どう考えても自分が正しい。そう思うことは自由だ。
- 真理の探究
ただ、その正しいと思うことが他人の眼にどう映るのかという点と、普遍的価値観や倫理観や道理に照らして、時に関係法令から見ても、本当に間違いのないことなのかどうかまで考える必要はあるだろう。
そうでなければ今の時代はいつ自分の足許を掬われるか分からない時代に突入している。そしてそのことを知らないと後で取り返しのつかないことになりかねない。
何しろ基本的に「今の世の中は悪意で出来ている」のだから。
たぶん友人に自分が不快に思っていることを話して見ても、
「あなたの言っていることは正しいわ。あなたが怒るのも無理はない」とか、
「かわいそう、そんな目に遭ったの。その人ひどい人ね」
と、いうような答えが返って来るのがオチだろう。
たぶん友人に自分が不快に思っていることを話して見ても、
「あなたの言っていることは正しいわ。あなたが怒るのも無理はない」とか、
「かわいそう、そんな目に遭ったの。その人ひどい人ね」
と、いうような答えが返って来るのがオチだろう。
それでも自分の正当性を確認したいのならばすればいい。だが世の中は善意や好意だけで出来ているのではない。その大半は無関心と無理解と悪意で出来ているのだということは理解しておく必要がある。
現実にブログにそんなことを書いてみれば良い。たぶんお仲間は必ずあなたに味方してくれるだろう。そしてそれを見てあなたは安心する。
「やはりわたしの考えは正しかったんだわ」
現実にブログにそんなことを書いてみれば良い。たぶんお仲間は必ずあなたに味方してくれるだろう。そしてそれを見てあなたは安心する。
「やはりわたしの考えは正しかったんだわ」
だがそれは幻想であることが直ぐに分かるだろう。
あなたの主張や書いたものの中に、あなたの知らない齟齬や弱点があれば、あなたを支持したり共感するコメントのすぐ後に、たちまち得体の知れない連中の夥しい悪意に包まれるのは必定だからだ。
あなたの主張や書いたものの中に、あなたの知らない齟齬や弱点があれば、あなたを支持したり共感するコメントのすぐ後に、たちまち得体の知れない連中の夥しい悪意に包まれるのは必定だからだ。
この様な連中はいわばコンピュータープログラムなどの脆弱性を突いて攻撃して来るコンピューターウィルスのようなものだ。つまりあなたの書いた記事やコメントの一番弱いところを狙って攻撃して来る訳だ。
そしてブログは炎上し、SNSであなたへの誹謗中傷や流言飛語が飛び交うことになる。
今は何かを批判するのが容易になった反面、その反論もまた容易になっていることを忘れてはならない。
ところで、ネットでトラブルになった場合、相手もしくは得体の知れない誰かが、あなたの「正論」に「正論」で答えるとは限らないことを知っておく必要がある。というよりほぼ間違いなく正論で返すのではなく、感情的な非難や根も葉もない虚報をネット上にばら蒔くというような誹謗中傷という形で返って来るだろう。
一旦そうなったら事態は急展開しあなたは事態をまったくコントロールできなくなる。
ところで、ネットでトラブルになった場合、相手もしくは得体の知れない誰かが、あなたの「正論」に「正論」で答えるとは限らないことを知っておく必要がある。というよりほぼ間違いなく正論で返すのではなく、感情的な非難や根も葉もない虚報をネット上にばら蒔くというような誹謗中傷という形で返って来るだろう。
一旦そうなったら事態は急展開しあなたは事態をまったくコントロールできなくなる。
ソネブロから去って行った人の中には、自己の書いた何気ない記事が原因で「炎上」してしまった例はかなりの数に上る。
極端な話、自身のスナップ写真をたった一度載せただけで生意気だとか、自分の容姿を自慢したいのかとか、鼻持ちならない顔をしているとか、ある事ない事、それこそありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられる。97パーセントの嘘に誰でも知っている3パーセントの真実が混じっているだけで、読んでいる者には書かれていることの全てが真実だと捉えられてしまう現実がそこには在る。そして誰が味方で誰がそうでないのか何ひとつ分からなくなる。
それはそうだろう。先ほどまで自分を擁護してくれていたブロ友が、一方では「GUEST」でログインしてあなたへの攻撃の急先鋒になっていた例だって過去にはあるのだ。
そうしてソネブロから去って行った人を幾人も知っている。去って行った人の心の中を去来するものは、たぶん「人間不信」だけだろう。そしてその痛手から立ち直るのは容易ではない。
極端な話、自身のスナップ写真をたった一度載せただけで生意気だとか、自分の容姿を自慢したいのかとか、鼻持ちならない顔をしているとか、ある事ない事、それこそありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられる。97パーセントの嘘に誰でも知っている3パーセントの真実が混じっているだけで、読んでいる者には書かれていることの全てが真実だと捉えられてしまう現実がそこには在る。そして誰が味方で誰がそうでないのか何ひとつ分からなくなる。
それはそうだろう。先ほどまで自分を擁護してくれていたブロ友が、一方では「GUEST」でログインしてあなたへの攻撃の急先鋒になっていた例だって過去にはあるのだ。
そうしてソネブロから去って行った人を幾人も知っている。去って行った人の心の中を去来するものは、たぶん「人間不信」だけだろう。そしてその痛手から立ち直るのは容易ではない。
「あの人があんなひとだったなんて」
今やブログに限らず世の中の全てで、善人や正直者は『マイノリティー』なのである。
<つづく>
明日、4月27日 6:00AM 更新