その時が訪れるのを待っていた。
- ご挨拶
だがそう都合良く啓示が訪れる訳ではない。
そう思ったのは相田みつをの古いカレンダーを使って、
『ソフィーの世界』哲学者からの不思議な手紙、
ヨーンスタイン・ゴルデル著、監修:須田 朗、訳:池田香代子 発行:NHK出版
のブックカバーを作っていた時だ。
そうだよな。もっと早く気づくべきだった。
自分の都合で遣るべき事を先延ばしにして良い訳がない。
自分が今だと思えばいつでも機は熟している。
いまこそ自分のエンジンは自分で掛けなければならない。
後は目標に向かって脇目も振らず一歩一歩着実に。
己を信じて前に進むしかない。
そして後退は許されない。
高村光太郎のあの『道程』のように、
己自身が自らの道を作る不退転の決意を持て前へ前へ突き進む。
今わたしが取り組んでいるのは、
『自分は何故生きているのだろうか。何故存在しているのだろうか』
という根源的な問いです。
実に『テツガクテキ』な命題でありますが、
それはわたしが今から半世紀も前に齢僅か十一にして、
眼の前に突き付けられた重大な現実でもありました。
その時ひたひたと『死』は足許まで迫っていました。
しかし自分の全存在を賭けてそれに立ち向かった結果その解決を見たのです。
わたしの『自我』はその時目覚めました。
ですが、喉元過ぎれば熱さ忘れる、の諺よろしく、
長い年月を経る中でいつしかすっかりそれを忘れてしまっていたのです。
本当は大切なことなのに、いまではそれを些事と思うまでになっていました。
あの時の魂の叫びを忘れていました。
馴れは必要ですが同時に恐ろしいものです。
何しろ『感動』という浄化作用がいつの間にか失われてしまうのですから。
人は年を経る毎に経験を積み進化成長していくものと思っていましたが、
長い年月の間に忘れ去られ退化していくものもあるのですね。
『感動』という『心のリセットスイッチ』を。
でもそれでは駄目なのです。
・・・・・・
あの頃に立ち戻って今は懐かしいあの根源的問いに迫ってみようと思います。
死を覚悟したあの日のあの生への渇望をもう一度追体験しなければならない。
素の自分にもう一度立ち戻らなければならない。
それこそが自分なのだから。
それこそが自分を取り戻すことになるのだから。
また会える日を夢見て。ごきげんよう。