『幾つになっても謙虚でありたいものだ』
わたしの文体は総じて「・・・だ」とか「・・・である」とか断定的な書き方をするものだから反感を持たれたり、さも尊大な態度の持ち主ではないかと誤解などされたりするのだけれど、実は意外と謙虚で素直です(^ ◯ ^)
だから拗ねた人や意地っ張りといった素直じゃない人は好きじゃありません。あと自分の非を認めない人とかプライドが高い人も好きじゃありません。もちろん自分を飾った人もね。心根が謙虚で素直だとこういう人達の考えが実によく見える。人を見る目は曇ってちゃぁいけないんですね。いくら知識があって社会的地位が高くたって謙虚で尚かつ素直でなけりゃぁ本当の意味で人さまに信用しちゃ貰えないもんです。
何事も程々が良いんですよ。ほどほどが。これを「中庸」って云うんですが、異なった考えの真ん中を採るなんて安易な考えじゃありません。中庸を得るには「こだわりを無くす」という事が必要なんですね。これがいざ遣ってみると実に難しい。わたしにも出来ない。あんた出来る?(=^_^=)(=^_^=)
「中庸」自体は儒教の教えですが、この「こだわり」を無くすという考えは「仏教」にも相通じるものがありますね。人間はどうしても欲得が出てしまう。そういう自己の欲を押さえないと中庸は得られないんだなぁ。そしてこだわりを無くすというのは無欲になるのとおんなじ、つまりイコールだとわたしは思いますね。という訳で・・・
『あなた無欲になれますか?』・・・なかなかなれないよね(笑)
痛快!
久々に爽やかな読後感を味わった。
昨年春、発売されてすぐに村上春樹の「1Q84」を読んで期待を裏切られた。ファンタジーとも恋愛小説ともつかない内容、そして釈然としないエンディング。どれひとつとして満足のいく内容ではなかった。それでも2009年のベストセラーとなり村上氏は続編の執筆に取り掛かっているという。そんな「1Q84」だが今となってはストーリーさえ断片的にしか覚えていない。わたしにとってその程度の評価しかない「話題の書」であった。(「ノルウェイの森」は良かったのになぁ)
そんな中でわたしが手に取り上げた一冊(正確には上下巻二冊)は久々の時代小説であった。
「死ぬ事と見つけたり」(隆 慶一郎著1988年没)は氏の急逝によって未完となった伝奇小説である。伝奇小説ではあるが佐賀鍋島藩の聞書きとして代々伝えられて来た『葉隠』に沿って書かれたものであるだけに、実際にこんな事があったのではないかと思わせるだけの迫力が感じられた。勿論作者隆慶一郎の筆力なしにこの小説は成り立たなかっただろうが、それにもまして氏の『葉隠』への真の理解と人間を洞察する力量なしにここまで描き切る事は能わなかったであろう。完成度が極めて高いだけに未完で終わった事が残念でならない。
氏(隆 慶一郎)は明らかに「葉隠入門」を著した三島由紀夫よりも『葉隠』そのもの知っていた。三島は己の率いる民兵組織「楯の会」とともに籠城した陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地総監室における自決によって、図らずしも『葉隠』の真髄に到達していない事を露呈してしまったと云えよう。一方の隆慶一郎は『葉隠』の新しい読み方、つまり『葉隠』を理解する方法というよりも、『葉隠』そのものを楽しく読む事を教えてくれた初めての人であった。冒頭の言葉は「死ぬ事と見つけたり」の読後感を表したわたしの感嘆の言葉である。
ところで(ついでで申し訳ないが)わたしがここで隆慶一郎に劣るとした三島由紀夫とわたしとはどういう訳か縁がある様で人生の節目節目で三島もしくはその著作と出会う事になっている様だ。殊に三島が自決した日ほどわたしにって印象深い日はなかったであろう。そう、いろいろな意味で・・・。
当時わたしは中学二年生であったが翌日になって社会科の先生にこの事で「右翼・左翼とは果たしてどの様なものか」と質問し、その日の社会科の授業はその事に費やされ授業としてはまったく成立しなかった。しかし教師の話はわたしにとって新鮮で心底面白かったのであっという間に一時限が過ぎてしまった事を覚えている。そして他の大半の生徒は普段は詰まらない歴史の授業がつぶれた事を素直に喜んでいた。中にはそれに味を占めてまた授業を潰してくれと言って来たクラスメートさえ居たほどだ。その後わたしは二度ほどその要望に応えてあげたし、それはクラスの過半の支持を得たのだが、わたしは授業を潰すのを目的として要望に応えた訳ではない。社会のあらゆる事象について心底知りたいという思う欲求にこの教師が必ず応えてくれる事を知ったからであった。
わたしはその教師の授業が心底好きだったし、教師もそれまではただテストの成績が良いだけの一生徒という見方が変わって、以来わたしをすっかり気に入ってしまった様だ。その所為か中学の三年間の社会科の成績は一度も5段階評価で「5」以外を取った事はなかった。「政治・経済」が嫌いで、一応テストで90点以上は確実に取ってはいたが、中学三年生になると授業にも勉強にも興味を失いけして授業態度も良いとはいえない生徒に成り果てていたが、それにも係わらず期末に貰う成績表はいつも「5」であった。わたしの成績表が良かったのは今でもこの社会科教師の温情であったと思っている。この教師はわたしにとっての「師」と呼べる人であった事は後年成人して暫くしてから分かった事だ。だがこの師と卒業後再会する事は一度もなかったし、たぶん今では鬼籍に入っていると思われる。もし存命であればおそらく齢九十近くになっていらっしゃるであろう。
なお、「伝奇小説って何?」などとわたしに聞く人はたぶんこの小説を読んで面白みを感じる事はないだろうから読もうとなどとは思わない方がいい。この小説を心底理解して楽しめるのは時代劇が大好きな人間だけである。本は楽しむ為にあるのである。そこから何かを学び取ろうなどとは思わない方が良い。そうでないとこの本は誤った読み方をしてしまう恐れがないでもない。あたかも三島の様に。
三島は自決の三年前に「葉隠入門」を著したが、自決以降文学評論家等はもう一つの著書「憂国」とともに三島の精神的土壌を語る上で欠くべからざる書と捉えている様だが、三島が『葉隠』精神を真に理解していたかは疑問である。それは彼の思想が次第に右傾化していって遂にはその身を自ら破滅させてしまった事で証明されてしまった。何の事はない戦前の帝国陸軍が情報操作して日本兵に植え付けた誤った「武士道」を地でいったかたちである。わたしにはその狂気が今もって分からない。わたしは狂気と呼んだがご存じの方はあの事件をいったいどう捉えているのだろうか。
そうは云っても三島がわたしの好きな作家である事には今以て変わりはない。三島はわたしの今までの人生の節目節目に必ず現れ何らかの啓示を与えてくれた数少ない作家であった。そしてこれからもそうであろうとわたしは確信している。
<おしまい>
この記事は2009.09.10に一旦書いたものを故あって削除した後、今年になってノートに残されていたメモをもとに思い出し思い出ししながら再度記事として構成したものです。多分原文にかなり近いものだと思います。
<おまけ>
そういえば鶴岡八幡宮の大銀杏倒れちゃったよね。大銀杏の真ん前に鎮座しておりましたわたしの大好きな狛犬ちゃんは大丈夫だったのでしょうか。一番下の写真に「大銀杏」の札が見えますよね。