<久々に巻頭を飾る陛下の凛々しい横顔(古い写真しかなくてゴメン)>
外国を訪れると自分は日本人なのだと強く感じる。日本の事を聞かれるとその国の言葉など殆ど話せないにも拘わらず身振り手振りも交えて出来るだけそれに答えようとする自分がいる。何より自分が日本人である事を誇りに思っているからこそ日本を、そして日本人をもっと知って貰おうという意識が働くのだろう。
<久々に巻頭を飾る陛下の凛々しい横顔(古い写真しかなくてゴメン)>
外国を訪れると自分は日本人なのだと強く感じる。日本の事を聞かれるとその国の言葉など殆ど話せないにも拘わらず身振り手振りも交えて出来るだけそれに答えようとする自分がいる。何より自分が日本人である事を誇りに思っているからこそ日本を、そして日本人をもっと知って貰おうという意識が働くのだろう。
旅の目的はそれぞれにあるだろう。観光、ショッピング、人との出会い・・・エトセトラ。
僕にとっては思索の旅といって良いだろう。日常の忙しさの中で忘れてしまっていた事や考える事を停止していた頭の中が活気を取り戻すのは、旅によってもたらされた有り余る時間があるからだと謂えよう。旅に出てまで時間に追われた慌ただしい一日を送りたくはない。だから僕の旅はあくせくしないのんびりした旅になる。とは云っても一カ所に留まってじっとしているというのではない。僕の旅は歩く事が基本になるのだ。長い距離の移動はもちろん車や交通機関を頼らざるを得ないがそれ以外は出来るだけ徒歩が良いと思っている。美しい風景や光景は車で通り過ぎるには惜しい。その土地の人々の営みは会って話さなければ何も分からない。それは垣間見るだけなのかも知れないがそこから感じるもの、得られるものは計り知れない。
<写真では分からないがエイヴォン川のほとりに生えていた柳の木も篠懸(すずかけ)の木(プラタナス)も巨大であった。柳の木は大人一人では抱えられない幹廻りで直径は80センチを超えている。長い葉は20センチ程。日本では見掛けた事のない大きさだ。プラタナスに到っては幹の直径1.8メートル。樹高18メートル。木肌はとてもプラタナスとは思えないゴツゴツしたもので、仰ぎ見た葉でそうだと気づいた次第である。これもやはり日本の街路樹などではあり得ない大きさだ。樹齢は数百年を経ているのだろう。もしかしたらシェークスピアの生きた時代にはもうここに存在していたかも知れない。そうした歴史を感じる程の実に堂々とした風格があった>
僕達夫婦がツアーなどのパッケージされた旅行を嫌うのはそうした理由からだ。今回の旅行も然り。旅行代理店で手配したのは行きと帰りの航空券と旅行保険だけ。宿泊先は妻の英国人友人宅とした。
<最近改築されたロイヤル・シェークスピア・シアターとスワン・シアターの前を流れる穏やかなAvon川で船遊びをする事にした。右手に見えるイングランドやウェールズの運河などでよく見掛けるナロウ・ボートは一度は乗ってみたい船の一つだ。今回は乗れなかったけれどこんな船で船上生活を送っている人達も多い。沢山の白鳥や鴨が岸辺の観光客の投げる餌に集まっていた>
<’カモーン’と云ったら逃げていった鴨>・・・どうやら僕のジョークと英語はここでは通じないらしい。
<仲よさそうなお二人でした>
<エイボン川の畔にある住宅。良い感じでした。ナロウボートの屋根に草花のプランターが・・・>
僕と妻は実は正反対の性格なのだがお仕着せのものを避けるという点は共通の認識と謂えるだろう。けして与えられた環境に満足しない。他人がお膳立てしたものや、敷かれたレールの上を歩く事を良しとしない生き方、それが僕達の生き方だと云えるのかも知れない。旅も生き方の一つなのだ。そこに個性や個人の考え方が色濃く反映される。他人によって敷かれたレールがあるとしてその上を一生踏み外さない様に生きなければならないとしたら何とつまらない人生であろう。そこに居れば確かに安全で快適かも知れないがそこに自分の人生は一切ない。自分達が切り開く道には困難や障害があるかも知れないがそれを乗り越えた時の喜びや充実感はけして他から与えられた人生では味わえないものだ。
波瀾万丈何するものぞ。
僕らの人生は高村光太郎のあの詩の様に斯くありたい。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程の為
この遠い道程の為
高村光太郎 第一詩集 『道程』より
そうして「ああ僕の人生は楽しかった」、と思える生き方を重ねて死ねたら良いと思っている。
<二人で漕ぐボート(カヌー)は息が合わなければまっすぐ進めない>
妻に僕と同じ様な信念があるのかは知らない。自分の意志や感情を言葉に出してあまり表現しない妻だが、自由気儘に生きる妻は実に生き生きとしてる。そしてその行動によって自分の意志を体現している。何事にも、何者にも強要されない。支配されない。自分の意志と行動力で自分の道を切り開く。僕はそんな彼女の姿を見ている。僕は彼女の人生で彼女が(無意識に)それを望んだ時にだけ気づかぬ様にそっと手を添える。差しのべる。ただそれだけで良い。
As you like it. お気に召すまま。
<この父の様に・・・>
<シェークスピアの眠るホーリー・トリニティ教会を船上から眺める>
<Stratford-upon-Avonの街並み。白い建物は銀行。その下の写真は銀行のキャッシング機で換金する人々。英国のCD機はこの様に屋外にある事が多い。日本人が犯罪に遭うのはこんなところだ。廻りに気を付けて換金した方が良い。イタリアンの遅い昼食はおいしかった>
物事をただ見て感じるのではなくそこに踏み込んで見て考える。思索に耽る。そんな旅が好きだ。
Davidはヒースローで僕を哲学者の様だと云ったが本当にそうなのだ。僕は考える事が好きで堪らない。忙しさの中からは何も生まれない。何しろ「心を無くす」と書いて忙しいと読むのだ。そこから得られるものは生活を潤すかも知れないが心の糧となる事は少ない。思索に耽るには有り余る時間がなければならない。旅の前後は休みもまともに取れない程のハードスケジュールだったが英国の旅は出来るだけゆったりしたものにしたかった。今回のこの旅は7月28日から8月5日という短い期間だったがその思いに叶った旅だった。(妻は7月28日から8月23日迄英国に滞在した)
<Birthplace of William Shakespeare> ナショナルトラストによって管理されている。
長い間海外に行っていなかった。実に25年振りの海外であった。妻は自分で働く様になって毎年の様に海外に行っているが僕は新婚旅行以来なのだ。それだけのブランクがあるにもかかわらず実に自然に英国に溶け込めた様に思える。
僕達は遅めの朝食を摂ったバンブリー(Banbury)を出発してA422号線ののどかな田園風景を車で縫う様に走り抜けた。ずっと続いていた放牧地が途切れやがて住宅地に入ったなと思う間もなく特徴的なナロウボート(Narrowboat)が沢山係留されている川が目に飛び込んで来た。その川に渡された橋がクロプトン・ブリッジ(Clopton Bridge)であった。
<Cropton Bridgeの往来を船上から眺めるのもまた楽し>
バンブリー(Banbury)を出発して小一時間でいきなりストラットフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)の玄関とも云うべき場所に着いてしまった事になる。英国旅行2日目の観光のメインはここシェークスピアの生家(Birthplace of William Shakespeare)がある事で有名なこの街であった。
Davidは細かい事は何も言わなくても僕の望む事を察してスケジュールを組んでくれた。我が儘放題の僕の希望通り、この旅行を通して皆で一日中歩き疲れる程しっかり、しかしじっくりとあちらこちらを見て廻った。自分で手配してスケジュールを組む積もりだったが今回は諸般の事情でそれが出来なかった。そしてDavidが僕の我が儘に半ば呆れながらも様々な手配やスケジュールを組んでくれた。彼のその気配りには本当に感謝を何度重ねてもし過ぎるという事はない。ウェールズ人(Walish)の気質そのままのDavidは実に温かい心の持ち主である。
<シェークスピアの生家。室内を写したがフラッシュを使わなければ撮影はOK。日本では絶対に考えられないがUKは結構そういう場所が多かった。横顔はインドの詩人タゴールの銅像。>
<庭では一人のアクトレスがシェークスピアの野外劇をしていた。あっという間に観客が増えた>
ストラットフォード・アポン・エイヴォンのシェークスピア関連の建物の中で一番気に入ったのはシェークスピアの妻アン・ハサウェイの生家であった。
<Anne Hathaway's Cottage>
この時もうすでに17時近く閉館間近であったが嫌な顔ひとつせずスタッフは中に誘(いざな)ってくれた。素敵な藁葺きの田舎家。リタイヤ後に田舎に住む事を夢見る事の多い英国人にも藁葺きの家屋は人気があるらしい。
ストラットフォード・アポン・エイヴォンを18時過ぎに出て、マンチェスターの西北にあるClis & Davidの娘Kateの住む街プレストン(Preston)へは夜の9時半に着いた。それから街の中心街にあるチャイニーズレストランに遅い夕食を食べに行った。英国旅行二日目、本当に楽しい一日だった。
<つづく>
おまけ
実は今日の午後残念な事がありました。
皆さん写ガールって知ってます。今日ブラウン(雲谷斎武羅運陛下)と妻と一緒に車で20分の公園に行って来たのですが、そこで初めて「実物」を拝見致しました。妻がおトイレに行っている間わたしとブラウンは表で待っていたのですがそこにカーディガンとロングスカートという出で立ちの若い女性が現れデジイチでいきなりブラウンを撮り始めたのです。そのうちしゃがみ込んで連写連写モータードライブでシャカシャカと写真を撮りまくったのですね。そして一通り撮りまくって満足したのか何事もなかったかの様にわたしとブラウンの前から立ち去りました。その間その写ガールは一言も発しませんでした。
わたしは、「えっ?」と思いましたよ。
「写真を撮らせて頂けますか」の一言もなく黙って撮られたのは初めてでした。
トイレから出て来た妻にその事を話すと
「今の子は他人とコミュニケーションがうまく取れないのよ」というんですね。
僕の働いている業界ではそんな若者を見掛けた事がないので
「そうなんだ」といったら「そうなの」という答えが返って来た。
妻は一応中学と高校で英語の教鞭を取って来た教師である。教職者である彼女がそう云うのである。間違いがあるとは思えない。
この様な若者が今の日本に増えているという現実は、取りも直さず社会の最小単位である「家族」から崩壊してしまっている様な気がしてならない。写ガールをどうのこうの云う積もりは更々ないが、マナーもわきまえず、ネットで自分の撮った写真を喜々として公開するという形でしかコミュニケーションを図る事も自己表現もできない若者が居るとしたら何ともお寒い状況と云わざるを得ない。そんな事を知ったら日本の若者の未来はどうなってしまうのだろうかと暗い気持ちになってしまった。
あくまでもモラルと常識の話ではあるけれど、法律を盾に取れば、わんこにはなくとも飼い主には所有者の権利として犬の肖像権はあるのだと思う。えっ、無い?誰か法律に詳しい人教えて!(笑)
ちなみに、外国では必ず「写真を撮っても良いですか」と聞いてその人の了解を得なければ撮影できない。これ常識。取りも直さず日本の常識は世界の非常識。アハハ!!!