誰だって批判されるのは厭だよね。でも、批判は時に人を育ててくれるよ。駄目にすることもあるけれどね。そしてその結果を左右するのは批判にどう対応するかで決まってしまう。簡単にいってしまえば「けして逃げない」こと。これが大事です。
- 戒め
人は批判されることでより一層その本音本質本性を鮮明にするであろう
批判を受け入れそれを糧とする人は人々から尊敬の念を勝ち取るだろう
一方どんな批判も受け入れず自分を正当化する人はその信を失うだろう
その違いがどこから来るかといえば誠実さと謙虚さの有る無しであろう
慢心している人ほど自惚れているほど批判に過剰に反応する傾向もある
まあ慢心していてなおかつ謙虚な人などこの世の中に存在しないけれど
By H☆imagineU3
人生に無駄なことなど何ひとつない。
平凡は得がたいかも知れないが現実にはそうは生きられないし、
もし生きられたとしてもその人を駄目にするだけだ。
より多く経験せよ。
何度も挫折を味わえ。
他人のために幾度も涙せよ。
他人の声に耳を傾けよ。
そうしたことを数多く積み重ねていく中で、
いつしかあなたは一回り大きくなった自分を発見するだろう。
以前ソネブロである方の求めに応じ、少なからぬ時間を割いて調べ上げた上で、
その人の疑問に正確かつ丁寧にお答え致しました。
しかしその方はわたしの答えよりも自分が他から伝え聞いた誤った答えを優先し、
わたしの親切でしたことに疑問を呈しよく考えもせず反故にしたのです。
自分で提起して置きながらそれに誠実に答えた人の好意を軽くあしらう。
その奢り昂ぶる驕慢な態度には「謙虚さ」の一欠片もありませんでした。
ですからわたしは反論しました。「それがあなたの取るべき態度ですか」と。
少なくともわたしは半日以上の時間を掛けそれが正解だという結論に至りました。
不正解だという根拠も示さず何故あなたは求めに応じて提示した答えを否定するのですか。
しかしその方の返答は思いもよらぬものでした。
それまでの人の良いおばさまの仮面をかなぐり捨てわたしをいきなり罵倒したのです。
わたしが徒党を組みブログを荒したというレッテルまで貼り罵詈雑言を浴びせたのです。
しかしそれは事実ではありません。
わたしは誰とも徒党など組んではいなかったのです。
徒党を組むとは己のない小人のすること。わたしの最も忌み嫌うものの一つです。
ですから、わたしの冷静なコメントとその人の感情的な態度を見た何処ぞのブロガーが、
その方に非があると見て、わたしに加勢した積もりで介入したに過ぎません。
そしてわたしはその加勢した人達にも苦言を呈しました。
わたしは加勢したブロガーがどこの誰で何の目的でそんな事をしたのか未だ知りません。
ですがそうした人達の行いは人を貶める意図が読み取れ良くないことだと感じました。
だから表立っては正義感ぶったそのコメントに苦言を呈したのです。
そうした中でこの方は自分の置かれた状況を冷静に把握する事もなく、
他人の好意を一顧だにせず、ただ自分のプライドのために他人を蔑ろにしたのです。
その方は自分の感情を優先させ、ヒステリックにわたしを罵倒した訳です。
表面上は詰まらない争いのように見受けられたでしょうが事実はそういう事なのです。
わたしの出した答えが正解であることはその後すぐに証明されました。
その方が公園の職員から伝え聞いた樹木名札の漢字と読みの方が間違っていたのです。
わたしがその梅の品種名の正しい漢字の綴りと意味まで調べてお伝えした、
『塒出の鷹枝垂(トヤデノタカシダレ)』の方が正解だったのです。
たぶんその人はわたしの答えが正しいと途中で気づいたはずです。
しかしそれまで過剰に反応したが為に自分を正当化するしかなかったのでしょう。
経緯が分かってしまう一連のコメントの応酬を削除して証拠隠滅を図りました。
そしてあろう事かわたしをブログ荒しと断定し、粗暴な愚か者として切り捨てたのです。
わたしは終始誠実に対応しました。それに対してこの仕打ちです。
当時大勢の人がその経緯を目撃していたはずです。
しかしその方の信奉者や他のブロガーはその方の剣幕を見て口を噤んでしまいました。
そしてあろうことかその態度が毅然としているとして一部の人は賞賛までしたのです。
わたしはすっかり悪者になり名誉回復の機会さえ与えられませんでした。
ひとは何かの拍子に普段は隠されたその本性を現すもの。
その方もその他のブロガーも含めてそれが良く分かる出来事でした。
この方等には誠実さと謙虚さと良識の欠片もありません。
そしてその方からそれ以降今に至るも謝罪の言葉は一切ありません。
以来当然ながらその方とは音信が途絶えたままになっています。
わたしはそれまで親切を仇で返されたことは一度もありませんでした。
しかし世の中にはこういう人もいるのをこの歳になって初めて知ったのでした。
それまで世の中には話して分からない人はいないと思っていました。
親切には親切で返って来るものとばかり思っていました。
だがそれは幻想でした。親切に悪意で返す人も世の中にはいるのです。
どこにでも人の気持ちが分からず人を貶める人はいるものです。
それを知っただけでも良い経験であったと気持ちを切り替えることにしました。
しかし憎む気持ちこそありませんが、わたしがこの方を許すことは二度とありません。
その方とは、、、
あの「おはようございます。・・・云々」のコメントでどこにでも顔を出す、
七十代半ばの千葉市在住のご婦人ブロガーです。
え、あの人が・・・という感じですが事実です。
その人の疑問に正確かつ丁寧にお答え致しました。
しかしその方はわたしの答えよりも自分が他から伝え聞いた誤った答えを優先し、
わたしの親切でしたことに疑問を呈しよく考えもせず反故にしたのです。
自分で提起して置きながらそれに誠実に答えた人の好意を軽くあしらう。
その奢り昂ぶる驕慢な態度には「謙虚さ」の一欠片もありませんでした。
ですからわたしは反論しました。「それがあなたの取るべき態度ですか」と。
少なくともわたしは半日以上の時間を掛けそれが正解だという結論に至りました。
不正解だという根拠も示さず何故あなたは求めに応じて提示した答えを否定するのですか。
しかしその方の返答は思いもよらぬものでした。
それまでの人の良いおばさまの仮面をかなぐり捨てわたしをいきなり罵倒したのです。
わたしが徒党を組みブログを荒したというレッテルまで貼り罵詈雑言を浴びせたのです。
しかしそれは事実ではありません。
わたしは誰とも徒党など組んではいなかったのです。
徒党を組むとは己のない小人のすること。わたしの最も忌み嫌うものの一つです。
ですから、わたしの冷静なコメントとその人の感情的な態度を見た何処ぞのブロガーが、
その方に非があると見て、わたしに加勢した積もりで介入したに過ぎません。
そしてわたしはその加勢した人達にも苦言を呈しました。
わたしは加勢したブロガーがどこの誰で何の目的でそんな事をしたのか未だ知りません。
ですがそうした人達の行いは人を貶める意図が読み取れ良くないことだと感じました。
だから表立っては正義感ぶったそのコメントに苦言を呈したのです。
そうした中でこの方は自分の置かれた状況を冷静に把握する事もなく、
他人の好意を一顧だにせず、ただ自分のプライドのために他人を蔑ろにしたのです。
その方は自分の感情を優先させ、ヒステリックにわたしを罵倒した訳です。
表面上は詰まらない争いのように見受けられたでしょうが事実はそういう事なのです。
わたしの出した答えが正解であることはその後すぐに証明されました。
その方が公園の職員から伝え聞いた樹木名札の漢字と読みの方が間違っていたのです。
わたしがその梅の品種名の正しい漢字の綴りと意味まで調べてお伝えした、
『塒出の鷹枝垂(トヤデノタカシダレ)』の方が正解だったのです。
たぶんその人はわたしの答えが正しいと途中で気づいたはずです。
しかしそれまで過剰に反応したが為に自分を正当化するしかなかったのでしょう。
経緯が分かってしまう一連のコメントの応酬を削除して証拠隠滅を図りました。
そしてあろう事かわたしをブログ荒しと断定し、粗暴な愚か者として切り捨てたのです。
わたしは終始誠実に対応しました。それに対してこの仕打ちです。
当時大勢の人がその経緯を目撃していたはずです。
しかしその方の信奉者や他のブロガーはその方の剣幕を見て口を噤んでしまいました。
そしてあろうことかその態度が毅然としているとして一部の人は賞賛までしたのです。
わたしはすっかり悪者になり名誉回復の機会さえ与えられませんでした。
ひとは何かの拍子に普段は隠されたその本性を現すもの。
その方もその他のブロガーも含めてそれが良く分かる出来事でした。
この方等には誠実さと謙虚さと良識の欠片もありません。
そしてその方からそれ以降今に至るも謝罪の言葉は一切ありません。
以来当然ながらその方とは音信が途絶えたままになっています。
わたしはそれまで親切を仇で返されたことは一度もありませんでした。
しかし世の中にはこういう人もいるのをこの歳になって初めて知ったのでした。
それまで世の中には話して分からない人はいないと思っていました。
親切には親切で返って来るものとばかり思っていました。
だがそれは幻想でした。親切に悪意で返す人も世の中にはいるのです。
どこにでも人の気持ちが分からず人を貶める人はいるものです。
それを知っただけでも良い経験であったと気持ちを切り替えることにしました。
しかし憎む気持ちこそありませんが、わたしがこの方を許すことは二度とありません。
その方とは、、、
あの「おはようございます。・・・云々」のコメントでどこにでも顔を出す、
七十代半ばの千葉市在住のご婦人ブロガーです。
え、あの人が・・・という感じですが事実です。
因みにこの方のコメントは最近は「こんにちわ」で始まることも多いようです。
<追 記>
この記事は個人を非難する目的で書かれたものではありません。あくまでも、その行為を批判し、この貴重な経験を皆さまの心に留め、マイカテゴリーにある通り「戒め」にする目的で書かれたものです。ですから人の好意を悪意で返した人物をあぶり出したり、今更追及する気はないのです。それに当人は今も自分の対応は正しかったと信じ込んでいるかもしれませんし、もしこの事について忸怩たる思いがあったとしても今更謝ることはなさらないでしょう。
重ねて申し上げますが、これはあくまで「戒め」のために書かれたものです。個人を追及するためのものでも、謝罪を求めるものでもありません。従ってこのブロガーが誰か、これを読まれた方が特定できたとしても、それを炙り出したり、非難する行為はお控え願います。わたしは「罪を憎んで人を憎まず」の原則は守るつもりです。皆さまに置かれましてもわたくしの意志と意図を汲み取り頂きそれに従って下さるようお願い致します。
重ねて申し上げますが、これはあくまで「戒め」のために書かれたものです。個人を追及するためのものでも、謝罪を求めるものでもありません。従ってこのブロガーが誰か、これを読まれた方が特定できたとしても、それを炙り出したり、非難する行為はお控え願います。わたしは「罪を憎んで人を憎まず」の原則は守るつもりです。皆さまに置かれましてもわたくしの意志と意図を汲み取り頂きそれに従って下さるようお願い致します。
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一昨日急遽決定したのですが、今日午後からしばらく留守にします。
その間記事の更新はお休みさせて頂きます。
お仕事の取材で古都を旅しなければならなくなりました。
そこを拠点にいざ、古(いにしえ)の世界にタイム・スリップ。
思索に耽りたいので行った先で知人には連絡は取らない予定。
お許しあれ。不義理な男だなんて云わないでね。
因みにうちの奥様は自分の予定が目一杯で今回は同行しません。
つまり『ひとり旅』です。アハ、
しか〜し、自由気儘ですがオイタをする積もりはサラサラありません。
ところがところが、宿が取れなくてもう少しでラ〇ホを予約しそうになっちゃいました。
ブッキング・コムにまさかそんなホテルが掲載されていようとは (*´∀`*)
写真を見てそれだと分かりました。そう云えば「大人専用」なんて断り書きがありました。
結局のところ、中日一泊だけ一泊ん万円の高級温泉旅館に泊まって、
その前後はスタンダードなチェーンホテルに泊まる計画で予約完了。
取材日数は一週間を超える予定。
ところで・・・更新しないと云いながら、気分屋さんのわたしなので、
取材資料を纏めるのに疲れたら(飽きたら)気分転換に記事を更新するかも知れません。
その時は悪しからず。
その間記事の更新はお休みさせて頂きます。
お仕事の取材で古都を旅しなければならなくなりました。
そこを拠点にいざ、古(いにしえ)の世界にタイム・スリップ。
思索に耽りたいので行った先で知人には連絡は取らない予定。
お許しあれ。不義理な男だなんて云わないでね。
因みにうちの奥様は自分の予定が目一杯で今回は同行しません。
つまり『ひとり旅』です。アハ、
しか〜し、自由気儘ですがオイタをする積もりはサラサラありません。
ところがところが、宿が取れなくてもう少しでラ〇ホを予約しそうになっちゃいました。
ブッキング・コムにまさかそんなホテルが掲載されていようとは (*´∀`*)
写真を見てそれだと分かりました。そう云えば「大人専用」なんて断り書きがありました。
結局のところ、中日一泊だけ一泊ん万円の高級温泉旅館に泊まって、
その前後はスタンダードなチェーンホテルに泊まる計画で予約完了。
取材日数は一週間を超える予定。
ところで・・・更新しないと云いながら、気分屋さんのわたしなので、
取材資料を纏めるのに疲れたら(飽きたら)気分転換に記事を更新するかも知れません。
その時は悪しからず。
あおによし ならのみやこは さくはなの におふがごとく いまさかりなり
行って来ます。