つい最近もそうなりかねない記事をソネブロ内で目にしたが静観するすることにした。云っていることは確かに正論というか倫理上の問題であり、条例でどうなっているのか迄は知らないが、常識でいえばこの批判はけして間違ったものではない。だから心情的にも怒る気持ちが分からないでもない。
だが、記事に書いてある事の中には、明らかにそこを相手が突けば、そしてそれを民事裁判に訴えれば、そのブロガーはほぼ完全に負けるだろうなという記載があった。
人が何気なくしている事の中には案外法に引っ掛かることが多いものだ。それを知らなければ相手を糾弾する積もりが、かえって返り討ちに遭わないでもない。特に民法上の問題は案外見落としがちだ。注意した方が良い。
兎に角自分が相手にする人物を良く知らないで非難したとなれば、そしてその人物が一筋縄ではいかない人物ならば、殆どの人はその攻撃に耐えられないだろう。そうなれば沈黙を守るか、ブログ活動をしばらく止めるか。ソネブロを脱退せざるを得なくなる。そして結果相手側が逆に勝利宣言をするという訳だ。
だからこういう連中は基本的に初めから相手をしないのが原則なので知らんぷりするのが一番良い撃退法だ。ただし、自分も含めたの全てのブロガーから書き込まれたコメントは幾ら不快であろうが削除しない方が良い。削除することによってあなたに良い事は何ひとつない。「証拠」を残しておけば、いざという時にあなたの身を守る事に繋がるだろう。それでもどうしても見たくないというのならコメント欄をその記事だけ「非表示」にすれば良い。
但し黙って遣ってはいけない。非表示にする前に、コメントを書き込んだ相手とブログを訪れてくれた他のブローガーにはそのことを伝えて置くべきだ。それがあなたの評価を下げないで済ませる唯一の方法だ。
であるからわたしの様に、いちいちおバカな連中を、しかも共馬鹿になってまで相手にするのは余り得策とは云えない。つまり「異論や愚論や誹謗中傷は捨て置く」に越したことはない。
実はわたしも千葉市在住の或る後期高齢者?のオバ(ア)タリアン(当時はそうではなかったが)に注意したらそれに近いことを遣られた。云いたいことだけを一方的にぎゃあすか喚かれて、拙ブログのコメント欄にも、わたしの与り知らない未知のブロガーが書いたコメントはお前が焚き付けたものだと根拠もなく罵られた。それは「事実無根ですよ」と返信しても、即座に削除され「攻撃された」と散々悪態をつかれた。「私は自分のブログが汚されることを許しません。断固たる措置をとります」と云っていたように思います。わたしは見ていましたが、それを「毅然としていて立派な態度だ」と賞賛するブロガーもおられましたね。しかしわたしは思うのですが、自分の過ちを指摘されることが、自己のブログを汚されることになるというこの御仁の思考回路はどうも頂けない。否、まともではないと思う。それだけでも謙虚さの欠片もない。そして自分が形勢不利になると後は徹底的に知らんぷりを決め込んだ。それだけでなくご丁寧にもイタチの最後っ屁よろしく事実無根の「ブログ荒し」のレッテルまで貼り付けてくれたから、その取り巻き連中からも暫くは随分と楽しい思いをさせられたものです(笑)
そういえば2015年にも感情的な人達に抗議の声や非難の声を浴びました。いやあれはまさに誹謗中傷でした。そのことを皆さまの中には覚えておられる方もいると存じます。「さら〇わし」さんというブロガーが人の善意や好意を悪用してナイス!の数を増やそうとしていたので、たびたび注意したのですが聞き入れて貰えない。そのブログにコメントを書き込んでいたブロガーの方々にも注意を喚起しました。それでも状況は改善されない。仕方なく「公開質問状」を書いてその方の返事を待ちました。しかし一向に返事もなかったのでその方のブログにお邪魔して直接コメント欄にそのことを書きました。わたしにはたかだかナイス!などで人を欺くのか理解できなかった。というより人を欺く行為は醜いとわたしは思っていました。況してや人の善意や好意を悪用するなどもっての外です。もっともこれを「些細なこと」という御仁もおられましたが、その事を以てしても、モラル観が欠如しているとしか云いようがありません。人に迷惑をかけない。人を欺したり偽ってはいけない。それは最低限の、人としてのモラルであり、してはならないことです。それを些細なことという人は、自分も何れそれを平気で他人にすることになるでしょう。また本題から外れましたね。元に戻します。
だが「さら〇わし」さんは反省などしなかった。ヒステリーな反応を示した挙げ句、自分の行為のどこが悪いと居直り、ソネブロに訴えてわたしを処分して貰うとまで云った。「それが通ると思うならどうぞ」とお答えしましたが、その後「さら〇わし」さんを支持する感情的なあるブロガーに、わたしの行為は犯罪だと決めつけられ、ソネブロはわたしを許さないだろうし、間違いなく刑法の名誉毀損で告訴されるだろうとまでコメントされました。さも知ったか振りの無知丸出しですし、そんなことで怯むと考えるとは軽薄の誹りを免れない。
それに対するわたしの答えは「ソネブロはそんな愚かな判断はしないだろう。貴殿の言っている事は憶測であって、刑法上も民法上も名誉毀損でわたしが告訴されることはありません。それでもあなたが名誉毀損罪で私を訴えたいというならご随意に。いつでも受けて立ちます」という主旨のものでした。それには今以て返事はありませんし、告訴状も今に至るも届いていません。そして「さら〇わし」さんもそのシンパともいえるブロガーもブログを閉鎖しました。
わたしが閉鎖に追い込んだという人も当時多くいましたがそれは間違った考えだと思います。感情的になって得することなど何ひとつありません。彼ら彼女らはわたし以外の周りに潰されたのです。自分の行いとその後の対応が間違っていたからこそ、逆に批判の嵐に晒されたのです。不正行為を指摘したわたしを貶めようとしたことがそもそもの間違いなのです。誠実ではないその真逆の卑怯な行為をわたしが看過する訳などないのです。
実際のところ、わたしは「公開質問状」と「他のブロガーに注意を喚起する」事以外は何一つしていません。非難も況してや誹謗中傷もしていません。わたしはこんな事を望んでいた訳ではないのです。人の善意や好意を逆手に取る様な行為は慎んで欲しい。それと、こんな事があるよという注意喚起をソネブロガーに向けて発しただけです。
その際他のブロガーに向かっては、これに対する賛意も同意もわたしは欲していないとも明記しました。この事を覚えておられる方は多いと思います。
当初からわたしの望むリアクションなど期待していませんでした。そして予想した通り他のブロガーから感情的な誹謗中傷の声を浴びた訳です。
去年も拙ブログの「横須賀ストーリー」という記事に対して、酔いに任せて安易に中傷したブロガーが現れました。それが為にわたしの手痛い反撃に遭い、自分の愚かな行為を正当化する為に揶揄したのがこの時の出来事でした。わたしがそれで怯むとでも思ったのでしょうね。かなりいい年をした酔っぱらいオヤジブロガーでしたが(たぶん)齢七十前後の方だと思われますが、その歳になっても未だ善悪の区別も付かない愚か者はいることをこの時実感した次第です。あ、「でしたが」などという過去形ではありませんね。今でもソネブロの末席を汚している筈です。名だたるソネブロガーも「お礼ナイス!」など押してるようなので天狗になったのでしょうか。まあいずれも断固たる措置は取りましたが後味は悪かった。馬鹿を相手にするのは疲れます。
拙ブログではこんな「愚か者」とか「馬鹿」などという言葉がポンポン飛び出して来るので、それだけで「あんたも非難や中傷をしているじゃないか」などと考えたり実際に云ってくるかも知れませんがそれは誤りです。わたしは自分ですらも馬鹿だと云っていますからね。それに愚か者でない人を愚か者だなどとは口が裂けても云いません。
根拠もなしに人を非難したり中傷するという愚かな行為をした者がいたから、あなたは愚か者であると、その根拠も示した上で云っているのです。ですから非難でも誹謗中傷でもありません。正しいことを間違っていると云ったり、白を黒と云ったら嘘になりますが、愚か者を愚か者と云うのは間違いではありませんし、その事実は変えようがありません。法的にも何ひとつ瑕疵はありません。実名を挙げたりしている訳でもありませんしね。伏せ字でも法的に罰せられる場合もありますが、それはケースバイケースです。簡単に云ってしまえばそれが人を貶める目的で書かれたものならアウトでしょう。しかし忠告や誤りを正す、もしくは反省を促すものなら法的に罰せられる可能性は限りなく低いです。それに現実的には、わたしに中傷されたなどと云えばその愚か者が恥を掻くだけです。
わたしは思うのです。「さら〇わし」さんは何故あの時「私のした事は間違っていました。皆さんにその事を謝ります。お許し下さい」と一連の行為を謝罪・反省できなかったのか。自分がしたことは不正行為だと知っていて、その事により多くのブロガーの善意を踏み躙ったことも自覚していたのに、最後は居直ってしまいましたね。その二日後、突然ブログを閉鎖してそれをわたしの所為にして、呪詛の言葉を吐いてわたしを貶めようとまでしましたね。誠実に対応すれば、けしてそんな結果にはならなかったのに愚かでした。もしあの時に素直な気持ちになって反省の言葉を述べていれば、ブログを閉鎖するほど思い詰める事も追い込まれる事もなかっただろうし、そのことによって他人を貶めたり、多くのブロガーを裏切り失望させることもなかったのです。それを思うと、とても残念でなりません。
極度に感情的になると冷静さは当然失われます。そうすれば残るのは後悔ばかりです。自他共に戒めとしてこの事は記憶に残して置こうと思っております。
ところで、わたしはこの時の各ブロガーの反応を見て、今後も交流を続けるべきかそうでないか判断した次第です。常ではない状況が眼の前に現出すると、人は往々にして本音が曝け出されるものです。あの時「沈黙は金」を貫いた人は、ある意味狡くはありますが(笑)、賢明で正しい判断だったと思います。
最初の千葉市在住のオバ(ア)タリアンの話に戻りましょう。今なら笑って済ませられますが、ここから学ぶことは多いと思います。それはあなたが注意した相手から逆襲される可能性はゼロではないということです。
わたしは実際はこのオバ(ア)タリアンを非難をした訳ではない。この人物の問い掛けに『正解』を提供したわたしの親切を軽視され、しかも曲解された挙げ句の果てに否定されたのです。よく調べもせずにその『正解』を安直に否定したことがそもそも問題行動だったのです。
わたしは(わたしにだけではないが)その人物に「不明なところがあるが、これは正しいのか」とブログの中で問い掛けられたからこそ、少なからぬ時間を掛けてそれは間違いでこれが正解ですと答えを返したのだ。自分が発した問いであるのに、それに応えたブロガー対して、よく調べもせずに正解を否定するというような態度では、たとえわたしでなくても不快になるだろう。
だがそれでもわたしはこの人物を非難はしていない。その言動があまりにも不誠実で傲慢であったから、それで良いのかと問い質しただけだ。
しかしそれを自分への「誹謗中傷」と捉えたのがこのオバ(ア)タリアンのオバ(ア)タリアンである所以で、それまでは隠されていた、生来の『資質』であり『性格』であったのだ。それを見抜けなかったわたしが愚かだっただけだ。以降わたしは一方的に批判され非難されてあとは無視された。それだけでなく思いもしない人達からの批判に晒されることになる。そのすべてが感情的なものであり、正論や道理はまったく通用しない。収拾するのに結構時間が掛かりました。
そこから学んだことは、感情的な相手には良識も道理も正論も通じないということだ。そうなったら相手を冷静に立ち戻らせるのはもはや不可能だ。まあ、それでもわたしは最後まで道理と正論を通しましたがね(笑)
これでは正論や道理を説いて返って馬鹿を見ることになりはしないだろうか。それに、常識が通じない人物を相手にするのは精神衛生上もかなりよろしくない。
だから余程の覚悟がなければ誰かに注意する、況してや批判・非難するのは考えものだ。
もっともそれも覚悟で正論を吐きたいならご随意に。わたしの馬鹿は伝染するから、これを読んだ人の中には、どつぼに嵌まって正義感など発揮したくなる人がでるやもしれぬ。だが、わたしは焚き付けることはあっても、一切責任は取らないからその積もりで(笑)
正論を吐いてもそのような訳だから、ましてや自分の抱える揉め事や不満などをブログ上に公表して、ブロ友の応援コメントや同情慰めコメントを期待する、という様な安易な理由でソネブロなどで喚かない(記載しない)方が良い。相手があなたの言動を逆手に取る恐れはゼロではないし、理屈っぽい連中や愉快犯的連中は揉め事が大好きだ。あなたの様な「おいしい餌食」にきっとハイエナのように群がって来るに違いない。
そして感情的なオバサンは無敵である(笑)
こうして当初の結論に辿り着く。腹の内は別にしても何事も寛容さは必要である。