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「母原病」(副題:「日本語狩り」は「日本文化狩り」?) [随筆]

朽ち果てた墓地.jpg 
  <北部ウェールズはスリン半島の管理者のいない教会の墓地は夏草が生い茂っていた> 

 『母原病』(著者の精神科医久徳重盛による造語と書くと必ずヒステリックな反応を示す人達がいる。

 感情的反応を示すのは「母」という文字があるが故に当然ながら主に女性なのだが、人権団体や女性活動家などが絡む場合は更にその傾向は顕著になる。それら批判や否定的な言葉の裏に見え隠れするのは感情的なものであり偏向した考えに基づく言葉の否定である。当然ながらその主張や論拠は感情的なるが故に極めて脆弱である。男であろうが女であろうが声が大きい者が勝つのは言葉の暴力を肯定するのと同じである。そしてヒステリックな言葉は暴力以外の何ものでもない。

 わたしが一番嫌うのは男女の別なく人の話を制してでも自己の主張を声高にわめき散らす輩だからこうした批判や否定的意見に耳を貸す積もりは更々無い。そしてヒステリックな人達に否定されればされる程「母原病」なるものは真実に近いのではないかと思ってしまう。

 わたしは1979年に書かれたこの原書を読んでいない。しかし、昨今の日本における社会事象を見るにつけ「母親を源とする子供の心の病」という意味で使われて来た『母原病』は本質的には正しいとの結論に至った。勿論女性を蔑視したり軽んじる考えはわたしにはない。あくまでも「傾向」としてこの「母原病」という言葉は真実性を持っていると判断したのだ。それは女性が悪い、母親が悪いと断じている訳ではなくて日本の社会構造なるが故の結果的な事象として「母原病」的傾向が強く感じられるという事である。その様な意味からこの造語の意味は真実に近い。

 かつて1990年代に「日本語狩り」が流行した事がある。それは一部メディアでは「差別用語狩り」とも呼ばれたがこの「差別用語」という言葉自体が差別的表現そのものであり、偏向した考えに基づく表現であるとわたしは断じる。何を差別用語として何を組み入れないかその基準は無きに等しい。ハチャメチャな表現で日本の文壇にSFスプラッタ小説という一分野を創造しリードし続けて来た筒井康隆はその著作の多くが「差別用語のオンパレード」と人権保護団体などに断じられ、槍玉に挙がった事に辟易してもう小説は書かないと宣言して文筆活動を止めてしまった。人権擁護団体や〇X解放運動などがその急先鋒だったように思うがこれら団体の常軌を逸したその言動には筒井だけでなく多くの人達が顔をしかめた事だろう。

 「言葉は文化である」

 この言葉を否定する者はいまい。ならば赤面する様な卑猥な言葉も、差別的な言葉遣いも、野卑な言葉も、「美しい日本語」同様(何が美しいのかは知りませんが)れっきとした日本固有の文化である。

 のべつ幕なしところ構わずこれら差別用語なる言葉を吐き散らす馬鹿ならいざ知らず(呆れた事に「バカ」という言葉自体が差別用語だと主張する団体も知識人も居る)、真っ当な日本人の大人ならば日本古来の礼儀や場をわきまえた言葉の使い分けぐらい出来るのである。いや、出来て当たり前なのである。だから良識ある大人に対してエセ文化人や強圧的な人権保護団体にとやかく云われるのは虫酸が走るし、「お前らは一体何様なんだ」と思いたくもなる。

 ・・・ああ、これちっとも感情的な考えに基づくものじゃないからね(笑)
 極めて冷静な判断に基づくものです。

 明治以降急速に日本に浸透してきた外来語ならいざ知らず、古来からある日本語はみな歴史的背景があるし言葉の由来もあるのである。それを一部人権保護団体や知識人・文化人を自称する輩の誤った論拠に基づく否定や批判で事実を歪曲されたら堪らない。本来なら本当に「不適切な言葉」ならば抛(ほう)って置いても時代の中に消え去る運命にあるのである。だとしたら一部の人間が強制的もしくは強圧的な言論弾圧や言論統制などせずとも自然消滅するものなのだ。言葉は成り行きに任す。つまり自然に接するのが一番良いのである。

 言葉狩りは行き過ぎれば不自然になる宿命を持っている。今の初等教育現場やマスメディアに於いて「子供」という文字を書いてはいけないらしい。本来「供」という文字は従者の意で大人に付き従うのが子という意味になってしまいおかしいのだという。だから新聞もTVも教科書も「こども」もしくは「子ども」と書かれている。わたしは、こんな事まで不自然に規制されている現代日本の実情をおかしいぞと思うのだが、そうは思わない人達が規制をする側にいるからこんな事がまかり通るのだろう。言葉を規制したり言葉狩り、日本語狩りが横行すれば日本文化そのものがいずれ衰退するだろう。

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

 ・・・結果として日本人である事自体を否定する日本人、もしくは日本人である事を誇れない日本人が増えて来た様に思う。良識の府の役目を果たせなかった大手新聞社やTV局を筆頭とするマスメディアや教育団体、学校の罪は重い。しかしそれよりもっと罪深い人達がいる。

寂れた教会.jpg 
 <この教会は観光地からは外れた僻地に存在するがこの様な朽ちかけた教会にも歴史がある> 

 話を一番最初に戻そう。『母原病』という言葉が真実に近いと思う根拠を述べてみたい。

 戦後の日本を表して昭和三十年時代に流行った言葉として、「戦後強くなったのは靴下と女性」というフレーズがあった。それはナイロンストッキングの出現で靴下が伝線しにくくなった事と日本国憲法に謳われた男女平等によって日本女性が強くなった事を指して生まれた言葉なのだが、戦後67年を経過しようとしている現代に於いては「日本女性は些か強くなり過ぎた」きらいがある。これを穿った見方だとか歪曲しているとか偏ったものの見方と否定なされるのは結構だが、人の話は最後まで聞くものだと思う。かつてTVなどで声高に男性出演者を遣り込めた自称フェミニスト田〇教授なる者が居られたがあの様な感情的でエキサイティングな反応だけはご免被りたい。「男女」が差別で、「女男」にしろなどという主張はとても不自然で強引な主張だと思う。海外旅行の際書く入国カードだってチェックを入れる欄には「男」が最初で「女」はその下に書いてある。文句があるなら国際社会に対しても主張すべきだろう。偏見だと云われるかも知れないが結婚も子育てもした事のない女性ほどこの様な問題には敏感で過剰な反応を示す傾向にある。

 「無理が通れば道理引っ込む」  

 現代に於いては男子は押し並べて温和しく従順であるが、一部の女子は猛々しく我が儘放題で手が付けられない。これは教育現場に携わった者の偽らざる実感と謂えよう。

 因みにわたしは教育者ではないが妻は教育に携わる身だ。教育者ではないわたしだが街中で見掛ける一部の女性の言動を見る限りに於いてはそれを否定するものは何処にも見いだせない。つまり、この傾向が顕著に見受けられる。「草食系男子に肉食系女子」という組み合わせはもはや日本社会に於いては主流となりつつある。

 街中(まちなか)を咥えタバコで歩き、吸い殻をポイ捨てする女。人に迷惑をなす行為を平然と出来る女。人前や電車の中で化粧や立ち喰いが平気で出来る女。我が儘し放題な女。金は自分で稼がず他人からむしり取るのが当たり前と思い、男は利用するものだと思っている女。今やどこでも普通に見られる女達である。あなたの会社や身近に大なり小なりそういう女達はいるだろう。

 先日の金曜日、混み合う山手線有楽町のホーム上で見掛けた光景は都会ではごくありふれたものだ。ホームに出るやいなや進路を譲る事なしに直進して人にぶつかると「痛ぇな!」などと怒鳴り、まっすぐ進めないのに強引に進もうとして、道を譲った女性のカバンと自分のカバンが絡まったのが癪に障ったのかそれを強引に引き抜き「ふざけんじゃねぇよ」などと喚き睨みつける女を傍(はた)から見ていたがコイツどんな躾をされて来たんだと呆れてしまった。

 実は現代の学校(特に中学校)に於いもそうなのだ。本当の悪は男子の番長などではなく実は女子生徒だったりするのだ。陰湿さに於いては女は男の比ではない。しかも現代教育現場に於いて粗暴な傾向が顕著なのは男子生徒ではなく女子生徒なのだ。男は社会に出て行くに従い常識や良識を弁(わきま)えていくが、一部の女子は成長するに従い我が儘放題になって更に手が付けられなくなる傾向にある。それでも年頃になれば男が欲しくなり見る眼がない草食系男子が騙されて結婚などしようものなら一生の不覚と云うよりも人生の墓場である。

 かつて「まりちゃんズ」と名乗った変態デュオと呼ばれた男ふたりが、今は「藤岡藤巻」と本名を名乗り、男の子に世間の真実を語るという内容の「息子よ」(娘よではない)という歌を作った。その歌詞の中にはこういう一節がある。

 ♪♪ いいか、息子よ~

 ♪男は家(うち)から一歩外に出たら・・・

 ♪七人の敵が待っているというのは~

 ♪ウソだ!

 当の敵は ウチの中にいる ♪♪

 これ、ある意味真実ですよね(笑)・・・共感すら覚えます(爆)。

 わたしの主張は女性陣には反感を買うかも知れませんが、同性からは共感と支持を得られるのは間違いないでしょう。

 男女は惹かれ合いながらも反発する永遠(とわ)のライバルである」 words by U3

Walescht.jpg 

<教会の入り口は屈まなければ通れない程低く狭い。しかし中に入ってみると意外なほど明るく広い>  

 結婚生活はある意味我慢比べだと思う。うちの奥様は一歩外に出たらとても社交的で温和で明るい人柄に見えますが家に帰ればわたしの顔を見てのべつ幕なし小言を云い、自分の主張が通らないと眉間に皺を寄せ、主張が通るまでしつこくわたしにつきまとう傾向があります。我が儘でもありませんしブランド物を欲しがる事もありませんが、唯一の欠点は自己防衛本能が強すぎて攻撃的な傾向が見られる事ですね。そして自分に間違いがあってもけしてそれを認めないし結婚して25年以上経ちますがわたしに対して謝った事は一度たりともありません。わたしですか?わたしは自分が間違っていれば相手から催促されなくても必ず謝ります。当然ながら相手に非があればそれを指摘します。謝ってくれとは云いません。しつこいのは嫌いなので相手に強要はしないです。 

 そんなうちの奥様ですが前日の夜に牛乳を飲んだわたしが何かに気をとられてコップを洗うのをうっかり忘れたら、翌日それをろくたま洗いもしないで紅茶を入れてわたしに出しました。ほぼ2/3程飲み終えた時ふと気づいたら白い塊がいくつも紅茶の中を浮遊していてその事に気付いたんですね。・・・それを注意をしたら

 「自分で飲んだものなら自分で洗いなよ」のお言葉。今更ながら呆れてしまいました。

 挙げ句の果ては自分に落ち度はなく「悪いのはすべてあなただ」と来たもんだ。

 ますます呆れてしまいましたが休日出勤で急いで出掛ければならないので

 「人に責任転嫁するのは良くない事だ」と言葉を残し家を出た。が、どうにも腹の虫が治まらない。

 うちの奥様は外食で髪の毛一本でも料理の中に入っていようものなら店長を呼びつけ傍で見ているわたしが思わず制止する程文句をまくし立てるクセに自分には極めて甘い。朝から不快な思いにさせられたので運良く座れた電車の中でメールを書いて妻宛に送った。返事はなかったけど帰宅時の対応を見れば効果はあったようだ。メールにはこう書いた。

 タイトル:<小咄其の壱>洗浄(戦場)は命懸け。

 「えっ、U3感心だね。いつもそうやって丁寧に弁当を洗ってるんだね。奥様が恐いのかな?」

 「いいや、そうじゃありません。わたしはただ<食の安全>を実践しているだけですよ」

 「えっ、食の安全って・・・どういう事?」

 「うちの女房は四角い部屋を丸く掃く傾向にあるんです。そしてそれがすべてに当て嵌まる。洗わないで帰ればグチグチといつまでも文句を云う。しかし洗ったら洗ったで弁当箱の中をよく確かめもせずにご飯おかずを詰めるんですよ。・・・だから弁当箱は食中毒から自分の身を守る為に丁寧に洗う必要があるんです」

 「え、命懸けって事!」

 ・・・独身の彼には分からなかったが家庭は<洗浄>じゃなかった、<戦場>なのだ。

 え~お後が宜しいようで・・・小咄おしまい。

 

 ・・・というメールを実際に送りました(笑)。 

 弁当を作ってくれるだけまだ良いじゃないかという人もいるかも知れませんが血液型A型のわたしはそうは思いません。ものは丁寧に扱う。人を不快にさせてはならない。人に文句を云う前に一度じっくり考えてそれでも云わなければならないと思った時だけ言葉にする。それがわたしの身に染みついているんです。感情的になって人に話してはいけません。

 こういう事が実際に起こると「子供がいなくて良かった」と心底思うのですね。本当は育児を妻任せにして顧みない男達つまり亭主族にも大いに問題があるのだけれど、子供に大きな影響を与えるのは母親が圧倒的に多いんです。だからわたしは「母原病」は実態として存在すると思うのですね。生まれてこの方、子供と接する時間が圧倒的に多いのは母親なのです。だから日本の女性には「清く正しくかつ凜々しく」生きて欲しいと切に思うのですね。ええ、「清く正しく美しく」ではないです。わたしは日本女性に見た目の美しさは期待していません。美しくなりたいという願望を否定はしませんが肯定もしません。ゴテゴテ化粧をする女性は嫌いです。

 巧言令色鮮(すく)なし仁」

 心の美しさは見た目の美しさを凌駕する」・・・これはわたしの偽らざる気持ちです。

 話を元に戻しましょう。

 「母原病」という造語は母親に源を発する子供の心の病という意味を持ちますが、それは単なる現象であって実際に引き起こしているのは日本の社会そのものです。今の母親が子供の時に豊かな両親の愛情に包まれ、且つ厳しく躾け育てられていれば、長じて自分勝手で我が儘な大人になる事も、幼児虐待に走る事もなかったでしょう。ひいては子供が成長して陰湿ないじめに走る事も他人に暴力を振るう事も無かったに違いありません。いじめを学校の所為にするのは簡単です。教育者の事勿れ主義がいじめを助長しているのも事実です。しかし本当の原因は社会にあるのです。今の母親は大家族で育った世代ではありません。今の母親の母親もそうだったろうと思います。現代社会は子供が十分な成長がないまま大人になる傾向が強いと思われます。確かに我々の世代と比べると今の子供は知識も豊富ですし社会環境も整備されています。しかし総合的な視点で見ると何かアンバランスに思えてしまう。「アダルトチルドレン」という言葉もありますね。子供がそうなってはいけないんです。そうさせては駄目なんです。

 だとしたら、子育てに不慣れな母親に育児を任せきりにするのではなく社会そのものが子供を育てていく環境と仕組み(法整備を含む)を作らなければこの負の連鎖は永遠に続く事になるでしょう。少子化が社会そのものを変えてしまう現実に直面している今、子供を大切に育てなければ日本の未来はない。

 『母原病』という言葉がいつの日が使われなくなる日が来る事を望みます 


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なかちゃん

サラリーマンをしていた頃、ボクも弁当箱は食後自分で洗っていました。
ただボクの場合、弁当箱を忘れて帰宅してしまうことがあったもので、洗っておかないと次の日大変なことになってたからです ^^;

こちらが差別する意図なく使った言葉でも徹底的にやっつけられたことがあります。ただ、この場合言葉の意味を知らずに使ってたボクに原因があると思われるので反撃はしませんでしたけど。

by なかちゃん (2012-07-29 16:19) 

月と、

うまく文章にできませんが、じっくり読みました。差別用語も、言葉と言う日本の文化。勉強になりました。
by 月と、 (2012-07-29 16:19) 

そら

難しいですけど・・・。
自分がどれだけ正しいのかと言われれば返答できませんしw
ただ私もヒステリックに主張する方は苦手です。
会話が成り立たないですから。
by そら (2012-07-29 16:26) 

侘び助

U3さんの勇気に拍手を・・・ 
良い旦那さんを持って奥様お幸せ~
実行したいけれど、相棒無しの暮らしになっちゃった~~
by 侘び助 (2012-07-29 17:50) 

keykun

こんばんは。^^
私も敵は・内にあり!賛同いたします。^^)v
by keykun (2012-07-29 18:44) 

Silvermac

躾と称して、我が子を虐待死させる親、実の母の場合も多いですね。
母原病は蔓延しているように思います。遠因は日教組教育でしょうね。
by Silvermac (2012-07-29 19:39) 

くまら

良かったうちの相方そこまで鬼じゃない・・・
例え、3日連続で徹夜続いてようやく休めると思ったら
どっか連れてけって方ですが^^;
by くまら (2012-07-29 22:52) 

枝動

「子供」が不適切発言ですか?知らなかったです。
私なんか、不適切・差別発言だらけになってしまいます。「支那」「朝鮮」など習ったままで使ってますが、今はダメですか?
「ボケ」もダメで、「痴呆」に変わったのを指摘されました。昔、「ちんば」って言われましたが、今はさすがに言われないですねえ。そういうのはいいんですが、行政がきちんと広報・啓蒙しているんですかね?国が取捨選択して、右へならえならいいんですが。
5人組とか云って、昔近所は助け合って生きていました。よく近所や知らんおっさんに怒られましたよ。子供達も、年長者が年下を大勢引き連れて遊んでいましたし。そう云う意味では、社会・地域で子育てしていたんですね。母親の目の届かない所で、おっさんが登場してきました。
by 枝動 (2012-07-29 22:55) 

mochamama

「子供」は、親のお供なのではなく、供に育ち生きていくのだから私は不適切な表記とは思いません。
それを目くじらたてて声高に騒ぎ立てるほうが問題だと考えます。
社会や地域で子供を育てることが大切と考えますが、今は個人情報保護やプライバシーを優先するようでとても難しくなっています。
U3さんの仰るように社会の仕組みを変えていく必要があると思います。

私も四角い部屋を丸く掃除します^^;

by mochamama (2012-07-29 23:47) 

U3

☆みなさまへ☆
 頂いたコメントでは「言葉」について書かれたものが多かったので再度日本語についてどう考えているかお話ししたいと思います。
 わたしは国家が自国の言語を統制するのには反対です。というよりも本来、言語は国家が管理する類のものではありません。
 言葉はその国の人々がその時々の時代で新たに生まれたり過去から使われて来たりしたものであって国家が作り出したものではありません。ですから(今はそうは言わないらしいけど)当用漢字なども本来は国家が指針を出すものじゃないと思っています。文法とか書き順とか送り仮名も国家が国民に対して示すものではなく本来言語学者が基準なりを示すものだと思います。わたしは言葉はあるがまま抛っておくのが一番といいましたが日本語とは本来そういうものなのです。
 日本語は生きています。過去から一度も変化したことのない言葉は一つとしてありません。文字として残っていても意味は必ず変容しています。例えば「奥様」という言葉は江戸時代は大名の正室や分限者の正室を目下の者が話すときにのみ使われていたのですが、今ではどの既婚女性でも奥様と呼ばれます。
 過去に使われていたものは「古語」として残り(残らないものもあります)そして現代で使われている言葉は「現代日本語」です。そしてそれは変化し続けています。でも「いじめ・苛め・イジメ・虐め」という言葉が無くなる事はあるでしょうが言葉を変えてその行為そのものは存続する、つまりなくならないだろうと思います。何故ならそれは人類の性(さが)だからです。
 残念ですがそういう事です。しかしいじめを許してはいけないのです。子供たちの為にも我々大人が何とかしなければならないのです。
by U3 (2012-07-30 12:45) 

つなみ

ゆーさん、こんにちは(⌒∇⌒)ノ"
母原病、うん、根深いですよ。
私はときどきボランティアでイベント訪問しますから
よく見かけますし、接します。
それにしても、奥さまと仲良しですネー。
うふっ( 〃▽〃)ごちそうさまでございます♪
by つなみ (2012-07-30 16:27) 

タッチおじさん

先ずは、受け入れる事からかな?
それからですね

暑い日が続いていますね、熱中症に気を付けて下さい。
by タッチおじさん (2012-07-30 16:35) 

駅員3

非常に読み応えがあって、考えさせられる内容でした。
最近権利ばかり主張し、義務を認識しない風潮が横行しているように感じますが、日本人の古き善き伝統である「他人への務め」の心が薄れてきてしまったのでしょうか?
by 駅員3 (2012-07-30 19:56) 

david

いろいろ教えていただくことが多いなあ。

by david (2012-07-31 10:34) 

たいへー

家の中の「敵」は、
その昔、恋い焦がれた人であったはずなんですがねぇ・・・
時には、良きライバルになるのでしょ? ^^;
by たいへー (2012-07-31 11:07) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

ご訪問有難うございます。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2012-07-31 20:44) 

nano

言葉・・・ある意味、武器にもなりますねヾ(´▽`;)ゝ
by nano (2012-07-31 23:03) 

旅爺さん

「言葉は文化である」私もそう思います・・・が
テレビの普及で方言は消えつつありますね。
by 旅爺さん (2012-08-01 06:41) 

やおかずみ

ご訪問ありがとうございました。
by やおかずみ (2012-08-01 09:31) 

kimiko

>男女は惹かれ合いながらも反発する永遠(とわ)のライバルである
共感です!(笑)

by kimiko (2012-08-02 08:30) 

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