主語ばかりで述語のない夫婦の会話の先にあるもの
今病院に来ている。 診察を待っていると隣の診療科で男性を呼ぶ声が聞こえわたしの横に座っていた老齢の男性が立ち上がった。男性は杖をついていて診察室のドアを開きながら怒鳴る様に「カバン!」と一言大きな声を出した。すると近くの席に座っていた配偶者とおぼしき女性が立ち上がり、男性が突き出した右腕にぶら下がっていたカバンを無言で受け取った。
典型的な亭主関白を見た思いがした。
因みにわたしは亭主淡白である。
主語ばかりで述語のない夫婦の会話の先にあるもの
今病院に来ている。 診察を待っていると隣の診療科で男性を呼ぶ声が聞こえわたしの横に座っていた老齢の男性が立ち上がった。男性は杖をついていて診察室のドアを開きながら怒鳴る様に「カバン!」と一言大きな声を出した。すると近くの席に座っていた配偶者とおぼしき女性が立ち上がり、男性が突き出した右腕にぶら下がっていたカバンを無言で受け取った。
典型的な亭主関白を見た思いがした。
因みにわたしは亭主淡白である。
<今そこにある危機>(上)
安倍政権は危うい。
そう思っている人は多いと思う。世論調査の内閣支持率は五割を上回っているがそれがこの政権が信用出来る証しとはなっていない。
何故なら世論調査が日本国民の意思を正確に反映している保障はどこにもないし、日本国民が正確な情報を政府から与えられた上での結果だとはとても思えないからだ。むしろ無知によるものに近いのではないかと思えるのが、集団的自衛権に関する世論調査で過半に迫る「どちらともいえない」という回答結果だろう。それが耳慣れない集団的自衛権の行使の結果何が起きるのかという説明不足と真実を語っていないことに起因しているのは明らかだ。
安倍首相は言う。集団的自衛権は「限定的」だと・・・。しかしその説明と約束は歴史を顧みれば反故にされるのは確実だといえよう。世界的に見ても過去集団的自衛権が自国近辺に地域を限定して行使された例はない。
戦争は強力な同盟国の動向に左右されるのは常識である。アメリカが三度の湾岸戦争(可能性は無ではない)を起こしたり、ウクライナ紛争に軍事介入しない保証はどこにもない。そして第二次世界戦後の局所的戦争や紛争に武力を用いたのはすべてこの集団的自衛権に基づくものであることを忘れてはならない。過去二度の世界大戦前はどの国も戦争はありえないという見解だったが、それが現実に起こりそして限定的どころか世界大戦にまで発展したのだ。
その様な過去から導き出されるものは、たとえ今の米国及びEU諸国とロシアが軍事介入はしないと発表していても「ありえないことはありえない」という結論である。このことを日本国民は忘れてはならない。
そして日本人が忘れてはならないことがもうひとつある。
それは日本人はかつても今も好戦的な民族であり飼い慣らされてはいてもあくまでも狼であり犬ではないという事だろう。それを誇りに思う人もいれば眉を顰(ひそ)める人もいる。しかしどちら側に自分のスタンスを置くかは別にしても、また、その自覚はなくともまぎれもなく日本民族は好戦的な民族なのだ。国力をはるかに上回る無謀な大東亜戦争に突き進んでいったのはこの見境のない好戦的な民族気質故(ゆえ)であろう。争いとなると理性を保てないのが日本人なのだ。そのことをけしてけして忘れてはならない。
集団的自衛権についていえば憲法解釈を変えることによって閣議決定によって決めてしまうのは危険極まりないことを日本国民は自覚すべきである。東南アジアを含む近隣諸国に不安を与える事があってはならない。いま外交の舵取りを過つことは日本の将来に暗雲が立ち込める事を意味する。現時点で日本に好意的な東南アジア諸国を敵に廻すことがあってはならない。
個別的自衛権と集団的自衛権を論ずるならば国際法がどうであろうが、国連憲章にどう自衛権を規定していようが日本に本当に必要な自衛権は個別的自衛権のみであろう。
集団的自衛権は米国の都合に合わせて浮上した自衛権である。外交紛争の解決の手段としての戦争放棄を何故憲法九条で謳ってるのかは明らかだ。米国もその他の戦勝国も好戦的な日本人に戦争をさせないためにこの条文を盛り込むことを望んだのだ。その為に日米安保条約が締結されたのでありその5条に米国が日本が外国から攻撃された際に日本に代行して武力を行使することを盛り込んだのだ。そしてその本質は今も変わりがない。
変わったのは米国の都合だけだ。つまり今安倍政権がやろうとしている憲法解釈の変更のみで本質を変えようとしているのと同じことを米国は過去に何度も求めて来たし今回もまた日本に求めているのが集団的自衛権なのである。様々な理由により世界の警察を自認できなくなった米国が、自国の武力行使の一翼を日本に担わせようとして持ち出したのが集団的自衛権の真実だ。けして日本人の為に集団的自衛権を持ち出したのではない。
その事によって日本はまた世界に惨禍をもたらす国になる恐れがあるのだ。湾岸戦争の根拠はイラクが大量破壊兵器を所持しているというものであったが実際にはそれはなかった。それにもかかわらずイラクでは米国を中心に多国籍軍を組織し集団的自衛権を行使した。その結果はイラクの国益に適うものではなく混乱と暴力とテロが蔓延しただけだった。何故日本政府は世界に警戒されたり憎まれるような愚かな選択をしようとしているのだろうか。中東でもロシア周辺でも米国は嫌われ者である。もし集団的自衛権を理由に米国に加担すれば今度は間違いなく日本もテロの対象になるのだ。日本人は本当にこの様なことを望んでいるのか?
「今そこにある危機」、その事を我々一人ひとりが自覚認識する必要があるのではなかろうか。
もうひとつ述べておきたいことがある。それは今の安倍政権は米国が望む以上に好戦的な右傾化した内閣に変貌しているということだろう。
米国は日本における集団的自衛権は何としても確立させたいが右翼勢力の台頭はまったく望んでいない。むしろ忌避したいのは明らかだ。しかし事態は米国の望む通りには進まない。安倍政権の背景にある自民党はかつての自民党ではない。名前は同じでも皆が知る過去の自民党とは中身がまったく違う政党だということを日本国民は理解する必要がある。
そして、民主党政権の目を覆わんばかりの失政失策がもたらしたその反動の結果が今の自民党の横暴を許していることも記して置きたい。日本国民過半の意思によって戦後初めて且つ最後の民主化に失敗したその反動はあまりにも大きい。いまや頼るべき政党はどこにも存在しない。民主党政権の実現を望んだ時もそうだったが、何処何処の政党よりはマシ、つまり消去法で政党を選んだ結果が今の事態を招いているのだ。この事に日本国民が早く気づかなければ日本の将来は本当に危ういのである。
わたしのこの様な考えは間違っているのだろうか。
<つづく>