やはり小説としては無理があった。この際紀行文若しくは随筆と訂正して置こう。過ちを正す事に憚る事無かれ;;(^o^);;
<banburyのここで食べた遅い朝食はとてもおいしかった'11.07.29>
わたしの心はいつも旅人である
流れゆくあの雲の如く誰もその行く先を知らず
水面(みなも)に揺蕩う(たゆたう)その浮き草の様に
いつしか皆の前から忽然と消えてなくなる
わたしにはそんな人生が似合っている
やはり小説としては無理があった。この際紀行文若しくは随筆と訂正して置こう。過ちを正す事に憚る事無かれ;;(^o^);;
<banburyのここで食べた遅い朝食はとてもおいしかった'11.07.29>
わたしの心はいつも旅人である
流れゆくあの雲の如く誰もその行く先を知らず
水面(みなも)に揺蕩う(たゆたう)その浮き草の様に
いつしか皆の前から忽然と消えてなくなる
わたしにはそんな人生が似合っている
誰に愛される訳でもなく 誰に悲しまれる事もなく
死して惜しまれる事も 思い出される事もない
ありふれた市井の民として生きて
そして消えていく・・・
人の一生は斯くありたいと思っている
わたしの今までの人生はそうではなかった。平穏無事であろうと願おうとそうはさせない環境がわたしの行く手を何度阻んだ事だろう。それらに抗い立ち向かう人生にわたしはもう飽きてしまった。そして、あるが儘を受けいれ、為すが儘に生きていくのもまた人の一生である事にようやく気づいのだった。
「空即是色 色即是空」
人生は無である。想念や物質、ありとあらゆるものすべてが形など初めから無く存在しないのだ。
ものに囚われてはいけない。その事に気づけば人の一生は逆に彩りと輝きを増す。
<Chandler's Banbury、Italianと書かれていますがすっかりEnglishでした(笑)>
美しい街がどうしてこうも英国には多いのだろう。
余計なイルミネーションも派手な看板もない落ち着いた街並みは旅人の心を癒やしてくれる。明治以来日本は古いものを惜しみなく壊して新しいものを作って来た。英国は伝統を重んじ古いものを残す。新しきものは古きものとの調和無しには存在しない。その違いが大都会だけでなく何気ない地方都市や田舎町の街並みそして家並みに良く現れている。それは取りも直さず英国と日本が辿って来たそれぞれの歴史の違いなのだという事を僕はこの国を訪ねて初めて理解したのだった。
「外から日本を見ると日本の事が良く分かる」というが本当にそう思う。
英国は日本と対比するには恰好の国である。
<上:Banbury Cross 下:その街並み>
Banburyは古い街である。英国に来て二日目の朝は薄曇りの一日であった。時差ボケは残っているがそれ程でもない。時差ボケはむしろ日本に帰ってからの方が辛い事を僕は知っている。車から降りて両手を目一杯上に挙げて伸びをした僕はゆっくりと歩き始めた。そこかしこハンギングバケットに溢れんばかりの花が咲いていた。飴色の街並みにそれはひときわ美しく映えている。観光都市でもないこの街だけでなく英国の何処に行っても花に溢れていた。英国だけでなくそれはヨーロッパの何処に行ってもそうなのかも知れないが日本ではまだ珍しい光景だといえるだろう。東京の中心街では見掛ける光景だがそれはヨーロッパの模倣でしかない。
「イギリスの夏っていつもこんな天気なの?」
「そうよ、薄曇りの一日が多いわね。快晴って滅多にないかも」
その快晴に僕は翌日湖水地方で出会う事になる。何しろ僕は台風さえ我を避けて通るという正真正銘の<晴れ男>だ。今日は晴れて欲しいと思った日で雨が降った記憶が殆ど無い。それはさて置いて、この街では食事の後に電気店で変圧器を探したのだがなかった。前夜泊まったトラベルロッジでドライヤーが使えなかったのでそうしたのだが結局英国で見つける事は出来なかった。ロンドンやマンチェスターやバーミンガムなら見つけられたのだろうがとてもエクスペンシブだとDavidは言っていたので諦める事にした。持ってきたVAIO P90が使えないだけだ。幸いカメラの充電器はユニバーサル対応だ。さして支障は無いだろう。
「きれいな街並みだね」
「そうかなぁ。ごく普通だと思うけど」
「ありふれたイギリスの風景という訳かい?」
「うん、でも大好きこんな街が」
「実は僕もそうなんだ。とても落ち着くんだ。東京であの歴史的建造物の再建に携わって以来イギリスの建物に親しみを覚えるんだ。煙突の一つ一つに、スレート葺きの屋根や石や煉瓦造りの壁になつかしさを覚えるんだ。」
「イギリスってそういうところだよ。でも明日になったらU3の思っているものとは違うイギリスに出会える筈だわ。あなたの知っているイギリスは一面でしかないってきっと分かると思う」
「そうだろうね。君の様に若い頃に何年もイギリスに留学していた訳ではないし、ただの旅行者でしかない。だから確かに僕は一面しか知らないだろうね」
妻は「何を話しているの?」という様な顔で二人の会話を聞いていたCrisとDavidに英語で僕との会話を伝えていた。
<Banburyでは新しい建物と古い建物が調和していた>
幕末の日本は鎖国という長い眠りの中からいきなり大海へ放り出された蛙であった。明治維新以降、列強に飲み込まれまいと富国強兵、殖産興業を国是として遮二無二に西洋化を図った結果何が起こったのか。古き良きものの多くを顧みず、廃仏毀釈の例を見るまでもなく多くの伝統と文化・文明を捨て去ったその末に見えたものは日本人の心の荒廃だったのではないだろうか。しかし明治という厳しい時代はそうしなければ国が存続しない背景があったのだともいえる。だからといって伝統を軽んじたその後の日本を肯定する事は出来ない。開国して僅か数十年で清国とロシアに戦争を仕掛けそれに勝利した日本は列強の仲間入りを果たした。しかしその為に失ったものは得たものより遙かに多かった。外国に侵略された事のない日本は過去を忘れ驕り高ぶってしまった。その果てに分不相応な軍備拡大路線を突き進み、自分達の国を神国と呼び、外敵が来れば神風が吹くと本気で信じられた。まさに狂気であった。そしてそれがその後の日中戦争やそれに続く大東亜戦争(太平洋戦争)という破滅の道へ突き進んでいく事に繋がっていくのである。開国から明治・大正・昭和と続く19世紀から20世紀前半の日本は戦争に彩られた暗い時代であったといえよう。
こういった明治以来の歴史を顧みると日本人が心の拠り所をなくしてしまった過程がよく見える。早く欧米諸国に追いつかなければその植民地になってしまう。清国やアジア全体の状況を見ればまさにその通りだったであろう。しかしその事を恐れるあまり日本独自の道を歩むのではなく欧米諸国と同じ道を辿ったのは間違った選択だったのではないかと僕は思う。日本という極東の島国は、どうして貧しくとも心豊かな国の在り方を求めなかったのだろう。そう思えてならない。
<Old wine house. 創業は1970年。そうは見えないのが英国流。古い建物を元の外観を変えずに改装したのだと思う。同じ年に生まれた人もいるだろうね。今年41歳になる人がこのお店と同い年だ。11.09.19加筆:右は1970年だが左隣の看板を拡大して良く見たら何と創業は1337年!>
一方の英国の歴史は戦乱の繰り返しであった。日本の戦国時代の様な国内の争乱状態が紀元前から19世紀まで絶え間なく続いていたのがUKという国の歴史なのだ。初めヨーロッパの広範囲に住んでいたケルト人が他民族に押しやられ狩猟民族が先住していたブリテン島に移り住んだのがそもそもの英国の歴史の始まりである。それは紀元前7世紀の事であった。しかしケルト人の平安は長くは続かなかった。やがて紀元前55年頃にヨーロッパ全土に版図を拡大したローマ人が侵攻して来たのである。ローマ軍はブリテン島の過半を支配したがスコットランドとウェールズは落とせなかった。それは紀元前から4世紀頃までの事だ。続いて紀元5世紀に入るとアングロ・サクソン人が北海沿岸から上陸しブリテン島の過半を占領し初めてこの島を統一する。しかし8世紀になるとデーン人というバイキングの進入を受けまた争乱が始まる。そして最後にノルマン人がフランスから侵攻してイングランドを占領した。それが13世紀の事である。しかしイングランドとケルト人の住むウェールズやスコットランドとは長い間戦争が続いた。ウェールズは13世紀に平定され、スコットランドは何と19世紀になってようやく英国(UK)の一部になった事を日本人は殆ど知らないだろう。アイルランドはUKから独立したとはいえ北アイルランドは未だUKという連合国家の一部である。
しかし近年になってウェールズとスコットランドは国家としての議会を持つ様になった。ウェールズでは英語と共にウェールズ語は公用語としてUKから正式に認められている。そして両国とも度々イングランドを中心としたUKからの独立が議論されている。もしかしたら英国にとって今はつかの間の平和な時なのだろうか。歴史を顧みるまでもなく民族間の火種が尽きる事がないのが英国という国家の宿命なのかも知れない。
実はウェールズ人(Walish)であるDavidから英国の歴史の概略を聞くまでは僕もその事を知らなかった。知らないのを知らない儘にして置く事を良しとしない僕は帰国後その歴史を色々調べたのだった。英国の辿った道は荊(いばら)の道でありその栄光は産業革命を興した後半のごく僅かの世紀でしかない。
<この美しい騎馬の美女によってBanburyはしっかり僕の脳裏に焼き付いた>
初めに英国は日本と対比するには恰好の国であると書いた。英国が何故伝統を重んじるのか。それは戦争が20世紀以上も繰り返されて来た英国の歴史に由来すると僕は書いた。その事にようやく言及しようと思う。
戦争に破壊と略奪はつきものである。戦争で敵国の権威や軍事力の象徴である城や砦を破壊し尽くすのは当然の事であった。それは世界中の何処を見ても未だに変わらない。戦争を起こした者に正義はないし起こされた側に正義がある訳でもない。戦争とは自分達の存続を賭けた行為なのである。抑も覇権を争うとはそういう事なのだ。英国の歴史は絶えず外敵の侵攻が繰り返され民族間による内乱が頻発した歴史であった。だからこそ破壊や略奪から建物や文化遺産を守ろうと努め大事に保存してきたのがもう一つの英国の歴史でもあるのだ。
「建造物はその土地で豊富に入手できるものであって且つその風土に適合した物から作られる」という当たり前の事が過半の日本人には分かっていない。日本建築は「木」と「紙」と「土」で出来ているとは明治になって日本に来た欧米人が云った言葉だがまさにその通りだったのだ。地震が多く、冬は乾燥して寒く、一転して夏は高温多湿な日本の風土にはこれらが適った建物の素材だったのである。木は豊富に手に入る。泥土もまたしかり。和紙という製紙技術は欧米を遙かに凌駕した卓越した技術だった。日本の風土にこれらの原料素材は欠かせない物だったのだ。しかしそれは同時に壊れやすく燃えやすい建物である事を意味していた。地震では多くの建物が壊れる。戦乱になれば必ず家は焼かれる。だから日本に古い建物が少ないのだ。法隆寺を初めとする日本の歴史的木造建造物は故に珍重される。その様な歴史を繰り返して来た日本人には破壊されたらまた作り直せばいいという発想が根本にある。それが日本人の新し物好きに繋がっている。
ただしかつての日本人には節度があった。しかし明治から近代にかけての日本の建築物は粗製濫造の範疇から抜け出せず、多くの貴重な建造物を取り壊し街並みとの調和など考慮されず無秩序に建てられてしまった。今でこそ条例などで歴史的街作りや景観保存などが制定される様になったが遅すぎた嫌いがある。いまや全体が落ち着きを以て存在する都市や街は日本には一切存在しない。例えそれが京都や奈良であってもそうなのだ。特に主要駅前は散々たる状況である事は皆もよく知っている通りだ。安普請の雑居ビルやパチンコ屋が何処に行ってもある。看板は壁から飛び出てその存在を主張し、夜となれば派手なネオンサインや看板照明が街を煌々と照らす。そんな光景など僕はもう見たくない。
<Chesterの街並み。この街は旧市街を完全に城壁が取り囲んでいる事でよく知られている>
一方の英国には木を主とした構造物の素材にするほど豊富にある訳ではなく、紙の文化も育たなかった。泥土は同じ様にあったがすべての建物に使われる訳ではない。古くは砂岩11.09.19訂正石灰岩などのライムストーン系の石、そしてスレートなどが多用された。近代になっては泥土から煉瓦を生産して建築に多用される事になる。そしてこれらは火に強く簡単には破壊されにくい特質を持っていた。日本と同じ様な木を主要構造物とした建築物が英国に皆無な訳ではない。チューダー様式の建物がそうであるが意外とこの様式は17世紀頃の建築物として今でも英国の各地に残っている。黒やチャコールグレーに施された木の柱梁そして筋交いに白壁というのがチューダー様式の建築物である。英国に行ったら必ず目にするだろうから良く覚えておいて欲しい。
英国でもすべてが同じ材料で出来ている訳ではないと皆さんにも想像はつく筈だ。例えば湖水地方やウェールズでは外壁や屋根はスレートの建物が多くイングランド中部に多い砂岩を多用した石造りの建物は少ない。それは先程も述べた様に「建造物はその土地で豊富に入手できるものであって且つその風土に適合した物から作られる」からだ。湖水地方のウィンダミアにスレートで作られた建物ばかりなのはこの地方の建築材料としてはそれしかなかったから必然的にそうなったのだという事が分かるだろう。今の様に物流が発達していた訳ではない昔は世界の何処でもそうだったのだ。しかしそのお陰でBowness on Windemereは湖水地方という自然環境に溶け込んだ景観を今に残す事になった。
<スレートで作られた湖水地方のホテル>
なかなかバンブリー(Banbury)からストラットフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)に進まないなぁ。もっと書きたいけど今回はこのくらいの長さにして置こう。そうでないと皆が記事の長さにうんざりしてしまうのが目に見えているから。
2011年7月29日。英国旅行二日目はまだ終わらない。次回はシェークスピアの故郷から始める事にしよう。皆さんの期待をわたしは裏切っただろうか。もしそうでなければ次回もまたこのシリーズを楽しみにして欲しい。
単身赴任などの諸事情により皆さんへのブログ訪問は今月一杯滞ってしまうでしょう。多忙な毎日の中で唯一楽しみにしているのが昼休みに見る事の出来る皆からのコメントです。良かったらあなたも何かコメントを下さい。お返しできる保証は何処にもありませんがm(_ _)m)
<つづく>
<あ~あ~川の流れの様に~♪ エイボン川の流れは何処までも穏やかで優しかった>