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<story 4>The land of promise [ブログ小説]

 え~~~、ご迷惑では御座いましょうが・・・・・・

 久し振りに長文復活です(笑) 

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 僕の朝は早い。就寝時間がどんなに遅かろうと少なくとも6時には自然と目が覚めて起きてしまうのだった。そんな僕を見てDavidは'It's crazy.'だと云ったけれど、どうも日本人と英国人の時間の感覚は違うらしい(笑)。

 嗚呼、聞くも涙、語るも涙の物語!

 大いに言い訳させて貰うが僕の初等英語教育環境は桁外れに素晴らしかったので、僕の英語力は単語を並べ立てるか短いセンテンスのみでコミュニケーションをはかれる程度だし、ましてや相手の話す言葉で理解できるのはたぶん半分以下だ。
 東京23区の外れで中学生になって、一番初めに学んだ外国語が東北訛りの英語だったというのは僕の運命なのだろうと思う。そのあまりに素晴らしい環境で始まった僕の英語教育。期待が大きかっただけに正直悲しかった。

 2年生になってようやくその環境に別れを告げられると安堵したのもつかの間、今度は担当の教員が予定外の妊娠(予定された妊娠というのもあまり聞いた事がないが)で2年生の授業が始まって1ヶ月も経たないうちに産休を取り、その代わりに来た臨時教員というのがぶっ飛んだアメリカはキャラフォーニャ(California)帰りの衣装派手派手極彩色おばさんだったのはたぶん僕の宿命かも知れない。
 このおばさん毎回スペイン語かと聞き間違える程の巻き舌でアメリカ英語をまくし立てたのだから東北弁にすっかり馴染んでいた僕らは堪ったものではなかった。レコードのハンディプレーヤーを自腹で持ち込み、授業の始めに英語のポップスやロックミュージックを大音量で流すという授業も破天荒なら、アクセントもイントネーションも1年生の時に習った英語とは全くの別物であまりの環境の激変に順応するのに四苦八苦するさなか、得体の知れない「アメリカーン・イングリッシュ」なるものを学ぶ側に当然の如く強要するという超荒技は僕達の度肝を抜いた。(当時の日本の英語教育は米語ではなく英語教育でした)しかし今になって思えばあれは絶対にカリフォルニア州で常用されていた英語などではなくヒスパニック系英語だったのではないかと密かに思う僕であった
 だが当時の僕らにそんな事は知る由もないし選択の余地もなかった。戸惑いながらもそのおばさん臨時教員のすっかりアメリカナイズ?された英語にうっかりどっぷり浸かってしまったまさにその時、そのおばさん教員は雇用期間が切れたという理由で突然辞めてしまった。おばさん教員が涙を溜めて別れを告げたのが辞める当日だったのはそれは予定されていた退職ではなかった事を如実に示していた。僕らにとってもまさに青天の霹靂(へきれき)だった。

 翌週からその後釜に座ったのは1年生の時のあの東北弁丸出しの年配の正教員だった。彼は僕達の発音を聞いて突然怒りだし、以後アメリカナイズされた英語は一切禁止された。その代わり覚えさせられたのはあの懐かしい(んな訳ねえだろ!)東北訛りの正統派英語なる代物だった。そんな経緯もあって3年生になって英語を話せる様になりたいという願望は半ば捨ててしまった。もはや受験の為の英語と割り切って僕の得意技であった教科書を丸暗記するという荒技で受験に臨み、そして都立高校に幸か不幸か合格してしまうのだが僕の初等英語教育はこの様に実にドラスティックであった。だから高校に入ったらもう一度英語をやり直そうと心に決めて期待に胸を膨らませたのだった。しかし僕のドラスティックな展開が中学校で終わりを告げた訳ではなかった。不幸はさらに続く。

 端的に云ってしまうが、紆余曲折を辿った僕の英語教育は、とどのつまり都立高校1年生の秋の訪れと共に突然終わりを告げた。それはどういう事かといえば、担当の若い英語教師が事務の女性と夏休みの間に駆け落ちをしてしまって英語の授業が突然なくなってしまったのである。

 その教師はカリキュラムなど無視して英会話中心の授業をしてくれるとてもいい先生だったので2学期もまたその英語の授業を受けられると思うと嬉しかった。ところが9月になって学校に来てみたら英語の授業はなくなっていた。英語の時間は自習時間に充てられた。どのクラスにも噂を聞きつける情報通はいるもので僕らのクラスにもWという耳ざとい奴がいた。Wはある日「みんな聞いてくれぇ。実は英語のあの〇〇先生がさ・・・」と、その真相を聞かされたのだった。「お~、やるじゃないか」という声が教室に響いたのは云うまでもない。Wの話に依れば当初、校長さえ状況が分からず右往左往したのだという。
 ようやくその理由が分かって学校側も対応を図ろうとしたのだろうが代わりの教員がその後いつまで経っても見つからないという異常な状態は続いた。結局のところ高校2年に進級するまで英語の授業がまともに受けられる事はなかった。英語の授業が何で古文に取って代わったのか僕達は理解できなかった。他にも英語の教員はいたのだから調整すれば良いと思ったものだがそうはならなかった。理由は今もって分からないままだ。

 僕らは不幸だった。本当に本当に不幸だった。自習で英語が学べないのは誰もが理解できると思う。そしてこのブランクはとてつもなく大きかった。今では到底信じられない事態だろうが何十年も前にはたとえ都立高校であってもそんな事が起こり得たのである。その所為で僕はもう一度やり直そうと思った英語が決定的に嫌になってしまった。ええ、人の所為にしようとは思いません。環境の所為にしようとも思いません。結局教育であれ人であれすべて縁なのだと思います。僕と英語は結局その縁がなかったのです。

 ・・・妻に会うまでは。

 そんなこんなで大人になって晴れて社会人になった時、しゃべれもしないし面白くもない文法中心の英語などもうしなくて済むと思うと心が晴れ晴れとしたものです。僕はその時不埒にも英語は今後は必要なくなると予想したのですが結局のところそうはならなかったのですね。兎にも角にもそんな涙がチョチョギレルヨウナ素晴らしい英才教育を受けてしまった僕にまともな英会話など出来る筈もないのですが、当時の日本の詰め込み教育はそんな僕でさえ今どんな事が話されているかが概略分かる程度の教育レベルにはあったのだと今更ながら再評価しております。文科省万歳(笑)。

<おしまい>

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 異国で言葉が話せない事によって孤独を感じる人とそうでない人はどの様に違うのだろうと考えてみたけれど結局のところ気の持ちようなのだという結論に達した。言葉が旨く話せなくとも身振り手振りと、短いセンテンスや単語を並べただけでも相手には何とか伝わるものだ。結局のところ相手に伝えようという意志があるかないかだと思う。もともと僕はあまり社交的な方ではないけれど引っ込み思案でもない。相手が誰であろうと臆した事もない。だから間違っていようがいまいが話し掛けられればそれに応えようと思うし黙っている事はない。だから相手も気を遣って出来るだけ易しい言葉で僕に話し掛けてくれるのだった。まあ、分からない為に間違って解釈して恥をかく事もあるけれど、それを恥と思わず、「失敗から一つ学べた」と思う事にしている僕なので臆する事もないのだろう。

 そんな英語音痴な僕だけれど、どうも僕は欧米人からして日本人には見えないらしい。その上、日本人でさえも外国で極東アジア系の人を見掛ければそれが日本人であるのかそうでないのか不思議と見分けられるものなのに僕に対してはそれがまったく当て嵌まらないのだ。つまり僕は日本人に日本人と認められない希有な日本人なのである。(T◯T)
 現在の英国では日本人観光客はさほど多くなくて今は中国人観光客全盛なのだけれど、それでもストラトフォード・アポン・エイボン(Stratford-upon-Avon:シェイクスピアの生家や邸宅がある事で有名なイングランド中部の街)で出会った日本人グループは、英国人を伴って歩いている妻に話し掛けてくる事はあっても、けして僕に話し掛けて来る事も近づいて来る事もなかった(笑)。その上、観光地を練り歩くいかにもお登りさん的生粋の英国人からさえも英語で往々にして道を尋ねられる始末であった。その度にニヤッと笑って

 ‘I'm japanese.’

 と答えると相手は必ず驚いた顔をする。それが面白くって、観光ガイドブックなど見ずに歩いてさも地元の人間であるかの様に振る舞うと結構楽しめる。しかし異国にいてもすぐ地元に馴染んでしまうというか溶け込んでしまってネイティブだと思われてしまう僕っていったい何者だろう。とにかく、かつて語学学校の教師であったDavidやCrisは香港やインドやシンガポールなどアジア各国で英語の教師をした経験があるのだけれど、その二人からしても僕は絶対にアジア系の顔じゃない!・・・らしい(笑)。

 そういえばDavidと初めてあった25年前の新婚旅行で、妻を介して「ロシアとアイヌの血を引いたクオーターだ」と冗談で云ったら本気にされてしまった僕であった。まあ、妻と結婚する前の付き合い始めた頃にもその冗談を云ったらしっかり彼女がその話を信じてしまったくらいだから外国人なら尚更だろう。そんな訳だから今回ヒースロー空港で再会を果たしたDavidが髭を生やした僕を見つけられずにCrisから云われて初めて僕だと分かって驚いたのも当然と云えば当然であった。遠くから見た僕はまるで思索に耽(ふけ)る古代ギリシャの哲学者の様だったと云ったDavidは右手で力強く握手をして、もう一方の左手で僕の肩を何度も叩いてさも楽しそうに笑っていた。

 う~ん日本でも東京に出ると外国人から往々にして道を尋ねられた経験を持つ僕ではあるけれど世界中の何処に行っても日本人には見られない事をあらためて思い知った次第である。実は六年前に亡くなった父も日本人らしくない顔つきであった。そんな父と共通するのは虹彩の色がかなり薄いブラウンである事と目鼻立ちがはっきりしている事。特に大きな目は特徴的なのだそうだ。日本人に見られないのはもしかしたら必然なのかも知れない。いやはや遺伝とは恐ろしい(爆)

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<トラベルロッジ:イギリス各所にある安価で泊まれるUSAでいうモーテルの様な宿。ペットボトルは成田空港出発ラウンジで妻が買った日本からの持込品> 

 とにかく英国の夏は涼しい。朝は20℃を確実に切っているし、日中の最高温度は暑いという日でも今回の英国旅行では最高24℃だった。雨の日や曇天の日は夏でも肌寒くて薄手のスウェータァが必要な程だから推して知るべし。だから早朝散歩は実に気持ちのいいものである。日本のあの蒸し暑さから解放された僕は眠い目を擦っている妻を起こして二人して早朝散歩と洒落込んだ。湿った空気だったが気温が低い所為だろう、思ったより不快になる事もなく気持ちの良い朝を迎える事が出来た。とは云っても曇天の一日の始まりであった。

 英国最初の夜はF1やモーターサイクルのイギリスGPも度々開催されるあのシルバーストーン・サーキット(Silverstone Circuit)の先のトラベル・ロッジ(Travel Lodge)に泊まった。場所は国道A43沿いのトゥチェスター(Towcester)手前にある。ここはB&Bではないので朝食も夕食も出ず、大多数の宿泊客は隣のレストランに行くのだった。僕達は前日の夕食はオックスフォードで摂ったし、朝食はここではとらないと前夜に聞いていたので朝食までの間にお腹が空いたらと思い、隣のガソリンスタンド(英国ではペトロル・スティション)に併設されているお店でチーズやビスケットやミネラルウォーター(発泡性:Sparklingと非発砲性:stillの二種類があるので注意)のstillを買い求めた。その後暫くまわりを散策したのち宿に戻った。まあそうはいってもA国道は自動車専用道路なので道路の脇に歩道がある訳もなく敷地内と隣接するレストラン内の売店などを見て廻っただけだ。

 それにしても英国の交差点には日本にない面白いシステムがある。

 ラウンドアバウト(Roundabout)がそれで、簡単に云ってしまえば信号のないロータリーの一方通行交差点である。このラウンドアバウトの仕組みはどうかといえば以下の様になる。どの方向から来た車も必ず時計回りでラウンドアバウトに進入し(先にロータリーに入っている車優先)直進だろうが右折だろうが左折だろうがロータリーの中は皆同じ方向に廻って目的の方向に曲がっていく。直進や左折であれば初めから外側をまわり、右折車は一旦内側に入って目的の方向近くになったら外側に出て曲がって行くのである。どちらに行っていいのか分からない車は一旦内側に入って時計回りに一周以上してラウンドアバウト内の案内標識で向かうべき方向を見定めてからその手前で外側に出て目的の方向に曲がっていく。つまりラウンドアバウト手前から見て、右折する車であろうが、直進車であろうが、左折車であろうが、すべてラウンドアバウトに一端に入ってしまえば時計廻りで旋回し、最後は必ず左折しなければ目的の方向に行けないのである。ラウンドアバウトは何も大きな十字路だけに設置されている訳ではない。三叉路だろうが六叉路だろうが信号待ちする事無くこのシステムで直進若しくは方向変換してしまえるのだ。多叉路と十字路のラウンドアバウトとの違いは多叉路の場合スムースな移動と安全を図る為にサークルのスケールが十字路の場合より多少大きい事だろうか。

 とにかく冒頭の写真のペトロルスティションの先にちらりと見えるのがそれなのだがこのアングルでは分からないだろうなぁ。でも右側の標識をよく見て欲しい。ラウンドアバウトの標示が見えるでしょう。そして行き先も書いてある。自動車の歴史が古いだけ経験も積んでいてなかなか親切で便利なのが英国の交通システムと標識なのだ。因みにその左にあるペトロルの看板に書いてあるM&Sとは日本でも多少名の通ったMarks & Spencerの略。僕が買ったミネラルウォーターやビスケットはここで買い求めたもの。とにかくこのラウンドアバウトは(島国の英国だけでなくヨーロッパ大陸でもロータリ広場はやはりこの方式なのだけれど)慣れれば信号がない分だけ素早く通過できるし合理的な交通システムだと思う。実際には事故も信号のある交差点より少ないらしい。でも英国では日本より走る車のスピードが早いのでとっさの判断が出来ない日本人(「おっとりした日本人」と言い換えた方が無難かな)は気を付けた方がいい。

 僕は入国3日目の朝にプレストン(Preston)のヨーロッパカーの営業所で国際免許と日本国内の自動車免許証を提示してレンタカーの運転許可と保険を受付けて貰った。そしてそこから促されるままにいきなり湖水地方に向かって運転し始めた僕だけれど、最初に通ったラウンドアバウトをスムースに右折通過したのを見てナビ役のCrisは笑顔で‘Good job.’と云ってくれた。もちろん日本でも僕のドライビングはいつも‘Good job.’だ。

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<分かるかな前回のBanbury crossの馬に乗った銅像の美女が左端に見えます。交差点手前の道路のジグザグ表示は「この先に横断歩道あり」という英国の道路標識です。覚えておいて損はないでしょう>

 トラベルロッジを出て小一時間で着いたのがバンブリー(Banbury)。ここで摂った朝食のサンドイッチとミルクティーは格別だった。サンドイッチは日本のコンビニやパン屋さんなどで売っている様なパッケージされた出来合いではない。ガラスケースのショーウインドウ越しに具材が所狭しと並んでいる。スライスされたローストビーフ、ハム(ビーフ、ポークの区別あり)、ベーコン、ソーセージ、パテ、チキンポテトサラダ。スクランブルエッグ等々、そして付け合わせの野菜サラダすら事細かに選べる。

 トマトが嫌いだったり、きゅうりが嫌いだったり、アトピーで食べられない人だって中にはいるよね。あと英国は多民族国家だから宗教上の理由で食べられないものってあるよね。そういうのに事細かに対応しているんだと思う。そうして客が直接選んだ後、お店の人がパンを切って挟んだり載せたりしてサラダと共にディッシュに盛られて、スープ、ミルクティーなどと一緒にテーブルに並ぶのである。もちろんパンだって色々選べる。さすがサンドイッチの本場である。具材の豊富さはどれを選んで良いか分からないほどである。選ぶのが楽しい。そしてどれもこれも実に美味しい。

 しかし、英国に来て意外と美味しい英国伝統料理やイングリッシュブレックファーストよりも、まず日本人が驚くのが英国人のその食欲である。その所為だと思うが英国人のほぼ五人に一人、はたまた八人に一人が超肥満体型である。とにかく肥満の度合いが日本人とは格段に違う。それはそうだろう何しろ一度に食べる量が生半可ではない。朝昼晩の三食はおろか、おやつとして食べる<フィッシュ&チップス>などとても軽食とはいえないし一食1000kcalは軽く超えているとてつもないシロモノだ。それを小さい頃からバカスカ食べていればそうなるのは必然というもの。日本人にはああいう体型の人は滅多に見掛けられないのも当然だ。もちろんこの旅行直前の定期検査で糖尿病が再発した僕は、一度も食べなかったし食べる気もしなかった。まあそうでなくても少食に慣れてしまった今の僕の胃袋はとてもあの量を受け付ける事は出来そうにない。

 ところで朝食が美味しいと云ったけれど英国のパンといえばブラウンブレッドが主流である。それを極細に切って間にチーズやハムを挟んだり、バターやジャムを塗って食べるのだがこれがとてもいける味である。たぶん単体で食べたらボソボソパサパサで美味しいとは感じないのだろうけれどイングリッシュブレックファーストにこれは欠かせない。英国に行ったら、たとえ宿泊先がホテルであったとしても、朝食はアメリカンなどのバイキングに頼るのではなくまずはこれを食べて欲しいものだ。気に入る事請け合いである。

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<Banburyの路地。向こうからティーンエイジャーとおぼしきお姉ちゃんがやって来た> 

 それにしてもどうして英国の街や農村は日本人の心にああも安らぎと謂おうか、安心感を与えてくれるのだろう。それがたとえロンドンの中心街シティであっても、観光客など滅多に訪れない田舎町だったとしてもそうなのである。

 どうも気質も日本人と英国人とは似通っている部分があるのではないかと思える。イタリア人の陽気さには程遠く、アメリカ人の快活さもなく、フランス人の気取りもなく、ドイツ人の面白みのない謹厳実直さもない英国人。一見冷ややかだが話し合ってみると実に親しみやすく心安らぐ人々。それでいて少し斜に構えて皮肉屋の側面もあるというのが僕の持つ英国人気質なのだがそれは何も僕だけの見方ではないだろう。そんな英国人に日本人が親しみを覚える様に欧米人の中で日本人に対して特に親しみを覚えるのはたぶん英国人だけだろう。先の大戦で敵味方に別れはしたけれどアメリカ合衆国ほど日本人に対する警戒感もないし蔑視や敵視も少ない。それは明治維新以来のつきあいでかつては正式な同盟国だった事からも分かる。

 第二次大戦ではアメリカ合衆国在住の日系人はすべて強制収容所に入れられたのにドイツやイタリア系の人々は自由を奪われる事はなかった。この国家がとった偏見と差別に満ちた極めて誤った判断に基づくものだった。それがアメリカ合衆国という国家の本質である。僕は思うのだがいくらオバマが日本が最大の友好国だと云っても実体は第二次大戦当時から今にいたるも少しも変わらないだろう。差別と蔑視とは根深い劣等感情だ。それが第二次大戦以来アメリカ合衆国というおごり高ぶった集合体国家が国策的に繰り返し繰り返し行ってきたプロパガンダの結果だとしたら、何かあればまたそれが再現されるだろうという僕の憶測はあながち間違いではないだろう。アメリカの同時多発テロ以降イスラム系の人々に向けられたアメリカ国民の目はまさしくその時と同質のものだ。異質な者に対する嫌悪感と恐怖感。当時、高名なジャーナリストですらそうであった事を思うとアメリカ人とは何とも単純で無知な国民だと思うが、日本人にとってそれを笑っては見過ごせない現実が過去にも現在にもそして未来にも存在するのである。そこからどうしても暗澹たる日米関係の将来が垣間見えて来る気がしてならない。歴史は繰り返されるのである。

 それに比べて英国はどうであろうか。英国の軍港で名高いポーツマスの海軍士官学校にはかつてネルソン提督の銅像と共に日本の東郷元帥の銅像があったと中学生の頃に授業の中で聞いた記憶がある。それはちょうど日英同盟の頃の話だ。実際に調べた訳ではないので本当にポーツマスに士官学校があったのかどうかも分からないけれどかつて英海軍士官学校の庭に東郷平八郎の銅像があったのは事実らしい。

 アメリカ合衆国よりも遙か前に世界の覇権を握った大英帝国時代の英国はグローバル国家であった訳で同時に多民族国家でもあったのだ。植民地であからさまな差別政策をとればボーア戦争の様な痛い目に遭う事を英国人は身を以て知っていた。有無を言わさぬ圧倒的な兵力とその物量で敵国を蹴散らしてきたアメリカ合衆国にはそれが分からない。泥沼のベトナム戦争を経ても何一つそこから学ばなかったと指摘されても彼らには返す言葉がないが、忠告してもたぶん馬の耳に念仏である。幾ら経験を積んでもその経験が次に生きない国家と人民なのである。だから未だ世界のあちらこちらで勝ち目のない戦争や紛争を抱えて四苦八苦しているのだ。

 それはそうだろう。アメリカ合衆国は自国の利益しか考えない国家であり、行く先々で合衆国の価値観を相手国に押しつけているのである。誇り高い民族や国家であればあるほど、それに強く反発するのは謂わば当たり前なのである。今のままではアメリカは必ず中東を含むイスラム社会の紛争で失敗する。軍事介入で物事が丸く収まったという事実は歴史の何処にも存在しない。人は力ではけしてねじ伏せられはしないのだ。

 比べて英国は明らかに大人で成熟した国家だ。だから、たとえ後進国(今は「発展途上国」というらしい)であってもそれが素晴らしいものであれば率直に受け入れるのである。東郷平八郎の銅像がかつて英国の士官学校の庭に立っていたという事実はそれを如実に物語っている気がする。日本海海戦における日本の勝利は完璧であった。これは史上例がない程の完全なる勝利だ。あれ程劣勢に立たされ、当時の国際世論では到底日本に勝ち目はないだろうというのが大方の見方であったのに、それを覆すどころか完璧な勝利を収めた海戦はかつて世界のどの海戦史上にもなかった快挙だ。それもかのバルチック艦隊を相手にである。世界三大海戦の中で自国の艦艇が殆ど無傷でありながら、敵国の艦艇の殆どを撃沈または撃破もしくは戦闘不能にして完璧な勝利を収めたのは日本海海戦のみである。しかもその時の日本艦隊の旗艦であった戦艦三笠は英国で建造されたヴィッカースの最新鋭艦であった。

 フランスとスペインの連合艦隊を完膚無きまでに打ち破ったネルソン提督でさえ、その名を知らしめたトラファルガー沖海戦に勝利したものの物的人的損害はけして少なくなかったし、第一にネルソン提督自身がこの海戦でフランスの狙撃兵によって命を奪われているのだ。これは完璧な勝利とは云いがたいものだ。だから後進国とみられていた日本の将軍の銅像を英国海軍は歴史に残る偉大な軍人として尊敬し、自国の士官学校の庭にその銅像を建てたのだ。モンロー主義をかなぐり捨て、私利私欲を優先させたアメリカ合衆国とその国民にそんな度量は初めからない。英国は伝統に培われたジェントルな国である。本当にジェントルかどうかは時と場合に寄りけりだけれど(笑)。一方のアメリカ合衆国は歴史も浅く野卑で貪欲な国であったといえよう。鎖国政策をとっていた幕末の日本にペリー提督が強圧的態度で開国を迫った事でもそれは分かる。そして合衆国は今までに度々同じ手段を用いて恫喝外交を繰り返して来たのだ。僕ははっきり云うけれどアメリカ合衆国は正義の国ではない。自国の利益だけを貪欲に求める国家なのだ。それだからこそわたしは英国好きでアメリカという国家は好きになれないのだ。

 でもね、Davidに云われてしまった。僕の英語はとてもアメリカンなのだそうだ。

 'I can~' と云う時、アメリカ人は「アイ・キャン」と云うけれど英国人は「アイ・カン」である。アメリカ人は英国人のイングリッシュを気取っていると感じるそうだが一方の英国人の気持ちは複雑だ。今や世界の英語はインターネットと相まってアメリカンイングリッシュに席巻されてしまっているが、英語は元々英国のものという自負がある。それにヨーロッパでは未だ英国イングリッシュが主流を占めるのである。最近は経済の好調さを取り戻しつつある英国がかつての自信をも取り戻しつつある。先の暴動などで相変わらず国内に問題を抱えている事は露呈してしまったけれど、アメリカほど社会が腐敗しているとは思えない。日本人はアメリカなどより英国や英国人にもっと関心を持つべきではなかろうか。

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 何はともあれそんな英国の自然と田園風景は美しい。けして手つかずの自然ではない。ナショナルトラスト発祥の地である湖水地方(Lake District)でさえ完全な自然ではない。よく見れば明らかに植林された森がそこかしこに存在するのである。そうした事実があるにも拘わらず何故世界中から湖水地方を訪れた観光客がこの地方の自然にここまで癒やされるのだろうか。そしてコッツウォルズなどの田舎町やその田園風景に心身とも癒やされるのだろうか。その理由は英国の歴史そのものにあるのではないかと思える。

 バンブリー(Banbury)から英国第二の都市マンチェスター(Manchester)より更に北西部の地方都市プレストン(Preston)の街に夜遅く着いた僕達は、英国を代表する自然を満喫する為に明日湖水地方(Lake District)を訪れる事になる。

 まずはその前にバンブリー(Banbury)とその後に向かったストラトフォード・アポン・エイボン(Stratford-upon-Avon)の話をしなければならないだろう。ストラトフォード・アポン・エイボンはシェークスピアの生誕の地であり今でもナショナルトラストによって関係する多くの建物が保存されているだけでなく一般に公開されている。

 次回は、二日目の朝、バンブリーの朝食シーンの直後からこの物語は再開されるだろう。どうか心待ちにして欲しい。けして拙ブログを訪問した時間を無駄にさせない事をお誓い申し上げる。僕の素直な英国の印象を語ってみたい。そしてそれはけして皆の期待を裏切らない事を約束しよう。

 くれぐれも申し上げますがこれは小説です。けして紀行文ではない事をあらためて申し述べたい。会話シーンが余りに少ないからといってそれが小説でないとは云えないと思う・・・などと、相も変わらず我田引水的な解釈をするU3であった。

See you again.

 タイトルが何故<The land of promise>つまり「約束の地」なのか最後まで読まないとけして分からないでしょうね。そしてこの小説がいつ終わるのかさえ実は作者のわたしでさえ分からないのが実情です。でもこんな小説があってもいいかなと思っております。


 

<番外編>

 野田佳彦が総理大臣になった。実はわたしは野田総理のお膝元である千葉県船橋市在住である。先の選挙で野田氏に投票した一人だが、そのわたしでさえ彼が総理大臣になった事に一瞬目と耳を疑った程だったからさぞかし皆も驚いた事だろう。それとも度重なる政権交代に冷めた気持ちでただ眺めていただけだろうか。わたしが思うに、顔つきは別として(笑)彼ほど人柄が良い国会議員はいないだろう。だからこそ党内融和を実現できる可能性もある意味高いのだと推測できる。野党は批判的だが政権内がゴタゴタしては良い仕事など出来るはずもない。だから鳩山、菅と続いた無能政権より遙かにましな政権がようやく出来たと云えなくもない。しかし、その手腕は未知数でありマニフェストの見直しや増税路線を目指すと明言している事に些かの危惧を覚える。何故なら先の総選挙でわたしは野田氏と民主党に一票を投じたが、それはマニフェストを見てそれを実現して欲しいからこそ投票したのだ。それを安易に反故にするならば実績如何にかかわらず次の選挙で野田氏も民主党も手痛い目に遭う事は必定である。まずはお手並みを拝見する事にしよう。野党やマスコミには外国人による献金問題で総理の足など引っ張らないで欲しいと思ったら、任命した大臣があの失言で早くも辞任とはいやはや・・・。


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Live

まぁ、郷に入っては郷に従えの暮らしがいいですよ。
外国人の方って概ねどこへ行ってもなんとか相手の話を聞いて解ろうとしてますよね。
by Live (2011-09-11 02:12) 

nano

米英の違いは戸惑いも多いですね~ヾ(´▽`;)ゝ
by nano (2011-09-11 06:14) 

ソニックマイヅル

おはようございます。素晴らしい風景ですね。一度はヨーロッパに行きたいです。^^;
by ソニックマイヅル (2011-09-11 06:27) 

ベアトラック

私も、アメリカ出張中には、アメリカ人観光客からよく道を尋ねられます。
どこから見ても、普通の東洋人に見えると思うのですが・・・
by ベアトラック (2011-09-11 07:29) 

otemoyan

U3さん、おはようございます。
アタシも朝早い派ですよー(*^_^*)

英語教育の背景に色々、というより波乱万丈な英語人生だったんですね。
東北なまりの英語、カリフォルニアかぶれ?の英語、
駆け落ち教師などなど・・・
英語嫌いになるのも分かります。。。

でもいまの奥様に会えて良かったですね(^^)/~~~
イギリスの写真はどこをとっても風景になりますね。
あっ、U3さんの写真の腕が良い?!
by otemoyan (2011-09-11 07:43) 

starwars

イギリスの写真、すてきですね。
いかにもヨーロッパの古い伝統が残っていますね。
by starwars (2011-09-11 08:31) 

いっぷく

路地から撮った写真、どこにでもあるような風景ですが
とてもイギリスらしいです。
女性の服装、石畳、レンガの建物、鉄製の階段や塀。
意外に自分はこういう写真を撮っていないのに気がつきました。
by いっぷく (2011-09-11 08:53) 

くまら

我が家の近所に有るロータリー、
よく判らん人は、右折する際
反時計回りしている光景目にします。
ただ・・ロータリーっているのだろうか??
by くまら (2011-09-11 08:57) 

旅爺さん

爺は今でも朝5時には散歩で家を出ます。爺はcrazyですね。笑
爺は英語0でもな~~んとなく生きてます。
by 旅爺さん (2011-09-11 09:47) 

なかちゃん

英国、まだ行ったことはないけれど、いい感じの国みたいですね ^^
何でもかんでも好き嫌いだけで判断する米国人と違い、知性も理性も
持ち合わせていそうです。
ラウンドアバウトは、とてもよろしいシステムみたいに思えます。
アホみたいに信号機ばかり設置し過ぎの日本、どこででも右折して、
交通の流れを簡単に遮断してしまう日本の交通システムは見習うべき
ですね。
ボクは『右折信号のある交差点以外での右折禁止』を呼びかけたいと
思っているくらいなので (^^;
でも、ホントに直進×右折の自動車事故って多いんですよ。

by なかちゃん (2011-09-11 09:53) 

絵かきさん

私も英会話は駄目ですが、孫のいきました
外人学校の、先生と手先で・心通じると
思いました。

by 絵かきさん (2011-09-11 10:01) 

みうさぎ

英語もなまりあるて聞いたことあるけど
東北なまりは~かわいいねっ
単語英語~心が通じるもんですねっ
海外は 文化人間も風習も違うから~
ストレスにならなければいいけど
U3 さまは 大丈夫みたいですねっ(^_-)-☆


by みうさぎ (2011-09-11 10:08) 

こはく

私の受けた英語教育はましな方だったのでしょうか(笑)
by こはく (2011-09-11 10:10) 

アールグレイ

英国の夏は過ごしやすそうですね^^
建物も田園風景も美しく、絵になりますね。
野田政権、期待したいです。
by アールグレイ (2011-09-11 10:21) 

こうちゃん

僕が英国に行ったときは
40℃ぐらいの猛暑の夏でしたよ。
by こうちゃん (2011-09-11 11:21) 

U3

☆こうちゃんへ
 それはめずらしい年に巡り会いましたね。通年の夏はロンドン以外は30℃を超える事は希です。温暖化が進んでいる事は確かですが。
by U3 (2011-09-11 11:25) 

kuwachan

おはようございます。
英国の田園風景もホント素晴らしいですね。
長閑な感じがします。
by kuwachan (2011-09-11 11:48) 

K

おじゃまします

久方ぶりの長文、読み応えがありました。

中学校の英語の授業、いろいろあって大変でしたね。それでものりきれるんですから、大したものだなあ、と思ってしまいますが^^。


野田さんの総理就任には驚きましたが、あっという間に閣僚が辞任したのにも驚きました^^;。これからですから頑張って欲しいですね。

by K (2011-09-11 12:05) 

枝動

英語は授業の失敗じゃないでしょうかね。
私の場合、最初のテストで満点を取ったものだから、タカをくくって以来無残。
とにかく単語を覚えて、英会話はしなかった。
イギリスには憧れがあります。今の文明をもたらした元のようで。
バブルの頃は、イギリスブランドで固めていました。(笑い)
by 枝動 (2011-09-11 12:28) 

mamii

路地の風景、どことなく英国の感じがします。
by mamii (2011-09-11 14:42) 

テリー

ラウンドアバウトは、イギリス、フランス、シンガポールなどで、経験しましたが、内側が優先か、外側が優先か、国によって、違うので、気をつけないといけませんね。わからないときは、結局、道を譲りますがーー。
by テリー (2011-09-11 15:41) 

U3

実は写真1400枚くらい撮ったんですよ。全部載せる事は出来ないし・・・困った。
by U3 (2011-09-11 17:02) 

大将

英語はいまだに苦手
大将位の年齢の方には多いのでしょうが
やはり中学校での先生の英語のレベルは大事なんだなぁ
とつくづく思いますヨォ
実際、外国に行って通じない英語を一生懸命話す学校の先生って
冗談話ではないようですからねぇ
by 大将 (2011-09-11 17:47) 

とりのさとZ

英会話と米会話は違うんですから、とまどうのは当たり前です。私も米会話は嫌いで出来ませんでした。

by とりのさとZ (2011-09-11 18:11) 

あら!みてたのね

こんばんは。
文法をせっせと勉強して、ヒアリングが全く駄目。。。
まあ何とか単語を並べて、理解しようとして貰えるかな・・・って程度(笑)
by あら!みてたのね (2011-09-11 18:21) 

たいへー

朝からぼそぼそのパンかぁ・・・
汁モノが欠かせない私としては、かなりきついなぁ。^^;

by たいへー (2011-09-11 18:50) 

U3

☆たいへーさん心配ご無用。
スープもミルクティーもジュースもございます。

by U3 (2011-09-11 19:20) 

侘び助

英語は兎も角、日本語を上手くしゃべれない政治家も・・・
もう思慮深い人格者の居ない手薄な国会なのかな~
by 侘び助 (2011-09-11 19:28) 

Silvermac

地球上どこでも人間だらけですね。
by Silvermac (2011-09-11 19:43) 

MURAMASA-X6

ご訪問くださいましてありがとうございました。

長文でしたが引き込まれて一気に読んでしまいました。
アメリカのことについて触れられている下りが特に共感できます。

そして最後の写真がとても綺麗です!
by MURAMASA-X6 (2011-09-11 21:44) 

gardenwalker

こんばんは
私も学校の先生のせいにしたくありませんが
会社に入るまで英語は避けて来ました
でも、度胸一つで何とかなると思います。
by gardenwalker (2011-09-11 22:26) 

chunta

「筆記体なんて おばあちゃん達しか書かない」
本場の人の言葉に 愕然としたワタシです
小猿たちは読み書き出来るけど 学校では教わらないんですよ
by chunta (2011-09-12 00:01) 

吟遊詩人41

青森の中学、高校の英語教師は・・・訛ってますよ♪( ̄▽ ̄)ノ″
アレが普通かと思ってましたが( ̄□ ̄;)!!
by 吟遊詩人41 (2011-09-12 01:22) 

hrd

マレーシア駐在時、英語だけでもちゃんと勉強していれば
と悔やみ日本の島国を恨めしく思いました^^;
by hrd (2011-09-12 08:37) 

ラブ

U3さんは、欧米系風貌で道を聞かれる方のようですが、私は
アジア的風貌で、東アジア一帯で道を聞かれます(;_;)
サルスベリ情報、ありがとうございました。花、音痴で…。
by ラブ (2011-09-12 09:33) 

青い鳥

私の世代でも中学ではアメリカン・イングリッシュでしたね。
U3様の英国人観と米国人観、とても参考になりました。
絵はがきにしたくなるような素敵な風景の写真も堪能させて頂きました。
by 青い鳥 (2011-09-12 13:00) 

ため息の午後

ご訪問、niceありがとうございました(笑)。
by ため息の午後 (2011-09-12 19:14) 

tomomame

波乱万丈の英語歴だったんですね…^^;
私は学生時代、英国留学歴のあるクイーンズイングリッシュを話す先生と、
NYで商社・政府機関などキャリアを重ね英仏日同時通訳をこなすバリバリのマンハッタン英語を駆使するキャリアウーマンの先生、それにオーストラリア人の先生に英語を教わりました。
どの先生からもいい影響を受けることができました。
ただ、どちらのお国も(日本同様)光と影があります。
私は英国に対して残念に感じるのは階級制度の弊害ですね…。
努力する気持ちを育めない社会になってしまっています。
by tomomame (2011-09-12 21:24) 

袋田の住職

うちのブログ小説はなかなか先に進みません・・・
しばらくは安達太良登山記です。
by 袋田の住職 (2011-09-12 21:45) 

nomu

英語が理解できるといいなぁ・・・と思います。
新婚旅行で行ったサンフランシスコのカフェ(?)で、お店のスタッフのお姉さんの質問が、全く聞き取れませんでした。
とりあえず、食事にはありつけましたが・・・

by nomu (2011-09-12 22:31) 

david

david 僕のブログネームと同じだ。拝見していると英国にいるような
感じがしますね。
by david (2011-09-13 07:59) 

ひろたん

素敵な写真ですよね!
by ひろたん (2011-09-13 22:46) 

ひろたん

いい感じの写真ですよね
行ってみたいわ・・・
by ひろたん (2011-09-13 22:47) 

ケンケン

先生がいなくて、英語の授業がない日々が続くとは、今では考えられないですね。
自分の場合、高校の英語はからっきしダメでした。
とにかく、当てられて答えられないと、山のように宿題を出す先生でしたので...。
(;^_^A アセアセ・・・
by ケンケン (2011-09-13 23:13) 

そら

路地の写真とても素敵な雰囲気ですね。
サンドウィッチに関しては、イギリスは最高ですよね!!
英語の訛りは全く理解出来ません;そもそも英語が全くです^^;
by そら (2011-09-14 00:00) 

david

私事ですが今日はブログにマナーハウスのことを書いたので貴殿の写真を見ていてやっぱり本物はちょっと違うなって感じました。
by david (2011-09-19 09:13) 

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