私の場合、人々が何気なく使う言葉には、その言葉以上の意味があると感じることが往々にしてある。流行りの言葉、廃れた言葉、日常頻繁に使う言葉にも、ふと気づけばその言の葉以上の意味を見いだしてしまう。
それを拙いながらも散文詩にしようと考えた。もしかしたら過去に読んだ某かの詩人か詩集の影響を受けているかも知れない。そういえば若い頃の金井美恵子の詩、、、好きだったな。
『おお、ハンプティ・ダンプティ!』
タイトルはもう40年も前のことでとうに忘れてしまったけれど、あの書き出しで始まる詩は特によかった。なにしろ今でも覚えているくらいだから。
買ってないから分からないけど、というより近所のジュンク堂書店か丸善書店で買う予定だけれど、たぶんこの詩集の中には、その詩が入っていると思う。良かったらリンクを辿って買って見てね♡
ところで下のリンクは中古のみしか扱っていないけど、実際には新装版は大きな本屋では扱っています。なくても取り寄せてくれます。因みにお値段は税込で1282円、アマゾンのリンクを辿って見た中古品の値段は【411円から】、と記載されていました。
<寄り添うこと>
寄り添うという言葉に
何とはなしに違和感を覚えるのは
たぶんそれが饒舌だからだ
君の傍にいてあげる
私がいるから大丈夫
聞いてあげるから何でも言って
あのね
あの時のわたしはね
ただ傍にいてくれるだけで良かったんだよ
寄り添うは寡黙だ
多くの言葉を必要とする”YORISOU”は
たぶん本当の”寄り添う”じゃない
苦難や悲しみや悔しさを抱える人に
慰めや励ましの言葉を掛けるんじゃなくて
ただ静かにその人を見つめ
心穏やかにその人の近くにいてあげること
寄り添うに言葉など要らないんだ
ただ寡黙に寄り添うだけでいいんだよ
ずっとずっと
その人の心の傷が癒えるまで
ずっとずっと
あなたに笑顔が戻るまで
ずっとずっと
僕はここにいるよ
あなたのすべての傷が癒えて
僕が寄り添っていたことを
そして僕がここに居たことさえ
あなたがそれこそ何も彼も忘れてしまうまで・・・
Written by U3 (2021.09.20 H☆imagineU3)
静かな環境に身を置くのが好きだ。だからでしょうか、人付き合いが苦手です。それだからこそ、恩着せがましいのは嫌いです。親切の押し売りはハッキリ言って迷惑以外の何ものでもない。あれこれ事情を詮索されたり、こちらが何も話さないのに、勝手に心の内を斟酌されるのはもっとウザったい。騒々しいのは論外だ。どうして他人は一人でいたい時に、少しでも距離を置いて黙って私を見守ってはくれないのだろう。
・・・そう思ったことはありませんか。
興ざめですが、以下の文章も必ずお読み下さい。
作者注)この記事と記事中の詩作は、このブログの著作権を保持するU3による完全オリジナルです。従って著作権はU3に帰属し、いかなる理由があろうとも、著作権者の許可なしに、他者がこの作品の一部あるいは全体を、複製または複写し、他の媒体に転載、引用、転記することを固く禁じます。
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従ってこれらに違反した者は、著作権法に基づいた処罰を受けることになります。処罰は罰金か懲役を伴う重い罪で、けして軽微なものではありません。くれぐれもご注意下さい。
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著者はこうした法律には詳しいです。くれぐれも軽挙妄動は慎んで下さい。
以上、H☆imagineU3より、皆さまへ。
こんな事を、一々書かなければならない世の中になるなんて、嗚呼、嫌だイヤだ!
<おまけ>
一昨日、中年の男女二人と話す機会があった。
その会話の途中で、相手の女性の話に相づちの意味で、
「ハイデッカー、ソウデッカー!」、とオヤジギャグを一発噛ましたら、
『コイツ何言ってんだ』てな顔で見返された。因みに相手はいかにもキャリアウーマン。
『イヤ〜ん、おじさんそんなにマジマジと見られると照れちゃうわ〜ん』
とは思わなかし口が裂けても言わなかったけれど、このヒト哲学には全く興味がないらしい。
おじさんの年代なら、ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッカー(又はハイデガー)の多岐にわたる業績や、ナチスとの関わりは知らなくとも、少なくとも名前くらいは知っている。
だからまだ現役の頃は、後輩にそんなギャグを多数かまして(不承不承)笑いを得ていたのだが、三十近く年が離れるとこんなものか。
「いま言ったギャグは忘れてください!」
そう言って笑ってその場を誤魔化したU3であった。
ところで、一昨日の今日だが、あの時何を話したのか肝心要の要件はしかと記憶に留めているのだが、その他の事は一切覚えていない。ついでに告白すれば同席した男性の顔も思い出せない。これが歳の所為なのか、はたまた相手が美人さんだったからなのか、当人以外誰一人知る由もない。
<おまけ 2>
今日(9月16日)の『ひるおび』で、田崎スシローが、総裁選への出馬を模索している野田聖子議員の推薦人について、「もう集まったという話もありますが、まだ口約束の段階で確約を得た訳じゃないんじゃないんですか。推薦人を確保するには署名と捺印が必要ですから」と言っていた。
人材は豊富と言いながら、岸田と河野と高市が次の候補というのでは高が知れている。自民党で有能な人間がなかなか出て来ない理由と、自民とは閉鎖的で因循でちっとも「自由」でも「民主」的でもないのが良く分かった一言だった。
この分じゃ、自主投票とは言いながら三候補は、推薦人以外の衆参両院の自民党国会議員の若手・中堅議員を中心に、自分への投票を確約するよう促したり圧力を掛けたりして、総裁選の本選での『署名と捺印』を貰うためにそれこそ必死こいて飛び回っているに違いない。