<おかしな顔だが「ゴジラ」でも「U3」でもない>
「信念」とは・・・
<おかしな顔だが「ゴジラ」でも「U3」でもない>
「信念」とは・・・
けして「相対的」なものではなく
「絶対的」かつ「不変」なものを云う
であるから、何か事が起こりその事によってぐらつく様なものならばそれはけして「信念」ではあり得ない。「信念」だと勝手に思っていた幻想である。ましてや人に何か云われる度に変わる様なもの(これを「相対的」という)が「信念」であろう筈がない。「信じる」とは本来そういうものだ。
それは、個人的個別のものであり普遍的ではないが一個人が生きていく上で大切なものだ。それが無くとも生きていけるが無ければ「根無し草」的人生を送る事は必定である。
「信念」や「信条」や「信用」、「信頼」といった言葉も本来はそうなのである。
「わたしはあなたを信じています」
そう云って置きながら他人の言動に踊らされその人の元を去って行った人達をわたしは何人も見て来た。その様な行動を人は「変節」と呼ぶのだ。他人の意見や考えなどで簡単に変わる様な言葉ならば最初から口にすべきではなかったのだ。
その様な人達には云われた相手がどの様な思いでいるのかが分からないのだろうか。こころ密かに深く傷ついている事など思い及びもしないのだろうか。自分が他人にとてもひどい事をしたのだとは思わないのだろうか。
例えブログの中の世界だとしても、
「それはないぜ!」 とその人に成り代わって謂って置きたい。
<けして「アフロヘアー」でも「ベートーベン」でもない>