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戦争って何? [U3の独白]

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 『同期の桜』は軍歌です。を美化した・・・。

 問われて一言で云い表すならば「戦争は狂気である」といえよう。 

 今からちょうど四十年ほど前にジローズの「戦争を知らない子供たち」という反戦歌が流行った事があったね。たしかベトナム戦争真っ盛りの頃だった。その歌の様に、考えてみたら今生きている人の殆どは「戦争を知らない子供達」なんだよね。とにかく六十五歳以下は戦争を経験していないからね。七十歳だって終戦の時五歳だからね。戦争を覚えているとは思われない。
 戦争を経験しているから偉い訳でも、経験していないから未熟な訳でもないけれど、TVなどで戦争を安易に議論してしまえる今の世の中って戦争を知らなすぎるし間違っていると思う。

 いきなりでなんだけれど、いまの日本人は平和惚けしてるとわたしは思う。昨年の八月十五日の夜にNHK「日本の、これから」という番組で「核」についての公開討論の場があった。わたしは見ていて思ったのだけれど、口角泡を飛ばして議論している人達の殆どは戦争を経験していないんだよね。わたしに云わせれば核兵器を持つべきか持つべきではないかなんてそんな議論など、賛成だろうが反対だろうがどんな意見であろうが、核兵器を使った戦争というものがどんなものになるのかその本質と実体というものに深く言及していない以上、何ら意味のないことであり根拠が明確でない以上ただの空論だと思うんだな。何しろ核戦争だけではなく通常兵器を使った戦争でさえ後期高齢者医療制度受給者と広島・長崎の被爆者以外は誰も知らないんだから。もし意味があるとしたらそういう議論をする事(「核」について語ること)が今の日本ではタブーでなくなったという事ぐらいしかないと思う。
 こういう事を議論する人達って観念的で頭でっかちなんだとわたしは思うよ。「実体」を知らずして「観念」だけで動くって本当に危険な事なんだよ。そんな事も分かんなくなっちゃったいまの日本人って利口ぶってはいるけれど世界の人から見たら多分馬鹿に見えるんだろうなぁ。つまり愚か者ってこと。

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 まあそういうわたしだって戦後十年くらい経って生まれた訳だから戦争は経験していないのは同じだけどね。でもね、わたしぐらいの年齢だと少なくとも親は戦争を知ってるんですよ。これがわたしなどよりひとまわり以上のいわゆる「団塊の世代」だと、戦争体験は親よりもむしろ祖父や祖母に聞くことが多く、その場合にはまずはじめに「今の若い者は・・・」的な話をされて反発が先に来てしまって戦争の話などよく聞かないんだね。そしてわたしの一つ後の世代だと今度は「シラケの世代」だから聞く耳持たないし、わたし達の世代が一番「素直な世代」かなぁ(笑) だからという訳ではないがわたし達の世代は爺さん婆さんに聞くよりも直に親から聞けるからそういう反発を感じないで済むんだね。だから多かれ少なかれ戦争の生々しい話を何らかの折りに詳しく聞いている訳です。それは「戦争体験」なんてもんじゃないんだね。現実なんだ。そういう世代と、親も自分もまったく戦争を知らない世代と比べたら戦争そのものの捉え方の違いは大きいと思う。本などで身につけた知識と生の話じゃ全然重みが違うんだよ。いくら兵器が近代化したって進化したって戦争の本質は何も変わらないという事をわたしは親から学んだからね。

 結論から先に云えば戦争は悲惨です。勝っても負けてもね。わたしは戦争は国家主権に関わる事だから否定しないし、いざ日本が他国から戦争を仕掛けられたら応戦しろと云うのがわたしの考えだけれど、それは「好戦的」というのとは違う事だけははじめに明確に云って置こうと思う。戦争ってそれ程単純なものじゃないんだよ。戦争について議論をしている人達を見ているとこの人達は本当の戦争がどの様なものなのか知らないんだろうなぁと思っちゃうんだな。だから平気で核兵器を持てとか持つなとかいとも簡単に言えちゃう。「そういう選択をして本当にいいのかい?」、「あんたその発言に責任持てるかい?」って、わたしならそう云っちゃうね。

 議論好きな人達っていうのはさ、わたしに云わせれば何かにつけ「観念的」過ぎるんだよね。こういった傾向って今の日本全体に云えるんじゃないかと思うね。ちょっと例えが違うかも知れないけど連日の様に殺人事件とか報道されているよね。そういう事件を見て皆はどう思っているかな? 「観念的殺人」・・・そう思わない? 人が死ぬ、人を殺してしまうという事がどういう事なのか知らないから観念だけでそれを実行に移してしまう。そんな殺人を見てるとどれもこれも計画的殺人だよね。はじめから包丁とかナイフとかの凶器を用意して逃走経路や移動手段などを周到に計画している。動機は至って幼稚だけどね。そこにあるのは相手への怨念とかやっかみだとか、ただただ遊ぶ金が欲しいとかそんな事が原因で起こっている。犯罪研究の専門家じゃないので分からないけれど実感としては戦前や昭和三十年代までの殺人事件とは明らかに傾向が違うんじゃないかな。わたしはそう思う。むかしは止むにやまれずとか感情が激してとかそういう事件が多かった。そして動機を理解できたし場合によってはある意味犯人に同情する事もあった。しかし今の殺人事件って理解不能な事が多いし容疑者に同情するなんて事は皆無だよ。動機無き殺人も多くなったしね。これってみんな観念的だから起こってるんだと思うんだ。人の生き死にを観念だけでしか考えられないから希薄な根拠で人を殺めてしまうんだと思う。「独善的殺人」という傾向も垣間見えるよね。自分だけが正しいという偏った考え方の持ち主が多いというのは、議論好きな人達にも云える傾向ではないかと思われる。

 わたしが思うに議論好きな人達には項目間を見れば一見矛盾しているかに思えるこんな共通点が見受けられるようだ。①観念だけで物事を考えるから安易に言葉を発する事が出来るし、実体を知らないから平気で空恐ろしい事が言える。 ②声高に主張する方になびいてしまう。多数派に付く。そして一度信じたら疑う事を知らない。 ③自分の考えが正しいと主張して人の考えを否定する。 ④議論の根拠が希薄で自分というものがない。 ⑤何が何でも議論に勝つ事が自分の存在感を示す事だと思っている。 ⑥自説を通す為には「何をしようが自由何を言おうが自由」と思っている。 ⑦議題など何でもいい。とにかく議論さえできればそれで良い。そして相手を論破できれば満足。・・・他にもあるだろうけど大体こんなところだろうか。議論好きな人達ってこんな矛盾した感情が同居しているアンバランスな人達だと云えるのではないか。
 でもそこを一言で云ってしまえば自分勝手な人達だよね。こういう人達は自由には責任がついて廻る事をご存じない。わたしに謂わせればそれは愚か者の言動だよね。馬鹿につける薬はないっていうやつ。去年この番組についてわたし考えを披露した
 「NO MORE HIROSHIMA,NO MORE NAGASAKI」
 
という三部作に対して、事実誤認も甚だしい希薄な根拠を元に、身の程知らずにも議論を吹きかけようとした人物はまさにこの典型ではないかと思われる。はっきり申し上げてこういう口舌の徒に「戦争」とか「政治」を語って頂きたくはない。ところでこういった議論好きな人達って殴り合いの喧嘩などした事があるのだろうか?死に物狂いで戦った事があるのだろうか?多分無いんだろうな、「観念の人達」だから。こういう人達に限ってわたしを野蛮だとか何とか言って批判するんだろうね。でもね戦争の本質ってそういうものなんだよ。「力ずくで自分の言いなりにする」これが戦争を始める側の論理であり本音だよ。わたしはそんな理不尽な事は大嫌いなので小さい時から(自分から喧嘩を仕掛けた事は一度もないけれど)、一旦遣られたらその何倍にもして相手に返したよ。そうしないとまた遣られるからね。個人対個人も国家対国家も同じ。個人対個人の喧嘩が国家対国家になったのが戦争なんだから。「戦争論」の中でもクラウゼヴィツだってそう述べているし間違いない真理だね。

 こんな事を書いているわたしは皆から反感を持たれたり忌避されるかも知れないね。今までもあったからさほど気にはならないけれど本当の事を話すって勇気がいるものさ。孤立するかも知れないし、知り合いや仲間や友人を失う事になるかも知れない。でもどうしても云わなければならない事は云わなくちゃならない。そうしなければ何も「真実」は伝わらないのだから。

 日本人が誤った方向に進むのだけは見ていられないなぁ。

 よろしければ、「核」についての過去記事ご覧になって下さい。※但し長文です。

 「NO MORE HIROSHIMA,NO MORE NAGASAKI」

 「NO MORE HIROSHIMA, NAGASAKI・2」

 「NO MORE HIROSHIMA, NAGASAKI・3」

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 よく考えてみれば分かると思うんだけれど戦争に「絶対」なんか無いんだよ。いくら「核」を持ったからといって国家や国民を守れる訳じゃない。最先端の兵器を揃えたって絶対勝てる訳じゃないんだという事が分かっていない。世界最大のそして史上最強の軍隊と核兵器や通常兵器を持っているアメリカ合衆国だって絶対勝てる訳じゃないというのが今の日本人には分かっていない。核兵器を持ったって、それをもし使用したって戦争に勝てるとは限らないんだよ。何しろ核兵器を使用した後には何万年も汚染された不毛の大地が広がるという現実がある限り絶対的勝者は存在しないのだから。

 クラウゼヴィツだって「戦争は賭けだ」と云っているくらいだからね。戦争という行為は常に不確定であり不安定であり勝つか負けるかは時の運、誰にも分からないんだよ。「戦争必勝法」なんてこの世には存在しない。その事は皆も覚えて置いた方が良いだろうと思う。

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 「核兵器なんて持っても持たなくても同じ事」

 「国家総動員法」って知ってる?戦争遂行の為に国家が保持するありとあらゆる人員や物資を総動員するって法律。戦前にはそういう法律があったんだよ。その結果今の高校生ぐらいの年代の少年少女が毎日勉学に励むかわりに軍需工場などに動員されたって知ってるかな。むかし(戦前)は小学校(戦争時は国民学校)を卒業すると男女別々に教育を受けたんだね。うちの母は女学校に行っていたけれど学徒動員で福島県の郡山の軍需工場で砲弾とか作っていたから何度も空爆に遭って居るんだね。そして幾人もの級友や多くの年配の動員された工員さん達の死を目の前で見て来たんだ。わたしはその悲惨さを母から詳細に聞いたからね。よく知っている。わたしは戦争は経験していないけれど轢死体とか交通事故死した人とか土左衛門とか何者かによって遺棄された腐乱死体とか自然死以外の死というものを小さい頃から何度も見て知っているからね。昭和四十年代の初め頃までは戦後の余波でそんな事が身近に起きてたんだね。多感な時期に人の生き死にを身近に見るっていうのは「死」について書かれた百の本を読むよりも理解が早いという事は云えると思う。・・・だから母の話だけでわたしはリアルに頭の中で想像できてしまうんだね。夜うなされる程リアルにね。詳しくは読む人が気分が悪くなるだろうから書かないけど戦争ってそういうもんなんだよ。母は爆弾の直撃をかいくぐって生き残っただけじゃなくて級友と一緒の帰り道に逃げ場のない田んぼのど真ん中で二度もグラマン戦闘機の機銃掃射まで受けているからね。ちょっとやそっとの事じゃ動じない訳だ。

 母は爆弾が近くに落ちるか遠くに落ちるか音で分かると云っていた。だからわたしも知っている。現代のミサイルじゃあ防ぎ様はないけどね。至近距離に着弾した爆弾の爆風から身を守るにはどうしたらいいのかもわたしは母から教わったし、機銃掃射の避け方も教わった。そんな事今の親が子供に教えてあげられるかい?「人間の命は地球より重い」なんていうのは絵空事で現実は「紙切れ一枚より軽い」んだよ。戦争の只中では人はいとも簡単に死んでいくんだ。ついさっきまで隣にいて息づかいまで聞こえていた友が肉親が次の瞬間には手足がばらばらになった骸と化している。そしてそんなことを繰り返しているうちに人はだんだん無感動になり悲惨なことに慣れてしまって豊かだった人間性を失っていく。心を蝕まれていく。そんな事が当たり前に毎日繰り広げられるのが戦争なんだ。戦争や死を美化したり観念で考えちゃ駄目なんだ。戦争はゲームじゃないんだ。現実なの!分かる? 冒頭に書いた「戦争は狂気である」これは本当なんだ。「理性」などかなぐり捨て狂人にならなければ生きていけないのが戦争なんだよ。特に戦闘員はね。

 だから戦争を知らない者が戦争について議論などしたって無駄だって事。分かったかな。

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 以前にも話をしたけれど、戦争が始まる前に「その時の覚悟だけはしておく」・・・それしかないんだよ。死ぬも生きるも時の運。ジタバタしても始まらない。そして現代の戦争では生き残ってもけして良い事はない。イラクだってボスニア・フェルツェゴビナだって中東戦争だって先の第二次世界大戦だって「怨恨」しか残さなかったからね。戦争によって解決できるものなど何もないんだよ。戦争を仕掛けられたらわたしは戦うけれど勝つ為に戦う訳じゃあない。家族を守る為に戦うんだよ。理屈じゃないんだ。生き残っても良い事など無いだろうけどそれでも戦う。それだけなんだ。核戦争には勝者も敗者もないのだから核を持つ持たないは意味をなさない事だけはよく知っておくべきだろう。米ソ冷戦時代は核は管理されていたけれど今はどんどん拡散している。そしてテロリストが核を使う危険性は現実のものとなっている。その事だけはよく肝に銘じておくがいい。どういう心構えをして置いたらいいのかひとりひとり考えるべき時期に来ているのだろうね。議論などせずよ~く自分の中だけで考えて欲しい。わたしの云いたい事はそういうことだよ。

 最後にこれだけは述べて置こう。これは観念的な人達へのメッセージとして是非とも書いておかなければならない。今の極東地域で戦争が起こったとしたら、そしてそれが核攻撃で始まったとしたら、たとえ二国間の戦闘・戦争であったとしてもそのままで終わる事はけしてないという事だけは云える。核攻撃は攻撃した側の勝利にはならない。ひとつの核攻撃は核の報復攻撃を生みそれが極東地域全体に波及する。何しろ六カ国会議のメンバーのうち核兵器を保持していないのは日本と韓国だけだ。核保有国が介入するのは目に見えているからね。それだけでなく核兵器の使用はすぐに世界に波及するだろう。いわゆる「核の連鎖」というやつだ。核兵器が極東地域で使用されれば、次は印パか、イランやイスラエルのある中東で核兵器が高い確率で使用される。そうなればそれは間違いなく世界に拡大して第三次世界大戦に繋がるだろう。第三次世界大戦とは終末戦争だ。つまり人類が滅亡する事を意味する。この事を観念的に戦争や核について議論する人達には是非とも理解して貰いたい。極東地域に留まらずもっと広い視野で世界を見渡さないと大局を見誤る事になりかねない。

 わたしには日本の近未来が見える様で暗澹たる気持だ・・・

<余談・・・日本を取り巻く状況について>

 北朝鮮は危険な国には違いないが日本にとっての真の脅威はそれではない。

 今にアメリカは経済でも軍事力でも中国に抜かれる。そして中国は世界の覇権国となる。「パックス・アメリカーナ」は「パックス・チャイニーズ」に取って替わられるであろう。今や世界の脅威は極東にある事だけは間違いない。現時点でも中国の兵器の近代化は世界にとって脅威となるレベルに十二分に達していているが、かの国の最大の武器は最先端兵器なんかじゃないという事も知って置いた方がいい。今や世界人口の五人に一人は中国人だ。そして人口は戦争においては絶対的と云っていい程の意味を持つ。中国の良心が世界平和の鍵を握る様にいずれなるだろう。それに期待するしかないが、中国の実情は天安門事件やチベット紛争や新疆ウイグル自治区争乱に代表される少数民族への弾圧を見ても分かる様に、いざとなったら軍事力で押さえてしまう遣り方だ。これが世界に通用しない事はもちろん中国当局も分かっているだろうが、中国が理性や良心を持って世界の諸問題や紛争に対処できるかといったら否だとわたしは思う。それは「感情」についてわたしが前に書いた記事でも十分理解いただけると思う。中国国民が暴徒と化した時どうなるかは報道番組等を見て皆さんもご存じの事だろう。些細な事で社会が不安定化してしまうのが今の中国の実情なのだ。まあ、アメリカが覇権国であろうが中国が覇権国であろうが理性や良心は期待できないのは同じではあるが。まあ日本が覇権国の属国ならない様に主権国家であり続けることを祈るのみ。それには国民一人一人が毅然とした態度を保持し続ける事が大事だとわたしは思う。

 今回は<おまけ><笑い話>も無し!

 ではでは皆様ごきげんよう。少し疲れているので次回の記事更新日は未定です。


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コメント 25

nyankome

>いまの日本人って利口ぶってはいるけれど世界の人から見たら多分馬鹿に見えるんだろうなぁ
日本の政治家はそう見られていることは確かですね。
我々もそうなんでしょうね。
by nyankome (2010-04-01 00:30) 

gyaro

クラウゼヴィツ、むかし孫子の兵法に関する書籍を読んだとき、
ちらっと触れていました。
同期の桜はなぜか赤塚不二夫さんの漫画で歌ってるキャラがいて、
それで小学校でマネして歌ってた記憶があります。。。(笑)
前記事のレスもありがとうございました。勉強になります^^
by gyaro (2010-04-01 00:57) 

TanTan

 戦争を起こすのには、それなりの外交的な手順がありますので、自国を抹殺される可能性と天秤にでしょうか。
 戦争が起きた背景は資本主義の労働・土地・貨幣の自由化に根源があるのですが、現代のその問題を解決する方が、戦争回避には重要と思ってもいます。
by TanTan (2010-04-01 01:19) 

斗夢

アメリカに宣戦布告した年に、東北の片田舎で生まれた私は戦争というものを知らずに生きてきて幸せだったのでしょうね。
復員してきた人には、得々と経験を語る人と無言の人がいました。
by 斗夢 (2010-04-01 06:46) 

Cecilia

>声高に主張する方になびいてしまう。多数派に付く。そして一度信じたら疑う事を知らない。

これ、ネット上で感じます。
声高な主張にももっともなところはあるとは思うのですが、でも皆がそちらになびいて大丈夫なのだろうかと思うことが多いです。

by Cecilia (2010-04-01 06:58) 

どぼちょんぱぱ

平和ボケしすぎで、ぼけていますね。
by どぼちょんぱぱ (2010-04-01 08:33) 

なかちゃん

ボクも母から戦争の話を聞いて育ちました ^^
どれだけ意味があるかは分からないけど、戦争反対を唱え反戦歌を歌い続けていこうと思っています。
戦争は狂気…正にそのとおりだと思うし、実際に家族が危険な状況になったら人より先に闘うでしょう。
だけど、他人を殺すために動員されるとしたら、絶対に行きたくないですね。大甘かもしれないけど ^^;

by なかちゃん (2010-04-01 10:10) 

SilverMac

戦争を垣間見たのは昭和一桁くらいから上、実歳に参加したのは昭和3年から上でしょうね。
by SilverMac (2010-04-01 10:30) 

Ranger

二年ほど前の、日本人から見た中国人に対する意識って・・・・・

ここ数年の中国の急成長は、今まで先進国!と胡坐を書いてた国には
到底付いていけないスピードですよね

これから弐年先に見る中国は、経済大国一位と一言で語る以上に
恐るべきパワーを持ってるでしょうね
by Ranger (2010-04-01 11:10) 

とりのさとZ

終戦の年の初め頃の生まれなので、戦後のことは少しは見聞きしています。骨箱になって帰ってきた兵士を駅で小学生たちが並んで迎えた。傷病軍人がアコーディオンを弾いて恵みを乞うていた。進駐軍のアメリカ人も見た。

半藤一利氏の昭和史の2冊(文庫本)、まず戦後編を読みました。戦前編はこれからです。
by とりのさとZ (2010-04-01 12:42) 

momotty

戦争の背後にあるもの、、、
軍事費用で儲けている企業がありますね(--〆)
不景気になると戦争をわざと起こして・・・
って話を聞いたことがあります。。

今日から4.1ですね!
お仕事今日から?お互いに頑張りましょう($・・)/~~~
by momotty (2010-04-01 13:45) 

たいへー

戦争の定義より、戦争したらどうなるかの方が大事だね。
大義名分なんて口実はいらないよ。
by たいへー (2010-04-01 13:49) 

枝動

私も小学生の頃、両親や伯父から戦争を聞きました。
父は学徒動員、志願兵、長崎で終戦、帰りの列車から見た黒焦げの広島など。戦後臨時教員をしていたようで、教え子の人からスイカの盗み方とか、食料を手にいれることばかり習ったと聞かされました。母は、焼夷弾をかいくぐり炎から必死で防空壕へ逃げたとか。伯父は、南方最前線で銃弾が貫通した傷が、右胸にありました。勲章をいっぱい持っていました。
こればかりは経験がなくとも、「狂気」であると言えますね。
by 枝動 (2010-04-01 14:19) 

mochamama

実家の父母に戦争の話を聞いて育ちました。
製鉄所があったので大変だったそうです。
>広い視野で世界を見渡す
その通りだと思います。
by mochamama (2010-04-01 18:34) 

くまら

戦争、有る一部の人間の私利私欲のため
by くまら (2010-04-01 20:22) 

chunta

「もはや 戦後では無い」
そう言われて 久しいというのに
実感が湧かないのも 事実なのです
起きて欲しくは無いけど
この 平和ボケも考えモノですよね

by chunta (2010-04-02 00:45) 

satton

私は軍歌の多くが「反戦の歌」とらえています。戦争を賛美するような勇ましい歌はそんなにありません。多くは明日をも知れない自分の命を知り、肉親や友への思いを歌っているように思います。一兵卒はこういう形でしか戦争の理不尽さを表現できなかったのではないでしょうか。「同期の桜」もそうですが軍歌の多くは哀愁を帯びた曲調のように思います。軍歌の歌詞も、もう一度吟味して欲しいと思います。
by satton (2010-04-02 19:53) 

伊州の姪

こんばんわ。戦争についての議論はやってもいいと思うけどな~。
それが抑止力にならないだろうか?!無関心や無知が一番いけないし、外国につけこまれることになるとおもうから。
by 伊州の姪 (2010-04-02 20:20) 

U3

☆nyankomeさん 物事を深く考えれば考える程、言葉にはしにくいもの。
 それだけに発言には勇気が要るもの。勇気無くして軽々しく言葉に発せられるものの中身は薄いと云えるのではないかと思う。だから戦争について軽々しく論じてはいけないというのがわたしの考えです。そういう訳で「責任のない言葉程毒を持つ」と常々思っております。そして今の日本はこのわたしの考えと逆の方向に行っていると思っています。つまり一億総痴呆化です。

☆gyaroさん わたしは孫子の兵法もクラウゼヴィツの戦争論もどちらも読みました。
 そして戦争ほどしてはいけないものはないという結論に達しました。

☆TanTanさん 戦争は自ら起こしてはならないというのがわたしの考えです。
 戦争の根源(原因)にはいろいろあると思います。宗教、貧富の格差等々。

☆斗夢さん そうですね。どちらかに分かれますね。
 異常な状態に置かれると人間性の違いがはっきり出ますね。

☆Cecilliaさん 声の大きな者や力のある者になびくのは今に始まった事ではないです。
 確かに嘆かわしい事ですが誰かが毅然とした態度でそれに異を唱えなければそのままになってしまいます。利口だと思われている人程この様な時は知らん振りをしていますね。異を唱えるのは大抵わたしの様な馬鹿だけです。

☆どぼちょんぱぱさん 奈良は楽しかったですよ。
 佐保川の桜もなら警察署の近くで車内から見ました。法隆寺の桜は五分咲きでしたがメジロが沢山集まって賑やかでした。

☆なかちゃんさん 「戦争を知らない子供たち」(作詞:北山修、作曲:杉田二郎)って本当の反戦歌だと思います。
 動員されたとしたらわたしもどうなるかは分かりません。

☆SilverMacさん わたしの父は昭和四年生まれでしたが徴兵検査を受けました。
 そしてその時動員された殆どの人が戦場から帰って来ませんでした。徴兵された全員が呉に行きましたが「人間魚雷」となって海の藻屑となったのではないかといわれています。

☆Rangerさん まさに中国恐るべしですね。
by U3 (2010-04-02 23:57) 

U3

☆☆☆みなさまへ☆☆☆
 今週は旅行と久し振りの仕事で疲れたのでもう休みます。
ではまた明日お会いいたしましょう。おやすみなさい。Zzzzz・・・
by U3 (2010-04-03 00:03) 

U3

☆☆☆みなさまおはようございます☆☆☆
 昨日の続きでコメントレスをしたいと思います。

☆とりのさとZさんも戦争の傷跡を経験した一人なのですね。
 過去の戦争がどうであったのか検証したり考える事はとても重要な事です。

☆momottyさん 残念ですが戦争屋(武器商人)はこれからも無くならないでしょう。
 殺傷能力がある対人地雷が数百円で売られている現実を皆は直視すべきでしょう。
 お話しいたしました通り四月一日からお仕事に出掛けております。
 仕事ができる喜びはなかなかいいものです。

☆たいへーさん 戦争をしてろくな事はないです。

☆枝動さん 戦争に巻き込まれれば必ずその人の人生を変えてしまいますね。
 わたしはこの世に生を受けた事の不思議をいろいろ思ってしまいます。

☆mochamamaさん 近くに工場とかあると大変だったようですね。
 広い視野で・・・本当にそう思います。今は自分の事だけしか考えない人達が多くなってきた様に思います。

☆くまらさん わたしはそうは思わないのですよ。
 戦争は狂気の渦に国民全体が否応なく巻き込まれて起きるものだと思っています。
 だから国民一人一人がしっかりしないといけないと思っています。

☆chuntaさん 実は「もはや戦後ではない」と宣言された年にわたしは生まれています。
 戦争について軽々しく議論する事は反対ですが、戦争について一人一人がじっくり考える事は戦争回避の為にとても重要な事だと思っています。

☆sattonさん わたしは軍歌が反戦歌だと思った事は一度もありません。
 軍歌とは「軍隊に於いてその士気を鼓舞したり愛国心を高める為に歌われた(る)ものである」と多くの辞書にも記載があります。殆どの軍歌は有名な作詞家や作曲家が作っている事実を忘れてはなりません。多分一兵卒の作った曲は軍歌にはないと思われます。ちなみに渡辺はま子が歌って大ヒットした「ああモンテンルパの夜は更けて」は一兵卒ではなく日本の二人の将校が作詞作曲したものですがこれは軍歌ではありません。
 同期の桜には色々なバージョンがありますがオリジナルの曲は西條八十の作詞になるものです。そして一番の歌詞はこういうものです。

 貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く
 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国の為

 これは誰が何と云おうと明らかに反戦歌ではありません。それから日本の楽曲は戦前は「短調」で作曲される事が多かった為に哀調を帯びているのであってそれは軍歌に限った事ではなく流行歌を含めた戦前の日本の楽曲すべてに共通した特徴です。
 ただsattonさんの捉え方をわたしは否定しません。むしろ肯定的です。

☆伊州の姪さん 議論をする事を否定はしませんが軽々しく語ってはいけないと思っています。
by U3 (2010-04-03 07:59) 

きまじめさん

確かに、実際を知らないものが議論するのは、おこがましいと思いますが、
しかし、それを論じることを避けてきた教育のおかげで
終戦(敗戦)記念日も知らない若者が存在することに驚きを感じています。
by きまじめさん (2010-04-04 12:19) 

SAKANAKANE

私も、戦争は知りませんが、歳の離れた親の話しや、戦記等を読み漁ったので、同世代の中では、知っているつもりでいます。
まずは、知る事。その為にも教育は重要だと思います。
by SAKANAKANE (2010-04-05 22:51) 

qooo

戦争は最大のビジネスなのかな?
これから先も、もうけたい人間がいる限り、
止めようも無いのかなと、感じてます。
日本人は平和ボケしてるのかな?
私には、何となく、何に対しても諦めてしまってる
若い人の姿が気になります。
by qooo (2010-04-06 14:04) 

DEBDYLAN

立派なコトは言えないけど、
そういうコトで自分や大切なヒトを失いたくない。

だから、反戦というか非戦。
平和ボケとか自己チュウだと言われそうですが、
僕にはコレが1番の理由になりそうです。



by DEBDYLAN (2010-04-07 00:13) 

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