VOL.1/3
8月15日の夜7時半からNHKで『日本の、これから』という公開討論番組があって”核”というテーマで討論が行われた。
これはたまたまそれを自宅のリビングで見ていたわたしの偽らざる思いと核問題についての考えの表明である。
VOL.1/3
8月15日の夜7時半からNHKで『日本の、これから』という公開討論番組があって”核”というテーマで討論が行われた。
これはたまたまそれを自宅のリビングで見ていたわたしの偽らざる思いと核問題についての考えの表明である。
その番組では、核の傘に守られるのかそうでないのか、今後も非核3原則を堅持するかどうか、北朝鮮核開発にどう対応するか、日本の核保有の是非、オバマ米大統領が表明した核兵器無き世界は可能か、という議題が提示されそれぞれ討論を行ったのだが、NHKの公開討論番組でこれほどまでに声を荒げて白熱した討論・議論が為されたのは初めてではなかっただろうか。翻ってみれば「核兵器」の問題が有名無実な「非核3原則」に隠されて真剣な話し合いが為されてこなかったツケが今になって表面化したという事かも知れない。そしてその事によって日本の将来が見通せないというジレンマが良くも悪くも出席した各人の顔にも表れていて、それが白熱した討論になった理由であろうか。
実はこの番組をわたしは途中から見たのでその前の討論はどの様なものであったのか知らない。わたしが見た限りでは、その討論番組は個々の議題を映像などで説明してからそれについて設問をして、その回答が出たところで討論に入るという形で進められていた。
わたしが番組を見始めたのはちょうど米国のオバマ大統領が公式の場で「アメリカ合衆国は核廃絶を目指す道義的責任がある」とスピーチした事を評価するかしないかの話をしていたあたりだったと思う。番組としてはたぶん半ばあたりだっただろう。この後ニュースを挟んで討論会は後半へと進んでいった。
ご存じの様にわたしの記事は皆様にわたしの考えを伝えようとすればする程長くなってしまう。この記事も1記事としてはあまりにも長くなってしまったので、3回に分けて隔日で記事を掲載する事にした。
しかしそれでも討論会の全てを取り上げる事は不可能だ。そこで番組の内容を一々説明するのは割愛し、その中でわたしが特に気になった事だけに絞って記事として取り上げる事とした。
わたしが一番注目したのは番組もそろそろ終わりに近づき、キャスターである三宅民夫アナウンサーが番組を纏めようとしたあたりで出された設問への出席者からの回答であった。
その設問とは核をめぐる今後の日本の政策は?という問い掛けで、
①核の力に頼るべきではない。
②アメリカの核の傘に守ってもらう。
③核兵器を持つべきだ。
という三択の中から出席者が良かれと思うものを選ぶというものであった。
そもそもこの三択で括るという事に無理があるとは思うが内容を集約した事で活発な議論が行われたのは確かであった。はじめにこの設問に対するわたしの考えを表明して置きます。わたしの選択は①です。その論拠はこれ以下の文面で述べるとして、①を選択したら必ず問われる事になるであろう「核兵器を持たないで果たして日本を守れるのか」という点については自説を最後(VOL.3/3)にまとめて述べたいと思います。
その設問に於いてわたしの興味を引いたのは、③という回答をした方が意外と多かった事であった。被爆国として今までタブー視されて来た事を平気で云える人達とはどの様な考えに基づいてその様な事を主張するのか急に興味が湧いたのであった。しかしその発言の内容はといえば短絡的で熟慮の上に為されたものではない様に思えた。「現実を直視しなければならない」と言いながらも、主張の内容は理性とはほど遠い感情論であった。自分の主張は正しいという頑なさが感じられ自分の意見に合わないものは大声で真っ向から否定するという姿勢だった。戦前の軍国主義とはこの様なものだったのではないかとふと感じてしまった。
わたしにとって意外だったのはその様な人達に比べて①と答えた人達が感情論で話をするのではなく理性に根ざした話をしていた事だった。
前述の様に討論では①と回答をした方の発言中に③と回答した方の何人かはそれを声高に非難し、「核を持たなくてどうして日本を守るんだ!現実的で実現可能な話をしろ」とまくし立てた方もいて甚だ不愉快になってしまった。どちらが感情的なのか分かったものではない。①を掲げ発言した広島の被爆者の女性はそれで意見も尻すぼみになってしまった。あれは言葉の暴力以外の何ものでもない。その様な発言をした方はその前のいくつかの設問でも度々核廃絶を唱える出席者に同様の言葉を浴びせ掛けていたのでこの様な回答をする事は予想していた。
わたしはここで問い掛けてみたかったのだが③と答えたこの人達は日本が世界で唯一の核兵器による被爆国であるという事実を一体どの様に捉えていたのであろうか。この中の何人か(その中には防衛庁(今は防衛省)の元幹部さえいた)は歴史認識についても①と回答した方達に対し「歴史認識が甘い」と非難していたが誤った歴史認識を持っていたのは果たしてどちらであっただろうか。この点についても後でわたしなりの反論を述べる事としよう。
とにかく③と答えた方の発言の中で印象に残っているのは次の3点であった。
一、
「過去の歴史を見ても核兵器を持つ事によってそれが戦争抑止力になる事は明白。北朝鮮も日本が核を持てばおいそれと挑発も出来ないし核兵器を使用する事も出来ない。」
二、
「日本は独立国家である。いつまでもアメリカの核の傘に守られていてそれで良いのか?自分の国を自分で守れなくて果たしてそれで自立した国といえるのか? 日本は核兵器を作るだけの技術力も資金力もあるのだから核兵器を作って自衛すべきである。それでこそ独立国家であると世界が認めるであろう」
三、
「過去の米ソ冷戦時代においても印パ紛争においても紛争国がお互いに核を保有する事によって現実に平和がもたらされている。被爆国という事に囚われずに日本はこの事実を直視すべきだ。」
以上の3点に集約されると思う。・・・ここでひとつ明確に云っておかねばならない事がある。③と意思表示をされた誰もが唱えていた「日本は現実的な選択をするべきだ」という言葉とは裏腹に、日本にとって「現実的に受け入れられる考えはひとつもなかった」様にわたしには思えるのである。
何故ならば日本が自前で核兵器を持てば近隣諸国の猛反発を招くのは火を見るよりも明らかであるし、極東の軍事バランスは日本が核兵器を持つ事によって一気に崩れ、現在より更に不安定で危険な緊張状態を強いられる様になるのは明白だと思ったからである。これは得策ではない。
この討論で①という意思表示を為された方の一人もわたしと同じ様な事を語っていた。それだけでなく日米同盟は確実に破棄されるだろうと述べられた識者(軍事専門家)も居られて、なるほどなと思った次第です。(因みにこの方は何故かわたしと同じ①を選択していました)
更に、核兵器を持てば確実に世界各国の反発を招き食料の輸入がストップして食料の過半を海外に頼っている今の日本の実情からして死活問題になりかねない。しかも国連で日本への制裁措置を取られたら(現時点ではもし核兵器を保有したら制裁措置が取られるのは確実)あらゆる輸出入が制限され貿易立国日本は立ちゆかない。(①若しくは②と答えられた方の中にも言及された方がおりました)
それだけでなく日本は核不拡散条約(NPT)加盟国であってその中で核の平和利用に限って核物質の輸入が許されていたのが核兵器を自ら作る事によってそれもストップする。そういう事態になったら今まで輸入した核廃棄物からプルトニウムを抽出すればいいという意見があった。わたしは思うのだが何故そうまでして核兵器を手に入れたいのだろうか?日本が核兵器を作る事が日本の国益になるのだろうか。わたしは思うのだが、
世界から孤立するというそこまでのリスクを背負ってまで日本が核兵器を保有する意味も意義も全くない。
それでは一、から三、まで順を追ってわたしの考えを述べて行くとしよう。
<次回へつづく>
この記事は一日おきに三回連続で記事更新予定です。
次回の記事更新は8月20日(木)00:00AMとなります。
'09.08.18.23:40追記
このVOL.1/3を記事UPした時点でVOL.2/3、VOL.3/3も全て原稿は完成しています。
特に次回のVOL.2/3は内容もかなり濃いと思いますが、核を巡る歴史も具体的に記載していますし、”核”とは人類にとってどういう意味を持つのかにまで言及しており勉強なると思います。また、ひとつの読み物として読まれても面白いものとなっています。順次予定通り記事をUPいたしますのでご期待ください。