『幾つになっても謙虚でありたいものだ』

 わたしの文体は総じて「・・・だ」とか「・・・である」とか断定的な書き方をするものだから反感を持たれたり、さも尊大な態度の持ち主ではないかと誤解などされたりするのだけれど、実は意外と謙虚で素直です(^ ◯ ^)

 だから拗ねた人や意地っ張りといった素直じゃない人は好きじゃありません。あと自分の非を認めない人とかプライドが高い人も好きじゃありません。もちろん自分を飾った人もね。心根が謙虚で素直だとこういう人達の考えが実によく見える。人を見る目は曇ってちゃぁいけないんですね。いくら知識があって社会的地位が高くたって謙虚で尚かつ素直でなけりゃぁ本当の意味で人さまに信用しちゃ貰えないもんです。

 何事も程々が良いんですよ。ほどほどが。これを「中庸」って云うんですが、異なった考えの真ん中を採るなんて安易な考えじゃありません。中庸を得るには「こだわりを無くす」という事が必要なんですね。これがいざ遣ってみると実に難しい。わたしにも出来ない。あんた出来る?(=^_^=)(=^_^=)
 「中庸」自体は儒教の教えですが、この「こだわり」を無くすという考えは「仏教」にも相通じるものがありますね。人間はどうしても欲得が出てしまう。そういう自己の欲を押さえないと中庸は得られないんだなぁ。そしてこだわりを無くすというのは無欲になるのとおんなじ、つまりイコールだとわたしは思いますね。という訳で・・・

 『あなた無欲になれますか?』・・・なかなかなれないよね(笑)