自分を『卑下』するのと『卑屈』になるのとでは、言葉の違いこそあれその意味するものはほぼ同じだ。自分を亡きものにして相手に必要以上に媚びれば必然そうなるしかない。それだけではなく、自らの尊厳を自らの劣情によって貶めてしまうという意味でも同一視して構わないと思う。そしてこれら二つの言葉の意味するものは、美徳などではなく悪徳かつ他人への悪感情そのものである。その本性は妬み、侮蔑、羨望といった劣情そのものである。
 この他に、自分を相手よりも低い立場に置くという意味では、類義語で『謙(へりくだ)る』とか『阿(おもね)る』といった言葉もある。だが、一見して同じように思える言葉群(語彙グループ)の中にも、根本的に異なる部分がある。
 思うに、
卑下と、卑屈と、阿(おもね)る、という三つの言葉は意味合い的にはほぼ同じグループに入るが、謙(へりくだ)るという語だけは、その意味するものが大きく異なっている。前出の三つの言葉には真がないが、謙(へりくだ)るには、自分を前面に出すことなく、敬意を持って相手を立てるという意志と、他者へのさりげない配慮が感じられる。
 つまり他人に敬意を払いながらも自分というアイデンティティーを失わずに、その主体を保っているという意味だ。それが今回のテーマだ。