まずは憲法九条改憲論議についてお話ししたいと思います。
これはblog.so-netの中で最も分かりやすい改憲論議の解釈だと自負しています。
それでは始めましょう。自民党の欺瞞を明らかにするために。
自民党は安倍総理大臣の指示の元、党内委員会を設置し、憲法9条の1項及び2項を保持したままで第3項を新たに設け、そこに自衛隊の存在を明記することで検討を進めています。
そしてそこで議論としてさっそく出ていたのが、2項の撤廃と、核弾頭を搭載した中距離ミサイルと巡航ミサイル(多分トマホークでしょう)を持つことでした。総理の舌の根も乾かぬうちに、総理大臣の発言を無視するかの様に(実際には既定路線)2項の撤廃や核兵器の保持まで話し合われている訳です。
今の自民党はかつての節度ある自民党ではない。党首以下みな揃いも揃って姑息だ。だから管官房長官も「議論をするのに制約は持たせるべきではないので様々な可能性について検討するのは自由」などという屁理屈を捏ねるんでしょうね。
このところの経過を聞いただけでも、今の自民党がどの様な政党に変貌してしまったのかが如実に分かる出来事でした。
これはすべて来年早々に国会で審議を開始して、9月の臨時国会で一気に審議を進め11月の衆院選までに衆参両院での決議を強行裁決するための布石です。何しろ次の選挙では自民党とその連立与党である公明党を含めても、衆議院での議席の2/3を確保することは不可能であり、下手をすれば過半数割れまであり得る状況ですから。
口では今後も国民の安全を第一に考えて行動していきたいなどと言いながら、同時にそれと相反する議論を一方ではしている訳です。自民党はいつの間にか”平和を希求する国民の意思”とは懸け離れた政党になってしまいましたね。ですから自民党のいうことを信じては駄目なんです。
ところで皆さん、何故今頃になって自民党は、自衛隊条項を憲法に盛り込むことを云い出したのでしょうね。歴代自民党政権は9条があるにも関わらず、今まで自衛隊を合憲だとして来たのですよ。であれば「今さら変える必要などないんじゃない」と素人目には映っちゃいますよね。
理由は簡単です。
今まで合憲としてきたのは、政府見解で”自衛のための必要最低限度を超えない範囲の”戦力”(実際には”実力”などという言葉で誤魔化していますが)は、9条2項前段にいう”戦力の不保持”には当たらないという政府見解があったからです。
しかしながら、現在の自衛隊の戦力は”自衛のための必要最低限度を超えている”、または、”将来を見越してこの制約を取り払いたい”という自民党の思惑があるんですね。だからこその「改憲論議」なのです。
自民党は憲法9条の撤廃を党是としている政党です。だから北朝鮮の挑発を理由にして改憲したいのです。でもね、改憲したとしても、その根拠となっている北朝鮮の脅威を跳ね返す武力などどんなに足掻いても日本は保持出来ないんです。理由は後述しますが出来ないことを幾ら討議したって意味がないんですよ。たとえ自衛隊を誰にも文句を言われない様に合法化したとしても、幾ら軍事力を増強しても日本の自衛も防衛も現実には出来ないんです。今の政府つまり安倍政権は無策無能なのです。
日本という国では、国破れて山河ありではなくて、国民死して国家だけが残る。それが現実であり日本政府の常識なのです。明治以来、時の政府は皆、棄民を平然と遣って来たんです。満州引き上げ、朝鮮半島からの引き上げ、樺太からの脱出。さらに旧日本軍で云えば、二百三高地、インパール作戦、硫黄島をはじめとした南洋各地での玉砕作戦、そして沖縄戦。
そこで政府や日本の軍隊の上層部が何をしたと思います。それもこれもみな兵隊や民間人を捨て駒にし、見殺しにした愚かなる戦いであり誤った政策の結果なのです。それら末端の兵士や民間人を犠牲にして生き残った高級将校や、参謀は戦後ものうのうと生き反省も懺悔もしていない。いや、その愚行蛮行を正当化までしていたね。政府要人然り。
彼の地で自分たちはさっさと逃げて、目の前にいる老人や女子どもも含めた沢山の日本人を平然と見捨てたんです。国民を足手まといになるからと棄民したんです。だから残された日本人や武装解除された兵士は地獄を見たんです。残された日本人の過半は自ら死を選んだか殺されています。中国残留孤児は本当にレアな生き残った人達だと思っています。内地に逃れて来た人達の中には、その最中に自分たちだけが助かり、他の日本人を見捨てざるを得なかったことに、今でも深い罪悪感を感じている人達がいるんです。でもそれは日本政府が彼の地にいた日本人を見捨てたからこそ見た地獄に他ならないのです。
最も近い例で云えば、安倍総理大臣が中東歴訪の場で「テロには断固として屈しない」と云ったが為にISに二人の日本人が殺された事があります。要するに棄民したんです。それが証拠に安倍総理も自民党内でも「自己責任」などという、国民に対して言ってはならない言葉を用いて、それぞれの事情を抱えながら紛争地帯に赴いた日本人を一言で切り捨てたのです。
更に云うならば、明治以来の海外移住政策はすべて体のいい棄民政策です。満州だろうが朝鮮半島だろうが皆同じです。更に云えばハワイだろうが中南米だろうが戦前戦後を通じて実施された平時の移民政策も実質は棄民政策です。それを裏付ける様に移民一世は現地で当初人間扱いもされず、あれほどの苦労を重ねなければならなかったのです。
その様に国が貧しかったり、時の政府が無能で多額の戦費を重ね国体が傾いてしまったが為に、国民を養うことも出来ず、結局国民を見捨てるしかなかったというのが日本の過去の歴史です。
だとしたらその子孫である日本人は、絶対にどんな名目であれ軍隊なんか持っちゃいけないし、先の戦争で何があったかを知らなくてはいけないし、政府というものが過去に国民に対して何をしたかをけして忘れてはならないのです。
それを思うと、ネトウヨだか何だか知らないけれど、戦争の悲惨さを分からない者が、軍隊を持てだの、自衛だ防衛だと、騒ぐんじゃないとわたしは云いたいですね。
だからわたしは憲法改正に反対するんです。国民を守るためには今の憲法によって制約を受けている自衛隊で十分だし、今の制約を受けている自衛隊だからこそ国民は安心もし信頼もしているんです。(防衛省上層部や先の稲田防衛大臣は論外だけどね)結局のところ、戦力を幾ら持とうとも、安倍政権の元ではどうせまともには防衛すら出来ないのですから改憲論議自体愚論空論です。
話を元に戻しましょうね。政府見解では1項の条文に依って(どこをどう見たらそんな解釈が成り立つのかは理解に苦しみますが)、自衛権は認められているという前提に立っています。従って自衛のための最低限度を超えない範囲での”実力”の行使は認められていると、勝手な解釈をしている訳です。
一方、”戦力”とは何かと問われ、それは「自衛のための必要最低限度を超えるもの」と答弁し、それが9条2項前段に書かれている”戦力”だと明言した訳です。ホントのところは迷言か名言か明言かは知りませんけどね。
皆さんもうお分かりですよね。
現時点、もしくは将来の軍事力の増強を踏まえて、9条2項によって禁止されている”戦力の保持”をしようとしているのが今の自民党です。
9条1項2項を残した上で3項を新設し自衛隊を”国防軍”と名称を改めて、2項に於いて禁止されている”戦力の保持”をしようとしている訳です。
でも、2項の後段にはもっと重要な事が最後に書かれている。
”国の交戦権は、これを認めない”
これをどうクリアするというのでしょう。詭弁や苦し紛れじゃ国民は納得しないでしょうね。誰がどう考えたって、”自衛のためには敵国と交戦しなくては日本を守れない”訳ですから。
矛盾に満ち満ちていますね。
だから自民党内でも2項は少なくとも廃止しないと、3項が成り立たないという議論も出て来る訳です。そしてついでに核武装までしてしまおうという極端な意見まで出て来る訳です。なんだか魂胆見え見えですね。少なくともわたしには自民党の考えが、いずれどの方向に集約されるのかは目に見えています。
自民党は2項だけでなく、1項も条文の中身を変える気です。それだけではありません。
いっそ「9条そのものを無くしてしまおう」と画策してくる筈です。
何しろ9条の撤廃を党是としている政党なのですから、行き着くところはそこしかないのです。そして、衆参両院で2/3の議席を確保している今こそ絶好の機会なのですからこれを逃す手はありません。一気呵成にやるかどうかは、世論調査などの国民の動向を覗いながらになるかも知れませんが自民党は必ずその方向に向かうでしょう。予言して置きます。予言者じゃないけど(笑)
では何故自民党が1項を変えようといずれ言い出すだろうと私が考えているのかお話しいたしましょう。
それは9条1項では、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを永久に放棄する”、と謳っているからです。
そして9条1項の条項を受けて、2項の中で、”前項の目的を達成するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。”となっている訳です。
つまり9条自体に自衛隊の入り込む余地など何処(どこ)にもないのです。皆さんこの点をよく憶えておいて下さいね。だから最終的には9条そのものの撤廃を国民投票に掛ける腹積もりだろうと云うことです。
ところで安倍総理大臣の常套手段を知っていますか。それは、当初に発言したことを微妙に変えながら、結果的には自分の本音に近い、国民の過半が望んでいない事柄、もしくは法案を実現・成立させるというものです。
従って憲法9条の改憲を審議する場でも、この常套手段を駆使するでしょう。
「国会の活発な審議を通して、9条の改憲で自衛隊条項を明記するには、2項と矛盾することが分かったので、2項を廃止することで法案の成立を図りたいと思います。その事は今後の国会に委ねることになります」などという詭弁を弄し、国民を欺くんですね。
でもね。それだけじゃ終わらない。いずれ1項も成立を図りたい3項と矛盾することが指摘されるのが眼に見えていますからね。そして行き着く先は先ほども述べた”憲法第9条そのものの廃止”です。
何故ならはじめからそれが真の目的だからです。皆さん、この”自民党の本音”を絶対に忘れちゃいけません。国民を甘く見ていますよね。
という訳で野党がどれだけ頑張るかが焦点でしょう。しかし、今の野党は頼りない。
もう、国民の過半が直に声を上げるしか手はないのかも知れません。
でもこれが最後じゃないからそれ程心配は要らないかも。憲法改正には国民投票が必要ですからね。ですから9条の可否を国民投票に掛けても過半数を超える事はないでしょう。しかし私は思うのですが、9条を国民投票に掛ける事自体を阻止しなければ、改憲論者は今後もまたぞろゾンビの様に現れては消えていくでしょう。
皆さん安倍政権の、ひいては自民党の画策している改憲とは、それ(国民投票)を行うための布石です。ですが、9条を知れば知るほど安倍政権の危うさが見えてしまうんですねぇ。
以前は民社党や共産党の云っている9条撤廃絶対反対という言葉が、自民党の口車に乗って疎ましくもあったのですが、現実を知れば知るほどそれは正しい道だと思える様になりました。
・・・で、フツーの”改憲論議”はここで終わっちゃうんですが、わたしはこれで終わろうなどとは思っていません。
北(朝鮮)の脅威を背景として、それを口実に改憲論議が出て来た以上、それに言及して、その解決法まで言及・提言しなければ改憲論議の矛盾と無意味さを証明出来ないからです。ですから解決策とまではいかない迄も、これから日本の進むべき方向性だけは明確に示しておこうと考えています。それにはまず、現状を正確に知り、それを分析することから始まります。
ではその話を始めましょう。
結論から先に云います。北朝鮮が本気で日本を標的にミサイルを発射したら、米国も日本も韓国もそのミサイルを迎撃出来ません。ましてや撃墜など出来はしないのです。
日米のイージス艦も、自衛隊の地対空ミサイル(SM-3及びPACー3)も無力です。9月15日早朝のこの北のミサイル発射を見てもそれは明白でした。「迎撃措置は取らなかった」と放送されていましたが、正しくは「ミサイルを打ち落とすことは不可能だった」のだろうと思います。
上記のアラートが出ている範囲を見ればそれは一目瞭然です。これほど広範囲な地域をカバー出来るミサイル迎撃システムは今の日本にも米国にもありません。イージス艦だろうがSM-3及びPACー3だろうがこれだけ多くの地点をカバーは出来ないし、現状ではどこに落ちるかを正確に把握出来ないのです。発射後10分を経ずして日本に到達するというのにですよ。
このJアラートが発令されてから、その一部始終を見ていた人なら分かると思いますが、日本の警戒システム(実質はSM-3及びPACー3用のミサイル迎撃レーダーシステム)は上空を通過してから、初めてそこで上空を今通過したと分かる程度なのです。だから打ち落とせはしないのです。
もうちょっと分かりやすく書きましょうか。北から発射されたミサイルがどの様な種類のミサイルで、なおかつどこを目標に発射されたものなのか即座にしかも正確に判定されなければ迎撃など出来はしません。それはそうですよね。日本の国内を狙って撃ったのか、そうではないのか、即座にしかも発射されて数分以内に判断出来なければ、打ち落とす機会を逸してしまうのは明らかなのですから。
それなのに管官房長官は何時に官邸に来ましたか。小野寺防衛大臣はいつですか。河野外相は相当遅れて官邸入りです。そして安倍総理大臣は政府専用機で帰途に就いていて国家安全保障会議(日本版NSC)に出ることも出来ない。これがどういうことか分かりますか。
北からミサイルが発射されて数分後には、迎撃するかどうかを決定しなければならないのに、最終的にその決定する総理大臣がその場にいないでどうして迎撃の指令をイージス艦や自衛隊のPACー3部隊に指示出来るのでしょう。そういったヒューマンエラーさえ回避出来ないシステムなど、一体どれほどの意味と価値を持つというのでしょう。
いや、今の迎撃システムなら殆ど打ち落とすことは可能だというなら、わたしには更に反論があります。日米のイージス艦も自衛隊のSM-3及びPACー3も、北のミサイルが1発だけで、しかも通常軌道だったら打ち落とすことは可能でしょう。何しろそれを想定というより前提として作られているのですから。
しかし逆を云えばその想定から外して、北がミサイルを発射した場合は手の打ちようがないというのが現実なのです。それは複数のミサイルの同時発射であったり、通常軌道ではなくロフテッド軌道での攻撃です。先の火星12号ではロフテッド軌道で、私の記憶では確か高度2300kmに達したと聞いています。これは日本のSM-3及びPACー3地対空ミサイル迎撃システムの能力を遙かに超えた高度です。もしかしたらイージス艦の迎撃システムでも届くのは困難な高度だと思われます。因みに米国第7艦隊も自衛隊もイージス艦のミサイル迎撃システムが2000km以上の高度をカバーしているかどうかを、防衛上の機密として明らかにしていません。
もしもの話ですが、ロフテッド軌道で発射された火星12号が、東京や横須賀を狙うと分かったとしても、日本海に展開するイージス艦がそれを打ち落とせる確率はかなり低いのではないか。もしくはまったく打ち落とせないだろうと思う。その場合市ヶ谷の防衛省に配備されたSM-3で最終的に火星12号を迎撃することになるが、これは一体どの様な結果を招くのだろうか。よく考えてみて下さい。高度2000km以上のロフテッド軌道ということは、ほぼ真上からミサイルが落ちてくることを意味します。それを迎撃したら一体どうなります。
私はこれ以上この事について書きませんが、日本の防衛システムが破綻していることは明らかだし、少なくとも今後数年間は、日本の上空は無防備だということが、ここ数ヶ月の北のミサイル発射で露見してしまったと思っています。
ここで、あまり想定したいとは思わない仮定の話ですが、もし北朝鮮が日本に向けて核弾頭搭載ミサイルを発射したとして、それが日本の中枢を叩いたとしましょう。
そんなことはあり得ないというなら、ここで読むのをおやめになっても結構。私は聞く耳を持つ人しか相手にしませんので悪しからず。
どんなことにも絶対ということはありえない。「戦争をしたがる政治家が一体この世界のどこにいる」とのたまわったどこぞのブロガーが拙ブログの前の記事のコメント欄にも登場しましたが、現状と歴史を知らない人物は、洋の東西、老若男女を問わずどこにもいるものです。
ここで上記の話から少し逸れますが、ミサイルがどの様な背景を持って発射される可能性があるかの話をしたいと思います。これは至って重要な話なので必ずお読み下さい。
私が思うに、核弾頭搭載ミサイルを発射して相手国を殲滅しようなどと考えている国家、もしくは元首の動機は、およそ三つに分かれるものと想定されます。もちろんこれは先制攻撃だけを想定しており、迎撃や報復攻撃は含まないものと考えて下さい。
一つは領土的野心がある場合。しかしこれを核兵器でやればしばらくそこは放射能で立ち入ることが出来ないので、もしかしたらサリンなどの化学兵器搭載ミサイルになるかも知れません。しかしこれは相手に反撃されないという絶対条件なしには成立しない想定です。
二つ目は、先制攻撃によって相手国を制圧しようという考えです。実に単純ですが実際あり得る話ですよね。敵の意表を突くのは勝利の原理原則です。それを遣ろうと考える輩は当然います。
そして三つ目が”窮鼠猫を噛む”だと思います。このままでは国体が維持出来ない。もしくは政権崩壊の恐れがあるとその元首が思った場合、前後の見境もなくなり、勝敗も無視して、それこそ生死も度外視して遮二無二向かって来るはずです。これも実際に歴史上では数限りなくある事例です。
では一体北朝鮮が日本を攻撃するとしたらどのパターンかということになる訳ですが、それは言わずもがな、二つ目と、三つ目のパターンだと云えるでしょう。そしてここが一番肝心なのですが、実はどのパターンであったとしても、今の日本は一旦ミサイルが日本に向けて発射された場合、それを防げないという現実です。
ですから結論から言えば日本に向けてミサイルを発射させる決断を金正恩にさせないことが大事なのです。そして今のところ、北は武力による威嚇や、経済制裁には屈しないのは明らかです。
では、最初の話に戻りましょう。
もし北朝鮮が日本に核弾頭搭載ミサイルを発射したら実際にどうなるのかシュミレーションしてみましょう。私は軍事の専門家でも、国際政治の専門家でもありませんからあまり詳しくは書けませんが、この程度の想像は簡単にできてしまいます。そしてこの話はかなり現実的です。
まず北が日本に向かって核弾頭搭載ミサイルを発射し、それが日本の中枢を叩いたとします。その場合直ちに日米安全保障条約に基づいて米国は北朝鮮に向かって巡航ミサイルや潜水艦搭載ミサイルを発射するでしょう。北も一回だけで攻撃を終えるということはなくあるだけのミサイルを各地に向けて発射するはずです。韓国は国防中心になりますが、やはり北を攻撃するでしょう。・・・ここまでは誰でも想像出来ますよね。しかしここから先は北にとっては予想外のことが起こるかも知れません。
皆さんは『地政学』って知っていますか。簡単に云ってしまえば、地理的な条件がその国に及ぼす政治的、軍事的、経済的影響を研究する学問です。そしてそれを極東地域に当て嵌めた場合、日本の置かれた立場も北朝鮮の置かれた立場も朧気ながら見える様になります。
この地政学を北に当て嵌めた時、どうしても見えて来ることがあります。それは北朝鮮と国境を接する中国とロシアの存在です。ご存じの様に中国とロシアは北朝鮮に権益を持っています。そして北朝鮮にとって最も重要な貿易国です。この二カ国は過去には最大の友好国でもありましたね。それが米国と韓国によって占領されたとなればどの国が一番困るでしょうね。これは架空の話ではありません。もし北が実際に日本を攻撃したとしたら、北朝鮮は破滅しか道はないのです。そうなった場合米国が直ちに巡航ミサイルや潜水艦搭載ミサイルで報復攻撃をします。そしてその攻撃力は圧倒的です。たぶん主な戦闘は初日で終わりを告げるでしょう。そして各個撃破で陸上部隊を米国と韓国は投入するでしょう。
この時果たして中国とロシアは黙って見ているでしょうか。答えは否ですよね。だとしたら、中国はどの様な行動に出るか。ロシアはどの様な行動に出るか。皆さん考えてみて下さい。
私が思うに、自国の権益を守る目的と安全保障上の懸念を払拭する為に、米国が北を攻撃したのと間髪置かずに、中国とロシアも北朝鮮に対しミサイル攻撃を仕掛けるでしょう。中国は地上部隊も大量投入し侵攻することは確実です。そうしなければ緩衝地帯の役目を果たしていた北朝鮮が米国と韓国に制圧されてしまうからです。
これは現実的なシナリオです。だから北朝鮮は挑発行為はしても核攻撃までは踏み出さないだろうという推論が成り立つ訳です。ですが、攻撃パターンのところで説明した様に、北を極限まで追い込んだら”窮鼠猫を噛む”で破滅的な行動に出ないという保証はどこにもないとも云える訳です。
さて、そろそろ結論を出しましょう。
日本はこの様に北のミサイル攻撃に対しては軍事的に無力です。しかも、当面これ以上の軍事力の強化をしたとしても即効性はありません。だとしたら、改憲論議も無意味だと私なら思います。たとえ自衛隊を合法化したとしても、改憲のそもそもの根拠としている北の脅威に対応出来ないのですから、論議する意味すらありません。安倍政権と自民党ははすり替えが好きですから、というよりお得意つまり常套手段ですから、はじめにあった北の話などなかったかの様に理由を後でこじつけるのは眼に見えていますけどね。でも、そうなると安倍政権と自民党の主張する憲法9条を破棄する理由はどうしても国民の理解は得られないでしょうね。何しろ、9条を破棄しようが今のまま存続しようが、国防や自衛に関する極東の情勢は何ひとつ変わらないのですから。というより、自衛隊を合法化すれば、地政学からすれば極東の軍事バランスは間違いなく崩れます。唯でさえ危ういバランスの上に成り立っている極東の情勢をわざわざ壊す為政者がもしいるとしたら、それは愚か者の誹りを免れないでしょう。
そしてもう一つ大事な事お伝えしたいと思います。米国は最終的には日本が米国の”管理”の下を離れて、独り立ちすることをけして認めないでしょう。それが日本の置かれた真実です。
わたし達日本人は今こそ知るべきです。
『日本は戦後72年を経ても尚、未だ独立国ではないという真実を』
最後に次回以降の拙ブログスケジュールを皆様にお伝えいたします。
今後は今の様にほぼ一週間おきに記事の更新をすることは不可能であることをまずお伝えいたします。ですが、次回以降の主題だけは既に決まっています。
それは『これからの日本、ひいては日本人を考える』という題名です。
以下、さわりだけ記述して今回の記事を終えたいと思います。正直に云って今朝からこれを一気呵成に書き込むのはしんどかったです。では皆様ごきげんよう。
『人間は考える葦である』とはパスカルが「パンセ」の中に書いた一節です。
その意味は、人間は大自然の中に生きる頼りなく儚げな一本の葦であるとして人間を脆弱な対象として例えたが、しかし同時にそれは考える葦であるとし、自然界では脆弱な存在ではあるが、しかし同時に思考する偉大な存在でもあるのだという、人間の本質を捉えた名文なのですね。
実はこれの意味を掘り下げて考えていくことが、わたし達がこれから何を考え何を為すべきかの答えになるのだと思います。人間は考えられる存在なのだから、そして考えられるのは一生高々八十年の間なのだから、本気で考え、本気で行動し、本気で生きるべき存在なのだろうと思います。わたしの寿命がもし上記通りなら、残されているのはあと二十年もないのですから。
日本が民主主義国家であることを日本人であるわたし達は誰一人疑ってはいないでしょう。ですが、欧米人から見た日本は本当の民主主義国家であると云えるのかどうか少し疑わしい部分もあります。何故なら、民主主義の先輩である欧米先進国に比べて日本には民主主義が真に根付いているのかどうか疑わしいところが多々あるからです。欧米人なら時の為政者が国家にとって都合の良い法令や政令を定めたら暴動が起きかねないのに、日本ではそれを結局のところ「長いものには巻かれろ」ではありませんが、受け入れてしまう土壌があることに欧米人は奇異の目を向けることでしょう。
<次号に続く>
追伸です。前記事で承認しなかったコメントは一つもありませんでした。従って全て公開表示しています。わたしは記事内容に対して同意する意見でも、反対する意見でも分け隔てなく公平に承認します。例えそれが少々私の考えるルールを逸脱したものであったとしてもです。批判が勢い余って誹謗中傷になっても、わたしがそれを赦せる範囲と考えるなら承認しそれをコメント欄に表示します。しかしその事によって、拙ブログを訪れた他のブロガーの方が、誹謗中傷した人をどう捉え、どう思うのか迄は責任は負いかねます。またそのコメントに対しわたしが反論が必要と感じた場合、どの様に反論してもその事で異議は挟めないと言うこともご了解願います。以上の諸条件を了解した上で納得の上、反論がある場合はコメントされるようお伝え致します。但し度を超した長文は認めません。