「この記事を書いている現在の時刻は平成22年2月22日2時22分22秒です」というのは真実ではないが、この様なぞろ目が好きな人は多いね。
わたしはぞろ目には興味はないし、何か験(げん)を担ぐというのもした事がなかった。でもね、人間窮地に立たされると何かに縋(すが)りたくなるって云うのは本当だと思う。
それが人によって占いだったり、信頼できる人への相談だったり、験を担ぐ事だったりするのだけれど、わたしには自分以外のものに頼るという考えがないので絶えず強いストレスに晒(さら)されている様に思う。自分一人で何もかも抱え込むtypeなのかもしれない。
拙ブログでは強いメッセージを発したり自分の考えをストレートに表現しているが、それが等身大のU3である訳ではない.本当のわたしは弱い人間だし優柔不断なところさえある。一対一では負けない自負はあるが大勢で寄って集って来られれば衆寡敵せず負けてしまう事だってある。そしてこのところ負け続きだったりする(笑)
でもね、どんな状況であっても負けないという気持ちを持ち続ける限り己を全うする事は可能だと思っている。わたしが負けないと云っているのは対外的なものではない。己自身にという事なのだ。
人は誰でも弱い。端(はた)から見て強く見える者は、実は真に強いのではなく弱さを他人(ひと)に見せたくないのでそうしているに過ぎないのではないかと思う。強さの誇示は取りも直さず自分の人間的な弱さを隠蔽したいが為にそうしているのではないかと考えられる。
一例を挙げよう。小学校の時にいじめらてばかりいた子が中学生になったの境として突如いじめっ子に変身して手の付けられない暴れん坊になったなどという話はよく聞く話だ。環境が変わったのを契機にいじめられっ子だったという過去を知らない大勢の人々の前で自分の強さを誇示したかったのだろう。しかし、この様な事をしてもその人間が本当に強い人間であるという証明にはならない。何故なら、
「本当に強い者は力を誇示する必要などない」
からだ。そして本当に強い人はほんの僅かなんだと思う。わたしは実際に半世紀以上生きて来て本当に強い人は見掛けた事がないからね。それはそうだ、力を誇示しないのだから何かの局面にでも出くわさない限り人の強さなど垣間見る機会はないのかも知れない。
強がりはいけない。だからといって弱さをさらけ出したりそれをウリにしてもいけない。大事なのはそういう本当は弱い己を見詰め直す事だ。そしてそういう己自身をよく知る事だ。
まずは弱い自分をよく知る事、弱い自分を肯定する事が大切だ。しかし自分の弱さを認めるだけでは駄目だ。肯定する一方で、そういう自分の弱さを否定する自分が存在しなければその人間的成長はない。だからといって先にも述べた様に強さを誇示する必要などない。弱い自分を認めそんな自分自身をそうであってはならないと叱咤激励し鼓舞するだけで今までと違った自分になれるのではないかとわたしは思う。