<衛子盛衰・・・え、間違いじゃないかって? いいえ、これで合ってるんです!>
あのね、日米安全保障条約の一番大事な骨子は、
「日本人は好戦的な民族なので軍隊を持っちゃ駄目なのね。でもそれじゃあ米国の傘下にある日本列島が無防備になっちゃうのね。だから軍備を取り上げる代わりに米国が米国の軍隊を以て日本人を守ってあげます」
・・・って訳なのね。これは時代が変わろうが条約の中身が変わらない限り変えようのない安保条約の根幹です。
あのさ・・・だとしたら集団的自衛権なんて本来要らない筈だよね。
<衛子盛衰・・・え、間違いじゃないかって? いいえ、これで合ってるんです!>
あのね、日米安全保障条約の一番大事な骨子は、
「日本人は好戦的な民族なので軍隊を持っちゃ駄目なのね。でもそれじゃあ米国の傘下にある日本列島が無防備になっちゃうのね。だから軍備を取り上げる代わりに米国が米国の軍隊を以て日本人を守ってあげます」
・・・って訳なのね。これは時代が変わろうが条約の中身が変わらない限り変えようのない安保条約の根幹です。
あのさ・・・だとしたら集団的自衛権なんて本来要らない筈だよね。
<白馬村で四葉のクローバーを探しましたが見当たりませんでした>
安倍政権のいかがわしさはまさにその辺にあるのではなかろうか。同じく日本人による集団的自衛権行使という考え方の出処である米国政府は更にいかがわしい存在である。
正直、安倍政権のお為ごかしロジックに騙されちゃぁいけないと思う。
そもそも日米安保条約は日本が米国にお願いして締結したものではない。全て米国の都合なのである。自衛隊だって朝鮮戦争(当時は朝鮮動乱)の際に日本列島を守れるだけの余裕が米軍(当時は進駐軍)になかったから日本国憲法第9条を曲げてまで特例措置で(軍隊ではないという名目で)警察予備隊を作ったのが始まりである。
思い遣り予算だってそうである。安保条約の骨子からすれば米国が自分達の都合で日本を守る事にした訳で、その理由が米国の安全保障上日本列島は絶対に手放したくない。だから日本各地に米軍基地を作って、米国の都合の良い様にアジア地域で米軍を動かしたい。その様な自己都合的な理由があって出来た条約で、そういった締結事由からしても日本が在留米軍の費用負担などする必要は皆目ないのである。
日米安保で日本は今まで本当の意味で米国に守って貰ったことがあるのだろうか。もし条約が日米のギブアンドテイクならわたしは何も云わない。しかしベトナム戦争当時は沖縄の嘉手納基地はB52で北爆を行う最前線基地として、同じアジアの同胞であるベトナム人の殺戮に結果的に加担してしまい日本の安全保障には何一つ寄与していないのである。日本人はベトナム戦争に参戦していない積もりだろうが沖縄では常に臨戦態勢でありベトナム戦争の重要な後方支援基地だったのだ。湾岸戦争だって米国の嘘の報告を元に当時の法解釈を変えてまで後方支援することになったのは皆も知っての通りだ。
その様に歴代の日本政府は米国には常に弱腰だ。「思い遣り予算」は米国議会の圧力から端を発した時の米国政府の圧力に屈してお金を払う羽目になった経緯があるのだ。駐留米軍の費用肩代わりを「思い遣り予算」と呼ぶのはその様な経緯があるからそう呼ばれているのだ。つまり本来費用を負担する必要は更々ないけれど日本を守ってくれるから少しぐらい(ちっとも少しじゃないけれど)費用を負担してあげてもいいんじゃないのぉ・・・てな具合である。
わたしに云わせれば、日米安全保障条約があるから在留米軍の費用を日本が負担するのは当然だというロジックは論理のすり替えなのね。「安保条約のどこにそんな事が書いてあるんだ」と声を出して云ってもいいくらいなのである。でも日本人とその政府は弱い者には嵩にかかって居丈高な態度を取るけれど、強い者には滅法弱い民族だから結局のところ米国の言いなりなんです。本当に情けないと思う。
本当の事を云えばこういうことなんですよ。
日本は米国に安全保障を任せきりにしてその間経済活動にいそしんで国力を伸ばして経済の面では米国を脅かす存在になった。その様な情勢のなか、米国の予算審議で槍玉に挙がったのが米軍の日本駐留費用なんですね。こりゃあけしからんという訳です。「黄色いサルである日本人をこれ以上のさばらせちゃいかん! 日米安保条約にどんなことが書いてあろうがここは日本人に安全はただじゃねえぞ教えてやらなきゃならねえ」という米議会の声を時の米大統領が抑えきれなくなって日本政府に圧力を加えた結果が「思い遣り予算」なのである。
あのさ、ぜんぶ米国の都合な訳よ。それを日本の時の政権が、「日本人は水と安全はただだと思っているがそれは世界から見れば非常識だ」だから米国に日本を守って貰う代わりにその費用ぐらいは負担すべきなのだ。てな詭弁ロジックを持ち出して日本人の良心に訴えた訳ですよ。
本当は米国の安全保障の都合上日本を守っている訳で日本人にそれを負担させる理由なんてどこにも存在しない訳です。ベトナム戦争が日本の安全保障と関わりがないのに日本の基地が(後方といいながら)最前線基地として使われた過去を顧みれば今後もその様な事態にならないとは限らない。つまり日本の安全保障と関わりがないのに米軍がその様な軍事展開をしても日本は思い遣り予算を出し続けなければならないのです。そんな実態があるのにそれをゴリ押しまでして無理やり日本政府に駐留費を負担させる主張を押し通して来たんです。
そしてそれはいつも結局のところ日本の為だというお為ごかしだった訳で、それが戦後いつの世も堂々とお為ごかしが通じてきた過去があるのですよ。だから日本政府と時の政権は常套手段で米国に唆されてこのロジックをいつも振り回すんです。
まあ、これまではそれで良かったかもしれない。でもね、今般の「集団的自衛権」に到ってはお金で済む話ではけしてないのである。そのところを選挙民である日本国民は忘れちゃならないと思う。
米国は常にご都合主義で日本に様々な要求をして来た。その集大成が「集団的自衛権行使」の容認なのである。お為ごかしで「集団的自衛権」を持ち出しそれが時代のニーズだと云わんばかりの詭弁を弄し、気づかぬうちに米国に引き摺られて戦争に突入することは大いに有り得るのだ。いや遠からぬ近未来必ずそういう局面が到来することは間違いないと云って置こう。何しろ集団的自衛権行使を日本が決定した場合、米軍中枢は日本にNATO軍並みの役割を果たして貰うと述べているのである。
安倍総理も云っているではないか。
「日本人の安全保障の有無に関わりなく同盟国が攻撃されればそれすなわち日本への攻撃と見做す。それが集団的自衛権だ」とね。初め限定的行使とか云って置きながら、その後なし崩しにして真実をうやむやにして最後は圧倒的多数で大事なことを決めてしまうのは安倍政権の常套手段でありルーチンワークである。これが危機でなくていったいなんなのだろう。
安倍政権の胡散臭さはその様なことを隠して、しかも閣議による集団的自衛権の行使容認は法的に可能という「有識者会議」なるものの結論を先に持って来て、国民を欺き、嘘八百でありもしない具体例をならべて茶番ともいえる与党内調整や国会論戦を展開して既成事実化してしまおうという魂胆にあるといえよう。実に論理のすり替えが多い。安倍総理は期限を付けないといったが高村副総裁は今国会期中と期限を切った。この様になし崩しはどこまでも続くのである。
その挙句、大して議論もしないうちに「十分審議は尽くされたのでこの辺で採決しましょう」といういつもの遣り口で終える積もりです。それで国会が紛糾したら最悪の場合、自民党単独でも圧倒的多数で衆参可決してしまおうという腹積もりなのである。これは安倍政権発足以来用いて来た常套手段である。もし旗色が悪く国会で審議が進まなければ閣議決定で一方的に決めてしまうかもしれないし、閣議決定は閣僚全員一致が原則だから公明党の反対があれば、閣議を経ない国家安全保障会議で総理大臣を含む4名の閣僚だけで集団的自衛権の行使を決めてしまえば済むのである。
いやぁめちゃくちゃ恐ろしいですねぇ。
<クレマチスやテッセンが結構好きである。今年はマンションの大改修で、蔓植物であるクレマチは外壁の補修塗装の邪魔になるとの理由で根元から切断せざるを得ず枯れ死してしまったとうちの奥様に告げられショックでした>
参院選で日本国民の過半が下した「ねじれ解消」は間違いだったのだろうか。
現状を見る限りそれを肯定せざるを得ない。
今の政治の世界は安倍政権の一党独裁と何ら変わりがない。
そういう意味で力による現状変更を行使しようとしている中国を日本は批判できる立場にない。中国に対抗する為に集団的自衛権を容認する方向に進むのであれば極東地域の緊張の糸は常に極限まで張り詰めたままだ。仮想敵国を作ってそれを理由に集団的自衛権を持ち出して憲法改正まで視野に入れているのであればその先にあるのは「戦争」以外の何ものでもない。
嗚呼、あな恐ろしや日本の行く末!
次回は安倍総理のしゃべり方についてひと言ふた事話してみたいと思う。