛みが分からない人が増えている』という点や『非接触社会が攻撃的で非寛容な社会を生み、尚且つ被害妄想意識や過度な潔癖症を生む土壌にもなっている』という意味で、敢えて書いてみた次第です。

 と書いて何を訴えたかったのかといえば、こうした日本の『非接触社会』という、世界から見れば特異な社会構造が、皮肉にも3蜜を厳格に遵守することに繋がり、ひいては『接触機会を減らす』ことに過大に貢献したと言えるのではないかと考えています。そして当然ですがこれは民度が高いとか低いという議論とはまったく無関係です。

 そうした意味でこのは、世界が目を見張るほど日本の感染者も死者も異様に低かったことの最大の要因(主なる原因)だと推論しています。これはあくまでも推論から導かれた答えですが、事実であり真実でもあると筆者は確信しています。

 次はの、日本は基本的に『村社会』だという分析です。それが結果的に新型コロナウイルス対策としてはプラスに働いたという指摘がこの論旨となります。

 江戸時代から明治維新を経て現在に至ってもまだその旧弊から脱していないのが日本の社会だという意味で挙げました。その弊害として挙げられるのが子どもから大人の世界まで蔓延っているイジメの心理であり、SNSでの誹謗中傷やサイト炎上などの被害です。それが今回は韓国同様排他的心理を助長し、しかし結果としては真逆の感染者屋死者を減らす方向に働いたという分析です。

 筆者はいつもニュートラル(中立)だ。思想的にも人間的にもだ。誰に寄り掛かるでもない独立独歩の人間で、ゆえに他人に頼ることもしないし逆に頼られたくもない。だから国粋主義者でも真逆のアナーキストでもない。

 しかし自分がどこに立脚しているのかを事ある毎に確かめる必要はあるだろうと考えている。そして自分は日本人であるという以外に真実はないと考えている。現実を知るがゆえに、自分が日本人であることを殊更誇ることもないが卑下することもない。しかも日本人という真実は生まれてから死ぬまで一生涯変わることはない。我々はどんなに足掻いても、未来に於いて日本以外のどこぞの国籍を取得する機会があったとしても、日本人であることには些かも揺らぎがないのだから。

 次は『日本固有の民族性』『戦後の社会構造の変化』

 グローバル化が叫ばれて久しく最近はあまり言われなくなったが、『島国根性』というものがあったのをご存じだろうか。国土が海に囲まれて他国と陸続きで繋がっていないために、視野が狭く閉鎖的でこせこせした性質になりがちな日本の民族性を指して自虐的にそう言うらしい。

 つまり日本人の国民性を自らあまりよく評価していない訳だが、筆者はこの言葉の持つ意味が、一般的に思われている様なマイナス面だけだとは考えていない。物事は何事にも良い面も悪い面も併せ持っているもの。この閉鎖環境の中に実は多くのプラス思考というか良い面があり、マイナス面を補って余りあるくらいのメリットがあると考えています。

 その代表的なものが協調性だと考えています。筆者は余り良い言い伝えだと思っていないのですが、日本では国難が訪れると神風が吹いて日本を救ってくれると言う考えが、元寇の来襲以来言い伝えられ信じられている訳ですが、先の大戦では戦争末期に神風特別攻撃隊などという、死を覚悟で爆弾を抱えて体当たりで米艦船を撃沈させる攻撃隊まで現れました。

 閉鎖的社会であるが故に集団心理で凝り固まって、あらぬ方向に向かってしまった悪例として敢えて書きましたが、特攻で死んでいった多くの若人の心は純粋であったと信じています。これは死を美化するなどというつまらない発想で言っているのではありません、現実はどうであったかを筆者なりの想像で話しています。

 国策の名において若者を死に追い遣った愚策に沿って、それが愚策と知って死んでいった若者の心は、けして全てが純粋だったとは思っていません。ですがが、万感の思いを胸にしまい込んで、従容として死に赴いた特攻隊員の心の中を去来したのは、たぶん愛国などという陳腐なものではなくて、愛する人たちを自らが守るという、言わば責任感が根本のところにあったのではないかと思っています。

 余程の愚か者でもないかぎり、爆撃戦闘機で敵の艦船を一隻や二隻撃沈したところで、戦局が大きく変わるなどと本気で思っていた特攻隊員は一人もいなかっただろうと思っています。それでも尚、従容として最後は死に赴いた若者の心の中に在ったものは一番大切な者を守りたい、その愛する者が住む日本を守りたいという、その一念だけだったような気がします。未だ浅薄の身ですがそう思うのです。

 その思いの根本となっていたのが、日本という小さな島国の中でこそ生まれ得た協調性と連帯感と集団愛と繊細で緻密な思考と気配りだった気がします。それを守るために生まれた責任感が最後は若者を死に赴かせたと考えています。

 いまだ人間として未熟な面を多く抱えている筆者ですが、この特攻隊員の責任感や協調性や優しい心根を共有する精神土壌というか、DNAが今も日本人には連綿と引き継がれていると信じています。

 その責任感と協調性と周りを思い遣る心が、今回の新型ウイルス禍の中でプラスに働いたと確信しています。そうした意味で島国根性を日本人は未来永劫忘れてはいけないと思っています、なにしろ日本人のアイデンティティーなのですから。

『戦後の社会構造の変化』は、終戦の日を境にそれまで鬼畜米英と叫んでいた大人たちが親米へと豹変した姿を目の当たりにした、仲代達矢のエピソードを出すまでもなく、その時の日本社会の変化というよりは激変以来、いまだ日本人は己のアイデンティティを見つけられないまま、戦後75年も過ぎてしまったような気が致します。

 自分が日本人であることを実感するのはたぶん国内にいる時よりは海外に出た時だと思います。その時になって初めて日本というものを本気で考える切っ掛けになったという日本人は多いと思われます。しかし日本人の過半は未だ「井の中の蛙大海を知らず」のままだと思います。その中で日本人がどのように変化してきたのかをもう一度振り返ってみましょう。

 それは新型コロナウイルス禍を日本人がどう遣り過ごしたのか知る手立てです。

 戦後日本はアメリカのマッカーサー率いる進駐軍に日本全土を掌握され、日本人としてのアイデンティティーを亡くしてしまったまま今日に至っています。

 軍隊はなくなり財閥は解体され、国体は形だけ民主化の体裁を施され未だ根付くこともなく、家長制度で成り立っていた大家族制度はなくなり、一家の大黒柱はただ金を運んで来るだけのサラリーマンという存在になり果て、妻にも娘にも見向きもされない。

 そんな中で人々の堅い結びつきはいつしか緩み核家族化は今や当たり前。それどころか50代で一度も結婚したことのない男性が今や全体の1/4(25%)もいる。そうした中で独居老人は増え孤独死は日常茶飯の日本になっているという現実に、些か驚きを隠せないどころか危機感を感じる筆者です。

 だがこの情けない現実によって、日本は新型コロナウイルス禍をまともに受け止めることなく遣り過ごせたといったら、誰しもが驚くでしょうね。しかしそれが今の日本の現実であり日本の真実です。

 なぜならそれが接触機会を極端に減らすことに繋がった訳ですから。島国根性が日本人の心の深層にありながら、人と人との結びつきは戦後日に日に薄れていき、「個人主義」というよりいまや「孤立主義」が台頭する現代日本社会。大多数がそうなってしまった挙げ句『非接触・非スキンシップ社会』が生まれるべくして生まれた。皮肉なことに、それが日本を新型コロナウイルス禍から救ったのだ。

 しかしそれは戦後の社会の激動の中から生まれたのではなく、日本人が連綿として培ってきた日本人のアイデンティティーの一つでもあったのです。江戸時代までの日本社会では、生まれて10歳になるまで生存できる子どもは今よりずっと少なかったと思われます。

 ゆえに社会は子どもを気には掛けても過保護にはしなかった。医療も発達していない世の中で、いつ失うか分からない命に全てを掛けるほどの余裕はなかった。だから家族制度を維持するために、跡継ぎなどを考慮していつ子どもが死んでもいいように子沢山の所帯が多かった。それが悪いとはいわない。良い面も沢山あったと思う。しかしその意味を日本人が考えることは一度なかったことが今日の日本の情況を招いていることは確かだろう。

 それが戦後になって世の中は急激に変化し、医療は充実し子どもの死亡率は低くなった。そして家長制度は廃止され家長に絶対服従などということはなくなった。経済成長と共に子どもは18歳ともなると長子を除いて故郷を離れ、大半が都会に出てそこでやがて結婚し家庭を持つ。つまり核家族化がここから始まった。

 その中でそれぞれが大家族の恩恵に預かれぬままそれぞれが孤立し生きていかざるを得なかった。家庭内暴力、DV、引き籠もりといった戦前にはあり得なかったことが発生し、人々の結びつきは社会の最小単位である家族でさえ希薄になっていった。その結果の『非接触・非スキンシップ社会』なのである。

 だから皮肉な結果だと言った訳だ。大事なものを亡くした代わりに命だけは長らえた日本人。これはたぶんアジアの中では韓国も同じだろう。

 すべては『和を以て貴しとなす』、から始まった。ですが、その意味を改めて言うまでもないでしょう。それほどに日本人の心にその思想は浸透していると言えましょう。そして上記の箇条書きとその説明で書いた以上のことをこれ以上書く気はございません。要はこれがいざとなると、他の国にはない一体感が日本人の心中に生じる所以であるというのが、この『和を以て貴しとなす』、という日本人の心情あるいは信条がこの言葉に集約されているということです。

 横並びを好む日本人の特性極端な貧困層を少なくしているですが、これも上記に書いた以上に改めて書くことはありません。

 しいて挙げるとすれば、日本の皆保険制度は日本だからこそ生まれたものと言え、憲法に則って国民が文化的で衛生的で安全な暮らしが出来るようにという主旨で法制化された制度です。

 それが貧富の差に関係なく、等しく十分な医療を受けられる事に繋がっていて、正にそれこそが新型コロナウイルス禍において有効に働いたということなのです。

 米国の黒人貧困層に死者が多いといった例を先に挙げましたが、世界の趨勢は、金のある者は最先端医療でも十分に受けられますが、貧困者には冷たい社会へとどんどん突き進んでいます。

 しかしながら、日本に生まれてきて良かったと思うのが、新型コロナウイルスによって知るというのは、何だか情けないというか悲しい気分です。

 以上からまで述べてきたのですが、ここでハタと思うことがあるでしょう。からまで内容的に矛盾している事柄が多いのではないかと。

 しかしそれこそが日本人であり日本社会なのです

 ハッキリとした意見を言わず曖昧な日本人、とは外国人からよく言われることですが、筆者はそれこそが日本人だと思っています。

 常に周りに気を配り事を荒立てない。世の中の矛盾も不条理も我慢して、けしてその状況に抗したりはしない。そのうちに嵐は通り過ぎるだろうと考えるのが大半の日本人なのだと思う。

 そして第1波の新型頃ウイルス感染は乗り切った。しかし上記で論考した内容を吟味し、第2波に備えて対策を練らない限り二匹目のドジョウは現れないことだけは断言しよう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 あ〜、こんな事を書くと約束などしなければ良かったと、書き終えた今ごろになって思っています。自分の言ったことには責任を持たなければならないと思って書きましたが、こんな事にうつつを抜かすほど暇じゃないというのが正直なところです。

 という訳で、書くと広言したから約束は一応果たしたと言えるところまで書きましたが、正直これ以上書く気にはなれません。

 またこの続きを書くこともあるかもしれませんが暫くはその体力も気力はない。今年も半年を過ぎて何ひとつ為していないという気がしてなりません。

 この焦燥感と不屈の魂が次のステージに筆者を誘っています。

 ゆえにしばらく皆さまとはお別れです。

 突然ですが、悪しからず。

 Written by H☆imagineU3

 これにて論考終了。結構疲れました。

☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆

 これからも仕事の合間を縫って、皆様のところにはお邪魔する予定ですが、仕事を優先するのでしばらく休みます。(多分何度か「追記」はあると思います)復帰予定は未定です。

 次回は著作権法の現状について筆者なりに色々時間を掛けて調べたことを(いつになるか分かりませんが)レポートしたいと思います。

 これは色々調べたり動き廻って分かったことなのですが、日本は知的財産や著作権法というものに対して、権利を持つ側も、権利を侵害する側も、総じて意識が低く触法概念が曖昧だと感じました。守る(権利者)側は恣意的にその運用をしている気がしてなりません。法律を破る方はそれを知っているから好き勝手に違法コピーや無断掲載を繰り返す。たぶん実体はそんなところです。

 だからSSブログも二度著作権法違反を報告しても梨の礫。新聞各社も専門の部署に報告して対応をお願いしても、いちいちそんなことに関わっていられないのか返事すらありませんでした。日本の為政者が、法の支配などと胸を張って言えるのかというくらい、良くも悪くも欧米のような厳格な法治国家ではないのだなと思った次第です。

 つまり時と場合によって法律の運用も使い分けるという訳です。

 これはある意味民族性というより『民度』と関連しているのかもしれません。

 以上。

☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆

<2020/07/03 9:35 追記>

 7月2日の東京都の新たな感染者107人という発表を受けて皆一様に驚かれたでしょうね。4月初旬の『感染拡大前夜』と情況が似ています。

 ネトウヨさんが目の敵にして誹謗中傷のターゲットにした、北大の西浦教授のレポートでは緊急事態宣言が解除された後で、都市部の人出が感染前の状態に戻れば間違いなく感染爆発の危険性が高まると警告していました。その発表が嘘ではないことが立証されていると思います。

 ネトウヨさんは普段はマスコミや野党を批判していますが、その批判する内容とまったく同じ事を、自分たちも平気でするのでしょうね。つまり都合が悪くなるとだんまりを決め込むという常套手段をね(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v

<2020/07/03 15:00 追記>

 7月3日発表の東京都の新たな新型コロナウイルス感染者は124人。さてこれをどう捉えどう対応するのか小池都政。

 かなくても分かるだろうと思い敢えて記述しなかったが、日本人の質がどんどん劣化して、直接的に言わなきゃ分からなくなっている様なので、、、

『日本で死者が極端に少なかった理由』

 は明確に書いておこうと思い直した。明確化することによって死者がこれ以上増えないようにという願いも込めて公表する。

 言わずもがな、当然ながら少ない理由は穢れを恐れる心にある。

 年若いほど穢れの感覚は薄く、しかも無自覚無症状キャリアとなりやすく重症化しにくいから自らが感染源となっていることにさえ気づかない。

 だが高齢者や基礎疾患のある者は違う。

 緊急事態宣言以来、自分たちが死ぬリスクが若者たちに比べ何十倍も高いことを知ってしまったからである。以来65歳以上の高齢者は死の危険を恐れる余り極端に外出を控えている。近くで買い物をする以外ほぼ表に出ない『お籠もり生活』を緊急事態宣言解除後のいま現在も続けている。

 以来、外出時はマスク着用、手洗いうがい励行、ソーシャルディスタンス、3密回避。それらを厳密に守っているのはこの世代の大半と基礎疾患を持つ者だけである。

 それが6月初旬以来死者の増加が目に見えて減少した理由である。ちょっと頭を使えば分かることである。

 だからお年寄り(自分もそうかもしれない)が、これからも穢れを恐れる行動を続ける限り、死者が激増する情況はあり得ない。何しろ出掛けなければ訪ねてきた子や孫などが家の中にこのウイルスを持ち込まない限り、感染リスクは限りなくゼロだ。

 これが日本で死者が少なかった本当の理由です。

 しかし核家族化は今や当たり前どころか、独居老人の比率は上昇することはあっても些かも減ることはない。老夫婦だけの家庭独居老人の社会との結びつきは日増しに弱くなり、非接触社会がそれに拍車を掛ける。むしろこれからは感染死よりも孤独死あるいは孤立死の方がご老人にとっては現実味を増すだろう。

 預言しておきます。(本当はこんな『預言』などしたくないけど)

<2020/07/04 9:46 追記>

 死者が少なかった理由の補足説明です。

 筆者は、お年寄りが外出を極力控えて接触機会を少なくしているのが死者が少ない理由だと述べましたが、これは情況証拠だけで言っている訳ではありません。

 5月25日にの緊急事態宣言完全解除以降、感染者数は横ばいから微増に転じここ一週間以上は50人台から一挙に100人台に推移しているのはご存じの通りです。しかも集団で検査していることもあり小規模クラスター感染が発生しているのもご存じの通りです。また東京を例に挙げれば感染経路不明者は約40%で、感染者の80%が30代と20代の若い人達です。お年寄りは殆どいません。

 この情況を、感染者は検査を増やせば多くなるのは当たり前だと、感染者数の増加を軽視する人達がいるのと同時に、死者が少ないから大丈夫だと主張する人達もいます。一方、日本はPCR検査数が未だ海外に比べて少ないのだから、感染者数は感染実態を表さないから、感染者数よりも死者数の方だけを注視すべきだという人達もいます。

 ハッキリいます。皆的を射てはいません。感染者は感染者、死者は死者で別々に分析すべきなのです。

 何故なら日本においては両者はまったくリンクしていないからです。

 NHKの新型コロナサイトを見ると、通常感染者数のピークから1から2週間以上遅れて死者は増える傾向にあります。それからすると6月下旬から感染者数は明らかに増加傾向に転じていますから、そろそろ死者数も増加する兆しがなければなりません。ここは微妙だと思っていらしゃる方もいらっしゃるでしょうが、筆者は感染者の数に遅れて比例して死者が増えるとは考えていません。

 何故なら新たな感染者の80%が20代、30代の若者だからです。年寄りはもう危険地帯には立ち入らないのです。何しろ死者の90%以上が80代、70代、60代の高齢者で占められているという現実を、一番身にしみて感じているのはこの年代と基礎疾患のある50代以上の人達なのです。今や接触機会を自らの努力で未だ減らしているのは高齢者と基礎疾患のある人たちだけです。

 ゆえに死者数は感染者数にリンクせずこの後も微増傾向で推移するはずです。

 しかし、もう来ているだろうといわれる第2波の対応を誤り、感染爆発が起こればこの限りではありません。災厄は一番弱い者から先に犠牲になるものです。新型コロナウイルスを幾ら注意し警戒しても、現実に若者と接触しない年寄りは独居老人くらいのものです。いずれ町中に溢れた若い無症状無自覚キャリアから、60歳以上のご老人に新型コロナウイルスがうつされ、そうした高齢者や基礎疾患のある者の中から死者が増えるのは目に見えています。

 だからこそ今感染者数を減らす方策を矢継ぎ早に打ち出さなければならないのです。西村新コロ担当大臣は、新たに発足させる「新型コロナウイルス感染症対策分科会」のトップに、前専門家会議副座長だった尾見茂副座長を充てると発表しました。

 メンバーには、感染症と経済の専門家に加え、鳥取県の平井伸治知事を加え発足させるということですが、筆者がメンバーに加えるべきだと思っていた集団心理に詳しい心理学の専門家を入れなかったのは残念だと思っています。

 その理由は筆者がずっと言い続けている様に、今回の感染傾向には明らかに日本人特有の集団心理が働いてるからです。その分析なくして感染を未然に防ぐことはできません。新メンバーの全容は減じてでは不明ですが、今までの政府の対応からして、ミスキャストは必ずあるでしょう。

 ですがそんなミスキャストなどたった一名でも許されない情況にあるのです。本当に、本当に、精鋭だけを集めて事に当たって欲しいと思います。何しろ新型コロナウイルス対策が成功するか否かが、日本の将来を左右するのですから。

<2020/07/04 13:00 追記>

 はじめてツイッターからリツイートを頂きました。

 セロー@serowserowさんという方からのこの記事に関するリツイートで、返信の仕方を知らないから4回も同じ様な返信をしてしまいました(o゚∀゚o)

 セローさんのリツイートは、 

日本と欧米の対比が考察されていますが、ほかのアジア・アフリカ諸国の死者が少ない理由はどう考えておられますか。

 というもので、それにこう返信致しました。(降順で下に行くほど古くなります)

 一番初めに一番下のこの記事のリンクのコメントを添えてツイートして、セローさんからの問い掛けリツイートがあり、馴れていないので返信されていないのかと思い4回もコメントしてしまいました。(^_^;

 セローさんの質問の主旨は見ての通り「欧米との比較はしているが、アジアとかアフリカの死者が少ない理由はあるのか」ということだったので上記のコメントをした次第です。

 それにセローさんはこう返信しています。

なるほど、アフリカは割とスキンシップ型かと思っていましたが、人口密度の関連も含めてですかね。いずれにせよ様々な原因の貢献度がはっきりするのには年単位の期間が必要と思います。また参考にさせていただきます。

 しかしそこに書き足りない部分があったのでSSブログ上で追記することにしました。

 書き足りない部分はアフリカが『非接触社会』だという根拠についてです。

 『非接触社会』とは、日常の習慣として、人と人が出会えばハグをして頬にキスをする、というような接触の仕方をしない社会のことです。対義語は『スキンシップ社会』です。

 アフリカ人はそれをしません。

 何故なら『エボラ出血熱』の恐ろしさを知っているからです。『エボラ出血熱』は過去幾度も流行し、やっと終結したと思ったら今年春先になってまたも流行宣言がでました。そんな情況では必然的に『エボラ出血熱』の流行した、あるいは今も感染流行している国々は『非接触社会』にならざるを得ないのです。

<2020/07/04 14:30 今日3回目の追加>

 々ネットを見て回ったのですが、BCG検査関連の『結核抗体説』以外、筆者の説に匹敵する科学的根拠を持つ論説は、現時点では見つかっていませんね。

 やはり、日本だけでなく死亡率が極端に少ない国に共通しているのは、様々な理由の違いはあるにせよ、その国の現状が『非接触社会』である事と、政治的理由、あるいは民族または国民の慣習、生活習慣といった何らかの人為的理由『接触機会が極端に少なかった』という、この2大要因しかこの事象を何ひとつ例外なく完全に説明できる要因はないと考えております。

 もし異論があるのであれば是非コメントを。。。

 未だに日本で何故死者が少なかったのかが分かっていない人が多い。医学的要因としてBCG接種の有無と遺伝子的抗体の特性の可能性は高いが、4月の時点で、日本で死者が少ない本当の理由は、80代から60代の年齢層が死者の9割以上を占めるという実態を知った高齢者が、家に引き籠もって感染を避けていたからに他ならない。

 つまり穢れを嫌う『引き籠もりご老人』が穢れを持ち込んで来る『8割の無自覚無症状キャリアの若者』を忌避して、自らの意思で感染機会を減らしたからだ。




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Baldhead1010

雨の中、一人傘さして歩いているのにマスクしてるアホがいる、この日本。
by Baldhead1010 (2020-07-03 04:17) 

旅爺さん

東京では夜の街でコロナ患者が増えてますが、
日毎に更に増えてるのは自覚無症状のある人の菌バラマキか?。
by 旅爺さん (2020-07-03 06:01) 

SORI

U3さん おはようございます。
チェコは美しいところですね。石畳に古い建物が並ぶ街並みにはあこがれます。Johns Hopkins大学(JHU)によるとチェコの新型コロナの感染状況は2020年7月3日4時33分(日本時間)時点は第2波が収束しつつある状況で、累積感染者数は12,116人ですね。人口は1037万人と日本の10分の1であることを考えると厳しい状況だったのだと思います。新規感染者のグラフを私の記事に追加しました。
 累積感染者数  12,116人
 死者数       353人
 回復者数     7,821人
 7月1日新規感染者数  72人/日
 人口    10,369,000人
by SORI (2020-07-03 06:22) 

tarou

お早うございます、観世音寺にコメントを
有難うございました。
Youtubeで、「観世音寺 鐘の音」を検索
すると、千三百年前と同じ音を聞くことが
出来ました。
by tarou (2020-07-03 08:10) 

U3

Baldhead1010さん おはようございます。
人混みの中、幾人もマスクをせず歌舞伎町を歩いているバカがいる、この日本。
by U3 (2020-07-03 09:11) 

U3

旅爺さん おはようございます。
自分だけは大丈夫と考える無自覚無症状キャリアが感染を拡大すんですね。
by U3 (2020-07-03 09:12) 

U3

SORIさん おはようございます。
 記事読ませて頂きました。ご紹介頂きましてありがとうございます。
 わたくしめの名前がダブリン出身のロックミュージシャンBONOさんのバンド名『U2』になっていたのはご愛敬です。間違いですが悪い気はしません。
 SORIさんの新型コロナウイルス関連記事は、見る度に最新情報に更新されていてとても参考になります。
 いつも感謝の気持ちでいっぱいです。重ねて、ありがとうございます。
by U3 (2020-07-03 09:24) 

U3

tarouさん おはようございます。
直に鐘の音聞いてみたいですね。
京都、知恩院の除夜の鐘、生で聞いたことがあります。
余韻が凄かった。
by U3 (2020-07-03 09:26) 

扶侶夢

三部作、執筆ご苦労様でした。充分な内容でしっかり完結したと思います。
今回のコロナ禍を様々な角度から検証して論じられているので納得がゆきました。もはやコロナウィルス対策に関してのみではなく、コロナ禍を通して他の問題にも応用できる我が国の『歴史に由来する民度論』にまで昇華していますね。中でも『穢れに対する恐れ』と『戦後の社会構造の変化』は私も実感していて同感です。
改めてご苦労様でした。さてこれからの対コロナ禍と来たるべき社会変化を私たちはどう付き合っていったら良いのやら…。
by 扶侶夢 (2020-07-03 11:15) 

八犬伝

長きに亘り、ご苦労様でした。
なるほど、穢れの意識か
そしてマッカーサーにより、家長制度は崩壊してしまいましたものね。

東京、本当に不味いです。
小池は選挙が終わるまで何も動かないでしょうし
かといえ、医療機関には過大なる要請をして
今に始まった事ではないですが
あの厚顔さは、本当にひどいですね。
by 八犬伝 (2020-07-03 11:32) 

U3

扶侶夢さん こんにちは。
 あの〜〜、一応『四部作』です(^0^;)
 新型コロナウイルス禍で色々思うところはあるのですが、日本人ほど自分たちが何者であるかを深く考えない民族はいないんじゃないかと改めて考えてしまいました。
 若い頃に海外を放浪していらっしゃったのでご存知かと思われますが、外国に行ってその国の人と親しくなると、必ず日本の出来事(今はネットで世界中が直接繋がっていますからリアルタイムに日本の情報も入ってきます)について意見を求められるのですね。
 それはどちらかというと個人的な意見というよりも、日本人としての意見を求められているような気がすることがあります。その時日本人としてのアイデンティティーを、常日頃から意識していないと即答できないのではないか思うことが往々にしてあります。
 日本人の過半が生と死を初めて意識したこの災禍の中で、日本人がどうのこうのと大げさでなくとも、一人一人が「己とは何なのか」ぐらいは考えて欲しいと思っています。
by U3 (2020-07-03 12:13) 

U3

八犬伝さん こんにちは。
 先の大戦が終わって以来75年経っても、未だ日本人は日本人としてのアイデンティティーを回復しないまま今に至っていると思っています。民主主義は根付かない。自由の意味を知らない。それよりも何よりも自分を知らない。
 だから真実が見抜けず今回のように右往左往する。精神は未だお子ちゃまレベルなのが日本人なのだと思います。今の日本の現状を見ると、何だか日本に偉大な思想家とか哲学者が少ない理由が分かる気がします。
 東京ですが感染源を一週間ロックアウトして感染者がいない情況を作ることが必要と思われます。そうして一旦「浄化」すれば、歌舞伎町ににもブクロにも安心して足を伸ばせるでしょう。
by U3 (2020-07-03 12:23) 

Nobuzo

今回のU3さんの記事で私の中で漠然としていたものに筋が通りました。
よくまとめて頂いて感謝です。
ありがとうございました。
by Nobuzo (2020-07-03 12:32) 

U3

Nobuzoさん こんにちは。
日本で何故死者が少なかったのかという問いにも追記で答えました。
是非ご一読を。
by U3 (2020-07-03 15:13) 

tochimochi

仰る通り、若者の感染者が増えてますね。
高齢者は感染よりも孤独死が増える、私も含めて悲しい現実です。
by tochimochi (2020-07-03 16:57) 

U3

tochimochiさん こんばんは。
 社会全体が適度な(というのが一番難しいのですが)距離を保って、高齢者と若者を見守ってくれている社会環境があると、本当はいいのですがね。
 非接触社会ですから致し方ありません。
by U3 (2020-07-03 18:57) 

八犬伝

孤独死
それは、本当に可哀そうだし
出来る事なら避けてあげたいものですが
極端に、この傾向が続いていったら
十二分に予想しうることですね。
by 八犬伝 (2020-07-03 19:57) 

U3

八犬伝さん おはようございます。
「一人の命は地球よりも重い」と言いながら、現実には世界一人間の尊厳を軽視し、自己愛ばかりで他人を愛せない「他人に無関心で冷たい日本人」ですから、『孤独死』はいずれ日常茶飯事になるでしょう。
 たぶん「その時になって」初めてそうした現実に気づくのが今の日本人なのだと思います。物事を深く考えないのが現代の日本人なのです。
 それだからこそ、その場になって慌てふためく人が過半なのです。
 悲しいかなこれが日本の現実です。
by U3 (2020-07-04 02:18) 

Asterionella

U3さま。社会学的な考察興味深く拝読しました。
私自身は、山中教授の言うファクターXの一つ、これまでのウィルス感染説の可能性が高いと考えています。武漢ウィルスなどと悪口を言う方もいますが、その言い方でいうと日本ウィルス派です。日本に比較的広く拡がっていた土着のウィルスの変異種がCOVID-19というものです。ですので、今回はラッキーだったとしか言いようがなく、日本人に接触歴のないウィルスが入ってきた時の壊滅的な被害を心配しています。

by Asterionella (2020-07-04 13:09) 

U3

Asterionellaさん こんにちは。お久し振りです(#^.^#)
 日本土着のウイルスの変異種ですか? 
 だとしたら抗体検査で、もっと日本土着のウイルスの変異種の抗体を持つ者が一定割合で現れなければならないと思うのですが如何でしょう。
 土着の変異種であれ抗体検査はCOVIDー19のコロナウイルス抗体検査には引っ掛かる訳ですから。日本の首都での今の1%にも満たない抗体保有率で、COVIDー19で感染者と死者が欧米各国と比較して圧倒的に少ない理由を証明したことにはならないと考えています。
 それと土着のウイルス変異説ならば東アジアの国々例えば韓国と台湾とラオス、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、それとオセアニアのニュージーランドの説明もその土着コロナウイルスの変異説で証明できなければならない。温帯から熱帯、あるいは春夏から秋冬という幅広い環境の違いでそれが証明できるかというと難しいとしか言い様がありません。やはり『非接触社会』か何らかの人為的な理由によって『接触機会が圧倒的に少なかった』と考える方が妥当であり納得のいく説明だと思います。
 ゆえに、もう少し上記の国々でも当て嵌まる合理的な具体例というか実証データが揃わないと何とも言えないですね。もちろん山中教授の『ファクターX』には興味津々ですけれど、余り期待はしていません。
by U3 (2020-07-04 13:52) 

やおかずみ

チェコ チェスキー・クルムロフには、私も行ったことがあり
ます。綺麗な町でしたね。
by やおかずみ (2020-07-04 14:40) 

SORI

U3さん こんにちは
名前を間違えて記載し、申し訳ありませんでした。
取り消し線を使って修正させていただきました。
by SORI (2020-07-04 16:02) 

U3

やおかずみさん こんにちは。
結構行かれた方が多い街ですね。坂道を下って門を潜り橋を渡って市内に入るあの雰囲気がとても良かったです。
by U3 (2020-07-04 16:18) 

U3

SORIさん こんにちは。
 いえいえ、些細なことを指摘してしまってお手を煩わせてしまって申し訳ございません。
by U3 (2020-07-04 16:20) 

uchin

こんにちは
いつもコメントありがとうございます。
新型コロナの特徴の一つに無自覚 無症状というのがあって一番やっかいです。
「私はかかってますよ・・・」ってすぐにわかる様になれば良いのにと思います。ワクチンの開発と特効薬の開発を待つばかりです。
by uchin (2020-07-04 21:16) 

U3

uchinさん おはようございます。
茅の輪潜りの制作過程興味深く拝見しました。
>「私はかかってますよ・・・」
 は、アプリで分かるようになっていますが、不具合があって軌道に乗るにはまだまだ時間が掛かりそうです。というよりスマホを持っている人だけしか使えないのでガラケーかそもそも持っていない一番感染リスクの高い高齢者にはまったく意味がない。
 遺伝子技術応用のワクチンが大阪で治験に入ったのでそれに期待したいところです。

by U3 (2020-07-05 09:29) 

なかちゃん

日本人固有の穢れを嫌う行動原理、なるほど、そうえいうことなのですね。
強力なワクチンと特効薬が出てこない限り、この騒動は続くことになるんだと思います。

by なかちゃん (2020-07-05 19:05) 

U3

なかちゃんさん こんばんは。
 いま治験に廻っているワクチンや、既存の治療薬の中で新型コロナウイルスの治療に使える薬品の有効性を検証したり、認可が降りるのは順調にいっても早くて来年の春らしいです。特効薬となると開発から認可がおりるまでは、最低でも三年とかの年月が掛かるとかニュースで言っておりました。
 その前に冬が来るのが今は一番恐ろしい。
by U3 (2020-07-05 19:46) 

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