初めにお断りしておくが日本が『このウイルス感染症との接触機会を減らすことに成功した』とは言っても、何も日本に入り込んだウイルスの量が諸外国に比べて少なかったと言っている訳ではない。むしろ2月3月の時点では感染機会とそのリスクは諸外国に比べて高く、むしろ極めて危険な状態にあったことは間違いなく、それからすればまったく逆の状況にあったのは明らかだ。
安倍政権の無策無為ゆえに中国や韓国はおろか、感染爆発が既に起こっていたヨーロッパからさえ、武漢株などより毒性が強いヨーロッパ株を大量に日本に持ち込んでしまった責任は、言い逃れができない失政だったのは明白だ。もっともその責任を問うても、安倍総理ご当人は皆さまもご存じの様に『口だけ総理』だから、その責任も取らなければ説明も不十分でいい加減なのは言わずもがなだ。
だがこれは『日本モデル』などと国民を持ち上げて、結果オーライで済ますべき問題ではないのも明らかだ。何しろ国民の安全と生命と財産とが掛かっていた重大な局面に於いて、総理自らが何の経過説明もなく恣意的で唐突な学校休校などの方針を出たり、しかも遣ること為すこと後手後手な対応に終始したことは否めない事実であるからだ。
現実にも、中国の習近平主席来日などへの配慮や、2020オリパラ開催日程への影響の見極めといった問題の早期解決を総理や都知事自らが図らなかったことは、新型コロナウイルス対策に於ける様々な判断が遅れ速やかな対応ができなかった主原因であり、その実態からすればまったく逆の結果を生む恐れさえ大であったのだ。つまり為政者のこうした危うい判断を、結果オーライで済ませて良い問題ではないのだ。
更に言うならば局面局面に於いての安倍政権のミスは致命的ですらあった。他国に倣って迅速に『鎖国状態』に置かなかった事による悪影響は今更ながらに甚大だったというべきだろう。これは歴史の審判を経る迄もない明々白々な動かしようのない失策であり事実である。
こうした為政者等の重大な判断ミスに加えて、政府の後手後手で不徹底な感染防止対策は、常識的には感染リスクを増大こそすれ、本来であれば被害防止にはまったく役に立たなかっただろうことは明らかだ。当初は諸外国の多くも日本政府の対応を懐疑的に見ていたし、批判的論調であったことからもそれは窺える。
だが結果は日本人の過半が予想だにしない被害の少なさだった。
しかも日本人自らがその思い掛けない結果に驚き且つ誤解した。言っておくが日本民族は他民族と比べてけっして優秀な訳ではない。だから新型コロナウイルスの病禍の影響が少なかったのは日本人の民度が高かったからではない。むしろ押し並べて低かったからこそ為し得た『成果』だったと言えるのではないか。
その証左の一例として挙げるが、日本人の愚かなところはこの予想外の結果から、第2・第3波に備えて、何故感染者や死者数が少なかったのか、その原因を究明することなく、後手後手の感染症対策の中でも、感染防止の根幹をなした「8割感染リスクを減らす」という案を政府に進言した、北海道大学の西浦教授個人への批判に世論が傾いたことであった。それを先導して印象操作を行ったのがTwitterなどのSNSに蔓延る、右傾化傾向のある人たちだったのは皆も知るところだ。付和雷同で自分の意見を持たない人たちはこれに飛びついたのである。
実に安易な発想だと言えよう。つまり日本人の代表的な特性と言われる『喉元過ぎれば熱さ忘れる』で、これから冬に向けて先々を見通して第2波第3波に備えその対策に努める議論をするのではなく、実に日本人らしい後ろ向きな考えに基づき、責任転嫁とも呼べる『村八分』の延長の『スケープゴート探し』に奔走したのだ。
信じられないだろうが、未だに日本人の意識は『村社会』の延長であり、それに背いた者は『村八分』にする社会なのだ。今や小学校から大人の社会まで蔓延しているイジメの心理もまったく同質である。だが唾棄すべきその心理が、新型コロナウイルスに対しては有効に働いたのは歴史の皮肉だろうか。その事実からすれば、日本社会は元々閉鎖的で排他的であったが故に、第1波は辛うじて難を逃れたというのが真実のように思える。
つまりけして自慢できる理由で日本人はこの病禍を回避した訳ではないのだ。筆者が『日本人の民度が高い説』に与しない理由がこれでお分かり頂けたであろうか。
まだ新型コロナウイルス感染は終息した訳でもないのに、早々とスケープゴート探しをして責任を取れという訳だ。この短絡的で物事の本質から目を逸らす心理はいったい何処から来るのだろう? 明治維新以来150年以上経っても、未だ個の確立がままならない『村社会』を引き摺っている愚かしい国民性ゆえの反応だと断じるしかないのだろうか。
筆者は思うのだが、責任は誰にあるなどという議論を何故この時期にしれなければならないのだろう。全てはこのウイルス感染症の被害が問題のない情況にまで落ち着いた後の話ではないのか。それが1年後なのか2年後なのか、はたまた3年後なのかは分からぬが、すべてはこの問題が一応の解決を見た後の話として総括するべきものであろう。それに果たしてこれは一学者にその責任を取らせるべき性質の問題なのだろうか。
これは専門家の意見を聞き、最終的には総理大臣が判断して決定したことだ。あらゆる情況を見聞きし、最終的に判断を下すのは総理大臣以外にあり得ない。だとしたら日本という国家と国民に責任を取れるのは総理大臣以外にいない。
例えクラスター対策班の西浦教授の論拠が誤りで日本の現状を大きく見誤った『オーバースペックな対応』だったとしても、その責任を決定権もない一学者に負わせて良い訳がない。そうした批判論調が広まるにつれ、それに付和雷同して闇雲に寄って集って一個人を非難したり誹謗中庸するに至っては何をか況んや。そんなことも分からないほど日本人は押し並べて愚昧だと、この事を以て諸外国にその愚かさを露呈し証明して見せたようなものだ。このいったいどこが民度が高いと言えるのか。
ところで筆者は、逆説的に、第1波の感染被害が予想されたよりも遙かに小さかったのはクラスター対策班の西浦北大教授の分析のお陰であったと思っている。つまり最大の功労者だと思っている。その分析がオーバースペックで、かつサバを読みすぎた最悪の結果を予想したからこそ、怪我の功名で世界に比類なき結果をもたらしたのだ。もし結果オーライならば、安倍総理より余程西浦博教授は日本という国家とその国民に貢献したことになり、国民栄誉賞級の大恩人だと言えよう。こうした対策を取ったが故の経済への影響を問題視する方々もいるが、それは西浦教授のテリトリーでも範疇でもない。為政者が責任を負うべきものだ。それこそ責任転嫁というものだ。
閑話休題。
現在日本に於いても『何故こうも感染者数も死者数も少なかったのか』様々な場で議論がなされている。臨床的な研究結果に基づいてその論証もされている。だがどの論説も真相を解明するには至っていない。
このウイルスに関しての事実、かつ論拠となる感染者と死者という二つの指標の中で、感染者数が少ない理由だけは既に明らかになっている。誰が考えても諸外国に比べてPCR検査数が圧倒的に少なかったからにすぎない。だから日本では正確な感染率を算出できないのだ。
しかし問題はその事にある訳ではない。もうひとつの指標である死亡者数が諸外国に比べて桁違いに少ないことの説明や論証がまったく為されていないのが問題なのだ。なぜ問題とするのかいえば、そこに感染爆発回避の鍵があるからだ。
だが今までに発表された論説は数多(あまた)あれど、この死亡者数が少ないことの明快な論証が為されない以上、それで日本の現状の全てが論理破綻なく解明された事にはならないのは道理であろう。ひいてはその真相解明が第2波第3波に備える根幹を成す解決策に繋がると信じている。
現状の数々の分析や論説には、必ずそれだけでは説明できない、事実と矛盾する部分が生じていて、しかもその解明されない矛盾点(死亡者数の少なさ)はけして無視できない、その論説の根幹に関わるものであるがゆえに、けっして定説にはなり得ないのだと思う。
そこから考えられることは、自然科学や応用科学の一分野である医学や疫学的アプローチや臨床実例からの研究・検証だけでは(諸外国の厳しい対策に比べて日本の後手後手でザルのような緩い感染症対策で)、どうしてこうも『COVID−19による死者数がこれほどに少なかったのか』を、明快に説明できないということではなかろうか。
この国の宰相が自画自賛した『日本モデル』など何の実体もなく根拠すらない『幽霊モデル』だし、財務相の『日本人の民度説』も珍説というより、却って日本の為政者の国際感覚の欠如と無思慮を世界に向けて発信したに過ぎない。
そうした現状からすれば、どうもこの方面(自然科学とその一分野である医学・疫学、、、あるいはまかり間違えて人文科学の一分野である政治学)からのアプローチだけでは真相の究明には限界があると考えるしかないのではないか。
その観点から、今までの視点をまったく変えて論じることにした。
これが正解なのかどうかは分からぬが、少なくとも現時点で現在我々が知りうる現実と事実からして破綻はない論説だといえるだろう。
なぜならこの論説は『COVID−19による死者数が何故これほど少なかったのか』を明快に証明して見せているからだ。
<次回に続く>
この論説は前編であり、後編は近日公開予定。
Written by H☆imagine U3
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