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たらちねの母 [U3の独白]

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たらちねの 童(わらべ)にかへりし 吾(あ)が母の
傍(そば)に寄り添ひ 生かむとぞおぼゆ

 Aちゃんへ

 お婆ちゃんが迷惑を掛けているそうですね。子供に返ってしまったお婆ちゃんに成り代わってご免なさいを云わせて下さい。
わたしの心境はこの短歌に書いた通りです。分かっているのは重々承知の上で敢えてお話致しますが、お婆ちゃんはもうすっかり子供に返ってしまったのです。その事をまずご理解願います。
 家族以外の者と一緒に暮らすという事はその人の人生を家の中に迎え入れるという事に他なりません。これは生まれた時から切っても切れない関係にある肉親とは明らかに違います。まずその事を理解して頂きたいのです。本来はお互いに納得の上で一緒に暮らす事が一番なのですが、Aちゃんは私と私の姉であるAちゃんのお母さんとの話し合いには加えて貰えなかったので詳しい事情を知らないのは当然でしょうね。そんな中で一緒に暮らす様になればはじめからお婆ちゃんがAちゃんの日々の暮らしの近くにいた訳ではないので軋轢が生まれてしまうのはどうしようもない事です。これは迎え入れる人が誰であってもそうなるだろうと思います。家族以外の者が家に入って来れば多かれ少なかれ必ずあるものなのです。その様な中で自分の思っている事は口に出さなくとも必ず相手に伝わります。「煩わしい」、「嫌だ」という気持ちは相手には「わたしは嫌われている」という形で必ず伝わります。逆に「愛しい」、「楽しい」という気持ちは敢えて云わなくても「笑顔」になって必ず帰って来ます。その事はお婆ちゃんに対してだけでなく誰に対しても云える事なので肝に銘じておいて下さい。
 日常のお婆ちゃんとの暮らしが大変なことは今までわたしも経験して来たので良く分かります。わたしも夜中にお婆ちゃんに起こされて〇川の家に行った事は数知れません。思いもよらぬ事や云っても埒があかない事で当り散らされた事も何度もありました。私はそんな時は大概黙って聞いています。恥ずかしいけれども敢えてお婆ちゃんの前で黙って涙した事もあります。しかし黙ってそばにいればお婆ちゃんは私のその様な姿を見てやがて落着きを取り戻すのです。ひと時だけ正気を取り戻すのです。
 分かって欲しいのは、お婆ちゃんはアルツハイマー症になって子供に帰ってしまいましたが感情は大人のままなのだという事です。ただ堪え性がなくなっただけ、それだけなのです。誰かがそれを受け止めてあげなければお婆ちゃんの感情は行き場を失いやがて自己を苛み失意の底に落とされてしまうかも知れません。
 Aちゃんは知らないかも知れませんが、お婆ちゃんは人並み以上の苦労と辛酸を舐めて来ました。そして苦労の甲斐あってさあこれから幸せな日々が送れるという矢先にお爺ちゃんが亡くなってしまったのです。それ以降お婆ちゃんの人生の終末に於いて誰もそばに寄り添ってくれないという非常な悲しみと孤独をお爺ちゃんが亡くなってからこの方ずっと経験して来たのです。その事を良く分かって欲しいと思います。
 勿論お婆ちゃんの実の子である私が今まで以上にそれを支えなければならなかったのであって、結果的にAちゃんに大きな負担を掛けている現状を大変申し訳なく思っています。ご存知の様に私だけではお婆ちゃんを支える事が出来ない為に私の姉であるAちゃんのお母さんと話をして〇浜に行く事になったのです。でもわたしはそれで楽になったり心が晴れた訳でもなく返って鬱々とした日々を送っているのです。私にとって母を姉の元に送るのはとても辛い決断だったのです。子が親の世話や面倒を見られないのは親に先立って死ぬ事以上に親不孝だと私は思っていましたから。
 そうはいってもAちゃんが私の母であるお婆ちゃんの面倒を見る義理はどこにもありません。しかしAちゃんのお母さんを良く見てください。私の姉であるAちゃんのお母さんは私に泣き言も云わず愚痴を口にした事もありません。気丈な姉なので全てを堪えてお婆ちゃんを受け入れているのです。出来ればそのお母さんと同じ様にお婆ちゃんを受け入れて頂きたいのです。お婆ちゃんを〇浜の家に受け入れてからまだ二ヶ月です。自分勝手な叔父さんだと思われるかも知れませんが、早々と弱音を吐くべきではないと私は思っています。でもAちゃんのお母さんが駄目だと云ったなら思うなら私はお婆ちゃんをこちらで受け入れる積りです。たとえNちゃんの反対にあってもね。Nちゃんは突き詰めて云えば赤の他人ですから実の親でもないお婆ちゃんを受け容れる謂われは無いので、もしそうであれば私一人でもお婆ちゃんを受け入れる積りです。
 お聞き及びかも知れませんが、過去にお婆ちゃんの事であれこれ云ったNちゃんを叱った事があります。何故叱ったのかと云えばそれはNちゃんが他人の事を話す様にお婆ちゃんの事を論ったからです。赤の他人ならそれは笑って済ませられたかも知れませんが、お婆ちゃんは私の母でありNちゃんにとっては義理ではあっても同じく母なのです。お婆ちゃんの面倒を見ないとNちゃんは私に云って置きながらお姉さんのところにお婆ちゃんを預けたらいろいろ問題が起きるのは目に見えているなどと私にあれこれ云って来たからこそ私は叱ったのです。面倒も見ずにあれこれ云うのは無責任だから云えるのです。自分の肩に背負いもせずにそれは重たいから止めた方が良いだの誰それはこう言っていただのという無責任な忠告など私は聞きたくもないのです。世間話をするかの様にお婆ちゃんの事であれこれ云うNちゃんを私は許せなかったのかも知れません。(そうは云っても私からNちゃんを見放す事は無いのでご安心を)
 Aちゃんは私がきれい事を云ってる様に思えるかもしれませんが、いつも私はお婆ちゃんに寄り添いその最期まで看取る積りで生きています。お婆ちゃんや私を赤の他人ではないと思って下さるのならその事は分かって欲しいと思います。人を批判するのは簡単です。でもその前によく考えて下さい。お婆ちゃんは初めからAちゃんにとって煩わしいばかりの人でしたか? 迷惑ばかり掛ける人でしたか。Aちゃんのためにお婆ちゃんは過去に何もしなかったのでしょうか? その事を胸に手を当てて一度じっくり考えてみて下さい。恩を忘れてはいけませんし私はAちゃんにそんな人になって欲しくはありません。

 最後にAちゃんに一言だけ云わせて下さい。思い詰めるのは体にも心にも何一つ良い事はありません。名前の如くあたたかい心を持って慈愛に満ちた毎日を過ごされる事を私は望んでいます。お婆ちゃんが一人ではない様に、あなたもけして一人ではありません。いつも誰かに見守られて生きている事をけして忘れないで下さい。

 あなたのたった一人ではあるけれど頼りない叔父より


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たいへー

人の思いは様々ですね。
by たいへー (2011-04-13 07:18) 

枝動

母の無償の愛に感謝。
その愛は、世代を越えて真実。
その愛に、寄り添う想いもまた真実。
by 枝動 (2011-04-13 16:23) 

青い鳥

そんなことがおありだったとは・・・お気持ち、お察しいたします。
他の言葉を見つける事が出来ません。ご免なさい。
by 青い鳥 (2011-04-13 23:46) 

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