SSブログ

〜2022年1月30日と31日の虚実〜 [連載小説]

み〜つけた3.jpg

<2023/09/21 この画像は、『GoogleEarth』より引用しました>
啓発:記事から居場所は容易に判明する。一度ネットに上げれば削除してもLOGは残る。だから安易に記事や写真などブログに載せてはいけないのだ。犯罪に遭わないためにも皆様くれぐれも注意召されよ。

 

 * 文末に新型コロナワクチンの接種に言及した追記があります。是非ともお読みください。


<Preliminary announcement>

前回の記事で書いた通り、本気で暫く休むつもりの私である。

だから言いたいことを書こうと思って、前回最後の長文記事を公開した。

だが様々な制約があって、フラストレーションが少なからず残ってしまった。

なぜなら、ここに限らずどのブログであろうが、1記事に載せられる量には制約があるからだ。

しかも、その制約の最大限度まで書けば、現実には殆どのブロガーは記事をスルーする。

活字離れの傾向が強い、昨今(あるいは今時)の老若男女&ジェンダーフリーな方々も含めて、

拙ブログを訪れたブロガーの大半が、全文に目を通すことは殆どないであろう。

大半が記事の冒頭だけ見て、その後はスルーして最後に<nice!>を押すだけ。ポチッとな!

しかしそれではまったく意味がない。読んで貰えなければそもそも真実に辿り着けないからだ。

否、過半のブロガーは事の真相も事実も真実も、知りたくなどないのが本音だろう。

人はブログに、多種多様な思いや関心を乗せて見に来るが、その大半は楽しさを求めている。

何かを読みたいという欲求を満たすために、わざわざブログを訪れる奇特な人などまずいないのだ。

現実にも、写真や絵画といったビジュアル(視覚系)を重視したブログがメインだし、

キャラクター(文字)中心の、読むブログは極めてマイノリティーだ。それに・・・、

私だって何か読みたきゃ本屋か図書館に行く。ブログでわざわざ長文を見たいとは思わない。

それに今ではポッドキャストやKindleのような電子書籍だって幾らでもある。

現実を見れば、大半のブロガーは私が事実をありのままに、かつ詳細に記述すればするほど、

現実から目を背ける傾向にあるように思われる。そもそも全く無関心だからそうなるのだろう。

また、それらとは真逆に過剰に反応する者さえいる。記述にないドロドロした人間関係を、

書いた文章の行間から自身で補完・補足して見るといった拡大解釈や先入観でみたり、

時に誰かに忖度して事実を曲解するほど、バイアスが掛かってしまう人までいるのだ。

それからすれば、人は(感情の動物ゆえに)見たものを見たままに受け取れない生きものなのだ。

現実の話に内包される事実、あるいは真実を反映した生々しい話であれば尚更その傾向は強い。

今までの経緯を見てもそれは明らかだろう。

私は思う。人々が、事実や真実を知ることは。往々にして怒りや絶望や悲しみを生む。

娯楽を求めて来たのに、そこで予期せぬ現実など突きつけられたら、誰しもそう思うだろう。

それが読む者にとって唐突であればあるほど、戸惑いや時に不快感を抱かざるを得ない。

それに事実なら何でも書いて良い訳ではない。・・・真実となれば尚更だろう。

糅てて加えて、個人情報注)に繋がる恐れのある記述をすれば、倫理的にも法的にも問題が生じる。

注)ブログの<ハンドルネーム>(たとえば『U3』)は個人情報には含まれない。

それにどう書こうが、ここではその全容もその言わんとすることも、伝え切れはしないのだ。

そもそも人々は、火の粉が自分の身に降り掛かって初めて、己の愚かさを知るのだろう。

それまでは私がどう言おうが、どう書こうが、どう訴えようが心に響くことなどないのだと思う。

そこで私は方針を大きく転換することにし、下記の三点を目指すことに決めた。

 

〇自身の信義則(例えば正義感等)を他者に求めない。(他者に判断や答えを求めない)

〇読者の良識を信じ、尚かつ口出ししない。(善悪及び正義や悪の判断は読者に任せる)

〇読んで面白く、続きを早く見たくなる内容にする。(エンターテインメント性を最重要視する)

 

善悪と正誤の見極めと周知・啓蒙を根幹とする私にとって、これはまさにコペルニクス的転回だ。

そこで、私は己の得意とするもので、それ(真実の探求)を成し遂げようと考えた。

想像力(imagination)と創造性(creativity)の発揮がそれだ。事実がそれを補完する。

娯楽性(entertainment)も本来であれば得意とするところだ。

この数年、シリアスになりすぎていたから本来の私に戻ろうと思う。

それにね、何事も左右に振れすぎてはいけないとも思っている。必ず揺れ戻しが来るから。

だとしたらバランス良く、中庸を目指すしかないだろう。

という事情から、それらを念頭に、私は過去の或る出来事をテーマにした小説を書くことにした。

しかしこれは、現実にあった出来事に基づいてはいるが、あくまでも架空の話。

しかも閲覧対象を『本好きの人』に設定して始めたいと思う。

だが今や本好きは少数派(minority)である。それが証拠に・・・

私は気が向いた時にしか書かないのに、『本』分野でのランキングは書かない時でも17位前後。

それでも書けば瞬く間に1位に浮上する。

<本>あるいは<読書>とは、それほどにマイナーでニッチな分野だ。

だが私はそれでも敢えて書こうと思う。

そう決意した以上、『本好きの人々』の豊富な読書量と見識と眼力とに耐えるものとしたい。

であれば子供だましでは駄目だ。ラノベ風は私には合わぬ。大人が読んでも耐えるものとしたい。

そう思い、良識ある皆様の顔を一人一人思い浮かべながら、今こうしてキーボードを叩いている。


以上は、これから公開予定の実話に基づいた小説のお話である。

しかし、冒頭に<Preliminary announcement>とあるようにこれはあくまで<予告>である。

しかもいつ始まるかは未定だ。なぜなら未だ一行も書いてはいないからだ。

いつから書くのかも現時点では決めていない。なにしろライフワーク優先だから。

更に言うならば、私はここ(●●ブログ)で書くかどうかさえも決めてはいない。

書いても、読んでくれないのでは、ここで書く意味はないからだ。

それに運営会社がアレでは、●●ブログがいつまで続くか分からないしね。

だとしたら公開の場を他に求めることも大いにあり得る話だ。

対象としては本好き、しかも推理サスペンス小説、或いは社会派小説が好きな人を想定している。

実話に基づいた犯罪小説や、ノンフィクション小説好きにも読んで貰いたい。

もちろん私の作風はシリアス一辺倒ではない。元来エンターテインメント性を重視している。

ゆえに読み応えのある、一話一話は短いけれど、息の長い小説にしたいと思っている。

つまり<連載小説>である。

更に言うならば、小説の題名だけは決まっている。


『2022年1月30日と31日の虚実』

  副題:フィクションとノンフィクションの狭間で!

 

しかし冒頭で述べた通り、まずは長い休養に入る予定だ。

その間音信不通になるが、小説の執筆が始まったら、

何れ公開時期とその公表の場を明らかにしようと考えている。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

と、ここまで思いつくまま書いたが、私はとても気まぐれだし、ここに未練がないのも事実だ。

だから上で書いたことをお約束する訳ではない。

むしろ反故にした方がスッキリして気持ちいいかも。

それに元々、『予定は未定にして確定に非ず』だ!

StreetView.jpg

<冒頭の衛星写真をGoogleEarthのストリートビューで見る>

ストリートビューは重宝する。私は遠くの目的地に行く前に、これで周りの風景を事前に頭に入れて出掛ける。そういえば安曇野に単身赴任した時も、立ち寄るところをすべて事前にストリートビューで確認して、それから車に乗り込んだっけ。これってGoogleEarthの有用な、なおかつメジャーな使い方だよね。

<2023/09/22 16:45追記>

コメントでストリートビューが更新される話が出ていたので、私が以前撮影した、ストリートビューを撮影するGoogle Carの写真を載せておきます。なおこの車、珍しくコンパクトカータイプでしたね。ルーフに載ってるのが360°撮影するカメラですが、駐車場で休憩中だったのでカバーが掛けられているところはご愛敬。

Google_Car.jpg

 

それともう一つ掲載するのが、上記GoogleEarth写真の核心部( ̄∇ ̄)

One_Japanese_tutoring_school.jpg


<2023/09/23 12:10追記>

先日から、『新型コロナワクチン』の最終接種が始まりましたね。

私は今まですべての接種を受けているので今回で7回目となります。

しかし今回は10月に入ってから接種を受けようと思っています。

なぜなら10月から始まる『インフルエンザ予防接種』と同時に受けようと思っているからです。

6回目の時も、新コロとインフル同時接種をして、副反応は単独接種より少なかった。

妻は一週間の間をおいて接種したら、今までで一番副反応が重かったし、顕著に出ました。

まあ副反応も後遺症も人に因りますけれど、同時接種は可能なので、今まで特に何もなかった人で

二つとも接種する予定がある人には、同日の同時接種はお勧めです。

因みに私は、新型コロナに罹患して、その後遺症に悩み苦しむくらいなら、

ワクチンを打った方が良いという考えです。

それに新コロ後遺症は、日常生活に支障を来すだけでなく、生活の基盤を無くしかねませんから。

現実にも約2割の人が後遺障害に悩んでいます。(※これはけして無視できない明確な脅威です)

ワクチン接種後亡くなられた方の報道もありますが、例えば癌に罹患して亡くなる確率と、

インフルエンザに罹って死亡する人の値に比べれば、恐れるほどの致死率ではなく、むしろ

無視しても良いくらいだと私は考えています。

 

人間、先のことは何も分からない。

だとしたら分からない事にあれこれ思い悩み怯えるよりも、勇気を出して一歩前に進む方が良い。

答えのないことに悩まない。遣らないことの言い訳はしない。責任転嫁はしない。嘘はつかない。

それが私の考え。

それが私の生き方。

 

ではでは、また会う日までご機嫌よう。


 

nice!(195)  コメント(34) 
共通テーマ:

人々の意表を突くのが私の使命なのかも知れぬ<vol.2> [正論!]

あの日の夕焼け.jpg

今年の1月30日に撮った稲毛海岸の夕陽です。

前記事で、ライスさん宛てに書こうとした返信コメントが、●●ブログサポートのセキュリティシステムに引っ掛かったかも知れません。

どの様な理由かは分かりませんが、たぶんつまらない理由で引っ掛かったんだと思います。勿論私に悪意を抱いている第三者が、記事のURLと私自身の動的IPアドレスをターゲットに攻撃して来たとも考えられますが、今回のソレは違うと思っています。

今回ライスさんのコメントへの返信が何度も弾かれた原因は、●●ブログのサーバー内にあるセキュリティシステムのアルゴリズムに引っ掛かり、それを受けてコンピューターが自動的に弾いたのかもしれません。それとも設定の中の何かが引っ掛かったのか。あるいは・・・、●●ブログ側の担当者の何某かの判断で特定の文言を暫定的に制限したとも考えられます。

セキュリティシステムが作動するアルゴリズムや、●●ブログ側がある事象(たとえばスパムの検出)をエマージェンシーが発生したと判断すれば、その事象そのものを遮断するだろうと私は捉えています。同じ言葉をコピペで多くのブログページに貼り付けようとすると、セキュリティシステムがそれをウイルスが侵入しようとしていると自動的に判断し、途端に送信できなくなるのはその一例です。

たとえば<お山の大将>という文言!が多用されれば、そんなことが起こり得るかもしれません。あるいは、私が設定している【禁止WORD】なのか。

何れにしても私には他にやることが多く、このブログから一刻も早く離れたく思っており、中身を一々精査する時間はないので、改めて記事にした方が早そうです。

 

この先をお読みになりたい方はどうぞ


nice!(185)  コメント(36) 
共通テーマ:

人々の意表を突くのが私の使命なのかも知れぬ! [正論!]

いざ『菖蒲』.jpg

今年の6月に撮った平凡な写真を公開(『後悔』)します。
この1枚は習志野市の香澄緑地公園で撮った菖蒲の花のドアップ写真です。
「ドアップ」ったって、iPhoneで撮ったので限界はこんなもの。

私め実は菖蒲は好きな花の上位に入るんですよ。
菖蒲の中でも原種とも言うべき黄色い花弁の『花菖蒲』は、休耕田の畦道や小さな貯水池などに自生していて、子どもの頃に野山を駆けまわっていた私にはごく身近に在って慣れ親しんだ花といえましょう。雨の日は基本嫌いなのだけれど、梅雨の時期の菖蒲を雨の中で見るのは好き。アヤメやカキツバタやアイリスを見るよりもね。
長じても梅雨の長雨の中で、傘を差して見るこの花と花弁に溜まる水滴とか、その流れる雨滴のシズル感とかが結構好きでした。傘を打つ雨音も心が洗われるというか、ヒーリングミュージックのようでとても心が落ち着き癒やされました。
ところで花菖蒲の花言葉は『純粋』『優しさ』『優雅』『心意気』だそうです。そう言えば、『菖蒲』と『勝負』を掛けて、端午の節句では菖蒲湯に浸かるのが習わしになっていますよね。
という訳で、写真のタイトルは、『いざ、尋常に菖蒲!』、、、ということにして置きます。

 

<予定外(臨時)投稿>

 

〜はじめに〜

2023/09/11 15:17追記)冒頭にお断りしておきます。
記事を公開した後で自身再度見直したところ、記事の作成から公開までがあまりにも拙速であったがために(あはは、まんま言い訳ですよね!)、記事そのものが読みにくく理解しずらいと判断するに至りました。
ゆえに本日記事の内容を大幅に刷新いたしました。
刷新するにあたり、構成の見直しを実施し、文章の書き加えと書き換えといった修正を行いました。修正は十数カ所に及びますが、私の倫理観に基づく基本姿勢として、文意は元よりその内容は一切変えていません。あくまでも読みやすさと理解を促進するための修正であるとご理解願います。更に付け加えて言うならば、修正にあたり削除した重要な項目は一切ないことを、ここに改めて申し述べます。
尚これでしばらく記事の更新はしないとお約束致しますが、立つ鳥跡を濁さずの諺あり、最後に残るこの記事のみは、以後も時折暇を見つけては、皆さまのお目汚しのないように、適宜修正をするやもしれません。その節は「しょうがないヤツだなぁ」と笑ってすませて頂ければ幸いに存じます。

 

いつも通り長文です( ̄∇ ̄)

今回のお題は『人々の意表を突くのが私の使命なのかも知れぬ』だが、それは当分の間休載すると宣言して置きながら、その舌の根も乾かぬうちにというか、朝令暮改な記事更新を試みたことを指してつけた自虐的タイトルだ。

しかしながらタイトル通り、私は人々の予想を上回る男である。

「それがどうした!」と言われればそれまでなのだが、私の記事更新を戦々恐々として覗き見る輩(複数名実在する)を、けして安心・安堵させないのが私の社会的使命だと思っている。

ところで何ですが、<お山の大将>や<塾長先生>や<その取り巻き連中>が、面白おかしく貶したり揶揄するほど、私は「正義バカ」でも「攻撃好き」でも、「だれかれ構わず噛みつく狂犬」でもありません。

むしろ奴らの方がよほど狡猾で、陰湿でそれでいて臆病で、だが実体は稚拙でバカで間抜けである。

ところで公共の場で他人を「バカ」とか「間抜け」呼べば名誉毀損になるらしいが、私は相手を明示していないのでその指摘は当たらない。

なにしろ私のハンドルネームである「U3」でさえ、警察には「個人を特定していないので被害届は受理できない」と言われた過去の経緯がある。

だから私の行為が行き過ぎたと当局に判断された場合のみ、当ブログのサポートから『送信防止措置』を取られるだけで済んでいる。

※ところでこのサポートはトコトン怠慢な部署だ(あくまでも個人的見解です)。そうした措置を取る法的根拠や、規約に反したというその該当項目が何であるのかさえ、示してくれないのが現実だ。

規約違反だというならば、そのどれに該当しているかを具体的示すのが当然であろう。何しろサポートみずからがその権利を認めている、会員に著作権がある記事の公開を差し止めるのである。

その法的根拠さえ示さないで権利を剥奪するのは、果たして合法なのか極めて疑わしいと思っている。

なおこの疑義を問うたが回答はとうとうなかったことを報告しておく。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そのような理不尽とも言える防止措置を受けて、私は(当局に強制削除される前に)、自分の意志で措置の対象となった複数の記事を非公開とした。そうしたのは、当局に削除されれば記事の再公開は永遠に不可能になるからだ。

勿論該当記事そのものや指摘項目を、何ら修正もせずにそのまま再公開すれば即座に削除される。

それ故に基本的な趣旨を変えずに、不適合と指摘された内容(部位)のみ一新すれば、再公開は十分可能だろう。

現実に<奴ら>は動機は不純だが、そうして違法行為や不正あるいは欺瞞行為を疑われる記事を、繰り返し繰り返し公開していたのだから。

結果的に私が、削除対象となっていた幾つかの記事も含めて、自主的かつ率先して非公開としたのは十数記事。であれば、内容も写真も一新してあるいは差し替えて、まったく別のタイムスタンプをつけて再公開することも可能だろう。転んでもただは起きない私である。ふたたび送信防止措置を取られる愚は犯さない。

ところで、このタイムスタンプのみ書き換えて、さも新しい記事を書いたかのように見せ掛ける欺瞞の手口は、かの<塾長先生>とそのお仲間の<真っ白白スケ>のお家芸である。

欺瞞テクニック大好きな<真っ白白スケ>から、その狡猾な手口を教唆された<塾長先生>は、今や記事の改竄はお手のものである。

同じ記事を内容だけチョコッと変えた上で、タイトルも変更して、さも新しい記事を書いたかのように見せ掛けて何度も何度も記事を更新していたっけ。

そんな欺瞞に満ちた阿漕な真似(←これはあくまでも私の主観です)までして、GoogleAdvanceからどれほどの報酬があったのかは知る由もないけれど、そうしてアクセス数を稼いで得た報酬を、新居の建築資金の一部に充てたかどうかを私は知らない。

当時このブログのサポートに確認したところ、騙すという明確な意図がない限りは、(実際にはあったけれど、当ブログはそうした判断は何もしない怠慢な部署であり運営会社だ)けして違法ではないという。だったら私も同じ手法で公開してみるのも一興かもしれない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私の追及に音を上げた<塾長先生>は、あの日【悲しい出来事】というタイトルの記事を公開した。

だがその記事は、虚偽の内容(塾長先生を、私が脅したり怒鳴ったという、事実無根の真っ赤な嘘)を連ねて私を貶める目的と、それによって同情を集めて一気に形勢逆転をしようという目論見で書かれたものであった。

私が指摘したように、当時<塾長先生>はフェイクニュースを垂れ流し、そのフェイクニュースそのものも、自分が書いたように見せ掛けるという改竄までしていた。しかもその情報ソースの過半は著作権法違反そのものであった。

だから私はその違反行為と欺瞞行為を指摘しその釈明を求めたのだ。

それと同時に、<塾長先生>ブログにnice!を押している常連ブロガーに向かっても「こんな記事に騙されちゃ駄目だよ」とアピールしたのだった。

ところが<塾長先生>その後も嘘八百な反論を試みるばかりで反省の欠片も見えない。しかもその反論さえ、その都度私に遣り込められてギャフンとなっていたのだった。

だから<塾長先生>当時は記事を書いたり引っ込めたり、ちょっと細工して再公開したり、それでも駄目なら最後は削除するという愚行を繰り返していた。まさに愚行そのものだ。

そうして私から虚偽事実を次々と明らかにされる(嘘が暴露されるという意味)と、万策が尽きたのか、はたまた開き直ったのか、一転して自分は被害者だと偽り同情を託つ作戦に出たわけだ。

そうした目的で書かれたこの記事、つまり【悲しい出来事】こそ嘘と欺瞞に塗れた、この者の本質を如実に表す内容だったのだ。ところが●●ブロガーはその嘘と欺瞞を見抜けない。

糅(か)てて加えて、雨後の筍のように、あるいは火事場見物のように実に多くの野次馬が集まった。問題やトラブルが発生すると、その臭いを嗅ぎつけて集まるハイエナはどこにでもいるものだ。そして私を寄って集(たか)ってこのブログ上から排除あるいは抹殺しようと画策したのだ・・・というのが事の真相である。

だから即座に私に『送信防止措置』を取られたのだ。<塾長先生>の慌てた顔が見えるようだった。

ところが、はたまたハイエナの一人がしゃしゃり出た。

上記で述べた<真っ白白スケ>である。奴は記事の改竄等の偽装工作に長けていた。だから意地でも記事を削除されたくないと吠える<塾長先生>の要望に応えてある偽装工作を伝授したのだ。

それが元記事(悲しい出来事)のタイムスタンプを変えることだった、それはどういう偽装工作かと言えば、元記事の日付を改竄して、さも新しい記事であるかのように偽装して、タイトルも【悲しい出来事】から【U3氏へのコメント】というふざけた内容に変えて、私を散々からかう内容にするというものだった。

新しい記事を書かずに元記事が同じ【悲しい出来事】から【U3氏へのコメント】へと変えるという、こんな手の込んだ詐欺紛いのことをしたのかといえば、それは【悲しい出来事】で貰った55のnice!を失いたくないという、まったく身勝手で尚かつ守銭奴的発想ゆえであった。

とどのつまり、この欺瞞行為は、<塾長先生>のnice!と金欲しさゆえの蛮行だったのだ。

ところでこの【悲しい出来事】という記事は、私から見たら稚拙でお粗末なお涙頂戴の欺瞞記事で鼻で笑えるシロモノだったが、改竄後の【U3氏へのコメント】は、徹頭徹尾私への憎悪と悪意に満ち溢れたものだった。おバカだからこれで勝てると思ったらしい。だからからかい半分で、好き勝手書いていた。「私のブログにはU3がコメントを書き込めない設定にした。書きたかったらご自分のブロッグでど〜ぞ」てなことをね。

だから自分のブログに今まで集めに集めた<塾長先生>の欺瞞行為と法令違反行為を悉に尚かつ詳細に記載してその欺瞞行為を暴いたのだった。

しかも(私はそんなことはしていないのに)、かの<塾長先生>は「私のことをキャンペーンまで張って書いているようなので云々・・」とからかい半分本気半分で強弁していたようなので、そのご要望にお答えして、<塾長先生の欺瞞行為を暴く一大キャンペーン>を張ってあげたのだった。

私がそこまでしたのは、【U3氏へのコメント】は、あからさまに私への誹謗中傷と揶揄をメインとした内容に大幅に改竄されていて、そこには私への意趣返しと徹底した悪意しか読み取れなかったからだ。(私から見れば馬鹿丸出しだが、)勝ち誇ったように書かれていたことでもそれが分かる。何とも思慮に欠けた浅薄な愚行であった。

だがそんな小手先の欺瞞行為で逃げ切れるほど私は甘くない!

遣られたら遣り返すのが私の主義だ。だからすぐに手を打った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

話を少し前(悲しい出来事が書かれた時点)に戻そう。

 

<塾長先生>の浅慮が招いた結果、【悲しい出来事】は瞬く間に送信防止措置を取られた。

その後の事の真相は恐らくこうだろう。

これ(「送信防止措置」のこと)で、貰ったnice!がなくなると嘆いた<塾長先生>は、メールで遣り取りしてしていた、のちに一味となる前述の真っ白白スケ>に泣きついた。「GoogleAdvanceで金儲けをしているので、nice!が無くなったら困るんです! 誰か何とかして」

、と言ったかどうかは定かではないが、それと同趣旨の意向は伝えただろう。それに見事に応えたのが、再三述べているあの真っ白白スケ>だ。

そうして画策したのが、私から【送信防止措置】が再び取られたら、すかさず下書きに戻して、タイムスタンプを変えて、内容も大きく少変えて再公開すれば、今まで貰ったnice!はなくならないと言う、読者を欺くあの欺瞞行為だったのだ。

つまり【悲しい出来事】を【U3氏へのコメント】に改竄したのは、<塾長先生>自らが考えた窮余の策ではなくて、こんな欺瞞行為を自らのブログでも散々繰り返し来た<真っ白白スケ>の入れ知恵だったのだ。

しかもそんな欺瞞行為をした理由は、アクセス数稼ぎで金儲けをしたいという妄念から出たもの。

私はこの者のブログに、『GoogleAdvanceの規約を遵守する』と書かれているのを見て、また「自分はGoogleAdvanceの規約に基づいて記事を書いているし、その審査も通って書いているので、そんな不正行為はしていない」とほざいていたので、「ははーん」と思ったのですね。

それでGoogleAdvanceのサイトに飛んで、その内容をつぶさに見たわけです。そしてその仕組みを知りました。

<塾長先生>、アクセス数が増えれば、契約を結んでいるGoogleAdvanceからアクセス数に応じた報酬が貰えるんですね。だから記事が強制的に削除されるのを恐れたのだ。だが真っ白白スケ>に教唆された【タイムスタンプ改竄計画】を実施すれば、一旦下書きに戻した後に内容を改竄して、再公開を繰り返せば今まで押されたnice!はなくならない。これほどおいしい欺瞞行為があるだろうか。

そして当局から強制的に削除されるタイミングと期限さえ過たなければ【U3氏へのコメント】は当分使える。そう<塾長先生>と、<真っ白白スケ>は目論んだようだ。

 

〜U3四方山話〜(不正行為の種明かし)

さてここで、<塾長先生>と、<真っ白白スケ>が実際にこのブログ上で遣った限りなく不正行為に近い欺瞞行為の種明かしをしよう。

実のところ私でなくても、●●ブログの【記事管理】タブを開いて見れば誰でもその理屈が分かる。もし理解する頭があればの話だが・・・。それによると、

すべての記事には記事固有のURLが与えられていて、日時さえ改変すれば当然改変した日時に基づいた別のURLが与えられ、まったく別物の記事として扱われる仕組みになっている

・・・ようだ。

しかも●●ブログは、この記事固有のURLを苦情処理の対象としている。だからもし誰かから【送信防止措置願い】が提出されたら、その【送信防止措置願い】に記載のある記事の削除しか求めないのだ。

だとすれば、記事固有のURLを改竄してしまえばいい。それがタイムスタンプの改変なのだ。そしてそのことにいち早く気づいて、三年以上前から同じ記事をチョコッと変えて、まったく別の記事を書いたように見せ掛ける欺瞞行為を繰り返していたのが、この<真っ白白スケ>であった。

 

それでおバカな<塾長先生>はこれで私を出し抜いたと糠喜びした訳である。

だがしか〜し、そうは問屋が卸SUNDAY!!!

私を貶めようとしたその陥穽(かんせい)こそが、まさに奴らの落し穴であった。

つまり自ら墓穴を掘ったのだ。

私と、支援して頂いた方とでこの胡散臭い記事をつぶさに眺めて、奴らの欺瞞と嘘を暴いたのだ。

だから<塾長先生>は結局のところ、飯のタネだった38もの記事を、GoogleAdvanceからの助言か当ブログサポートの警告を受けて、泣く泣く削除する羽目に陥ったのである。かの塾長先生、『あ〜飯に種なのに〜〜〜」と言ったかどうかを私は知らない!

その欺瞞の手口を発見する糸口となったのが、【U3氏へのコメント】の中に押された、しかもこの【U3氏へのコメント】という記事上にしか存在しない、他の誰のブログ記事にも当時押されていなかった、あの63もの、記事さえないタイトルだけの、従って得体の知れないブロガーのnice!アイコンだったのだ。

それ故に<塾長先生>の悪辣な手口に加担していたお仲間が誰なのかも同時に判明した。

それまで誰一人見掛けた事のない、【U3氏へのコメント】という記事にしか存在しない63もの不審なブロガーのnice!アイコンだが。それを辿って行った先には、まさに<お仲間3人>のnice!アイコンが数限りなく、それこそ見事なまでに堂々と押されていた

何のことはない。この63もの得体の知れない不審なアイコンこそが、この3人の合作か、以前からこうした不正行為や欺瞞行為が得意な真っ白白スケ>が作ったものだと私は結論付けたのだった。なにしろこの63のブログにnice!を押していたのはこの3人と<塾長先生>だけだ。それこそあの<お山の大将>だって押しちゃいない。ヤツはそれほど馬鹿ではないから、しっぽをつかまえられるようなヘマはしない。

そんな浅はか見附な連中だから、恐らく私が気づかないだろうと高を括っていたのだろう。

この数多のアイコンのリンクを辿って初めてそれを見た時は、この胡散臭いブログ記事の【nice!欄】に<お仲間3人>と、ご当人である<塾長先生>のnice!アイコンのみがゴマンと押されていた。いや〜〜〜ビックリ仰天、まさに驚き、桃の木、山椒の木であった。

タイトルとその説明だけがあって、記事1つ書き込みがない得体の知れないブログに、3人+<塾長先生>は実に13から30以上ものnice!押していた。

そのお仲間4人衆とは、かの<私腹の時間>と、<ね●・あっ●ー>と、<真っ白白スケ>と、「そんなブログは見たことも聴いたこともない。だからnice!なんか押せるわけがない」と大見得を切ったが故に墓穴を掘り、嘘が露呈した浅はか見附な<塾長先生>のみであった。

私は、みずからの記事にこう書いて、<塾長先生>に問い掛けた。

「知りもしない、見たことも聴いたこともないという【63ものブログ】に、なぜ30以上ものnice!を押せたんだ。あんた認知症か夢遊病者なの?」

私にこう揶揄されて<塾長先生>慌てふためき、即座にこの記事を削除したのは言うまでもない。

まったく以ておバカな先生であり連中である。

嘘はすぐにバレるものだ。その場はウソで切り抜けられても、そのウソは何れその身を滅ぼす!

一方つらつら考えるに、こうしたタイムスタンプを変える行為を、私がしていけない道理はない訳だ。何しろ当ブログのサポート公認だ。しかも私は欺瞞行為でタイムスタンプや記事の内容を変えるのではない。

多くのブロガーがこうしたネット犯罪に巻き込まれないためという公明正大な事由と、善良なブロガーが騙されないように事実を明らかにするという啓蒙活動のためと、ブログやネット環境をより良くする目的でやっている。

これは事物や事象を批判する際の基本的約束事だ。

「公開した内容が、公共の利害に関するもので、公共に資するものであれば、そしてそれが事実、あるいは事実と信ずるに足る根拠がある場合」には、それは正当かつ合法な行為である」

これを守ってこそ、批判は初めて合法で正当な行為として認められるだろう。

ならばそれを遵守し、また一大キャンペーンを張って、奴らを慌てさせるのも一興。

まあ奴らじゃあるまいしm今更アホらしくてやらないけどね。

それに従前にも述べたように、つまらないことに時間を取られるのは私の本意ではない。

日課とライフワークの合間にこうしてログインして、よしなしごとを思いいずるままに書くのが良いと思っている。

そんな私の現況であるが、ところで一時一味が侃々諤々騒いでいた、名誉毀損案件として一味の誰かが私を起訴するという話は立ち消えになったのだろうか? 出来ないよね。なにしろ根拠が薄いから弁護士を雇ったとしても、起訴事由を見出せなので起訴は不可能だ。そのくらい私はとうに知っている。

現に私は今もこうして情報を発信し続けている。それに未だ奴らに秘す明確な(=実証出来る)証拠は幾つもある。そしてそれを公判で明らかにされて困るのは私ではない。

ゆえに、明らかに不正かつ不法な行為をしていたり、あるいは欺瞞や疑惑に満ちた行動を取ったり、他人をデッチ上げ記事で惑わせてまで(お金儲けのために)アクセス数を稼ごうとしたり、ブログを通して嘘をついてまで他人を貶めて保身を図ろうと画策した者を私はけして許さないだろう。

だからこそ合法的に、公共の利害に資するために事実を述べている。

私がそうするのは曲がったことや不正行為に我慢がならないからだ。結局かの<塾長先生>は、私が最初に法令違反を指摘した、著作権侵害を疑われる合計9つのコロナ関連記事を削除せざるを得なくなった。そしてその言い訳をしていたが、事実は私が指摘した通り法令違反をしていたのが明白だったからだ。その違反行為とは、私が幾多の記事で指摘した通り【引用権が法的に認められる4要件に反するもの】だったのである。

そのように私はいつも直球勝負しかしない。奴らが寄って集(たか)って喚こうが、それを逐一論破できる。だから奴らのように言い訳をする必要もないし、保身の為に徒党を組む必要もないのだ。

ついでに言ってしまうが、やつらのプロパガンダを真に受けて、私がいつも誰かを攻撃している正義バカなどと言うウソを、本気で信じる方が本当のバカなのだと私は思っている。

よく見れば、このブログ史上、<お山の大将>や<塾長先生>ほど影で徒党を組んで蠢き、オフ会やらメッセージやらメールの遣り取りなどそれこそあの手この手で、私の追い落としを画策した者はいないと思っています。

本当にバカな連中です。自分が正しいと思うならなぜ堂々と論陣を張れなかったのか。私の様に。

だから私は彼ら彼女らを信用するなと言っている。それは良く考えれば分かることであろう。

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

ところで今回の記事は、<こんな奴ら>の話をするのが本題や趣旨ではない。

人々がいかにニセ情報に惑わされ踊らされているかという実例として、

見て見ぬ振りと周りに流される事がどの様な結末を迎えるのかという具体例として、

無関心こそが世の中の環境を汚染しているという事実を語るために、

その一例としてこのブログで実際にあった過去の出来事を、

この期に及んで恥も外聞もなく、

それと同時に耳タコな人々には傍迷惑になるであろうことを十分承知の上で、

敢えて書き記したのだ。

だから・・・

しばらく記事の更新をしないと宣言したのに、

それを撤回してまで、

今こうして新たに記事を書いている。

 

この先をお読みになりたい方はどうぞ


nice!(93)  コメント(24) 
共通テーマ:

私は、なぜブログ更新をしないのか? [真実について話そう]

お家簡単ご飯.jpg

拳客さんから、この暑さで食欲がなくなり、もっぱら麺類ばかり食べているとのコメントを頂きましたが、私は案外丼物が好きで(何しろワンディッシュで調理が楽!)、しかも辛いものを食べれば食欲が昂進されると固く信じています。もちろんカロリーオーバーには気をつけております。
この丼物は、ある日の昼食として自炊で作ったもの。しかも作り置きしたものと冷蔵庫にあるものだけを、ご飯の上に盛った簡単なものです。うちの奥様は外出していて、私一人でしたので簡単に済ませることにしました。
まずご飯は『サトウのごはん』※炊いたご飯がない時はこれをレンジでチンして使います。
その上に自ら作り置きしていた特製キーマカレー(かなり辛い)を載せて、
更に、韓国食材店で買い求めたキムチを食べた後の余り汁(あまり辛くありません)を、トッピングして出来上がり。
短時間に出来て、しかもおいしい『オレ流』かんたん料理!
見た目は、栄養のバランスが取れていないように感じられるでしょうが、このキーマカレーは挽肉とタマネギの微塵切り
だけを具材にしている訳ではありません。
舞茸・ブナシメジ・生椎茸といったキノコ類や、ニンニク、人参、パプリカ、ピーマン等を細かく切って混ぜて炒め、市販のキーマカレーのルーだけでなく、香辛料としてフェネグリークリーフ&シード、クミンシード、ターメリックのみならず、独自入手した香辛料をオレ流に調合ブレンドしたガラムマサラを更に加えた『特製キーマカレー』です。
だから見た目以上に、栄養のバランスは取れているし、その量も計算されたものです。
ゆえに市販の辛口カレーより、一段も二段も辛いので、うちの奥様はけして食べません。
安曇野に単身赴任していた時の経験から、若い人には結構好評でイケると思いますけどね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

て本日のお題に入りましょう。

私がブログの更新を控えたり頻繁に更新しなくなった最大の理由は、それが時間の無駄遣いだと気づいたからです。

私のブログは、世の中の不条理や欺瞞に対し、自分の意見を忌憚なく述べるのがモットー。

であるからにして、一見して穏健な人達から顰蹙を買ったり、私に欺瞞や嘘を暴かれた人達2023/09/09 6:45追記(「事実をありのままに、しかも合法的に書いているだけ」で、意図して「暴く」積もりなど更々ないのだが)に逆恨みされるといったことは日常的にあります。大方の人間にとって、痛いところを突かれると不快になったり反発したくなるのは性(さが)であり本能ですから。しかしそんなことを気に掛けたり恐れては何一つ自由に意見を述べる事はできないでしょう。この方針(真実あるいは事実をありのまま述べること)はこのブログを続ける限りけして変えることはありません。

だからこそ、私がブログを更新しないのは、けして他からの圧力や嫌がらせに屈したり、当局の指導(そんなもの元々ないけど)で更新を控えているからではありません。

過去を知る人ならおしなべて同意見だと思われますが、当ブログサポートの拙ブログへの過去幾多の対応を見るならば、そこに運営会社として守るべきであろう公共性や公平性など望むべくもありません。

このブロブの現状は、いかに好意的に捉えようとも、だ問題が大きくならないことだけを恐れているとしか思えないし、当ブログを取り巻く様々な問題の再発に取り組んでいるとはとても言い難い。むしろ「専ら特定のブロガーの利益のみを守ることに専念している」としか思えない過去の対応でした。

したがって当運営会社を、私はまったく信頼もしていませんし、不信しかありません。

糅てて加えて(というより、これが本質的問題なのですが)、私と対立したブロガーやその一味の、私に対する嫌がらせは陰湿で執拗で、しかもハッカーやITスキルがある者が介入して、ブログ自体を機能不全にしてしまう等々、その妨害行為は目に余るものがありました。(URLとその動的IPアドレスをターゲットとした、その悪辣な手口は、私の過去記事に記載済みです)

ですから私でなくとも嫌になってしまうという現実的問題があります。それ故に、一時的に更新を控えるという事はありました。

しかしそうしたことを幾度か経験して分かったのは、ブログにこれ以上時間を割くのは、

自分にとってけして良いことではない・・・という事実です。真実と言っても良い。

だから冒頭にもあるように『それが時間の無駄遣いだと気づいた』のです。

ゆえに気が向いた時や、どうしても書きたい事がある場合のみ、記事を更新すると決めました。

その決意に些かも揺らぎや逡巡はありません。思い立つ日が吉日、即実行です。

私が記事の更新は時間の無駄だ、と思った理由を『chatGPT 』に質問してみるとよく分かります。

私がブログ継続の可否を判断する材料として、chatGPTに質問したのはズバリ以下の通り。

 

『blogの弊害について述べよ』 

 

そうしたら、ほぼ完璧な答えが返ってきました。

 

この先をお読みになりたい方はどうぞ


nice!(101)  コメント(24) 
共通テーマ:

私が「心身共に健康であることが一番」と思う理由 [あはは!]

お品書き.jpg貧乏人なので『並』.jpg

<土用の丑の日はお店が混むのでその前に鰻を食べに香取市の佐原の町へ>
5年前は、よく考えもせず見栄を張って『特上鰻』を注文しましたが、今は高カロリーは御法度なのと、5年前より850円も値上がりしているのと、当時より格段にフトコロ具合ががさみしくなってきたという背に腹は代えられない切実な事情で、『直鰻重』の<並>に、川海老(テナガエビ)の唐揚げをつけて注文しました。並でも肝吸いは『特上鰻』同様付いてきます。違いはズバリ鰻の量と枚数の違い(大きさではありません)です。ちなみに『特上鰻』はタレの沁みたご飯の上に、鰻が三段かつ三匹分載っています。凄いでしょう。
このお店、午前11時開店で、午後1時頃にはラストオーダーで、午後2時閉店です。人気があり地元だけでなく東京や埼玉や茨城からもリピーター客が訪れます。鰻は注文されてから生きた鰻を捌きますので、テーブルに出てくるまで最低でも小一時間は掛かります。
それと開店する11時前にもう5〜10グループはお店の前に並んでいるのが常です。もし行かれるのならば遅くとも11時までに着いて順番待ちする覚悟が必要です。その後注文して1時間掛かるのも計算に入れてね。
食べた後は、腹ごなしに佐原の街の探索をすると良いでしょう。「伊能忠敬記念館」、「香取神宮」、まだ食べ足りない人はお蕎麦の「小堀屋本店」、立ち食いなら「武雄亭」の鯛焼き(結構甘いので・・・)、和菓子のお土産なら「柏屋もなか店」と見所、食い処てんこ盛りです。
私めこの中で柏屋の、ほどよい甘さの『巨大栗最中』が大好物です。普通サイズの最中も沢山あり、こしあん、粒あん選べます。支払いは現金の他、クレジットカードや、Paypey払いもOK牧場・・・だった筈。(近頃のわたくしめ、記憶が些か曖、昧、 Me、 Mineです!)

kurimonaka1.jpgkurimonaka2.jpgkurimonaka3.jpg
本筋のうなぎの話に戻りましょう。
ところでこのうなぎのお店、ネットで調べれば直ぐに分かります。
ちなみに『山田屋別館」という屋号です。佐原の街中に本店がありますが、駐車場が狭いのと店内も狭くて小さくて、いつも混んでいるので私は一度しか行っていません。何しろ6年前の酷暑のお盆過ぎ、外で2時間、中で1時間20分待ちでしたから( ̄∇ ̄)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

大幅な体重減のお話ですが、拳客さん、Baldhead1010さん、ライスさん、tochimochiさんと、気になっておられるようなので、どうしてそんなに減量できたのかお話したいと思います。
ちなみに、上記のうな重を食べると、間違いなく一食で摂るべき上限600kcal(私の場合)をオーバーし栄養も過多になります。(私は「カロリーブック」を持っています)

医師によってはそういったカロリーオーバーや、糖質過多を厳しく戒める傾向もありますが、今の医師はその点柔軟性があって、「摂り過ぎたら、1日3食の摂取量をトータルでオーバーしない様にコントロールして下さい。もしそれでもオーバーしそうなら1週間単位でカロリーの取り過ぎと栄養が偏ったりしないよう気をつけてね」という指導を、管理栄養士の先生も含めて受けております。

ですから、この日の夕食はかなり控えめで、糖質も控えて野菜中心メニューで自分で調理したものを食しました。私は妻帯者ではありますが、昨年5月より3食とも自炊しております。元々他人任せは嫌いなので自炊なんのその。・・・すべては自分の健康のため!!!

とは言いながら、下の写真↓ はその夕食ではなく、木更津の「かもめ食堂」で食べた二品。

まぐろ丼.jpgかもめ食堂えび天丼.jpg

前記事で、木更津の『かもめ食堂』というところで、名物の穴子丼を食べたと書きましたが、実は『穴子丼』は食べておりません。
実際に注文したのは別の二品で、注文した後にここの名物は『穴子丼』と『穴子天重』とお隣の常連さんらしい客から聞き、それで追加注文で『穴子の天ぷら』のみ食べました。お調子者の勇み足ということでお許しあれ!
という訳でその日かもめ食堂で食べたのは、写真には載っていない『穴子の天ぷら』一品と、上記写真の二品で、うちの奥様が『マグロ丼』、私は『海老天丼』です。

そんなこんなで、私は『穴子丼』か『穴子天重』が食べたくて、うちの奥様は新鮮で甘〜い生の海老が載った『海鮮丼』が食べたくて、後日夫婦共々<木更津リベンジ>することにしました。

 

ではここから本題です。「どうしてこれほどの減量ができたか」についてお話しましょう。

ところで、私はダイエットをしている積もりなど更々ありません。心身共に健康・健全な身体を取り戻すことが主目的なのであり、体重を減らすことのみが本来の目的ではないからです。つまり、あくまでも減量は手段の一つなのです。ですが、『重要な手段』であることは確かでしょう。

では、、、まずは減量をするに際し私が心掛けた重要なことを、3点お伝えします。

1.一度決めたら強い意志で最後まで諦めないこと。初志貫徹すること!
  ※私は喫煙も17年前にやめると決めて、以来1本も吸ったことはありません。

●体重の増減に一喜一憂しない。

●体重計(理想は体組成計)で毎朝同じ時間に体重を計る。

●1ヶ月に2kg以上減量するのは遣り過ぎ。リバウンドの元になるので止めた方が良い。

●理想は3食きちっと摂る。絶食は愚の骨頂。しかも減量が長続きしない原因の第1位です。因みに、私はなかなか体重が減らない時や、体重が逆に増えてしまった時は、一日朝夕二回の食事で済ませたこともあります。ですがそれを常態化してはいけません。あくまでも一日三食を決まった時間に決まった量食べるのが原則です。
上記のように外食した場合は、ほぼ確実にカロリーも栄養素も取り過ぎです。その場合はたとえば夕食は少なめにするという様な工夫と配慮が必要です。

●好きなものを好きなだけ食べる食習慣は『早死に』の元です。腹も身の内、抑制が利かないのは、腹中も頭の中も馬鹿なのだと自覚すべし!!!

2.目的を明確に定める。そしてそれを守る。

●目標値とその達成期間をあらかじめ見定めて、スケジュールを作成すること。

●毎日体重と血糖値と血圧の変化を『自己管理ノート(市販品あり)』に記録する。

●体重は1日朝1回、血糖値は毎食事前に必ず、血圧は朝晩計測する。

●1カ月毎に、『自己管理ノート』を見て、減量スケジュールと照合する。

●ここが一番大切なことなのですが、『健康体になった時の自分を常日頃からイメージ』して下さい。そして、目標を達成した時(健康体を取り戻した時)、何をするかもスケジュール帳の備考欄に明記して下さい。やることが明確であれば、途中で挫けることはほぼありません。曖昧あるいは中途半端な決意が一番良くないのだと思います。

3.誘惑に負けない。(食欲は本能です)『でも、気楽に行きましょう』←これ大事!!!

●『減量』を、<苦行>から<楽しみ>に変えましょう。←健康になるとは、心身を含めてそうなることを意味します。だから減量しなければならないと強迫観念に囚われたり、これまでのように思いっきり食べられないことを、苦痛あるいは苦行だと考えるのは止めた方が良いでしょう。あくまでも、人生を楽しんで毎日を過ごして下さい。

●私は歩くことを日課にしていますが、最低でも6,000歩/時間の早さで2時間以上歩くことを目標にしています。ここのところの暑さのため今は控えていますが、秋風が立つ頃になれば7,500歩/時間で、1日最低20,000歩以上歩く以前のペースに戻ろうと思います。

●歩くことが基本です。走るのは止めましょう。足裏や膝や股関節を痛めるので普段から運動する習慣がないのなら余計そうすべきでしょう。、ランニング習慣もないのに、たとえ事前にストレッチ運動をするにしても、いきなり走るのは百害あって一利なしです。
但し歩くとはいってもお散歩モードではいけません。<速歩>で一定のリズムで最初から最後まで歩き続けましょう。適量は私の場合、7,500歩/時間で一日朝夕、あるいは午前と午後合わせて、3時間から4時間歩き続けることです。
一定の速度とリズムで歩けなくなったら限界が近いと考え、その時点でウォーキングは中止します。そうは言っても、大概の人はそこまで歩けませんので、できる範囲から始めて、そして少しづつ早く、かつ長時間歩けるようになりましょう。

●同じことを何度も言いますが、強迫観念に囚われるようでは必ず失敗します。だから身体の数値の変化に一喜一憂しない!・・・のんびり構える。しかし目標と目的は片時も忘れてはならない・・・です!

●これも同じことを繰り返しますが、満腹感を得られるまで食べる食習慣は、今日からやめましょう。←デブ(肥満体)になる最大要因です。
そして『肥満は万病の元』です。高脂血症、高血圧、動脈硬化、糖尿病、血栓による心筋梗塞と脳溢血 or 脳卒中 etc。 肥満体は病気です。そしてその殆どが生活習慣病で、肥満のままでいることは、それこそ何一つ良い事はありま温泉!

●小食で満足する体に作り変えましょう。初めは食間にお腹がグーグー鳴るでしょうが、空腹感で死ぬ事はまずありません。
人にも拠りますが、空腹を半年から1年我慢すれば、胃は間違いなく小さくなります。小さくなると、腹一杯食べると胃が痛くなります。結果的に少ない量で満足できるようになります。
人間は食べ過ぎて病気になることは大いにあり得ますが、小食が原因で病気になることはほぼありません。とは言っても偏食は禁物です。すべての栄養素をバランスよく摂りましょう。それと老齢になったら、(白米といった)糖質やカロリーの取り過ぎを殊更に気にするよりも、高タンパク質な食物を毎食かつ適量(多すぎてはいけません)摂ることを第一に心掛けてください。蕎麦やラーメンやスパゲッティや丼物といった麺類やご飯もの単品(だけ)の食事は、止めましょう。根菜類は除いて、緑黄色野菜は必ず食べましょうね。キノコはノンカロリーで良いですよ。だからカレーや炒め物や鍋料理などを調理する時に、私は舞茸・ブナシメジ・生椎茸など、数種類のキノコを必ず入れています。調味料(ダシ)としても秀逸ですから。
それとこれはあくまでも余談なのですが、私の調理の特徴は、塩を調味料として殆ど使わないことが挙げられます。塩は感染症などの抵抗力を付けるのに必要ですが、取り過ぎはマズいです。世界では塩分を殆ど摂らないでも長生きしている民族がいます。マサイ族です。真偽のほどは定かではありませんが、昔は内陸部で塩が取れない地域もありましたから、伝統的に塩を摂る食習慣がない民族はいたと思われます。私は汗を掻いても肌着や黒い上着が塩を吹いたことはまずありません。汗臭くはなるけどね♡

というのが私の減量法というか、健康回復法です。

「私には無理だ」なんて言わないでね。ズボラで、意思が弱くて、しかも三日坊主な私でも、将来の自分を想像しながら、日常のこうした地道な努力が出来ているのだから。

『為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり(上杉鷹山の言葉)』です。

穴子天丼.jpg海鮮丼.jpg穴子天丼2.jpg海鮮丼2.jpg

てな訳で、『木更津リベンジ』を果たしに行きました。『穴子天重』を再挑戦してきました。今度は「かもめ食堂」ではなく、三井アウトレットパーク木更津近くの「活き活き亭」というお店です。
うちの奥様は前回かもめ食堂で不承不承食べた「まぐろ丼」ではなく、本来食べたかった『海鮮丼』を頂きました。海鮮丼の海老はついさっきまで活きていたぼたん海老を捌いたもの。だから目もまだ黒々として死んでないでしょう!
お店の中はいつも満員で1〜2時間待ちはザラだとか。でも予約キャンセルが3組もあって、幸運にも30分くらいで席に着くことが出来ました。ここは事前に会計する仕組みで、会計で注文する品を口頭で伝えて、座席指定の呼び出しブザーを貰って、調理が済んだら受け取りカウンターまで取りにいき、代わりに呼び出しブザーを返すシステムです。定食ものや単品料理の他、事前に自分で生け簀から選んだ魚介類の会計を済ませ、自分でグリルで焼いて食べることも出来ます。もちろんセルフオンリーではなく、店員さんが焼くのをお手伝いする姿も見受けられました。

活き活き亭3.jpg活き活き亭4.jpg
ここのスタッフは好感が持てる接客態度でした。「料理をシェアしたいので小皿が欲しい」と伝えたら、気を利かせてキッチン鋏まで用意して渡してくれるという、小まめな対応をして頂きましたよ。まさにTシャツの『おせっ貝』通りの気の利いた接客態度。いいですねぇ!
あの小心者で成りすまし野郎の『Tシャツ屋』とは、エラい違いDEATH(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v

いいねぇ〜このTシャツ.jpg

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

話を元に戻しませう(@^▽^@)

では、私がどうして大幅減量に挑んだのかその経緯をお話いたしましょう。

私は持病《基礎疾患の1つ》があるので減量がどうしても必要でした。

それまでの私は、血液検査の結果は健常者とそれほど変わらない数値を示していたのですが、しかしながらメタボの兆候があり、しかも脂肪肝でそれ故に体調を崩しやすく、感染症にも罹りやすい体質だと医師から診断されていました。

それを解消するには、<食事療法><薬餌療法><運動療法>の3つが噛み合わないと、

けして解消しないだろうと言われておりました。

通院の際に周り(同病患者)を見ていると、半数近くがリバウンド(体重だけじゃありません)を繰り返しているようでした。これは体重の増減もさることながら、検査数値の悪化とそれによる入退院を意味します。2、3年毎に入退院を繰り返す、リピーターの患者さんもいるとのことでした。そして実際、そんな患者さんを私は目にもしました。再入院率は半分近いと聞いています。

なにしろ国民病ですから。そして一度発症したら二度と健常者に戻ることは出来ません。ですが私は罹患して以来、発症から3年目に急激に症状が悪化して一度だけ2週間きっかり再入院したのを除いて、定期的な通院時の血液検査等の数値では、当初より健常者と殆ど変わらない正常値を維持しています。

いわゆる健康体で、疾病予備軍でもありません。しかも15年以上それを維持しています。私は普段はズボラですが、見掛けに因らず意思は硬いのです。ですから以来リバウンドもなければ、病状が悪化したこともありません。

喫煙も今から17年前の5月1日に、「今日から俺は煙草を吸わない」と宣言して以来、有言実行、一度も吸ったことはありません。(半年間はつらかったけどね)

しかし、私はヲタクというかおうち大好き人間なので、特別用事がないと表に出ない人なのです。そして年金生活者になって、仕事に行かなくなり、しかもコロナ禍もあってますます外出が遠退いてしまいました。

そして3つの療法のうち、<運動療法>だけが疎かになっていったのです。といいながら、最初から<運動療法>は苦手でそれだけが徹底していませんでした。

発症した時は現役バリバリの仕事人間でしたから、朝から晩まで仕事漬けで、運動などする暇もなかったのも<運動療法>が疎かになった理由の1つでした。

まあそれはさて置き、私は一昨年の10月から徐々に数値が悪くなっているのに気づいていました。その原因はハッキリしていました。<運動療法>だけが疎かになっていたのです。

<薬餌療法>は医師からの指示と薬の処方と約束事を守れば誰でも簡単に実施可能です。
<食事療法>はその人の身長等から割り出した、一日の必要カロリーを算出し、80kcalを1単位として、5大栄養素を管理栄養士と相談した通り摂取すればいいだけです。

私の場合は22.5単位で1800kcalがトータルの1日の摂取カロリー量です。しかも5大栄養素毎に1日に摂取しなければならない量が決まっています。それはそうですよね。お菓子だけで1800kcalを摂れば糖質・脂質だけで、22.5単位になってしまいます!

と言う次第で、私はこれを昨年の5月以来、徹底してやり続けている訳です。もっと言えば、基本的にはこの遣り方を、15年以上(正確には17年11ヶ月)継続しているのです。

まだゴールは見えていませんが、パンツ一丁の裸になっても、恥ずかしくない身体になることが、そしてその体型と健康体を死ぬまで堅持・維持することが、私の最終目標です。

ですから死ぬまで私のこの地道な努力は続けなければならないのです。

そして今のところその努力は、習慣として身に付くまでになっています。

つまり、我慢が我慢でなくなり、毎日楽しい日々を送っています。

001.jpg008.jpg002.jpg006.jpg005.jpg007.jpg009.jpg

木更津と言ったら、『〇井アウトレットパーク』と『アクアライン』。ちなみに『東京ドイツ村』は袖ケ浦市にあって、木更津市にはありません。
そのアクアラインの高架の下から撮った写真が前回の冒頭の1枚です。お盆前に行った「かもめ食堂」はこの先にあります。
ところでここからは、『海ほたる』が見えるのはもちろん、良く晴れた日には東京湾越しに、三浦半島を前景に遠くに伊豆の山々と丹沢山塊が見え、その丹沢山塊の上には当然富士山もよく見えます。
8月29日はアウトレットパークで買い物をしたついでに行き、8月31日にも活き活き亭で『穴子天重』にリベンジする前にもここに立ち寄りました。でもこの2日とも少し雲があって、富士山は頂上のみ顔をチョコッと覗かせていました。

ここの風景とても良いですね。雄大でおおらかで爽快で!

この風景ならば、カメラ馬鹿というかストイックを自称し(バカか!)その道の権威ヅラしている輩とか、はたまた高級デジイチなどのカメラ機材に助けられて、旨くなっている気になって<ク●タカ連写写真等々>を撮って、大いに事故(ぢゃなかった)自己満足していた『うんことストーカー連呼大好き変態野郎』だとか、

前出の表ヅラだけが良いイメージが先行するばかりで、モノホンのプロや目が肥えたブロガーから見れば、実際のところ写真はちっとも旨くない『お●の某』でも、余程のアクシデントでもない限り、冬の晴れた日の夕方には、かなりフォトジェニックな写真が撮れるでしょう。

幕張海岸や、稲毛の浜の夕陽を撮って好評を博した、私が言うんだから間違いありません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ここからは前回の続きです※読みたくない人はスルーして下さい。でもネット犯罪に巻き込まれたくない人は読むべきでしょう。

私は『お山の大将』の主張の殆どが、虚言や嘘であることを、あるいは事実に基づかない欺瞞に満ちた発言であることをいつでも証明できます。

その一例を挙げましょう。

私が不正を暴こうとし、その結果、私を支援する枝動さんのブログが、「Tシャツ屋」なる者の嫌がらせと脅しのコメントに晒された時、『お山の』はその言い訳として、「ネットにアクセスする環境になかった」、というような戯れ言を拙ブログに長々と、しかも深夜に三度もまったく別の文面でコピペして来ました。さも自分は無実だとばかりにね。

でも、その主張や根拠としているアリバイを、私は簡単に突き崩すことができます。

多くのブロガーは、あの真相をはぐらかす独特の口調に、騙されちゃってるみたいですけどね。

たとえば、「Tシャツが俺でないことは、アクセス解析ソフト(忍者ツール)で調べれば、

はすぐに分かる筈」と、『お山の』は私のブログに、しかもコピペで書き込みました。

 

<閑話休題>

ところで予め用意していたコメントをコピペする手口ですが、あの『塾長先生』と遣ってることは同じです。というより、そういった手口を教えてあげたのかな『お山の』をはじめ、『ヤマ●ゼ』とか『まっくろ●すけ』とか『アッ●ーさん』なる者どもが・・・。
そう言えばかの『塾長先生』は、『ヤマ●ゼ』に「ありがとうございました」って、コメントしていましたね( ̄∇ ̄)・・・何がありがたかったのかは知らないけれど、日付を見ればほぼその理由は察しがつきます。

 

<話を元に戻します>

でもね、『お山の』がそう主張(コメント)したのは、実は私に対してではなく、私のブログを読むであろう、過去を知らない無知なブロガーを騙すのが主目的であった様に思います。私は、『お山の』が、そこでさも自分の主張が正しいかのように印象づけるためと、読む者の同情を託つ目論見があって、あれだけ長大なコメントをコピペでカキコしたと推察しました。

でもね、実のところ忍者ツールを使ってアクセス解析したところで、誰がアクセスしてきたかなんてことは一切証明できないと、かつて忍者ツールを使っていた私は知っているのです。疑心暗鬼になるのが関の山だという事もね。

それを『お山の』が知らないはずはない。もし知っていて言っているとしたら、ストイック一辺倒で単なるバカだからか、何らかの思惑あるいは魂胆あってのコメントと受け取るべきでしょう。

それを私が知らないとでも思っているのか『お山の』はそれを根拠に、「Tシャツ屋が俺じゃないことは分かるはず」という主張をくりかえしていました。

だがしか〜し、それが欺瞞と虚偽に基づいたコメントであることを今から証明して見せましょう。

忍者ツールでアクセス解析すれば、私のブログにどのブログやサイトからアクセスして来たのかは確かに分かります。しかもログまで簡略ではありますが時系列で分かります。しかしアクセスして来たのが分かるのは、<直前のサイトやブログ(のURL)のみ>です。そもそもどこの誰がアクセス来たのか迄は忍者ツールでは解析できないのです。何しろ前回で説明した『動的アドレス』は明示されませんし、そのサイトやブログのURLと紐付けされてもいませんから。

あくまでも直前にどのサイトやブログから、自分のブログに何者かがそのサイトを通ってアクセスしてきたかが分かるだけです。この意味をよく吟味してみてください。

あのね、『お山の』はそれを根拠に自分の主張が正しいと言っている訳です。

だからそれ故にその主張は通らないのです。『お山の』の発言など欺瞞だと言っているのです。

なぜなら、忍者ツールはどこ(どのURL)からアクセスして来たかは分かるけれど、そのアクセスした者が、そのサイトを示すURL(ブログ)の管理者(持ち主)であるとは限らないからです。それゆえに、直前にアクセスしてきたサイトの運営者がそのアドレスの持ち主(管理者)そのものだと決めつけることは不可能なのです。断じて。

その理由は、「動的IPアドレス」と見た目のサイトを示す「URL」とはまったく別物だからです。つまりそのURLを経由してアクセスしてきた者と、「動的IPアドレス」を持つ人物が同一人物であるとは限らないのです。

むしろ、そのURLの管理者のブログを『踏み台』にして、いわば成りすまして、アクセスすることも可能なのです。『DoS攻撃』はまさにそうしてなされる訳です。そして悪いことをする者ほど、自分のサイトから直接アクセスすることはないでしょう。何しろ悪知恵と悪だくみはお手の物です。

という訳で(「逆も真なり」風に言えば)、『お山の』が、私のブログを経由して、その後誰かのブログを覗いて、さも私がアクセスして来たかのように振る舞い偽装することも可能なのです。そうなれば、成りすましで悪さをする事も可能かもしれません。当人にはそうした不正なスキルがなくても、お仲間内にはそうした者もいるだろうことは今までの経緯から容易に想像がつく私です。なにしろ友達が多いことが自慢の『お山の』ですから。

ハッキリ言って、前記事でも書いたように、公的機関によって付与される動的IPアドレスを、時系列でかつコンマ何秒単位で詳細に分析かつ特定でもしない限り、そしてその動的IPアドレスと紐付けされている大本のサイトの管理者がどこの誰なのかを、警察を通して公的機関に問合せでもしなければ、けっして分からないのです。

これってエラい手間暇の掛かることであり、簡単に判明するもんじゃありません。しかもそれが犯罪とどう結びつくのかまでは、容易に証明できないでしょう。

だから、「俺が来たかどうかは忍者ツールを見れば一目瞭然・・・」とはならない訳です。

つまりその時「八潮(だかどこだか知らないけれど)のラーメン屋にいた事を証明してくれる人もいる」という主張も通らない訳です。だから、もしそうなら、その証明してくれる人物もグル(一味)だという可能性を私はまず疑いますね。

それと、『お山のが私のコメントを自身のブログに書き込めない設定にしていたことを私から指摘されて、色々言い訳してスっとぼけた事実からしても言うことに信用が置けません

更に言えば「(コメントが書き込めないことを)調べてみます」と返事をしておきながら、実際には調べることも設定を解除することもなく、未だに放置したままという事実と現実は、『お山の』の持って生まれたその欺瞞性から来ていると判断せざるを得ないでしょう

これはあくまでも私見であり、皆さまがどう思かは自由ですが、ハッキリ言って『お山の』の、都合の悪い事は誤魔化したり、はぐらかしたりといった欺瞞行為や、保身からその場で咄嗟に嘘をつくのは、この者の性癖であり性分なのだと断じるしかありません。

もちろんそれでも『お山の』を信じたい人は信じればいい。ただその結果、不利益が生じても、誰もその人を助けたりはしないでしょう。それこそ自業自得ですから。

お分かり!(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v

このように、『お山の』の嘘や欺瞞を突き崩すなんて実に簡単です。

でも、それを信じてしまうブロガーが過半であるという事実は、認めなければならないでしょう。

世の中はお利口さんばかりではありませんし、思慮深い人はむしろマイノリティですから。付和雷同、烏合の衆、自分の頭で考えることをせずただ闇雲に周りに合わせるおバカさんが、それこそ雨後の筍の如く次々と現れる世の中ですから。(^Д^)!

まあそうは言っても、事実は事実として、それが真実ではないにしても、重く受け止めなければならないでしょう。世の中は、偏見と無理解と誤解で成り立っており、正常でまともな感覚の持ち主ばかりではないという現実をね。

ブログを含めたSNSは、人々の本音と本性が出やすい環境にあるという事実を、人々は改めて認識すべきなのでしょう。自分の愚かさもね。これは自分への戒めとして、常々思っていることです。

自分も時折、そのバカの一員になっていると、ハッとすることもあります。

そんな時は反省しきりです。そして一から出直します。これまでもしてきたようにね。という訳で、

それ(間違い)を悔い改める、改めないで、随分と将来が変わってしまう気がしてなりません。


♡みなさまへ♡

いろいろコメントを頂きました事嬉しく思います。

実のところ、こんな事を今回わざわざ書いたのは、誰だか分からない者に犯罪的手段で攻撃されるって、結構深刻な問題なんだと、理解してほしいと思っているからです。何しろ、こうした陰湿な妨害行為によって、自身のブログ運営が何一つ出来なくなってしまう訳ですから。

それこそ私の様に、「もう遣ってられない!」と思ってしまう訳です。

「それはお前の自業自得だろう」と思っていたとしたら、それは『浅はか見附』です。

私は『お山の』やその一味のした事を嘘偽りなく明らかにし、批判こそすれ、『お山の一味』が喧伝しているような、非難や誹謗中傷は一度もしていないのです。況してや名誉毀損然りです。そもそも『塾長先生』も『お山の』も<批判>の意味すら知らないのは驚きです。たぶん国語辞典など、学生時代以来開いたこともないんでしょうね。だからこんな初歩的なミスをする。ゆえに塾長先生のように「私のブログで、批判はけっして許しません」などというアホな、それこそ無〇文〇紛いの発言を平気で宣う訳です。

それでもそれを信じてしまう人々はいるから、そうした何も知らない、かつ見て見ぬ振りをする人達に向けて、このブログであった事実と真実を、私は嫌がられるのを承知で述べているのです。それが公共の利害に資し、公共の利益になると思っているから。

つまり『塾長先生』が過去に9つの記事でやらかした様な、新型コロナ関連ニュースで散々垂れ流したフェイクニュースの見極めをはじめとした、あらゆるネット犯罪の歯止めになると信じているからそれを糾弾かつ批判したのです。「真実はどこにあるのか?」と、「それは法律違反だよ」と、指摘し諭したのです。それを素っ惚けたり隠そうとするから、更に私に突っ込まれる失態を演じ続けたという訳です。すべて『塾長先生』の身から出た錆なのですよ。

ところで、お山の大将やその一味に感化された、あるいは洗脳された人達は、私がお山の大将を批判したのを、誹謗中傷だとか名誉毀損だと騒ぎ立てていましたが、その批判に一度もまともに答えを返していないこの者達の、いったい何処に『真実』と『誠実さ』あるいは『潔白性』があるというのでしょう。

私には、言うこと為すこと、『欺瞞』と『虚偽』と『保身』で塗り固められているとしか思えません。これらの者は、自分の過去記事を削除あるいは封印したりして証拠隠滅を図り、その一方で攻撃されただの暴言を吐かれただの、脅されただの、ありもしないことを声高に叫び、無知なる者の同情を託って形ばかりの支持を得ただけです。

でもね、そうした不正が成り立つのは、問題があっても見て見ぬ振りをしたりとか、仲間外れにされるのが恐くて周りの人達に合わせたりとか、面白半分で経過を見て時々チャチを入れて喜んでいる馬鹿者がいるからなんです。SSブログって、日和見で無責任で、日に日に環境が悪くなっていく感じがしてなりません。

仲良しクラブは楽しいかもしれないけれど、一歩間違えれば犯罪に加担することになりかねないのは、『ヤマ●ゼ』の例を見れば分かる筈。道理を弁えている人は分かったはずです。

ハッキリ言いますが、私が遣る気になればヤマ●ゼを『名誉毀損罪』で訴えることは可能なのですよ。『冒瀆罪』で告訴することも可能です。弁護士に依頼すれば、滞りなく手続きをしてくれる筈です。私に遣る気があればね。・・・今のところ権利は留保中だけど。

そもそも、ブログを消し去っても、過去ログは残っていますから、言い逃れは出来ないのです。つまり「後悔先に立たず」ということです。

どのような理由があるにせよ、大した考えも無しに他人を安易に攻撃したり貶めれば、それは必ず我が身に返ってきます。

私は『因果応報』という仏教由来の言葉を信じています。

だから自分が安易に他人を傷つけたり、嘘をつくといった誤った行動をとれば、その過ちはやがて我が身に形を変えて必ず降り掛かってくると理解しています。

それと論語にある『過ぎたるは猶及ばざるが如し』という箴言も、真理の一つだと思っています。

一昨年私の記事のいくつかが「送信防止措置」を講じられたのは、まさにこの行き過ぎにあったのは明白でしょう。それでも言い分はありますし、それを訴えもしましたが、当該●●ブログは、事の是非を判断する能力に欠けているし、問い質してもそうした措置の法的根拠も示しません。

それからすると、泡沫ブログである私の訴えなど聞く耳を持たず、人気ブロガーは集客力があるので、『お山の』とその金魚の糞の『塾長先生』の言い分だけ聞いて、処置判断したとしか思えない訳です。

でも私は一度や二度の失敗で『羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く』ことはありません。それが四度や五度でもそれは変わりません。その程度の失敗で必要以上に慎重になったり、(『杞憂』のような)無意味な心配をするほど、臆病でも小心でも愚かでもありません。

自分のことは自分が一番良く知っています。

どんな妨害に遭おうとも、横槍が入ろうとも、間違っていることは正さなければならない。そうした信念はけして曲げないし、初志貫徹する意思を持ち続けることが大切だと思っている。

それこそが私の私たる所以であると信じているから。

 

『木更津リベンジ』した日の夕暮れ、久し振りに綺麗な富士のシルエットを見る事が出来ました。


8月31日の夕富士.jpg8月31日の夕景.jpg

 

ではでは皆さまご機嫌よう。

 

Nos vemos algún día.

 

Hasta entonces, cuídate.

 

Y te diré una cosa más.

 

Este programa de traducción es excelente. 

 

Es tan útil como siempre.

 

Gracias, Baldhead1010.

 

 

nice!(148)  コメント(25) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。