風の音と海浜大通りを走る車の走行音だけが聞こえていた。
東京の灯はさらに最右奥にあり、このスマホに装備されている広角・標準・望遠と、
三つあるレンズのうちの最も画角がある広角レンズ側で見ても、そこまではカバーできない。
目視ではスカイツリーのライトアップの青白い光が一際よく見えた。
このあと京葉線の海浜幕張駅まで、約30分掛けて歩き、更に電車に乗り帰途に就いた。
この日の海浜幕張駅までの歩数は17,807歩。
ちょうどいい運動になった。
検見川浜から駅に着いた時には、体はすっかり暖まっていた。
それはこころの内も同じだ。
駅前のペーブメント上に映し出された、回転するイルミネーションの前でふと立ち止まる。
その時、一瞬だけ過去一年の出来事が脳裏を駆け巡った。
なんだか天啓がいつのまにか降りてきたような気がした。
啓示的インスピレーションという感覚かもしれない。
時折というか、唐突に現れたスピリチュアルな体験だ。
意識として入り込んできたのは、心の内から湧き出る意識だった。
何の脈絡もなく感じたのは、
過去のすべてを赦してもいいという思いだ。
それと同時に、自分のすべてが赦されたと感じた。
天から贖罪と恩赦を一遍に与えられたような、
そんな相反する複雑でカオスな感慨を覚えた。
私は本当に、ほんとうに赦されたのだろうか。
天が私に与えしものは、本当は、ほんとうは罰なのでは。
こんな駅前の親子連れの多い雑踏の中で、ふと、孤独を感じた。
しかしそこには、一抹の不安も寂しさもなかった。
私はいまは孤独だが、しかし同時に、昨日も今日も明日も、見知らぬ誰かに愛されている。
知らず知らずのうちに愛され、慈しまれ、そして護られている。
そんな感覚に包まれた。
ふと目の前が霞み、それで私はいま、泪が目に溢れていることを識った。
無意識に右手を上に持ち上げ、そして目尻を押さえた。
・・・ひと筋の涙が頬を伝い、そして零れ落ちた。
しかしあれは、哀しみの泪ではなく、感情の横溢の泪でもなく、
たぶん過去との決別の泪だ。
あの日、その瞬間の私は、満ち足りていた。
それを意識した私は、古き仮面を捨て新しく生まれ変わった。
そして今は身も心も素顔だ。
たぶんこの頬には泪などではなく、笑みが浮かんでいたことだろう。
そうして私はおもむろに、その記念すべき第一歩を、駅前のペーブメントに刻んだ。
<2023/01/10 9:45追記>
このシリーズは私の心象風景を綴ったものですが、概ね事実に基づいて書かれています。
しかし今回記事の、海浜幕張駅前に着いた時の、
>駅前のペーブメント上に映し出された、回転するイルミネーションの前でふと立ち止まる。
という記述以降の文面には、多分に創作が交じっていることを改めてお断りしておきます。
ちなみに私は詩的(素敵?)人間ではありますが、センチメンタリストでは有馬温泉!
なにしろ『目には目を歯には歯を』の『ハンムラビU3』ですから(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v