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『贖罪の山羊は反撃する』~其の伍(完結編) [誤った認識を正す]

ファティマの手6.jpg

<スペイン・マドリッド>
「ファティマの手」はスペインに限らずヨーロッパでドアノッカーやドアノブになっているがこれは把手になった例だ。

 いきなりでなんですが、これがこのシリーズの最後なので長いですけど時間を見つけて是非とも最後まで読んで頂けたらと思います。大事なことが沢山書いてあります。新型コロナに押し潰されないためにも、皆さまには是非とも読んで欲しいと思っています。

 7月23日の昼前のことだ。

 テレビを見ていたら、雨の中傘を差して渋谷のハチ公前交差点で青信号を待つ歩行者の姿が写っていた。それを見てこう思った。

「この人数でソーシャルディスタンスを守れったってどだい無理な話だよな」

 ソーシャルディスタンスだけでなく、3密などの感染予防対策の全てが遵守困難な状況にあることが、ハチ公前交差点の状況を見ただけで推し量れるのである。人々から警戒心と緊張感が日々薄れ失われていく。これで感染者が増えない訳がない。

 そんなことを思っていたら東京都でこの日366人の感染者が確認された。政治判断を誤るとこういうことになる。安倍政権は小池都政に任せて傍観者にでもなった積もりか。こんなちぐはぐなことを続ければその先に残されているのは破滅の二文字だけだ。為政者がこんな体たらくでは残念ながら400人、500人/日はもうすぐだ。やがて全国でも感染者数が2000人、3000人/日が当たり前になる望まざる日々が訪れるだろう。

 中央政府と地方自治体の対立だけでなく、こんな時にツイッターでは感染防止を優先すべきだとか、経済が死んでは元も子もないとか、お互いの主張への非難の応酬が続いている。なんて日本人は愚かなのか。どうしてこうも劣化してしまったのか。

 大事なのは感染予防と経済対策のバランスだ。

 そんな基本的なことにすら頭が及ばないおバカが激増している日本。自分だけが正しいと思い、異なった考えを持つ者を受け入れない、狭小な度量と劣化した国民性。その上総じてキレやすい。こんな人間ばかりでは日本の先行きは暗い。

 新型コロナウイルスの感染の特性が欧米と日本とで違いがある訳ではない。

 それなのに「感染者や死亡者数が少ない」というただその一点のみを以て、何ひとつ根拠さえないのに日本人は特別だと思ったり、このウイルスに対して日本人は耐性があるだのと主張する人たちの心理が、同じ日本人である筆者には理解できない。

 と言うより願望と現実を混同して、真相を確かめる努力もせずに、気休めにしかならないデマに踊らされ、その挙げ句に安堵したり一喜一憂してどうする? 根拠のない話にすがりつくとは情けない。日本人はいつからそんなに劣化した!

☆☆

 前置きはこのくらいにしてそれでは本題に入ろう。

 あくまでも医療崩壊を引き起こさない限りという条件付きだが、感染者の致死率は日本と世界とで大きな違いがある訳ではない。日本で3.77%、大規模な感染拡大が広がっているアメリカ合衆国でさえ3.72%で、統計上は誤差の範囲だ。つまり日本だろうがアメリカだろうが、新型コロナウイルスの危険性の度合いは変わらない。却って日本の方が若干高いくらいだ。

 それにお隣韓国の致死率は2.15%と日本の6割弱の致死率しかない。だから欧米並みの日本はちっとも誇れない。

 日本人は素晴らしい、民度が高いと言う主張でよく持ち出されるのが、日本は強制されなくても感染者や死者が少なかったというものだが、外出を強制的に禁止しようが法的拘束力のない自粛にしようが、大して効果に違いがないのはスウェーデンの現状を日本の現状に照らし合わせて見れば明らかだ。


 因みにスウェーデンの致死率は7.27%と日本の1.95倍である。感染対策をまったくしなくても日本とこれだけの違いしかなかった。そしてブラジルではボルソナーロ大統領が、「コロナ対策は経済を殺す」として感染症対策をまったくしていないが致死率は3.78%と日本と同等だ。

 短絡的でよく考えないおバカな日本人は、ここで「ほれ見たことか、コロナ対策などしなくても大丈夫じゃないか!」などとほざくのだろうな。たぶん。

 でもね、感染者の数は米国に次いで2,118,146人(7月21日14時更新)もいるのだよ。しかも広い国土全部を網羅している訳ではない。考えてみれば誰でも分かるだろうが、アマゾンのジャングルの中に政府の役人が行って調査などしないだろう。つまり全容は把握出来ていない可能性が高い。

 という次第で、所詮致死率などの数値自体に特別な意味はない。大事なのはその背景だ。何故その数値になったのかを詳細に分析し正しく評価することなしに、数値を短絡的にファクト(事実)とすること自体フェイクだと言えよう。数値自体にファクトはない。それを無視して数値を絶対視して論じることそのものが、空虚で無意味で時間の無駄でしかないように筆者には思える。

 事実を正しく見つめれば分かるのだが、日本で死者が(見かけ上)少ない理由は民度や遺伝子や民族性にある訳ではない。他の人為的な何かか作用したか、地域的な特性に原因があると考えるべきだ。そしてこれは医学などの自然科学の問題ではなく、人文科学、いわゆる社会科学の問題だ。

 つまり皆も知っているファクターXだ。とはいえ、山中教授と同じものを指している訳ではない。筆者には筆者なりのファクターXがありその答えはとうに出ている。つまり想像の産物ではなく正真正銘の事実であり現実であり真実だ。

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 一旦本題から離れて世界の情況を眺めてみよう。

 ベルギーは死者9800人に対して感染者は63,706人だから致死率は実に15.38%。イギリスでは統計上、PCR検査した結果陽性となった者が死亡した場合しか死者にカウントしていないので、現実の死者は発表されている45,300人より1万人以上多いだろうと言われている。しかしそのイギリスでさえ感染者は294,792人だから致死率は15.37%。なおイギリスも日本と同じく当初はPCR検査体制が間に合わず、発症した疑いのある者の検査を優先し、老人ホームなどの感染予防対策はおざなりだった。そこからこれだけ被害が広がったと言われている。

 スペインの致死率は10.92%、アイルランドは6.81%、フランスは14.92%、ポルトガルは3.43%。一番初めにパンデミックが始まったイタリアは実に15.96%、オランダは11.86%、ロシアは1.6%、イランは5.18%、メキシコは11.38%、カナダは7.93%、南アフリカは1.38%、バングラデシュは1.28%という7月20日15時現在の数値である。

 見て分かるように各国バラバラの数値だ。ここから言えることは感染対策をしっかり遣ろうが、遣るまいが、緩やかだろうが結果(感染者数・死者数を元にした数値)とはまったく関連性がないと言うことだ。

 この中で注目すべきは、かなりイレギュラーな数値を示しているロシアと南アフリカとバングラデシュの致死率だと思う。ロシアの数値は中国同様かなり実態が隠匿されていると思われるので信用性には欠けるが、南アフリカとバングラデシュの致死率が低いのは注目されて良いかもしれない。

 南アフリカは数字以外情報がないのでその理由を推測さえできない。ただ当初アメリカで言われた、白人に比べて黒人の死亡率が高いという説はこれで根拠がなくなった。アメリカで生死を分けるのは前にも話したが金の有る無しである。低所得層は死ねと言っているのがアメリカ社会の現実だ。そしてそれこそが事実だ。

 世界で3番目に感染者が多い、バングラデシュのお隣のインドの致死率も2.45%と低いことからすれば、致死率がことさら低いのは人種の違いと言うよりは、むしろその国の生活習慣・地理的・地域的特性や政治体制といった人為的な何かが作用していると考えるべきだろう。

 それだけではない。最も重要なメッセージを私たちはこの中から読み解かなければならない。それは医療崩壊とパンデミックを同時に引き起こした国家の致死率は軒並み10%を超えているという紛れもない事実(ファクト)だ。

 そして日本は未だに医療崩壊とパンデミックの同時発生という、最悪の事態が発生する危険性から免れてはいない。と言うより未だに無策で危機的状況にあると言わざるを得ない。つまり山中教授が危惧したこのまま何も有効な対策を取らなければ10万人死ぬ』かもしれないという懸念は、実際にあり得ない話ではない。

 ノーベル賞受賞者を馬鹿にするな!!!

 実際のところ山中教授や北大の西浦教授を揶揄したり中傷する者達の主張ほど出鱈目でいい加減ものはない。

 例えば日本の死者の数が、見た目だけで言えば欧米と比べて少ないことを理由にして、「日本の新型コロナウイルスは実は大したことがないんだ」と主張する者が根拠として用いている、「死者数を総人口で割って算出した死亡率」は、詭弁あるいは虚偽の主張そのものだ。しかもその主張をすっかり信じて騙されるバカが後を絶たない(o゚∀゚o)

 あのね、嘘で真実を蔽い隠してはいけないよ。

 例えばこうした扇動学者らの多くは、「新型コロナウイルスはインフルエンザ並か、それ以下の風邪と同様の普通のウイルス」と断定しているいるが、果たしてそれは正しい例えなのか?

 実はインフルエンザは(というよりコロナウイルス全般にいえることだが)とても変異が大きく、鳥インフルで致死率が50%と異様に高いキラーインフルエンザ(H5N1)が、数年以内に突如変異して「ヒト・ヒト感染」しないという保証はどこにもない。

 もしそうなったら新型コロナ以上の脅威となるだろう。もしかしたら世界の人口が半分になってしまうかもしれないし、絶滅する民族なども出て来るかもしれない。そんなインフルエンザを、譬えや比較や比喩に使う学者の気が知れないと思うのは筆者だけだろうか?

 このH5N1鳥インフルの危険性についてはもう何年も前から言われていることで、感染症の学者の間では常識中の常識だ。これこそ軽視してはならない最重要事項だ。この危険性については8割オジサンこと北大の西浦教授が東洋経済のインタビューの2ページ目の冒頭で語っている。


 ゆえに安易な詭弁に満ちた偽情報は流すべきではない。必要以上に不安を煽り立てることも、必要以上に軽視したり安心感を与える行為も、そのどちらとも間違っている。淡々と事実をありのままに提示するのが専門家や学者の為すべきことだ。

 正しい知識が正しい判断を生む。だからこそ正しい情報を適宜我々国民に提供するのが、専門家らのすべき最優先事項だといえよう。

 正しい死亡率(正しくは『致死率』)とは、『陽性となった者の中からどのくらいの確率で何人死ぬか』という値であって、死者の数を単純にその国の全人口で割ったものではない。なぜなら感染すらしていない者を分母に加えてもまったく意味はないからだ。『感染した者の中から一体どのくらいの割合で死に至るのか』というのが、本来の致死率というものの概念だ

 それから、感染者と陽性者は違うとか当たり前のことをさも新しい発見であるかのようにバカどもを洗脳するのもやめろ。バカは安易な与太話にすぐ飛びつくからね。少し頭を使えば分かると思うが、現時点で正確な感染者あるいは正確な感染率を見いだすことは不可能だ。だから陽性者を感染者と言い換えて、新型コロナウイルスに関わるあらゆる数値の基準にしているのだ。それを否定したら何ひとつ成り立たない。

 現に何かにつけて非難する側(批判とは言い難い)に廻る輩が信奉する、あるいは権威付けとして利用しているジョンズ・ホプキンズ大学のCOVID?19統計の根本は、PCR検査で陽性になった者を基準に置いていて、それを感染者と定義している。

 PCR検査の精度が100%ではなく感度70%だろうが、現時点でそれ以上の感度を持つ検査方法は存在しない。それを否定したら何ひとつ基準などなくなってしまうだろう。基準なくしてどうして現状を把握出来るのだ。東京都が東京アラートを数値で示さなくなってからいったい何が起きている、そのことをよく考えることだ。

 そんなことも分からない連中が、新型コロナウイルスはインフルエンザと大して違わないから恐れる必要がないとか言っている訳だ。一体何を根拠にそんなことを主張するのか分からないし分かりたくもないが、新型コロナはインフル並だから軽視しても大丈夫という主張の根拠として、数値化して示しているのが上記の「死者を全人口で割った紛いものの致死率」だ。この欺瞞を暴いて見せよう。

 7月21日午前00時現在のクルーズ船も含めた死者の数は1001人だ。同じく感染者の数は累計26,556人。統計局発表の7月1日時点の日本の総人口は1億2596万人だ。これを分子(死者1,001人)はそのままで、分母だけを感染者累計と総人口で割ってみれば一目瞭然、危険度の印象の度合いというか様相はまったく違ってくる。

 総人口で割ると0.0008%。感染者の累計数で割った場合3.77%

 単位が4桁も違っていてそれこそ雲泥の差であり、それからすると単純に死者の数を全人口で割って致死率とするのは、現実からあまりにも乖離しているし、その考え方自体がまったくの詭弁でありまったく正しくない考えだといえよう。

 それはそうだ。感染していない者を分母に加えてもまったく意味はない。極端な例を挙げるが、人里離れた所にたった一人で暮らし誰とも接触する機会がない隠遁者あるいは世捨て人と、引き籠もりで家人との接触も稀で潔癖症で何かに触れる度に手を消毒するような者(現実にも100万人を軽く超えています)、あるいは病院の無菌室にいる者まで加えることに、とても合理性とか現実性があるとは思えない。

 陽性となった自分が、全感染者の中でいったいどのくらいの確率で死ぬ恐れがあるのか、というのが唯一妥当で現実に近いの致死率(あるいは死亡率)というものだ

 新型コロナウイルスは大したことがないから恐れるなと主張する人達は、分母に上記の例に挙げたような陽性にはなり得ない者まで加えて、どうしても致死率を下げなければならない理由や意図があるのだろうか。いったい何を目論んでいる?

 自らの権威をひけらかしたり自己満足をしたいのかどうか知らないが、それで正確ではない情報を安易に公表して人々を安堵させ、警戒心を著しく緩めさせることが果たして正しい行為といえるのか。そんな事も分からない医師や専門家は世の中に害毒を流しこそすれ貢献することは一切ないと思う。

 学者先生や専門家が今為すべきことは、安心材料を提供することよりも、人々の警戒心を解かせないことだ。

 その一方で学者でもない凡庸な皆さまも、毎日時系列の棒グラフや折れ線グラフなどを見て一喜一憂する愚をもういい加減覚ったらどうか。根拠のない話に振り回されて空しくないか。日々流れる風説を少しは疑ったらどうだ。

 何が正しくて何が間違っているか、無い頭でも少しは考えたまえ。一年に一度くらいは頭がガンガン痛くなるほど悩み、考えフル回転させるようにしないとそのうち脳みそも腐るぞ。他人の話を鵜呑みじゃあまりにも芸がないだろう。

 新型コロナウイルスはワクチンや特効薬が出来るまではアンコントローラブルだ。終息あるいはアンダーコントロールと言える情況になるまで複数年単位で掛かるというのが常識だ。長いスパンで考えるべきものを、僅か1日あるいは1週間あるいは1ヶ月程度の動きで判断したり騒ぐ意味がどこにある。

 2月から今までいったい幾つの風説や論文が消えていった? どれだけ信用できる学説や研究レポートが残っている? 仮説は実証されたか? 現実には殆ど立証されていないではないか。考えてみれば分かるだろう。このウイルスの特性はまだ殆どといって良いほど確定(判明)していないのだ。

 エビデンスの得られていない情報なら幾らでもある。そして1ヶ月後も通用する(生き残っている)仮説は僅かだ。そんなものに無闇矢鱈に恐怖心を懐いたり、逆に軽視したり敵視したり反発することこそ無意味だ。情報に踊らされてはいけない。

 ただどうしても伝えておきたいことがある。

 耳タコかもしれないけど訊いて欲しい。

 警戒心を解かないこと。

 感染リスクを常に意識して出来うる限り少なくすること。

 感染防止のルールを厳守すること。

 今のところこれがこのウイルスから身を守る唯一の手段であり方法である。

 約8割の人が軽症で済む、という言葉に騙されてはいけない。それはいつ重症に変わるか分からないし、症状が軽く済むという話でもなければ、重い後遺症が残らないと断言できるものでもない。ただ軽症と診断された時点で「命に別状はない」あるいは「重大な後遺障害が残る可能性は低い」と医師に判断されたに過ぎない。

 前にも書いたが、例え40度の熱が4日続いたとしても、診断の結果、重症化の兆候が認められず、命に別状がないと判断されれば「軽傷」に分別されるのだ。だから一旦軽症と診断されても安心は禁物だ。何しろそれは将来の身の安全を何ひとつ保証も担保もしていないのだから。

☆☆

 欧米人と日本人のどこに違いがあるのかを、ジョンズ・ホプキンズ大学の統計などを金科玉条の如く信じ、それをファクトに基づいているとして信じて疑わない者に何を言っても無駄だろう。

 自分で考えることをしないのはバカである。権威に弱い、あるいは数字こそが揺るぎないファクターだと信じる者を筆者は憐れむ。なぜなら数値に表れないところにこそ『真実』があるのを知らないし、知ろうともしていないからだ。

 驚くだろうが数値は絶対ではない。その数値が何を意味するかを理解できなければ、単純で表層をなぞるだけの浅薄な推論しか得られないだろうし、真理からは程遠い結論しか得られないだろう。

 例えば致死率にしても分母の意味するもの、分子の意味するものの背景まで読み解かなければまったく意味はない。数値(数字)だけを捉えることの愚を悟れないようでは論文など書くべきではない。それこそ百害あって一利無しだ。

 例えば国が違えばその感染率も致死率も変わるが、その理由は医学的なものでもウイルスの特性によるものでもない。統計基準に各国違いがあるのは勿論だが、すべてはその国の感染予防対策の違いと生活習慣とその国の人々が実際にどう対応したのか、つまり人為で決まるのだ

 そうした要素まで加味して数値を捉えなければまったく意味がない。例えば上記のツイートにも記載のある『コロナ禍「経済優先」したスウェーデンの悲惨』にも掲載されているノルウェーとスウェーデンとフィンランドを例に挙げる。

 この北欧三国を比較してみると、感染者数も死者数も相当開きがあるが、それは国土の単位面積に当たりの人口密度と、大都市の数とそれらの都市の人口密度と防疫対策と都市を結ぶ交通網や移動手段や人の動向に大きく左右され影響を受けるからだ。加えて政治体制も新型コロナウイルス対策にしても相当な開きがあったのは説明を待つまでもないだろう。それでも実は大して違いはない。

 同じように、欧米人と日本人との対比で、ものを語ること自体ナンセンスだ。欧米人と十把一絡げにすることも、日本人と韓国人とベトナム人とマレーシア人を十把一絡げにするのもかなり乱暴な話だと、北欧三国の現状を頭に思い浮かべて日本の現状を考えてみたら分かるだろう。

 単純にその数値の背景を知らずに仮説を立てること自体まったく無意味だ。

 もしそこ(数値)に違いがあるのなら、その数字だけに意味を見いだすのではなく、国ごとの国情(政治体制・民族性・社会慣習・集団心理等)まで勘案して数値の意味を推し量るべきだ。

 なぜなら、それこそ何度も言うが、数値(数字)は絶対ではないからだ。つまり数値そのものはファクターとはなり得ない。もし数値こそが揺るぎないファクターだと信じているとしたら、それは「数値狂信者」、あるいは「思考停止人間」としか言いようがない。上記で述べたように、数値そのものではなくそこに内包される意味を探り当て分析することこそが、正真正銘のファクターを見いだす行為だと言えよう。

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 閑話休題。

 それでは日本の感染者数と死者数の意味を分析してみよう。

 まずは①『新型コロナウイルスはインフルエンザと殆ど違いはない』と主張する者と、②『新型コロナウイルスを軽視してはいけない』と警鐘を鳴らす者との考え方の違いを見ていこう。

 例えば日本で死者の数が少なかった理由は感染者の数が少なかったから、つまり分母の数が元々少なかったからという現象(事実ではない)は、①の立場にいる者も②の立場にいる者も認識に違いはない。数値としても明確だ。

 現象と現状はその事を明確に証明している。・・・様に思える。だが真実からは程遠い。PCR検査をしようがしまいが実際の感染者数は分からないからだ。だがPCR検査不要論には与しない。なぜなら感染者の数を知るにはPCR検査しか方法はないからだ。

 抗体検査は現時点で陽性か陰性かを正確に把握出来ないし、遺伝子検査であるPCR検査でしか陽性・陰性を把握出来ない。「PCR検査の実態が遺伝子検査である以上、死んだ遺伝子に反応してしまうから、例え無毒化して陰性であったとしても陽性反応が出てしまう」、などという根拠のない言説を流布する臨床医もいるがそれは真っ赤な嘘だ。

 新型コロナウイルス自体はそう簡単に体外に排出されないからだ。中央値で14日間で陰性になる(無毒化する)いうのが国際的な指針となっているが、中国の研究では呼吸器内に最長37日間留まったという報告もあるし、最近の研究では2ヶ月間体内にウイルスが留まった例もある。そうであればPCR検査で陽性反応が出ればそれ則ち感染(罹病)していることだ。

 これが何を意味するかは明白だろう。感染力が特に強いのは発症前の3日間だと言われているが発症しない人も8割いて、しかも発症しようがしまいが身体ににウイルスが存在する間は他人に感染させる危険性は0ではない。

 軽視派が主張する「時間が経てば無毒化される」という主張にはエビデンス(科学的根拠)は今のところ見いだされてはいない。逆に突然変異で強毒化されることだってあり得る。エボラ出血熱だってはじめはサルやコウモリから時々人へ感染する程度だったのが、『ヒト・ヒト感染に変異』してから感染爆発が起こったのだ。

 全国民をPCR検査対象にすることは現実的ではないし不可能だから実施出来ないが、感染危険地域をピンポイントで全数検査は可能だろう。むしろそういう検査体制を国を挙げて今から作り上げることの方が大切だ。

 それを国会を閉会して即応体制を頓挫させた安倍政権と自公政権、あるいは野党の罪は重い。なぜなら9月までに新型コロナとインフルを峻別する体制を整えておかないと、パンデミックを防ぐことができないかもしれないからだ。

 それには法制化が絶対に必要だ。そして法制化するには国会の議決が必要になる。これはとてもじゃないが閣議決定ではできない内容だ。


 出来るだけ多くPCR検査を実施することは感染者数の実数を推測・試算する上で欠かせないし、感染者と高齢者や基礎疾患のある者とを遠ざける根拠ともなりえる。つまり死者を減らすことにも直接繋がっている。

 だから「PCR検査不要論」は、「新型コロナウイルスはインフルエンザと変わりがない」、あるいは「インフルエンザよりも毒性が少ない」という主張と同様に、あり得ない暴論なのだ。

 因みにインフルエンザは感染すればほぼ全員が2、3日のうちに必ず発症するし症状も顕著に表れるから誰しもが近づかない。しかも発症前には感染力はない。治るのも大体9日と感染期間も短い。抗体は一旦出来上がれば長くて2年は持続するという特徴を持つ。しかもわずか2年だ。つまり永久抗体ではない。

 一方の新型コロナウイルスは発症するのは平均して7日とずっと遅いし、発症する前が感染力が最も強い。発症して以降も陰性になる迄感染力は継続していると考えられる。しかも無症候性キャリアが8割以上だから、誰が感染しているのか分からない。これでは感染を防ぎようがない。感染期間は37日あるいは2ヶ月という報告すらあるし、抗体が形成されにくいという他のコロナウイルスにはない顕著な特徴すらある。

 この違いを見てどうしてインフルエンザよりも毒性や感染力が弱いといえるのか?

☆☆


 日本で感染者数が少ないのはPCR検査数が今まで少なかったから。急増したのはPCR検査の範囲を広げたからという屁理屈に飛びつくのは早計だ。


 何故なら日本では検査をしようがしまいが元々感染者は少ないからだ。


 それを人文科学的見地から実証して見せよう。

 重要なのは感染者数と死者数である。これを切り離して考えてはならない。

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 これからも感染者数や死者が増えないという風説が流れ、それを信じる人が大勢現れる何故なのだろう。そもそも感染者が少なかった理由を専門家さえ解明できていないというのに。

 やはりそこには扇動者がいる、と考えるしかないだろう。何しろ誰かが発信しなければ噂など立ちようがないのだから。

 そしてそういった人たちの主張の根幹にあるのは、経済を回さなければ日本が駄目になってしまうということにあるようだ。だが果たしてそうと言えるだろうか。医療崩壊が起こったら、パンデミックが起こったら、そもそも経済など停止してしまうだろう。

 そんなことも分からない愚かな人達。そしてそういう人たちほどよく吠える。

 大事なのは経済対策と感染対策のバランスではないだろうか。

 そうした議論が為されないまま緊急事態宣言を解除し、人々やモノの移動をの制限を撤廃したから、今の事態を招いているのだということに、いい加減気づいたらどうか。前述の東洋経済オンラインの『1日20万件のPCR検査が日本で必要な理由』ではそのことがこう書かれている。

ホルテミュラー教授の知見を基に、私と奴田原(ぬたはら)健悟・専修大学教授が分析した。行動制限では8割接触削減でなく5割接触削減を3カ月間行い、それと積極的な検査・隔離療養を長期的に行うことを組み合わせるのが最適解だとの結果が出た。

『接触機会5割削減、積極的検査・隔離療養を長期間、を組み合わせるのが最適解』

 つまり、正常な日常生活に少しでも近づけるという目的からすれば、経済と防疫とは併存あるいは両立していなければならないことになる。だから経済を優先するか感染症対策を優先すべきかという二者択一の話ではないし、ましてや二律背反すると考えるべきでもない。

 現実の世界では、物事がイエスかノーかで決まることは殆どない。0か100かなんて極端な議論をすること自体がナンセンスだ。しかし現実にマスメディアやネットやSNSで幅を利かせているのは、そうしたあり得ない極論ばかりだ。だから最後は右だ左だと相手を誹謗中傷することに堕してしまう。

 感染症対策だって医療や防疫だけを考えて対策を講じるのはあまりにも一面的に過ぎないか。これからは社会構造自体を変えなければ、経済を廻すことも感染症対策も不可能になる。そのことを経済優先論者が、日本の経済を駄目に下張本人といつも槍玉に挙げられる、北大の8割オジサンこと西浦教授が指摘し提言しているのは大変に興味深い。これは環境面に踏み入った提言で、日本は社会環境を再構築しなければならないかもしれないと思わせる内容だった。是非一読して欲しい。


 そもそも(感染者が欧米に比べ少ないという)原因も分からないのに(これからも感染者はそうは増えないだろうという)推論あるいは結論を出すという考えは説得力がないし、まったく合理性が見いだせない。現に感染は再び拡大局面に入っている。

 そこから言えるのは、日本で感染爆発は起こらないというのは「め〇ら蛇に怖じず」というか「非学者論に負けず」という、『愚か者ゆえの結論』ということになろうか。

 だが実際には秋を迎える前に、日本で感染爆発は起こらないという主張(幻想あるいは愚論)は完全に過去のものとなるだろう。現在の情況はといえば、感染経路が追えない感染者は半分を超えている。

 東京都のPCR検査の陽性率は6%を超えた。人口10万人当たり2.5人という形骸化された「東京アラート」の基準などとうに上回っている。これに声を上げない都民はバカなのだろうか?

  言っておくが政府も東京都も何もしてはくれない。東京はすでに財源が枯渇している。あと数ヶ月で小池知事を選んだことを都民は後悔することになるだろう。預言しておきます。

 家庭内クラスター、職場内クラスター。病院内クラスター、そうしたものが徐々に増えつるある。今までの20代30代の感染者が半数以上を占めるという情況ではなく、それ以外の年齢層である40代50代、あるいは10代と10代以下という年齢層に徐々に感染者がシフトし拡大し始めている。

 そんな状態で思いもしなかったところで現実にもクラスター感染があちらこちらで頻発している。これを徹底して押さえ込む明確な政策や方針や具体的措置なしに、パンフを作ったからGo to キャンペーンは大丈夫、しっかり対策を取ってますといっても、過去の体たらくと無責任さを見る限りちっとも信用が置けない。現実にあまりにも拙速すぎたゆえに初日から問題山積みである。

 そんなことを言ったら経済は回らないだろう。「お店や会社が潰れた後にコロナ禍が終息しても意味はない」と声高に言う者もいるだろう。だが筆者は言う。

『今のままだと会社も店も潰れて、しかも感染爆発までしてしまうだろう』

 どっちつかずはどちらも失う結果しか生まないのだ。

 何故そんなことになるのか。それは責任の所在が明確でないからだ。

 為政者はもっともらしい屁理屈を捏ねてそれこそ好き勝手を言っているが、誰一人その言葉の責任を取ろうとしない。当然ながら責任論には触れもしない。

 だが責任のないところにはたして成果はあるのだろうか。モリカケ問題、桜を見る会etc、みんな責任が不明であったが故に、忖度が罷り通り、言論は暴走し、真面目な人間は自殺に追い遣られ、挙げ句の果ては言い逃れられてしまった。

 そして新型コロナウイルス対策も、看過できない感染の拡大局面にあるにも関わらず、東京都を除外するという本質からまったく外れた対策でお茶を濁し、それこそ予定ありきでGo to キャンペーンを決定してしまった。

 ハッキリ言うけどGo to キャンペーンは感染の拡大しか招きません。22日から始まりましたが感染拡大は間違いなく起こります。国交大臣は感染対策を宿泊施設側も取っているから大丈夫と言うが、そんなものは気休めあるいはザルでしかありません。何故なら現状ではいかなる対策を講じようが根本的に感染を防ぎようはないからです。

 体温を測る。消毒液で手を消毒して貰う。飛沫対策を取る。宿泊施設従業員も客もマスクをするetc。でもそれだけで感染を防ぐことは不可能です。なぜなら根本的な問題を無視してGo to キャンペーンは始まっているからです。

 新型コロナウイルスの特徴をもう一度思い出して下さい。

『新型コロナウイルスは発症する3日前から感染力が俄に高まり、発症の0.7日前に感染力が最大になる』

 つまり感染力は最大でも、発症前なら検温しても体温は上がっておらず、咳もなく、その他顕著な症状は一切ない。そんな状態でどうして感染者を見分けるのだろうか? もし見分けるとしたらPCR検査をするしか方法はないのではないか。

 しかしそういった根本的対策を一切取らずにGo to キャンペーンを始めてしまった。本当にそれで良いの? 完全に感染を防ぐことは不可能かもしれないけれど、せめて「PCR検査をして陰性となった者にだけ証明書を発行してそれを携行して提示できる者だけに旅行を許可する(有効期間1週間)」、とでもしないかぎり、効果的な感染予防対策は取れないのではないか?

 感染リスクのある中で移動するということはそれだけ大変なことなのだということを人々は知る必要があるのでは?

 という訳で、これで対策を講じているから大丈夫と本当に言えるのか? そんな感染者が例えば20人全国各地バラバラに移動して、そこでクラスター感染をもし引き起こしたとしたら、果たしてどうなるのかは火を見るよりも明らかでは?

 だからGo to キャンペーンは経済効果を上げるよりも、むしろ感染拡大の契機になって、経済を却って駄目にしてしまうだろうと筆者は見ている訳です。

 だって『ザル』なんだもん!

 これで日本中に感染が拡大したらいったい誰がその責任を取るのだろう。たぶん誰も取らないのだと思う。だからこんなくだらないエセ対策を平気で実施する。赤羽大臣はスケープゴートにされる可能性大ありだ。それでも本当に責任のある者は誰一人として責任を取らないだろうね。だって今までがそうだから。

 筆者は思う。感染が拡大する情況にある中で、新型コロナの特性さえ考慮に入れず「お願いレベル」のコロナ対策程度で経済を回すことの愚は、楽観視というよりは慢心であり自殺行為であり、為政者の犯罪行為だ。

 国民も慢心や心の隙は危険や災厄しか呼び込まないと知るべし。

☆☆

 閑話休題。

 日本人は余りにもこの情況を楽観視し過ぎている。外国人から見ればこれはもはや狂人レベルだろう。もしかして国難(←この言葉からして時代錯誤だと思うけど(^_^))が日本を襲ってきたら『必ず神風が吹く』とか本気で信じているのだろうか?(o゚∀゚o)

 感染者数が少ないのは元々日本人は感染しにくい何かを持っているからだという説もどうも怪しい気がする。遺伝子説、特殊な抗体説、BCG説、どれも決定打とはなっていない。最後の方で述べますが、これに北大の西浦博教授が2つの可能性を示しています。

 この西浦教授を、言論フォーラム・アゴラ主宰の池田信夫氏は、非難の急先鋒となって揶揄したり個人攻撃を繰り返しています。しかし一方の西浦教授はあれだけ世間から叩かれて、嫌がらせや強迫を多々受けているというのに、真摯に原因を突き止めようという姿勢を未だになくしていないところは流石です。

 またもや本筋から離れたので元に戻します。

 そうした実証された数値から見れば日本人が特に感染しにくいという訳ではないと知っておくべきでしょう。このウイルスに直接晒され体内にウイルスが入り込めば、人類であれば誰一人例外なく被爆(感染)するからです。もし感染したくなければ石ころのような無機物にでも変身・変態するしかありません。

 日本が今まで感染者数が少なかったのは、PCR検査数が以前は少なかったからなどということではありません。今後PCR検査数が増えれば(増やすしかないのだけれど)今まで以上に感染率は上がるでしょうが、感染実態はより明確になり、陽性者と重症化しやすい高齢者や基礎疾患のある人達を引き離すことは容易になるでしょう。

 ある学者はPCR検査を増やすことよりも、遺伝子検査で一刻も早く変異を見つけてその対策を取るべきだ、などと愚論を吐いていますがバカの極みです。現在のコロナウイルスすらその特性も予防法も疫学的解決法も見いだされていないのに、遺伝子検査で新型コロナウイルスの変異をいち早く探し出してすべてが解決するという論理は、詭弁というよりも虚偽であり欺瞞でしかありません。

 もしPCR検査など増やさなくても大丈夫、新型コロナはインフルと大して違いはないと言うのなら、ご自身が一度新型コロナに罹ってそれを身を以て証明して見せてはどうか。馬鹿は死ななきゃ直らないのだとしたら一度罹って貰うしかないだろう。

 もしこんな学者の言うことを聞いてPCR検査体制を拡充しなかったらどうなるだろう。考えるまでもありません。間違いなく医療崩壊が起こります。その先にあるのはもちろん感染爆発(パンデミック)です。

 上の一行に「えっ」と思われた方は正常な神経をお持ちの方です。

 そうなんです。外国では感染爆発が起こったから医療崩壊が起こるのですが、日本に於いては感染爆発が起こる前に医療崩壊が起こるので、一旦感染爆発が起こったら手の施しようがなくなるのです。それほど日本の医療体制は未だ脆弱です。

 現時点で東京都には1,000人に迫ろうという勢いで入院患者が増えている現実をご存じですか。ホテルに隔離する体制も出来ていないので、たぶんこのままではすぐに満杯になるでしょう。そこで重症者が増えてきたらどうなるでしょう。

 ECMOの台数が揃っているから大丈夫と思う人は医療の現実を知らない人です。ECMOは全自動ではありません。人が常に(24時間)介在していないと緊急事態に対応できません。取り扱えるようになるには経験が必要です。そんなECMOだから1台あたり計4名/1日の医療スタッフが必要と言われています。

 通常他の病気で集中治療室に入って来る患者は長くて1週間程度で治療室から外に出られるのに、ECMOを必要とするほど重症化した新型コロナ患者は短くても1ヶ月長くて2ヶ月も集中治療室に入ったままです。因みに2ヶ月以上となると大概亡くなっています。

 これが何を意味するかというと、このまま感染拡大が続けばECMO対応ベッドはすぐに満杯になって、新たな新型コロナ肺炎患者には対応出来なくなるだろうということです。ECMOの順番待ちをするということは即、死を意味します。

 なにしろサイトカインストームが起こりかねない緊急事態なのに、何一つ有効で最適な治療を受けられない訳ですから。この危険性に気づかない人が、ベッドはまだ余っているから大丈夫などと能転気にほざく訳です。

 あのね、新型コロナって、このように医療リソースをとても消費する感染症なのです。それだけでもインフルとか他の感染症と比べても大変厄介な病気だと言えるのです。だから簡単に大した病気じゃないなんて言わないでね。

 現実を見てください。1月16日に感染者が発生から半年以上経っても日本は未だ医療体制が整っていないのです。これは明らかに政治の責任です。安倍政権や政権与党の責任です。何故なら安倍総理や自民党自体が、「こんな無責任な野党に日本は任せられない」と自らが叫んでいるのです。だったら責任を今こそ果たして下さい。

 だからそれが出来ないとしたら政府と現政権の無策が原因なのです。

 ゆえにアメリカやイギリスやブラジルの現況が、あるいは過去のイタリアやフランスやスペインの惨状が、明日の日本の姿になる可能性というか危険性はけしてなくなりはしないのです。山中伸弥教授が何も手を施さなければ10万人死ぬ恐れだってあるという危惧はけして杞憂ではないのです。何しろ感染爆発の前に医療体制は崩壊しているのです。

 けしてあり得ない話ではないと思われませんか?

 何度も言います。日本人の体質や遺伝子や肉体的特性が感染者を抑えている訳ではありません。過去に感染者数や死者数が少なかったのはあくまでも『人為的要因』に因るものです。その要因を緊急事態宣言解除以降、日本人は忘れかけています。

 その危うさに気づかなければほぼ間違いなく医療崩壊が起こり、時を待たずして感染爆発が起こるでしょう。つまり日本という国は一気に国力を失い多くの人が亡くなる危険性に今も晒されているのです。

☆☆

 感染者の数で、日本や東アジアの人々と欧米人を分けているのは、あくまで生活習慣の違いと、未知のウイルスに対する恐怖心と、警戒心が殊の外強かったという個人や集団の心理的要因だけなのです。けして日本人だったからアジア人だったからという理由ではありません。

 感染力という点についてはウイルスの変異によって多少の差はあるのでしょうが、そこに感染が爆発している国々と日本との間の大きな違いは未だ見いだされてはいない。というよりこのウイルスに接触すれば同じ確度で感染することは間違いない。

 だから感染者数が今まで少なかったというのは、日本では元々挨拶でハグなどしないし頬にキスなどしない『非接触社会』つまり『スキンシップ社会』ではなかったという、けして無視できない生活習慣の根本的な違いと、未知のウイルスに対する恐怖心と警戒心とが、欧米各国に比べて殊の外強かったという、個人や集団の心理的要因の違いが強く反映された結果だといえるだろう。

 日本人は家族と一度も接触したり話したりしない日は相当あるのではないか。しかし欧米はそういう社会ではない。社会の最小単位である家族を欧米は大事にするが、日本人で気に掛けているのは家庭に問題を抱えている人達だけだ。

 しかし一日に一度も接触したり話さなくなった時点で既に家族崩壊は始まっているし、ダイレクトコンタクト無しの非コミュニケーション社会で日本人は日々生きているという自覚さえないのが現実だ。家族の団らんよりLINEを優先する社会がまともだとはとても思えない。

 だが皮肉なことに、それがゆえに感染者も死者も少なかったのは、運命の皮肉だろうか。しかしそんなことで安心していて良いのだろうか。

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 閑話休題。

 感染者や死者の数が洋の東西で異なっているのは、けして人種や民族の違いで異なっている訳ではない。人類であれば誰しもが例外なく、このウイルスに晒される機会さえあればそれが体内に取り込まれ感染する危険から免れないし、一旦感染すれば、感染者の中から一定の割合で死者が出ることは明らかだ。

 だからもし日本人がこの『非接触社会』の習慣を破り、恐怖心や警戒心を解けば自ずと結果は分かりきったことだ。

 現に3密は今や厳密に守られてはいないし、手洗いの時間も回数も確実に減っているだろうし、暑いからマスクは人混みの中でもしていない人を頻繁に見掛けるし、居酒屋で口角泡を飛ばして騒ぎ立て、ソーシャルディスタンスはどこ行ったという状況になっている。

 これで感染者が増えない訳がない。

 というよりこの先に待ち構えているのは『感染爆発』しかない様に思える。

 話を元に戻そう。

 池田信夫氏のみならず、ネットを見回すとそれこそ皆言いたい放題だが、西浦教授や件の山中教授を揶揄したり批判する人たちは、自分の発言が間違っていたとしたら、果たしてその発言に責任を持てるのだろうか。新型コロナウイルスが無毒化するか、医学的対処法が確立するかして一応の解決を見るのはまだまだ先だ。というより無毒化などあり得るのか? 3年後でも危ないという説もある。

 まだまだ終息もしていないのに現時点で一個人に責任を問う神経が筆者には良く分からない。それに責任を問う相手を間違えていないか。西浦氏は緊急事態宣言を発令する権限などはじめから持っていない。

 実際に発令したのは安倍晋三総理大臣だ。何故総理大臣がしたのか。それは安倍総理大臣だけが緊急事態宣言を発令する権限を持っているからだ。だとしたら西浦教授が責められる謂われはない。

 ゆえに池田氏の指摘もネトウヨや安倍信奉者の誹謗中傷も皆お門違いだ。

 このウイルス禍はまだ始まったばかりなのだ。プロボクシングのタイトルマッチで言えばまだ第2ラウンドが終わったばかりという段階だ。そして最初の山場である冬場の第4ラウンドまであと半年と迫っている。

 今冬、新型コロナウイルスはインフルエンザという見た目は瓜二つの従兄弟と共に再び来襲するだろう。しかしその冬場に抗新型コロナウイルスワクチンという私たち人間サイドの助っ人は現れない。自身の十分な抗体も殆どの人が持ち合わせてはいない。しかも人々の警戒心は薄れて、いざという時に為す術がない。

 池田氏や他の反西浦陣営(^_^)の投稿の特徴だが、グラフなどを多用してある意味巧妙だが、よくよく見れば内容的には根拠脆弱な論調と、揚げ足取りと都合良く解釈された、こじつけの論理と手前味噌な主張だけに終わっている。それらの点から考察するに

 この記事を書いている時にBGMで流れていたのは『煽動小唄』かもしれない。

 しかしこれは何も池田氏だけの話ではない。今の日本では(弁は立つのかもしれないが)大の大人であってもその中身はといえば、実質的に感情も理性も発達していない子供じみた存在に堕してしまっている人々が、一定数以上いるということだろうか。

 つまり、身体も知識も十分大人で、時にIQが高い者さえいるのだが、一方精神や感情コントロールは子どもの儘という、何かにつけアンバランスさが目立つアダルト・チルドレン的日本人が増えているということだろうか。

 自身の主張の正当性を付加する為にもっともらしいグラフを用いて、さもそれがエビデンスを得られたかの様に扱って正当性を主張する。しかしそれは中身の無さを隠すための箔付け以外の何ものでもない。それが証拠にグラフ自体は記事の内容を補完していないし根拠すらない。

 自分の考えを持たない付和雷同を旨とする輩が、考え無しに理解できる表層的で単純な数値だけを見せて、自説をそれらしく見せる道具としてしか扱われていないのだ。そして皆それに騙される。何しろ自分もおバカだから。

 これが大の大人の遣っていることだとしたら情けない。どこぞの財務大臣が一体どの時代の言葉なのかと疑う様な「民度」という言葉をわざわざ持ち出してまで、日本人のレベルが違うと鼻高々に吹聴したものと同質な、情けないほどの軽薄さと意識の稚拙さとを露呈している様に思える。

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 前回の記事で取り上げた、山中教授と西浦教授との間で語られた現状の確認の中で、このまま何の対策も立てなければ、10万人亡くなるほどのウイルスが、今も日本には存在するという例え話が、いつの間にか勝手に「10万人死亡説」にまで昇格しているこの不可思議で根拠のない詭弁論法。まともな学術博士なら誰一人しないだろう。

 筆者の見たところ山中教授も西浦教授も、政治的なあるいは経済的なバイアスなどちっとも掛かっていなかったし、感染症対策と経済対策の二律背反的情況や、そこに国民の安全を加えた三者鼎立的問題もけして無視されなかったし、現状からすれば再び緊急事態宣言はすべきではないという、冷静な判断も当然ながらあった。

 それからすれば、山中教授がメンバーに加わったことによって、緊急事態宣言の再発令があり得るなどと騒ぎ立てるのは自身の攻撃的、またはその真逆の腺病質な気質ゆえの杞憂か、臆病者の論理あるいは世迷い言でしかない。

 それに比べて、終始公明正大な視点と現状分析で語っていた西浦教授の姿が印象的であった。多くの嫌がらせや時に命の危険さえ感じるほどの強迫もあったであろうし、際限のない誹謗中傷もあったであろうことは想像に難くない。そうであるのにむしろ山中教授より冷静に言葉を選んで落ち着いて話している様に思えた。

 山中教授は山中教授で、異なる分野の専門家から貪欲に新型コロナウイルスに関する知識を得ようという積極性と貪欲さを感じたが、それは好感の持てるものであって、「10万人死亡説」を唱える様な軽薄さなど微塵もないことがこのビデオでは分かるのである。53分15秒。長いが一度どころか二度見する価値がある。

 思うのだが、池田信夫氏のこの言説を見て山中教授を非難したり揶揄している人達が、このYOUTUBEビデオを見ていないことは一目瞭然である。否、もし見たとしても池田氏に「いいねのハートマーク」を押す軽率な人達に事実を見抜く力があるとはとても思えない。

 それに見ても正しく理解されるとは限らない。というより期待する方が無理だろう。今の日本は大人から子どもまでもが総幼稚化する傾向にある。そこには烏合の衆の無責任な言葉でも、本当だと信じられかねない危うさがある。こんなのが拡散される危うさを常に内包しているのがSNSなどのネット社会なのだ。

 激しやすい性格、忍耐力がない、怒りを抑えられない。・・・皆子どもだからだ。

 だからこそ嘘をつく側も嘘を100回述べるという訳だ。

 この循環器学会主催のビデオ対談は、通常のテレビ対談とか記者会見などとは本質的に異なる、専門家間の意見交換の場であり、本当に濃密な専門用語たっぷりな対談だったことがこれで分かった。

 話の流れで、「何も対策を講じなかったら今からでも10万人を超える方が亡くなる、そのくらいのウイルスは今もそこら中に存在している」という主旨の発言はしたが、決して「10万人死亡説」など唱えていなかった。

 そこから分かるのは、この記事はただ枝葉末節の言葉尻を捉えているだけで、局所的にもあるいはその逆の全体像を俯瞰的に捉えてもいないことだ。もしかしたらアゴラ主宰の池田信夫氏は、この53分15秒のビデオを端折って見ただけで、後は新聞記事かネット配信のニュース記事等の論調を見てこの記事を執筆したのかもしれない。

 もし最後までこのYOUTUBEを見て書いたというのならば、それはそれで困ったことになる。なぜならば、最近の高校生の世界的な学力レベルの低下同様、いい年をした大人までもが読解力の凋落が甚だしい現実をそれは指し示しているからだ。

 自分に都合良くしか解釈できないというのはそういうことなのだ。だからこの対談の本質をまったく見落とした論評となってしまっているのだ。つまりこの対談の本質的部分あるいはいくつかある核心部分がまったく欠落した、的外れで恣意的でバイアスが掛かった記事に堕してしまったのだ。

 これは捏造記事にも等しい蛮行である。否この記事自体が事実を歪曲したフェイクそのものだ。

 マスメディアを常々非難しておきながら、そのマスメディアの報道を悪用して、自分たちもまったく同じ愚を重ねている。そこに果たして読者に正しい情報を伝えるという使命感も、記事自体の公平性も正当性もあるのか甚だ疑問だ。

 自己の根拠脆弱でフェイクな主張に、如何に多くの人を靡かせるかに主眼を置いたであろう言論に、果たして正義はあるのか。

 何度も言う。そもそも山中伸弥教授は『10万人死亡説』など唱えてはいない。その点からすれば、まずタイトルからしてフェイクニュースそのものだ。

 しかも根拠のない話で読者を安心させたり、逆にあり得ない前提を元に不安を煽り立てたりと、何かと言論をねじ曲げたい意向が見え隠れしている様に思えてならない。

 今ここで人々が新型コロナウイルスの感染を軽視して良いことなど何一つない。

 新型コロナウイルスはインフルエンザとは同じではないのに、池田信夫氏はインフルエンザと同等程度の感染症だと断じている。池田氏の専門はあくまでも経済である。KO大学から学術博士を授与されているが、どの様な学際的要素があって学術博士になったのかプロフィールを見る限り明快ではない。

 しかし感染症や医療の専門家でも医学博士でもないのだけは明らかだ。ゆえにエビデンス(この場合は「科学的証拠」)が得られていないこの言説をネットを通して流布すること自体、日本の世の中にとっては百害あって一利無しだ。

 ワクチンの認可はどうも一筋縄ではいかない。感染者の30%は抗体ができないか脆弱で何度も罹病することが分かっている。しかも今冬にワクチンは100%間に合わない。流行はあと数年は続くことが明らかだ。

 ここに明るい材料など現時点では何ひとつ無いのが偽らざる現実である。

 けして意気消沈することはないけれど、一時も気を緩める事なく生きていかねばならない覚悟だけは誰一人例外なく必要だろう。安易な言説や周りの雰囲気に流されてはいけない。世の中には正論や正しい情報だけが流れている訳ではない。むしろ大半は有象無象の通言総籬(つうげんそうまがき)的クズの類いか、ガセネタであり、煽り記事である。

 どうも『言論プラットフォーム アゴラ』も、玉石混淆の有象無象を対象とした言論の場らしい。下手に信用などしようものなら痛い目に遭う。

 だから、アゴラのこの記事に対してこうツイートをした。


 根拠のない話はこればかりではない。この投稿の随所に散見される。

 例えば東京都は「まもなく3000床増やす予定」という記述には、用意するから大丈夫というニュアンスが含まれているが、この言説は現状の分析がなされておらず認識も甘く、「死者の数が16日間ゼロ」という記述もそれが安心材料にはまったく繋がっていない。(事実この記事を書いて以降僅かではあるが増加に転じている)何故ならECMOだけあっても、医師や医療従事者の数や、防護服の数もあらゆる医療資源の絶対数が不足しているし、この状態がこれからも続くという保証はどこにもないからだ。それに新型コロナは人的リソースを夥しく消費する感染症だ。

 西浦教授が、感染が夜の街だけでなく院内感染や家庭内感染に広まり始めている現状から「市中感染」が密かに広まっている現実に言及し、現在の情況は感染爆発がこれから起こるかもしれないという分水嶺にあって、そういう危うい現況を危惧し、今は重大な局面にあると発言している。

 それなのに池田氏といえば、亡くなられた志村けんさんの十八番のセリフじゃないが3000床用意するから「だいじょうぶだぁ!」的な、呑気なことを無責任に言い放つこの不見識と勉強不足。この方が常々言っている『新型コロナウイルスとインフルエンザに大した違いはない』という主張も、その点を深く掘り下げて考えた訳ではなく、誰かが言い出した話、あるいは自身が得た情報の表層だけを見てその言説を流布したのかもしれない極めて不見識なものだ。

 そこから考えられるのは、池田信夫のこの記事は、極めて無責任でエビデンスなどまるでない流言あるいは与太話の類いであるということだろう。

 その証拠を下記に示そう。この文は池田氏の投稿から引用抜粋したものだ。

図のようにきのう東京の入院患者は487人と46人増えたが、コロナ用に確保したベッドは1000あり、まもなく3000に増やす予定だ。人工呼吸器などの必要な重症患者は一貫して減っており、きのうは5人。死者は16日連続でゼロである。集中治療医学会のホームページによると、全国に2万台ある人工呼吸器のうち、コロナ患者に使われているのは62台である。

 これをまず安心材料として挙げている訳だが、だから大丈夫だとはけして言えないのは筆者が上で書いた通りである。今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫とはけして言えないし、現実にも今無理に増床すれば却って医療体制は脆弱になり、1000床で対応していた6月までより却って医療崩壊は早まるだろう。

 しかもあり得ない極論を挙げて否定する常套手段まで使われている。

東京の感染者の80%は30代以下で、重症化のリスクはほとんどない。無症状の若者が高齢者に感染させて重症化するのでもっと検査を増やせという意見もあるが、そんなことを言い出したら、毎年1000万人の患者が出て1000人が死ぬインフルエンザも全員検査するのか。

 インフルエンザを例として挙げているがこれは本旨のすり替えである。新型コロナウイルスとインフルエンザは確かに同じコロナウイルスだが、本質的にまったく別物だ。何故ならSARSやMARSと同じ扱いであり、しかもSARSやMARSやインフルエンザにはない特徴まで備えている。ワクチンも特効薬がないだけでなく、約8割が無症候性キャリアでしかも感染力が発現しているという事実(ファクト)はこのウイルス性感染症のもっとも恐ろしいところだ。

 ところで池田氏は新型コロナはインフル以下あるいは同等の弱毒ウイルスだと明言している。なのにこの記述で「毎年1000万人の患者が出て1,000人が死ぬインフルエンザも全員検査するのか」と主張している。だがこの記述は新型コロナはインフルと比べて大したことがないという記述と矛盾していないか?

 日本では新型コロナの感染者は27,188人、死者は1,002人(クルーズ船含む。7月22日午前00時集計)である。

 分子を1にして分母を比較すれば一目瞭然、インフルは1/10000、新型コロナは1/27。どっちが死に至る確率が高いのかは明白であろう。それとも池田氏はこんな単純な計算も出来ないで持論を展開する御方なのか?

 各国事情が異なりそれ故に感染者も死者の数も違うのだ。ただ数値を比較しても何の意味もない。それを単純に比較して足したり引いたり掛けたり割ったりして日本と比べて何十倍、日本の比率をアメリカに持ち込んで何百倍なんて、根拠もへったくれもない与太話をしてどうする。

 ありもしない極論を提示して皆を無闇矢鱈と脅すのはそろそろ止めたらどうか。

 ではここで事実をお話ししよう。感染爆発でもしない限り、日本でも世界でも新たな死者が減少傾向にあるというのはBCGの所為でも、コロナウイルス自体が弱毒化したからでも、遺伝子的に抵抗性(抗体)を持っているからでもない。そうした言説よりも確かなのは、

 世界の高齢者が『死を恐れて外出を自粛しているから』である。

 そんな情況の中で今後日本で考えられる懸念材料は、30代以下の80%の無症候キャリアや、完成経路の分からない感染者数が日増しに多くなっていることだ。しかも市中感染の恐れが濃くなっている。そうなれば高齢者が幾ら自主的に外出自粛を続けていようとも、必然的に感染リスクが増えるのは火を見るよりも明らかだ。その情況でGo Toトラベルキャンペーン。あり得ない。

 高齢者が幾ら外出自粛を心掛けようとも、生活必需品や食料品を買い出しに外に出ない訳にはいかない。デリバリーを使えるご老人がいったい何%いるのか? 使えてもデリバリーのお兄ちゃんから感染しないという保証はない。子どもや孫だって情があればあるほどおじいちゃんおばあちゃんに会いたいと思う。

 何より、感染者がパンデミック規模で爆発的に増えて、その一方で死者が感染者の激増とまったくリンクしないなど言うことはあり得ない。世界中の感染爆発を見ればそれを免れる方法など皆無だということが分かるだろう。考える頭があるなら誰でも分かることだ。

 それにこの記述は前で書かれたこととまったく矛盾している。

病気はコロナだけではない。マスコミが騒ぐ特定の病気だけに感情的な「安心」を追求して医療資源を集中したら、病院がそれ以外の病気に対応できなくなって超過死亡が増えるというのがこれまでの経験である。

 一見ごもっともなご意見だが、3000床ならOKというニュアンスで書いておきながらそれ以上は駄目という理屈が通らない。それに1000床を3000床にした時点で、そもそも医療資源を集中することに他ならない。現実に1500床でも、もう限界に近いという。

 そんな情況であれば3000床にしたらそれだけで医療崩壊は早まるだろう。同時に医師はや医療従事者も3倍になるのか? 医療機器や防護服や防疫用具は3倍用意できるのか? しかも上で話した通り新型コロナは人や機材や施設といったリソースを大喰らいするウイルスだ。ゆえにコロナ最前線の過酷な現状から医療従事者はどんどん減っているぞ!

 それなのに日本の社会は、これだけ献身している人達を尊敬したり敬意を払うどころか、却って差別したり誹謗中傷する有様だ。大した民度だよ。池田氏はこうした民度は考慮に入れたのか。医療従事者は機械ではない。簡単に増減できないという前提で話を進めるべきだろう。

 医療資源を集中するなと言うなら、従前の1000床のままで対応できる様に体制を整えるべきだろう。何故なら池田信夫氏は重症者は増えないと主張しているのだ。3000床に増やす必要など一体どこにある! 自己の言葉に責任を持つというのはそういうことだ。だったら今すぐ「1000床で日本のコロナウイルス対策は十分説」を投稿すべきだ。そういった煽動記事は得意だろう!

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 東京都では新型コロナウイルス対応ベッド数1000床でも一時は医療崩壊が起きかけたのだ。それを3000床にするということの意味が果たして分かっているのか?

 3000床に増やすというのは、対応病院も数も医師や医療従事者や医療器具や機材の数も3倍かあるいはそれ以上(ECMOは1台に4名必要)に増やせと言っているのと同じ事だ。そんなことが今の東京で可能とはとても思えない。東京だけでなく全国どこでも不可能だ。現状把握もせずに無闇矢鱈と増床することは、危険性が増大こそすれ安全性は限りなく失われるだけだ。

 1000床用意した医療機関は当然一般外来の来院者数を減らさざるを得ず保険点数を稼げない。それ故に医療機関は資金的に疲弊しているのに、政府からも自治体からも十分な資金援助が得られていない。現実に医療従事者へのボーナスもまともに払えない医療機関が30%に昇る。偏見や誹謗中傷に耐えて心身共に疲弊した結果がこれだ。

 しかもそれに追い打ちを掛ける様に、現実にも医療従事者の数がどんどん減っている。それはそうだ。例えば小さな子どもを持つ看護師を例に挙げれば、偏見によって保育所への託児を拒否されたり、過重労働に加えてボーナスも出ず収入は却って減っている。それだけでなく医療従事者当人だけでなく家族や子どもへの嫌がらせや誹謗中傷は後を絶たない。それでも遣れという方が酷だろう。

 これでは医療従事者が増えるどころか却って減るばかりだ。日本の殆どの機能が一極集中している東京で、コロナ対応ベッド数を現状の3倍の3000床に無理やり増やせば、今後医療機関が幾つも潰れる恐れさえある現実を直視すべきだろう。更に言うならこの記事が煽り記事である所以は最後のこの結びの記述にある。

山中氏はこれから有識者会議で感染症対策を指揮するわけだが、彼が「10万人以上死ぬ」と思っているとすれば、また緊急事態宣言が発令される可能性もある。日本は大丈夫だろうか。

 よくもまあこんな根拠のない出鱈目をいけしゃあしゃあと書けるものだと感心する。もし本気でこれを書いているのだとしたら単なるバカだ。

 前回の記事の最後にも書いたが、新型コロナウイルス感染症対策有識者会議は、あくまでも政府の諮問機関であって新型コロナウイルス関連政策の決定機関ではない。そもそも『10万人死亡説』が有識者会議で採用される可能性はない。その理由はこの有識者会議は真っ当な判断の出来ないメンバーで構成された会議だからだ。真っ当ならGo Toトラベルキャンペーンに少なくとも医療の専門家側から異議を唱えない訳がない。つまり出来た時点で形骸化してしまっているということだろう。

 それに元々有識者会議は緊急事態宣言を発令する立場にない。あくまで発令するしないは政府の判断だ。

 こうしたあり得ない話をさもあるかの如く論ずること自体、煽り行為でありフェイクニュースであり害毒だ。言論プラットフォーム『アゴラ』とは、実のところ「煽動プラットフォーム『アゴラ』」なのではないのか?

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<オーストリア・ウィーン シェーンベルン宮殿の庭園にて>
 ハプスブルク家の夏の宮殿であるシェーンブルン宮殿の、建物の反対側にある広大な庭園を見ようと建物の右側から抜け行こうとした
。その手前にこの薔薇のアーケード(アーチ状のトンネル)はあった。見た瞬間に異様な光景だと感じた。薔薇だとすぐに分かったが葉が緑ではなく真っ白なのだ。一目で除虫剤散布だと分かった。とてもこの中に入る気がしなかった。一輪真っ赤な薔薇が咲いていたが、それが美しいとはとても思えず、毒素を吐く妖しい花びらのように思えてしまった。

 ツイッターに限らずネットは誹謗中傷と煽動記事という毒に溢れている。現状それに迎合したり、同調するコメントやリツイートが後を絶たないところを見ると、世の中はまともではない方向に向かっているように思えてならない。

『民度』などいう一体いつの時代の言葉か疑われる語彙を、言葉の読み方知らずで失言の数は森喜朗氏と引けを取らない、『無思慮オジサン』こと何処ぞの財務大臣がのたまわっていたが、それに同調する者がいること自体日本人の民度は限りなく低い。

 そして最前線の医療従事者に、言葉だけの慰労をするだけで実際には何ひとつ行動を伴わない口舌の徒である自称インフルエンサーたち。

 恥を知れと言いたい。

 そう言われるのが悔しかったら正論で相手を批判することだ。しかしながら非難でも誹謗中傷でもない、真摯に批判する度量がこの者たちにあるとはとても思えない。

 これは最後の余談です。しかし大事な余談です。

 皆さんは新型コロナで人が死ねばこのウイルスが死因だと思いますか?

 答えは否です。筆者は新型コロナウイルスの死亡診断書を見たことはないので実際には分かりませんが、死因の欄に「新型コロナウイルスが原因で死亡」とはたぶん書かれていないと思います。これがエボラ出血熱によるものだったら間違いなく「エボラ出血熱により死亡」と書かれる筈です。

 新型コロナの毒性自体はもし強毒性であったとしても高が知れていると思います。ではなぜ人(医師も含む)は恐れるのか。それはこのウイルスが、重度の合併症を引き起こし、それが直接の原因(つまり死因)となって人が亡くなってしまうからです。

 たぶん死因欄には「肺水腫による窒息死」とか「心筋梗塞」とか「脳梗塞」とか「血栓による多臓器不全」とか書かれるはずです。その契機となるのがサイトカインストームです。サイトカインストームとは何かは自分でネットで調べて下さい。

 本来は細菌やウイルスを攻撃するキラーT細胞が、危険信号を察知したので出動したら、新型コロナがレセプターを変容させて、巧みなステルス性を身につけていたためにその存在すら確認できない。そのうち更なる危険信号によりキラーT細胞は爆発的に増え、相手構わず人体の各所で正常な細胞を攻撃し始める。

 それが血管内壁に穴を開け出血させ血栓を作り上げる。多くの臓器でも同様の事態に陥り機能停止する。肺胞では肺水腫が発生し、肺胞内を血液の出潤液で満たし二酸化炭素と酸素の交換が出来なくなる。その結果窒息死、心筋または脳梗塞、あるいは多臓器不全で死に至る。

 筆者が多くの文献を調べた結果ではそういうストーリー(推論)が成り立つ。

 新型コロナ自体の毒性は高が知れています。ですがこうした命に関わる合併症を高頻度で同時多発的に、しかも全身に現出させてしまうがゆえに新型コロナウイルスは恐ろしい感染症だといえるのです。

 弱毒性だから安心しろ? とんでもない一体このどこが危険でないと言えるのか!

 それに致死率のパーセンテージが低いというのは間違いである。重症化しやすく死亡する確率が高いのは高齢者だ。20代30代の致死率を挙げても現実的ではない。高齢者でしかも基礎疾患などの持病があればその存命率は僅か3%。これが心配ないレベルなのか?

 それだけでなく無症候性キャリアがいて発症前の三日前から感染力が出現し、発症の0.7日前に感染力が最大になるという話も恐ろしい。なにしろ今眼の前にいる人が感染していないと発症していないがゆえに誰も判断できないのだから。それなのにGo Toトラベルキャンペーン。これではどんな感染症対策もすり抜けてしまうだろう。

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 最後に北大の西浦博教授が話された中で、非常に興味深い話があったので皆にお伝えしよう。

 色々調べてみて、日本の新型コロナウイルスによる感染者の中の死亡率や高齢者の重症化率は、世界と比べて殆ど変わりはなかったそうだ。つまり東西の民族的な差異はなかったという。

 それから、季節性のコロナウイルス(つまりインフルエンザや俗に言う風邪)や遺伝子由来の免疫性についても日本人だから、あるいは東洋人だから欧米人と比べて感染者や死者の数が少ないとは言えないそうだ。

 だから日本や東アジアの感染者と死者が欧米と比べて殊更低いのは、まったく別の要因が考えられるのだという。

 その一つに挙げられれいるのが、

「日本ではクラスターが形成後の2次感染者の数が欧米に比べ極端に少ない」

 という事実なのだという。これはクラスター感染した人が、クラスター発生後に他の場所や他の環境に移動した後で2次感染させた人の数が、欧米のクラスター形成後に2次感染させた人の数と比べるとそれこそ雲泥の差があるのだという。大概が1人が1〜2人に感染させる程度で終わってしまう。

 この事実に西浦教授が注目している理由は、日本ではクラスター形成後の2次感染の度合いは大したことがないのに、欧米での2次感染はほぼ間違いなく感染爆発という規模で発生しているのだという。だからこそ、この中に日本や東アジアで感染者や死者の数が抑えられている原因があるのではないかと推測されていた。しかし研究はまだ始まったばかりで明確なエビデンスは得られていない。

 だが欧米では感染爆発の主要因となっているクラスターの発生が、一方の日本に於いてはクラスター形成後の2次感染者の数が極端に少ないという明確な違いがあることの中に、日本や東アジアで感染者も死者も極端に少ない理由を解く鍵があると分かっただけでも一歩前進だ。

 それともうひとつ西浦教授が指摘していたのは「日本では風邪などの季節性のコロナウイルスと細胞性免疫との間で認識が共有されることがある」という事実だろうか。どういうことかといえば、日本人が従来から持っている風土土着的な風邪に対する細胞性免疫が、新型コロナウイルスが体内に入ってきた時に、『誤作動』して新型コロナウイルスをやっつけていることなのだという。つまり山中教授が述べていたファクターXの中の遺伝子説は該当しないという。

 どうもこの実例を一部の臨床医は確認しているらしい。このメカニズムが解明されれば、もしかしたら感染爆発に備えられるかもしれないという希望の光が少しばかり見えてきた。

 まだまだこのウイルスは解明されていないことが多い。しかし臨床医などの努力により次第にその特性が明らかになってきたことは喜ばしい。

 改めて言おう。筆者は北大の西浦博教授を支持し、これからも応援する。

 Written by H☆imagineU3

<完>

<2020/07/24 17:00> 新たなツイートの一部を追記する。


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Baldhead1010

これから先、どんな感染症が出てくるか分からないご時世、日本という国は教訓を生かせないことがよく分かります。
地方自治体の職員は人々を思って懸命なのに、国の役人の中でもキャリア組は出世と保身しか考えないから、政府が体たらくなほど、ただの税金泥棒になってしまいます。
というか、体たらくな政府は官僚の思うがままに操られているなぁ。
by Baldhead1010 (2020-07-24 04:41) 

U3

Baldhead1010さん おはようございます。
 日本国民は政府や為政者に対して蜂起しないですからね。そのことが彼らは良く分かっている。
 だとしたら、政府や為政者など見限って、『自衛』するしかありません。
by U3 (2020-07-24 07:45) 

U3

 そう云えば、「Ironbridgeさん」や「心如さん」など多くの方が、PCR検査などしても感染者数も死者の数も減らせないなどと仰っていましたが現実はどうなったでしょう(o゚∀゚o)
 圧倒的にPCR検査数を減らした中国、韓国、ニューヨークじゃ今や感染者数そのものが激減。それ以降も基本的にPCR検査数を高レベルで実施しているので感染者数は増えていません。
 結論、検査数を増やして陽性者を隔離すれば新たな陽性者は減る。当然死者の数も増えない。
 しかし日本は未だそうした体制になっていない。つまり検査数を増やしても隔離体制が出来ていないから、すぐに医療崩壊に繋がりパンデミックが現実のものになる訳です。
 ろくでもない為政者と政府を持つと被害を直接被るのはいつも弱者だけです。
by U3 (2020-07-24 09:46) 

U3

☆みなさまへ☆
 Baldhead1010さん以外からコメントがありませんね。
 皆さん、確としたご自分の意見を持たない『意識低い系』なのでしょうか。
・・・という挑発に乗ってくれれば嬉しいのだけれど!
by U3 (2020-07-24 09:51) 

U3

 超過死亡者(例年より多い死亡者の数)が増えていてその中に新型コロナが元で死んだ人がかなりの数含まれている筈だという話は、確か4月のBBC・NEWSの記事で読みました。英国は日本と同じく多くのPCR検査を実施する体制が整わなかったので超過死亡が例年より10000人/月以上増えていることに対して懸念を示していたのです。
 何でも遅い日本でもようやくその事に気づく人が現れたと言うことでしょうか。陽性者の中からしか新型コロナによる死亡とは認めていないのは日本も英国と同様です。ですから実質相当数いるはずです。1万は超えないにしてもたぶん数千レベルでしょうね。
by U3 (2020-07-24 10:08) 

旅爺さん

読んでる途中で2・3度眠くなった、久し振りの晴れで気が緩んだか!
今まではともかくクラスター的に増えてる今をどうする気なのかが問題です。政府のお手並み拝見です。爺は後期高齢者なのでもし感染したらお仕舞かも(>_<)。
by 旅爺さん (2020-07-24 10:11) 

U3

旅爺さん おはようございます。
あはは、記事が長くてごめんなさいね。
感染を出来るだけ避けるよう努めて下さい。
70代の陽性者の中の致死率は14.24%です。80代以上は28.25%。
けして無視できない数値です。

by U3 (2020-07-24 12:33) 

八犬伝

仰る通り
どっちつかずは、どちらも失います。
それにしても
何もやらないで、いつまでやり過ごそうと思っているのか
安倍の顔も見えないし
とんでもない政権ですね。
by 八犬伝 (2020-07-24 21:53) 

U3

八犬伝さん おはようございます。
 どっちつかずと言うより経済偏重は明らか。
 GOTO優先、感染症対策は二の次。それが安倍政権の基本姿勢です。
 もしかしたら、これで感染爆発が起こっても白を切れると言う自信があるのかもしれません。なにしろ国旗閉会中ですから。
 9月の臨時国会も政局的に不利となったら何やかや理由をつけて延期するかもしれませんね。過去にもそうしていますから。
 ネットで今の感染症対策をどう思うかというアンケートそしていましたが。「これで十分」は4%、「どちらとも言えない」は1%、「不十分」は95%でした。
by U3 (2020-07-25 08:47) 

HOTCOOL

無能無策。先日、ぶら下がり会見で「今はまだ非常事態宣言を出す状況ではない。」と言ってましたが、何を根拠に言っているのか全くわかりません。
非常事態宣言が出せないなら、せめて業界団体に対し在宅勤務実施指令を出してもらいたい。それが、毎日満員電車で通勤しているサラリーマンの本音です。
by HOTCOOL (2020-07-25 14:46) 

Baldhead1010

政府には、コロナ感染症を軽んじている風があるが、なら、指定感染症や検疫感染症の指定を解除し、インフルエンザ等と同じ扱いにすればいい。

そうすれば、ベッド数の逼迫で、医療崩壊を起こすことも無かろう。

軽症者が多いと言うけれど、まだまだ、後遺症の恐ろしさが知れ渡っていないようです。
昨夜の報道特集に出ていた加藤医師の証言が身にしみました。
by Baldhead1010 (2020-07-26 04:42) 

U3

 HOTCOOLさん。Baldhead1010さん。コメントを頂きありがとうございます。
 安倍総理の頭の中には新型コロナ対策も非常災害対策もありません。来年の7月23日にどうしても東京オリ・パラを開催し、憲法を改正し花道にしたいという我執・妄執のみです。
 この方の空虚な「遣ります、遣ってます感ポーズ」はいつもながらですが空虚です。本音では国民の健康も被災者の困窮も悲しみもアウト・オブ・眼中です。
by U3 (2020-07-26 10:03) 

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