反省なき政権はいずれ自滅する! [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<これは長崎の平和祈念式典の映像写真ですが、広島(8.21ご指摘を受け訂正)長崎ではトイレに行って遅刻した上に、広島では(8.21加筆)原稿は読み間違えるは、一番大事なところを読み飛ばすはで、認知症の疑い濃厚な8月6日の菅義偉首相でした。因みに私も他人のことは言えません(^0^)(8.21加筆)>
学習効果がない、もしくは、自分たち以外から何一つ学べない政権は、何れ崩壊します。これは自明の理です。
広島の河合案里・克之被告の選挙法違反事件で、場違いというか見当違いも甚だしい『他山の石発言』をした、どこぞのおバカな二階幹事長なる政治屋さんがおりましたが、あんな老害政治屋など、もう過去の人にしなければなりません。
和歌山3区の有権者の皆さん、次の選挙では皆さんの良心に期待しております。しかし二階氏の正式なHP見たけど、幾つの時の写真か知らないけど、あの髪フサフサの写真は詐欺に近い。免許証やパスポートに貼ったら間違いなく通用しないレベルだよ!
二階幹事長に限らず、言い間違いや失言は麻生副総裁も菅現総理大臣も同じであり、この中から嘘つきとなると安倍前総理大臣と菅現総理大臣は双璧であり、いまや虚偽発言はこのお二方の独壇場です。
しかしながら、それに騙される、もしくは批判をしない国民がいるから、こんな70歳を超えても、未だ権力にしがみ付く政治家がのさばるのです。
自民党の議員定年退職制は、なし崩しで撤廃されたが、その結果がこの暴言や虚偽発言や、ろれつも回らない老害政治家の跳梁跋扈とは情けない。
新型コロナウイルス蔓延で分かった日本の真実2 [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<千葉県・船橋市・奈良養鶏場にて>
今、山下達郎の『REBORN』を聴きながらこの記事を書いています。
OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(通常盤)
- アーティスト: 山下達郎
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2012/09/26
- メディア: CD
我が家ではスーパーマーケットや商店街の食品店で生卵のパックは買いません。30分以上掛けて、車でわざわざ習志野市から船橋市にある養鶏場まで行って、キロ単位で産みたての生卵を購入しています。もう何度も農水大臣賞を受賞している養鶏場です。値段はお高いけれどそれだけのことはあります。
そのように、健康状態はもちろん体調や環境の安全にはとても気をつけています。しかし日本で出回っている食品はもはや安全が保証されたものとはいえませんし、食品に限らず国民の安全とか社会保障とか、憲法の前文で保障された基本原則が、ないがしろにされている気がしてなりません。
というか、国会議員の質の低下とそれに因る政治の荒廃により、年々国民の安全は自己責任の名の下に、まず弱者から切り捨てられているように思えてなりません。
そのうち、国民の貧富の二極化は今以上に鮮明になり、少数の勝ち組が大多数の負け組を支配する、議会制非民主主義国家が出現することでしょう。
そのように、健康状態はもちろん体調や環境の安全にはとても気をつけています。しかし日本で出回っている食品はもはや安全が保証されたものとはいえませんし、食品に限らず国民の安全とか社会保障とか、憲法の前文で保障された基本原則が、ないがしろにされている気がしてなりません。
というか、国会議員の質の低下とそれに因る政治の荒廃により、年々国民の安全は自己責任の名の下に、まず弱者から切り捨てられているように思えてなりません。
そのうち、国民の貧富の二極化は今以上に鮮明になり、少数の勝ち組が大多数の負け組を支配する、議会制非民主主義国家が出現することでしょう。
預言しておきます。
COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅩ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2015年7月30日 チェコ・テルチ・ザハリアーシュ広場にて>
バスであちらこちらに行ったものだからここがチェコのどの辺りにあるのかを知らない。
しかし記憶にはしっかりと残ってるからたぶん良い想い出だったのだろう。街の成り立ちは、16世紀に街全体が焼失するという大火災があったことを機に、当時の領主であったこの広場の名前ともなっているザハリアーシュが、新たに建物を建てる場合はルネサンス様式かバロック様式に限るとしたことで、この様な統一性があって尚且つカラフルな街並みが出来上がったということです。
街の日陰のテーブルでは地元の住人が昼間からお酒を飲みトランプゲームに興じていました。日常から離れた長閑な空間でした。
因みに右に写っている後ろ姿の女性は同じツアーの方で筆者とは何の関わりはありません。妻はこの後ろ姿の女性とツアー中に仲良くなりました。ピアノの先生だそうです。
バスであちらこちらに行ったものだからここがチェコのどの辺りにあるのかを知らない。
しかし記憶にはしっかりと残ってるからたぶん良い想い出だったのだろう。街の成り立ちは、16世紀に街全体が焼失するという大火災があったことを機に、当時の領主であったこの広場の名前ともなっているザハリアーシュが、新たに建物を建てる場合はルネサンス様式かバロック様式に限るとしたことで、この様な統一性があって尚且つカラフルな街並みが出来上がったということです。
街の日陰のテーブルでは地元の住人が昼間からお酒を飲みトランプゲームに興じていました。日常から離れた長閑な空間でした。
因みに右に写っている後ろ姿の女性は同じツアーの方で筆者とは何の関わりはありません。妻はこの後ろ姿の女性とツアー中に仲良くなりました。ピアノの先生だそうです。
『この感染症で何故日本では死者が少なかったかの論証として(最終章)』
新型コロナウイルスの、他のSARSやMARSといった同系統のコロナウイルスにはない特徴は、無自覚無症状な感染者が8割もいると言われている点だ。それがこのウイルスの感染が止まらない最大の要因だ。咳をしていたり高熱を発しているといった、発症の疑いのある人には誰でも近づかないだろうから、この無自覚無症状キャリアが、知らないうちに多くの人に感染を広げしまっているのは明らかだ。
COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅨ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2015年7月29日 ドイツ・ドレスデン ツヴィンガー宮殿・屋上回廊の上から>
屋上回廊から改めて庭園を眺める。この庭園の第二次欧州大戦の空襲の爪痕は大きかった。ここまで回復するまでにどれだけの時間と労力を要したのか想像もつかなかった。この時もまだ工事中の案内とバリケードで仕切られている箇所があって入れないエリアがあったので、この当時でもまだ修復は終わっていなかったのだろう。
屋上回廊から改めて庭園を眺める。この庭園の第二次欧州大戦の空襲の爪痕は大きかった。ここまで回復するまでにどれだけの時間と労力を要したのか想像もつかなかった。この時もまだ工事中の案内とバリケードで仕切られている箇所があって入れないエリアがあったので、この当時でもまだ修復は終わっていなかったのだろう。
『この感染症で何故日本では死者が少なかったかの論証として(第三章)』
新型コロナウイルスの感染状況に関して、現在の自然科学的アプローチからだけでは厳密には、どうしても解明されない事実や現実が日本には存在する。その最大の疑問が、現時点まで日本では何故こうも『死者』が少なかったのかという点だ。
COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅧ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2015年7月29日 ドイツ・ドレスデン ツヴィンガー宮殿・屋上回廊の上から>
屋上回廊から下を何となく眺めていたら何かの撮影のような一団が。花嫁の写真を撮るのかと思ったが、それにしては黒とピンクのドレスというのはいかにもそれらしくない。カメラマンと撮影助手まで黒ずくめ。しかも機材をいっぱい抱えて傘を用意している子どものスタッフまでいる。結局何なのか確認する前に次の集合場所へ移動した。
屋上回廊から下を何となく眺めていたら何かの撮影のような一団が。花嫁の写真を撮るのかと思ったが、それにしては黒とピンクのドレスというのはいかにもそれらしくない。カメラマンと撮影助手まで黒ずくめ。しかも機材をいっぱい抱えて傘を用意している子どものスタッフまでいる。結局何なのか確認する前に次の集合場所へ移動した。
『この感染症で何故日本では死者が少なかったかの論証として(第二章)』
<まえがき>
前編でも述べたが、『表題の問い』に答えるには、医学といった自然科学からのアプローチだけでは限界がある。自然科学は万能ではないからだ。というより自然科学だけが科学ではない。
COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅥ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2015年7月29日 ドイツ・ドレスデン 『君主の行列』と呼ばれるマイセン陶器の壁画>
歴代ザクセン王国の君主の行列の壁画は2万3000枚のマイセン陶器で出来ていている。1871〜1876年に制作されたこの壁画は、ザクセン王国歴代35代の王の行列が描かれており圧巻である。陶器で有名なマイセンはここから25kmという位置関係にあるが、それは旧ザクセン王国の貴重な財源であった。当時白い陶器は金に匹敵するほど高価なものであったという。そのドレスデンも、第二次境大戦の空襲で市街の建物の殆どが破壊され、市街は文字通りの焦土と化した。だがこの『君主の行列』は奇跡的に破壊されずに残ったものの一つで、今ではドレスデン観光では絶対外せない『名所』のひとつとなっている。
歴代ザクセン王国の君主の行列の壁画は2万3000枚のマイセン陶器で出来ていている。1871〜1876年に制作されたこの壁画は、ザクセン王国歴代35代の王の行列が描かれており圧巻である。陶器で有名なマイセンはここから25kmという位置関係にあるが、それは旧ザクセン王国の貴重な財源であった。当時白い陶器は金に匹敵するほど高価なものであったという。そのドレスデンも、第二次境大戦の空襲で市街の建物の殆どが破壊され、市街は文字通りの焦土と化した。だがこの『君主の行列』は奇跡的に破壊されずに残ったものの一つで、今ではドレスデン観光では絶対外せない『名所』のひとつとなっている。
『この感染症で何故日本では死者が少なかったかの論証として(前編)』
<2020/06/28 17:02 訂正>
(前編)ではなく、(第一章)に訂正します。次号を書き進めていく間に、結構長い論考となることが明らかになりました。第何章までいくのかは、更に書き進めている現段階に於いては不明です。悪しからず。
前回は『日本では諸外国に比べて圧倒的に接触機会が少なかった』と述べた。これは新型コロナウイルスに因る死者の数が、諸外国と比べ圧倒的に少ないという事実から、その解を推し量ったものだ。だがこの推論に疑念を懐かれた方もいるだろう。
しかしこれは単なる推測や推論ではなく紛れもない事実だ。
筆者はこの事実から何故日本ではそうなったのかを検証且つ推論した。そこから得られた答えは『日本人であるが故にそうなるのは必然だった』という結論に達した。
この『日本人であるが故に云々』とは、日本人の民族性と文化と生活習慣と長年の慣習とそれらを一切合切を内包する日本の歴史と、戦後の日本が辿った社会構造の変化と国家の在りようの変化から必然的にそうなったということを表している。
ただし勘違いしないで頂きたい。これは民度とは何ら関係のない話だ。
COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅤ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2015年7月29日 ドイツ ドレスデンにて>
ドレスデンはチェコの首都プラハから最も近いドイツの東部の都市である。チェコ国境から30kmしか離れておらず、陶器で有名なマイセンからも25kmという位置関係にある。この写真は中欧5カ国周遊ツアーで行った時のものだ。ここがどこなのか記憶に定かではないがたぶんツヴィンガー宮殿の屋上回廊の上だと思う。第二次境大戦の空襲で市街の建物の殆どが破壊されたが、見事に復興した街ドレスデン。この像も見るからに新しいものだった。市内を歩いて観光した後に集合場所に指定されていた、エルベ川の辺の夕暮れの川風が心地良かった。
ドレスデンはチェコの首都プラハから最も近いドイツの東部の都市である。チェコ国境から30kmしか離れておらず、陶器で有名なマイセンからも25kmという位置関係にある。この写真は中欧5カ国周遊ツアーで行った時のものだ。ここがどこなのか記憶に定かではないがたぶんツヴィンガー宮殿の屋上回廊の上だと思う。第二次境大戦の空襲で市街の建物の殆どが破壊されたが、見事に復興した街ドレスデン。この像も見るからに新しいものだった。市内を歩いて観光した後に集合場所に指定されていた、エルベ川の辺の夕暮れの川風が心地良かった。
諸外国に比べて日本の新型コロナウイルスによる感染者や、(特に)死者が少なかった理由は明白だ。
それは日本人が押し並(な)べて、外国人が驚くほどの異様なまでの潔癖症であるが故に、この感染症に過剰に反応したことの結果であり、
皮肉なことにそれによって『このウイルス感染症との接触機会を減らすことに成功した』唯一の国家となったのである。
事実は雄弁に語る。
欧米やアジアの国々で厳格な外出禁止令を出しても、片手で数えるほどの国家しかその施策が成功せず、あれだけの感染拡大と死者を出したという事実は(当初は休業補償をしたくないが故に法的な罰則もなく、厳密どころか何の罰則も補償もない自粛要請で済ませた、国民目線の欠如した)為政者がいてもいなくても、国民さえ結果的に『まとも』な対応さえすれば国難を乗り越えられるという先例を作った、という意味では大いに意義のあることなのかもしれない。しかも盲目的にお上の言うことを聞く日本に於いて、それが為されたことの意味は大きいのではないかと思う。
しかしそれがネトウヨさんが好んで唱える「日本人の民度の高さ」、に因るものでないことも明らかだ。現時点でそれに否定的な証拠も明白な論拠もあり、従ってその要因も明々白々だ。
日本は元々『個(人)を確立しにくい社会構造』であり『常に他人の目を気にする集団心理が働く社会』であったからこそ、この予想外の結果を得ることができたといえるのだ。
しかし個人主義を否定している訳ではない。例えば個人主義が徹底しているスウェーデンが、普段通りの生活様式やパターンを変えることなく、特段外出禁止令などの政策を取らなくても、新型コロナウイルスによる感染者も死者も諸外国が懸念していたよりもかなり少なかった経緯から見て、またお隣のフィンランドが対照的な施策である厳密な外出禁止令と隔離政策を採っても尚、統計学的には誤差の範囲と見做されるほど、スウェーデンと大差ない感染率と死亡率という結果となっていることからしても、それは十分証明されている様に思う。
言わば日本とスエーデンは真逆の手法で同じような結果を得たのだが、その分析と検証も次回で述べようと思う。
冒頭にあるように『日本は感染機会が少なかった』と書けば、「えっ?」と思うかもしれないが、これこそが日本の実態であり真実だ。
しかもこの結果(まだこの病禍は終息していないが)は皆が思うような偶然が重なった訳でも、僥倖であった訳でも、奇跡が起きた訳でもなく、ましてや先ほど述べた、日本人の民度が高かったからでもないのは明らかだ。
これをひと言で表現するならば『日本の歴史の必然』であると言えよう。その必然とは、『穢れ』を忌み嫌う日本固有の文化、江戸時代以来の因習と風習、時代錯誤的な村社会環境に根源をなすのは言うまでもない。
このレポートは、この日本国内に於いてウイルス性感染症に因る死者が少なかったことを検証するものであり、しかも医学などの自然科学的な検証ではなく、人文科学的なアプローチからの検証であり、結果である。
しかしそれ故に真実をしっかり捉えられたと自負している。
『備前・旭川の躁鬱』~ Story of the old liar man. Part.Ⅵ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2014年8月11日 ウェールズ(Wales)・スリン半島(Llyn Peninsura:GoogleEarthでは英語読みでリーン半島と表記されているがそれは間違いである)・トレイッル・カイヤリ(Tre'r Ceiri)にて。
友人にこの実が「ブラックベリーの一種か」と聞いたら「違う」という答え。でも食べられるという。早速その場で生食したが甘酸っぱくて美味しい。それで辺りを探して手をアントシアニンの紫青色に染めながらこの実をハンカチいっぱいになるまで摘んで、その日のうちにジャムにして貰い、翌朝イングリッシュ・ブレイクファスト定番の、ブラウンブレッドに塗って食したがとても美味しかった。※後年本物のブラックベリーを見つけて食したがまったくの別物だった。なお上記の黒い実の名称はいろいろ調べたが現時点では分からないままだ。
友人にこの実が「ブラックベリーの一種か」と聞いたら「違う」という答え。でも食べられるという。早速その場で生食したが甘酸っぱくて美味しい。それで辺りを探して手をアントシアニンの紫青色に染めながらこの実をハンカチいっぱいになるまで摘んで、その日のうちにジャムにして貰い、翌朝イングリッシュ・ブレイクファスト定番の、ブラウンブレッドに塗って食したがとても美味しかった。※後年本物のブラックベリーを見つけて食したがまったくの別物だった。なお上記の黒い実の名称はいろいろ調べたが現時点では分からないままだ。
言っている事に一貫性がなく、内容をコロコロ変える人物を変節漢と言います。
『過ちては改むるに憚ること勿れ』
とはいえ『朝令暮改』となればいったい何を信用して良いのか分からなくなる。
それがこのところの安倍政権です。
アベラー(安倍信奉者)のIronbridgeさんも動揺、、、ぢゃなくて同様です!
しかも事実を隠したり疑惑にまともに答えないというのはいつもながらのこと。
ということは、、、誠実な対応を望むのははじめから無理な話なのでしょうね。
『備前・旭川の躁鬱』~ Story of the old liar man. Part.Ⅴ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2014年8月11日 ウェールズ(Wales)・スリン半島(Llyn Peninsura:GoogleEarthでは英語読みでリーン半島と表記されているがそれは間違いである)・トレイッル・カイヤリ(Tre'r Ceiri)にて。
因みにGoogleEarthでは英語読みでカタカナ日本語表記にしているが、その殆どが現地では通じない。何故ならそれはウエールズ語(英語表記:Welsh)ではないからだ。そもそもウェールズ人は自分たちをウエリッシュなどとは呼ばない。自分たちはCymru(カムリ)であり、その話す言葉はCymraeg(カムライグ)である。ウェールズとはこの地を侵略してきたアングロ・サクソン人から見た『よそ者』という意味だ。ゆえに独立運動に今も湧くスコットランド以上に複雑なのは、ずっと虐げられてきたCymru(カムリ)の人たちの心情なのである。この地の人は本当に忍耐強く芯があるという感じの人が多い。英国は有史以来一度も一枚岩になったことはない連合王国なのだが、一度も外国に長期に渉る占領と支配を受けた経験がない日本人には、こうした歴史がどのように国家とその民衆に影響を与えるのか、容易にはというより到底理解できないであろう。
トレイッル・カイヤリ(Tre'r Ceiri)のEnglish stonecropの脇のこの赤い花のようなものがどんなものであったのか今となっては思い出せない。しかし前回の写真から判断するとStonecropの薄いピンク色の花弁が落ちたあとの萼(ガク)だけが残ったものと思われる。これを確かめるには何年先になるかは分からぬが、この時期にもう一度行って見るしかない。何しろそこに行かなければけして見られない美しい花々と、360度遮るもののない荒涼とした、しかし何故かこころ和む光景なのだから。
北国の夏は短い。この日は昼の時点でも20度にも届かない気温で、それでもここの盛夏の気温としてはごく普通だという。英国には「一日に四季がある」という。一日の天気はそれほどに変わりやすい。夏場でもトレッキングともなれば、それこそTシャツの他に長袖シャツと毛糸のスウェーター、そしてウインドウブレーカーあるいはレインウエアまで帯行しないと酷い目にあう。
因みにGoogleEarthでは英語読みでカタカナ日本語表記にしているが、その殆どが現地では通じない。何故ならそれはウエールズ語(英語表記:Welsh)ではないからだ。そもそもウェールズ人は自分たちをウエリッシュなどとは呼ばない。自分たちはCymru(カムリ)であり、その話す言葉はCymraeg(カムライグ)である。ウェールズとはこの地を侵略してきたアングロ・サクソン人から見た『よそ者』という意味だ。ゆえに独立運動に今も湧くスコットランド以上に複雑なのは、ずっと虐げられてきたCymru(カムリ)の人たちの心情なのである。この地の人は本当に忍耐強く芯があるという感じの人が多い。英国は有史以来一度も一枚岩になったことはない連合王国なのだが、一度も外国に長期に渉る占領と支配を受けた経験がない日本人には、こうした歴史がどのように国家とその民衆に影響を与えるのか、容易にはというより到底理解できないであろう。
トレイッル・カイヤリ(Tre'r Ceiri)のEnglish stonecropの脇のこの赤い花のようなものがどんなものであったのか今となっては思い出せない。しかし前回の写真から判断するとStonecropの薄いピンク色の花弁が落ちたあとの萼(ガク)だけが残ったものと思われる。これを確かめるには何年先になるかは分からぬが、この時期にもう一度行って見るしかない。何しろそこに行かなければけして見られない美しい花々と、360度遮るもののない荒涼とした、しかし何故かこころ和む光景なのだから。
北国の夏は短い。この日は昼の時点でも20度にも届かない気温で、それでもここの盛夏の気温としてはごく普通だという。英国には「一日に四季がある」という。一日の天気はそれほどに変わりやすい。夏場でもトレッキングともなれば、それこそTシャツの他に長袖シャツと毛糸のスウェーター、そしてウインドウブレーカーあるいはレインウエアまで帯行しないと酷い目にあう。
行動を伴わない言説や主張はすべてまやかしである。
聞くに堪えぬ戯れ言か流言に過ぎぬ。
口舌の徒になるな。大同につくな。大勢に靡くな。
自分あってこその人生。自分あってこその命、自分あってこその生き甲斐。
他に囚われたり同調してどうするのか。それほど自分を無くして生きたいか。
それが我慢ならぬと思うなら、『先ずは隗より始めよ』
『備前・旭川の躁鬱』~ Story of the old liar man. Part.Ⅳ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2014年8月11日 ウェールズ・スリン半島・ トレイッル・カイヤリにて>
トレイッル・カイヤリの頂上へと続くフットパスの足許には北国の短い夏を惜しむかのように小さな草花が咲き誇る。この星形の可憐な花の名を現地で買い求めたネイチャーブックで調べました。ウェールズ語では<Briweg y cerrig(読みはたぶん「ブリエグ・イ・ケリ(ッ)グ」)>意味は分かりません。英語では<English stonecrop(読みは「イングリッシュ・ストーンクロップ」)>という名前です。更に調べたところ、ベンケイソウ科の多肉植物だと分かりました。判明したのはここまで。
トレイッル・カイヤリの頂上へと続くフットパスの足許には北国の短い夏を惜しむかのように小さな草花が咲き誇る。この星形の可憐な花の名を現地で買い求めたネイチャーブックで調べました。ウェールズ語では<Briweg y cerrig(読みはたぶん「ブリエグ・イ・ケリ(ッ)グ」)>意味は分かりません。英語では<English stonecrop(読みは「イングリッシュ・ストーンクロップ」)>という名前です。更に調べたところ、ベンケイソウ科の多肉植物だと分かりました。判明したのはここまで。
前記事が消えてショックでした。でも気を取り直してこの記事を書き始めました。
体調もあれこれ思わしくなく、SSブログのイタチの最後っ屁のような度重なる不具合によって大事な記事を失っても尚、小生がこの記事を書き進めているのは、小生が名付けた『鉄橋野郎』こと、Ironbridgeさんに強い不信感と不快感を抱(いだ)き、その不正な行動を止めさせたいと思っているからです。
以前より指摘している様に、Ironbridgeさんの主張と、その主張を裏付けるものとして(無断)掲載された、外部サイトまたは地方新聞から転載・転記等、あるいは引用されたデータは、Ironbridgeさんの主張をまったく裏付けていません。更によく見ると、Ironbridgeさん自身が作成したと自称する表なども著作権を侵害している事が分かり、つくづくというかホトホト呆れ果ててしまいました。
本当にどこからどこまでこの古希を過ぎたご老人は嘘にまみれているのだろう。
どうしてそのような事をするのかは理解できないが、そのIronbridgeと称する古希を過ぎたこのご老人が、意図的に事実を歪曲し、人を騙し、世の中に害毒を流しているのは明らかです。リタイアしてからの第二の人生を、可惜(あたら)こんなつまらないことに賭けているのかと思うと情けない限りです。
だからこそ、嘘に騙されてはいけないという意味でも、また世の中にこの事を知らしめ警鐘を鳴らすという公共の利益のためにも、ブロガー間にあまねくこの虚偽の主張を周知し、Ironbridgeさんの "fake news "には騙されるなという警告を発しなければならないと小生は考えたのです。
この事を決して看過しないと決めたのはそういった理由があっての事です。
ハッキリ申し上げます。
これは『告発』です。
『備前・旭川の躁鬱』~ Story of the old liar man. Part.Ⅲ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2014年8月11日 ウェールズ・スリン半島・ トレイッル・カイヤリにて>
トレイッル・カイヤリの頂上へと続くフットパスの足許には北国の短い夏を惜しむかのように小さな草花が咲き誇る。この星形の可憐な花の名は知らない。小生ウェールズの動植物図鑑(もちろん英語とウェールズ語併記)は現地で買い求めて、今もちゃんと保管しているので調べられないことはない。だがご存じのように調べている時間はないので、いずれ時間ができた時に調べて改めてお知らせしたいと思う。
トレイッル・カイヤリの頂上へと続くフットパスの足許には北国の短い夏を惜しむかのように小さな草花が咲き誇る。この星形の可憐な花の名は知らない。小生ウェールズの動植物図鑑(もちろん英語とウェールズ語併記)は現地で買い求めて、今もちゃんと保管しているので調べられないことはない。だがご存じのように調べている時間はないので、いずれ時間ができた時に調べて改めてお知らせしたいと思う。
このブログ記事にnice!とコメントを頂いた多くのブロガーの皆さまには深くお詫びいたします。次回更新記事の編集中に画面が固まってしまって保存が出来なくなり、気づかぬうちに最新号が記事管理画面の編集画面になっていたのに気づかず、誤ってそのタブを削除したら、記事そのものが入れ替わって、前の記事のすべての中身がぶっ飛んでいました。色々復旧を試みましたがどこにもデータがなく、もう修復のしようもありません。本当にごめんなさい。
消失した『備前・旭川の躁鬱』〜Story of the old liar man. Part. Ⅱは欠番とします。
どうかお許しください。急いで次号をUPします。5月30日の昼までには更新できるよう努力します。
<2020/05/30 10:30加筆>
高熱のため予定よりも遅れる見込みです。更新日時は確約は出来ません。
『備前・旭川の躁鬱』~ Story of the old liar man. Part.Ⅰ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]
<2014年8月11日 ウェールズ・スリン半島・ トレイッル・カイヤリにて>
小高い山の頂上付近に数多くのストーンサークルが集まっている。ストーンサークルというと有名なストーン・ヘンジやカッスル・リグのような円形列柱群を想像しがちだが、上記の写真で見る通り大小の夥しい石を円形に積み上げた、ヒルフォート(丘砦)とよばれる古代の軍事要塞の跡だ。こうしたサークルが何十も集まって外側をやはり石を積み上げた外郭壁で囲い一つのヒルフォートを形成している。Google Earthの上空からの写真で眺めると、何だか古代人の足跡か巨大な仏足石かゾウリムシのようにも見える。ここは交通の便も悪く観光客はまず来ない。ここが遠いむかし戦いの最前線の砦であったことが、信じられないくらい本当に長閑なところだ。麓の駐車場から長くなだらかなフットパスが続き、その後一気に300m以上の高低差をひたすら登る。頂上までは一時間強掛かりちょっとした山登りだ。だが頂上辺りに広がるのは360度パノラマの絶景だ。僕はこの頂上から眺めた風景がすっかり気に入って友人宅に寄るたび二度登った。行く度に新しい発見がある。たぶんかつてここを訪れた日本人は数えるほどしかいないのではないか。当然ながら今はそこに住む人もなく、ただヒースの花やベリー類や低木性植物や、日本ならば高山植物に含まれるような小さな花々が咲き誇っていた。頂上に着くと登って来た方向とは反対の方向からの結構な風が山裾から吹き上げてきて、着ていたジャケットの裾をはためかせ、すぐ傍に立つ妻の黒髪が僕の頬をさらさらと擽り薙いでいった。シャンプーと野の花と草と土と潮の香りと、現代といにしえの入り交じった複雑で、それでいて何とも馥郁たる香りがした。
小高い山の頂上付近に数多くのストーンサークルが集まっている。ストーンサークルというと有名なストーン・ヘンジやカッスル・リグのような円形列柱群を想像しがちだが、上記の写真で見る通り大小の夥しい石を円形に積み上げた、ヒルフォート(丘砦)とよばれる古代の軍事要塞の跡だ。こうしたサークルが何十も集まって外側をやはり石を積み上げた外郭壁で囲い一つのヒルフォートを形成している。Google Earthの上空からの写真で眺めると、何だか古代人の足跡か巨大な仏足石かゾウリムシのようにも見える。ここは交通の便も悪く観光客はまず来ない。ここが遠いむかし戦いの最前線の砦であったことが、信じられないくらい本当に長閑なところだ。麓の駐車場から長くなだらかなフットパスが続き、その後一気に300m以上の高低差をひたすら登る。頂上までは一時間強掛かりちょっとした山登りだ。だが頂上辺りに広がるのは360度パノラマの絶景だ。僕はこの頂上から眺めた風景がすっかり気に入って友人宅に寄るたび二度登った。行く度に新しい発見がある。たぶんかつてここを訪れた日本人は数えるほどしかいないのではないか。当然ながら今はそこに住む人もなく、ただヒースの花やベリー類や低木性植物や、日本ならば高山植物に含まれるような小さな花々が咲き誇っていた。頂上に着くと登って来た方向とは反対の方向からの結構な風が山裾から吹き上げてきて、着ていたジャケットの裾をはためかせ、すぐ傍に立つ妻の黒髪が僕の頬をさらさらと擽り薙いでいった。シャンプーと野の花と草と土と潮の香りと、現代といにしえの入り交じった複雑で、それでいて何とも馥郁たる香りがした。
10日からずっと微熱が続いている。小生基礎疾患を持つ身で些か気になった。しかし重症化しやすい人の相談の目安は風邪の症状があるということになっている。体温はこの間ジェットコースターの如く35.1度から37.5度の間を行ったり来たりを日々繰り返している。しかし喉の痛みこそあれ、咳はあっても咳き込むことはない。何だか微妙だ。
妻がその様子を見て「船橋市は保健所じゃなくて専門の感染症センターがあるから繋がりやすいって聞いたよ。電話してみたら」と言われた。
電話をしたら一回目ワンコールで繋がった。