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「人間は感情の動物である」 [ご挨拶]

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 '10.03.28.09:35追記

 やったね真央ちゃん!

 これで高橋大輔と男女W金メダルだ! 

 きょうはのっけから結構むずかしい話だから覚悟してね。去年話していた「ブログ活動の集大成」の話に最終的には繋がるのだけれど何しろ前置きが長い。長文が好きな人にはお奨めだけれど苦手な方にはちょっと苦痛かも。読み進めていただければその面白さが分かると思うけれど・・・。まあU3らしいと云えばあまりにU3的な文章ではある。であるからにしてあまりお奨めできない(笑) ところで最後まで読むとわたしの今後の予定が書いてあります。よろしければ見て下さいね。

 今回のテーマ 『理性とは?感情とは?』  
 副題:人はなぜ対立し、そして争うのか。和してどうして生きられないのか。

 とは、
人間のありとあらゆる感情を四つの文字に集約したものだ。

 脳生理学的には、「感情」には無自覚・無意識的な感情と自覚的意識による感情とがあって、前者を情動(エモーションemotion)、後者を気分・気持(フィーリングfeeling)と分けて考えるのだそうだ。意識的な感情feelingは大脳皮質とりわけ帯状回と前頭葉が関与していて、無意識な感情である情動emotionは皮質下(脳の中心部)の扁桃体や視床下部、脳幹に加えて自律神経系統や内分泌系、骨格筋などの末梢も関与している事が分かっている。
 人は極度に緊張すると脈拍が早くなりのどが渇いたりあるいは額に汗をかいたり、手に汗を握るといった反応を示すものだが、その極度の緊張を感じているのが大脳皮質であり、末梢の反応である脈拍が早くなる(動悸の事)手に汗握るなどの身体反応は皮質下がつかさどっている。
 これら様々な反応を呼び起こすのは外部から受けた刺激(情報)が大脳皮質や皮質下にある脳幹部の各器官
に伝えられ神経伝達物質がシナプスを介して送り込まれることにより発生する生体化学反応である。シナプスを介して運ばれるドーパミンやノルアドレナリン、セロトニンといった脳内に存在する神経伝達物質や、脳以外の臓器で作られ血中に溶け込んで運ばれるアドレナリン、ステロイドホルモンといった体内ホルモンの作用といった生体化学反応そのものが「感情」というものの実体なのである。
その様な最新科学を知らなくとも「こころ」というものが脳内から発生する事はもはや誰も疑うものはいない。

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 ある種の感情記憶と密接に繋がっている。人は外部から刺激を受けると皮質下にある扁桃体という器官からドーパミン等が隣接する海馬に向かって放出されそこに記憶が短期間だけ蓄積される。ご存じの方もいらっしゃると思われるが、海馬という器官は記憶をつかさどってはいるが恒久的な記憶器官ではない。長期的な記憶器官は大脳皮質内にあるのだ。コンピューターの記憶装置に例えるならば海馬はCPU内にあるキャッシュメモリやDDRメモリなどのフラッシュメモリで、記憶器官といえばハードディスク等である。
 話を元に戻そう。海馬内に届いた外的刺激(情報)は通常は短期(20秒から24Hと云われている)で消えてしまい記憶として残らない。しかしある種の外的刺激(情報)は海馬を強く刺激し長期的記憶となって大脳皮質に蓄積されるのだ。その外的刺激とは好き嫌いや快不快、恐怖といった強い感情である。この様な感情が記憶として残されるのは多分「自己保存」に関係していると思われるが現代科学ではその点までは解き明かされていないのかも知れない。
 ・・・この様に感情も含めた「
こころ」というものは全て生体化学反応に依るものだが、現代の脳科学はここまで解明が進んでいながら、というよりは解明が進んでいるだけで心を含めた感情それ自体を制御するまでには至っていないのが現状だ。つまり脳科学者や精神医学者を含めて人類は誰ひとりとして感情を制御することが出来ないでいるのだ。(生理学や脳科学、脳神経・精神医学の専門家ではないので上記の脳の働きに関する記述に正確性が足りない箇所があるかも知れません事をお断りしておきます):参考資料Wikipedia他多数

 根源的であるか表層的であるか、実(真)であるか虚(嘘)であるかを問わず人の行動や意志は感情により発露される。分かりやすくいえば感情は言葉や態度となって自分以外の者に伝えられる。それが意思疎通(コミュニケーション)の本質であり実体である。ここで明確にしておきたい事がある。それは人と人との意思の疎通は感情がつかさどっているのであって理性がコントロールしている訳ではないということである。つまり人間の言動の根幹を為すものはけして理性ではない。人間は感情で考えるのであって理性で考える訳ではないのだ。判断やそれに伴う行動もまた然りである。・・・以上のことから私達が学ばなければならないのは感情は理性に優先されるという現実と、人類の行動原理はすべて感情がつかさどっている現実を直視するという事である。

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 今度は人間心理のお勉強である。理性が人の言動をつかさどれないのは、言動の発動(初動)時に理性が顕れない事で証明される。理性とは後悔と同じ様なものだ。間違ったと思われる言動の後にやって来るのが反省や後悔であるのなら、理性もそれらと同質・同レベルであり、その精神的階層と頻度は怒りや憎しみあるいは笑いや喜びといった代表的感情より遙かに低い。というよりも理性は感情の下位分野の一状態であるにすぎないと謂えるのではないか。であるならば辞書にある様に、感情の反対語が理性である注1)訳はなく 、理性は感情に包括されるとも謂えるであろう。しかも理性は実在はするが実質的にいって機能はしないと考えた方がよい。なぜならば理性とは制御された精神状態でなければ現れないと考えられるが、精神や神経ひいては脳そのものは、たとえ医学的処置を施したとしても完全な制御は不可能だからだ「理性」・・・あるけれど使えないシロモノ・・・何だか米ソ冷戦時代の核兵器の様ですね。

 もう一つ理性について書いて置きたい事があるのだが、それは理性はすべての判断の邪魔になるという事である。「えっ!」と思うかも知れないがそうなのである。
 人は時として「理性を持って冷静になって行動して欲しい」などと言うけれど、どだいそんな事は無理であるのをわたしは知っている。特に重要度の高い判断や急を要する判断・決断を求められる時ほど理性など持ち合わせていない方が絶対的に良い。判断は感情に任せた方が即座に下せるのである。とっさの判断というものは直感であったりするのだけれど、そして「直感」とは何の裏付けもない感情ではなくて、脳内に記憶として保存してある過去の経験や自分の知識に無意識下にアクセスして得た結論なのだ。これはすべて感情が為せる業でありけして理性が判断している訳ではないことを知っておくべきである。わたしは確信を持って云えるが理性だけで判断しろともし云われたとしたら、ただただ時間が過ぎていくばかりで、誰ひとり結論はおろかどの様な決断も下す事が出来ないだろう。特に生死の瀬戸際で理性を持って判断しようとしたら結論が出るまでに確実に死が訪れる事は間違いない。

 だから理性は常日頃からかなぐり捨てて生きていかなければならない。これって極論かな?(笑)

 感情を第一に置き理性を軽んじる様な事を書いて来たが、「すべての言動は本質的に制御できない感情によって為される」という考えに疑念を持つ方も居られるでしょう。しかし理性をもってよくよく考えてみて下さい(笑)。人間の言動の結果の記録である歴史を見れば人間が理性を以て行動したかどうかははなはだ怪しいということを。人類の最も愚かな行為が「戦争」である注2)ならばそのどこに理性が存在するのかと問われてそれを説明できる者はいないだろう。歴史とは戦争と戦争をつかの間の平和で繋いだものであり戦争無くして歴史は語れないのだ。であれば人類あるいは民族の総意の行使である戦争注3)感情の総体の発露の結果だといって間違いはないだろう。であるならばそこに理性はない。断って置くがこれは論理の飛躍ではない。人々の感情が言葉や態度に表れそれが世論となって形成され、ある民族もしくは国民の総意となって戦争は起こっている事を考えるならばそれは実体であり真実であり現実なのだ。

 わたしは理性や良心などに期待しないし、その様な世迷い言をわたしに言って来る者も信じない。何故なら理性や良心は事が起こったのちに発揮されるのであって事前にはけして発揮・発現された例しがない概念だからだ。それを唱える者もまた然りである。理性とは感情の結果をあとから理由付けするものつまり「言い訳」に過ぎない。謂わば「後からなら誰でも何とでも言える」類(たぐい)と同じである。それよりも何よりも理性や良心を唱える者は何の役にも立たないし、時として問題の解決を阻害する要因もしくは原因となる事を考えると害悪とさえいえるものである。実はそれが一番の問題なのだ。感情の発露は何らかの結果もしくは成果を確実にもたらすが、理性や良心を訴える者の殆どは行動が伴わない。なぜなら理性や良心は「言い訳にすぎない」から。いくらきれい事や正論を述べても裏付けも実績も行動力も伴わない者の言葉をわたしが信じる訳がない。信じられる訳がない!

 <ブログ荒らし>ではつくづくその事を思い知らされたっけ。人々の判断が如何に的外れで何の信念にも基づかないあやふやなものであったか。ブログ荒らしを追及したわたしの言葉に対して「争いからは何も生まれない」と言った者達の何と軽薄で無責任でずる賢くかつ不快な登場とそそくさとした退場の仕方であった事か。真相や張本人を知っていながら素知らぬ振りをした人達。一見正論を吐く者の何と空虚で言葉に重みのない言動であった事か。通り一遍の同情や陰ながらの応援など何ほどの役にも立たなかった現実。人の話や噂に翻弄され真実を見つけられない人々。・・・自分も含めて人間とはかくも愚かで無知で厚顔で醜い生き物であったかを思い知らされたわたしはあの時呆然と立ちつくしてしまいましたよ。あのどこにもぶつけ様のない怒りと苛立ちと焦燥感、そしてその後に襲って来た無力感、脱力感そして云い様のない寂寥感をわたしは今でも忘れられない。自分の無力と愚かさを知ったあの痛手から立ち直るのにわたしはどれ程の時間を費やした事か他人には分かるまい。

 心の傷(トラウマ)を抱えながら我らは人生という荒波をかきわけていかなければならない。

 U3の格言> 

 「戦争」は「恋愛」に似ている。どちらも熱病の様に全身を包み人々を翻弄するがそれが冷(醒)めた後必ず後悔する。注4)

 国民感情の総意の結果である戦争は過去のものではない。なぜならば今でも人類は争いごとを止めようとはしないし争い続けているのだから。愚かな事に。注5)

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注1) 勘違い為されている方もおられると思うので敢えて注釈致しましたが「理性」の反対語は「感情」であり「本能」ではありません。ちなみに本能に反対語は存在しません。語義的に本能の反対語を敢えて云うならば「後天的に身につけた能力」という事でしょうか。感情は本能の様に能力じゃありませんから反対語にならない訳です。余談になりますが、反対語とは対義語のことであり<表>と<裏>、 <最初>と<最後>、<出る>と<入る>、<泣く>と<笑う>、<寝る>と<起きる>などがありますが<眠る>の反対語は<起きる>ではなく<目覚める>です。お間違いなく。

注2) ちなみにわたしは戦争を最も愚かな行為だと思ってはいるがそれを否定はしない。戦争とは(暴力ではあるが)国家がその主権を主張する最も強力で正当な手段であることは間違いない。曖昧な記憶だが、かのクラウゼヴィツは「戦争論」の中で確かこう云っていた様に思う。「戦争とは他の方法をもってする政治の継続に他ならない」と。つまり「戦争とは外交手段などではなく武力という国家暴力を用いて為す政治の継続」だという訳だ。わたしは戦争行為と戦争がもたらす悲惨さには嫌悪感を覚えるが国家主権が侵される事によって国民の生命や安全が危機に瀕すのであれば間違いなく戦争という愚かな行為を支持し自らも行動し戦うだろう。でも、一言だけ断って置くけれど、戦おうが戦わなかろうが結果が悲惨である事には変わりはないと知っていてわたしは戦うと云っている事だけは理解して下さい。わたしは思うのだが、「戦争反対」など声高に主張すべきではないと思う。そしてその逆である「戦争容認」もまた同様である。ただ、侵略されるがまま若しくは攻撃されるがまま座視できる人がいたとしたらそれこそ人間ではないという事だけは云えるのではないか。目の前で家族が犠牲になり人々が次々と死んで行く様な事態になっても何もせず「戦争絶対反対」などと喚いている者がもし居たとしたらそれは只の愚か者である。
 わたしは「戦争反対」であろうが「戦争賛成」だろうがそんな事はどうでもいいのだ。昨年戦争について議論を吹きかけて来ようとした愚か者がいたが、わたしはそんな事で議論をするつもりは更々無いのだ。何故なら、もし現実に戦争が起き目の前で戦闘行為が繰り広げられたとしたら、反対だろうが賛成だろうが否応なく戦争に巻き込まれてしまうのだから、イデオロギーとか思想とか信条がどうだなどとは言ってはいられない事だけは確実なのだ。今の日本の様に平和の惰眠を貪っている中で戦争に反対だ賛成だなどと声高に主張していったい何になる。わたしはその時の「覚悟」だけはして置くべきだと只々思うだけである。ひとつ云える事は今の日本人はすっかり「馬鹿」になってしまったという事だ。人の意見に左右され自分というもの(自分の考え)を持たない。その上ものを知らない。知らな過ぎる。その割には自己主張だけはご立派な事で空論虚言を繰り返している。ソネブロ内でも真顔になってそんな「言葉遊び」をしている愚か者を挙げたら枚挙にいとまがない程だ。こんな国民ばかりだとしたら、そしてもし戦争が今の日本で始まったとしたらそこに正義があろうが無かろうが負ける事は必定だ。それこそ悲惨だよ。愚かであるが為に侵略されて負けるなんて。

 「無知蒙昧と付和雷同はもっとも始末に負えない悪徳である」・・・U3語録No.132
 
※本当にU3語録が132以上もあるなんて思わない様にいつものジョーダンなんだから!

注3) 例えば太平洋戦争に於ける日本を例に取ってみればよい。あれは軍部(特に陸軍)の暴走から始まったとされているが、それを支持したのは多くの日本国民であったのは間違いのない事実だ。忘れてならないのは先の戦争は日本が仕掛けた戦争であったという事だ。米英の経済封鎖があったから止む無く開戦したのだと理由を付けたとてその前に中国との戦争を始めたのは日本でありそれが為の経済封鎖だったのだ。その事(開戦の経緯)を見るならば戦争は無益だと当時の軍部も国民の過半も考えてはいなかったのではないかと思わざるを得ない。
 もし日本という一民族の過半に「理性」というものがあったとしたら太平洋戦争は回避できたはずだがそうはならなかった。言論統制されていて真実が伝わっていなかったというかも知れないがよくよく状況を鑑みれば分かったはずである。直感でね。異を唱える者はすべて「非国民」とされた時代に戦争に反対など出来なかったというのは言い訳にすぎない。なぜならば国民の過半が「戦争反対」の意志を日本という国家(政府もしくは軍部と言い換えてもよい)に対して強固に示していたら戦争は回避できた事はほぼ間違いがないのだから。極論かも知れないが、A級戦犯だけが悪いのではなく、開戦当時成人であった者はすべて「戦犯」だと云っても過言ではない。戦後「公職追放」という名の戦犯狩りをした人達に「良心」はなかったと云われても恐らく返す言葉はないだろう。何故なら大なり小なり人は皆「国家総動員法」を容認する事によって戦争に荷担していたのだから。お国の為といって、息子を、夫を、後輩を、部下を、友人を、学生を、若者を、働き盛りの男達を戦場に送り出したのは国家だけではない事を心に刻む事が大切だ。
 わたしは思うのだが、国民一人一人が時代の波に押し流されてしまって「戦争反対」という勇気を示せなかった事が今日の状況を招いているのではないかと思っている。
太平洋戦争であれだけの犠牲を払いながら戦後の日本は果たして戦前より良くなったのかと問われ自信を持って「良くなった」と言える方がどれ程居られるのかわたしは知らない。

注4) 恋愛と結婚はイコールでないことは誰でも知っている。だから「恋愛結婚」もその熱病が醒めてみれば多くは後悔をもたらすのである。恋愛の末に結婚するかどうかは熱病が結婚という行為の前に醒めるか醒めないかの違いだけであればそれも当然と謂えよう。「恋愛」という熱病が醒めた後に来るのは「後悔」と「倦怠」と「惰性」あるいは「諦観」しかないとわたしは云いきる事が出来る。しかしそれが「不幸」であるかどうかはそれぞれの考え方次第、心の持ち様である(笑) ちなみにわたしは十分すぎるほど満足している。自虐的なほどに(爆)
 戦争にもまったく同じ事が云える。時代の空気が人々から正気を奪い去り、気がついた時ににはすべては終わりもう手遅れだ。

注5) 「争いからは何も生まれない」と過去に拙ブログにコメントを寄せてくれた人達がおられたがこの人達がいざ日本が戦争という事態になったとしたら戦争に反対するかははなはだ疑問と云わざるを得ない。他国から核攻撃をされたとしよう。(今の日本は現実に十分それがあり得る状況下に置かれている事を忘れてはならない)その状況下で戦争反対を唱える事が出来るだろうか?憲法9条により交戦権がないのだから戦ってはいけないと果たして云えるだろうか?「自衛隊」は明らかに日本国が保持する武力つまり日本軍であるがその様な武力を保持していながら他国から攻撃されて果たして日本は黙っているだろうか。過去の例を挙げるまでもなく他国からの攻撃に晒されたならば日本の世論は一気に開戦へと傾くだろう。これは間違いのない想定されうる事実だ。であるならば「人間に理性など存在しない。人間の言動をつかさどるのは感情以外の何ものでもない」というわたしの考えは正しいという事になる。先にも述べたが人間の最も愚かな行為は戦争であるという事にわたしは異を唱えない。しかしこれが現実だという認識は持っておく必要がある。

 ところで、わたしは「歴史は勝者によって作られる」などと云う話を信じていない。現実の歴史は日本であろうが世界であろうが敗者にも言及しているし滅び去った文化文明についても記述がある事を考えればけして「勝者」によってのみ作られた訳ではなく人類あるいは民族の総意・総体として綴られたのが歴史なのだという事が出来るだろう。だとしたらこれから先の「歴史」は私達によって変えられる筈だ。

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 なぜ長々とこんな事を書いているのかいよいよ話す時が来た。

 いきなり物騒な表現をする事をお許し下さい。

 自分以外の生き物を「殺す」事は動物にも出来るが「戦う」事は人間にしかできない。しかもそれを自分の意志でするとなると尚更だ。 と同時に自分自身を滅ぼす事(つまり自殺)も人間にしか出来ない。(レミングなど小動物の集団自殺は自分の意志でするものではない)当然の事だが「戦い」ではなく「和平」の道を選ぶ事も人間ならば可能だ。これはあきらかに「選択」の問題であるが「選択」は人間にしか出来ない高等判断だ。過去の経験を脳の中から照会し、その中から適切なものを選択し判断を下す。そしてその判断の結果を推測するという複雑な過程を経て結論を出す訳であるが、それを一瞬のうちに成し遂げてしまう人間とは何と素晴らしい生き物かと感に堪えない。
 がしかし、人間にはその様な記憶を遡ったり推測したり選択したり判断するといった優れた能力が備わっているというのに、なぜ人間はこうも誤った選択や判断ばかりするのだろう。それはたぶん人間という動物が他の動物に比べ「本能」が退化した分だけ「感情」が発達したからに他ならないのではなかろうか。しかしながら「感情」ほど不確かなものはないのだから、それに準拠して行動する人間にはどうしても過ちがつきまとうのは当然であろう。特に危険を察知するという能力においては、人間が自らの判断により正解を出す確率は、犬猫や他の動物の本能に基づいた行動に遙かに劣るのではあるまいかと思う。もし人類に終焉の時が来たとしたらその時人類はこう後悔するだろう。「ああ、突出した知能など持つんじゃなかった」と・・・。

 わたしは自分が愚かで良かったと思っている。人より優れた頭脳など持っていたらたぶんわたしはろくな者になっていなかったであろう。わたしは単純な性格だから不正なものを見ると我慢がならない。しかも怒りっぽい。したがって愚か者は怒りやすい訳だが、単純だからといって不正に対する怒りが正しい判断の防げになるのかと云えばそうではない。怒りが正しい判断の防げになるのは己を忘れるほどの怒りであったり、よこしまな考えや動機に基づく怒りである場合に限られる。わたしはある意味では年がら年中怒っているが正しい判断の目が曇ったと感じた事は長い人生の中で殆ど経験がない。特に「正義感」に根ざした怒りはそうと云えるのではあるまいか。

 実は、その様な正義感やら真実を見つめる視線で物事の有り様を眺めた時、「人はなぜ争うのか」ということがわたしには一番気に掛かる問題であった。実に他愛のない事から争いは始まり、いがみ合い、罵りあって、自分の方が正しいと声高に主張する。ソネブロでのブログ荒らしやいじめ、嫌がらせ等々、なぜ人は他人の嫌がる事を平気でするのだろう。ソネブロでも、自分がされたら大騒ぎをするのに陰に回って人には平気で嫌がらせをする連中をわたしは沢山見てきました。そして自分に関係ないと思えば何で人はああもそ知らぬ顔が出来るのだろうとも思って来ました。
 わたしは一度この様な人間の心の揺らぎと云おうか不確かさという云おうか混沌と云おうか「感情」の為せる業を明らかにして見たいとずっと思い続けていました。

 わたしが昨年の一時期ブログ活動を控えていた頃に書いたコメントを皆様は覚えていらっしゃるでしょうか。そう、わたしが「集大成」を書くと云った事を。
 わたしはそれをけして忘れていません。常日頃からそれらを念頭に置いて記事を書いて来たのです。それは冒頭に挙げた「喜怒哀楽」をブログの中に表現するという事に他ならないのですが、主要なテーマはあくまでも「人はなぜ争うのか」という事です。

 それをわたしは「人間ドラマ」としてあらゆる手法・手段を用いて表現したい考えています。申し上げました様に「争い」は人間の最も愚かな行為です。しかしそれが無くなる事は未来永劫ないであろう事も冷静に立ち返ってみれば私達は容易に理解できるはずです。わたしはそのなぜ無くならないのかを追及してみようと思っています。わたしはそれをある時は「エンターテインメント」として、またある時は「ブログ小説」などの読み物として、またある時は「エッセイ」として時には笑いを交えて表現したいと思っています。引き合いに出すのはおこがましいのですが、考えてみればシェークスピアだとて人間の愛憎劇を著したに過ぎないのであればわたしが同じ事を著す事に何のためらいがあるでしょう。

 『人間は感情の動物である』 ・・・おろかで悲しい生き物である。

 人の言動はすべて『感情』のなせる業・・・そこより出(い)でて、そこに収束帰結する。

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 今後の予定のお知らせです。 

 今後は「集大成」ばかりを書く積もりは更々ないのでご安心を(笑) なにしろ拙ブログはエンターテインメントを標榜するブログですからね。これからもお笑い、ペーソス、お涙頂戴、檄文てんこ盛り。言葉のごった煮ブログですのでそれで差し支えなければまたおいで下さいませませ!

 書きたい事はいろいろ有り過ぎるくらいあるのですが順を追って公開したいと思います。ちなみに現在のストック原稿は五十を超えていますが全部を公表するつもりはありません。次回は「戦争」の話です。この話は興味のある方には必見です。お笑い一切無しの超真面目なお話しです。その次は一転して「恋」のお話しです。さらにその次は”U3小説”「嵐の夜に」というタイトルのソネブロを舞台にした不連続ブログ小説の連載を予定しています。さらにその後にはわたしが今もっとも心血を注いでいる新シリーズが始まります。U3童話」という新カテゴリーがそれです。童話といっても大人の童話です。わたしは確信を持って云えますがこの童話を読んで皆様の魂は激しく揺さぶられることでしょう。何回かに分けて記事をアップする予定なので乞うご期待。あなたが続きを読みたくなるのは必定です。
 当面の予定は以上の通りです。ただし、四月以降は仕事優先なので更新は週一回か二回、場合によっては月二回になるかも知れません。ご了承下さい。

 もう一つ、ブログから離れてオフィシャルなお話です。四月一日から仕事に復帰します。したがってブログばかり遣ってる訳にはいきません(笑) また郊外でのお仕事になるようです。そうなればまたサイバーダイン社を偵察するか、それともターミネーター開発を阻止するのか、しがないエージェントとしてはジョン・コナーの指示を待つのみ(笑)
 
 上記のターミネーターの話が分からない方は「ココ」を押して過去ログを見て下さい。そこにはあなたの知らない驚愕の事実が・・・
(爆)

 <追伸>

 仕事が始まる前に西の方に精神修養のために出掛けて来ようと思っております。西といっても西方浄土じゃございません。でも仏教絡みではあります。旧友とも時間があれば会いたいなと思っておりますが多分彼の地には今は居ないでしょうね。仕事で遠くに出掛けていて。

 では皆様ごきげんよう。

Sí el sí y, un amigo, veamos de nuevo
algún día a las mujeres.

 


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poyoyon

こんばんは!
先日はご訪問頂きましてありがとうございました。
by poyoyon (2010-03-27 02:14) 

斗夢

写真を拝見して失礼いたします。
谷底にいるちっちゃいのがいいですね、特に後ろ姿が。
by 斗夢 (2010-03-27 05:37) 

U3

☆poyoyonさん こちらこそ 訪問いただきありがとうございました。
by U3 (2010-03-27 06:34) 

U3

☆斗夢さん たぶん「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」を表したものではないかと思います。
 このあたりの神社の狛犬は表情が良いのが多いですよ。

by U3 (2010-03-27 06:38) 

U3

☆ゆとりOLさん、uryyyyyyさん、たろうさん、cerulean_blueさん、ritton2さん、チムさん、プリンさん、nekonoteさん、上野まり子さん、coupleさん、サホさん、「直chan」さn、tamanossimoさん、あんれのさん、harusan、JIJIさん、ツカコロさん、no-tenkiさん、ryo1216san、Lucifer_yoshiさん、derufyiさん、みやたんさん、okoさん ご訪問いただきありがとうございました。またのお越しをお待ち申し上げております。
by U3 (2010-03-27 06:49) 

hirochiki

Buenos dias!
ラストは、スペイン語ですか? (mhirochiki)
by hirochiki (2010-03-27 06:58) 

つなみ

ゆーさん^^おはようございます。
今回のお話は興味深く・・
例の御仁を見ていると・・喜怒哀楽のうち、
特に「怒り」は、過去の記憶からくるのかとも思います。
感情への刷り込みは、重ねられれば重ねられるほど
重要性を増すからではないかしら。
うまく言えないけれど、積み重なる怒りは恨みへ、
そして狂気への一歩は、恨みからくるのかもしれません。
などなど、つらつら考えてしまいました。
大人の童話・・楽しみにしています^^
by つなみ (2010-03-27 07:32) 

たいへー

仕事復帰、おめでとうございます。
感情をコントロールすることが出来たら、
どんなにいいかと考えますが、
最近では、感情があるから人間なんだとも思います。
by たいへー (2010-03-27 07:56) 

eyes

「人間は感情の動物である」
すごくシンプルだけど
すごく的を得た言葉ですね

私ついつい勘定的になってしまうんです
そういう自分がすごく嫌いなんですけど・・・・

by eyes (2010-03-27 08:45) 

aranjues

改めて読み直します(苦笑)。
by aranjues (2010-03-27 09:26) 

バロックが好き

行動を伴う事、
難しいですよね。
by バロックが好き (2010-03-27 09:26) 

U3

☆hirochikiさん スペイン語らしいです(笑)
 無料の翻訳サイトで日本語をスペイン語に変えました。
 「さらば友よ、さらば女達よ、
    そしてまたいつの日か再会しよう」てな日本語だったような。あはは!
by U3 (2010-03-27 09:44) 

U3

☆つなみさん 例の御仁ってストーカー女の方ですか?
by U3 (2010-03-27 09:45) 

U3

☆たいへーさん ありがとうございます。これでやっと首が繋がりました(笑)
 ええ、人間は感情の動物ですから。
by U3 (2010-03-27 09:48) 

U3

☆eyesさん ひとつ前の記事にもコメントを頂きありがとうございました。
 「勘定的」って”現金な女”って意味ですか?(爆)・・・ならうちの妻と同じです!あはは。

by U3 (2010-03-27 09:52) 

U3

☆aranjuesさん そうして下さい(=^_^=)
by U3 (2010-03-27 09:52) 

U3

☆バロックが好きさん そうでもありませんよ。第一歩さえ踏み出してしまえば。
by U3 (2010-03-27 09:54) 

nyankome

お仕事復帰オメデトウございます。
注4、頷きながら拝読しました。(^_^;)
by nyankome (2010-03-27 10:16) 

U3

☆nyankomeさん ありがとうございます。
 注4は我ながら名文(迷文)だと自負しております(爆)
by U3 (2010-03-27 10:33) 

kurizo

今日は、読むのに苦労しました(^_^;)
『理性はすべての判断の邪魔になる』
なるほど!と思いました。
確かにそうですよね。
お仕事復帰、おめでとうございます(^^)
by kurizo (2010-03-27 10:34) 

U3

☆kurizoさん 苦労させてすみません。でもこれが本来のU3ブログ!(笑)
 たまにはいい事云うでしょ。
 理性的な人というものに胡散臭さを感じて分析した結果がこういう結論になりました。
 理性的とか落ち着いているって普段云われている人程いざとなったら役に立たなかったという光景をわたしは何度か見てますからこの様な分析をした訳です。
by U3 (2010-03-27 10:47) 

もも

理性のかけらもなくなった私のブログを読んで笑ってください。
by もも (2010-03-27 11:44) 

どぼちょんぱぱ

いつもながら、引き込まれてしまいます^^
by どぼちょんぱぱ (2010-03-27 13:04) 

ラブ

えっ、西にいらっしゃるんですか(^^;)
ドキドキ。

by ラブ (2010-03-27 13:44) 

mayumi

精神学者、岸田秀は「人間は本能の壊れた動物である」と唱えました。
ゆえに、戦争をしたり、殺人を犯したりするのだそうです。
人間は、霊長類の頂点にいる静物と位置づけられていますが、
本当にそうかな?と思うこともあります。
むしろ生態系の中では「異端」であり、地球の自然な循環システム
を破壊する。ときには、身近な他人を必要以上に攻撃することもあるから
です。
・・・なんて、戯言めいてしまいました(^_^;)

by mayumi (2010-03-27 14:35) 

七色音

久しぶりにU3ワールドにどっぷりつかりました(笑)
長年お勤めした会社をお辞めになった経緯…あたしは好きですよ。大小関わらず「長」がつく方には大きく揺るがない器が欲しいものです。小さいのはキライです。きゃはははは。
4月からのお仕事 気をつけて任務遂行してください。どんな危険任務が待っているかわかりませんので~。
by 七色音 (2010-03-27 14:54) 

U3

☆ももさん 拝見させて頂きましたよ。良いブログだと感じました。
by U3 (2010-03-27 15:30) 

U3

☆どぼちょんぱぱさん お褒め頂きありがとうございます。
 いま奈良は桜が満開とか。古都の春は綺麗でしょうね。二年前を思い出します。
by U3 (2010-03-27 15:33) 

U3

☆ラブさん ・・・考え過ぎです(爆)
 あまり人の多いところは苦手でしてできるだけ人のいないところに行きます。
by U3 (2010-03-27 15:35) 

U3

☆mayumiさん 戯れ言シリーズなかなかですね。
by U3 (2010-03-27 15:53) 

U3

☆七色音さん ええ世の中には危険はつきものですので心します(笑)
by U3 (2010-03-27 15:56) 

とも

ご訪問&nice!をありがとうございました。
興味深く読ませて頂きました。
by とも (2010-03-27 16:05) 

gyaro

笑うって人間だけしか出来ないんですかね〜?
by gyaro (2010-03-27 16:38) 

U3

☆ともさん またお越し下さい。
by U3 (2010-03-27 17:14) 

U3

☆gyaroさん 笑う筋肉は人間にしかないそうです。
 でも犬猫って笑っているように見える時がありますよね。
by U3 (2010-03-27 17:16) 

なかちゃん

お仕事に戻られるとのこと、良かったですね ^^
何も経験のない時にはまず感情から動き出し、それを行った結果得られた
ものが後悔とか反省として記憶され、次回似たような行動を起こすときに
その行動を起こすための判断基準となる…みたいに考えます。
その判断基準を理性と呼ぶのなら、やはり感情が先なのでしょう…
的外れだったらゴメンナサイ ^^;
あと、ずーっと昔『男はプライドの生き物で女は感情の生き物だ』と聞いた
ことがあります。だから、同じ場面に遭遇しても怒る部分が違うような話も
ききました。
何となく解り易い説明だなと思いました (^^)

by なかちゃん (2010-03-27 19:17) 

ゆき

面白く読ませて頂きました。
体というハードを持つ心というソフトは、物理の法則に少なからず支配されていると思います。

by ゆき (2010-03-27 19:46) 

ming

狛犬、阿吽、迫力がありますね(@_@)
by ming (2010-03-27 20:15) 

侘び助

近頃喜怒哀楽を地で行く、まことに厳しい日々を送っております。
治まりそうになると、火に油を注ぐ輩がおりまして・・・ (-_-メ)
by 侘び助 (2010-03-27 20:41) 

momotty

就職おめでとー!(^^)!
良かったですね、これで食いぶちつなぐ事ができましたね<(_ _)>

お互いに頑張りましょう~♪
by momotty (2010-03-27 22:50) 

DEBDYLAN

感情の塊同士のぶつかり合いだから面白いコトもありますね^^。
そんなコトばかりだったらいいんだろうけど。

by DEBDYLAN (2010-03-27 23:01) 

枝動

言われてみれば、U3 さんの分析どおりかも。
以前に請求金額でトラブった時に、一瞬のうちに直感で判断したけれど、正にその時脳には経験や知識が浮かんでいて、それを見ながら自分の主張をしゃべっていました。
獅子の本能を表したような狛犬がいいですね。この経験が活きてくるのです、よネ。
by 枝動 (2010-03-28 02:51) 

U3

☆なかちゃんさん おはようございます。
 後悔とか反省が「理性」の判断基準となるという事であればその通りだと思います。ただ、それは単に「学習効果」という事であって「理性」がすべての判断基準になるかといったらそうはならないだろうというのがわたしの考えです。何故なら「理性」の判断基準は「善悪」に依るからです。ところが人間の言動の殆どは自己保存の本能から来る「利・不利」が判断基準になっている為多くの問題が生じているのです。「利・不利」とは個々人固有のものであって普遍的共通性を持ち合わせていません。つまり各人の考え方、捉え方はまちまちです。「利・不利」とはある人には「損得」であり、ある人には「正誤」であり、またある人には「快・不快」であったりする訳です。人は殆どの行動の基準に「善悪」を置いていないので「理性」が働く余地がないのだとわたしは考えています。
by U3 (2010-03-28 08:55) 

U3

☆ゆきさん お久し振りです。
 そうですね。物理的法則に支配されてその呪縛から解き放たれる事はないでしょう。
 生きている限りりに於いては。
by U3 (2010-03-28 09:00) 

U3

☆mingさん よくぞ云って下さいました!
 わたしこの神社の狛犬が大好きなのです。
by U3 (2010-03-28 09:02) 

U3

☆侘び助さん 旦那さんですか?(笑)
by U3 (2010-03-28 09:03) 

U3

☆momottyさん ありがとう。これでやっとおまんまの種ができました。
 毎日ブログをしているのは面白いけれどそれでご飯は食えないからねぇ。
 これでまた週一更新のスタイルに戻るのでしょうか。
by U3 (2010-03-28 09:07) 

U3

☆DEBDYLANさん 魂のぶつかり合いは言葉としては美しいですよね。
 でも実際は醜いものだと思いますよ。云いたい事とご飯は腹八分目が一番良いとわたしは思います。
 昨日、仕事上の人間関係で悩んでいる姪に人と話す時のコツのひとつとして教授しました。
by U3 (2010-03-28 09:16) 

U3

☆枝動さん おはようございます。
 結局その人がそれまでどの様な道を歩いてきたか、そしてその時々でどの様な対応をして来たかという事に尽きるのかも知れませんね。人は過去からはけして逃れられないという事なのだと思います。
by U3 (2010-03-28 09:21) 

ram

またまた、ガツンとやられました~
ちょうど、私はひがんでいるところでした^^;
「人はなぜ対立し、そして争うのか。和してどうして生きられないのか。」
の言葉だけでも、身が引き締まりました。
先にコメント書いたので、今からじっくり読みます。
私の気持ち、落ち着きそうです。

by ram (2010-03-28 10:50) 

U3

☆ramさん 期待してあまりガッカリしないように(笑)
 この記事では結論を出していないので参考になるかどうかは分かりません。
 その事をご了解下さい。
by U3 (2010-03-28 11:55) 

pon

U3さん こんにちは。
いつもありがとうございます。
U3童話というのはまた面白そうですね。
また読ませていただきます。
お仕事も頑張ってください。

by pon (2010-03-28 14:15) 

Live

時々Blogのupdateしながら
仕事頑張ってくださいな。
また、楽しませてください。
by Live (2010-03-28 16:03) 

U3

☆☆☆ 皆 様 へ ☆☆☆
先程陛下をわんこの託児所に預けて来ました。うちはお出掛けのあいだ誰にも面倒を見て貰えないので。
陛下寂しそうにわたしを見ていましたね。わんこって分かるんですよね。暫く会えないって。
今日は早めに寝て明日は5時起床です。明日はいよいよ西方遠征に行って参ります。
とは云いながらまだ遠征の支度完了してませ~ん。
それから少し荷物になるけれど遠征にはVAIO typeP を持って行きます。
もしかしたら旅先での更新もあるかも知れません。あちらは今桜の花が見頃だという事なので。
ではでは・・・。 
by U3 (2010-03-28 18:13) 

tonta

U3さん

仕事の復帰おめでとうございます(^-^)

by tonta (2010-03-28 20:32) 

テリー

最近、トルコを旅行して、日本は、いいと感じました。極東の端にあるお陰で、外国に蹂躙されることは、ほとんど無く、また、民族も、歴史に残る形では、一つの民族です。トルコは、数千前から、つい最近まで、戦乱に次ぐ戦乱で、すごい遺跡だらけです。アジアとヨーロッパの交通の要所、キリストやモハメッドの生まれた場所の近くということなどによるものですが、すごい歴史に、びっくりしました。しかし、トルコ人は結構、日本に対して、フレンドリーなのも、びっくりしました。その理由の一つに日本が日露戦争で、ロシアを破ったというのもあるようです。
by テリー (2010-03-29 00:02) 

つなみ

ゆーさん、コメントレスありがとうございます。
例の御仁は、男性(50歳ちょっと前)なんですヨ^^
耳鳴りと偏頭痛と聞こえすぎ(100m先の人たちの声が聞こえる)
過敏すぎ(他府県の地震の振動が分かる)などが治らないから、
という理由で脳ドッグするんですが、当たり前だけど、
いつも精神科へまわされるの。
病名をつけた医師をも猛烈否定するから、処置なしのうえ、
どちらかの懇意のお医者から、ストレスの軽減のため、
デパスを時々服用しています。
就活頑張ります♪^^(逃げ出さなくちゃ!)
by つなみ (2010-03-29 11:06) 

emuzu

結果が分かっていたので、、、安心して放送見れましたd(⌒ー⌒)nice!!!

by emuzu (2010-03-29 11:11) 

マリンかもめ

同時に、人に「欲」がある限り、
良い事も悪い事も絶える事はないでしょう・・・ね?
by マリンかもめ (2010-03-29 11:15) 

せつこ

うわ~~長~~い文章・・・小説を読んでいる感じ!
文才が有りますね、それに引き換えこの私、短くまとめられません。
by せつこ (2010-03-29 13:30) 

くまら

>『人間は感情の動物である』 ・・・おろかで悲しい生き物である。
その通りだと思います
by くまら (2010-03-29 16:38) 

bonitavida

Gracias por visitar a mi Blog y pegar un Nice.
これからもよろしくおねがいします。神社って私も好きです。祖母との思い出も蘇るのです。
by bonitavida (2010-03-29 20:57) 

りっきー

こんな文章を書けたらって、ホントに思います。
自分の意思を文章にし、さらに読んでもらって何かを伝えるって
本当にむつかしい。
すごい才能ですね。
by りっきー (2010-03-30 00:46) 

U3

☆皆様へ☆
西方遠征初日は羽田から伊丹に飛び、そこからレンタカーで目的地に向かいました。そして朱雀門、大極殿、西大寺、唐招提寺、薬師寺、新薬師寺、奈良町と廻りました。
さあ、わたしは何処にいるのでしょう? そして2日目は何処へ(笑)
by U3 (2010-03-30 06:35) 

U3

☆皆様へ☆
西方遠征二日目は室生寺(女人高野)、長谷寺、飛鳥寺、亀形石造物、酒船石遺跡、石舞台古墳と廻って来ました。写真と動画を500枚以上撮りました。整理が大変です(笑)
by U3 (2010-03-31 06:07) 

袋田の住職

↑ 奈良のお寺は、建築学上興味あるものがたくさん残ってますね・・・
石の遺跡も謎めいていて興味深いです。
ゆっくり散策したいエリアです。
by 袋田の住職 (2010-03-31 15:24) 

mochamama

仕事復帰、おめでとうございます。
奈良でしたか。
桜が見ごろでしょうか。
うちのあたりは1分咲き。
今日の文章は長かったです・・・
by mochamama (2010-04-01 18:21) 

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