冒頭の話に戻ろう。国民は未だかつて一度たりとも自公政権や時の首班から「丁寧」な政治もされた覚えはないし、説明責任を「丁寧に」してもらったとも思っていない・・・筈だ。
しかしそのことを今の30代、40代、50代の国民は忘れているか、目を瞑ろうといている。そんな過去のことより今が大切だという考えなのだろう。大して先のことを見ているようにも思われない。岸田のこの総裁就任時の演説はそうした1年前の世論とは相容れない。だが1年も経てば、もう国民の過半は当時のことを忘れているという前提で語ったのだろうか。まあ半ばそうとも言える過去と現在があり、自民党はそうした国民の忘れっぽさを自家薬籠中の物として、見切っているかのように思われる。
もしそれが事実なら私はもう国民を見放そうと思っている。私は国民が再生する可能性があるならば、文章力というツールを使って幾らでもその一翼を担おうとは思うが、財政破綻の片棒を担ごうとは思わない。
岸田のソフト路線と人の話をよく聞く人というプロパガンダを、どれほどの国民が信じているかは分からないが、その一方で過去にあった臭い物には蓋をする路線は継承しようとしているのは明らかだ。だから説明責任は自民党が政権にある限り、当分の間実現することはないと踏むべきであろう。
それにしても理解不能なのは「寛容な政治」という表現だ。これって一体何だ?「身内の不正は見て見ぬ振りをする政治」ってことか??? ・・・なら分かる。私は認めないけど、日本人の特質だから。あのUR機構に絡む斡旋目的の金銭授受で、斡旋利得処罰法と政治資金規正法違反に問われ、結局不起訴となった疑惑の甘利明が幹事長とは恐れ入る。だが日本人は不正に対して本当にだらしがなく、見て見ぬ振りをするのが習性となっている。巨悪に対して毅然としたところがまったくない民族性だから、今回も岸田の党三役や閣僚の人事に過半の国民が殆ど反発していない。それより次の選挙でどんな飴玉が目の前にぶら下げられるのかの方が、もしかしたらこういう国民にとっては大事なのかも知れない。
それが証拠に最新の調査によれば、こんな今の自公政権を、国民の6割が未だ支持しているのだという。恐らくこれほど為政者の不正に甘い民族と国民性は、先進国は疎か世界中のどこを探しても日本以外見当たるまい。独裁国家でも専制政治体制でもないこの国で、これほど愚かしい『政権への従順ぶり』と『時の権力への迎合へつらいぶり』と『白痴レベルの政治への無関心さ』を発揮する日本人とは、いったい何なのだろう。
そういえば江戸時代の松平定信による寛政の改革が失敗したのも日本人の民族性ゆえであろうか。教科書にもあの有名な狂歌が載っている。
白川の 清きに魚も すみかねて もとの濁りの 田沼恋しき
日本人はたとえ政治家の汚職や不正があったとしても、たとえ自分たちの税金が時の総理大臣の選挙区の有権者のみに、「桜を見る会」なるものを隠れ蓑にして不正にばら撒かれたとしても、自分に直接影響がなければ気にしないし、自分たちの毎日の生活の質が変わらなければ、それでいいと考える民族であり国民性なのだと思う。それこそ為政者のトップが開き直りで言い放った一言が原因で、人が一人死のうが二人死のうが知ったこっちゃないと考える国民なのだ。到底外国じゃ考えられないほどの民度の低さだ。
でもね、これとまったく逆の狂歌もあるのを知ってる?
田や沼や 濁れる御世をあらためて 清く澄ませ 白川の水
白川とは白川藩主だった松平定信を指し、田沼とは将軍のお側用人で老中だった田沼意次のことを言う。ガッコーで習ったから中学生でも知ってるよね。・・・日本人だってまだ捨てたものじゃないと思いたい。
話を本筋に戻す。岸田の言う「国民の一体感」なんて元々どこにも存在しないけど、それってSFか仮想現実の世界の話だろうか? それにトリクルダウンなんて嘘っぱちだった、あのアベノミクスで、富める者と、持たざる者とに明確なまでに二極化させて、国民の分断化を謀った(図ったぢゃないよ)のは、そもそも自民党ぢゃなかったっけ???
自分でしておきながら、さも誰か他の人が為出来(しでか)したように言う。こうしたえげつない詭弁話法は、今や自民党支持層とかネトウヨ連中の常套話法だ。
自民党の議員ってこんなクサレしかおらんのやろか。ホンマ、あきまへんな!
先ほども言ったが、こんな自公政権を未だ国民の6割が支持している現実は酷いものだ。その現実をつくづく眺め、考えるに日本は終わりに近づいているのかも知れない。
今から64年前の1957年に、社会評論家の大宅壮一が、日本人をして『一億総白痴化』と評したが、それが今や現実のもの、つまり日常化あるいは常態化して、それが普通であるから、もはや誰一人としてそれに気づかないというこの現実は、筆舌に尽くしがたいほどの三等国レベルの民度というか、救いようのない愚かさを露呈しているように思える。
たぶんこんなことを書いても拙ブログの読者は、この直言に嫌悪感や反発を覚えこそすれ、誰一人として賛同などなさるまい。日本人は本当にほんとうに愚かな民族になってしまった。そう思うと心底遣り切れないし、意気消沈するのだが、それでも私は言わなければならない。
『目ざめよ、日本人。けして馬鹿のまま一生を終えるな!』
またも脱線してしまった。岸田文雄という第百代の総理大臣になった男の話に戻そう。と言いながらまたしても脱線してしまう。第百代とは区切りがいいが、私はこの百代というと奥の細道の序文を思い出してしまう。
月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也。
・・・それを岸田文雄総理大臣に当て嵌めれば、
岸田は百代の宰相にして、勢いも実力もみな幻覚なり。
と言う訳で、私がもし岸田文雄を第一印象だけで判断するならば、顔の輪郭から分かる特徴から、いわゆるエラが張っておらず、アゴの線が細いことがかなり気になっている。こういう顔相の持ち主は、決断力がないとか、意志が弱いという特徴を持つ。・・・と、(私の記憶が正しければ)故人である作家の五味康祐が言っていたような気がする。
そんな訳で五味康祐の顔相見の記憶を辿って、自民党の過去の総理大臣経験者から類似した顔相の方を探したらすぐに見つけられた。第66代内閣総理大臣だった三木武夫だ。
彼は内実はともかく「クリーン三木」とも言われたが、少数派閥の領袖であったため、他の大派閥である大平派とか福田派とか旧田中派からは与しやすいと考えられていた。つまり軽く見られていたのだ。しかし、それが幸いして椎名裁定で首相になった人物だ。あの田中角栄が、ロッキード事件が明るみに出て、政権を追われた時の話だ。
余談だが、『田中角栄研究〜その金脈と人脈』を上梓し、『金権政治』という言葉を生み出して、田中角栄を政権から引き摺り降ろす切っ掛けを作ったノンフィクションライター&ジャーナリストが、あの知の巨人と言われた立花隆である。
岸田派は弱小派閥ではないが、何だかその領袖である岸田文雄と、三木武夫が政権を発足させた経緯と世情はよく似ている。どちらも腐敗で逼塞した政治状況がその背景にある。それだけでなく岸田にはコロナ禍の中での第100代総理大臣という重責がある。だが正式な総裁選を経ずに様々な思惑が飛び交う中で、椎名裁定で総理になった三木武夫と比べて、岸田は余りにも人物が小さく、かつ、クリーン度も低い。
糅てて加えて、お友達人脈で総理総裁になれた人が、どれだけ党を改革できるかといえば、その可能性は限りなく低いと言わざるを得ない。恐らく岸田は3Aとかの傀儡から脱したいと思っているに違いないが、それを助けることは逆説的に3Aを勢いづかせることにもなりかねないだけに慎重に様子を見なければならないだろう。思うに党を改革するのは口先だけで何の成果も成し得ずに終わるのではなかろうか。顔相から見る意志薄弱とバイタリティーの無さは、首班になる器ではないことを示している。
だから女性の有権者にはこれだけは言っておきたい。昔から優男(やさおとこ)には生活力がないとか、優男に稼ぎ無しとか言われるが、それは本当のことだと思う。譬えは悪いかも知れないが、これが家庭内の話なら家族が辛抱すればそれで済む。だがその優男が国政を預かればどうなるか。言わなくても結果は見えているように思える。
いきなりあちこち話題が飛んでしまってすみません。話を本筋に戻す!
三木武夫はあの顎の線の細さからは想像出来ないほど精力的に動き、金権体質と言われた自民党を根底から改革しようとした。だがことごとく自民党の他の重鎮(三木自身は当時の自民党内で最長老であったが)や、他派閥の領袖から嫌われ、妨害され、改革案は次々と潰されるか骨抜きにされた。
それでも三木は田中角栄の後だけに、国民からはクリーンというイメージを持たれ人気が高かった。彼こそが自由民主党を変えてくれると、国民の過半が期待したからだ。だから三木武夫は頑張れたのだが、結局のところ自由民主党を根本的に変えようとした彼の計画は頓挫した。あの三木武夫でさえそうだったのだ。
しかしその三木武夫と比べて、岸田文雄は余りにも意志が弱く、しかも小者だ。総裁選前にあれだけ妥協しまくり、方針やビジョンを後退させ、結局、役員人事や閣僚人事で独自色を出すどころか、安倍晋三と麻生太郎に擦り寄って政権維持を謀るという何とも姑息でいじましい対応に終始した。それでも党を改革できるという根拠など一体どこにあるというのだろう。恐らくは彼を信じた国民の期待を大きく裏切ることになるであろう。
何より独自性を出せないその顎の線の細い輪郭と顔相からは、更にいうならば実行力と決断力の無さが強く懸念される。それを『克服』出来なければ岸田政権は短命に終わる可能性が高い。
『克服』とは何か?・・・それは3Aとか2Fと、いかに袂を分かつかだが、岸田文雄の決断力のなさは今に始まったことではない。妥協こそが彼の政治信条だ。仲良し小好しで日が暮れて、他人と対立しないというのが岸田文雄の人生哲学のように、私には思えてならない。
それを「岸田文雄には調整能力がある」とか「人の意見をよく聞く人」と受け取るバカがいるから、余計に話がややこしくなり、岸田本人の実像が結局我々国民の眼には見えて来ない。否、見えない国民の方にも問題は大ありだろう。田崎スシローは自民党のメッセンジャー(オールド)ボーイだが、そのスシローがそんなことを言っていた。これこそモノは言いようで、「ペテン師」を「言葉巧みな人」と言い換えるようなものだ。彼の者に調整能力など無い! あるのは妥協とお友達感覚だけだ。そんな人物が一体何を為し何を変えられるというのか!
私に言わせれば、彼は良い人なのだ。しかし、ただそれだけの人である。
彼の政治信条や人生哲学である、妥協や協調だけでは大きな進歩も変革も一切望めない。私の目から見れば自民党の絶頂期はもう終わった感さえある。故にこのままでは自民党は、凋落の一途を辿り、やがてじり貧になるであろう。かつての日本社会党のように。
自由民主党もいずれ分裂し、政治の世界から消えてなくなる運命にあのかもしれない。元々保守2党が合わさって出来た自由民主党だ。それが再び2つに割れる事が絶対にないとと誰が言い切れよう。
話を元に戻そう。
こうした懸念を克服するには、岸田は己を自身の意思で変える必要がある。しかし彼は意志が弱い。弱すぎる。故にそれを克服するのは容易ではない。私は、岸田文雄は結局のところ、自分を変えることは出来ないだろうと思っている。三つ子の魂百まで。彼の協調性というか資質は、本来首班には向かない性質のものであると私は思っている。つまり実行力の最大の妨げになるであろう。
ところで岸田文雄は党人事に於いて、主要閣僚や党三役等の「身辺調査」を本当にしたのだろうか? 安倍政権以降、組閣の度に閣僚の不祥事があいつでいる。
甘利の不正疑惑から5年。甘利本人と秘書は起訴こそ免れたが、誰一人甘利明本人がシロだなどとは思っていない。あの時点で国民の過半は、自民党の主要国会議員であれば、誰も刑事責任を問われないのだと思ったはずだ。なにしろあれだけのまっ黒クロスケが、世間の追求を逃れるために入院したと思ったら、あっという間に真っ白しろスケに変身し知らぬ間に退院し、知らぬ間に不起訴になっていたのだから。
国民おしなべてよもやそれを忘れてしまった訳ではあるまい。岸田文雄はそんな甘利明を幹事長に指名した。彼の政治信条に、清廉潔白というものは存在しないということをこれは如実に物語っている。そこに確実にあるのは『長いものには巻かれろ』という恥ずべき日本人の特質を、もっとも具現化した最終形が、岸田内閣の実像なのでは中廊下。ぢゃなかった、、、なかろうか。
岸田はいつまでも自民党が「限りなく暗黒に近いグレー」のままで政権を維持出来るとでも思っているのだろうか。これでは自民党は人材が豊富だ、などという言葉はもう信用が出来ない。臑に傷を持つ者しか出て来ないことが、何よりもそのことを物語っている。
もう岸田という一人の為政者からは、小手先の対策やリップサービスの改革案は出てきても、モノホンの改革の動きは出て来ない。それが今回の党人事で良く分かった。この政党は、結局は外圧でしか変われないのだ。
だとしたらそれを我々国民の手で実行するしかない。それは国民の強固な意思であり、それは次の総選挙で小選挙区でも比例代表区でも、自民党候補や自由民主党というダーティーな政党に、票を一切入れないことである。
それだけではない。我々には伝家の宝刀がある。金権政治を暴き出した立花隆亡き今、自民党の忖度政治の内実と欺瞞を暴き得るのは、何とあの週刊誌の情報収集能力だ。
またぞろ『文春砲』の炸裂を期待したい!
甘利明新幹事長5年前の口利き斡旋疑惑を報道しただけでなく、数々の政界スキャンダルも暴いてきた週刊文春! 今回も期待しています。
しかし、甘利明だが、こんな人に自民党の金と権力を握らせてしまっていいの??? あ、検察の追及逃れと誤魔化し上手だから起用したのね♡♡♡ウッフン!、納得しました(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v
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ここで10月30日の総選挙(衆議院議員選挙)に向けて、第一印象とか、見た目だけで判断してしまうおバカな国民の皆さまに向けて一言だけ言っておく。
『A〇B48の総選挙ねえんだぞ!』(`へ´)フンッ。アホカイネン!!!
どうしてこんなに物事を深く考えない人たちが増えてしまったのだろう。このように世の中から正常な感覚を持った人が、国粋主義的な考えを持つ人たちに感化されあるいは洗脳され、日々籠絡されていると私は考えています。
恐らくはSS-BLOGのブロガーの中にも日本会議の一般会員の方が潜んでいるものと思われます。基本的に日本会議の主旨に賛同して、日本会議が推し進めている「国民運動」(私に言わせれば洗脳運動)なるものに賛同する意思のある者なら、それこそ誰でも会費を納めれば会員になれるようです。
正会員1万円、女性会員5千円を納めれば、国会議員バッジと酷似した、菊の紋章の金バッジが今ならもれなく付いてきます。そういえば、今度の新政調会長を総裁選で押していた方々の中に、「日本会議がめざすもの」に書かれている内容と、瓜二つのコメントを書いておられるブロガーがいますね。「高市さんは本当に立派な政治家だと思いますよ」、なぁんて言われていつの間にか籠絡されちゃいますよ。見ているとこの人の頭の中は妄念が渦巻いていて、とても『無為自然』という言葉の元となった、老荘思想とは相容れない新興宗教の勧誘のようです。 私は思うのですが、今まで比較的まともであった人でさえ、ネット社会で匿名性があるゆえに、こうした過ちを繰り返す事態となっています。そういう人たちは、いい加減な記事を書き(ご当人はそうは思っていないようですが)、時には事実と異なる事例まで交えて自分の考えを世の中に広めようとしているのです。あるいは妄念を信じ切ってしまってかなりイッちゃってる感じがします。
私は、そうした人たちの行為が許せないとは思いませんが、かといって偏ったイデオロギーを強要されたくはない。右でも左でも反対側にいる人を攻撃するようになったらお終いです。健全な判断は偏らない精神状態だから保てるのです。宗教でも政治でもそれは同じで、盲信したら最後は麻薬と同じです。そこから抜け出すのは容易ではないでしょう。
だからそういった人たちの言い訳や嘘や誤魔化しが嫌いですし、その不明を正さずにはいられません。自分のために人を巻き込む、こうした行為をする人が特に嫌いでなりません。赦し難いとさえ思っています。
なぜならそうした人達の発する言葉には、目に見えない毒と愚かさとがあって、それは普段は極フツーな人達にも、次々と感染し精神を汚染し増殖するから。
愚かさは、例えれば朱に交われば赤くなるというか、悪貨が良貨を駆逐するように、それまでまともだった人たち(精神衛生が保たれていた人たち)にも伝播・感染します。そして一旦、そうなると副反応どころか重い後遺症に、一生とは申しませんが長い間悩まされます。いわばそれは精神の毒物であり、時に宿痾か不治の病ともなり得ます。
そう、まるでCOVID-19のように、知らぬ間に感染しその精神をも蝕むのです。
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上記で散々日本人の民度は低いとこき下ろしまくったわたくしではありますが、これは何も一部の人間を指してそう言っているのではなく、自分も含めた日本人そのものがおしなべて大馬鹿であり、その自覚もないほど一億総白痴化しているという事実をただ思ったまま正直に吐露したものです。
読者の皆さまの反論はいつでもお受けいたしますが、恐らく私を論破できる方は一人もおりますまい。なぜなら事実は変えようがないからですから。
自民党支持派と反自民党派との反目と対立は、右寄りと左寄りというイデオロギーの対立、あるいは持てる者と持たざる者の対立などという、単純な構図で括られるものではありませんが、私が見るところどちらの主張もどんぐりの背比べであり、恐らくどちらも愚かで、網で掬(救)いようもない「メダカ馬鹿」です。
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あれほど自民支持派、反自民で盛り上がった、総裁選はもう過去のものとなった感があります。
総裁選候補の中で、唯一過去のモリカケ・桜問題、広島1億5千万円問題とかを有耶無耶にしないでハッキリさせる、と言っていた野田聖子議員は予想通り落ちてしまいましたね。はやり自民党の本質は自浄作用のない不自由非民主なのだとこれで分かりました。一番まともな人が最下位なのですから。
その後も高市早苗が政調会長、幹事長が甘利明、副総裁が麻生太郎留任、、、
、、、えっ、これが岸田文雄目指す新生自由民主党?!?!?!?!
いつまで続ける気なんでしょうね、忖度政治。圧倒的多数決による専横政治。
モリカケが忖度の結果だというのなら、忖度の責任を官僚が取るのは当然として、当時行政府の長であった安倍晋三元総理は、何故監督者として責任を取って辞任しなかったのだろう。あれほど安倍が言っていた自分は立法府の長だという主張は、憲法上も虚偽は明らかだが、それだから行政府の不始末のは取らなくてもと良いという論法というか、おつむの晋三ならぬ構造らしい。
これが大企業なら即刻引責辞任だが、「世間の常識は自民党の非常識!」言葉が通じないのはいかんともしがたい。
あのさ、国民の皆さまに問いたいけれど、説明責任を果たさなかっただけでなく、本当の意味でも責任を果たさないで、それで済む政治の世界って、果たしてまともなのだろうか。これってアベノ標榜する「法の支配」に合致してる訳? それとも言行不一致こそアベノホンショウ?
もしこれが欧米であれば、ほぼ間違いなく辞任するまえに弾劾手続きが始まるだろう。
そんな政治を蔓延らせてしまった責任を取らないのはどう考えてもおかしい。
またそれを自民党内で誰一人指摘し糾弾する者がいないのもおかしい。
本当に自浄作用のない、無責任かつ非国民政党だと心底思う。
つまり自民党の本質は、不自由非民主党のなのだ。←不吉なので薄墨色にしました。
そんなことをトイレの中で考えていたら、何故かは知らねど、唐突にリンカーンがペンシルバニア州のゲティスバーグで行ったあの有名な演説が原文のまま脳裏に浮かんだ。
実は高校1年の時の英語の教師に、この一節を一週間に渉ってそらで言えるようにクラス全員が叩き込まれて、一人一人がリンカーンになったつもりで、教壇に立って演説させられた経験がある。
それはとても印象に残っていて、教壇に立った自分もさることながら、クラスメイトの一人一人に個性があり、度胸だけはあるが記憶力が乏しくデタラメ英語だった奴、おどおどして自信なさげで小声な奴、真面目すぎてちっとも面白くない奴、え、お前ネイティブ・スピーカー?、てな調子で流ちょうな英語(に聞こえただけだけど)で身振り手振りを交えてリンカーンになりきってる奴、それこそ色々いて面白かったナ。
そしてあれから半世紀経った今でもそれを諳んじて言えるのだから人間とは面白い。いやはや教育とは、頭の柔らかいうちに為すべきものなのかもしれないと密かに思う。まあそれは余談だが、何故かすんなりと『人民の、人民による、人民のための政治』のフレーズが原語で頭に浮かんだ。"that this nation,under・・・"
という訳で、リンカーンのゲティスバーグにおける演説の、締めの部分に当たる、あの有名な一節を原文のまま下に記す。
・・・that this nation,under God,shall have a new birth of freedomーand that government of the people,by the people, for the people,shall not perish from the earth.
ーAbraham Lincoln
邦訳:・・・この国に、神の下で自由の新たなる誕生を迎えさせるために、ーそして、人民の、人民による、人民のための政治を、この地上から決して(非業に、あるいは突然に)消滅させてはならない。(と、わたしたちがここで固く決意することである)
ーエイブラハム・リンカーン
ところで、私の身にインスピレーションとか、天からの啓示みたいなことが起こるのは、何故かいつもトイレの中か、就寝中の真夜中二時過ぎという決まった場所や時間帯だというのがとても不思議だ。それからするとたぶん私には、『トイレの神様』がついているに違いないと少なからず思うだった。そして『夜の神様』も。(*^_^*)ウフッ・・・
ところでこの原文と、自民党の忖度政治が頭の中で綯い交ぜにになりながら、まるでメビウスの帯の如く表になったり裏になったりを繰り返すうち、ハタとあることに気づいてしまった私であった。もしかしたらこのインスピレーションも天からの啓示なのかもしれぬ。
リンカーンの演説のあの「of the people,(人民の、)」から始まる有名な一節の日本語訳から、ある一文字の字を消すと、今の自由民主党の党是にぴったりと符合するという事実を発見してしまったのだ。それは今週日曜日の朝、いつものようにトイレの中で沈思黙考している時のことであった。
『人民の、人民による、人民のための政治』
ここから、
【ん】の一文字を抜くと、自由民主党のウラ党是になることを私は発見したのであった。
それは何と利己的で恣意的で国民を無視したものであることか。
まさに今の自民党にふさわしい党是なのですね。
なにしろ、、、
『自民の、自民による、自民のための政治』
・・・と、なってしまうのですから。
コロナ禍の中での総裁選も、モリカケ・桜・1億5千万円の出処責任者不明問題も、この隠された党是の下(もと)で行われたと仮定すれば、すべて辻褄が合う。
と、そこまでは腑に落ちる。だが私の天からの啓示は、いつも一つの奇蹟が、もう一つの奇蹟を生み出すように出来ていて、これは改憲ではなく護憲に纏わる天の啓示であることにすぐに気がついたのだった。
しかし常日頃から、あらゆる知識を持ち合わせていないと、それは出て来ないものなのですね。そして偶然にも憲法前文をこの三日前に改めて読んでいたのです!
実はリンカーンの演説のこの一節が、日本国憲法の前文の中にも生かされているのだ。そのことを皆さんはご存じだろうか。
『人民の、人民による、人民のための政治』
・・・この精神が憲法前文ではこう生かされている。
<そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する>
この日本国憲法の一節を、リンカーンの演説に当て嵌めると見事に意味合いが合致するのだ。
『国政は』の部分が『政府あるいは政治 (government)』であって、『国民に由来し』が『人民の (of the people)』に対比し、『国民の代表者がこれを行使し』が『人民による (by the people)』に対比し、『国民がこれを享受する』が『人民のための (for the peple)』に対比しているのである。
この啓示が本物かどうか調べてみたら、GHQの日本国憲法前文草案の原文にありました。
Govrment is a sacred trust of the people,the authority for which is derived from the people.the powers of which are exercised by the representatives of the people,and the benefits of which are enjoyed by the people.
<GHQによる憲法草案前文>
(Wikipedia『ゲティスバーグ演説』より、U3の手により転記 2021.09.28)
こうして日本国憲法の精神をみると、いかにGHQからのお仕着せで、しかも短期間に作らされたものだとしても、良いものは良いとしか言いようがない。これこそ主権在民で、国民の義務と権利と、そこから得られる国民の利益・幸福というものが見事に表現された名文であると私は思っている。
それを、前文の文法が間違っているとか、右翼や国粋主義者は重箱の隅を突いたようなツマラナイ非難や難癖をつけたがるが、バカにはその程度の頭しかないと思って言わせておけば良い。結局何かにつけて奴らは難癖や非難をしたがるものだ。
例えばアフガンに邦人救出のために向かった、自衛隊機の出動が遅れて救出できなかったのは、野党の立民辺りが反対した所為だとほざく基地外酔っ払いラ〇ダーがSS-BLOGにもいるが、何を根拠にそんなことを言うのだろう。「今週のてりぃやきば〜が〜」も毎日評論家気取りで毒を振り蒔いている。やはり立憲民主党の枝野代表を標的とした発言が目立つが、この方自分が気に入らない者を一刀両断でこき下ろすのがお得意らしい。
己が分かっていない者はいつかその馬鹿さ加減を露呈する。自滅するのを待つしかないのかもしれない。
しかしこの「てりぃやきば〜が〜」の論法はいつも乱暴だ。この人の自分が気に入らない人たちや政党への(具体的には立憲民主党の枝野代表を個人的に嫌っているようだが)イチャモン体質は、一体どこから来ているのかは分からないが、それが正義感から来たものとか、道義上の理由でないのは明らかだろう。先日も男子プロゴルファーの石川遼が米国下部ツアーへの参加意志を表明したことに噛みついて「バカなことを言っている」の一言で片づけているが、この狭量さと寛容性の無さはいったいどこから来るのだろう。
もしこの者にこどもや部下がいるとしたら、恐らくは才能を潰されるに違いない。よく知りもしない癖に、人を悪し様に言ったり、その人の可能性まで否定する言動はこの者の傲慢さと狭量由来のものであろう。「何様のつもり!」と言っておこう。
人の夢を他人があれこれ言う資格はない。それもこれも偏向し、鬱屈した心情の憂さ晴らしの場がSS-BLOGということなのだろうか。私には到底理解できない。
基地外酔っ払いラ〇ダーの話に戻るが、誰が考えても自衛隊の指揮権は防衛大臣にあり、更にその大臣に指揮できる人物は当時の菅義偉総理大臣以外にない。菅義偉が枝野幸男に許しを請う道理がどこにあろうか? それに閉会中審議に菅義偉は一度も出席していない。コロナが上手くいかなくて、それで頭がいっぱいで初動に遅れたのは誰もが知る事実だ。菅は外交オンチだしね。「てりぃやきば〜が〜」も基地外酔っ払いライダーも立憲民主党のことを悪し様に言う前に、まず足下を見ろと助言しておこう。
こうした事実と異なることを平然と述べる事を嘘をつくというのだよ。誰も知らないと思って平気で法螺を吹く。しつこく言うが、谷津干潟はラムサール条約に登録されていなくても埋め立てられることはなかった。・・・これが正解であり紛うことのない事実だ。嘘を平気でつき、その証拠を削除するその行為こそ、深く恥じるべきだろう。
しかし現実にはそんなバカが世の中を浸食し主権在民を変えようとしている。バカでも集まればそれなりの力はあるからね。そうしてネトウヨや自民盲信派バカが支援する自民党と、その裏にいる国粋主義政治団体である日本会議が狙っているのは、憲法を改正して主権を国民から奪い、『大日本帝国憲法』に近い改憲をすることだ。これは嘘ではない。その思想教育は、既に高校教育の場で始まっていると、私に噛みついてきたコロナに怯える、かの学習塾経営者は語っている。彼の者の数少ない事実だけを述べた記事にそう書いてあった。
話はまたあらぬ方向に飛んでしまったがお許し願いたい。
今度の選挙はあらゆる意味で日本の未来を問う選挙になりそうだ。私からすればこのまま民主主義国家を続けるか、国粋主義あるいは専制主義国家になることを願う復古主義を目指すのかの二択選挙だと思う。それはけして表に出て来ないが現実にはそうなのだ。
自民党内の右翼思想議員と日本会議メンバーと、日本維新の会の日本会議メンバーがこの復古主義で夢見ているのは『大日本帝国憲法』の復活だ。
つまり彼らこそ国民から主権を簒奪(正しくは『剥奪』)しようとしている張本人である。
今度の総選挙で、そんな自民党に票を入れようと考えているなら、一度立ち止まって自分や自分の子どもたちの将来を真剣に考えてからにした方が良い。戦前の自由のない全体主義社会にあなたは戻りたいのだろうか。
一度本気で考えてみて下さい。
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<お知らせ>
前記事のコメント欄の最後の方で、私に抗議というより因縁を付けて来たブロガーへの反論は今回は致しません。その理由の第一は、この記事の公開が最優先事項だったから。今回のこの記事が、既に今日の午前零時に公開されるように2週間も前に設定してあって、しかもこの記事自体が10,000字近い飽和状態になっていたからです。ご存じのように追記は10,000字迄です。その修正に10月5日の11:24PMまで掛かってしまいました。昨日から根を詰めて書いていたので疲れました。
まずはこの記事を完成させて、バカの相手はその後です。ですから次回までこのブロガーの違法行為の実体を公開する期日を延期します。まあ数日延びる程度ですが完璧を期すため現在鋭意努力中。
わたしは嘘をつく者と偽善者が一番嫌いです。異常。・・ぢゃなかった。・・・以上。