<ここ数年、日帰り温泉施設に凝っている>
何が一番人を傷つけるか知っていますか?
<ここ数年、日帰り温泉施設に凝っている>
何が一番人を傷つけるか知っていますか?
それは「無視」する事です。
何しろ「無視」とは・・・
その人の「存在そのものを否定」する事なのですから・・・。
<ここのウリは食事である。なにしろ目の前が海だからね。風呂上がりの・・・旨い!>
<ついに送信される事のなかった或る一通のmail>
<本文のみ抜粋、一部U3により加筆訂正>
わたしはあなたに対して何一つひどい事や悪い事をしていません。あなたはわたしを「信じています、陰ながら応援しています」と云いましたね。しかしほんの数ヶ月であなたはわたしのブログを訪問する事もなくなり、あなたのブログに記したわたしのコメントには何の反応も示さなくなりました。他のご常連さんやビジターの方には全員にコメントを返しているのにわたしのコメントやnice!だけそこにないかの様な扱いを受けていました。はじめは故意でそんな事をしてるのではないと思っていましたし、面白半分にわたしを貶めようとしている他の人達とあなたは違うのだと言い聞かせていました。でもとても残念な事にそうではありませんでした。あなたのわたしを信じるという言葉はいったい何だったのでしょう。わたしが居ないかの如く振る舞うという事がわたしをどれだけ深く傷つけたのかあなたはご存じですか。わたしは今までその事について恨みがましい事もなじる事もしていません。わたしが何らかの犯罪行為を働いたというのならあなたの態度に正当性はあるでしょう。でもわたしは今回の件であなたに何一つ助けを求めた事もなく、迷惑を掛けた訳でもなく危害すら加えていないのです。あなたはそんなわたしを故意に無視したのです。あなたはそんな事を平然と出来る人だったのでしょうか。他人の言葉に惑わされて平気で罪もないわたしを無視できる人だったのでしょうか。もしそうであるならばとても残念です。何故わたしが今更ながらこんな事を書いているかあなたには分かりますか。
それは、あなた自身が信じると云った相手を信じないで、信じてはいけない噂や偽りの言葉を信じてしまったからです。しかもわたしに真偽を一度も確かめる事もなしに・・・。わたしにはそれがつらく悲しい事だったのです。
<日光霧降高原 小丸山頂上にて>
人は何故他人を傷つけずには生きていけないのでしょうか。他人への配慮があるか無いかに関わらず自分の事だけを考えていればそうなるのは必定です。こんな事にならない様に普段から人とは分け隔てなく程よい距離感を保ち仲よく付き合いましょう。
人は実際に当事者になり深刻な被害に遭いでもしない限り、他人の痛みは分からないものらしい。所詮は他人事であり自分には関係がないと思っているのだろう。そして被害に遭われている人を見ても見て見ぬ振りをする。場合によっては関わりを持ちたくない為に無視という行動に及ぶ。上の文面を書いた方はそういう状況でこのメールを書いたのだ。しかし情けなくって、悔しくって、そして最後は悲しくなって送るのを止めたのだという。
「無視」という行為はそれを為す者が自分が他人に害を加えているのだという認識が薄いように思われる。これは法的な罪を問われない行為だとでも思っているのだろうか。場合によっては罪に問われる事もある人としてしてはならない行為だと認識すべきであろう。しかしわたしが思うにこれは法律云々以前の問題である。自分の身に災いが降り掛かるまで分からないのが人間という愚かな動物の宿命だとも云える。だとしたらわたしは警告する。これは人間の尊厳を脅かす最も忌むべき行為のひとつだ。自分に悪い心があるのならばその心を戒め、この様な行為をしないと心に深く刻みつけ、己の良心に強く誓って頂きたい。
顔の見えないネット社会だからこそ普段以上に節度が必要なのだ。
一旦誰かが誰かを「無視」し始めれば、他の人も右へ倣いで無辜(「むこ」と読む。何の罪もないの意)の個人を無視するようになります。これは明らかな「いじめ」です。子供に範を示すべき大人がこんな事をしてはいけない。遣られた当人の身になって考えてご覧。騒げば孤立するし反論すれば寄って集(たか)って集中砲火を浴びるし精神的に参ってしまうんだよ。何より一番良くないのは人間不信に陥ってしまう事だね。楽しいはずのブログをやっていてこんな目に遭ったら誰だってそうなるだろう。
犯罪や嫌がらせをしていたならいざ知らず何の罪もない人をさしたる理由もなく貶めてしまって良いのか。ブロガーたるもの、というより人間としてこの様な稚拙で恥ずかしい行為はしてはならない。
<日光霧降高原 第3リフト乗り場前にて>
実は、お節介なわたしなので、ネット犯罪者を相手に『無視ムシコロコロキ〇チョール作戦』というのをネット被害者の皆様と一緒に三年程前にしておりました。名付け親はわたし。
ネットストーカーやブログ炎上(当時はそんな定義はなかったけれど)への対策として始めた経緯があります。ネットストーカーや嫌がらせ書き込みをする輩を皆が相手をしない様にして、その間はわたしひとりが相手を引きつける様に仕向けてね。
他人を無視するという行為は、明らかに法律に抵触する罪を犯す者に対してだけ許される行為です。そしてそれは有効な手段です。まずはストーカー行為や嫌がらせ書き込みの被害に遭っている事を警察にすぐ相談して、身の危険を感じる様であれば被害届を出す事をお奨めいたします。とにかく犯罪者に対しては完全無視が一番です。警察に行って相談してもその様にアドバイスされる筈です。もしその様な事に直面しているのであれば速やかに行動しましょう。
話は脇道に逸れますが、最近またソネブロ内でも嫌がらせ行為が頻発している様でその為にブログを閉じる方も増えて来ている現状があります。そこでわたしからのアドバイスをお伝えいたします。
まず、嫌がらせの書き込みは不快でしょうが消さないで保存しておく事をお奨めいたします。出来ればその時点でコメント欄は閉じた方が良いでしょう。そうすれば書き込みをした者はそれを消し去る事が出来ません。たとえ<GUEST>であっても一旦書き込まれれば何処の誰かを専門家が特定する事は可能です。ソネブロ事務局にメールを送ると同時に悪質であれば警察に相談すると良いでしょう。今の警察はどの様な小さな警察署でもネット犯罪に対して親身に相談に乗ってくれます。犯罪者を相手にしてはいけませんが、そのまま状況を抛って置いてはいけません。必ず速やかに対策を立てましょう。どの様な犯罪でも一旦見過ごせばどんどんエスカレートします。けして泣き寝入りしてはいけません。
話を元に戻しましょう。過去にその様な事があり、わたし自身も矢面に立ったが為にいろいろ被害を受けました。その中で人の心の醜さと哀れさ、そして冷淡さ、無関心というものを嫌という程見せつけられました。しかしながら、そんな事をきっかけにすばらしい人達にも出会えたのもまた事実。
世の中は捨てたものではない。
<おしまい>
<日光 霧降高原第1・2リフトより上部を望む>
『ヘルニアン』VOL.6<完結編>
<強引ng my way. 2>
その日の午後だった。(手術の二日後)
ベッドの上で仰向けになったわたしは痛みのある一点に全体重を集中して掛ける体勢に入った。手足を四方の手摺りに掛け、右腰の一点のみ枕を二つ重ねた上に載せ、その一点に徐々に全体重を掛けていった。痛みが脊椎を走った。しかし歯を喰い縛って痛みをこらえた。
このストレッチにより症状は少し軽くなったが万全ではない。次のステップに移行しなければならない。まずはゆっくりと小刻みに体勢を変えながらやっとの思いで仰向けになった。真冬のそれも病院の中だというのにびっしょり汗を掻いていた。一呼吸整えてから口にタオルを押し込んだ。呻き声を誰にも聞かれない為である。そして今度は痛みのある右足を徐々にお腹の方に移動し、そこでまた少し息を整えた。今の体勢を真上からもし見る事が出来たら多分平泳ぎの泳法で云うならば足を腰のあたりまで引きつけた体勢、但し右足だけという変則なスタイルに見えた事だろう。ここまでの所要時間は多分十分以上掛かっている筈だ。
それからわたしは意を決して両手を突っ張っりながら上体のみ徐々に起こした。そして右腕を突っ張るのを止め一気に右肩を降ろし上体を右回転する様に捻った。激痛とともに腰部から
「ゴキッ」っと、音がした様に感じた。「神経根」がズレた感触があった。
わたしは上体を伏せてタオルを左手を使い口から吐き出すと大きく息をして、そのまま完全に突っ伏した状態のまましばらくそのままじっとしていた。さすがに息は荒くなっていた。
気がつくと痛みはまったく無くなっていた。
ゆっくり仰向けになり上体を起こしながら足をベッドの下に降ろし、ベッドの縁にちょこんと座る格好になった。左手で車椅子を足下に引きつけて体を車椅子の中に滑る様に押し込んだ。それでも痛みは全くなかった。
次に車椅子のステップを上に持ち上げ両足を完全に床に降ろし、車椅子の手摺りに添えた腕で上体をそろりと持ち上げる様にゆっくりと立ち上がった。そして一歩前に体を動かした。まだ痛みはない。すかさずまた一歩二歩と足を進めるとまったく支障がない。次にスタスタと歩いてみた。朝からのあの痛みは雲散霧消していた。車椅子に戻り腰を掛けようとした時少し痛みが走ったがまた立ち上がると何事もなかった様に歩く事が出来た。わたしは心の中で呟いた。
・・・「そろそろデモンストレーションの時間だ」
、わたしはいつもの悪戯心が起こりニヤリと笑った。
<日光 霧降高原にて コメツツジの花>
わたしはトイレに歩いて向かった。限りなく自然な歩き方を心掛けしかもにこやかに笑みを浮かべながら華麗にしなやかに・・・。
ナースステーションの前を通った。今日の担当看護師がいて目が合った。
わたしは右手を挙げて手のひらを看護師に向けると「やあ」とでも云う様にニヤッと笑いかけその場を通過しようとした。看護師は慌てた様に廊下に出るとわたしの進路をふさぐ様に立って尋ねた。
「U3どうしたの?もう歩けるの大丈夫なの?」
「ご覧の通り。これからトイレに行くところ」
「本当に大丈夫なの。どこにも痛みはないの」
そう聞かれるのも無理はない。昼迄はまったく歩く事も上体を起こして座る事も自力では出来なかったのだ。あっという間に担当看護師だけでなく他の看護師も三四人集まって来てわたしを取り囲んだ。
「心配ご無用。痛みはもう無いよ。ほらこの通り」
わたしはその場で小刻みに足踏みをして見せた。
「無理をしちゃ駄目ですよ」
「わたしは無理はしない。トイレに行きたいんだ。前を通して下さいな」
そう云いながら私は看護師を掻き分ける様にトイレに向かった。
<作戦成功>
わたしは術後一週間での退院を確信した。(いよっ!確信犯!)
<日光 霧降高原にて ドウダンツツジ属のアブラツツジではないかと思われるが同定出来ず>
その後毎日ぶり返しの痛みもあったがその度にこの荒行を続け五日目にはほぼ痛みは沈静化した。まあそれ以上の負荷をかければ体が壊れるだけなのでそこで止めたというのが真相ではあるのだが(笑)
この荒療治は前年の暮れに入院していた時に、歩く事さえままならない状況の時に試みて成功を収めた方法だった。その時はこの荒療治をしてほぼ恢復したところに神経根ブロック注射というステロイド剤を神経に直接注入する治療(これは麻酔無しで行うのでかなり痛い)を行いその翌日に退院した。結局その時は二回神経根ブロック注射をした事になる。
今回はその注射を入院前に試みて症状の改善がまったく見られない為に手術する事になったのであった。そして術後の荒療治(魔のストレッチ)も前回とまったく同じであった。
わたしは一週間後に予定通り抜糸してそしてこれまた予定通り(2007年12月末)に退院した。しかしこれですぐに社会復帰できる訳ではない。わたしは年明けに二度通院して経過を見て貰った上でほぼ二ヶ月振りに仕事に復帰した。医師は退院後まる三ヶ月経過してからの復帰を勧めていたがそれでは四月(2008年)になってしまう。わたしにそこまでの経済的余裕はなかった。
<日光 霧降高原にて ニッコウキスゲの花粉を身に纏う蜂の仲間に止まるホソヒラタアブ>
皆さんのコメントを拝見して間違いに気づきました。ありがとうございます。ハナアブ科・ヒラタアブ亜科「ヒメヒラタアブ」の仲間だと思われます。もしかしたら「ホソヒラタアブ」の仲間かも知れませんがご存じであればご連絡下さい。'09.07.25再訂正~chakoさんご指摘ありがとうございます。改めてネット検索し直して確認しましたところ「ホソヒラタアブ」の♀である可能性が高い事が判明しました。種同定の根拠はお腹の黒縞が太いのと細いのが交互に来る事で判別し、♂♀の同定は目が離れているので♀としました。
初めのうちは半日仕事をして半日休む様に職場に申し出て仕事に復帰しなさいと云われたが仕事の状況は逼迫しており復帰すればその様な我が儘が許される筈もなかった。
一月末に復帰して半年ばかりは疲労が溜まると腰に来た。しかし一日二日休みを取ると痛みは治まりすぐ仕事に復帰した。そしてプロジェクトが終了し離任した今年(2009年)五月まで何とか業務を遂行する事が出来た。職場には最低限の迷惑を掛けるだけで済んだ事に安堵している。
あの入院の日から一年七ヶ月が過ぎようとしている現在(2009年)、わたしはそのプロジェクトを終え業務から離れ次のプロジェクトに着任するまでの束の間の休息を楽しんでいる。
<日光 霧降高原チロリン村で見た花。「エゾノキリンソウ」に葉・花ともそっくりだが本州で育つとは聞いた事がない。「ミヤママンネングサ」だと葉がまったく違う・・・同定できず>
・・・と云いたい処だが早くも懐具合が困窮している(笑) あまりのんびりともしていられないのでそろそろ仕事を探さねばなるまい。
ここ二ヶ月弱というものはまるでブログが仕事の様であったがいつまでも生活の糧にならぬ事に時間を費やす訳にもいくまい。まあタイトル通り『暇人』だしどこかに遠出するほどの蓄えもないのだから暫くはこの状態が続くだろう。しかしながらこのまま座して待つ積もりは更々ない。これ迄の様な取引先との電話の遣り取りだけではなく来週からボチボチ仕事探しの行脚に出掛ける事としよう。
とはいえ、昨年九月の未曾有の世界同時不況以来仕事はぱったり途絶えたままだという。わたしは今年五月末まで仕事があったから良い様なものの、失業して居られた方々にとっては切実な問題であったろう。しかしわたしの業界でも選挙がらみでいくつかの大型プロジェクトは様子見の状態らしい。つまり需要がないのだ。政党のマニュフェストを見聞きする限りにおいてはどの政党が政権を握るのかによってまったく状況が異なる様だ。どうなろうとそれは時の運だが早く雌雄を決して政局が動く事を期待している。そうでなければ次の手が打てない。
でも衆議院選挙は八月三十日だからなぁ。三ヶ月も遊びでは完全に干上がっちゃうよ(爆)
< 完 >
***注意***
前記事でも書きましたが皆様はけしてこの様な荒療治をなさらない様お願いいたします。もし治療を受ける身になったらお医者様の言う事を良く聞く「よゐこ」に徹しましょうね。そうでないと後でどんな後遺障害が出てくるか分かったものではありませんから。
<日光 中禅寺湖の名前の由来となった寺院です>
<U3の今日の格言>
『「人の心の中に土足でズカズカ上がって来ないで!」なんてヒステリックに叫ぶ人物に限って普段他人に対して傍若無人に振る舞いそれに少しも気がつきはしない』(敢えて正直に申しますが、大抵女性です)
・・・とわたしは思っています。嘘や誤魔化しが出来ない馬鹿正直なわたしですが何かご不満でも(笑)
『「あなたの気持ちが良く分かるわ」などという言葉は嘘っぱちであるから信じるだけの価値はない』
毎日変化している自分の心さえコントロール出来ない現実を理解できないのにましてや他人の心なぞ理解できる訳がない。
こんな事を書くと怒り出す人物まで現れそうだが冷静になってみれば分かる筈である。もし分からないのであれば、その者は冷静に物事を考えられない性質の持ち主かまったくの愚か者か判断力が劣るかあるいは無いかの何れかである。
非難や誹りを恐れず敢えて云うが、人が他人にしてあげられるのはせいぜい「あなたを理解する様に努力します」という「フリ」か、若しくは「わたしはあなたの良き理解者である」という「ポーズ」だけである。しかしそれは偽善でも何でもない。他人と接する際の最低限のエチケットであり礼儀というものだ。他人の心は自分の様には理解できない。しかも自分の心でさえ日々変化しており、ようとして捉える事はかなわぬ。だとしたら嘘をつかない為にはそうするしかないのだ。
それでも他人の気持ちを理解できる、理解しようと努力しなければならないなどと本気で思い信じているのならわたしはそういうあなたに断言しなければならない。「その気持ちは空廻りしいずれその相手から必ず手痛いしっぺ返しを受ける羽目になるだろう」と・・・歴史上の出来事はわたしの格言が真実である事を物語っている。
『他人の変節を批判しても始まらない。何故ならあなた自身も知らず知らずのうちに変節しているのだから』
人間だけでなく生きとし生けるものは毎日変化しなければ生きていけない。これは生物たるものの宿命である。姿かたちも、心の中も、そして一つ一つの細胞も、絶対的に昨日のあなたとは違う。見た目は殆ど違わないかも知れないが確実に変わっているのだ。生きとし生けるものはひとつところに止(とど)まらないからこそ生きていけるのだ。
だから永久(とわ)にお互いの親密な関係を保ち続けていけるなどと思うのは幻想であり現実としてもあり得ない。だとしたら人生にどう折り合いを付けてどの様に人と接したらよいのか自分で模索しなければならないだろう。
わたしからひとつだけ皆に人との接し方をアドバイスして置こう。
「べったりな関係になるな!」
ただそれだけである。そうすれば、やれ「裏切られた」だの「気持ちが離れた」だのというご託を並べる必要も相手からその様な誹りを受ける事もまったく無くなる。他人とはある程度距離を置くのがエチケットであり、人との関係を長続きさせるコツでもあるのだ。友と呼べる間柄はけしてベタベタしたものではなくその対極にあるといって良い。「君子の交わりは淡き水の如し」という事だろう。これは真実であると云っても良い。
「蜜月時代はあまり長く続かない」 「熱狂はいずれ醒めそして完全に忘れ去られる」
これが人間関係の現実である。ところでこの様な「相互依存の関係」は男女間よりもむしろ女性間で見掛ける事が多く、これは日本独特の人間関係といって良いだろう。もしこんな事を外国でしていたらレ〇ビアンと間違えられるのがオチだろう。それから母親と息子の関係にも同様な傾向が見られ、特に母親にこの傾向が顕著である。これも日本独特の(歪んだ)家族関係といって良いだろう。今の日本の社会は自立できない人間が溢れているという事だろうか。
あはは、またも正直に語ってしまったよ。またぞろ「正直である事が良いとは限らない。人を傷つけてしまう事もあるんだ」なんてぇ説教とも訓戒ともつかない(何処かの本に書いてある様な付け焼き刃的)能書きを垂れる御仁が現れるかも知れないね。でもそんな常識人には一言だけわたしからのメッセージをお伝えしよう。
「正直であろうが嘘をつこうが優しかろうが冷淡であろうが人は生きていれば必ず自分以外の者を傷つけずには済まない。あなたの相手が十人いたとしたら十人が十人全員の心を満足させる事は出来ない。必ず誰かの心を傷つけてしまうだろう。だとしたら嘘をつくよりは正直に真実を語る方が遙かに有意義であり、もし真実自体に問題があるとしてもその解決は早い事だろう。自分や人が傷つく事を恐れてはならない。その様な試練無くして人間としての成長も進歩もあり得ないのだから」・・・と(*^ - ^*)
ではでは皆様次回までごきげんよう!