<わたしです・・・・・・ウドの大木>
いっそのことブログタイトルを
『U3の人生劇場』
・・・に変えてみるか!(TOT)/^^^^^
<わたしです・・・・・・ウドの大木>
いっそのことブログタイトルを
『U3の人生劇場』
・・・に変えてみるか!(TOT)/^^^^^
本日は読み応えあり!
『U3の今日の格言』も最近「人生相談コーナー」と化しつつある現在、皆様に置かれましては如何お過ごしでしょうか(^ △ ^)ノ"
※ はじめにお願いがあります。今回の記事の前半はU3ブログの辿って来た道を綴ったもので、特に初っ端はブログ活動で遭遇した過去の忌まわしい出来事を説明していて読むのが辛いも部分もあります。しかし中盤以降は楽んだり納得できる内容になっていますのではじめの部分を我慢して最後まで端折(はしょ)らないで読んで頂ければと思います。(もちろん強制するものではありませんが) 当分の間、これほど長い文章を書く積もりはないので最初から最後までしっかり読んで頂けると助かります。ご迷惑かも知れませんがこれでわたしの胸の中に澱の様に溜まっていたわだかまりを解消する積もりで書きました。お見苦しい点が多々あるとは存じますがご容赦下さい。その代わりといっては何ですが、途中でささやかながら笑いのエッセンスも用意していますのでお見逃し無き様に・・・♡ (残念ながらハチャメチャはありません)
<U3ブログ開設5年目を迎えて>
ソネブロを始めてからのこの4年間を総括してみようと思います。
ソネブロを続けて丸4年が過ぎました。きょう7月30日からはソネブロ5年目に入ります。その間書いた記事はかなり少なめで388回しかありません。同時期にブログ活動を始めて継続的に活動なされていた方々は、記事の更新が1000回を超えている方も多くわたしなどそれらの足元にも及びません。
この4年間を振り返って見てわたしにとって一番大きな出来事は、ソネブロ内にはびこる「ブログ荒らし」との遭遇でした。「ブログ荒らし」とは見ていてとても不快になる嫌がらせコメントを際限なく送りつける輩のことを指します。一種の愉快犯だと思われます。これは一旦どこかのブログが攻撃されたら次々と他のブログにも波及するという特徴を持っていました。つまり、うっかりブログ炎上(当時はそういう定義はありませんでしたが)しているブログに行って何も知らずにnice!やコメントを入れたりすると、それを見たブログ荒らしが次々と炎上したブログを訪れた方のアイコンを辿って嫌がらせコメントのコピーを幾つも貼り付けるという手口でどんどん被害が拡大していくのです。まるでコンピュータウィルスの様ですね。わたしもそうして飛び火してその被害に遭った一人です。
そんなソネブロの現状を憂いてその実態を暴き他のブロガーの方々にも知って貰いたいと思いかなり強いメッセージをソネブロ上に発信しました。当時からわたしの考えは誰が被害者で誰が加害者だという事にはあまり興味はありませんでしたしそう表明もしていました。ただわたしが明確に認識していたのはそんな嫌がらせコメントを何の縁もゆかりもない者のブログに書き込む人物は加害者以外の何者でもないという事実でした。それはとても不快なコメントであり、そんなコメントを次々書かれては堪らないと思っていました。それにその不快なコメントはわたしが過去二度に渡って別の件で嫌がらせ被害を受けた時とまったく同じ口調でその攻撃パターンも同じ手口でした。
わたしはそれが誰であるのか薄々知っていました。そしてそのブログ荒らしの真相を知っていそうな人に当たりを付け接触をはかりました。しかしなかなかブログを荒らしている人物の名は明かされませんでした。そこでわたしはまわりくどい遣り方をやめ直接的な云い方をしました。曰く「〇〇という名前ではないですか」と。そしてその結果はと云えばまったくわたしの思った通りの人物だったのです。わたしは何処の誰だか分からない事をいい事に、本来楽しい筈のブログを不快なものにしているこの人物が許せませんでした。それからわたしは更に事実関係を徹底的に調べ、ブログ荒らしの存在とその手口、そしてもし被害に遭った時の対処法をソネブロガーに向けて発信したのです。
その頃、わたしとほぼ時を同じくしてブログ荒らしを糾弾された方達も居られました。その事により一時期ブログ荒らし一味はなりを潜めました。しかしやがて一味はやり方と攻撃の矛先を変えて反撃に転じたのです。今度は一味を糾弾したわたし達に攻撃を集中して嫌がらせを始めたのでした。被害は減るどころか返って増えてしまったのです。個人攻撃はブログ内に止まらず日常生活にも支障が出る様になりました。その間何度もソネブロには相談と状況の改善をお願いしたのですが、この問題に対して積極的に介入し解決する姿勢はついにソネブロには見る事が出来なかったのです。そしてこの事に嫌気が差してブログ荒らしを糾弾した方達は一人去り二人去りしてブログ荒らしに対するソネブロガーの関心は次第に薄れていったのです。
<日光チロリン村にて>
結局最後まで残ってこれらの者と戦ったのはわたしだけになってしまいました。わたしだけですから当然ブログ荒らし一味はわたし一人に集中砲火を浴びせて来ました。わたしは平気でしたが家人はそんな状況に不安を覚えていました。何故なら住まいの写真やわたしの実名まで犯行予告とも取れるコメントともにソネブロ上に流布されたからです。ブログ荒らし達は嫌がらせ専門に開設した複数のブログを持っていて、何も知らないブロガーにnice!やコメントを入れてはそれを辿って見に来た人達に嘘だらけの記事を読ませてわたしへの不快感を植え付ける様に仕向けていたのです。そこに日に何回も嫌がらせ記事を書いては引っ込めるという遣り方で嫌がらせを繰り返していました。これは他にもブログ荒らしを糾弾する人達がいた時から始まっていたのですが、最早一人になってしまったわたしだけが集中して被害を受ける事になってしまったのです。
しかしわたしはそんなブログは見には行きませんでした。ただの嫌がらせなのですから見るだけの価値はないし、これ以上ブログ荒らしの首謀者が手も足も出せないのを知っていたからです。しかし見には行かなくとも嫌がらせの内容は把握していました。なぜならわたしの友人が一味がしている事を監視していて何か変化がある度に連絡を貰っていたからです。実はブログ荒らしを糾弾していた人達はソネブロから離れてもわたしをずっと陰で支えてくれていたのです。警察への通報やソネブロへの要望など多くの時間と労力を費やさなければならない事を黒子に徹して活動して頂いていました。この方々なしではわたしのブログは立ち行かなかった事は間違いありません。あらためてお礼申し上げる次第です。(←'09.07.30.10:20AM追記)
わたしのターゲットは首謀者の男だけでした。そして事件の収束に向かってその遙か以前から着々と手を打っていました。まだブログ荒らしを糾弾する人達が複数いる頃に、その中の二人からこの者達の為した悪事を警察に通報して貰っていたし被害届も出されていました。そして「すでに被害届は出されているぞ」とわたしのブログに書き記したのです。
首謀者の男は自分のしていた事が証拠が挙げられたら十分罪に問われる事を知っていました。損得勘定でしか動かないこの男はそれでさっさと手を引いて嫌がらせブログの現場から表面上は姿を消しました。それでも男の表の顔であるメインブログでは余程悔しかったのか時々未練たらしく思わせ振りな記事を書いていた様です。しかしその度にわたしにその情報が入り、わたしのブログ記事で「馬鹿な男がいるものだ」とその愚かな行状を指摘されて、急いで言い訳をしたり強がりのコメントを返していましたが結局尻切れトンボで終わってしまいました。
しかし、ブログ荒らしはこの男だけではありません。女も二人いたのです。その二人はこの男を巡って反目し合う仲でした。しかしわたしという共通の敵の存在から一時共同戦線を張っていました。わたしは元々利害が対立する二人なのですぐに共同戦線が瓦解して嫌がらせも収束するだろうと踏んでいましたが結果は予想を裏切りました。共同戦線は瓦解したのですがひとつだけ誤算が生じたのです。それはその二人の女の一方が異常な粘着気質の持ち主であった事でした。
まともでないのはあちらこちらから聞いてはじめから分かっていました。ですが首謀者の男が手を引けばこの女も引き下がるだろうというわたしの読みは外れてしまいました。女は首謀者の男が嫌がらせ行為から手を引くとまるで箍(たが)が外れた様に途端に暴走し始めたのです。これにはたぶん首謀者の男は慌てふためいたことでしょう。これが首謀者の男の墓穴を掘る事になれば面白いとわたしはそれをただ冷ややかな目で見ていました。そしてしばし高みの見物を決め込んだのです。それはわたしの記憶では2007年の6月頃の出来事でした。
しかしそんな状況にある事を当時の読者の皆様は殆ど知りませんでした。ただただトラブルに巻き込まれるのを恐れてわたしの元からも読者が次々と離れしていきました。当時そんなわたしを遠巻きに見ていた人達は大勢いた筈です。そしてわたしの方も危害が及ぶのを恐れて読者の皆様に一切の応援を求めてはいませんでした。その為に離れて行く人達をどうする事も出来なかったのです。しかしそれを批判する事は出来ませんでした。なぜならこれはわたしが始めたわたしの問題であり皆様の問題ではなかったからです。しかしそういった事で知らず知らずの間にわたしはかなりの精神的ダメージを受けていたのです。そして当時を振り返るとそれは孤軍奮闘、精神的に一番辛い時期でありました。
その様に孤軍奮闘ではありましたがその後もわたしは、辛抱強く、長い時間を掛けてブログ荒らしの行状を一つ一つ明らかにする事によって、その動きを封じ込めて行ったのです。しかしブログ荒らしは未だにソネブロ内に潜んでいます。そしてわたしの知らないところで未だに悪さをしている様です。
その様な過去の出来事がわたしに陰を落とさない筈はありません。そしてつい最近までその陰をわたしは引き摺っていました。何で楽しく始めた筈のブログ活動がこんなになっちゃったんだろうってね。
とにかく過去にそんな事があってわたしのブログ活動はけして楽しいものではありませんでした。そしてその様な過去の出来事がしばらくの間わたしのブログ活動に制約を与えていました。具体的には今でも尾を引いている部分もあります。個人情報をブログ上に公開しないとか、OFF会には一切参加しないとか、ブログを通して知り合った方とは(申し訳ないけれども)住所は交換しないとかいろいろね。過去にそういった個人情報が誰かからブログ荒らしに漏れて散々嫌がらせを受けましたからね。自衛手段として致し方なしです。
とにかくそれを3年近く引き摺っていたわたしですが、今年になって「因果応報」について記事を書いていてある事にふと気づいたのです。今まであった事は全部自分の行動が招いた結果であって他人の所為じゃない。自分の身の廻りに起こる出来事は良い事も悪い事もすべて自分がした事の結果、つまりまさに「因果応報」なのだという事にね。「因果応報」について書きながら、意識的にその事から自分を除外していたわたしはソネブロで悪さをしている者等と大差ない馬鹿者だったとハッキリ気づいた訳です。そう分かった時何故かこころがスッとしました。わたしは、わたしから離れていった人等にあまりにも心が囚われていたのだと遅まきながら気づいたのです。そして去って行った人達の何倍もの、実に多くの人達との間に新たな出会いや交流があった事にようやく気がついて、鬱屈していた心も梅雨明けの空の様に澄み切り晴れ渡っていました。
と同時にわたしのブログ活動の新たな方向性も見えて来ました。
<日光で食事と云えば湯葉と蕎麦 お店の前に車を止めて>
わたしはソネブロを始めた当初はnice!やコメントまたはその両方を頂いた全員の方にコメントレスしておりました。そしてコメント重視派であったのでnice!押し逃げは良くないなどと本気で思っておりましたしそう主張もしていました。今やnice!押し逃げ常習犯でありコメント返しもままならないわたしを見て「え、そんな事あったの?」なんて驚かれる方もいらっしゃるやも知れませんね。その頃をご存じの方々の中にはわたしを変節漢だと思って居られる方もいる事でしょう。何を云われても返す言葉はありませんがわたしは変わったのだという事だけはお伝えしなければならないと思っています。
どう変わったのか?
それは「より多くの人達にわたしのブログを見て頂きたい」という思いに意識が変化したという事です。少数でも良いから気に入って呉れた人だけ来てくれればいいやと云う今までの考え方から、より多くの人達に来て頂いてわたしなりのメッセージを伝えたい。何かを感じ取って貰いたい。出来れば(拙いかも知れないけれど)わたしの記事を読む事によって意識をより良い方向に変えて頂きたいというある意味大それた願いでした。その時以来わたしは皆様のブログにnice!を押しまくり「こんなブログもあるんですよ。ここで何かを感じ取って帰って下さい。たまには大いに笑ってストレスを発散して下さい。ここにいる間は人生の悩みや社会の抱える問題を一緒になって考えて見て下さい。ここでは喜怒哀楽を素直に表して下さい。ここはそういう憩いの場です。・・・そしてまた是非とも遊びに来て下さい」というメッセージを行間に込めて記事を書き綴って来ました。
でも、そんなわたし自身に課した(ある意味独り善がりな)使命も何れ終わる時は来るでしょう。皆様の支持を失った時がその時だとわたしは思っています。わたしはその日が来るまで今の遣り方で皆様に(ご迷惑かも知れませんが)メッセージを送り続けたいと思っております。そうは云っても気分屋なのでいつ考えが変わるかは知れたものではないけれど(笑)
とにかく、(所ジョージの様に)肩肘張らずに力を抜いて自由気儘に、思う事を思うままに書き綴る事ができればそれで良いのではないかと思っております。
これがわたしのブログ活動4年間の総括です。
<このお蕎麦屋さん「弦庵」という名だけに弦楽器が所狭しと・・・コンサートも時々するらしい>
ここらで文体と内容はがらりと変わり突然変異!
どうせ顔は見えないし(見えてもいいけど)嫌われてもいいやと思って本音トークをしてたらあに図らんや皆様にみょ~~~にご支持を頂いちゃったり、いつも重いテーマばかり扱って疲れるので気晴らしにハチャメチャ路線で行ってみたらバカウケで続編を期待されちゃったりなかなか思う様にはいかない毎日です(=^_^=)
それでいて、真面目で暗い性格かと思いきや実はお馬鹿で軽薄短小お調子者のわたしだったりするものだから、ついその気になって毎回趣向を凝らして記事作成に励んでみたりと心にもない精勤振りが痛々しい今日この頃のU3ではある。
とは云っても、『いつまでもあると思うな親と金』ということわざ同様わたしのネタも枯渇しかけているかと思いきや、世間のあまたのアンポンタンに輪を掛けて更にお馬鹿なわたしだったりするものだから、まだまだイケると大っぴらに自負していたりするメダカバカ(網でも掬えないに掛けて「救いようのないバカ」の意)なのでありました。つまり死ななきゃ治らないタイプかも知れない。そんな訳で(どないな訳やねん!と関東人のわたしが何故か関西弁で自己完結のボケとツッコミ)この先どの様な方向に拙ブログが進むのか自分でもようとして捕まえる事が出来ない気分屋のU3ではありました。
<U3の注文した蕎麦 さあ召し上がれ!>
・・・という様な訳の分からない文章で皆様を攪乱し「記事も長くなってしまったし~」と思って終わらせようと密かに画策していたのだけれど、
「やはり『U3の今日の格言』は必要だべさ」と
何故か福島弁で尚かつ悪魔の様な声で誰かに囁かれ心ひるがえすわたしでありました。
<盛りそば うまうま>
という訳で・・・
<U3の今日の格言>
『利害関係で結ばれた人間関係はいとも容易(たやす)く片方から断ち切られる。しかし愚かな者達は利害関係で結ばれた絆を「友情」と言ってはばからない』
もちろん断ち切るのは利害関係を解消したいと思っている方からだ。利害関係が一致したなどというのは身も蓋もない云い方をすれば「損得勘定」が一緒という事だ。だから自分が損をすると分かれば一挙にその関係は解消されるのだ。至極当たり前の事といって良い。
儲け話や争い事で共同戦線を張る為に結ばれるといった様な利害が明確な関係は云うに及ばず、共通の趣味を持つ者の集まりや仲良しクラブなどもその類に入る。「ええ~そうなの?」と思うかも知れないが「そうなのである!」
よ~く考えてみて下さい! 共通の趣味を持つ者の集まりや仲良しクラブで最初から最後まで同じメンバーが揃っていたなんて話を聞いた事がありますか?ないでしょう! もちろん転勤などで引っ越して遠くへ行ってしまうとかいうケースもあるだろうけれど、大体は結成されてからしばらくすると不協和音が内部から湧き起こって来て、いずれ集合体は分裂するか誰かが放り出されたり自発的に離れていく事になる。皆さんも経験したり目の当たりにした事があるのでは?
<うちの奥様はこれを注文! 肌寒い霧降高原へ行った帰りだから熱々うまうま>
利害関係で結ばれた関係というのは実は「相互依存」とは心理的にとても二アリーな関係にあり、そう長くは続かない宿命を背負っているんだね。前回の記事の中でも述べたけれどもこういう利害関係やべったりな人間関係と云ったものはU3の唱える「仲良しこよし、お手々繋いで2年で破局説」が正しいのではないかと思われる。
これは何と昭和のヒット曲、ヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」(←よろしければYouTubeでどうぞ)や、更にはちっとも売れなかった二匹目のドジョウ「5年目の破局」よりライフサイクルはかなり短い(爆) そしてさらに7年目の洒落(危険なクラス会)と来た日にゃもうあ~たネットのどこを探しても歌詞さえ見あたらない・・・つまり 問・題・GUY!という訳だ。
<アップでどうぞ。 湯葉が入っているのが分かりますよね>
わたしは前回「ベタベタした関係の対極にあるのが友情だ」という主旨の事を述べたが実情はそうとは捉えられていないのが現実の様だ。
世の中の多くの人達が「親友」とか「大親友」とか「無二の親友」などと言っている関係をあらためてよく見ると、大概が四六時中何をするにも一緒に行動し、そして更によく見ると主従関係とも呼べる様な相関関係にある事に気づくだろう。ところで・・・
これって本当に友情でしょうか?一年くらい一緒だからといって、いつも四六時中行動を共にしているからと言って「大親友」なんて呼べる訳?・・・おかしいと思いませんか?明らかに主従関係って利害関係そのものですよね。だからベタベタした関係になっちゃうんです。でもいざとなるとそれは封建時代の様な強固な絆ではないから簡単に切れてしまうのですね。そして縁が切れたと思ったら手を返した様にお互い罵り合うという見苦しいドタバタ劇が目の前で展開されるという訳です。どうして「人の集合離散は世の習い」という当たり前の事が理解できないのでしょうか。
<天ぷら盛り合わせも頼んだよ 塩抹茶をつけて頂く いやぁ至福の時!>
わたしが思うにこれは恋愛感情と中身は違うけれども思考パターンは同じです。一時の情熱や熱気が醒めたらとたんに相手の欠点が見えて来る。そして幻滅を感じて相手が疎ましくなる。そこで冷静に我に返り他人は自分とは違うのだと気付けばよいのだが、大概は「大親友とは一心同体でなければならない」などというお門違いな幻想と云おうか観念を抱たままだからその関係が決裂するのは目に見えているのです。
この関係の脆(もろ)さ危うさを例えるならば、マッチ棒の頭(燃える方)を上にして何本か纏めてお互いに寄り掛かる様に立たせた状態だと云えよう。これに人差し指を軽く触れてみたとしよう。もしくは、それが机の上に立たせた状態であるならば机の上を拳で軽くトンと叩いてみたとしよう。するとどうなるであろうか?・・・マッチ棒はいとも容易(たやす)く崩れ去るであろう。
人差し指はいわば外圧であり、机を叩いた拳は内部の不協和音だ。そしてマッチ棒の一本一本は謂わずもがな、「あなた自身」なのだ。
日本人の多くは実はこんなにも脆い小さな世界(会社、地域コミュニティー、同好会などありとあらゆる形の人の集合体)から放り出されまいと汲々としたり、戦々恐々として歪んだ人間関係にしがみついている。だから仲間外れにされたくないとかいじめられたくないとか恐れ戦(おのの)く訳ですよ。そしてある者は悪くもないのにひたすら謝ったり媚びを売ったり、ある者は皆から相手にされない孤独にじっと堪え忍んだり、またある者は仲間を募り反撃に出て無視した相手を逆に無視したり攻撃するという様な悪循環に陥るのである。人間とは何と愚かな生き物であろう。これが真実でないとはたして誰が反論できるであろうか。
外にはもっと自由な世界が何処までも広がっているというのに・・・哀れな事だと思うU3であった。
『井の中の蛙大海を知らず』 ・・・と云う事か。
<こんなお店でした。 「弦庵」良いお店です。日光にお越しの際は是非お立ち寄り下さい>
これを解消するにはどうしたらよいか。
結論を云おう。
『他に依存せず精神的自立をせよ』
『友情はお互いに利害関係になく、尚かつ相手を頼らない人間関係の中でしか育たない』
『人とはいつ分かれても良いと云う気持ちで淡々とつきあうべし』
『恋人じゃないのなら他人と深い付き合いは止そう』
他人との良好な人間関係を築く上で大切な
この四つの鉄則を肝に銘じるべきであろう。
ただし恋愛は別です。これについては次々回に皆様が意識していなかった衝撃の事実を明らかにしたいと思う。たぶん笑い転げるか、「うなずき人形」と化し頭を上下に振り続けるか、只々あきれ返るかのいずれかだろう。
最後になりましたが、拙ブログが4年の長きにわたり、ここまで続けて来られたのはひとえに皆様の支援があったればこそと深く感謝申し上げる次第です。これからもよろしくお願いいたします。わたしも皆様に飽きられるまでは抱腹絶倒、罵詈雑言、気随気儘、奇想天外、空前絶後、滑稽洒脱、斬新奇抜、大喝一声、天真爛漫、当意即妙と、ありとあらゆる手練手管を駆使して皆様の心を鷲掴みにしてガタガタガクガクと揺り動かす所存です。・・・自他共に心臓発作を起こさない程度に!
ではではいつもの様に皆様ごきげんよう。