就学前児童の、親による虐待死が問題になっている。
そこでは『情報の共有』が保育所・幼稚園を含んだ学校や、役所か児童相談所や医師・警察の間で為されていない事が原因のひとつに挙げられているという。TVで見た座談会でそのような話が出ていた。TVやマスコミだけでなく、国会で討論されたことでも世間の耳目を集めた。
しかしこの様な痛ましい出来事が起こる度に思うのは、相も変わらず問題が起きてから動き出す立法府と行政府の怠慢である。慣例主義、判例主義に縛られている頭が固い司法も、日本の将来を見据えてこの様な痛ましい事例の厳罰化に向かって行って欲しい。
この国の政府は将来展望と学習効果はまったくないに等しい。
ほんとうに本当にやりきれない思いで一杯だ。国会や児童問題の専門家が言うように、情報の共有やそのシステムが出来ていれば本当に痛ましい事件は起こらなかったのだろうか。こうしたことが起こる度に同じ様な議論が繰り返されることに深い疑念が残る。思うに、人は同じ過ちを何度繰り返せばその過ちを根絶出来るのだろう。
虐待や苛めの結果痛ましい事件が起こる。その度に、情報が共有されていないと専門家も関係者もマスゴミも、何だか訳の分からないジャーナリストや専門知識さえ持ち合わせていないコメンテーターも言う。しかし私からすればこの人達に学習効果はないと言わざるを得ない。
本当に必要なのは情報の共有などではなく『意識の共有』つまり『認識の共有』や『危機感の共有』であって、詰まるところ『共通認識の合意形成」ではあるまいか。言葉尻を捉えてこう言っているのではない。子供の危機に対する本気度がまったく以て足りないと言っているのだ。危機に瀕している児童を、専門家や行政担当者が我が子だと思って該当児童を親の暴力から身を挺して守らなければ、いつまで経ってもこのような悲惨な出来事は後を絶たないだろう。
異変に気づいた者が、まず児童を保護し、それと同時にその異変の状態や情況を過不足なく関係者全員に同時に伝達し、認識の共有と合意形成を図らなければこの様な事はいつまで経っても続く。自治体の全国ネットワークはまったく機能していない。伝達ミスや、DV情報が伝達されていないなどという初歩的なヒューマンエラーが、いつまでも続くこの愚かさにいつになったら気づくのだろう。児童がいる家庭が引っ越しなどで自治体を変える場合、必ず児童相談所からのキャプションと説明が必要との法改正が必要になるかも知れない。
ここで思い浮かぶのはドラッグストアチェーンの『マツキヨ』の創業者、故松本清氏が千葉県松戸市の市長時代に始めた『すぐやる課』の創設である。組織横断的でジャンルに拘らない速やかな問題解決の専門部署を創設したことで、市の行政サービスは市民の圧倒的な支持を得た。
これと同じ考えで、座視出来ない問題解決の場として、組織横断的な国家レベルの権限を有する専門部署を内閣府に創設し、それを地方自治体にも波及させるのである。そしてそれが軌道に乗れば、今度はその経験とノウハウを担当官庁に引き継ぎ、それをやはり地方自治体の担当職員まで徹底させる。今優先すべきはこれではないだろうか。どの様な形であれ、少子化が叫ばれる現在、喫緊な対策が必要な最優先事項ではないかと思う筆者である。
虐待の疑いがあれば速やかに関係者全員が集まり、認識の共有と対処法の合意形成を図らなければならない。そして速やかに行動する。たとえ拙速と言われようと、子供の命が慎重さや躊躇(ためら)いによって失われるより遙かに良いに決まっている。もはやこれは虐待モンスターペアレントとの戦いだ。
『兵は拙速を尊ぶ』という諺もある。