アメリカはロックダウンをあれだけやって、日本なんか比べものにならないぐらいの対策をやって、それでも今大変なことになっているわけです。アメリカは300万人近くが感染されて13万人近くが亡くなっているわけです。
それをみても、ウイルスの潜在的な恐ろしさは、それは対策をとらなければ日本でも何十万人が亡くなってしまうというのは間違いないことだと思うんです。何も対策をしなければ。実はそれは今も変わっていないんじゃないんかと。<太字は池田氏が記載。記事から抜粋引用>
これは山中教授の発言を抜粋引用したものと思われますが、これ自体が恣意的に編集された引用なので、山中教授の話したことをそのまま伝えている訳ではありません。だから何も考えずにこの文章通りに受け取ると池田氏の術中に嵌まってしまうでしょう。
これは池田氏の投稿全般に言えることですが、記事自体がフェイクだという前提で読むべきなのです。ゆえにそこから出された池田氏の主張は明らかなこじつけであり我田引水だと言えると思います。グラフなどを多用しているので一見論理的に書かれている様に見えますが、そのグラフは過去の一時的(経過的)数値を表しているに過ぎず、池田氏の主張するこれから(未来はこうなるという主張)を何ひとつ裏付けてはいません。
未来はこうなるという具体的かつ客観的根拠も提示もなしに、どうして未来を予見できるというのでしょう。その点からすると池田氏の主張は奇を衒って人々の耳目を集め煽動することに目的があるとしか思えません。
この方の思考回路は一体どうなっているのでしょうね?
というよりKO大学が授与する学術博士というのは、文章を読み解く力もない存在なのかと疑いたくなります。これは池田氏の言葉を読み解く能力や文章読解能力が劣化しているがゆえの問題なのか、はたまた「精神的やぶにらみ」というこの方の特異な思想ゆえなのかは分からない。
だが別の観点から眺めると池田氏の誇大妄想的な言説の揺らぎと無闇矢鱈といった感じの自分以外のものへの攻撃性は、パラノイア(偏執病)あるいはその真逆の統合失調症的被害妄想癖のようにも思えて来るのです。
一見して攻撃的ですが、それが偏執的理由によるというよりは、むしろ文章の矛盾点が多いとか支離滅裂という特徴からすれば人格の崩れまで感じてしまう訳で、そこに本来は共存し得ないこの両極端な2つの精神構造が同居しているように思えてなりません。
整合性がなく事実に基づかない脚色や、捏造に基づくこじつけや決めつけが多いのもこの方の論理の特徴です。そうして支離滅裂で事実に基づいていないがゆえに、戯言・虚言の類いに堕してしまっていることだけは確かでしょう。言葉を素直に捉えられずバイアスをかけてしか見られないのは悲しい事だ。だから揚げ足取りに終始せざるを得ないのだろう。
でもね、問題はそこにある訳ではない。ちょっと考えればおかしいと分かるこんな愚論に、コロッと騙される人々が少なからずいるという本質的問題があるからだ。そこに日本人が加速度的に劣化している現実をひしひしと感じてしまう。
池田氏自身が何故日本で死者の数が現時点で1000人程度なのか実際には分かりもしないのに、ただ数字という結果だけ見て根拠さえない結論を無理やり導き出している。その愚かさは如何ともし難い。その数字という結果さえ実は結果ではなく「暫定値」でしかないということに気づいてさえいない。果たして半年後、1年後、否もっと直近の3ヶ月後も、同じ主張をその時点の数字(感染者数と死者数)から導き出せるだろうか。
筆者は人文科学的立場からものを言っているから、上でも書いたように当然死者が少ない本当の理由を知っているし、それをこれまでに何度も証明もしてきた。だが現実的に見るとその「奇跡的」な状態が今後も続くとは露程も思っていない。これら過去の「実績」は砂上の楼閣になりつつある。
歴史とは人間の愚行や失敗を表したものに過ぎない。そして過去から現在に至る夥しい愚行や失敗から何ひとつ学べないのもまた人間の本質だ。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という。
だとしたら笑ってしまう。もしそれが本当なら、人類からは有史以来一人として賢者が現れなかったということを、歴史そのものが証明しているからだ。
人間が愚かな存在である以上、一つ歯車が狂えばどうなるかは予断を許さないのが現実だ。思うに、この「一つ歯車が狂えば」という情況は日本国内に因るものとは限らない。日本国内は言うに及ばず、海外から波及する恐れが大きいように思われる。人々はどうしても国内ばかりに目が行ってしまいがちだが、一番の不確定要素は実は海外の状況にあるいうことに一刻も早く気づくべきだろう。
そうはいっても7月16日現在で東京だけで286人という感染者数と、その内訳に占める感染経路不明者の割合や高齢者に徐々に感染者がシフトしてきている現実を踏まえると、海外から感染が押し寄せる前に『自爆』してしまう恐れさえ出て来ている様にも思える。そして海外からの第2波第3波が日本にトドメを刺すのかもしれない。
GOTOキャンペーンと感染リスクを両天秤に掛けながら安全だとか大丈夫だとか言う根拠を示さず、経済が廻らないだとかもう予約が入ってしまっているとか、本質がどこにあるのかも知らない、訳の分からない言い訳をする政府と財界は国民に対して責任を取れるのか?
16日になってさすがにマズイと思ったのか西村大臣と赤羽国交大臣はGOTOキャンペーンから東京を除外した。だが東京だけを除外して感染拡大しないと本気で考えているとしたら愚かだ。それは過去から何ひとつ学んでいないことになる。
現に何ひとつ安倍政権は学んでいないのだろうね。国会は閉会しているは、未だ収拾がつかないのに、総理自身は能転気に野淵英世アフリカ賞がどうたらこうたら世界に向けて発信するは、能転気どころかバカを晒しだしている。
筆者は福島県会津出身で野口英世は郷里の誇る偉人だけれど、長州出身の安倍総理の薄っぺらいアピールにつき合う会津人は一人もいない。こんな時持ち上げて貰っても少しも嬉しくはない。
それだけではない。首都4都県を纏めて除外しなければ意味はない。初めて32人を超える感染者を出した当日に、GOTOキャンペーンを歓迎して「ウエルカム・トゥー・千葉」なんて言ってるおバカな知事までいるとしたら、東京だけを除外しても何ら意味はない。感染が拡大しているのは東京だけではないのだ。
これは筆者の私見だ。誰にお願いしたら良いのか分からないが、とにかく森田知事を隔離してくれ。お願いだ、テレビの前だけでなく県民の前に二度と姿を現さないようにして欲しい。千葉の恥だけでなく日本の恥だ。思わずツイッターにも投稿したよ。
東京都を除外すればことは収まるとでも思っているのか。夜の街やライブハウスに行くのを自粛するよう求めるということだけでは、済まされない段階にまで来ているのでないか。菅官房長官は市中感染が起こっていないなどとどうして言えるのか。根拠さえ示せない人達の言うことなど誰も信用はしない。
夜の街関連の割合は日に日に減って、もはや院内感染や職場感染や家庭内感染といった市中感染が主で、しかもその市中感染のスプレッダーは感染経路が不明と来ている。それだけではない。旅行者をゼロにしても、仕事をしている者の全てがテレワークをしている訳ではない。エッセンシャル・ワーカーはどうするのか。対応ベッド数は1500床で本当に余裕があるのか。軽症者隔離のホテルの部屋数はいつの間にか100部屋しかなく、しかも満杯で既に数百人単位で自宅待機を余儀なくされている。急ぎホテルを1つ借り上げたらしいが焼け石に水だ。
これが現況であり現実だ。口だけは遣っているという。だが現実はどうだ。こんな現況で国も東京都もこれまで一体何を学んで来たというのか! 医師がPCR検査を要請したら全て実施すると言ってもう2ヶ月以上経つが、いまだに保健所から断られるのは何故だ。
こんな情況で旨くいく、大丈夫だと言うその根拠を政府は国民に示すべきだ。余りにも近視眼的でその場しのぎで将来の展望がない。なさ過ぎる!
だが東京や日本国内だけに目を向けていれば新型コロナウイルス禍は抑えられるのだろうか。答えは否だ。東京だGOTOだと騒いでいるうちに、いつの間にか海外の情況が日本人の頭の中から弾き出されていないだろうか。そこが恐いと筆者は思う。
もはや新型コロナウイルスを日本国内の視点や論理だけで語る意味はない。今は主に国のGOTOキャンペーンとか、東京都の感染増といった国内問題ばかり騒いでいるが、あまりにも近視眼的かつ視野が狭すぎて話にならない。それだけでなく日本人同士が本質を見失って、枝葉末節に拘ったり、重箱の隅を突いていがみ合ってもまったく意味はない。早く目を醒ませと言いたい。
これは例え話だが、日本が幾ら頑張ろうと来年オリパラ2020が開かれるかどうかは、その時の日本国内の感染状況に因るのではなくて、世界の感染状況がどうなっているかに大きく左右されるだろう。
それだけでなく、日本の今後の感染状況に因っては(日本人からすれば国内の問題だが)国内問題に留まらないのではないか。今のように経済のみを重視して拙速に国内の人々や物の移動が許されて、次に内外の人々の渡航の自由が許されたとしたら、それは必ず感染の激増という形で現れるだろう。そうなれば国内のみならず必ず世界の問題に発展するのは必定だ。
オリパラ2020をそれでもやる、という者がいたとしたらそれこそが愚者だ。
筆者は思う。グローバル化が進んで久しいが未だ日本人は島国根性が抜けていない。今回の感染禍でIT化が先進国の中で最低部類に入ることが今回のことで分かったが、その原因はどうも日本人の近視眼的ものの考え方や、精神の閉鎖性あるいは保守性にあるように思える。
それでいてさながら戦国時代のように人々の意見は纏まらない。こんな小さな国土なのに、こんな小さな我が家なのに、こんなちっぽけな自分の存在なのに、いがみ合い、敵対して、けして相手を認めようとしない。
最終的に調和(妥協ではない)を見ない社会は滅びるしかないということに気づきもしない日本人。合意形成した上で一つの方向性を見いだすというのは民主主義の根幹だと思うが、日本人は価値判断が180度転換してしまった先の大戦から75年経っても、未だ民主主義が根付いていない希有な国家となりつつある。
中国や韓国や北朝鮮を非難している場合ではない。日本人同士がいがみ合って、相手を認めようとしない非寛容さと頑迷さは、筆舌に尽くし難いほど愚かだと言えよう。相手を貶めるのに躍起となっている姿は、愚かさを通り越して醜くさえある。
右にも左にも偏っていない人達が眉を顰めるのはそういった人達を目にしているからだ。しかし、そうした右にも左にも傾いていない人達さえ、中庸というような平衡感覚がある訳ではなく、考え無しの日和見人間ばかりだという点を考えると日本の将来はあまり明るいものとは言えないのかもしれない。
池田信夫氏のこの投稿記事は、そうした日本の風潮を背景に生まれるべくして生まれた論調だと言えよう。人々は個々の核となる考えが無きゆえに、他人の意見に左右されやすく移ろいやすい。そしてそんな自分に常に不満を持っている。
しかしそうしたフラストレーションを自己改革に振り向け昇華するのではなく、自分以外の弱い立場のものに振り向けるのは何故だろう。強い者には滅法弱く、弱い者にはどこまでも容赦が無い。自分はさて置いて他人を非難する。そうして日々他人を誹謗中傷することで溜飲を下げている。
批判ではなく非難と誹謗中傷と対立しか生まないこの記事に価値などあるのか。
現時点の客観的事実である数値(死者数)など実は客観的事実でも何でもない。なぜならそれはいつでも変動するまったくあてにならない数値だからだ。そして「あてにならない」という事こそが普遍の「客観的事実」だ。
今は梅雨末期の集中豪雨被害に皆耳目を奪われているが、新型コロナウイルスは決して過去のものではない。旨く第一波を乗り越えられたと勘違いをして(経済を重視する立場に立って)、緊急事態宣言の再発令をさせてはならないと騒ぎ立て煽る人達。
本当に愚かだ。再発令をするもしないも日本で感染爆発があるかないかに掛かっているのではないか。経済が回らなければ日本が滅びるというなら、ウイズコロナで経済が立ちゆく方法を提案したらどうだ。それ無しに日本の将来など描けないだろう。
ツイッターで非難や個人攻撃や強迫や誹謗中傷で溜飲を下げている暇があったなら、ない頭を絞って少しでも日本に報いる努力をしたらどうか。その点ツイッターを行き交うツイートやリツイートを見る限り、ネトウヨもネトパヨクも生産性も発展性もない様に思える。
そしてかつても今もネットでもリアルでも矢面に立たされているのが、厚労省の新型コロナウイルス・クラスター対策班の主メンバーだった北大の西浦博教授だ。
西浦教授は緊急事態宣言発令の責任を一手に背負わされた格好で今なおスケープゴートにされている。強迫や嫌がらせや誹謗中傷に的となっている。ある種のお手紙なども届くらしい。そしてこの投稿を見る限りに於いて、池田信夫氏は山中伸弥教授を二匹目のドジョウならぬ二匹目の贖罪の山羊に仕立て上げたいらしい。
それをやんやとネット社会は囃し立てる。そこに世間というか日本社会の危うさと卑劣さと稚拙さを、筆者は感じずにはいられない。
はじめから言うなら分かる。だが後出しで緊急事態宣言は失敗だった。実効再生産数2.5は間違いだ。42万人死ぬという根拠がない。現実に今でも死者は1000人にも満たないではないか。それを責め揶揄する人達。だがそうした人達は結果を見てそれ見たことかと言っているだけで現実には説得力も何もない。
挙げ句の果ては、新型コロナウイルスと言えども、実はインフルエンザと大して違いはないのだというファイクニュースを流す人達。そこに科学的根拠を示したものなど誰一人いない。常日頃左寄りの人達に科学的根拠を示せと言っている癖にだ。
ネットに流れているグラフなどを安直に転用掲載して、現時点の数値を前面に出して、それが証拠となり得ないことに気づきもしないで、まるで鬼の首を取ったかのように有頂天になってはしゃぎ喚き立てる人達。
自説で悦に入っているかのような池田信夫氏もその一人だと断じよう。
ひとこと言っておくが、新型コロナウイルスの感染は、まだ始まったばかりで終わってもいないのだ。終結は下手をすると3年後でも怪しいという、人智を超えた存在が新型コロナウイルスというものの実体だ。
正体が分かったと平気で言うが、現実にはこのウイルスの正体の大部分は解明されていないし、数々知られている特性についての確としたエビデンス(科学的根拠)も得られていないのが実情だ。
一時は再有力視されていたBCG接種を実施した国々は感染も死者も少ないという説は、その説の根拠となった南米各国が爆発的感染を広げていることからこのウイルスに対する免疫効果は怪しくなっている。
ワクチン開発も、その実効性について臨床医から懐疑的な見解と意見さえあるのが現実だ。まだワクチンは認可さえされていないが、現実に陽性となってその後陰性になった人達を検査したところ、抗体が三ヶ月も保たないという事実が判明したのだ。
それに陽性になって寛解した人の中でも30%の人に十分な抗体が初めからできていないことも分かっている。この状態で副作用も無く数年はもつワクチンを開発することは、かなり難しい情況といえるだろう。開発者は懸命にそれを成し遂げようとしているがその道程はかなり険しいといわざるを得ない。
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このウイルスを未だ軽視している人達がいることは残念でならない。
20代30代は罹っても無自覚あるいは軽症だから大丈夫、、、本当に?
そもそも医師が言う軽症と重症の違いって分かっているのだろうか?
それは症状が軽いとか重いとかいう意味ではまったくない。例え40度を超える熱が3日続いても、場合によっては軽症と診断される。怪我によって指の1本や2本失われたとしても、場合によっては軽症と診断されるのが現実だ。そこのところが皆には分かっていない。
軽症と重症の判断を分けるのは診断した時点で「命に別状があるかないか」というただその1点のみだ。つまり診断時点で死ぬ恐れ(可能性)がないと医師に判断されればそれは「軽症」と見做され、放置すれば死ぬと判断されれば「重症」と診断され直ちに治療にあたるという訳だ。
そしてこれが一番肝要なところだが、軽症だから大丈夫、軽症だから安心、ということはけっしてない。軽症で済んだ人達の中に後遺症で悩んでいる人が少なからずいるという事実に目を向けて欲しい。
例え軽症で終わっても後遺症はけして軽微なものではない。人によっては日常性が成り立たないほどの重い後遺症となって襲い掛かって来るのだ。英国もチャールズ皇太子の味覚障害などまだかわいいと思えるほどだ。
高齢者の重症化にばかり目が向けられているが、乳幼児が罹った場合もかなり危険性が高いことが報告されている。このコロナウイルスに因って脳症になる恐れは成人よりも遙かに高いだろう。診察時は軽症でもその後容体が急変して脳症になった子どもが現実にいるのだ。
さらにいえば軽症で終わった人達の中に抗体さえできない人がいることが分かった。この事実は何を意味するのかはお分かりであろう。ウイルスに接触すれば再び感染することが明らかになったのだ。そして前回が軽症だったから今回も軽症で済むという保証は全くないことを知るべきだろう。
上記で述べたように軽症はけして症状が軽いということを意味していないし、その後重い後遺症を残す危険性があることを改めて認識すべきだ。
という訳で、周りの無責任な安心材料に踊らされるよりも、緊急事態宣言解除で一旦は緩んだ気を引き締めて、改めて危険情報に耳を傾けて慎重になる方が被害に遭わないで済む確率は高くなる。
この新型コロナウイルスは、軽視したり運を天に任すべき事柄ではないのだ。
「経済を回さなければならない」という同調圧力に屈して、GOTOキャンペーンに踊らされるのは具の骨頭を通り越して自分の命を余りにも軽視している。経済を軽視しろなどと言う積もりはない。だがあくまでも自分で判断し、自己の責任に於いて一層慎重に行動して欲しいと願うばかりだ。
そんな中でも「このウイルスはインフルエンザと同じだ」と言うなら、それを自分の身で証明して見せるべきだ。言葉に責任を持つというのはそう言うことだ。
だから池田信夫さん、ご自分の身で自説を証明して下さいな。
Written by H☆imagineU3
<つづく>
次回は其の四 2020年7月20日記事更新予定。
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森田健作千葉県知事の「ウエルカム・ツー・千葉」発言に腹を立て、政府のGOTOキャンペーン東京だけ除外という、まったく根拠もヘッタクレもないおバカな措置に深い疑念を懐いたこの日、7月16日の唯一明るい材料は、藤井聡太七段の棋聖戦第四局勝利による史上最年少タイトル獲得だった。この原稿を書きながらAbemaTVでずっと見てました。NHKNEWSと朝日新聞デジタル2つコメント付きでツイートしちゃいました。