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楊貴妃は、たぶん、こんな顔(台湾紀行 其の四) [旅行・紀行文]

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 今回のテーマは前回予告しました通り、中国唐代の『絶世の美女』と言われたあのお方は、いったいどんなお顔をしていたのかというお話です。
 中国を代表する美女、楊貴妃は実際はどういう顔立ちでどんな体型だったのか、つまりその容姿ですが、驚くことにリアルタイムで実物を見て、絵画や像が制作された事は一度もないのです。つまり、楊貴妃は絶世の美女だったというのはすべては文献による推測と伝聞でしかありません。というより当時の文献には楊貴妃の名前とエピソードは載っていても容姿に関するものは殆どないのが実情なのです。



 ところで、洋の東西を問わず、美人といわれる女性の容姿と云おうか、美の基準は昔と現代とではかなり違っていただろう事は想像するに難くありません。そして歴史上の世界三大美女の一人に数えられる、中国のあのお方は実際にどんな容姿をしていたのかといえば、上の段で記述したとおり、実はリアルタイムでその絵とか塑像が残っている訳ではないのですね。
 すべてその時々の歴史的事実と、玄宗帝の数々のエピソードのなかで楊貴妃に関する記述が散見され文献に残っているだけで、絵や塑像として実際に残っている訳ではないのです。
 今日、詩
とか絵画とか石像などで残されているのは、みな後世に想像して制作されたもので、実際に当人を見て作られたものではないんです。何しろ当時の文献には楊貴妃の容姿について記述したものはないのです。ただ、玄宗帝が国政の判断を誤るほど溺愛していたという事実から後の世に絶世の美女だったのではないかと思われているだけです。まさに『傾城の美女』は楊貴妃から出た言葉だということでしょう。
 であるからにして、実際はどんな顔をしていたのかは正直分からないのです。しかしながら台湾の故宮博物院にはそれに比肩しうる美人の宝物が残っていたのです。
 楊貴妃と云えば唐代の玄宗帝の后です。そして、その正に唐代の美女をかたどった塑像が現代まで残されて、今、故宮博物院に飾られています。
 それがこれです。
唐代の美女.jpg

 どうです。かなりふくよかなお姿ですね。実際に楊貴妃の容姿を記述したくだりでは、玄宗帝が楊貴妃を指して、風に吹かれて飛ぶ様な、そんなやわな体型ではないのだから・・・と言っています。そういえば、日本の高松塚古墳で見つかった壁面の西壁女子群像に描かれた四人の女官と見られる女性達も、みなふくよかで切れ長の眼をしておりました。

紫陽花.jpg

 とうとう、日本各地梅雨に入ってしまいましたね。紫陽花の花言葉は数多くありますが、その中で『移り気』なんてものもあります。玄宗帝も楊貴妃の気まぐれには随分と右往左往したようです。

武将.jpg

 てな訳で、楊貴妃の実像は実は謎に包まれております。ですが、どのような容姿だったかと問われれば、初出の像の如き『美女』だったのではないかというのが、現代中国の歴史家の一致した意見のようです。
 上記の写真は国宝の武将の像ですが、名前は忘れました。ですがかなり印象深い像です。
 台北の故宮博物院このくらいにして、次回からは台中から台南を経由して高雄まで行くところまで順次公開していこうと思います。
 最後に6月8日に船橋ららぽーとで映画を見た帰りに食べた『ローストビーフ丼』を公開して今回の更新を終えたいと思います。スライスしたローストビーフの中央には温泉たまご。この真下にはバターライス味の五穀米が入っていました。
 
ローストビーフ丼.jpg

 では皆様ごきげんよう。
 明日は安曇野に取材旅行です。今は郭公の鳴き声が聞こえる時期です。
 目的はそれではありませんが、運良く郭公に逢えたらいいなと思っています。
 ではでは。

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コメント 4

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

楊貴妃・・当時の美女の基準なんですね。(^^)

by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2017-06-10 07:11) 

拳客

俗に言う、瓜実顔ってやつですかね・・・
by 拳客 (2017-06-10 11:30) 

たいへー

美の基準は、古今東西・個々によって変わる。
本人が決める事なのかもしれぬ。^^
by たいへー (2017-06-15 11:38) 

なかちゃん

昔の基準で美人と言われた方に近づいてこられても、遠慮したいものです(^^;

by なかちゃん (2017-06-16 10:39) 

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