ネット社会の現状を見るに付け、自分が正しいと思えば間違っていると思われる相手を安易に批判したり糾弾しても良いのか、という疑問が湧いて来る。
- 真理の探究
思うに、PCやスマホなどでコミュニケーションツールを使って情報の遣り取りをする場合、今や圧倒的に足りないのは「慎重さ」である。機器のお手軽さが警戒心を低くしている。そしてそのことを、愉快犯やネットストーカーやネット犯罪を企むような悪い奴らはけして見逃さない。だとしたら今あなたに必要なのは、ネットを通して仲間と楽しむ一方で、「好事魔多し」常に警戒心を解かないことだ。くれぐれも慎重な態度を崩してはならない。
あなたがソネブロで何かのトラブルに遭ったとする。そしてそのことをブログに書こうと思い立つ。その時のあなたはどの様な気持ちでそれを公表しようと思ったのだろうか。たぶん自分の憤懣やるかたない気持ちを誰かに理解して貰いたくて書いたのではなかろうか。同情とまではいかなくても同意もしくは賛意を期待する心がそこには必ず在るはずだ。そうでなければブログにそのようなプライベートな問題を書こうなどとは思わないだろう。
だがよく考えて欲しい。あなたのブログにはいつものブロ友やご常連さんだけが来る訳ではない。あなたは自分の管理ページが、nice!やコメントの数に比べて「閲覧数」がその何倍、場合によっては何十倍もあることを知っている。その無言の「サイレント閲覧者」が、いつまでも沈黙を守るとあなたはお考えだろうか。そう、いまあなたの脳裏に浮かんだ疑念の様に、いつまでもおとなしくしている訳ではけしてないのだ。
水疱瘡ウィルスが普段は神経根に潜伏しておとなしくしているのに、体調を崩したり身体が弱ったときに突然活性化し、身体のあちらこちらに痛みと痒みを伴って現れるのと、あなたへの攻撃者はまったく同じなのだ。そんな得体の知れない閲覧者の中から突然牙を剝き猛威を振るう輩が現れないという保証は今や何処にもない。
なのにあなたはブロ友の賛意を得たくてそのことを公表する。
それが命取りになるとも知らずに。
思うにあなたの友人(ブロ友やご常連を含む)とは自分と同じ様な考えや感性を持つ人が過半ではないだろうか。自分とまったく異なる考えを持つ友人を持つ人は殆どいないように思える。そうであるならば友の反応も推して知るべしではないだろうか。
それが命取りになるとも知らずに。
思うにあなたの友人(ブロ友やご常連を含む)とは自分と同じ様な考えや感性を持つ人が過半ではないだろうか。自分とまったく異なる考えを持つ友人を持つ人は殆どいないように思える。そうであるならば友の反応も推して知るべしではないだろうか。
だとしたら敢えてブログに公表して得たその答えは、「自己満足」や「慰め」としての意味しか持たないのではなかろうか。
そんなものを得るためにあなたは敢えてリスクを冒すのですか。
<つづく>
明日、4月28日 6:00AM 更新