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『U3の野望』 [随筆]

バカ面踊りだよ~ん.jpg 

<船橋市内を流れる海老川の橋の欄干を飾るオブジェ。船橋の馬鹿面踊りをモチーフにしたもの> 

 前回のアップロードで曽根風呂を石鹸じゃなくって・・・席巻すると豪語したU3です。

 これを実現しょうと本気で考えている今日この頃皆様に於かれましては如何お過ごしでしょうか

 わたしは元気です。そうでない時以外は・・・アハッ!

 年近く曽根風呂にログインしていなかったので、前回のログインの時にはすっかりIDとパスワードを忘れてしまっていたU3です(爆)

 その上に、六月の初めの日曜日にPCを新規入れ替えて目がショボショボしてローガン状態です。

 自作PCが古くなったのでBTOのショップブランドのデスクトップPCに換えました。

 仕事用のハイエンドマシンなのでパーツはベースモデルからかなり換装しています。起動ドライブは512GBのTOSHIBA製SSDです。それに信頼性ではダントツのHGST社製のNAS用6TBのHDを組み合わせておりめちゃ早くて容量も十分です。

 ビデオカードは遊びではなく仕事用なのでNVIDIAのGeFORCEシリーズではなく描写能力や色再現性や数値処理能力などの正確性を求められるQuadroにしました。

 ディスプレイもPHILIPS社製の4K&28inchを新たに導入してメインに代えました。それまでメインで使っていた22inchのFullHDディスプレイはサブとして、以前使っていた17inchは廃棄処分としました。この28inchと22inchをデュアルで使ってます。OSはWindows8.1 updateです。静かで高性能で快適です。

 ところがですね、メインの4Kディスプレイはあまりにも解像度が高杉晋作で、デスクトップ画面で見るとアプリのアイコンが5ミリくらいの大きさなんですね。その下のアプリ名なんかまったく見えません。

 それでネットに入り何らかのHPを開くとページの文字高は1.2ミリあるかないかなんだよね~。なのでよ~く目を凝らさないと見えません。ルーペか虫眼鏡で見るしかないのでしょうか?それで一時間もディスプレイと睨めっこをしていると眼精疲労で必ずわたしが負けます(笑)

 設定で文字を大きくしたり解像度を低く設定することも加納典明 or 叶姉妹ですが、そうすると22inchのアイコンが笑ってしまうくらい馬鹿デカくなってしまったり、28inchの4Kディスプレイは何の為に導入したのか分からなくなってしまいます。

 そんなこんなでどうしたら良いか現在思案チュウチュウタコカイナ捻りであります。

 ちなみにこの記事の編集はノートPCでやってます。



 閑話休題 

 回のお話しはハッキリ申し上げて長いです。

 久々の長文です。たぶん最後まで読み通すのは大変な事でしょう。書いた当人はもっと大変でしたがそれほど苦痛ではありませんでした。

 元々は長い文章をウリにしたブログでしたからね。それをやめたのはブログ荒らしやネットストーカーの攻撃を受けて立って以来ですから結構な年月が経過しています。

 それ以前は本当に呆れるほどの長文ブログでした。物語風でとても面白かったです。今はひとつの記事10000字以下という文字数制限がありますが曽根風呂にそういった制限がなかった頃は20000字超えの記事などザラでしたのでこの程度はお茶の子さいさいです。

 でも大半の方はお忙しい。最後まで読んで欲しいとは申しません。(この記事で久々に10000字を超えて大分文章を削りました。

 しかしですね、次回から曽根風呂を席巻する?!?!予定のものがどういう背景で成立したものなのかを知るにはこの記事を読むしかないのでありますね。最初からドキュメンタリーの積もりで読んで頂けると結構興味深くなおかつ楽しんで頂けるのではないかと自負しております。

 しかしどうしても長文が苦手という方は半ば過ぎの猫の写真以降から読んで頂いても結構毛だらけ猫灰だらけであります。後半は短編小説みたいで面白いですから。

 では一つの物語の始まりです。 

法隆寺右回廊格子.jpg 

 本来のわたしは気ままな性格なので曽根風呂では自分がどうしても書きたいと思うものやその時々で興味を持ったものだけを心の赴く儘に書いて来ました。

 まさに「つれづれなるままに日暮らし硯に向かいて・・・」の心境でありました。そうはいってもあまりにも勝手気ままでは他人様(ひとさま)に飽きられたり迷惑を掛けてしまいますから節度だけは守って来た積もりです。

 しかし、自分の考え、特に政治ネタや安全保障などについてブログで書くと必ずといっていい程ネトウヨ(ネット右翼)や偏向思考の変な奴らが寄って集(たか)って執拗に攻撃して来るのですね。曽根風呂はあまりにもオープンで自由すぎて行き過ぎた行為に対して歯止めが利かずこういう処がよろしくない。

 わたしはそういう場合はコメント自体は削除しませんが返答はせず完全に無視して相手にしません。自分のブログをその様な議論の応酬の場にしない為の対策です。

 でもはじめからそうしていた訳ではなく幾度となく不快な思いをして試行錯誤を重ねた末にその様な対応に落ち着いた訳です。

 知っている方は大勢いらっしゃると思いますが、実は曽根風呂の管理ページにある迷惑行為防止機能だけでこういう鬱陶(うっとう)しい人たちのコメントはそのURLを指定してしまえば大概防げてしまうんですね。曽根風呂メンバーはそれで大概防げてしまえるのですがゲストコメントはURLが分かりませんのでそうはいきません。しかしそういう場合にはブログ管理者(自分のこと)の承認なしには投稿できない様に設定するか、はじめからゲストコメントは受け付けない設定にしてしまえばいいだけです。ですから曽根風呂の管理ページの設定次第でこういう人達はある意味撃退は簡単なのです。

 しかし、世の中にはもっと偏執的で病的な性向を持った人達がいて、そういったシステムや防止機能の目をかいくぐって嫌がらせや誹謗中傷行為をそれこそ相手が音をあげるまで執拗に繰り返すのですね。それは本当に異常で病的で嫌になるくらいですが、一旦この連中に目をつけられるとそれこそ曽根風呂で記事を更新している限り攻撃は続くのですね。

 しかし、そういった場合曽根風呂事務局は無力です。頼れば腹が立つ結果しか生まないので自分の身は自分で守るしか方法はありません。わたしはそうやってこれまで曽根風呂で記事を更新して来ました。こうした異常な輩は絶対に諦めませんから一旦攻撃の手を緩めても次の攻撃の機会を虎視眈々と窺っているので弱みを見せたりトラブルが発生するとその臭いを嗅ぎつけて来て即座に攻撃を再開します。

 それに嫌気がさしたり恐れを抱いて曽根風呂を離れて行ったブロガーは結構な数に上ると思われます。たぶん千人二千人という数ではなくもっと多いと思われます。

 こういう人を陥れたり執拗に特定の個人に付き纏う困った性癖を持つ人達のことをわたしはネトウヨとか野次馬や愉快犯とは区別して「ブログ荒らし」とか「ネットストーカー」と呼んでいます。

 この連中は異常な執念で相手を追い詰めます。まあそうでしょう。異常者ですから。そして曽根風呂の世界から去ったように見えてもいざ何かあればそれこそゾンビや帯状疱疹のように突如として現れるのです。いわばネット社会の嫌われ者です。

 わたしは過去に幾度もその被害に遭いそして今でもその標的となっている様です(笑)

 何故だか分かりますか。そう、わたしはけしてそんなことには屈しないからです。過去の一連のブログ荒らしとその後にしつこく付き纏って来たネットストーカー(女です)も、わたしが屈しないからいつまでも攻撃して来たのです。

 わたしの信条は「遣られたら遣り返す」、「目には目を歯には歯を」ですから仕方ありません。過去に於いて邪(よこしま)な企(たくら)み事や理不尽なことや嫌がらせに屈した事はありません。

 そして拙ブログでの活動は一時期そういった連中との戦いの連続であったような気がします。それでわたしのブログの記事の傾向というか特色といおうか、カラーがまったく変貌してしまったという経緯があります。

 従って現在の拙ブログはわたしが本来望んでいた理想のブログとはかけ離れたものです。

 しかしブログをはじめた頃はそうではありませんでした。

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 始めた当初、わたしの姿勢は拙ブログを訪れて下さった皆様に楽しんで頂くために記事を書くというものでした。その上で記事を創作する過程も楽しんでいました。

 記事を書く時は、この記事を読んだ皆様がどんな反応を示すだろうかと思いを馳せたり、また実際にアップした後の反応や反響を見て次の記事を創作するということをしており、それは何とも楽しい事でありました。まあ他人様に楽しんで頂くと同時に自分も楽しまなくっちゃ書く意味はないというのがわたしの基本的な考えではありました。

 そうはいってもあくまでもブログは自分のライフワークじゃありませんし単なるお遊びだった訳であります。ですが、その割にはと申しますか遊びでも全力投球で結構真面目には書いていたと自負しております。手抜きは何事に於いてもしないのですが、何しろ根本的気質が自由気ままですから首尾一貫性はまったくなく根気すらありませんでした。

 そんなわたしですから過去に於いてはいつの間にか頓挫した企画は数知れずで、しかもブログ荒らしやストーカーに付き纏われて以降は心から楽しめなくなってブログの更新は休み勝ちになってしまいました。そういった不完全燃焼的心理状態がもう六年ほど続いています。

 途中で遣る気が失せてしまうという点では前回までの企画であった英国旅行記などはまさにその典型です。書こうと思えば幾らでも書けるんです。書けてしまえるし皆様に面白く読んで貰える自信もある。楽しんで貰えることは確約しても良いくらいです。

 ですがそんな時に限って突然ブログ荒らしやストーカーと遣り合った過去の出来事がフラッシュバックの様に蘇るのですね。ブログを楽しもうと思っても過去の厭な経験が蘇って不快な気持ちになってしまうのです。多分こんな時のわたしは鬱です。

 何故そうなってしまったかと云えば過去一度も曽根風呂は被害者を守ってくれなかったという現実があります。自分の身は自分で守るという気負いだけではやはり限界があるのです。そうして改めて曽根風呂を取り巻く環境を見た場合、曽根風呂自体にブログを楽しく継続できる環境がなく、公正な監視の目もありませんし、ひと皮剥けば犯罪者天国のような有様ですから継続する意思が薄れてしまうのです。実際にそれらを経験したわたしにはそれが分かっている。

 自浄作用のない曽根風呂は一時期まったく魅力がないものでした。

 だから遣る気や興味を失うともう駄目です。少ない時間をやり繰りして記事を更新する訳ですから無意味なことはしたくない。継続する意味を見いだせず途端に遣る気を失ってしまうのです。

 わたしは幾度もネット犯罪行為に遭遇し、曽根風呂にこの迷惑行為を伝え善処を求めました。ですが一度もそれらを根本的に解決してくれた事も事態を受けて是正や改善された事もありません。何故かといえばブログ荒らしやネットストーカーの方が曽根風呂事務局より遙かに上手だからです。曽根風呂は明らかな犯罪行為であると確認しても警察には報告しません。被害者に警察に行くことを勧めるだけで、警察の要請があれば協力は惜しまないという姿勢に止まります。

 曽根風呂が唯一遣るのは問題を起こしている会員に対して該当記事の削除を求め、しない場合は会員資格を停止すると連絡するだけです。しかしそんな事は相手はとうに織り込み済みです。

 アップした記事を下書きに戻して見えなくしてしまえば不問にされるのです。消さずにいたストーカー女は会員資格を停止されても別名でブログを複数立ち上げました。おかしいですよね。曽根風呂は学習効果が全くない組織なのです。

 だからほとぼりが冷めたらいとも簡単に攻撃を開始するのです。

 被害に遭えば分かりますが災いの元を根絶する気のない曽根風呂です。

 そんな有様ですから継続したいと思っても気力が萎えてしまう。それに齢を重ねて一つのことだけでもモチベーションを保つのが最近は殊に難しくなっているのです。

 しかし遣る気を喪失してしまう最大の原因はネット社会では自由に言葉を発する事が出来ないという事実なのですね。他人様(ひとさま)に迷惑を掛けなければ自由に発言したり情報を発信する権利は当たり前に享受できて然るべきなのですが現実にはそうではない。必ずそういった発言に難癖をつけたり誹謗中傷する輩が現れるのですね。

 それだけではなく、独立して以来のわたしはこの十年の間に三度の入退院を繰り返し二度の大きな挫折を味わい、体力と気力の衰えを実感しました。わたしにもうやれることはない。自信を失っていました。

 そして何をやるにつけても、心の中で出来ないことの言い訳をしていたのです。

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 その様に理屈や言い訳を並べて人や社会の所為にしている情けない自分がそこにいました。

 「これは本来のわたしではない」

 ハタとその事に気づいたのは今年の二月のはじめでした。本来のわたしは自分を取り巻く状況を、けして自分以外の人たちや自分を取り巻く社会や環境の所為にしたりしない独立独歩の人でした。それがこの十年の間に公私ともにトラブルを抱え、何度も何度も色々なことで痛手を被る内に心が萎え、今まで隠れていた心の一番弱い部分が表に出て来てしまった様に思うのです。これではいけない。そう思いました。

 正直に申し上げて、両親から色々な才能を受け継いで生まれて来たにも関わらず、それをすべて溝(どぶ)に捨ててしまっていたのです。自分の能力や才能が発揮できないのは皆家庭や社会の所為にしてそれで良しとする情けない人間になり果てていた。

 しかし思いました。今からでも遅くはない。

 自分を信じ自分の思うことを精一杯遣ってみよう。それが何であるのかはすぐに分かりました。わたしの「パンドラの筺」に最後に残されていたものはやはり「書く」という行為そのものだったのです。書くという行為でしかわたしは自分を取り戻せない。新しい自分に生まれ変わることが出来ない。

 そう思ったのです。 

長谷寺の正月.jpg


 ここまで書いてしまえば賢明なる諸兄諸姉はもうお気づきでしょう。わたしがそんな状況を振り切り、いま、何を為そうとしているのかを。

 ええ、そうなんです。そんな過去のしがらみを断ち切って新しい事を始めようとしているのです。

 いざという時にまったく頼りにならない曽根風呂です。だから自分の身は自分で守るという今までして来た事を継続していく中で、そのどうしようもない曽根風呂という場を敢えて借りて自分が長年したいと思っていたことを実現してみよう。そう思ったのです。

 今度は遊びじゃなくて本気です。

 もう意に染まない記事は書くのをやめにしました。自分の書きたいものだけを、そして皆様に楽しんで貰えるものだけを書き記していこうと決心した次第です。

 その様な決意を以て、文筆を生業(なりわい)とする訳でもなく、ルポライターや放送作家や新聞記者から転身した訳でもない、文章を書くことを専門としていないまったくのど素人であるわたくしめが、書くのがただ好きだという理由だけで己の愚かさをも顧みず、

 「恋愛小説なるものをネット配信しようとしているのでありますね。

 「何で~~~???」なんて云わないでね。今だからこそ恋愛小説なんです。

 その理由は皆様にもいずれ分かる時が来ます。

 これはですね。恋愛もさる事ながらけしてお遊びで出来ることじゃございません。

 何しろ独身の頃の恋人や妻には鈍感と揶揄されたほど男女の機微には疎い方です。

 しかも才能が有り余っているという訳じゃあございません。むしろ最近は物忘れが多くなって老境に差し掛かって才能も根気も強い意志も枯渇し掛かっているという危機的状況であります。しかしそれだからこそ遣って見ようと思い立った次第です。

 ご存知のようにわたくしめ困難が目の前に立ちはだからないと燃えないタイプです。

 なので「やなら今でしょ!」ってな感じで本気モードにシフトした訳でありんす。

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 記事をアップすることを今年になって中断して半年が経ちました。そして、したいことが見いだせない状況から漸く脱しようとしている自分が此処にいます。

 昔日のわたしは過去に縛られその呪縛から逃れられなかった。それ故に曽根風呂を継続して行く目的も意味も見失い遣る気を完全になくしていたのです。それが分かっただけでなく、新たな目標を見い出せたという意味でもこの休養期間はとても有意義だったと思っています。

 今の気分はパソコンのBIOS画面を起動してPCをROAD DEFAULTした感じです。つまり余計なものをすべて捨て去ってリセットした感覚でしょうか。デフォルトといってもギリシャ信用問題じゃございません。

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 こで少し脇道に逸れます。こう考えるに至った経緯をお話し致しましょう。これだけでも結構長いお話です。

 あまり気分のよい話ではなく不快な思いをするかも知れませんが、わたしの心の整理をする上でもこのことは是非とも書いておかなければなりません。

 これはわたしの本心の吐露なのでお耳を汚すことになるかも知れませんが敢えて公表することと致しました。以下の行間にはわたしの悔しさや憤りや怒りや哀しみ、そしてそこから生じた不屈の精神がにじみ出ていることでしょう。

 以下に書かれていることはわたしが曽根風呂で実際に経験した事です。曽根風呂で本音を語り積極的に活動しようとするとどうしてもわたしの様な出来事に遭遇します。しかしそれが今までのわたしを形作って来た一面もある訳で今は否定も肯定もしません。そしてわたしの辿って来た曽根風呂での十年は皆様の参考にもなると思い改めて書き記すことにしました。これは過去を吹っ切る意味で必ず通らなければならないわたしなりの通過儀礼というか関門の様な気が致します。

 わたしが思うに、「好事魔多し」や「出る杭は打たれる」ということわざは本当だと思います。

 それでは『実録U3曽根風呂行状記をお楽しみ下さい。

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 一見別の様に思える出来事が実は水面下で繋がっているという事実を皆はご存じだろうか。

 そう、すべては繋がっている。

 その事を知ったのは曽根風呂を始めてまもなくであった。

 そしてそれは何気ない日常をいつの間にか変質させ 時に人に災厄をもたらす。

 わたしはそのすべてを実体験した数少ない一人だった。

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 <知らず知らずのうちに数々のブログ荒らしに遭遇したこの十年> 

 ご存じの方はもう数えるほどしかおりませんし、それこそ十年前の第一回目の記事から拙ブログをご存じの方は皆無とも思われますが、当初の拙ブログは笑いあり涙ありのしっちゃかめっちゃかな記事を連発しておりました。

 当時はお笑いか、エンターテインメントブログを目指していたのですね。それで曽根風呂を席巻しようという野望は抱いていませんでしたが人気ブロガーの仲間入りを果たして多くの人に見て貰いたいなぁと思っていたことは確かです。自分にはそれだけの才能があると自惚れ楽しい毎日を過ごしていました。

 ところがどっこい、そうは問屋が卸SUNDAYだったのでありますね。

 人は自分が他人にした事は忘れがちですが、自分が他人にされたことは忘れない様です。わたしはやたらと記憶力があるものですから、した事も、された事も、けして忘れる事はありませんでした。

 それ故に曽根風呂で嫌な目に何度も遭った事が忘れられず、それらを糾弾するさなかに自分が他人様に迷惑を掛けたこともまた忘れられないのです。

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 最初の躓(つまづ)きは老婦人のブロガーに親切を仇で返されたことでした。

 わたしは誰彼分け隔てなく基本的に親切です。この時もその方の樹木の名前についての記事で「誰かご存じでしたら教えて下さい」という記事が載っていたので、それに答えることにしたのです。

 それはこの方の地元の森林公園の木に掛かっていた樹名板にまつわる問いだったのですが、言葉の意味というわたしの得意な分野でもあったので調べてみました。少なからぬ時間を掛けていろいろ調べて、その樹名板は間違った漢字を使っていて正しくはこうですとその意味まで説明してお伝えしました。事実、他の方の指摘もありそれは正しい答えでした。

 しかしこの方の返事は意外なものでした。

 さもわたしの答えが間違いだといわんばかりのコメントを返されてしまったのです。わたしの返信に対するその方のコメントを見る限りわたしのコメントをろくに見ていないことは明らかでした。他人様(ひとさま)に聞いて置きながらよく確認もせずに適当に答えているのは明らかでした。軽くあしらわれたという印象は否めず不快に思いました。

 他人様に答えを求めて置きながらこの態度は一体何なのだろう。その時、この方の驕りの様なものを初めて感じた次第です。

 わたしは自分の答えは正しいと確信していたので改めてこうコメントしました。

 「ご自分で調べてから返事を返されたのでしょうか。もしそうでなければ自らが発せられた質問に誠意を持って調べた相手に対してあまりにも失礼ではありませんか」

 するとどうでしょう。

 「私のブログは私のもの。何人も私の許しなしに勝手なコメントを書く事を許しません」という主旨のかなり強い文言を返して来て尚且つわたしがブログを荒らしたというのです。

 わたしがこの件でこの方のブログに書き記したコメントは全部で三つです。

 そのすべてのコメントが他人様のブログを荒らしたと云うにはほど遠い内容でした。

 わたしは見ていないので知りませんでしたが確かにこのトラブルに乗じて不快なコメントを書いた輩はいたようです。しかしわたしはそれらがどのようなものであったのか知りませんし、当然の事ながらその遣り取りにも加わっていません。

 常日頃より皆様に面白おかしく楽しんで読んで貰うのがわたしの何よりの楽しみであって、エンターテインメント指向の明るい記事が多いブログでした。ですからこの様に何か揉め事があっても自分を正当化しようとは思いませんし、自分の力を誇示しようとも思いません。自分の立場を優位に導く為に他のブロガーを自分の意見に誘導したり賛同を得ようとも思っていなかったのです。ただ楽しく遣りたかった。それだけです。

 ですからこれはあくまでもこの方とわたしとの間の個人的な遣り取りであると思っていました。

 その様なわたしの与(あずか)り知らぬどこの誰とも分からないコメントと、自分が誰であるかを明らかにして筋道を立ててお伺いしたわたしの問いを、どのようなコメントだったのかは知りませんが、野次馬や愉快犯と同一視してその仲間扱いされたのは正直に云って不快に感じました。

 だからこそ、の方がそれらのブログ荒らしとわたしが仲間だと証拠もなく断定したのにはかなり憤りを覚えたのです。根拠も証拠もなく人を貶めてそれで己の対応の齟齬(そご)を隠そうという意図が見え隠れしました。

 思えばこれがブログ荒らしの前兆だったのですね。

 わたしはそれまでそのブロガーとそんな誤解を受けるようなお付き合いは一切していませんでした。

 節度を保ったごく普通のブロガー同士の交流を楽しんでいたのです。

 当時は、相手の方はわたしより一回り以上年配の六十半ばのご婦人です。当然ながら色恋沙汰すらある訳もありません(笑)。ブログを離れた唯一の交流としては、わたしの作った陶器のお皿を褒めて頂いたのでそのお礼としてそれを贈った事くらいでしょうか。(※たぶん感情的になってすぐ割られたと思います) 同じ県に住んでいて二つお隣の県庁所在地がある市に住んで居られる方でしたが宅配便で送ったので会ってもいませんしお顔も知りませんでした。知らなくて正解でしたが(笑)

 その様に少なからぬ交流があったご婦人でしたのに親切を仇で返すような解釈をされれば誰でも不快に感じるでしょう。

 自分から質問しておきながら、その回答を十分吟味しようともせず、まともな対応一つ出来はしなかった。そうしたご自分の一連の不誠実な行動を指摘され、ブログ荒らしか誰かは知りませんがいろいろな人の批判に晒されれば自分を正当化してブログを荒らしたと居直る。都合の悪いことはすべて相手の所為にして反論を封じる。

 一体あなたは何様の積もりなのかと思いました。(自分が後々そうなるとも知らずに・・・)

 何よりも一番不快だったのは批判に加わった者とわたしが結託していると断じたことでした。

 見も知らない、会ったこともない、名前や存在すら知らない第三者と、どうしてわたしが結託していると云うのでしょう。証拠もなしにこんな断罪をされれば腹が立たない方がおかしい。自分の落ち度や都合の悪い事を隠そうとして相手を懲らしめようなどとは実に浅はかな考えだと思いました。

 何かどこぞの政権与党の青年部長の一連の言論弾圧発言みたいですね。

 結局のところこのブロガーはわたしの問いには一切答えず、わたしを悪者扱いした上ですべてのコメントを削除してしまいました。

 更に呆れたのは分別はとうについているだろう五十、六十代のこのブロガーのお仲間まで、それに相槌を打ちおべっかとも思えるコメントを書き込んだのです。当時の取り巻きさん達は今では殆ど去ってしまいましたがね。

 何故このブロガーはこれほどまでに感情的な対応をして挙げ句の果てはわたしを悪者に仕立て上げ、更には黙殺までしたのでしょう。

 その鍵は削除されたわたし以外のコメント、尚且つ「ゲストコメント」にあったのではないかと確信しています

 ところでこのご婦人はこうもあざとく変身したのでしょう? わたしはその理由を知る由もありませんが本来ならば尊敬されるべき、いや、後輩に規範を示すべき年配の方が非常に大人げない言動を為された事で、大きな失望と共に不快な思いを致しました。常識的に考えて誠意を持って対応した人に取る態度ではありません。

 このブロガーは皆様もよく知る「おはようございます」のコメントをあちらこちらに書かれている「み〇もも」というニックネームの年配の女性です。

 今は七十歳は超えておられると思いますが分別とか良識は齢を重ねれば得られるというものではないと知りました。その一件では謙虚さがまったく感じられませんでしたし傲慢で独善的でした。当時は人気ブロガーの一人でしたから驕り高ぶりと自分は多くの人に支持されているという自負と気負いは相当なものがあったのでしょう。

 それがこの方の心の目を曇らせていたのは間違いないと思います。

 しかしそれは無闇に他人様を貶めたことの言い訳にはなりません。

 相手の云うことが正論でも、それが自分の意に染まないコメントならば削除して、相手を罵り悪者扱いし平然としている。

 そんな非常識な事をするとは、それまでこの方は一体どういう人生を送って来られたのでしょう。

 当然ですがこの一件以来交流は途絶えました。同じ県で隣接したところに住んでいますがわたしはその後一切交流を断ちました。

 先日、この方のブログを七、八年振りに見に行って、高尾山の先の陣馬山に息子さんが付き添って登った記事が載っているのを見ました。コメント欄を見ますとそれを微笑ましいと感じて居られる方が殆どのようです。

 しかし、過去に於いてこの「み〇もも」というニックネームのご婦人がこんな非常識な事をして置きながら相手に謝罪すらしていないという事実は皆さんも覚えていて欲しいと思っています。

 わたしはたとえ年配の方であろうとこの様なことをして平気でいられる人物を絶対に赦す積もりはありません。

 これまで楽しいとばかりと思っていたブログがごく普通の人間社会と何ら変わらない世界だとその時に改めて感じました。社会の縮図ですね。

 そうです。良識のない人はどこにもいるし年齢は関係が無いということです。

 それが曽根風呂で最初の躓きでした。実社会なら謝罪なしには解決しないこともブログなどのネット社会では許される事実にわたしは暗澹たる気持ちになりブログを続ける気が一時的に失せました。

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 二度目に不快な思いをしたのは中京在住の女性の感情的なコメントでした。

 わたしは「み〇もも」事件があった年の十月頃、拙ブログで「外国の行事を楽しむのも良いけれど日本の伝統的行事も大切にしましょうね」という記事を書きました。

 記事に他意はまったくなく、誰かを想定して書いたものでもありませんでした。

 しかし或る日、外国の行事をブログタイトルにしているこれも女性ブロガーにいきなり罵りのコメントを書き込まれてしまいました。交流のあるブロガーでしたので唐突で驚きました。

 何故そんなことが書かれたのか調べて分かったのは「あなたの悪口を書いている」と誰かが告げ口コメントをして、それを鵜呑みにしたその女性ブロガーが拙ブログに感情的なコメントを返して来たという事です。記事の内容を巧みにねじ曲げていたと思われます。

 このトラブルを見た殆どの方はわたしの書いたその記事はこの方を揶揄したものではないと判断しました。ですが、この方は最後までそれをお認めにならず、それは誤解だというわたしのコメントも削除されてしまいました。

 狭量だと思いましたね。

 相手を一方的に責めて置きながらその人の話を聞かないというのはアンフェアです。

 ましてや他人のブログに乱入して勝手にネガティブなレッテルを貼り断罪して置きながら、自分の立場が危うくなると何事もなかったかの様に無視するなど良識ある人のすることではありません。

 この方のブログでも愉快犯的ゲストコメントが書かれていたと他のブロガーから聞き及んでいます。多分それはこの方がわたしへの批判コメントを書き記した直後に拙ブログにゲストコメントとして書かれた二つの異なったコメントと同じものだと思います。

 わたしを曲解したその方は「ハッピーハロ〇ィン」というニックネームの女性でしたが、名前にあるハッピーの文字は、自分だけが幸せ気分に浸れれば他人の幸せを奪っても良いという意味だったのですかと問いたいと思います。

 この方ともその後交流は途絶えたままです。交流再開は望んでいないのでどうでも良いですが云うべき事だけは謂って置かないと気が収まらない。

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 実際には、わたしもコメントを拒絶したことはありますが相手が愉快犯だったり悪意があるものに限ります。

 やむなくコメントを拒絶する場合でも事前に相手には通告します。二度と拙ブログにコメントしないようにとその理由を書いて相手に通告するのです。相手に反論の場は与えますがそれはわたしのブログ上では出来ません。自分のブログでする様にというコメント付きでね。

 ところが、それをも無視して嫌がらせコメントを貼り付けた輩は過去に一人だけいます。実はこの人物がわたしに為したことが原因でわたしは曽根風呂を継続していくことが本当に苦痛になってしまいました。それはある意味その前年に経験したブログ荒らしやネットストーカーとの戦いよりも更に痛手が大きかったのです。

 老婦人と外国の行事命の女性から一方的な誤解を受け不快な思いをした半年後の翌年四月にわたしは初めてブログ荒らしに直接遭遇し対決することになるのですが(後述します)、わたしの警告を無視して下らないコメントを執拗に貼り付けた人物はその更に一年後の翌々年に突如現れ、わたしに急接近して来ました。後ろにはブログ荒らしの残党の女が潜んでいました。

 三年後の2009年6月頃、わたしは「太郎君」という名の、もう五十代になろうというのに子供のまま大人になった様な世間知らずな男に遭遇しました。拙ブログに顔を出し始めた頃から馴れ馴れしく何の衒いもない手前味噌な長文コメントを自慢げに書き記していました。

 KY人間だとすぐに分かりました。こういう人間は独特の臭いがするのです。

 わたしは当初よりそのコメントからこの者の驕りを敏感に感じ取っていました。そしていつかこの男はわたしに対して害を為すだろうと予想しておりました。そしてそれは現実のものとなりました。

 予想に違わず二ヶ月もしないうちにこの男は本性を現しました。

 わたしはこの前に核武装についての自分なりの考えを三回に亘って書いていました。そしてそれは三回で区切りをつけて次の話題に移ることも訪問して下さるブロガーの皆様には記事の中でお伝えしていました。

 ところがこの男、どうしてもわたしと議論をしたかったようです。わたしははじめから三回で終わりにすると書いているにも拘らず、それを無視してわたしに手前勝手なコメントを送りつけて来ました。

 男は、「U3の記事の完成度を高める為に自分なりの考えをアドバイスしたいのでこちらのブログに来て見てくれないか」などというお為ごかしなコメントを臆面もなく送って来たのです。

 その言葉だけで不快でしたが一応見には行きました。何らかの返答はしなければならないと考えたからです。

 しかし、行ってすぐに見なければ良かったと後悔しました。誤字が散見されたり言葉の用法も間違えており、一番大事な史実まで捻じ曲げて、というよりこの男、この議論の根幹である東西冷戦時代の軍事バランスを何も知りませんでした。そして出鱈目な論拠を元に論理を展開していました。

 正直に云って、それを得意げかつ自信満々に語っているこの男の愚かさ加減にげんなりしました。何でこのような愚か者をわたしは相手にしなければならないのかとね。こんな記事を鵜呑みにして議論などしたら、わたしの記事の完成度を高めるどころか曽根風呂中の笑いものになってしまいます。お為ごかしもいい加減にしろこの馬鹿野郎!・・・と思いましたがその言葉は飲み込んで丁重に議論を断りました。

 ですが相手はKY男です。当然ながら他人の心など分かる筈もありません。理由を書けば傷つけるのでそれを秘し丁重に議論をするつもりはないとお断りしましたが、そんなことお構いなしに次々と手前勝手コメントを送って来るのです。返信は要らないと云っているのにです。人の嫌がることを平気でする人間がわたしは一番許せません。さすがのわたしもムカつきました。

 「誰がもう書き終えた自分の記事の完成度を高めたいと云った? それも自分よりはるかに劣った馬鹿にどうしてそんな指図をされなければならないんだ。こんな事お願いしたことなど一度もないぞ! こういう話題を取り上げたら議論するのは当たり前だろうって? 誰がそんなことを決めた! 自分のブログのルールを決めるのはわたしだ。お前ではない。だから遣りたいなら自分だけで勝手にマ〇ターベーションでもしていろ。それに付き合う義理はない」

 ・・・という様な内容で返答をしたのです。それからわたしの記事を使うなとも伝えました。

 わたしには馬鹿の議論に付き合う義理はありません。わたしは自分のしたい様にします。他人様にああしろこうしろと指図されるいわれもありません。前回の記事でわたしの核についてのテーマは終わっていました。それをわたしの記事の「完成度を高めるお手伝いをしたい」という極めて無礼な事を書いてしつこく議論を迫って来たこの男に開いた口が塞がりませんでした。

 わたしは基本的にブログで議論はしません。議論を交わすと馬鹿や烏合の衆がいっぱい寄って集(たか)って収拾がつかなくなるからです。ネトウヨは当時からいましたからこういう話題になるとそういう輩がわんさか押し寄せるのです。ハイエナの様にね。 

 ところがこの男は法律を盾に取りわたしの意思を無視したので、わたしは事前に通告してそのコメントを削除しました。

 男は消したいならどうぞと返答を返して来ました。

 わたしの経験からすれば法曹界に身を置いている訳でもないのに法律を楯に自己主張し己を正当化する様な輩にろくな人間はいません。

 そしてこの男もご多聞にもれずそのろくでもない部類に属する輩でした。

 削除されたコメントを自分のブログからコピー&ペーストで貼り付け、

 「幾ら消しても無駄ですよ。消しても何回でも貼り付けて遣る」とうそぶいたのです。

 この馬鹿は曽根風呂の迷惑行為撃退機能すら知らないと思いました。

 わたしは自分の管理ページを開いて設定でこの男のURLを「受信拒否」にしました。

 この様に拒否するのは実に簡単です。

 これでもう二度とこの男は拙ブログにコメント出来なくなりました(笑)

 男はコメントを貼り付けられなくなって右往左往していました。そしてこの男と議論好きな連中がわたしをツマミに盛り上がっている最中にわたしは満を持して反撃に転じました。

 この男、わたしが推移を見守る為に静観しているのを手も足も出ないのだと勘違いしたのでしょうね。言いたい放題でした。こういうことに異常に関心があるネトウヨ(ネット右翼の略語。三十代までの男が圧倒的に多い)が集まって勢ぞろいしていました。この男もネトウヨもわたしを与(くみ)しやすい人間だと軽く見ていたのでしょう。人を見下したコメントからもそれを窺い知ることが出来ました。

 これは過去にわたしを攻撃した輩に共通した特徴です。自分は優れていると思う輩ほど他人を見下します。しかしそれこそが愚か者の証しだとは知りもしない。

 遡ってわたしの為人(ひととなり)を知っていればけしてこんな愚かな真似はしなかったでしょう。わたしは「目には目を、歯には歯を」が信条なのでこういう輩は過去に徹底的に叩き潰して来ました。しかも自分のブログをそれらの舞台にはさせません。したがってブログ炎上などあり得ないのです。

 しかし愚か者に賢い行動をしろといっても出来ない相談です。当然ながら議論や戦いに臨んでまずは敵を知り己を知るという基本的なことすら出来ていないし、そういった知恵すらも廻らなから結果的に愚かな行いしか出来ない。そして自惚れの塊だから自分が愚かなのに気づきもしない。つまり謙虚さがないから他から学ぶことも出来ないという訳です。悪循環ですね。愚か者は哀しいね。いつまで経っても愚か者のままだ。でも同情はしないよ。人を貶めて置いてただで済む道理はないのだから。

 男の勝ち誇った能書きの数々は、その日わたしの書いた「久々にヘンなのが来たよ~」という記事に依って跡形もなく消滅したのです。自信満々に持論を展開したところがやぶ蛇になってしまった訳ですね。

 この男は自分のコメントが悉(ことごと)く覆され阿呆扱いされたことが相当悔しかったと見えます。嫌がることをして置いていざ自分が反撃に遭えばオロオロする。これも一年前のブログ荒らしの男と共通していました。背後にいたのがブログ荒らしの残党だから然(さ)もありなん。

 それでも悪あがきは続きます。何という愚か者なのでしょう。呆れ果てました。

 ブログ荒らしの女も実名で登場し、その後もこの男、自分勝手な解釈でわたしを批判する記事を展開していたのですが、わたしはブログ荒らしが一年振りに出没したので様子を見るためにまたしてもだんまりを決め込みました。

 しかしこの男のとんでもない行為によって多くのブロガーに迷惑が及ぶに至って最後の鉄槌を加えることもやむなしと判断致しました。 

 この男、わたしのブログにコメントを書き込む事ができなくなって、散々こき下ろされたのが余程悔しかったのでしょう。あちらこちらのブログ(700件以上だと思います)に「どちらの言っていることが正しいのか見てくれ」とわたしの読者を中心に手当たり次第にそんなコメントを貼り付けたのです。

 ブログ荒らしに直に遣り方を教わったのは男のブログに書いてあったのですぐに分かりました。ただこの男はアドバイスをして来た相手がブログ荒らしそのものだと気づきもしませんでした。

 この男が為した不特定多数を相手にコメントを貼り付け自分のブログに誘導するという手口は、まさに一年前ブログ荒らしが為した事そのものでした。自分がこんなことをして他人にどう思われるかという事にまったく思い至らないほど度を過ぎた愚か者だったのです。

 わたしの元にはこの男の行為によってすぐに苦情が来ました。しかしわたしはお詫びはしましたが静観していました。

 何故なら、この男のブログを見に行けば良識ある方はわたしが正しいと判断するだろうし、知らない人物がコメントして来たらその内容を問わず大抵ろくでもない人物だし、この男と同類項ならばこの男に加担するだろうと思ったからです。そして知らん振りする人は害のない人達です。ブロガーの質を見極めるにはちょうど良い機会だと判断しました。

 そしてその通りになりました。

 自らの行動でこの男は恥の上塗りとも知らず愚かさを露呈しまった訳です。腹の中に一物持ってわたしに接していた輩もこれで明白になって事の帰趨は決しました。誰がまともで誰がそうでないか判れば後は簡単でした。一気呵成に記事を連載しこの男を表舞台から引きずり落としました。

 理屈ばかり捏ね繰り廻す馬鹿は相手にするだけ時間の無駄です。この者達はただ議論に勝ちたいだけなのですからそれにつきあう義理はありません。

 わたしの一連の強硬な手段を見て拙ブログの常連の読者の方からも少しやり過ぎではないかとのご指摘を受けました。確かにこの方のおっしゃられる通りかもしれませんが、わたしは最初は誰もが納得できる手順を踏み、相手に対しても諄々と諭して説明しました。つまり筋道は通しました。人の迷惑になる行為も一切していなかったと今でも胸を張って云えます。

 ですからそういったご意見は尊重は致しますがそれには従いませんでした。誹謗中傷に躍起になっている愚か者に鉄槌を下すのは下すだけの正当な理由があるからです。

 ですから警告を無視して嫌がらせを連発した人物に温情を掛ける積もりは更々ありません。

 泥棒に三分の理を認めれば泥棒は罪を反省などしないでしょうしまた同じ事を繰り返すでしょう。

 この男のブログには「さ〇えちゃん」というのが常連でいました。昔その名前の田植え機メーカーの有名なCMがありました。

 「イ〇キのさ〇えだべさ」というものですが、その「さ〇えちゃん」です。

 そういえば、古井戸というフォークグループの歌にもありました。♪大学ノートの裏表紙に・・・~♪

 「さ〇えちゃん」はもしかしたら一年前に遭遇したブログ荒らしの一番目の女だと思います。しかしこのブロガーに入れ知恵したのは間違いなく二番目のブログ荒らし女です。何しろそのものの名前でコメントしてこの愚かな男を煽っていましたからね。その女はこの男とは違って多少は学習能力があるようでブログ荒らしが常用するゲストコメントではなく正規の曽根風呂アカウントでコメントしていました。

 しかし曽根風呂正規カウントの名は一番目の女が騙(かた)っていたのかもしれません。何しろわたしを「人殺し呼ばわり」していましたから。

 なお、その正規カウントのニックネームはブログ荒らし一味の一人として今も曽根風呂事務局のブラックリストに載っています。正規だからといって安心は出来ないのです。

 わたしの警告を無視して嫌がらせを繰り返したこのブロガーは、当時四十代後半とおぼしき男でした。四十といえば不惑の年代ですがそれにはほど遠い言動が目立ちましたね。それだけでなく、相手の嫌がることを平気で繰り返すこと自体、自分を正当化できない行為だと思いますがそれすらも分からない馬鹿でした。

 自分の思考の範囲外にあるものを理解できない者は幾ら学歴や地位があったとしても愚か者です。そういえば自分の論理的思考と分析力を自慢する話が多かった。自慢高慢馬鹿の内という格言をこの者は知らないらしい。そういう割にはわたしの行動はまったく予想も分析も出来なかったみたいですけどね(笑)

 この男は、海賊の片目船長マークのアイコンで田植え機メーカーみたいな名前の後に「太郎」という名のついたブロガーでした。続けて云えば「井〇太郎」ですから「さ〇えちゃん」が登場したのは当然の帰結です(爆)。 

 わたしは迷惑を被って黙ってはいないのでそれ相応の代償は払って貰いました

 しかしブログ荒らしの残党(後述します)まで最後はお出ましになり、この太郎君に猿知恵をつけ色々悪さをされて本当に暗澹(あんたん)たる気持ちになりました。愚か者を相手にすることで自分もいつの間にか愚か者の仲間入りをした様に感じそれを恥じました。端(はた)から見れば共馬鹿だったでしょう。

 これを契機にわたしのブログ継続への意思は急速に萎えていきました。

 「馬鹿らしい」・・・そう思ったのです。

 それから暫く休養を取った後もブログ更新は滞りがちになり、

 いつ曽根風呂をやめようか、いつやめてもいいと、事ある毎に考えるようになりました。

経本.jpg 

 次は、この一年前に起きたこの一連のブログ荒らしとの戦いについてお話を致しましょう。

 わたしは2007年に立て続けにあった老婦人などとのトラブルの際に、トラブルを煽る様なコメントがあったことを知らされ、それがずっと気になっていました。見てはいないのですがそれが元でトラブルが拡大した気がしてなりませんでした。外国の行事好き女性から非難を受けた時は実際にわたしのブログにも同じような二人とおぼしき不快なゲストコメントを貼り付けられています。

 それは愉快犯とも呼べるゲストコメントで、争いの芽を見つけるとそれを煽り、最終的にはブログを炎上させようとする意図があからさまに感じられるものでした。

 件の中京在住の女性ブロガーから一方的に非難された時も、それを煽り、一方でわたしのブログに不快なゲストコメントを書き込んだ男女がいましたがまさに共通の人物でした。「ははぁ、こういうコメントを真に受けてわたしもその仲間だと思って文句を言って来たんだなぁ」と納得したものです。

 改めて曽根風呂内を見るとその様なコメントがあちこちのブログで頻発している事に気づきました。そしてそれが原因で炎上し閉鎖されたブログさえあったのです。

 そしてその翌年に起こったあるブロガーとの決別と、ブログ荒らしの登場は決定的にわたしのその後のブログ活動にマイナスの影響をもたらしました。

 その時の対応が公正性を欠き曽根風呂事務局にも不信感を抱きました。

 そしてそれ以降ブログそのものを心底楽しめなくなってしまったのです。

 

露座の大仏様.jpg 

 それは何の前触れもなく唐突に始まりました。 

 ある日突然、記事内容とは何の脈絡もない文言が拙ブログのコメント欄に書き込まれたのです。

 一年後に「井◯太郎」君が数百人宛てに送り付けた遣り方と同じです。

 それはそうでしょう。こちらの嫌がらせの方が本家本元なのです。

 その内容は、自分もほんの少しだけ知っていたブロガーを誹謗中傷するコメントをコピー&ペーストで貼り付けるというものです。貼り付けたのは見知らぬ人物です。

 はじめは「誰それの尻は赤い」とか悪意は感じましたが子供の喧嘩の様な他愛ないものでした。しかしそのうちにコメントの中身は次第に偏執的で見る者に不快感を与えるものに変貌していきます。攻撃された当人でなくても読む者にとても不快な思いをさせるコメントでした。それを何の関係もないブロガーのコメント欄に大量に貼り付けるのです。

 次第にその事によって曽根風呂を離れる人が現れ始めた頃わたしはこれではいけないと感じ始めました。

 この者達が被害者のブログにあったわたしのコメントのリンクを辿って書き込みをしたのは明らかでした。他にも書き込みされたブロガーは大勢いた様で、皆わたしの様にその被害者のブログにコメントしたかnice!を押した人たちばかりで、ゲストコメントで書かれた不快な文面もまったく同じものでした。

 それが一ヶ月以上に亘って繰り返されるに及んで、わたしはこのまま抛って置いては曽根風呂の禍根になると感じました。そこで事実関係を調べる為に多くの被害者の中から一人の男性に注目し連絡を取りました。

 はじめは渋って真相をお話になられませんでしたが、一連の出来事が誰によってどのような理由によって為されたのかを知りたいとお伝えし理由をつぶさに話したところようやく重い口を開いて下さったのです。

 何故そうしたかといえば、この方はこの一連の出来事について正々堂々とあるブロガーに「公開質問状」を送って真偽を質していたからです。

 「この方は真相を知っている」・・・そう直感したのです。

 そしてその直感は正しかった。新たに三人の協力者も得られました。

 そこから長きに亘るブログ荒らしとの戦いが始まりました。

 そしてそれはわたしのブログ観を根底から覆す出来事となりました。

法隆寺左回廊.jpg 

 自分の書いた記事とはまったく脈絡もなく、自分とは関係のない人を茶化し馬鹿にしたコメントを勝手に書き込まれて喜ぶ人間は誰もいません。

 歪んだ嗜好や性癖や欲望を満たすために何ら関係のない人たちにまで害を及ぼす。そんな酷いことをする人物を特定して糾弾する決意を固めました。

 それまでに、曽根風呂内でわたしは内容は違いますが何度も厭な思いをさせられました。ブログ荒らしのコメントはそれらとの共通点が散見され糾弾していく中で真実が判明するのではないかと思いました。

 過去のブログ炎上では、大方の人はこんな時には見て見ぬ振りをするか、黙って嵐が取り過ぎるのを待つか、曽根風呂を去っていくという対応をしていました。

 しかしわたしは、相手がどうであれいつも毅然と正論で応えていました。しかも一旦始めれば決着が付くまで反論の手を緩めたりはしません。誰がどんな理由によって人を貶めようとしているのかを徹底的に追求します。

 つまりわたしは泣き寝入りをするタイプではなかったのです。

 遣られたら遣り返す。誤ったことは正す。それがわたしの長所であり欠点でもありました。

 それ以来わたしの薔薇色の人生じゃなかった・・・荊(イバラ)の人生がさらに輪をかけて波瀾万丈支離滅裂奇想天外七転八倒でスリリングな状態に相なった訳であります。

 実はその予兆とも呼べる騒動が約三ヶ月前に起きていました。

 わたしは前の二件の不快な出来事があった後も何変わりなくブログの更新を結構まめにしていました。厭になることも多かったけれど拙ブログの記事を楽しみにして下さる方もいてそれに応えようとしていたのです。

 ところが或る日気掛かりな変化に気づきました。

 そしてそれは栃木県最大の町で餃子好きが集まっているところに在住していたブロガーのリアクションで確信に変わりました。

 それまで仲良く交流していたブログ仲間から完全に無視されている理由とその真相に突き当たったのです。

 それまで親しく交流していた幾人かのブロガーがわたしが幾らコメントを書いたりnice!を押してもまったく反応しなくなっていたのです。他のブロガーのコメントには答えているのにわたしのコメントだけが無視され放置されているという事実に気づき困惑しました。わたしは間違いなく誰かわたしに悪意のある者からそうされているのは分かりました。

 わたしのブログの一番の楽しみは他のブロガーとのコメントの遣り取りにあったのですがその楽しみが或る日突然奪われたのです。しかも特に親しく交流していたブローガーが一斉にわたしを無視し始めたのです。

 それまでのわたしは厭なことがあっても他のブロガーとの交流はそれを忘れさせるには十分でした。曽根風呂をそれまで継続できたのもこうした多くのブロガーとの交流あったればこそでした。その楽しみが突然奪われたのです。

 わたしは落ち込みましたが挫けはしませんでした。何故そうなったのか調べることにしました。

 しばらくしてその理由が分かりました。一番仲の良かったブロガーがわたしをいつの間にか排斥しそれを他のブロガーにも話したのが切っ掛けでわたしは無視されるようになっていたのです。子供の虐めと同じ心理ですね。

 試しにそのブロガーの取り巻きで一番露骨に無視した宇都宮に住んでいる「マダムデ〇タ」というニックネームの女性に鎌を掛けてみました。

 「何故無視するのですか。わたしがあなたに何をしたというのでしょう。云わなくても分かります。張本人はら〇ねーさんなんでしょう」

 そうコメントを書き込んだのです。

 すると効果は覿面(てきめん)で速攻でわたしのコメントは削除されました。

 それですべての理由が氷解しました。

 それよりも数ヶ月も前からわたしのコメントを完全に無視している女性がもう一人いました。前述の「マダムデ〇タ」と神戸在住のその女性とははじめは繋がりがあるとは思えなかったのですが実はこの二人の女性が乗っている車が共通していたのです。それだけでなくブロガーの知り合いが共通している事が縁でこの二人には繋がりがあったのです。何とそれらを取りもったのはわたし自身でした。これも恩を仇で返した一人です。

 その車こそがランチアのデ〇タという車でした。何のことはないニックネームそのものが縁で通じ合っていたという訳です。このことは後々重要な意味を持つことになります。

 そしてその神戸在住の女性と、もうひとりの「ふみ〇んの独り言」というブログを書いていた女性が親しく交流していて、わたしはそのふみ〇んの引きでこの神戸在住の女性とブログでコメントを交わし始めたといういきさつがあるのです。

 これらの人間関係は後々のブログ荒らし騒動に密接に関わって来るのですがその時点でわたしはその事を知る由もありません。

 わたしは無視されたことの真相を知りとても悲しくなりました。そしてその後に憤りを覚えました。

 何故ならこの「ら〇ねーさん」というブロガーはわたしの親切を仇で返して交流が途絶えていた人物だったのです。逆恨みの上の腹いせとしか思えない仕打ちでした。

法隆寺の寒椿.jpg 

 その年の夏が始まる前のことですが、わたしはそのブロガーが飼い犬に纏わるトラブルで困っているのを見かねて相談に乗っていました。しかしその当時その女性はこの問題を楽観視していた様です。そのトラブルをTV局に取り上げられたりして有頂天だったのです。

 その途中でわたしの母が持病の悪化で入院してしまいました。

 母は前年に夫であるわたしの父に先立たれ一人でしたからわたしがその世話をしなければならなかったのです。それで一ヶ月以上曽根風呂を留守にしていました。

 そして約一ヶ月振りにPCの電源を入れ、たまたまこの女性のブログを見るとなんと炎上して一時的にブログを閉鎖しているという記載があったのです。

 わたしは多忙でしたがこの状況を看過できず、すぐにこの女性の携帯電話に連絡を入れました。

 ところが驚いた事に電話口でいきなり「何で今頃電話して来たのか」とお叱りを受けてしまったのです。更に「助けて欲しい時に何で電話をして来なかった」と詰(なじ)られてしまいました。

 この約一ヶ月前には、このブロガーはトラブルの当事者であるタクシー会社を相手取って裁判を起こしていました。それで(わたしは専門家ではありませんが)法律関係の文書まで目を通したり自らの経験を話して、このままだとあなたの主張は通らないから訴状の主旨を変えた方が良いとアドバイスしたことがありました。

 しかしこの女性は弁護士でもないあなたにそんなことを期待していないとその時点では無碍にアドバイスを退けられとても冷淡な態度でした。その様ないきさつがあったのに何という言い草なのだろうと思ったのです。

 わたしがいない間に裁判は続いていましたが、それで事態が好転した訳ではなくわたしが予想した通りの最悪の展開が待っていたのです。最初からわたしのアドバイスを受け入れていればこんなことにはならなかったでしょう。

 わたしがどのようなアドバイスをしたかお話し致しましょう。

 「飼い犬の怪我の元になったタクシー会社を相手取って裁判を通して謝罪を求めるとのことですが、わたしの経験からすれば謝罪のみを求めればそれは叶わない恐れ大だと思います。むしろ約束した賠償を求めて裁判を起こされた方が良い結果を生むでしょう。しかしどう客観的に見てもあなたに事故が起きる主原因ともとれる過失があったことは否めません。そしてそれが損害賠償訴訟に於いては最大の争点になると思われます。そこのところを勘案して訴訟に臨んだ方が良いと思われます。ご健闘をお祈り致します」

 その様なアドバイスでしたが弁護士でもないあなたが何を言うのかと反論され聞く耳はまったく持って頂けませんでした。

 しかし、形勢が悪くなるとそれをわたしの所為にして「何で助けなかったのか」と詰(なじ)るとは言い掛かりとしか思えません。

 とても心外で不快になりました。それでもわたしは耐えて根気強くこの女性を説得しました。

 しかし紛争の相手にぶつけるべき憤懣を事もあろうかわたしに対してぶつけ、極めて感情的な言葉を投げつけられるに及んでわたしはこの女性と距離を置くべきだと判断しました。

 それで少し間を置いて、こういう内容のメールをそのブロガー宛に送りました。

 「正直に云いますが貴女の感情的な言葉にわたしは傷ついています。母が入院してあなたに連絡を取れなかったことがそれほど悪い事なのでしょうか。過去に於いてあなたがわたしのアドバイスに耳を傾けず今頃になって何故助けなかったと云われてもわたしは困惑するばかりです。あなたが冷静になるまで連絡を取るのは控えたいと思います」

 そして即座にその女性「ら〇ねーさん」から返信がありました。

 「絶交する」という主旨のメールでした。

 これほど感情的では冷静になるのは無理だろう。わたしはそれも致し方ないと思いました。そしてこういう内容で返信しました。

 「わたしはあなたを拒みません。以前のあなたに戻られたらご連絡を頂ければ幸いです」

 そのメールに返信はありませんでした。 

 その結果が、わたしと交流していた他のブロガーを巻き込んで無視するという何とも意地の悪い行為だったのです。

 多分距離を置きたいというわたしの言葉にこのブロガーはプライドを傷つけられたと感じたのでしょうね。そしてわたしに風評被害をもたらし貶めたのです。

 当人はそれで腹の虫も治まり満足だったでしょう。しかしそれは、わたしから楽しいブログ活動を奪う行為でした。最低の人間だと思いました。思っただけでなくわたしはそのことをブログに書きました。何故なら我慢していたものが一気に噴出し今度はわたしの方が腹の虫が治まらなくなっていたからです。

 自分だけならまだしも他のブロガーまで唆(そそのか)して人を排斥するなど「最低」だと。そしてこのブロガーを蛇蝎(だかつ)のように忌み嫌うと表現しました。無視していたブロガーも含めてわたしを知る多くのブロガーは皆この言葉には相当なショックを受けたようです。

 ですがそれでわたしの気が収まった訳ではありません。

 何故ならこれらのブロガーとの楽しかった思い出は二度と帰っては来ないからです。

 ところで、この「ら〇ねーさん」という女性のブログが炎上していたと先に書きましたがわたしはその状況を母の病気に忙殺されて見ていません。一ヶ月後に見た時にはブログは閉鎖されすべてのコメントは閲覧できなくなっていたので見ることは能いませんでした。

 思えばわたしがしばらく曽根風呂を留守にする直前に見たこの女性のブログ記事に懸念を抱いていました。

 この問題をブログ上に公開してみんなの同情を買い始めたのです。危険だなと思いました。他のブロガーのつてを頼ってテレビ朝〇の取材を受けたり、協力を申し出る人が殺到して浮き足立っている状況を見てますます危ういと思ったのです。

 極めて私的な裁判の内容をブログ上に公表し賛同を得ようとした事で、逆に批判を受けブログ荒らしや物見遊山の愉快犯の餌食にならないかと心配しましたが実際その通りになってしまったのです。

 考え方がとても安易だったのです。同情を買おうと思った結果が逆に反感を買ってしまったというところでしょうか。わたしは後でその事を知りましたがさもありなんと思った次第です。

長谷寺の寄進灯籠.jpg 

 それからしばらくして起こったのが一連のブログ荒らしでした。

 このブログ荒らしですが、先のブロガーに無視されたこと共通点がありました。加害者と被害者も含めた当事者の幾人かが共通した人物だったのです。

 そしてOFF会という交流の場でいろいろな話が交わされ、その情報を元にブログ荒らし一味が暗躍を始めたのです。酒の席の話ですから誰も自分の言った愚痴や不満や人の噂など覚えている者はいません。しかしそれらをネタにブログ荒らし騒動が勃発したのです。

 先の神戸在住の女性は名古屋まで行ってOFF会に参加していました。この女性はどうもわたしに対して腹に一物持っていた様です。そこで「マダムデ〇タ」から聞いた「ら〇ねーさん」の一件をブログ荒らしのまさに張本人の男に話してしまったのです。「ふみ〇ん」という女性もこのOFF会に過去に出席していた事実をわたしは過去ログを調べて知りました。

 そうです。何のことはない。すべては繋がっていたのです。

 「み〇もも」という老婦人も、「ハッピーハロ〇ィン」という中京在住の女性ブロガーも、「ふみ〇ん」も、神戸在住のデ〇タでレースをしていた女性ブロガーも、宇都宮在住の「マダムデ〇タ」も、つくば市在住のら〇ねーさん」も、この一年後に遭遇した「井〇太郎」君も、当人が知っている知らないかを問わずすべてが繋がっていたのです。

 それらのブログのコメント欄を調べて分かったのですがコメントを寄せるブロガーのうちの何人もがまったく共通したブロガーだったのです。更にその中の数人に絞って過去のブログ記事を見ていくと後にブログ荒らしに発展した経緯がつぶさに分かりました。中には二年前にまで遡って調べたものもあります。誰と誰がどういう人間関係にありそれがどの様な変化を経て現在に至ったのかそれこそ目に見えるようでした。

 これらの人物はブログ荒らしで勢揃いした訳ですが、この前は個別あるいは複数であちらこちらで悪さをしていました。それがあちらこちらで起こったブログ炎上と無関係であるとはわたしには思えません。何故ならこの者達は広範にまたがってありとあらゆるブログに出没していたし、そこで悪さをしなかったとはその後の行状を見る限りいえないからです。

 わたしにを攻撃したり悪感情を抱いた人たちは、加害者被害者を問わず複数の人物に知らず知らずのうちに操られ、トラブルに巻き込まれたり、自らがトラブルを起こしてしまうという間違いを犯してしまったのです。

 誰でも初めは自分の意思で遣っていたことは間違いがありませんが、その根底には他人があたふたするのを見て楽しむ輩がいたのです。それが身近にいるとも知らずトラブルを起こせばその餌食になってしまうのです。

 わたしはその事を知り暗然としました。何故ならこの様なコメントを書き込んだ輩の中に、かつて良識ある人だと思っていた方が含まれていたからです。一時の過ちだったのでしょう。今はその様な事をしていませんがかつてはしていました。それは間違いの無い事実です。

 誰とは申しません。この記事を読んでいたら真摯に反省して下さい。

切符.jpg


 このブログ荒らし一味について通信ログソフトでつぶさに調べ始めるといつも発信源は中京地域と阪神地域という共通項がありました。そして愉快犯のようなコメントを貼り付けた人物(当初は誰だかは分かりませんでした)もまったく同じだったのです。

 しかし通信ソフトは最後にどこを経由して自分のブログに来たのかを知ることは出来てもその者がどこの誰なのか迄は明らかにしてくれません。それを悪用すれば今でいう成りすましも可能なのです。

 わたしは当初その事を知らなかったのでこの手に一度引っ掛かってしまい「何故あなたは一日に何度もわたしのブログを覗きに来るのですか」とメールをして、ある女性にそのメールの全文をブログ上に公開され大騒ぎをされた事があります。(ちなみにネット上に私信であるメールを公開すれば罪になります。たとえそれがどんなことであってもです。わたしはこの時法的措置は執りませんでしたが人によってはそうする人もいるでしょう)

 こうして、OFF会での交流がその根底にあり、その後の人間関係がギクシャクして争いが始まった事は分りました。しかし誰と誰がどういう関係にありどの様なことが契機になって人間関係がおかしくなっていったのか、まずはその全体像を解明しなければ解決はおぼつかないとその時感じました。

 そして真相を知ることになったのです。

 このまともでない者たちがブログ荒らしといわれて暗躍した中京地域とわたしの住んでいる首都圏は離れていましたので、現実的にはブログを不快なコメントで荒らされる以外実害は殆どありませんでした。強いて云えばブログ荒らしの協力者に自宅の写真を撮られそれをわたしを誹謗中傷する為に開設したブログに掲載された事ぐらいでしょうか。

 この中の男女二人に過去一度ならずも攻撃を受けていたとわたしは確信しました。その理由は過去の騒動でわたしが訳の分からない愉快犯から攻撃された時と文面と文章の特徴が酷似していたからです。

 ゲストコメントのニックネームも酷似していました。そして誰のブログを通してアクセスして来たかも判明しました。このうちの女一人は、特徴的な名前で必ず出没しました。実名で登場したこともまります。だからその名前で検索すれば過去に何を遣っていたのか殆ど分かってしまうのです。そしてリンクを辿って行くと必ずある男性のブログに到達する。それでその男性が張本人の可能性が高いと判断しました。

 奇しくもわたしが一番はじめに声を掛けた方が公開質問状を出し真偽を質した男その者でした。

 この男と先に挙げた女がカップルで曽根風呂を荒らしまわっていたのは間違いない事実でした。そして男女が組んでブログを荒らしまわるという特徴はこの二人組の他には見受けられない独特のものでした。

 わたし自身は実害は殆どなかったと申し上げました。しかし、曽根風呂上でブログ荒らしの糾弾キャンペーンを始めてしばらくしてから、この元凶となった男は自分の行状が拙ブログで白日の下に晒されていることにようやく気づきました。

 実はこの男はそれまで自分が得体の知れない誰か(もちろんわたしです)に糾弾されて右往左往していたのです。悪事がばれて仕事にまで影響が出て本当に慌てふためいていたのは仲間同士のメールの遣り取りが筒抜けだったので知っていました。だから知り合いを通じてわざとここであなたの行状が暴露されているよと教えてあげたのです。

 自分を糾弾している相手がようやく分かったのがよほど嬉しかったのでしょうね。

 「とうとう見つけましたよ」という書き出しで始まる脅迫メールをわたしに送り付けて来ました。

 しかし笑ってしまいました。この男がわたしを脅迫できるのも、わざわざ人を介して教えてあげた結果なのです。その内容も予想した範疇で単なる道化者にしか見えなかった。相手の肝を冷やすくらいの文章一つ掛けない男ならたかが知れていると思いましたが果たしてその通りの男でした。

 その脅迫メールには「ただではおかない」とか「今に見ていろ」だとか「俺を甘く見るな」とか「報復してやるから楽しみに待っていろ」とか「後で吠え面かくなよ」とかありとあらゆる罵りと脅しの文言が書かれていました。

 当時被害者の一人だった友人はわたし宛のそのメールを犯人であるこの男からCCで受け取っていました。それを警察署に行ってノートPCを開いてその文面を見せましたが、このメールは明らかな脅迫文だと担当した警部補は断定したそうです。もし実害が出たら証拠になるので廃棄しないようにとも謂われたそうです。

 それを受けてわたしはその脅迫メールや他人を誹謗中傷している記事をもう一人の友人を介してこの男の上司に当たる人物に内容証明郵便で送りました。もちろんその企業のコンプライアンス部門に事前に連絡を入れて了解を取ってのことです。

 これにはこの男は相当参ったようでした。わたしの行動があまりにも意表を突いていたからです。

 実はその前にも曽根風呂で「おたくの社員が悪さをしているよ」と、この企業のコンプライアンス部門に連絡をしていました。しかもその時点でそれをしたのがわたしだという事さえこの男は分からなかったのです。恐怖だったでしょうね。

 糾弾しているのがわたしだと分かって脅迫メールを嬉々としてとして送った時にもう一度この男の上司にわたしが苦情を入れるとは思いもしなかった様です。今でいう想定外だったという事でしょう。

 わたしは遣る時は徹底して遣ります。相手の意表も突きます。その他にもわたしはいざという時に備えて打つべき手はすべて打っていたのです。この男がこう出たらこう遣り返す。いつも機先を制していました。

 この男のメールの文面は見る人によっては怖気づいたかもしれませんがわたしには効果は全くなかった。しかもわたしはそんなことで追及の手を緩めたりしませんでした。逆に糾弾の度合いを倍加させたのです。

 しかしこの男は実に情けなかった。その後も虚勢を張ってこれでもかこれでもかという具合の脅し様でしたがわたしに蚊に刺されたほどの痛痒も加えられなかった。

 そこまで書くならその脅しの文言の一つでも実行して欲しかったです。そうすれば二度とこんなことが出来ないように、そして二度と立ち上がれない様に、完膚無きまでに叩き潰してあげたのに。

 そうしていれば今頃LinkedINなんかで余裕こいてのんびりコメントなんか書いていられなかっただろうね。写真を見たけれど自転車乗りになっても体は引き締まらないね。色だけ黒くなったけれど弛んだ顔はサングラスを掛けて隠さなければならないとは情けない。本当に締まりのない顔だ。この男があちらこちらで悪さを重ねていたあの「伊那楽器と読む」だとは誰が知ろう。いや、わたしは知っている(爆)

 一味は一旦悪事を働いたらその罪を償わない以上それを追求する人間が次々と現れると云うことは知っておくべきだったろう。今更遅いがね。

 その様に威勢よく、「ただでは済ませない。今に見ていろ」と宣戦布告したこの男とその相棒の女たちがわたしにした事といえば、わたしを攻撃するだけの目的で誹謗中傷専門のブログを三つも立ち上げて、毎日怨念のように記事を更新していたことくらいでしょうか。

 二日もそんな記事を載せておけば曽根風呂も削除命令を出しますから毎日、時には一日に何度も消したり復活させたりしていました。よほど暇だったのでしょうね。

 結局のところ、この男、わたしの想定外の行動で後手後手に廻り仕事も手に付かなくなってしまい最後は「自分は負けない」という負け惜しみを云って反撃もとどのつまり竜頭蛇尾に終わってしまった。その後始めたのが件の誹謗中傷専門ブログだった。

 しかし、誹謗中傷専門ブログの影響は全くなかった。

 友人に勧められ一度見たがその低俗振りに呆れ以後記事を見ていない。

 見ていないのだから腹も立たない。骨折り損の草臥れ儲けという訳だ。

安曇野の秋.jpg 

 一方でブログ荒らしが勃発した中京は発生当時から泥沼と化していました。

 被害者の一部はこの一味の攻撃を実社会でも受けていたのです。ブログに嫌がらせとか誹謗中傷コメントを書き込まれるだけでなく、脅迫電話や職場に名指しの批判メールを送られたり自宅付近にビラを撒かれたりつきまといなどが犯人一味と被害者が集中していた名古屋を中心とした中京で実際に発生していたのですね。皆疑心暗鬼になり右往左往していました。

 名古屋市近辺では被害者だけでなくブログ荒らし同士やその取り巻き連中の間でも争いが起きていたと聞いています。真偽のほどは定かではありませんが被害者の愛犬が毒を盛られて殺されたぐらいですからとても異常な事態でした。たかがブログですよ。人間はなんて愚かなんでしょう。

 わたしと友人は何でこんな事が起きたのか調べて、ついに真相に至りましたましたが実に呆れる内容でした。何でその様なことが起きたのかがはじめから分かっていれば、けしてこんなくだらない争いに介入したり真相を明らかにしようなどとは考えなかったでしょう。ドロドロした愛憎関係など誰も見たくなかった。

 時間が経過したので真相を改めてお話し致しますが、曽根風呂に嫌がらせや誹謗中傷コメントが大量にばら撒かれた本当の理由は、m〇xiで知り合った男女が三角も四角関係にもなって、その中のひとりの女が他の女一人を攻撃し始めたのが原因です。

 その後もう一人の女がその攻撃に介入して、それに男が加わり事態は更に複雑化しました。なぜならこの男は女同士の争いがエスカレートすれば自分の社会的地位や家庭が危うくなると考えこの状況を利用して女たちとの関係を清算しようと画策したしたからです。でもm〇xiで知り合って以来一緒にあちこちで悪さをしていた二番目の女にそれを気づかれ最後は喧嘩別れをしている。

 拙ブログに不快コメントを最初に貼り付けたのはこの二番目の女であることはすぐに分かりました。先に挙げた独特なニックネームで多くのブログに嫌がらせコメントを書いたのはこの女ブロガーです。曽根風呂からは何度もブログの閉鎖措置を受けている札付き女です。

 わたしは知りませんでしたが、「雪う〇ぎ」などというニックネームで多くの同情を集め被害者を装っていた女がいました。「雪う〇ぎ」は不倫の果てに身籠もってしまった様です。そのことが配偶者に知れてしまい離婚の憂き目に遭ったこの女が伊〇の国市の某病院で無事出産した事をわたしは知りました。しかし驚いたことに出産後二ヶ月ほどでわたしへの攻撃を始めました。それでこの女が被害者ではなく加害者だという事が明らかになりました。先の三つあった誹謗中傷専門ブログの内の一つがそれです。わたしの所為で早産で子供が死んだと嘘までついてね。その嘘でわたしはその後しばらく人殺し呼ばわりされた。しかし嘘を根拠に他人を攻撃してもよい理由にはなりません。

 まともな神経を持っている人ならば誰でも分かることですが本当にそうだったとしたらわたしが無事でいられる訳がありません。

 嘘を平気でつける人間は本当に嘘が上手い。またそれに騙される人間も大勢いる事実に暗然とします。この女に同情して知らず知らずのうちに犯罪に加担させられて慌てて距離を置こうとした人たちがいました。しかし一旦弱みを握られたら骨の髄までしゃぶられます。実際に悪事に加担した者は相当数にのぼります。

 ところで、当時のわたしはブログ荒らしがどうして起こったかという事実を明らかにしはしましたが、誰がそんな事をしたのかまでは明らかにはなっていませんでした。当然伏せ字もニックネームも公表していません。その様な状況で何故自分のことが書かれていると雪う〇ぎは考え動転したのでしょう。その存在すらも知らなかった予想外の人物が突然動揺したのは何故なのか。わたしは不審に思いました。

 そしてわたしの情報網はついに事実を明らかにします。この雪う〇ぎがブログ荒らしの事始めつまり張本人だったのです。だからわたしのブログ荒らし糾弾記事を固唾を飲んで凝視していたのです。そこにブログ荒らしが発生したのは不倫の果てに一人の女が身籠もった事に起因するのではないかと推測すると書き記したものだから仰天したという訳です。そういう情報は入っていたがその時点でわたしは雪う〇ぎの存在すら知らなかった。

 しかし過剰に反応したことで自分が犯人であると皆に知られてしまった。そして何故過剰に反応したのかを調べる内についに真相に達したのです。すべてこの女が始めた事だとね。

 攻撃されてから思ったのですが生まれたばかりの子供を抛ってまで他人を貶め攻撃する心理はまともではないと思います。人殺しなどという恐ろしい言葉と嘘を平気でつける人物がまともである筈はありません。しかし自分たちが何をしたのかさえ分からない様では何を云っても無駄でしょう。だからわたしは最初から相手にさえしなかった。かなりの美人との情報を実際に会った事のある方から得ましたが心が醜い様ではお近づきはしたくない。

 一方男の方は、当初自分のブログで最初の被害者を逆に犯人に仕立て上げようとしましたがすぐに常連のブロガーに真相を暴かれてしまいました。実に底が浅い。その後言うことをコロコロ変えブログ仲間の信用をすっかり落としてしまいました。しかし本当に悪さをしていたのはこの男が言及しなかった一番目と二番目の女二人です。それにこの男が最終的に加わって三人でわたしへの攻撃をしていたのです。何故最後に加わったかといえばわたしへの復讐の手立てがなくて万策尽きたからこんな中傷行為に及んだのです。阿呆ですね。

 脅迫メールを送ってきた時点でこの男は逆にわたしを法的に罰せられると思っていたようです。糾弾の手段に法的な瑕疵を見つけられるとでも思ったのでしょうね。わたしに圧力を掛ければ襤褸を出す。そう思っていたのでしょう。でもそれは男の方でした。

 犯罪者に犯罪者に仕立てられるほどわたしは愚かではありません。そんなドジは踏みません。むしろこの者達がして来たことはどのような罪に該当するのかつぶさに調べていたのはわたしの方です。一旦事が明らかになれば社会的制裁を加えて一気呵成に叩き潰す積もりでした。

 しかしとどのつまりはこの男怖じ気づいてしまった。

 犬の遠吠えだけ残して何の痛痒も与えることが出来ずに曽根風呂を去って行きました。

 しかし二番目の女だけが一人残って後々まであちらこちらで悪さを繰り返すことになる。

 この女、とても異常な女でしたね。田植え機メーカーみたいなあの太郎さんのブログにもわたしが人殺しだというコメントを書き込んでいました。ブログ荒らし発生から三年以上も経ってもこれですから如何に執念深く異常であるか分かろうというものです。

 こうした糾弾の最中に友人から知らされて分かったのですが、男はこの女とグルになって以前から曽根風呂内を荒らし回っていました。大阪まで出向いて脅迫などの悪さをしていたことが判明しています。遣っていたことはまさに犯罪です。曽根風呂を離れても悪事の相棒としてはウマが合ったようです。この男女のメールのログを見ると(何とこの女自分でその通信記録を公開していました)他人を虐めるのが楽しくて仕方ないという感じでした。その様な異常で執拗な攻撃をされて皆泣き寝入りをしていたようです。

 しかし、わたしはそれまでの被害者とは決定的に違っているものがありました。それは、他人から謂われのない攻撃を受けたらけして泣き寝入りはしない。遣られたら必ず遣り返す。この二点だったのです。

 結局のところ、わたしを支援する人たちから、多くのメールや情報を頂き真相に至りました。元々仲が悪い連中がわたしというたった一人の男を標的に結託したのだから、その効果がないと分かればいずれ消滅するのは目に見えていました。そして案の定、最後は内紛を起こしてそうなりました。それでも二番目の女は、この男が自分の元を去って行ったのはわたしの所為だと恨み、ただ一人誹謗中傷をいつまでも繰り返していたようです。

 不倫がいけないとは申しません。しかし自分でしたことの結果は甘んじて受けなければならないというのがわたしの考えです。それが出来ないのならはじめからこのようなことは慎むべきなのです。もっとはっきり申し上げるならば自分の欲望から生じたものは長続きするとは思えません。それが分からないのは憐れむべきなのか蔑むべきなのか・・・。

 思うに、こんな見苦しい争いはm〇xiの中だけで遣ればよかったのです。m〇xiにとどめて置けば良かったのです。それを曽根風呂まで飛び火させたのが運の尽きで、わたしの怒りを買い悪事をすべて明らかにされた訳です。

 ちなみにm〇xiでのサークルは「不倫同好会」みたいなものらしいです。そのOFF会で男は当然知っていましたが女同士がそれと知らず鉢合わせして、誰と関係があるだとかないだとか自慢し合った結果が諍いとなった訳です。その女こそが「雪う〇ぎ」だったのです。

 どうです。これが被害者ですか?

 あそこ(m〇xi)は招待したりされたりして主催者の承認を得なければサークルには入れて貰えません。皆それが目的でそのサークルに入って来るのです。今で謂えば出会い系サイトみたいなものですね。ただそれがクローズドなサークルだっただけ。

 そんな人達の集まっているところといえば推して知るべしでしょう。

 ああ長いお話しでしたね。今まで胸に溜めていたことを書いたのでこれで過去を吹っ切れます。 


 にかく、そんな事が半年の間に立て続けにあってあって、わたしは超お気楽派から突然変異で社会性に目覚め急遽真面目派に転身致しました。(遅すぎるわい!)

 それ以来と云おうかそれ以後と云おうか心ならずもいつの間にかシリアスな記事がメインになっていたのであります。

 本来はお笑いブログを目指していたのですが・・・。

 今から八年以上も前のことになります。

白木蓮.jpg 

 <白木蓮の花。 この花を撮ってから一ヶ月後にわたしは安曇野に赴任しました>

 かしながら、シリアスというのはわたし本来の姿ではございません。

 ですので「アナと雪の女王」ではありませんがこれからは

「♪ありのままの~姿見せるのぉよぉ~♬ ありのままの~♫ 自分にな~るの~♪」

 、てな具合に本来の自分に戻ろうと心に決めた次第であります。

 そんなこんなで本日からわたしは新しい自分に生まれ変わります。

 えっ。勝手に変わるなって! 良いじゃないですかお馬鹿さんの云うことなんだから聞いて遣ってくださいな。

 でありまして、これからは背伸びもしなければ他人の横槍にも動じません。

 そうは申しましても今まではそうではありませんでした。正直に申し上げますがブログ荒らしの頃は他人の言葉をまったく気にしなかった訳ではなくて、むしろ、噂とか自分の評判評価というものは結構気にしておりました。

 一味が巧妙に曽根風呂内にわたしへのネガティブな風評を流して人の去就がかなりあったからです。それによって人々の本心が分かったというのはあるのですが、それでまったく動じなかった訳ではなくて、むしろ裏切られた思いがしたり悔しかったり悲しかったりしたものです。しかし得たものもそれと同じくらいありましたから良しとしなければならないでしょうね。

 まあ昔から出る杭は打たれるで攻撃されるのには慣れておりました。しかし最後まで自分は貫きましたし逃げたりはしなかったので、自分の言動自体に悔いはありません。

 ですがわたしはそこで大きな間違いをしてしまいました。

 自分を貫き、正論を押し通すことによって、多くの人達をその激烈な言動で傷つけてしまったのです。それが厳然とした事実としてそれ以後のわたしにのし掛かっていました。わたしの考えは、罪を犯した者に同情するのは、盗人にも三分の理があると認めるばかりか、泥棒に追銭をするのにも似た愚かな行為だというものでした。いまでもその考えは変わりませんが賛否は相半ばしたように思います。

 ブログ荒らし一味は混乱に乗じてこの事に関わるブロガーに取り入り、巧妙に仲間に引き入れました。そして唆(そそのか)して罪を犯させ、それをネタに更に犯行を強要するという悪循環が繰り広げられたのです。そうしたことで当時の曽根風呂には不信感が蔓延していったのです。それが騒ぎを大きくした要因でした。

 その様な中で、真実を受け入れられない、または理解しようとしない人たちにわたしの怒りの矛先は向けられました。でも自分から仕掛けたりはしません。ブログ荒らし一味に唆されて抗議したりブログ荒らしの言い訳を代弁するような輩にだけその怒りの矛先は向けられました。曰く、「あなたは誰に唆(そそのか)されてこんな出鱈目を書くのか?」と。当然返事はありませんでした。

 しかし、多くの人たちは一連の騒動を静かに遠くから見ていたのですね。しかも物言わぬ人たちほどこの事態に憂慮し翻弄され深く傷ついていたのです。それまで仲の良かった人達がいがみ合い対立する構図に恐れ戦いていたのです。そして拙ブログから常連の読者が櫛の歯が抜ける様に一人二人と去って行きました。当時のわたしには離れていった人たちは皆臆病で現実から逃げているとしか思われずそれが分からなかった。

 そうです。わたしに害を及ぼした人たちと同じように自身も愚か者の一人だったのです。

 それ以降、わたしの心の奥で本来は傷つけてはいけない人達まで渦中に巻き込んで深く傷つけてしまった事が引っ掛かって、それこそしこりのようになっていました。いわゆるトラウマです。考えてみれば自業自得ですがそれ以降、以前のように曽根風呂に傾注できない主要因になってしまいました。当初はブログ荒らしの男女の甘言を信じてしまったり、野次馬やブログ仲間の言動に惑わされて自分の元を去って行った人たちにすまないという気持ちはまったく持てませんでした。今なら理解できるのですが、当時は自分は正しいのだという思い込みしかない独り善がりの大馬鹿者でした。

朝露に濡れた落ち葉.jpg 

 それから何年も経った去年の暮れ、安曇野から戻って来て曽根風呂を継続する気力が尽きかかっている自分に改めて気づいたのですね。何故自分はこんな事になってしまったのだろう、何をしても心から楽しめない人間になってしまった。自分の今まで曽根風呂で遣って来たことは刹那的で虚しい。振り返ってみてつくづくそう思ったのです。多くの人達を傷つけてしまったというのは何年経っても消えないわたしの罪だったのです。それでいろいろ考えることがあったので曽根風呂を休むことにしたのです。

 わたしはこう思いました。

 ブログはあくまでもブログであり自分のすべてではありません。ですから楽しみだけで出来る内は良かったのです。しかし厭なことが立て続けに起これば誰でも気力が失せてしまいます。それまでのわたしは相手が身勝手だったり愉快犯の流言を信じて誤解されたりして何人ものブロガーと袂を分かっていました。わたしがそうしたのではなく相手が感情を露わにしてわたしを一方的に非難し去って行ったのです。至極まともなわたしのコメントは削除されそれ以降すっかり悪者にされてしまいました。それはそれで致し方のないことだと思いますし自分に非はないので恥じることは何一つないのですが、後味の良いものではありませんでした。それであのブログ荒らしや太郎君です。遣る気が失せたのは当然といえば当然です。

 そうは云ってもブログはブロガーと呼ばれる人たちにとっては生活の一部です。記事を更新されている人の殆どは比重の大小の差こそあれ生活の一部であることは否定できないでしょう。それは取りも直さず人生の一部であることだと思います。そして、生きて何らかの活動をしている以上無意味なことなど何一つありません。少しでも時間を掛けることがあるのなら自分にとって有意義なものにしたいと誰でもが思うはずです。

 ですから、ブログを再開するに当たってわたしは過去を断ち切ることを決意しました。そして今度は本当に書きたいことだけを書こう、アップロードしようと心に決めたのです。

 時がすべてを解決する訳ではありませんが人は過去を振り返ってばかりでは前進できません。新しい自分に生まれ変わらなければ自分ばかりでなく自分を取り巻く環境も情況も何一つ好転はしないのだと思います。自分の道は自分で切り開く。人として生きていく以上それは避けては通れない道の様に思われます。日々の生活の積み重ねがその人の人生ならばたとえそれがブログという狭い範囲のものであってもね。

 そうした紆余曲折を経てわたしが選んだ道・・・それが小説を書くことだったのです。突飛押しもなく聞こえるでしょうね。でもそれがわたしの解答(こたえ)なのです。

 こんな時代に何を今更と思う方も居られるでしょう。しかしながら、「だからこそ恋愛小説なのだ」とわたしは云います。人生に少なくとも一度は経験する恋愛をもう一度再構築するのも面白いと考えたら次から次と構想が膨らんで今日に至っています。その中で人間の持つ美しさも醜さも崇高な精神も愚かな行状もすべて書き尽くしてみたい。そう思ったのです。

 破天荒とまではいきませんが振幅の激しい性格を生かした硬軟取り混ぜた文章が得意なわたしです。恋愛小説でもその姿勢は踏襲されます。というより落ち着きのない行き当たりばったりの困ったちゃんな性格は今更変えようもありません(笑)

 しかしこれは裏を返せば小説を書くにはうってつけの性格ではないかと気づき、ポジティブに考えることに致しました。

大町で会った人なつっこい子猫.jpg 

 下、何故小説を書こうと思い至ったかについて更にお話をさせて頂きます。

 最初にお話し致しましたように、本文はブログ荒らしに遭遇する以前の本来のわたしの姿からすれば短いのですが、それをご存じない大方の人にとっては長文かも知れません。長い文章が苦痛な方はパスしちゃって結構です。ですが上記で書いて来た記事の長さからすれば1/4の長さです。できれば最後まで読み切って頂ければ幸いです。

 当然ですが、小説好きもしくは読書好きな方、はたまた暇を持て余していて時間つぶしに何か面白いものはないかとお探しの方には興味深く読んで頂けるのではないかと思っております。何しろこれ一つが短編小説かエッセイの体をなしておりますから読み応えは十分にあります。

 今回の文体の基調は「告白体」です。結構面白いですよ。

 それでは先に進むことと致しましょう。




白馬ジャンプ競技場で見たバッタ.jpg 




安曇野の春.jpg 

 僕はこの小説をあらすじも結末も決めぬまま書き始めてしまった。

 まず初めに何故ブログに小説を掲載しようとするに至ったのか言及しなければならないだろう。結構長い話だからこころして読んで欲しい。

 僕は二十世紀半ば過ぎに福島県会津地方の片隅の小さな寒村で生を受けた。今は喜多方市に市町村合併で編入された、お蕎麦で有名な山都町という地域のさらに奥に所在する集落である。

 物心が付いた頃、僕は母と姉の三人で会津若松市内に住んでいた。諸々の事情で市内で二度、それまでに計三回の引っ越しを重ねていた。最後は栄町というところに住んでいたが今は山鹿町という町名に住居表示が変わった様だ。この山鹿町は鶴ヶ城のごく近くなのだが町名が変わったのはあの山鹿流兵学を始めた山鹿素行がここで生を受けた事に由来する。山鹿流兵学を学んだ吉田松陰の門下生が後に山鹿素行生誕の地である会津に敵対し会津藩そのものが恭順の意を示していたにも拘わらず攻め入り蹂躙するという暴挙を行ったのは何という歴史の皮肉であろうか。

 そんな歴史のある町に住んではいたが父は家に居らず引越しの理由も余りにも幼く知る事はなかった。だが三回の引っ越し共、家の廻りには同い年の子供達がいなかった事だけはよく覚えている。

 その所為か、外でも一人ぽつねんと遊ぶ子供だったとは母から聞いた話だ。人と交わる事を嫌がる引っ込み思案な性格を見て我が子の将来が心配だったという。一人で遊ぶと云っても現在と違ってゲームソフトやそれを動かすハードなどというものも無かった、いやそもそも何もなかった時代だ。僕は同世代の子供達の過半がそうであった様に、貧乏で玩具などの遊ぶものも満足には買って貰えなかった。だから、大概の家庭では自らの、若しくは父母の手を借りて手作りで遊具を拵え遊ぶのが普通だった。しかし僕の家は極貧だったのでそれも儘ならなかった。その頃の我が家には父の姿はなかった。

 引っ越した先々で友達になる自分と同じくらいの子供らがいなかった事がその後の僕の人間形成に大きく影響していったのは間違いない。父が不在で収入も無い為、母は親戚の伝手を頼って働きに出る事になった。僕は保育園に預けられたが、越境通園だったので家に帰れば廻りには誰ひとり遊び友達がいないのだった。保育園には意地悪な女の用務員がいて、何や彼や理由をこじつけて頬を叩かれたり、床下に押し込められて折檻されたりと、子供心にも深い傷を負った。恐怖しか感じない保育園は僕にとって苦痛でしかなく居心地の良い処ではなかった。

 生きていく為に母は働き詰めだった。入園したては朝は園まで送ってくれたが帰りは一人で家まで帰っていた。暫くしてからはそれもなくなって、行きも帰りも自分一人だった様に思う。僕の記憶では、戦後の混乱期を脱して漸く日本社会が安定した時期に起きた、世間を震撼させたあの幼児誘拐殺害という凶悪事件が起きるまでは保育園も家人の送り迎えの有る無しにはあまり拘っていなかった様に思う。二つ年上の姉は小学校に入学して以来僕とは別行動だった。姉は当時を振り返って、すぐグズる僕のお守りは嫌で堪らなかったという。

 それだけでなく、父は遠く離れて暮らしていて何年かに一度帰って来るだけで、仕送りもなく当時の我が家は全くの母子家庭であった。

 孤独だった。

 父がたとえ一時期とはいえ家族を顧みなかったことは長じて父と僕の確執の遠因になった。その頃の父は東京で定職について働いていた。しかし仕送りは全くなかった。当然ながら極貧だった。そんな環境の中で出来るものと云ったら一人で遊ぶ事しかなかった。

 しかし、そのひとり遊びばかりしていたお陰で、絵を描いたり、ものを書くのが好きになった。そして何もないところから何かを創り出すというのは僕の一番の喜びとなった。

 本を読むのも好きで、字も小学校に上がる前には当用漢字(今で云う常用漢字)は書けないものは多々あったが総て読める様にはなっていたし意味も正確に理解していた。

 小学四年で大人の読む小説を読み始めた。その頃になると上京して父とも同居していたが生活は楽ではなかった。 母からは漫画は許されなかったが、文庫本を買うといえば少ない収入の中から何とか工面してくれた。当時の文庫本は安いものは50円とか100円で買えた。300円もする文庫本と云えば相当ぶ厚い本だった。何を買うか、何を読むかは問われなかった。

 初めて読んだ大人の小説は太宰の「人間失格」だった。意味も過半を理解していたからかなり早熟だった様に思う。傍らには僕の手垢にまみれた国語辞典があった。母から譲り受けたものだった。 

 一方、絵画や版画や彫刻などは小学生からすぐに才能を開花させ、幾度も賞を頂いた。しかし好きな絵画や彫刻でも、お金が無いために皆と同じように画材や道具を用意出来ず悲しい思いした事は少なからずあった。

 会津若松市から東京都の葛飾区に転入したのは小学校二年生の時だった。東京オリンピック開催の二年前の事だ。そのオリンピックのあった小学校四年の時、いつも僕を目に掛けてくれた図工の教諭が見るに見かねて人知れず画材を買い与えてくれた。その教諭の厚意を僕は無にした。頂いた画材を学校にはけして持って行かなかったのだ。

 今にして思えば、その教諭は本当にいい先生だった。担任に色眼鏡で見られ暴力を振るわれ続けた僕を庇い僕の才能を愛で優しくしてくれた。人間としてもとても立派な方だった様に思う。しかし、人に施しを受けると云う事が幼心にもどうしても我慢がならなかった。幾ら貧乏でも僕は乞食ではない。そう思ったのだ。

 そんなことがあって、美術はとても好きだったがそれを将来に渡って生かそうは思いもしなかった。その日の糧も儘ならぬ貧乏人の子が絵で生きて行けるなどとは子供心にも思えなかったのだ。そうは云っても、二つ年上の姉も同じ様にと云おうか倍掛けて美術の才能があって、終始一貫自分の才能を磨く事に徹したので長じてグラフィックデザイナーになった。要は何に興味を持って何を貫くかだが、残念な事に僕に一番欠けていたのは継続力と忍耐力だった。そして僕は持ち前の集中力を以てして「短期決戦」は得意だったが、初志貫徹がまったくと謂って良いほど出来ない「超優柔不断男」だった。

 そんな僕だったが、ものを書く行為だけはいつも何かを与えてくれた。それは誰かに褒められたり感心して貰ったりという他愛のないものであったが僕はそれで満足だった。

 何一つ誇れるもののない僕の唯一の自慢は小中高の卒業文集の卒業生代表の作文と表紙の絵を自分のもので飾ったことだが、もう小学校高学年の段階で僕の書いたものはとても小学生の作文とは思えないとも評された。人の心を掴むすべを知っていたのである。

 絵も同じ喜びは与えてくれたが油絵などは夢のまた夢で画材さえ買っては貰えなかった。しかし、本とノートと鉛筆だけは母は少ない収入の中から買い与えてくれた。そして実生活でもそれを生かす機会は幾らでもあった。

 何よりも、紙と鉛筆と想像力さえあれば何時(いつ)でも何処(どこ)でも人に自分の思いを伝えられるというのは素晴らしいことの様に思われた。それに簡単に絵など書き加えれば意思の疎通は更に容易だった。長じてもそれは変わらなかった。あらゆる場でそれを「特技」として生かす事が出来た。

 だがそれはあくまでも「特技」でしかなく、限られた範囲でしか才能を発揮することは能わなかった。しかも、糧を得る為の方便(たつき)で特技を生かしても喜びはなかった。

 それ故、その「特技」を生かして何かを書いて世に出そうなどとは思いも拠らなかった。働き盛りの頃はいつの間にか「特技」が実は「才能」の一つだという事を忘れていた。言葉の意味を人一倍知っていると自負していたが自惚れだったのだろう。灯台下暗しとはこの事を云う。 

 因みにこの灯台とは船を誘導する灯台ではない。電気がない時代に照明や読書灯として用いた菜種油を燃料とした燭台の事だ。皆さんも時代劇の夜の室内シーンで見掛けるあの照明である。

ジャンプ場のトイレの採光はステンドグラス.jpg

 四十を超えても僕を取り巻く環境は一向に変わり映えしない様に思われた。

 だが知らず知らずのうちに変化は顕在化していた様だ。パソコンは早い時期から自分で購入したり自作機を作っていたが、それが世の中を変革するとはとても思えなかった。パソコンなどホビーの域を出ないマニアックなものだと思っていたのだ。現実に当時のパソコンは世間ではそういう位置付けと評価だった。

 パソコンが日常的に仕事に使われる様になったのは二十一世紀を迎える僅か五年前の事だ。この辺りからパソコンをインターネットで繋ぐのが次第に普及し始めた。それ以前にもパソコン通信などというものはあったが通信速度も極端に遅くごく一部の人達が利用しているに過ぎなかった。自分もその一人だった。

  しかし世の中はインターネットで激変した。インターネットを取り込んだものとそうでないものの差は歴然としていた。この二十年間に世の中の産業形態は大きく様変わりした。新たに生まれた職業や業務形態は数知れない。だが、衰退して行った産業もこの世から無くなってしまった職業も、新しく生まれたものと同じくらいあるのではないだろうか。

 その様にこの二十年間の世の中の変動は劇的だったと謂えるだろう。もしかしたら有史以来人類が経験した一番劇的な変化に僕たちは立ち会っているのかも知れない。

 だが、世の中は二十一世紀を迎えて更に劇的に変化した。

 コンピュータ社会から、完全にネットワーク社会になったのだ。IT技術によって今まで出版社や新聞社やTVなどのマスメディアに独占されていた情報発信が、通信手段の技術革新と多様化も相まって、個人でも簡単にしかも世界中に情報や自分の考えや好きなものを発信する事が可能になったのだ。

 しかしその頃僕は会社員を辞めてぷー太郎になっていた。

 父はその年の春に亡くなっていた。企業から飛び出してすぐに仕事を得たが、仕事を再開して半年もしないうちに得意先の理不尽な対応に激怒し仕事を辞めた。

 辞めたがすぐに他から引き合いは来た。だが仕事に復帰はしなかった。体調が悪かったのだ。体調が思わしくないのに仕事に復帰すればすぐに休むことになり返って信用を落としてしまう。それでは自営業は成り立たなかった。だから性急な対応はすまいと心に決めた。

 その様な訳で、静養も兼ねて一日中家にいた。妻は毎日仕事で出掛けていたのでその頃の僕は「専業主夫」になっていた。洗濯や掃除、食事の用意をするのは苦ではなかった。だが断っている内に仕事はすっかり無くなっていた。それでも一年くらいは何とか生きて行ける位のお金はあったのでそれほど気には掛けていなかった。まあ余裕はないが時間だけは有り余るほどあった。

 僕は元々心配性だが、幼少期に貧乏で将来の展望がまったく開けない環境で育ったが故に、あまり先の事は考えないエセ楽天家であった。いや、考えても仕方がないと諦観していたのかもしれない。

 フリーランスといえば聞こえはいいが実質的には個人事業主だから、仕事がなくても失業保険は貰えない。二ヶ月もすると妻に仕事をしないのを責められる事が多くなった。仕事を探しもせず本ばかり読んでいる姿を見れば当然だろう。 真っ当な人ならばそこで気持ちを切り替えて仕事を再開するのだろうが、僕は体調が元に戻っていないと主張し一向に取り合わなかった。それが当時の有り様だった。今も不思議に思うのだが当時の僕は何故か自分が置かれたその様な状況にまったく頓着せず焦りもしなかった。

 それでも、妻の毎日朝晩顔を見れば繰り返される小言と愚痴にはまったく以て閉口していた。妻は相手が音を上げるまで同じ事を何度も繰り返すのが超得意技であった。簡単に云ってしまえば「とてもしつこい」のである。

 仕方なしに、本業が始められないならばとネットで見つけた在宅でも可能なアフィリエイトなるものに興味を持ち何とかものにしたいと安易に考えた。そこでネットを活用した副業とはどういうものなのか駅前のデパートの中にある書店で関連書籍を購入する事にした。

 しかし、幸か不幸かそこで見つけてしまったのが日本でも漸く立ち上がったばかりのブログなるものだった。運良くソネットの正規会員だった僕はソネットブログなるものがあるの発見しこれだと思った。

 妻の手前一応副業の本は買って来たが、アフィリエイトなどもうそっちのけで、家に帰ってまずしたのは買って来たブログ本の導入編を見ながら会員登録をする事であった。登録をしたついでに、仕事探しをする振りをして、あろう事か今までずっと思い続けていた事をネット上に公開してみようと思い立った。すぐに実行に移した。初めての記事をその日のうちにアップした。

カーネーションの花で作られた帽子.jpg 

<鳥の巣じゃありません。カーネーションの花びらで作られた帽子です>
’09.03.15 千葉市 花の美術館にて> 

 当初のブログタイトルは『雲谷斎武羅運の生涯』という我が家のお犬様の名前を冠したブログであった。このタイトルは故遠藤周作の人気エッセー「狐狸庵シリーズ」と故夏目雅子主演の映画「鬼龍院花子の生涯」をもじったものだが、記事の内容も含めて秀逸なパロディであった。今読み返して見てもなかなかに面白い。(※現在は非公開です) 因みに本当の読みと意味は『ウンコ臭いブラウンの生涯』である。

 兎にも角にもブログというネット発信の場が誕生した。「文章を主体としたブログ」の始まりであった。

 しかし、当時も今もブログといえば「写真主体のブログ」が過半を占めており、文章を主体にするブログは至って人気がなかった。暇つぶしに見るものが写真の様なビジュアライズされたものではなくキャラクター(文字)主体の、しかも呆れ返る程の長文では爆発的な人気が出る筈もなかった。

 そんな文章主体ではあったが(掲載した写真の所為もあったのだろうが)その中でもある程度固定したご常連ともいえる読者やフォロアーもついて一定の評価を頂いたのは嬉しく思っている。

 しかしそれも早九年の歳月が流れマンネリ化してしまい、フォロアーの過半も変わってしまった。昨年までアップしていた英国旅行記も、楽しみに待っていて下さる方々が居られる事は重々承知していたが、(旅行自体は大変印象深く自分にとっては良い思い出だったが)他人にとっては面白みに欠ける様に思われた。

 それでも読者の皆様には興味を持って見て頂く自信と自負はあった。だが、何をおいても自分が面白くなければ書く意味はない。

 本当に面白いのは創造的行為だ。だが、この処しているものは自分が本来目指すべき創造的な行為とはとても思えなかったのだ。文章の職人にはなりたくなかった。その所為か記事を更新する意欲も湧かずやがて億劫になった。

 だが、創作意欲がまったくなくなった訳ではない。安曇野から戻って仕事は倍加して忙しくなっていたが、何か新しい事を始めようと年が明けてから色々考える様になった。

 考えたのは小説若しくは物語をネット上に発信してみようという事だった。

 上梓の場は慣れ親しんだブログ上にする事を最初に決めた。ネット上に小説を公開するにはそれ専用の他に相応しい場があるのは知っている。しかし敢えてブログ上で公開すると決めたのだ。小説に興味がある人ばかりに読んで貰うのは気後れするし、これで生計を立てようなどとはこの歳で思う筈もなく、専門的なアドバイスや批評など僕は必要としていない。

 僕が考えていたのは本を読まない人にまで興味を持って読んで貰う事だ。その為に挿絵を描く様に文章と文章の間に写真も掲載するし、何よりも興味を持って貰う文章を書く事に一番の重きを置いた。かといって受け狙いで迎合する訳ではない。読み易く、理解が容易で、想像力を掻き立てる文章を目指すという事だ。

 僕の今迄の文章は文節が長く、句読点も少ないので読み難い事この上ないと悪評たらたらだから(笑)、それは直さなければならないと自覚している。まあ技巧は実はどうでも良くて、僕は飽くまで僕の興味のあるものしか書かないし、自分の書きたいものが結果的に人に受け容れられればそれで良いと思っている。

 ネット小説上梓の場を慣れ親しんだブログと定めたのはそれだけが理由ではない。マンネリが一番嫌いな僕である。それでブログ上に記事をアップするのを暫く止めていた経緯があった。そんな理由もあってこの場を借りて発表する事にしたのだ。

 それは今まで拙ブログに根気よく付き合って頂いた読者の皆様への贖罪である。

白馬でジャンプ練習中の選手.jpg

 本題に入ろう。冒頭の言葉を思い出して欲しい。

「僕はこの小説をあらすじも結末も決めぬまま書き始めてしまった」

 総てはこれに尽きるのである。まさに僕の性格をそのまま表した言葉であった。それが故に内容はともかく(笑)、労作であるのは間違いない。

 書こうと思ったのは初老の男と若い女の愛の葛藤と苦悩を通して人間の本質に迫ろうという思いだった。

 という尤もらしい理由など更々ないのは、既に拙ブログに接している読者の過半はご存じの事だろう。ただ単に「自分が思い描く恋愛小説」を書きたかったというだけの事である。それも初老のどこにでもいそうな男と、若くて美しい女との恋愛を描いた波瀾万丈、荒唐無稽、奇想天外、抱腹絶倒、支離滅裂な僕なりの小説を書いて見たいと思っただけなのだ。

 そんな事が簡単に書ける訳がないのにである。同人誌などに投稿した事すらない、素人の平凡なおっさんにはそれは大それた望みだったと謂えよう。実に安直に考えて書き始めてしまったと今になって思う。しかも、構想すら纏まっていないのに、小説の舞台は僕が仕事で一年と八ヶ月暮らした安曇野にしたいと考えたのだから恐れ入る。

 打ち明け話をすれば、今まで一度だけ拙ブログでも小説を書こうとしたが途中で頓挫している。それには様々な理由があるのだが、一番の理由は根気がないという事だ。もう一つは僕の書く文章の拙さだ。特に人称の曖昧さと話が彼方此方に飛ぶわたし独特の文体の所為で時系列がおかしくなってしまい、最後は二進も三進も行かなくなって頓挫という事態を過去には経験していた。

 この二つの欠点が克服出来なければ小説の完成は覚束なかった。

 その為に、同じ轍を踏まない様に僕が採った方法は、すべてを書き上げるまで公表しないということ。そして、推敲を自分の納得のいくまで幾らでも繰り返すということ。そしてスマホやタブレットといったモバイル機器で、しかも仕事場への行き帰りの電車の中で毎日コツコツと書き上げるという無謀な企てだった。

 集中力はあるが根気がない人間が毎日コツコツ遣るのである。しかも齢を重ねる毎に、その唯一の長所であった集中力さえ最近はいとも簡単に途切れてしまうのである。遣り始めて程なくして生半可に成せるものではないと覚悟した。

 しかしこれが案外自分のライフスタイルにマッチしていた。恵まれた環境では僕は堕落してしまうのだ。スマホやタブレットの様な小さな画面の小さなソフトキーボードで、何度も何度も打ち間違いをしながら書き直しているうちに、推敲もいつの間にか出来てしまってかえって良かったのだ。書いていて行き詰まるとまた元に戻って書き直す。既に書いた原稿を見直して内容の矛盾に気づいてしまう。そこであちらこちらを修正しなければならなくなる。そうしたことの連続だった。書いているうちにストーリーも大きく変わり、既に書き上げた原稿も過半を変えざるを得なかった事は数知れない。

 それはそうだろう。思いつく儘に書いているのだから当たり前である。しかも文筆業を生業としないド素人である。それに懲りもせずに、大きなテーマさえ変えなければ良いと割り切ってコツコツほぼ毎日原稿を書いていた。

 書くに当たって所謂ワープロやエディタというものは使わなかった。複数のモバイル機器を使って『EVERNOTE』で原稿を書いた。出来上がった後でPCを使ってWeb上のブログ編集画面でHTML文を直に編集してフォントや段落などを思うものに変えたり、適当と思われる行間に自分で撮り貯めた画像を貼り付けて小説としての体裁を整えるという手法を採った。

 移動中に長文を書くのは難しい。揺れる満員電車の中では打ち間違いの連続だったが、それがかえって短気な傾向がある僕にとっては忍耐力を身に付けるのに役立った。初めは抵抗感もあったが、移動時間が安曇野にいた頃に比べて長いというのも、書く時間を確保するのにはプラスに働いた。(安曇野では歩いて八分。今は電車を三つ乗り継いで一時間二十分)

 何度も云っているように、初めからあらすじを考えて書かなかったので、途中で根本から書き直さなければならない羽目に陥った。それで時間も予定も(そんなものは初めからないけれど)遙かに超えて掛かってしまった。しかし漸く過半を超える進捗状況に至った。つまり執筆は峠を越えた。

 はじまりはもうすぐである。だが何でもそうだが今は最後の産みの苦しみの真っ最中でいつ上梓するかは確約はできない。実は一ヶ月以上も登場人物の人間関係を最終的にどうするのか決め倦ねて進捗が滞っていたりする(笑)

 我が家の恒例行事である夏の海外旅行も控えている。その様な自分を取り巻く諸般の事情に鑑み、たぶん公開は秋以降になるだろう。

 ところで、あらすじも何も決めていないという体たらくな僕だけれど、小説を書く上で最初から一つだけ決めていた事がある。それは最後はハッピーエンド、若しくは希望を持てるかたちで終わりたいという事だ。それは叶えられるだろう。

 兎にも角にも、ものを書く、何かを創造する、という行為によって何とも云えない充実感を味わえたのは久し振りのことである。この、充実感を味わえたというのは存外の喜びであった。所詮自己満足だろうが出来れば今後も機会があれば続けて行きたいと思う。

秋の実.jpg

 予定では、全三十二話、毎週金曜日の夕方に掲載(アップロード) する予定でいる。 回を重ねて、読者の方々が金曜日の夜を楽しみに待って頂ける様になればこれ以上の悦びはない。

 尚、全話はすべて以下の結び<断り書き>で終わる。ここには僕の書く事に関する考えと姿勢が述べられている。この言葉を以て今回のお話を終えたいと思う。

 

 <断り書き>

 これはブログ小説です。

 まず、この小説が作者の自由な発想と想像力によって産み出されたまったくのフィクションである事をお断りして置きます。従ってここに登場する人物や出来事はすべて架空であり、現実にあった出来事を綴ったり、事実や他者から着想を得てそれを脚色して創作されたものではありません。
 私は純粋な想像力若しくは創造力なしに、他者から若しくは他の媒体からアイデアやヒントを得る行為に拠って生み出されたものなど、何の価値もないと考えています。
 上記の理由に拠り、この小説は作者のオリジナルな創造物ではありますが、ここに登場または記載された固有の地名や。固有の人名、施設、団体や、企業等の名称は実在・架空を問わず、あくまでも小説の題材として取り上げたものである事をお断りして置きます。
 従って、この小説の中で、それら題材を舞台に登場人物によって展開される出来事は、過去・現在・未来を通してそれら題材と何ら関わりのあるものではありません。

白馬の山々を一望できる場所.jpg 

 では、いつになるかはお約束できませんが次回には上梓致します。乞うご期待。

 いや、期待しないで待っててね。必ず石鹸じゃなかった席巻するから

仁科神明社の黄葉.jpg 


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Hide

こんばんは〜すみません、今夜は全てを読む事が出来ません!
最後のコピーに、座布団一枚を差し上げたいと思います・・><!
by Hide (2015-07-11 21:54) 

mamii

猫の写真の下から読みましたが初めから一気に読み切れませんでした。

by mamii (2015-07-11 21:58) 

まるたろう

今後の記事も、楽しみに読ませて頂きます。
by まるたろう (2015-07-12 00:24) 

枝動

こんばんは。
ふぅ~、長かった~時間かかった~、煙草3本吸ったよ~(笑)
力強い過去ブログとの決別と、新たにブログに楽しみを見出すということが伝わりますね。
自己満足で大いに結構じゃないですか。SNSは、自己満足だと自分も思っておりますから。
ところが、小説嫌いで(夏休みの読書感想文が苦だった)、何が本意なのか理解し得ないのが事実です。ですので、コメントできなくなるやも知れません。^^;
其れでも頑張って、読みます。笑顔が浮かび、嬉しいです。(^^)v
by 枝動 (2015-07-12 01:18) 

yoko-minato

ブログへのご訪問、コメント
ありがとうございました。
by yoko-minato (2015-07-12 06:28) 

川鮎くん

ご訪問&nice&コメントありがとうございます。
by 川鮎くん (2015-07-12 06:54) 

U3

☆Hideさんへ
 長すぎて全部読むのは大変なのでお勧めはしません(笑)
 座布団はあと九枚用意して置いて下さい!
by U3 (2015-07-12 07:27) 

U3

☆mamiiさんへ
 すみません長すぎて(笑)
 次回からの恋愛小説は一話が手頃な長さです。
 是非読んで頂きたいと思います。
by U3 (2015-07-12 07:30) 

U3

☆まるたろうさんへ
 期待は裏切りません。
 まるたろうさんが愛読者になる事を予言しておきます。
by U3 (2015-07-12 07:32) 

U3

☆枝動さんへ
 本当にお疲れ様でした。苦痛を強いたようで申し訳ございません。
 多分恋愛小説と聞いて引いているのではないでしょうか(笑)
 わたしはシルエットロマンスやハーレクインロマンスを書くつもりはないのでご安心を。以前から本を読むのは苦手だとお聞きしておりましたのでその枝動さんを念頭に、楽しんで貰える様に考え考え書いています。一話の長さも手頃です。
 わたしが書く以上皆様が通常思い浮かべる様な恋愛小説など書くはずもありません。自分で云うのも何ですが完成度は高いです。読書に苦手意識のある枝動さんが次回を心待ちする様なそんな小説にしたいと思います。
 現在、第二十四話執筆中です。
 
by U3 (2015-07-12 07:47) 

U3

☆yoko-minatoさんへ
 ご贔屓に!
by U3 (2015-07-12 07:49) 

U3

☆川鮎くんさんへ
 こちらこそ。
by U3 (2015-07-12 07:50) 

ryuyokaonhachioj

ありがとうございます。
あの、紫陽花は隅田の花火でしようね。
by ryuyokaonhachioj (2015-07-12 08:22) 

hatumi30331

お疲れさまです。
マイペースで〜
恋愛小説・・・・・
実は昔・・私も、ある同人誌で書いてました。へへ;
by hatumi30331 (2015-07-12 08:31) 

トックリヤシ

時間が無いので後でお伺いしま~す^^
by トックリヤシ (2015-07-12 08:47) 

U3

☆ryuyokaonhachiojさんへ
 あは、隅田と墨田を間違えていましたね。失礼しました。
by U3 (2015-07-12 09:03) 

U3

☆hatumi30331さんへ
 お、知られざる過去が・・・(笑)
 多分、hatumiさんにも想像が付かない恋愛小説だと思います。と云っても荒唐無稽なものではなくリアルで追体験や感情移入の出来る内容となっております。
 もう一度恋をしてみたいと思うかどうかは分かりませんが。
by U3 (2015-07-12 09:09) 

U3

☆トックリヤシさんへ
 あはは、すみません!!!
by U3 (2015-07-12 09:10) 

JR浜松

ご訪問&nice&コメント有り難うございます。
時間の都合で全て読み切れませんでした。誰しも大小似たような経験がありますね。
by JR浜松 (2015-07-12 15:59) 

ソニックマイヅル

PCモニターに4K解像度、すごいですね。^^;
by ソニックマイヅル (2015-07-12 16:00) 

U3

☆JR浜松さんへ
 そうですね。人間社会ですから。
by U3 (2015-07-12 18:38) 

U3

☆ソニックマイヅルさんへ
 もう凄すぎて文字が見えません(笑)
BRAVIAの55inchなら見られるかも。でもデスクに置けない(爆)
by U3 (2015-07-12 18:41) 

センニン

ご訪問 &nice! ありがとうございました。
一部読ませていただきました。
by センニン (2015-07-12 21:09) 

taharas

ご訪問&コメント有難う御座います!(^^)!

by taharas (2015-07-12 21:50) 

ゆうのすけ

こんにちは!ご訪問・nice! ありがとうございます!^^☆
by ゆうのすけ (2015-07-12 23:07) 

ぽちの輔

飛ばし飛ばしで読ませていただきましたが、苦労されたんですね。
私のブログにはこのタイプの方々は来てないと思ってますけど、
ある日突然豹変するみたいですね、こういう人達は^^;

モニターの解像度が上がると表示される文字が小さくなって
逆に見難くなってしまいますね。
そういう時はOSで文字を大きく設定したり
ブラウザー上で大きく表示させたりして対処してます。
FireFoxの場合、Ctrlキーを押しながらマウスのホイールを回すと
表示倍率を切り替えられるので、訪問したページが見難いときは
これで表示を調整くしてます^^
by ぽちの輔 (2015-07-13 07:51) 

U3

☆センニンさんへ
 ありがとうございます。小説の一話は手頃な長さです。
 連載が始まったら是非見に来て下さい。
 内容もこの記事とは違いとても読みやすいものになっています。


by U3 (2015-07-13 18:20) 

U3

☆taharasさんへ
 こちらこそ。始まったら是非見に来て下さいね。
by U3 (2015-07-13 18:22) 

U3

☆ゆうのすけさんへ
 ありがとうございます。コメント入れました。
by U3 (2015-07-13 18:27) 

U3

☆ぽちの輔さんへ
 長い間ブログを続けて来て苦労したという記憶はないのですが厭な思い出はしっかり残りますね。
 それとアドバイスありがとうございます。一応コントロールキーとスクロールキーを使った拡大と縮小の仕方は知っていました。知ってはいましたがアイコンの大きさは設定でしか変えられないし日常的に拡大縮小を常用するのはかったるいと思っていました。
 でも先ほど曽根風呂の管理ページの編集画面で使ってみましたが使いよかったですね。編集では使ってみようと思います。
 ご丁寧にお教え頂きありがとうございます。
 
by U3 (2015-07-13 18:41) 

森のノーム

ご訪問ありがとうございました
途中で用事が入ってしまい読み切れませんでした(≧∇≦)
by 森のノーム (2015-07-13 19:04) 

U3

☆森のノームさんへ
 こちらこそたとえ途中までであっても読んで頂いてうれしく思います。
小説が始まったら是非とも最後まで読んで下さい。一話はけして長くないので一気に読んで頂けるものと確信しています。
何しろ曽根風呂をセッケンする予定なので(笑)
by U3 (2015-07-13 23:02) 

旅爺さん

年取ると根気が無い上にこの暑さでは読み切れまっせん。
楽しい事が沢山あるんでしょうね。
by 旅爺さん (2015-07-15 05:57) 

U3

☆旅爺さん様へ
 本当に暑いですね。梅雨はいつ明けるのでしょうね。
これからは沢山楽しいことが起こる気がします。
by U3 (2015-07-15 12:21) 

g_g

つい引き込まれて最後まで読んでしまいました。
帰隊しております(^_^)
by g_g (2015-07-18 18:32) 

猫爺

ご訪問&nice ありがとうございます。

全文は読むことができませんでした。m(_ _)m

私が文章を書くことが苦手なので、こういう長文を書ける人を尊敬してしまいます。
by 猫爺 (2015-07-18 20:33) 

U3

☆g_gさんへ
 今日は土曜日ですが仕事でした。
 最後まで読破してしまったのですね。ご愁傷様・・・じゃなくっておめでとうございます。全部読まれた方ご報告第二号です。といっても何も出ないですけど次回からの恋愛小説連載はきっとハマると思います。一回の連載の長さも手頃で次回が待ち遠しくなる事を予言しておきます。
by U3 (2015-07-18 21:27) 

U3

☆猫爺さんへ
 文章だけでなく好きな形でブログを楽しめればそれで良いと思っています。今回の記事は長かったけれど思いの丈を書いたのですっきりしました。
次回から思うが儘にブログを楽しみたいと思います。
猫爺さんも色々な楽しみ方をして下さい。
by U3 (2015-07-18 21:32) 

Silvermac

台風一過で暑くなりました。
by Silvermac (2015-07-18 21:46) 

ぐうた

ご訪問&nice!をいただきありがとうございます。
冒頭の写真と文章に引き込まれに続きを読み出して、
なんかわかるなと思ったり理不尽だと思ったり凄いと思ったり。
文字だけで感情や抑揚のない文字の並びでは伝わらぬ本当の気持ちや
色々なことを考えて、伝えたいことをストレート記して大丈夫か、
考えすぎたり反応を意識しすぎるとしんどくなって休み、でも書きたくなることもあります(^^)
数年前たまにしか書かない知人のブログのコメント欄に
とんでもない事を書いて楽しんでいる数名の、
その無神経で下品なコメントにショックを受けた事を思い出していました。
色々な楽しみ方があるのはわかるけれども…どうしてなんでしょうね?
ぼちぼちですが、またお邪魔させていただきますm(_ _)m
by ぐうた (2015-07-19 00:44) 

Baldhead1010

macさん、↑に入られていますよ^^
by Baldhead1010 (2015-07-19 08:17) 

U3

☆Silvermacさんへ
 一時macさんのアイコンがなくなっていて驚きました。その後新しいブログに移行したのを知り安心しました。何かあったのかなととても心配になりBaldhead1010さんのブログまで押しかけて(笑)消息を尋ねてしまったほどです。
 毎日の蒸し暑さ堪りません。近々日本脱出致します。
by U3 (2015-07-19 10:47) 

U3

☆ぐうたさんへ
 よろしくです。
by U3 (2015-07-19 12:09) 

U3

☆Baldhead1010さんへ
 先日は失礼しました。
 Silvermacさんがブログを移行したのを知りませんでした。
 お知らせ頂きありがとうございます。
by U3 (2015-07-19 12:11) 

KIM

ご来訪とniceをありがとうございました。
次回上梓を楽しみにしています。
by KIM (2015-07-21 03:18) 

U3

☆KIMさんへ
 こちらこそありがとうございます。
 次回乞うご期待です。
by U3 (2015-07-21 12:30) 

ちひろ。

はじめまして!

人生でこれだけの文字を一気に読んだのは初めてかもしれません(×_×)
一気といっても小休憩を何度も挟みましたが(笑)
今まで本や漫画すらほとんど読んだことがないので
最後まで読めた自分にびっくりです(笑)
U3さんの文章力のおかげなのかも?!
なんて思って、次回の恋愛小説楽しみにしています!
あと、挿絵にU3さんが描いた絵なんか出てこないのかなーなんてことも期待してみたり(´ω`o)

by ちひろ。 (2015-07-23 03:45) 

U3

☆ちひろ。さんへ
 自作挿絵予言して置きます!!!
by U3 (2015-07-23 12:02) 

きたろう

U3さんコメントありがとうございました。
by きたろう (2015-07-27 02:41) 

水郷楽人

こんばんは。お久しぶりです。コメントが遅れまして申し訳ありません。この事件にも巻き込まれた一人でもあります。初めて参加した中京圏のソネブロの懇親会、あのメンバーでいろんな事が、起こるとは予期しませんでしたよ。あれ以来、ソネブロのメンバー懇親会には参加する気になりませんでした。今回は本格的なソネブロ復帰ですか?今後ともよろしくです。
by 水郷楽人 (2015-07-29 21:01) 

hnhk

ご訪問ありがとうございました。
すごい長文ですね。
ソネブロ一記事にこんなに内容を盛り込めることに驚きました!
by hnhk (2015-07-30 17:35) 

U3

☆☆☆みなさまへ☆☆☆
 先ほど毎年恒例の夏の海外旅行から帰って参りました。行き先はオーストリア・ハンガリー・チェコ・ドイツ・スロバキアの中欧5カ国で8日間のツアー旅行でした。
 正直疲れました。次回からツアーであれば1カ国だけにしようと思います。というより次回から昨年の英国旅行と同じく個人旅行にしようと思います。まったく自由時間がなく夜22時頃まで拘束される様な旅はただ疲れるだけです。
 機会があれば写真だけでも公開しようかなとは思います。
 ではでは。
by U3 (2015-08-02 09:25) 

U3

☆きたろうさんへ
 こちらこそ。
by U3 (2015-08-02 09:26) 

U3

☆水郷楽人さんへ
 お久しぶりです。島畠健在で何よりです。
 そうですね。中京地区の方々は大変だったとお察し致します。あの頃は誰を信用して良いのやら分からなかった人も多かったと思います。もう曽根風呂に残っているメンバーも少なく覚えて居られる方も少なくなってしまった感がありますね。
 参加した事は一度もありませんが今でもそのOFF会(懇親会)の名前は覚えています。「ろく〇なし会」でしたね。何で楽しい筈のOFF会がそうなってしまったのか今でも残念です。わたしは別のOFF会に出ておりましたが件の女性に逆恨みされてそれ以来OFF会というものには出ていません。
 ブログは楽しくありたいと心より思っています。これからも楽人さんも気ままにブログを楽しんで下さい。
by U3 (2015-08-02 09:43) 

U3

☆hnhkさんへ
 恋愛小説は一話はこれと比べればずっと短くなおかつ満足頂ける内容にしようと考えています。
 これに懲りずに是非見に来て下さい。
by U3 (2015-08-02 09:47) 

あとりえSAKANA

ブログへのご訪問&nice!を
ありがとうございました☆

分割したら1ヶ月分くらいの
ブログのネタになったでしょうに。
太っ腹なブログ披露ですね(^^;)
by あとりえSAKANA (2015-08-06 18:43) 

U3

☆あとりえSAKANAさんへ
 あはは、そうすれば365日毎日更新できるかも知れません。
 ご訪問nice!&コメントありがとうございました。
 次回の恋愛小説掲載お楽しみに。
by U3 (2015-08-06 21:02) 

侘び助

こんばんはコメントで失敗した苦い経験が甦り
お気楽ブログですが、読み方で誤解を招く・・・
言葉を選ばなくてはと思いました。
by 侘び助 (2015-08-06 22:31) 

tarou

おはようございます。
盛りだくさんのプログに驚きです(^○^)
by tarou (2015-08-07 06:53) 

もーもー

コメントありがとうございます
 暑いけど  今を  楽しもうと  思いました
暑い寒いと  言える幸せを実感してます
by もーもー (2015-08-07 09:25) 

U3

☆侘び助さんへ
 言葉での失敗は数知れずのわたくしでありまする(笑)
by U3 (2015-08-07 12:39) 

U3

☆tarouさんへ
 訪問いただきありがとうございます。
 昔からこんな感じで遣っております。
by U3 (2015-08-07 12:42) 

U3

☆もーもーさんへ
 わたしは暑さにことさら弱く夏は苦手な季節です。
でも思い出になるような人との出会いは夏が一番多いですね。
by U3 (2015-08-07 12:50) 

リュカ

猫の写真までの記事を読んで休憩です(笑)
また遊びに来ます。
by リュカ (2015-08-07 22:51) 

U3

☆リュカさんへ
 もう少しでしたのにね(笑)
 これに懲りずにまた遊びに来てください。
by U3 (2015-08-08 09:28) 

やおかずみ

ご訪問、コメントありがとうございました。
by やおかずみ (2015-08-10 09:27) 

U3

☆やおかずみさんへ
 こちらこそご丁寧にありがとうございます。
by U3 (2015-08-10 12:03) 

daylight

ご訪問ありがとうございます^^

すべて頑張って読みきりました。
恋愛小説を書かれるという文章に食いつきましたがそこからが長かったですw
過去の出来事のお話は、この内容で一冊本が書けそうなだなという感想と、現実の出来事には思えないけど、これも現実にあることなんだなあと経験のない自分は読んでいても少ししんどかったです^^;

小説を書かれる経緯についての文章はそれとは別で、すでに小説のような感じを受けました。

この後配信される小説が楽しみです^^

by daylight (2015-08-13 02:04) 

U3

☆daylightさんへ
 コメント&nice!を頂きありがとうございます。お疲れ様でした。この長文を読破されたのであれば恋愛小説の一話はこれよりは短いので読みやすいと思います。
 内容も皆さんに十分満足頂けるものと確信しております。全三十二話でまだ二十四話で止まっているのですが、あまり引っ張るのも気が引けるので少し早めに始めようかなと考えております。
 乞うご期待です。けして裏切りません!
by U3 (2015-08-13 07:08) 

arail206

ブログへのご訪問、コメント
ありがとうございました
これからもよろしくお願いいたします。
by arail206 (2015-08-13 13:53) 

U3

☆arail206さんへ
 こちらこそよろしくお願いいたします。
by U3 (2015-08-13 19:33) 

pn

どうも空気の読めない馴れ馴れしいいい歳したおっさんです(笑)。俺の1年分以上の記事の長さですね、文才無い身としては羨ましいです(^_^;)。
一度は炎上してみたいと思ったりもしましたがそんな冷静に反論とかできないのでやっぱ細々とやっていこうとしみじみ思いました。

by pn (2015-08-13 22:55) 

U3

☆pnさんへ
わたしも空気は読めないですよ(笑)
by U3 (2015-08-14 00:14) 

ojioji

以前、nice!をいただいたご縁で訪れたことがあったのですが、あまりの長文に最初しか読めておりませんでした。今回、こちらの記事とひとつ前の記事と拝読させていただきました。
一部分を読んだときは、これほど文章の書ける方がなぜこのようなお考えになのだろう、芸なのかなと怪訝に思っていたのですが、
「み〇もも」事件や「ハッピーハロ〇ィン」や「太郎君」事件(太郎とはぼくのことかとビビりました(^_^;))や「さ〇えちゃん」や「ふみ〇ん」や「マダムデ〇タ」や「ら〇ねーさん」や...etc.人物関係が把握しきれていないかも知れませんが、幾多の出来事を経ての心境、少しだけわかったかもしれません。
ネットは実社会の縮図なのですね。
私もU3さまと似たところ(実社会でやられたらやり返していたところ真っ先にリストラに遭い、起業を余儀無くされました、その御蔭で今があるとも言えるのですが)があるもので、ご経験された数々のトラブルを知ることができて良かったです。

>理屈や言い訳を並べて人や社会の所為にしている情けない自分
>自分を貫き、正論を押し通すことによって、
>多くの人達をその激烈な言動で傷つけてしまった

これらの言葉に出会って好感を持ちました。
恋愛小説の発表を控えてらっしゃるとのこと、テレビドラマを楽しみ始めて(^_^;)、小説を読む機会が無くなった私ですが、楽しみにしておきます。
なお、私は経済優先の世の中を憂え、拝金主義を軽蔑し、目くそ鼻くそ同士の争い(その最たるものが戦争)を悲しむ者です。
by ojioji (2015-08-22 16:36) 

U3

☆ojiojiさんへ
 丁寧なコメントを頂き嬉しく思います。
 過去があって現在の自分があります。しかし過去を顧みて己の至らない処を反省し未来に生かすのは良い事なのですが、そこから何も学ばず過去を悔いてばかりでは未来を切り開く事は出来ないというのが今回小説なるものを本気で書いていて改めて感じた事です。
 小説とはドキュメンタリーを除いてあくまでも絵空事、架空の出来事を綴ったものですが、そこから何か学ぶものがなければ書いたり読んだりする意味はないとわたしは考えています。
 わたしの今書いているものは恋愛小説ですがハーレクインロマンスを書くつもりは更々ありません。多くの人々の心に届くものを書きたいと思っています。そしてそこには自己の経験に根ざしたエピソードがヒントになって散りばめられています。あくまで創造的な行為ですが経験に根ざしたものでなければリアリティーもなく人々の共感も得る事は出来ないでしょう。
 感動がなければそれは小説ではない。それがわたしの考えです。
 ご期待下さい。もうすぐ連載開始予定です。
by U3 (2015-08-22 21:14) 

desidesi

ブックマークしました。
仕事のあとでゆっくり拝見します〜♪ (๑◔‿◔๑)
by desidesi (2015-08-28 14:53) 

U3

☆desidesiさんへ
 ありがとうございます。
by U3 (2015-08-28 19:12) 

タケサバス

おはようございます(^^)/ご訪問ありがとうございます!

毎日更新しておりますので、またお越しください(^^♪
本日もよろしくお願いいたします( *´艸`)
by タケサバス (2015-08-30 10:21) 

足立sunny

初めまして。
本文の内容如何はよくわかりませんが、挿入されているお写真が、ことごとくすばらしいと感じます。
では。
by 足立sunny (2015-11-08 22:21) 

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