昨年の初夏に、ある方が「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とわたしのブログにコメントを下さった。コメントにはそれが誰の言葉の引用なのか書いていなかったので自分で調べてみたところ、
何と、かの鉄血宰相として名高いオットー・フォン・ビスマルクの言葉であった。
そこから思った事がある。この邦訳はたぶん独語からの訳出ではなくて他言語へ一度翻訳されたものからの再翻訳ではなかろうかと。
Wikiquoteにドイツ語の原典を記載した上で日本語対訳が記載されていた。それに依れば、
「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。
私はむしろ、最初から自分の過ちを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」
・・・、とありました。これは直訳だそうです。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという訳出はいにしえの何方(どなた)がなされたのかは知りませんが、原語とはずいぶんと意味の離れた邦訳であると感じた次第です。何だか誤った邦訳が一人歩きをしている気がします。以前に取り上げた老子の有名な一節、「言う者は知らず、知る者は言わず」と解釈の仕方はどっこいどっこいと云ったところでしょうか(笑)
わたしはドイツ語を解しないので本当の意味は分からないけれど、もしこのWikiquoteの直訳が正しいのであれば、わたしならば
「愚者は自己の経験の範疇から出でず、賢者は他者の経験から多くを学ぶ」
と訳すでしょう。・・・不本意ですが(笑)
通説なのでコメントを下さった方がこの邦訳を信じたのは無理からぬ事かも知れませんが、その邦訳が真実ならば、
「古今東西、賢者は一人もいなかった事になるのではないか」
と云うのがわたしの偽らざる感想です。
何故ならば多くの偉人、賢人と云われる人達が、歴史を研究し、史料を紐解いて、尚かつ歴史書まで著しているにも関わらず、その偉人も賢人も、廻りにいた知識や教養を持っていた筈の人々も、当時の為政者も、そこから何も学べずに同じ過ちを何度も繰り返して来たのですから。
人類が同じ過ちを繰り返えすのを綴ったものがまさしく「歴史」なのだ。そう学んだU3でした。
わたしは正直過ぎて馬鹿をみる典型的な愚か者ですが、他人の考えや言葉には耳を傾けても、それを鵜呑みにする程の愚か者になりたくはないと思っています。ことわざや格言や名言は真実を突いていると思いますがそれを金科玉条の如く信奉するのは如何なものでしょう。話の度にそれら格言のたぐいや権威の話などを引き合いに出す人を見掛けると自分の考えを持っていないのではないかと思ってしまいます。わたしは思うのですが、この邦訳の様には人類が歴史から多くを(もしかしたら何も)学ばなかったのは明らかです。だとしたら自分が如何に経験を積み、その経験から多くの教訓を得、真実が何であるかを学び、それを自分のものとしてどれだけ身に付けるかという事の方が、歴史から何かを学ぶよりも遙かに有意義であり、生きていく上では重要なのではないでしょうか。
失敗を恐れて何も為さない人が多くなって来ている現代は経験値が低い社会であると云わざるを得ません。いくら書物を読んだとてそこから得られるものなど高(たか)が知れています。ネットからの情報もまったく同様です。他人の経験や知識は所詮他人のものであって自分のものではありません。そこから何かを得る事が出来ないとは申しませんが、他人の経験や経験談には自分自身が経験する程のインパクトもなければ身につくものでもないとわたしは考えています。
わたしは思うのですが、人が生きていく上で大切なのは自己の経験を通して正しいものを見極める力を身につける事であり、更にそこから自分独自の考えを創出する事なのではないでしょうか。学ぶとは本来そういうものだと思うのです。けして公式を記憶するとか知識を得るという事だけが学びではないと思います。
という訳で「経験こそ全てである」とわたしは結論づける事にしました。
・・・何かご不満でも!(笑)
<おしまい>
<陛下じゃないよ~鶴岡八幡宮の狛犬様だよ~ん>
<おまけ> 躾について・・・
うちの陛下(パピヨン犬♂7歳、実名:雲谷斎武羅運(ウンコ臭いブラウン))は陽気ではあるが特にうるさいという事もない大変おとなしいわんこだった。
しかし、わたしが仕事にかまけて散歩に連れて行かなくなり、それにつれて妻が代わりに散歩に連れて行く様になってからというもの、いつの間にか何かにつけ吠える犬に変身してしまった。
<エッヘッヘッヘ、旦那ぁおやつチョウダイよ>
考えてみれば陛下と一緒にいる時間は妻の方が長い。陛下の夕ごはんなどもわたしの帰りが遅いので妻があげる事が多い。当然おやつなども同様である。どうやらその中で吠えれば要求が通る事を覚えてしまったらしい。陛下はわたしの前ではけして吠えない。しかも陛下は見かけに依らずなかなかの知恵者(犬)かつ芝居上手な役者だ。わたしが仕事から帰って来た時などさも自分は食べていないという素振りをして尻尾を振り振りオスワリやフセなどをして上目遣いで「ごはんちょーだい」てな顔をするのだ。しかしわたしがそれに騙された事はない。そして陛下にはいつもこう云ってあげる。
「おぬし、役者やのう」
わたしに一向に通じない芝居であるにも関わらずその素振りを止めた事は一度もないのが可笑しい。猿知恵ならぬ犬知恵なのだろうか(笑)
<このつぶらなまざしに騙されてはいけない!>
いろいろ試してみた結果、わたしだけしかいない場合はけして吠えないが、わたしが妻と一緒か妻だけの時は吠えるという事から、陛下が妻に対してだけ要求吠えをしているのは明らかだ。今後は妻も陛下に対してわたし同様毅然とした振る舞いをして貰う必要を感じている。
<あちゃ~ バレたか!>
<本日の教訓>
「躾とは人によって変わるものではなく終始一貫したものでなければならない。
尚かつ一時的なものであってはならず継続性のあるものでなければ終生身に付くものではない」
わたしの躾は厳しい。一方で妻は今日も陛下に猫(犬)撫で声でこんな事を話し掛けていた。
「あ~らブラちゃん(ブラウン、つまり陛下の事)帰りを待っててくれたの?そうなの?さみちかったの~。あらそんなに騒いじゃって。いまミルク棒あげまちゅからね~。待っててね。ハイミルク棒!あらあら喜んじゃって、そんなにミルク棒はおいちいでしゅかぁ?ママにもチョウダイ! あら唸っちゃて。こら吠えるんじゃないの!駄目!吠えちゃ駄目だって云ってるでしょ。分かんないの!本当にこの子ったら・・・」
・・・これでは要求吠えはいつまで経っても治りはしないだろう(=^_^=)
<追伸>
久し振りに拙ブログにコメントやnice!を頂いた方全員に、コメントをお返ししようと思っています。全員といってもブログ荒らし等は省きますが(笑)
時間が取れないのでいつもという訳ではありませんが出来るだけ頂いた方のブログに伺ってnice!やコメントを書く様努めて参りましたが、拙ブログへ頂いたコメントにお答えしないのは申し訳ないといつも心苦しく思っておりました。時間が少し取れそうなので今回は自分のブログにも出来うる限りコメントレスさせて頂きます。でも、もしコメントできなかったらご免なさい。記事を終えるに当たって・・・
この場を借りて改めていつも拙ブログを訪問頂いている事を感謝申し上げます。