思うところがあり久々の連日の記事更新となりました。
<光の回折により夕日が手前の電線より前にある様に見えていますね>
夕日を人生の黄昏に擬(なぞら)える方もいらっしゃいますが、わたしはこの様な夕日をただ美しいと思うだけで、何かに擬える事はありません。時に少し寂しい気持ちを抱(いだ)く事もありますが「明日はまたやって来る」と思い直すと自然と気が楽になり温かい落ち着いた気持ちに切り替えられます。
思うところがあり久々の連日の記事更新となりました。
<光の回折により夕日が手前の電線より前にある様に見えていますね>
夕日を人生の黄昏に擬(なぞら)える方もいらっしゃいますが、わたしはこの様な夕日をただ美しいと思うだけで、何かに擬える事はありません。時に少し寂しい気持ちを抱(いだ)く事もありますが「明日はまたやって来る」と思い直すと自然と気が楽になり温かい落ち着いた気持ちに切り替えられます。
<年の瀬を迎えて>
企業ににどんな事情があるにせよ、突然雇用契約を打ち切られ住んでいるところを追い出されたとしたらあなたならどういたしますか。もうそれは非正規雇用や期間労働者だけでなく正社員も例外ではないのです。来年はどんな年になるのでしょうか。今のところ明るい見通しはない様に思われます。
わたしはもう四年程前から企業を飛び出し個人事業主として仕事をしています。その事によるメリットもデメリットも相半ばと云うところですが、企業を離れた事については一度も後悔した事はありません。妻も同じ気持ちだと思います。わたし達夫婦には子供はおりませんが、もしいればそんな事は云っていられないというご指摘があろうかと存じますが、しかし「もしも・・・」という議論ほどして空しいものはありません。事情は人それぞれ違うのですから「もしも・・・」という議論などまったく意味を為さないからです。しかし万人に共通して謂える事、それは、常に前を向いて現実と向き合わなければ生きていけないという事です。
この様な未曾有の雇用危機に際して「寄らば大樹の陰」とお思いの方は大勢いらっしゃると思いますが、「寄らば大樹の陰」と思っている人程、いざその大樹が実は幾多の風雪から自分を守ってくれる万全のものではないと気づいた時に慌てふためく様に思われます。むしろ自分に災厄をもたらすものになりかねないのが今の世の中なのです。大樹だとて落雷で真っ二つに割れて自分を押しつぶさないと誰が確信を持って言えるでしょう。
世の中に『絶対』というものはありません。
<UFO・・・(笑)>
ひとりで道を切り開くのは大変な事だと思います。実は一人で仕事をしていると思っても人と関わらなければ生きていけないのが現実です。そしてお互いに助け合わなければ生きていけない訳ですが、助け合う前提としてお互いに常日頃依存し過ぎない関係にある事が重要であるとわたしは考えそれを実践しています。具体的に申し上げるならば仕事の相手と対等の関係である事がとても重要な事だと思うのです。わたしは仕事上で相手と対等である事を全面に押し出した事は一度もありませんが、常日頃の仕事の遣り方や人との接し方で信頼を勝ち取る事によりそれを実現しています。
わたしは派遣労働者ではなく請負の一形態である業務委託契約に基づいて仕事をしているのですが、たとえ仕事を貰ったからといって元請けの下位に置かれていると思った事はありません。仕事はしっかりこなしますが云いたい事もはっきりいいます。それがわたし流の遣り方でありその事によって逆に信用を勝ち得て来たのだと思います。万人に通用する遣り方だとは思いませんし、環境が違えばまったく通用しないのかも知れませんが参考にはなると思います。大事なのは仕事や人に対する常日頃の「スタンス」なのだと思う次第です。
<東京駅~日本橋間にて>
現在の雇用不安を見聞きするに付けその原因を1999年の派遣関連法案の成立を起源とし、その間に施行されたいくつかの労働及び雇用関連法案も含めた法律の不備や問題点に見いだす事は簡単ですが、実はそれを招いたのは自分達なのだという視点は是非とも必要です。立法府である国会における与党の暴走と野党の無力を招いたのはわたし達が適切な選挙投票権を行使しなかったからに他ならないからです。
年が越せるかどうかという切実な問題に直面する方々にはこの様な事をいっても聞く耳を持っては頂けないでしょうが、例え今不安に晒されていない方であったとしても明日は我が身という事もあります。もはや「対岸の火事」ではないのです。すぐに処方できる特効薬はない様に思われますが、皆さんが意識を変える事に依ってしか、より良い社会は実現できない事は肝に銘じるべきでしょう。
<鹿島神宮一の鳥居>
明日への道はあなた自身が切り開くのです。
この一文はわたしから雇用不安を抱えている方々と自分自身へのエールです。