今回は短い(笑) 呼吸を止めて一気読みして下さい!(爆)
<人間関係は幾つになっても難しい> 副題:慎ましやかな「引用例」として
要領よく立ち廻れたらどんなに良いだろう 何度そう思った事か
しかしその度に思う 自分を欺いてまで生きたくはないと・・・
今回は短い(笑) 呼吸を止めて一気読みして下さい!(爆)
<人間関係は幾つになっても難しい> 副題:慎ましやかな「引用例」として
要領よく立ち廻れたらどんなに良いだろう 何度そう思った事か
しかしその度に思う 自分を欺いてまで生きたくはないと・・・
漱石の「こころ」には有名な一節がある。
『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい』
ほんとうにその通りだと思う。生きていくとは斯くの如くなり。
人間関係がひとたびうまくいかなくなると元の関係に戻すのはむずかしい。そこに利害関係が絡むと混乱は更に増すことになる。そして大概はこじれにこじれ最後は修復する事は最早不可能という状態に陥るものだ。いがみ合った者同士がお互いをなじり合う様は直接であろうが間接であろうがはたから見ていても気分のよいものではない。そんな場面に遭遇すると「人を信じる」、「お互いを信じ合う」という事が如何に難しいかを思い知らされる。詰まらない事ですぐぎくしゃくしてしまう現代人の人間関係の希薄さを思う時、果たしてこれで良いのかと考えざるを得ない。
聖徳太子が十七条の憲法の第一番に置いたのは「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。・・・」だが、そう説いたのは逆説的に云えば「和(やわらぎ)」がおいそれとは保てないからこそ、争いごとが絶えないからこそ「和」が「貴い」のだと説いたのではあるまいか。人が和し、争いごとを避けるのはさほどに難しいことであると謂えるだろう。身に滲みてそう思う今日この頃である。
久し振りに人間関係のトラブルに巻き込まれました。わたしはその当事者そのものだったのだけれど、ご存じの様に信条として「云い訳をしない」事が仇となって一人悪者にされてしまった。
「云い訳をしないのも時と場合によりけりだ」とわたしの営業担当者はぼやいていたけれど、世渡りが下手なわたしはそれ以上にストレスが溜まっていた。
「物言わぬは腹膨(ふく)るるわざなり」(出典:大鏡、徒然草)そんな言葉が頭の中を過(よ)ぎった。
しかし、相手が感情的になっている最中に同じ様に感情を露わにしては何も良い事はない。そう思い云いたい事を我慢したのだ。相手が冷静さを取り戻し普段の自分に立ち返った時にこの事をどう思うかは大袈裟に言えばその人間性による。そんな事を考えた。
トラブルが発生した翌週その企業の本社から人が来て全員にヒヤリングを行った。わたしは最後に呼ばれ「何か言いたい事はありますか」と聞かれた。わたしはこう答えた。「トラブルが生じて片方だけが悪いなどという事はないと思っています。ですからわたしにも当然言い分はあります。しかし相手の非を論(あげつら)っても何も良い事はないと思います。話せばああ云ったこう云ったという話になり、たとえそれが事実であったとしても結果的に相手を非難してしまう事になります。わたしが云わなくても皆から話を聞いておられるのですから真実はともかくその全体像は概ねお分かりであろうと思います。ですからわたしにも言い分はありますが敢えてそれを云うのは差し控えます。ただ、わたしは最大限の努力をした事だけはお伝えして置きます。それでも及ばなかったというのならばそれはわたしの力不足かも知れません。不本意ですが。云いたい事はそれだけです。わたしの処遇はお任せ致します」と伝え話を終えました。
「事実」は往々にして客観ではなく主観によって決まるという「事実」と「現実」をわたしは知っている。
そして結果もその通りであった。
翌週半ばになってわたしは仕事から外される事になった。腹も立たなかった。
わたしとトラブルになった相手は一人だけだがそれを擁護したのはそのセクションの長だった。だから中立を保つ者以外は皆それに同調した。トラブルにまで発展するとその長は相手の肩を持って感情的な言葉をわたしにぶつけたのだった。当人は否定しているがそれは明らかなパワハラだった。わたしは感情的になった者と話はしない。ましてや立場を利して相手をなじる様な者とは話をしても詮ない事と思っている。だから反論さえしなかった。
そんな彼はわたしが仕事から外される事を更に翌週になって本社から知らされたらしい。わたしは朝一番に呼ばれ二人だけで話す事になった。相手の言葉はまず謝罪であった。そして言い訳を始めた。わたしは「これはもう終わった事です。謝罪などなさらないで下さい」と言葉を遮る様に伝えたのだがその後も謝罪はくどくどと止まらなかった。最後まで感情を表に出すまいと思っていたわたしだったがその姿を見て些か腹立たしくなった。そこでわたしはこう相手に伝えた。
「正直に申しますが今わたしは腹を立てています。あなたには自分の判断は正しかった。お前は間違っていると最後まで言い通して欲しかった。今頃になって謝罪をするくらいならばはじめからあの様な感情的な言葉を口にしたり、こんな結果になる報告を会社にすべきではなかったと思いませんか?もう後の祭りです。あなたが謝罪してももう元には戻りません。御社の本社サイドですでにわたしがこの仕事から離れる事は決定しています。もう蒸し返したり謝罪しても何もならないのです。だったら最後まで自分の意志は貫くべきだとは思いませんか?そうでなければ退(しりぞ)くわたしは浮かばれない」
相手は黙ってわたしの目を見詰めた。
所詮使われる身であれば雇い主に逆らう事は出来ない。
しかし物事の是非だけは明らかにして置かなければならない。
そう思ったわたしでした。
その週の最後の日、すべての仕事を終え門を出たわたしは今日まで過ごした仕事場を振り返った。春も近いというのに、低く垂れ籠めた鈍色の空からちらほらと小雪が舞った。仕事場から視線を移して、わたしはひとり駅に繋がる道をゆっくりと歩き始めた。坂の途中にある街灯の明かりの下で重い鞄を担ぎ直した。肌寒い宵の街に溶け入る様にわたしは静かにその場を離れた。
心の中で誰かが叫んだ。
「まっすぐ前を見て歩け。お前は負けた訳じゃない」
冒頭、『こころ』の一節が心に滲みた。
Written by U3
ん~余韻の残る実に良い「引用」の例だね。トレビア~ン!(笑)
「おい、ところで再就職できたのか?」