<医師の云う事を聞かない男>
通常は手術後一週間で抜糸して、それまでに何も問題がなければ退院である。
しかしその日わたしは消灯時間が過ぎてから再びトイレに行こうとして、いつの間にか立ち上がれなくなっている自分に気づき愕然とした。立てないのでほんの2m先にある歩行器まで辿り着けないのだ。この病院は完全看護であり付き添いは出来ないので妻はとうに帰宅していた。
手術後すぐに立ってはいけないという看護師や医師の指示にはそれなりの根拠があったのだとその時はじめて知った次第である。神経根が通る部分の骨の穴を大きく削って穴の径をかなり大きくしたのだ。しかも長い間圧迫されていた神経は椎間板とも脊椎の骨ともすっかり癒着していた。その神経をメスで骨から剥がしながらしかも再び神経を圧迫しない様に骨を削りながら慎重に手術を行ったのである。しかし神経を傷つけない様に幾らていねいに手術を行ったとしても、神経を一切傷つけないとは云えないのだ。執刀医でさえそれは保証していないのだ。何の影響もない事など通常はあり得ない。
まあそれは翌朝の主治医の巡回でわたしから確認して分かったのだが、当初医師の云っていた翌日の夕方になれば歩く事も可能だ云ったのは通常の手術経過であればという括弧書きの条件付きだったのだ。
そんな事を知る由もないわたしは、トイレに行きたい時はナースコールをする様云われていたにも関わらずそれを無視してトイレに自力で行く事にした。しかし今はとても立てる状態になかった。やっとの思いで仰向けから腹ばいに体勢を変えて車椅子にずり落ちる様に乗り込む事に成功した。そして慎重に車輪を押してトイレに向かった。上体が腰砕けになり痛みが何度も背中を襲った。ナースステーションの前を通ってトイレに行くのだが果たして夜勤の看護師に捕まってしまった。そして優しく諭されたのだがわたしは素直に云う事を聞くタマではない。何事もないかの如く振る舞い自分の意志を押し通して一人で何回もトイレに行った。それはまるで荒行を行う修行僧の様であった。
そして翌朝になった。
まるっきり起きられなくなっていた。痛みで腰を捻る事も上体を起こす事もままならなかった。しかしナースコールする訳にはいかない。何故なら一週間後には退院しなければならないからだ。無理をしてこの様な状態になったと主治医に報告されれば下手をすれば正月を病院で迎えなければならない。それだけは嫌だった。
実は前年の暮れにも糖尿病で入院期間中に椎間板ヘルニアを併発して再入院しているのだ。これで二年連続の暮れの入院なのだ。前年は神経根ブロック注射が効いたという事で退院したのだがそれには秘密があった。実は一回目の神経根ブロックはあまり効かなかったのだ。それを強引なオリジナルのストレッチを編み出して自らそれを試して治してしまい退院したのだ。わたしにはその成功経験があった。だから今回もその手を使って治す腹づもりであった。その日から魔のストレッチ体操が始まった。
どういうストレッチだったかは以前のブログで公表しているが、とにかく医者の云う事とまったく逆の事をしたのだ。絶対安静と云われても陰で魔のストレッチ体操はしていたし、少しずつ運動を始めましょうと云われればいきなり過度の運動をするといった具合である。すべてよく考えた上でした事でありわたしなりに理に適っている遣り方だと今でも思っている。何しろ入院中に有り余っているのは「時間」である。その間ああでもないこうでもないといろいろ試してみて最善の方法をチョイスしただけなのである。逆療法もまた真なりというではないか。(皆様がもしその様な事になった場合はくれぐれも無茶をせず医師の指示に従って下さい。そうしないとただ悪化(最悪半身不随です)させるだけです)とにかく早く病院から出たかった。でもそのストレッチには強烈な痛みが伴う。
「ぎゃお~~~」
・・・てな具合にね(TOT)/^^^^^
ちなみにわたしはけして声を立てない。実際には歯を食い縛って苦痛に耐えたのでありました。だから「荒行」なんだけど。 <つづく>
特別永久保存版附録!
<U3珠玉の格言集>
『自分で蒔いた種は自分で刈り取るべし』
誰でもその意味は分かっているが殆どの者が出来ていないのがこの格言である。
直截的に申し上げるが自分でした事の尻拭いが自分で出来ない様では大人ではない。他人を頼って問題の解決を図るなとは云わないが最後は自分が矢面に立たないでどうするのか。 ましてや、人に迷惑を掛けた上にそれを自分の落ち度と認識せず、それを指摘した者を敵視して逆恨みするなど言語道断である。過去にわたしはそういう目に遭った事がある。その者は人を介してわたしの知己の懐柔を謀ろうと画策までしたのだ。わたしの不興を被ったのは謂わずもがなである。自分の為した事に背を向けて自分を正当化し、それを指摘した者を陥れようなどと考えるその考えは愚か者以外の何者でもない。
一昔前のCMのキャッチコピーが本当ならば反省が出来ない者は猿以下である。
今の日本人は外国の影響かマスメディアからの影響か本当に「謝罪」をしなくなったね。正しいかそうでないのか、はたまた自分に非があるか否か分からないうちに謝罪せよとは云わない。しかし自分に落ち度があるとの認識があるならばまずは相手に謝罪すべきであろう。当人には自分に落ち度があるか無いか分かっている筈である。一旦謝るタイミングを逃すと後は話がこじれるばかりである。そしてその事によって相手もまた同時にその者を許すタイミングを失うのである。後には不毛の言葉の遣り取りが残るばかりだ・・・。
日本人の美徳がどんどん失われている。鋭理庵さんの憂いではないが、漫画ばかり読み続けて皆白痴化してしまったのだろうか。自分には「知性」があるなどと思っている人間に限って本当にあるのは「痴性」だけだったりする。
『人の振り見て我が振り直せ』
これも今の日本人にはなかなか出来ない事だね。一番の問題は今の日本人はとても傲慢になってしまったという事だろう。云ってるわたしだって時々傲慢な自分に気づくくらいだから気づかないその他大勢の人々は謙虚さのけの字もないのではないかとさえ思ってしまう。その割には自分に自信がないところが見え隠れしたりする。つまり傲慢に見えるのは虚勢を張って弱い自分を隠そうとする心理が働いているのかも知れない。「人の振り見て我が振り直せ」も「他山の石」もほぼ同じ意味を成す言葉だが、他人の行動を己に投影して見て自分の行動を修正できない様では人としての進歩はないといえる。でも今の日本人の大半はそれが出来ないんだな。そういう人は心の中で多分こう思っているのかも知れない。
「わたしは絶対あの人の様にはならないわ」
「あ~馬鹿だねぇ。俺だったらあんなドジな事はしないね」
「本当に愚図でのろまだわね。見ていてイライラするわ」
その気持ち分かりますよ。でもね、あなただってわたしだって他の人からそう思われてるかも知れないんですよ。
だからもっと謙虚になりましょうね。増上慢で鼻持ちならない日本人の皆さん!
上の格言も下の格言もどちらも「反省」の念を持たなければ理解できない格言だね。だからいつも自分が正しいと主張したり、相手の非をなじり人を遣り込める事に喜びを感じる様な者には絶対に理解できないだろう。・・・頭では理解できてもね。
『考えるだけで行動が伴わなければ何も考えないのと同じだ』
読んで字の如し。実践それも率先垂範できない様では考えるだけ無駄というものだ。
『陰ながら応援していますなんて云わないで表立ってよ』
わたしは「陰ながら・・・」なんて云う人は信用が置けないので員数に数えません。
『「あなたを信用してます」とか「私はいつでもあなたの味方です」なんてコソッと言う奴は明らかな敵よりあなたにとって始末に負えない敵となり得る』
この様な事を人目を憚ってコソッとあなたに耳打ちする様な人間は信用しない方が良い。表だってそう表明でもするなら別だ。だがコソッと言う様な風見鶏ではとても信用が置ける人物ではない。そしてあなたの状況が悪くなれば必ず裏切る事になるだろう。それはあなたにとって致命的なダメージにさえなるかも知れない。だったら初めからこの様な者は信用しない事だ。
『言い訳する味方よりも言い訳しない敵の方が遙かに誠実である』
これ本当の事です。でもね今の世の中はね、どちらの側も言い訳する人ばかりなんだよ。
つまりいざとなったら信用できるのは自分だけというお寒い状況なんだなコレが。
『人間とは、善人にも悪人にもなり得る、またはそのどちらも同時に存在する中途半端な生き物である』
だからいつ破滅するか分からない運命を人間は背負っている。どんなに温和で心優しい人間にも(耳を傾けてはいけないと分かっていても)鬼や悪魔の囁きは聞こえてしまうものなのだ。人間の心はとても脆弱に出来ている。つまりこれほど不安定で信用の置けないものはない。
『「性善説」はあくまで理想であり「性悪説」こそ現実である』
悲しいかなそれが現実です。何故なら人は必要に迫られなければ「善」を行わないから。しかも大抵の者は自分の為に他に施しを行うという形で「善」を行うのである。それが「偽善」であるとは大抵の者が気づかない。まあ、「偽善も形の上では善」なのだから「悪」よりはマシだが・・・。
『聡明な者は人を侮辱したり脅したりはしないものだ』
「そんなの当たり前じゃないですか」なんて云っているようじゃお里が知れている。言葉の意味なんか大抵の者が理解できる。何故しないのか、もししたらどうなるか、それが分からなきゃ本当の理解にはならない。聡明な者は結果的にそれが自分の身の破滅に繋がる恐れがあるからけしてしないのだ。
『他人に勝つコツはけして相手を本気にさせない事である』
人間は追い詰められると実力以上の能力を発揮する。だから相手をトコトン追い詰めてはいけない。もし追い詰める必要があるのなら狭いながらも必ず逃げ道をひとつ用意しておく事だ。これを繰り返すうちに次第に相手は疲弊し、弱体化し、いずれその存在意義を失う。だから聡明な者は相手が本気になる様な事はけしてしないし云わないのだ。つまり相手を本気にさせる侮辱の言葉を投げ掛けたり脅したりはしないのである。これがひとつ上の『聡明な者は人を侮辱したり脅したりはしないものだ』という格言の本当の意味の理解である。でも挑発はするよ。相手が聡明でないと分かってる場合にはね。
『人を動かして結果を出すには追い詰める事だ』
ひとつ上の格言の逆説的真理である。iPodなどの人気アイテムを次々と世に送り出しているアップルコンピューター社のCEOスティーブ・ジョブスの製品開発の遣り方はまさにこの真理そのものだ。しかしこれは自分にも云える(当て嵌まる)のだ。自分を追い込まない人間には誰一人として本気でついて来てはくれないものだ。「部下」を持つ諸君!肝に銘ずべし。
『攻撃は最大の防御ではなく弱点なき防御こそ最大の防御である』
最大の防御はけして負けない様に万全を尽くす事だ。言葉を換えて云うならば隙を一切作らない事だ。何故ならそれによって防御は幾らでも継続して出来るが、相手の攻撃は長くは続かず必ず息が切れるからである。相手の息が切れた時に必ず勝機は生まれる。何故なら息が切れれば必ず相手に隙が出来るからである。その勝機を逃さず一挙にそこを短時間かつ集中的に突けば相手の防御は必ず崩れる。攻撃は一番弱いところを突くのが鉄則であり、息が切れた時にそこを突かれたら相手は為す術(すべ)がない。かつてオリンピックで日本がブラジルに勝った試合の様に辛抱強く自陣を守り相手の虚を突いて勝利を収めるのが賢い遣り方というものである。
『あなたの為を思って・・・なんて言葉を信用しちゃいけないね』
こういう事をスラスラと言える人間を信用しては駄目です。特に「ここだけの話だけど・・・」とか「黙っていようと思ったんだけれど・・・」なんて前置きが付くと余計に怪しい。そんな事を言う者は大抵あなたの為ではなく本当は自分の為にそんな事を告白するのだ。つまりその告白はその者の「本音」ではなく殆どの場合「嘘」で、あなたを利用しようとしているか、自分の為にあなたを味方につけようという魂胆なのだ。
でもね、大抵の人はそんな事を言われると「この人はわたしを信用してくれているからこんな事を言ってくれたんだ」などとついつい信用しちゃうんですよね。わたしにすれば「あんたってお人好しだね~」で終わりです。
「人」という字と「為」という字をくっつけると「偽」になっちゃうんだよ。つまり「人」の「為」なんて真っ赤な嘘!甘い言葉は「偽り」だらけで信用は置けないのさ。そんな言葉を囁きかけた者にあなたは多分利用されるだけ利用されてその価値が無くなったらそこで多分ポイと捨てられる。おかわいそうに。
ここでお人好しさんにひとつだけ嘘を付く人と本当の事を云う人の見分け方を伝えておこう。つまり、真にあなたにとって良いのはどちらかという事だ。
では噓つきと本物の見分け方について述べて置こう。あなたの為を思って!(爆)
悪い奴らほど口が旨く耳障りの良い甘い言葉を口にする。あなたにも経験があるだろうが、人を好きになりその人を自分のものにしようと思ったり振り向いて欲しいと思ったら甘い言葉を囁き、何の裏付けもない「あなたをきっと幸せにして見せます」なぁんて約束まで平気でするのだ。それとまったく同じなのだ。つまり隠された思惑があり、その人に取り入ろうという魂胆があればあるほど人というものは耳障りの良い嘘を平気で付くのだ。そしてそれはあなたを懐柔する手段なのだから為を思って言っている訳ではない。自分の欲望をかなえる為にしているのだ。
一方の本音で話す者は口下手で時に言葉は直截で辛辣である。つまり聞いた相手に良い印象は与えない。もっとも本音で話す者はあなたに気に入られようとして話しているのでは無いのだからそんな事は気にしない。第一に本当の事を話す者は自分から相手に取り入ろうなどとは思わないのだからあなたに問い掛けられるまで何も話さないだろう。
ここでお人好しの皆さんに伝えておこう。本当に自分の為になる事は座して待っていてもやっては来ない。良い事は自分で探さなければ見つからないのだ。そしてそれは一目見ただけではあなたにとって困難を伴う苦痛以外のなにものでもない様に見受けられるかも知れない。しかし正しい事をする、良い事を行うというのは苦痛を伴うものなのだ。だからこそ成就した後の喜びも大きいのである。
一方のあなたにとって悪い事、つまり災いは始めは甘いオブラートに包まれてあなたに届けられる。自尊心をくすぐらされたり、親切にほだされたりと実に甘美で心地よい。始めのうちはね・・・。しかしそれも時間の経過とともに色褪せあなた自身を蝕んでゆく。そしてやがてドロドロした人間関係の渦に巻き込まれ雁字搦めで身動きが取れなくなるのだ。つまり甘い言葉は「毒薬」だったのだ。しかし大抵の場合お人好しさんが事前にその毒に気づく事はなく気づいた時にはもう手遅れだ!
『良薬は口に苦し』
という訳で、相も変わらずわたしの格言は辛口である。不快に思われる方も居られるだろう。しかし人は自分の痛いところを突かれると不快になるものだ。あれっ、また駄目押ししちゃったよ。だからわたしは「穏健派」や「そっとして置いて派」に嫌われるんだろうね。あはは!
わたしが嘘を付いているのか本当の事を云っているのかを判断するのは皆さんです。解釈は自己責任でしてね(^ O ^)┘
以上で<U3珠玉の格言集>はおしまいです。
いやぁ、この手の格言は幾らでも出てくるね。殆ど無尽蔵(笑)
本当に肝心な事はひとつも述べていないけれどね。それでもいい加減に書いている訳ではないよ。それから、ここに書いた言葉(格言)は確かに諺として昔から伝承されているものもあるけれど、内容そのものはけして他からの受け売りではない。全部U3の実体験から来ている本物の言葉です。つまり経験した上で実感した「真実」と思われるものしか書いていません。
続編はいつか気が向いたら書こうと思う・・・。
あなたの為に・・・あはは!
「ところで素朴な疑問なんですがU3にひとつ聞いていいですか?」
「なに?」
「ハチャメチャ路線にいつ戻るの?」
「神仏のみぞ知る」(^o^)//^^^^^
ではでは皆様また会う日までまでごきげんよう。