こうした人たちに共通しているのは、刹那的な感情だけで理性とか知性(知識ではないよ)が存在していないことだ。それが証拠にどんなことがあってもそれが自分に関係ないことであればすぐに忘れてしまうし、自分がその時どう行動したかさえも(己に不都合なことなら尚更)覚えていない。
さらに言うならば自分の言動に問題があり、それを批判されても真摯に受け止めることが出来ず却って逆恨みして攻撃したり、場合によっては殺意まで懐いてそれを実行してしまう恐れだってなくはない。他人を恨むなどということは、「人を恨めば穴二つ」と言って昔の人は厳に戒めたものだが、今はそうしたモラルとか良心とか良識の箍が、一切外れてしまっている世の中だ。
知ってる? 理性より感情が勝れば人間性は崩壊せざるを得ないのですよ。そうして人間性を失った者はそれこそケダモノより劣る訳です。何しろ幾ら獣といえども、その大多数は必要以上の攻撃はしないですから。するのはネコ科の肉食獣くらいです。だからこそ、地球上で一番愚かで残虐な行為を平然とできる生き物は、実は人間なのだという認識ぐらい持って下さいね。
犯人像は分からないし、その背景も当然分からないけれども、それこそ昨日夕方(11月29日)に発生した、宮台真司教授襲撃事件のようなことは、往々にしてあり得るのだと思う。現代人は容易に怨恨の情を懐くものなのだ。それもこれも感情をコントロール出来ず精神が未熟なまま大人になり、唯々頭でっかちだったり体だけが成長してしまった故であろう。
これは私が実際に経験したことだが、六十をとうに過ぎても、己の行いを冷静に顧みることすら出来ず、当然反省などしない人物はいるものなんです。幾ら齢を重ねようが社会的ステータスを保持していようが、否、むしろそれだからこそ世間体や上辺だけを気にして、自分の間違った行いと真摯に向き合えないのだ。
当然そういった人物は、自分の欺瞞を指摘されても、それを素直に受け取ることが出来ない。却って逆恨みして攻撃的になったり、世間体を気にして自分は被害者だと言わんばかりに大騒ぎして、同情を託つ欺瞞行為に走ったりもする訳です。
そういう人たちは、実に安易に「誹謗中傷された」とか、「名誉毀損で訴えてやる」とか騒ぎ立てる訳です。本当におバカですね。そんなこと昔の人は簡単に口にしなかったと思うけどなぁ。いやぁ〜、現代に措いては心に疚しいことがある人ほど大騒ぎをして被害者ヅラするものなのですね。・・・と言いながら今に始まったことではなく昔からそうだけどね。
本当はそれこそが虚偽と欺瞞に塗れた行為そのものなのですから、逆に相手に名誉毀損で訴えられることさえあり得る訳です。だがしかし、利己的で他人の事などどうでもいいと考えている人だから、そんな当たり前のことに気づきもしない。だから馬鹿なんDEATH。死んでも直んないんです。幾ら歳を重ねても稚拙なままなんです! お分かり?!?!
そのように、喜び、怒り、哀しみ、享楽といった感情のコントロールが出来ない人たちが、あまりにも多い世の中になってしまったと私は思うのです。もちろん感情は喜怒哀楽だけではないけれど、それらが極端に先鋭化かつ刹那的になってしまったのが、現代社会に生きる人々の実像なのだろうと思うと実に情けない。
付け加えて述べるならば、上記、宮台教授の襲撃事件の例を挙げるまでもなく、稚拙な感情だけがあって成熟した理性がないから、ちょっとしたことが怨嗟や復讐心(リベンジ)に繋がり、同様の心根を持つ物事をよく考えない人たちの劣情を一層募らせ、そうした諸々の負の感情をも煽るのだろう。何しろ自分を正当化して反省すらできない頭の構造の持ち主が多すぎるのだ。だから安易に他人を恨んだり殺めようとする。更に言うならば、「イジメ」や「ネット炎上」等々が、一向になくならない原因の一つとも言えるのではないか。
上記の一連の出来事でも、この御仁の同情を託つ欺瞞行為に飛びついたのは、同様の欺瞞行為を繰り返す人気ブロガー4人組だったり、あのトップブロガーじゃないかと言われている「Tシャツ屋」だったり、どこぞのオフ会で知り合った愉快犯的心情を共有する連中だったりしたのは、皆さまもよくご存じの通りです。
社会の分断と対立。そこに渦巻く優越感と怨嗟の声。
自己中心というか唯我独尊的思考と、それに伴う社会への無関心化と責任回避傾向。
刹那的で、長期ビジョン(展望)が見いだせない、あるいは構築できない人々。
自信喪失と過信の繰り返し。
これら事象からつらつら考えて見たのだけれど、「現代人は総じて己が何者か知らないのだろうな」、という結論に達したのですね。つまり己を見失っているのです。
それだけではありません。何しろ己を知らないだけでなく、当然ながら他人のこともまったく理解していないのです。自他共々、本当にほんとうに知らな過ぎるのです。
だからネット上に構築された虚構の自分の姿に酔ったり、(その逆のケースとして)小出しに自分なりの話題を披露して人と接することにより、それで安心感を得たいとかより自分の世界を広めたいという、相矛盾した心情を懐いてしまったりするのですね。でもどちらも幻想に過ぎません。
『自分は小さな存在だ』・・・まずはそれを知り、己というものを見つめ、そして認めることからすべては始まるのです。そこがまずはスタートの第一歩です。しかしその第一歩も踏み出せない人が大多数なのだと思います。だから己の向上に繋がるであろう『反省』すらできない。「自分のことは棚に上げて他人様を悪しざまに言う」・・・まさに悪循環です。
諄いほど言いますが、本当に自分を知らないのです。己が確立できていないのです。
これらが何を示しているのかと言えば、「人々は社会から隔絶されるのを極端に恐れている」ということです。つまり孤立や仲間外れにされるのを必要以上に恐れている。だから同好の士というか、仲良し俱楽部的お仲間を求めて、今日もネット上を彷徨うのですね。
しかし、自己を確立していれば、安心感を得るために、大して中身のない会話や話題に興じることなどないはず。時間は有為でも無為でも同じように過ぎていくのですよ。世の中で平等なのは『時間』だけなのです。
だとしたら、日々を、今を、少しでも有為に(有意義)に過ごそうと思わないのでしょうか?
これはリアルな世界でもバーチャルな世界でも同じです。むしろ実社会での人間関係が実に薄っぺらい中身の希薄なものになってしまっている現代だからこそ、ネット上の人との出会いや交流が、過半の人たちの目には実社会よりもむしろリアルな世界に映っているのではないかとさえ思えるのです。
これが安心して生きられる(暮らせる)成熟した社会でないのは明らかです。
なにしろ正義は廃れ、欺瞞や嘘や暴力が正当化され大手を振って歩いている時代なのですから。
それもこれも上記で述べたように、人々が自己確立が出来ず自信を失っているからなのですね。
だから為(し)て良い事と悪い事の区別もつかない。つまり道理が分からないのです。
時には後期高齢者と呼ばれている人達でさえそうなのです。
本当にほんとうに善悪の区別もつかないのです。不正な行為を見ても、黙っている事が良識だ思っているのか、それとも保身のためなのかは存じませんが、どちらにせよ見て見ぬ振りをするのが今や当たり前になっている。でもね、これが良識ある大人のする事でしょうか。それで世の中が良くなるとでも思っていらっしゃるのでしょうか。
『義を見てせざるは勇なきなり』という言葉を知らないの?
臆病が悪いとは言いませんが、それを公共の場で告白したり、況してや誇ることは避けるべき。
見て見ぬ振り、然り!、少なくとも良識ある人が取るべき行動ではありません。
だがそれがSS-BLOGにも現れている。というよりSNS自体がそんな心情に溢れているのです。勿論世の中全体がそうなつているから、バーチャルな世界もそうならざるを得ないのかも知れませんが、それを私は肯定も容認も出来ません。
こんな事を書くと毎度の事ながら、尤もらしい顔、あるいは知ったか振りをして「善悪の境界線が曖昧になっている」とか、「甲と乙という立場で視点を変えて見れば、それは善にも悪にもなる」というような詭弁を平気で弄する御仁に遭遇してしまうのですね。これこそ自分が確立できていないからこその不定見・不見識だと気づきもしないでね。馬鹿ですね。本当におバカさん!
現実にこうした輩はゴマンといるのですよ。このブログ内にもね。
「俺は誰それに誹謗中傷された。これは名誉毀損に当たると思う」
「批判は許さない」
「今後この様な事があったら即座にコメントを削除する」
「削除する機能がある以上、気に入らないコメントがあったらそれを削除してどこが悪い!」
ああ、誹謗中傷や非難の類いと、批判の区別もつかないおバカさんなのね。おかわいそうに!
だから心の中で、いつもこう言ってあげているのですよ。
<ああそうですか、気の赴くまま稚拙でくだらないその憤った思いとやらを、仲良し俱楽部のお友達あたりに吹聴・発散して鬱憤を晴らして下さいな。不法行為をしても削除してしまえば証拠も残らないしね。そうしておバカさん同志で、私を酒の肴にして大いに溜飲を下げ、またぞろ同じ轍を踏む訳です。そうして、喉元過ぎれば熱さ忘れるという諺を、身を以て体現して下さいな。それで気が済むんなら、思う存分欺瞞と嘘をぶちまけて、自己正当化を謀ってくださいね!>
<<2022/12/01 14:30追記>>
ところでこの御仁、相も変わらず恥も外聞もなくおバカさん振りをひけらかしているようなので、記事の添削指導をしてあげませう。
11月05日の記事のタイトルですが、『〇〇に組みする』というのはハッキリ申し上げて間違いです。日本語になっていません。少なくとも記事の内容からすれば、このタイトルは『〇〇に与する』が正しいというか、そう書くべきでした。
それに、記事の冒頭から文法が間違っています。以前同じことを指摘してあげましたが、相も変わらず直っていないのは、『反省が出来ない人間』だからでしょうか。のっけからこの程度の知識と表現力では、貴殿が過去記事に書いた「文学賞の入選を目指す」という大望は望む可くも有馬温泉! これを身の程知らずというのでしょうか?!?
それに記事の内容も、どこの請け売りかは知らないけれど、事実と相違していますよ。ハッキリ言って認識不足で底が浅いです。もう少し勉強して「自分なりの考えをしっかり持って」そしてネット上に公開して下さいね。自分の定見も示せない、請け売りの記事など書いても、『ハゲたくない』という名のご常連というか『お仲間ブロガーさん』も含めて、それこそ誰一人まともな人は反応など示さないでしょう。
共馬鹿になりたくないのでね( ̄∇ ̄)
こうして『正鵠を射た批判コメント』は日の目を見ることなく、皆さまの目の前から削除されてしまう訳です。その後に上記ような「欺瞞と虚偽のコメント」を書き殴っても、「パブロフの犬」的な、それこそ何一つ掘り下げて考えない人たちが過半の今の世の中ならば、十二分に通用するでしょう。
でもね、良識ある人たち(今や『絶滅危惧種』です)や、己を知っている人たち(こちらは『少数民族』というか『マイノリティ』な人々)は、それを良しとはしないのだと思います。
だからこそ、世の中の大多数を占める感情優先のおバカさんたちに、負けてしまうのかも知れませんね。なにしろ現代日本を覆っている『エセ民主主義』は、烏合の衆による多数決の原理に基づいていて、尚かつ、憲法にも記載されている『少数意見の尊重』すら保証されていないのですから。
前号にも書きましたが「赤信号、みんなで渡れば恐くない」のですよ。こうした人たちは!
能天気にも「自分だけはその犠牲にならない」と、根拠もなく考える人たちなのですから。
「大多数につけば自分は安心」なんてことはないんです。いつスケープゴートにされるか分からない。それが今も昔も変わらないこの世の現実であり真実なのです。
ではそれを回避するにはどうしたら良いのか。
それには、『まずは己を能く知り、他人の行いなど周りをよく見て、それを己に当て嵌めて考え、日々の行いを正す』、これに尽きます。
世の中がどうあろうとも、自己を確立していれば動じることはありません。
「何が正しくて、何が間違っているのか」、それが分かるのは自己の確立あってこそです。
だから来し方(過去どうして生きて来たか。流行りの言葉で言えば『生きざま』)が大事になってくるのだと思います。これまでの日々の積み重ねが、今と、行く末(未来、あるいは将来)の自分の、血肉になっていくのだと私は考えています。
皆さまも、そう自覚して生きていってほしいものです。
こんな世の中だからこそ、周りに流されずに今の自分を大切に生きるべきだと思いませんか。
最後にもう一点。
私は、他人様のことを馬鹿だバカだと事ある毎に言っている気もするが、自分を蚊帳の外に置いてそう言っている訳ではない。善人でも人知れず悪意を懐くように、悪人にも時には慈悲の心が芽生えるように、人はいつ何時(なんどき)どうなるか分からない。
そう思って日々生きている。虚心坦懐に生きるのが理想だ。まあまだ道半ばだけれどね( ̄∇ ̄)
私が口ほどにもない、おバカな証拠写真をご覧に入れましょう。
のぼるなと
ゐはれさからふ
あまのじゃく
<オマケ>
ネトウヨに小馬鹿にされてしまったが私は東京新聞が好きだ。大手全国紙では絶対に第一面にしない出来事も、真っ向から取り組む姿勢は正当に評価されて良い。
その証拠を下記に示す。
ではでは皆さまご機嫌よう。
<2022/12/02 9:00追記>
朝の午前3時23分、あまりの寒さで目が覚めた。尿〇を催していたのでトイレに行く。FIFAワールドカップ1次リーグ第3戦、スペイン対日本のキックオフは日本時間午前4時からだが、今から布団に潜り込むと寝過ごす可能性があった。一旦自分の部屋に戻りフリースジャケットと、裏起毛のジャージなどを着込む。
う〜ん眠い。TVを点けたままリクライニングモードの一人用ソファーでうつらうつらとする。
しかし試合が始まってからはずっと心拍数が上がりっぱなしで眠気が一気に吹っ飛んだ。80%を超えるスペインの圧倒的ボール支配率に切歯扼腕するも、カウンター攻撃で伊東純也がいきなり見せ場を作る。
しかし前半11分、スペインのモラタにヘディングを決められ先制点を許してしまった。それでも日本は気落ちせず守りは鉄壁に、カウンター狙いで再三チャンスを作ったが、1点ビハインドのまま前半終了。だが日本選手全員が勝利を諦めていないことはヒシヒシと伝わって来た。
後半開始。日本のメンバー交代は2人だった。久保建英に代えて堂安律、長友佑都に代えて三苫薫。結果からすればこの森保監督采配が功を奏し、日本が逆転で勝利することになった。
後半開始早々、伊東純也が頭で合わせ零れたボールに堂安律が素早く反応。ボールをうまく捌いて相手ディフェンスを躱し、ミドルシュート。蹴り込まれたボールはスペインの守護神シモンの手を弾き、見事ゴール右隅に突き刺さった。
思わず雄叫びを上げる。その声にようやく妻が眠い目を擦って起きてきた。妻はそれからすぐにトイレに向かったのだが、その僅かの間、後半6分に今度は三笘薫が左ゴールラインギリギリからゴール前に蹴り込んだボールに、走り込んできた田中碧が右膝を合わせて押し込み見事逆転の2点目が入る。
またもや雄叫び!!!、恐らく隣家にもこの雄叫びは届いたのではないか(@^▽^@)
・・・・え、VR判定?、、、もしかしてぬか喜び?!?!
・・・しかし、結局のところ日本のゴールは主審によって認められた。ホッと胸をなで下ろす。
アディショナルタイム7分を含むその後の46分間は本当に長かった。特に同時に試合が行われているドイツ対コスタリカ戦の試合情況でE組の順位が刻々と変わる。最終的にはドイツが4対2で勝っていたので、ドイツ戦の時と同じ、7分間のアディショナルタイムは本当に長く感じられた。守り切れ、早く終われ、早く終われ!
そして遂に試合終了のホイッスルが・・・嗚呼、二度目のドーハの奇跡。否、この試合は奇跡などではなく、日本の真の実力を世界に知らしめた記念碑的試合であった。
これは私個人の感想だが、得点こそ入れられなかったけれど、後半17分に浅野拓磨に交代させられるまで、前田大然が最前線でスペインにプレッシャーを掛け続けたことが、結果的に勝利に繋がったと確信している。なぜならそこで大然が相手攻撃陣にプレッシャーを掛け続け、相手のパスのコースを絞らせたことが、日本がボールを奪う切っ掛けとなり、その後の素早いカウンター攻撃に繋がって、日本のすべての得点に結びついているからだ。だから影のヒーローは前田大然だと思う。
今、その勝利の余韻はとうに収まっている。決勝リーグ第1戦は対クロアチアと決まった。これもFIFA世界ランキング2位のベルギーと、ドローで決勝リーグ進出を決めた難敵である。
決勝リーグに引き分けはない。以後は一回でも負けたらそこでお終いである。
だからこそ、これで終わりにして欲しくない。
あと4回勝ち続けて欲しいと心から願ったU3であった。
<おしまい!>