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黄泉の国 [随筆]

 今日は七夕ですね。 

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<安曇野・光城山にて> 

 安曇野の記事は今回はお預けです。

 過去に於いてわたしの政治に関する希望的観測は悉(ことごと)く外れ且つ裏切られ、その事について予想とか観測をするのは止めにしました。

 ただこれだけはお伝えしておきます。圧倒的過半数を得た政党が政治を危うくし民意から乖離するという過去の教訓をわたしは忘れたくないと思っています。それは昨年の衆院選での政権交代があっても同じ事です。与党と野党は微妙な議席数のバランスの元、適度な緊張状態にある方が良いとわたしは思っています。ですから「ねじれ大いに結構」という考えです。政権与党の安定多数は政治の横暴と暴走・腐敗を招きます。そして国民はその後そのツケを払うことになり大いに苦しむことになるでしょう。「純ちゃんの郵政選挙」以来日本が繰り返してきたのはそういう政治です。政権運営能力が野党にはないという与党側の論理に則った議論がありますがわたしは批判勢力である野党あってこそ政治はバランスを保っていると考えています。ですからねじれは政治の混乱を招くという与党側の論理に耳を貸す積もりはありません。

 民主主義の原則は多数決ですが一応少数意見を尊重する事となっています。しかし日本の政治に於いて過去に少数意見が尊重されたことは一度もありません。実質的には多数意見の尊重と遵守・横暴、そして少数意見の軽視もしくは無視と黙殺なのです。これはどの政党が政権についても同じだとわたしは考えています。安定的多数からは良いことは何も生まれません。今の政権与党は政治の安定を標榜し過半数を得て政治に安定をと叫んでいますがそれは政治の安定ではなく政権の安定であり国民生活の安定を約するものではないのは明白です。

 ・・・あはは、政治について書かない積もりが・・・。(笑)

 政治や選挙についてこれ以上書く積もりはありませんが選挙権の行使は致します。どの政党が良いなどと云う積もりはありません。ただ、上記で述べた様に圧倒的多数が過去にどれだけ国民生活に禍根を残したかを日本人はそろそろ学習しても良いのではないかと思っております。

 

 今回は安曇野でも政治や参院選でもなく敢えて極東情勢について書いてみたいと思っています。

 <まえがき> 

 この記事は昨年の11月18日に作成されましたが諸般の事情により公開されなかったものです。水掛け論の様に隣国を非難することに飽きてしまったのでお蔵入りかとわたしは考えていたのですが、最近の隣国の動向に不穏な動きがあり座視できないと考えるに至りました。忘れてはいけないこと、知っていなければならないこと、それが日本人の観点から見た歴史認識と史実だとわたしは考えています。そこで、元の原稿にあらたに加筆し敢えて記事を公開することと致しました。

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 韓国気象観測史上もっとも酷暑であった昨年の夏にわたしは韓国を訪れました。

 そしてその後の李明博前大統領の竹島上陸以降わたしは韓国という国に親近感をまったく持てなくなりました。後を継いだ朴新大統領は父の朴正煕が感情に左右されない冷静な歴史観を持っていたのに比し「偏った<正しい歴史認識>」を日本に強要し世界にアピールするのみならず先祖還りしたかの様な中国接近といい、極東情勢を不安定にさせる主要因になっているとわたしは感じています。まあ韓国内の野党や左翼から父の朴正煕は日本軍出身であり日本寄りだったという批判に常に晒され、自分はそうではないという姿勢を崩せない立場にあるこの女性大統領はこれからも過去に囚われ後ろ向きの外交を続けていくことでしょう。旧日本軍の陸軍士官学校を首席で卒業した父に所詮及ぶべくも無いだろうが、韓国内の批判を躱す為に日本を敵対視する施策を今後も続ける限りそのツケは韓国民にとって負の遺産となって重くのし掛かるであろう。

 かつてのユーゴスラビアがバルカン半島の火薬庫だった様に、今の朝鮮半島は北朝鮮も韓国も極東の火薬庫に他なりません。感情的ではなく冷静で正しい歴史認識を持つべきなのは日本民族ではなく朝鮮民族なのです。韓国こそ日本無しには生きて行けない現実を今こそ認識すべきです。戦後に於いて韓国は経済的に何度も国家存亡の危機に晒されました。このどうしようもない隣国(敢えて「どうしようもない」と書きます)が窮した時に日本は何度も助け船を出しました。その恩を知らずして韓国の将来はありません。良くも悪くもこの国の命運を実質的に握っているのは日本なのです。

 今韓国が接近しようとしている中国は、清朝時代の様に韓国(朝鮮)を実質的な支配下に置く「属国」にする事こそあれ朝鮮民族を尊重することはないでしょう。しかし過去にそうであった様に歴史は繰り返される。韓国はまた同じ過ちを繰り返さなければ気が済まないようです。権謀術数と自己主張が得意で、己の現実を顧みない(実質が伴わない)気位だけが異様に高い懲りない民族、それが朝鮮民族だと思っています。  

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<2012.08.06.19:39東大門(トムデムン)を撮る>

 黄泉の国へようこそ。そこは屍者の街。  

 ソウルは遠くから眺める分には美しい街だ。そして綺麗なものは遠くから眺めるに限る。

 それがわたしの経験則だ。  

 おおよそ美人と云われる者はその素顔を見せる事はない。多少難のある面相でも化粧を施され遠目から見れば美しく見えるものだ。近くに寄れば否が応(いやがおう)でも見えてしまう痘痕(あばた)やえくぼも遠目では見える事もない。それがソウルという街の特徴だといえよう。

 この街に初めて入った人々の目に飛び込んで来るものはこの化粧された表の顔である。人工的で無機質な高層ビルや高層マンションが林立する街と区画整理された街区を縦横無尽に走る広い道路。しかし一つ表通りを外れ路地裏に入り込めばソウルという街と人々とがむかしはどうであったかを容易に窺い知る事が出来る。繁華街も中心部を外れれば同じ事がいえる。ソウル一の繁華街と云われる明洞(ミョンドン)ですらそうだ。アスファルト道路は継ぎはぎだらけでところどころ穴が開き、雨の後はそこにどす黒い水が溜まってる。夏の路地裏は雑多で濃密な腐敗臭が立ち込めあまりの臭気にひと時もそこにじっとしていられない。

 これが「韓流」の正体である。

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<二日目に泊まったリゾートホテルのエントランス前の噴水> 

 洋の東西を問わず若い女性が手っ取り早く現金を稼ぐ方法は春を売る事である。アジアにおける売春行為はその殆どが貧困を原因としているのだが諸外国の報道を見る限り韓国だけはそれが原因ではない様だ。日本の援助によって何度も危機を脱したこの国は今やGDPが世界で11番目になるまで成長した。にもかかわらずその一方で今や売春産業では世界一の輸出国であり近隣諸国は言うに及ばず欧米にまで<慰安婦>を輸出して物議を醸している。台湾では韓国で売れなくなったタレントやモデルが大挙して押しかけて売春行為を行いそれまで「主流」だったロシア人売春婦が「駆逐」されてしまったという。韓国の芸能プロダクションはそれが老舗であればある程「昔の慣習」から抜けきれず所属女性タレントで売れなくなった者や「旬」を過ぎた女性モデルを「性商品」として扱っている。明確に云えば売春の強要である。それが原因で自殺してしまった女優さえいる。昨年末(2012年)、江南のある超一流ホテルでは一階のほぼすべてを売春斡旋業者に貸し出し上層階2フロアの客室を使って売春行為を行っていたとして警察に逮捕されている。しかし、ソウルオリンピックが開催されるまではキーセンパーティーと称してあの新〇ホテルですらそんな事が平然と行われていたのである。歴史からしても韓国人女性と売春は切っても切れない関係にあるのは明らかだ。国際アムネスティーや欧米各国が韓国人女性による売春行為に関心を寄せているのは「売春婦」そのものでないごく普通の女性でも韓国人は性を売る事の精神的垣根が極めて低いという点にある。つまり、金を稼ぐ手段として容易に春を売る精神構造と民族的土壌を有しているという事だろう。だからワーキングホリデーや留学を隠れ蓑に売春婦を輸出していると言われても仕方がないのである。過去にわたしが「儒教の国が聞いて呆れる」と云った事を今のところ撤回する積もりはない。

 わたしは今なおこの様な実体がありながら日本が国家的に行ったという証拠すらない「従軍慰安婦問題」を声高に主張し日本人を貶めようとする韓国の人々を許す事は出来ない。日本軍がそういった売春組織を利用したのは否定しないしその歴史的事実から目を背けるつもりはない。しかし、日本人が国家的に組織し朝鮮人の娘を誘拐や監禁までして性奴隷としたという彼らの主張は事実に反する。朝鮮人の若い女性を拐かし売春を強要したのは日本の軍部ではなく朝鮮人女衒そのものである。彼らは金になることなら何でもする。朝鮮半島とその民族にとって売春は歴史的にいっても「主要な産業」である。これは紛れもない事実でありそれは今も変わらない。ちなみに世界の主要都市で性犯罪が一番多いのはソウルである。そして治安が最も良いのは紛れもなく東京である。こんな事を書くと顰蹙を買うのは目に見えているが「正しい歴史認識」を持つとはこういう事を知ることなのだ。自国や自分にとって嫌なことや不快なことから目を背けることではなくて直視すること無しに正しい歴史認識が生まれるべくも無い。そう云った意味で今の韓国はまさに欺瞞に満ちた国家であり民族である。これは従軍慰安婦なるものを日本が国家的に行ったと肯定し幇助する日本の一部報道機関や個人にも同じ事がいえる。

 

 今こそ「正しい歴史認識」を日本人は共有すべきである。だが韓国が主張する様な「偏った<正しい歴史認識>」ではなく明治期の日本の元勲が持った様な正しい歴史認識こそが今求められているとわたしは考えている。 

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<八万大蔵経で知られる海印寺境内> 

 随分と久し振りですが昨年後半にシリーズ化した「歴史への招待」シリーズの続編です。 

 

 歴史への招待 <日本は近隣諸国とどう向き合って来たか> Vol.7 

 明治維新前後の極東を取り巻く情勢を考える時、ヨーロッパの火薬庫が旧ユーゴスラビアであったのと同じように極東のそれはまさに朝鮮半島であった。欧米列強そして同じ列強でありながら他の列強と協調も連携する事もなくアジアに於いて南下東進策を強引に進めて来たロシアの極東に於ける露骨なまでの野心は清国と李氏朝鮮そして日本という国々の内外政を不安定にさせるに十二分な条件を揃えていたと云えよう。満州は既にロシアに浸食され始めていた。そして日本政府がその産声を上げた時、覇権の攻防の最前線は既に朝鮮半島の根元まで迫っていた。

 征韓論は何故起きたのか。西郷は本当に征韓論の首魁だったのか。色々な説があるがわたしは西郷は征韓論に同意していたとは思っていない。戊辰戦争では敵であった先祖を持つ会津出身のわたしがそう云うのだからその信憑性は極めて高い・・・かも知れない(^-?)

 佐賀の乱や西南戦争(西南の役)が何故起きたのか。留守居明治政府に於いて一旦決まった遣韓の議が岩倉欧州使節団の帰朝によって大久保利通、岩倉具視、木戸孝允らの時期尚早との反対に遭い決議が覆され、西郷や江藤新平、板垣退助、後藤象二郎等が野に下ったのは皆もよく知るところである。

 しかし李氏朝鮮から居留日本人を守るために派兵するという板垣を急先鋒とした征韓論の主張に異を唱えたのは西郷であってそれに同調したのは江藤新平と後藤象二郎であった。西郷が主張したのは征韓ではなくあくまで西郷を全権大使として派遣する遣韓である。それが征韓論の首魁が西郷隆盛で征韓論が反対されたから西郷が野に下ったというのは実は征韓論の急先鋒であった板垣退助の流布によるものと思われる。西郷は最後まで征韓論に反対していた。

 征韓論などもっての外と主張して派兵に反対していた大久保利通が、西郷が下野した翌年その舌の根も乾かぬ内に朝鮮に派兵した事を西郷は一体どの様な眼で見ていたのだろうか。その後に於いて江藤の起こした佐賀の乱にも加わらず、不平士族が相次いで起こした各地の騒乱に呼応する事もなく鹿児島の私学校生が蜂起するまで西郷は一切動いていない。わたしは西郷を日本に対する反逆者だとは思っていない。むしろ、主張が首尾一貫せず変節を繰り返した大久保や自由民権運動の父と称された板垣こそ日本に対する反逆者だと思っている。後藤象二郎はこれこそ変節漢でありはっきり申し上げて評価に値しない。

 ところでお隣の国は今現在「大韓民国」を名乗っているが「韓」という言葉は元々日本が長年用いていたものであり李氏に於ける正式名称はあくまでも「朝鮮」である。日清戦争で日本が勝利したことにより李氏朝鮮は清の属国から解放され日本によって初めて国の名前を正式に与えられた。それまで李氏はあくまで清王朝の臣下であり清の使者よりも身分は低いとされていた。つまり李氏は皇帝ではなく朝鮮半島に於ける清という大国の属国の長(おさ)であったに過ぎない。それを帝まで昇格させたのは日本の計らいでありその名こそ「大韓帝国」であった。けして「朝鮮帝国」ではなかったのだ。これは日本によって与えられた名ではあったが李氏朝鮮や両班(やんばん:李氏朝鮮の特権階級)を除いて日本によって解放された朝鮮の民衆はこれに異を唱える事はなかった。

 もし日本由来の名称や事物が駄目なら「韓」という文字は日本に返還されるべきであり、何度も云っているが元々李氏朝鮮が作らせた発音表記でありながら明治期までまったく朝鮮半島で用いられていなかった「ハングル(その呼称も日本人が決めたもの)」に光を当て辞書まで作り朝鮮半島全土に広めたのは日本人である。これも日本憎しならば韓国内では一切使わない事だ。日本のもの真似以外何一つ出来ない独創性皆無の民族である朝鮮民族が彼らの言うように真に誇り高い民族であるならば日本が名付け親の「帝」の文字を、ただ「民」に変えただけの「大韓民国」という国家名と朝鮮語の発音表記法である「ハングル」は今すぐ唾棄すべきだろう。正しい歴史認識を持てというならこの事実を未だ国民の大多数が否定する事自体大変おかしな事なのだ。それが出来ないのなら一つの民族として高が知れていると云えよう。

 儒教の国を唱えながら明治政府成立後非礼を繰り返して来た李氏朝鮮に対して日本は何度か派兵している。それが朝鮮の人々を苦しめたのは確かだろう。しかしそれは局地的なものだった。李氏朝鮮が時代を見る眼を持ち自国が真に自立する道を選んでいたならばそうはならなかっただろうといえる。しかし清の属国である事に甘んじ、日本を軽んじその忠告に耳を貸さず、あまつさえロシアと接近するなど権謀術数を繰り返した結果が局地的な派兵ではなく朝鮮全土を巻き込んだ日清戦争に繋がったのである。歴史の授業では日清戦争は朝鮮半島の支配権を争ったものであるとされているがそれは表面的な事に過ぎず真の敵国はロシア以外の何ものでも無かった。

 当時の極東の情勢を鑑みる時、日本の最大の不幸は中国と朝鮮という暗愚な隣国に接していたという事だろう。そして西洋各国ですら恐れたロシアの東進と南下は極東ばかりでなくユーラシア大陸全域に緊張をもたらしていたのである。

 その当時の経緯は日本にとっても中国にとっても朝鮮民族にとっても不幸だったといえよう。その禍根の根本原因はロシアの存在にあるのだが、日本は今も昔もこれらの禍根を断ち切れないでいる。福沢諭吉の論説「脱亜論」は近代に於いて評価が低かったが今となってみればその悉(ことごと)くが的中している。支那人と朝鮮人の住む国は日本にとって今なおどうしようもない国なのである。今や世界で唯一露骨に覇権を目指す国家は中国のみである。そしてそれにすり寄る韓国。これは歴史の必然だろうか。パク・クネ大統領のいう正しい歴史認識からすればそれは当然の帰結と謂えるだろう。

 ここは黄泉の国。あなたの知らない街。 

 これでひとまず今回の記事は終えますが、最後にお口直しといっては何ですがわたしが撮った拙い安曇野の写真をご笑覧あれ。

ハルリンドウ.jpg 
<光城山で見掛けたハルリンドウ>

安曇野の夕暮れ.jpg 
<田植えの水面に照り映える安曇野の夕日>

水色の時道祖神.jpg 
<17年前のNHKの朝ドラで建てられた「水色の時道祖神」>

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 <日本アルプスの存在を世界に知らしめたウエストン氏胸像>

 ウエストン碑は上高地だけにあるのではありません。ここ安曇野にも同氏の胸像があります。何故ここに胸像が建てられているのかといえば、日本アルプス登山黎明期はこの蝶ヶ岳経由で北アルプスに入る山道が使われウエストンはここを通って入山していたからです。

 


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U3

☆☆☆みなさまへ☆☆☆
 体調にいてですが参院選のすぐあとにRI検査の予約が入っています。
 胸の痛みの頻度が増しているところから容易に想像されるのは疑いの余地なく心臓に異常があるという事ですが心臓の何処にどの様な障害があるのかは冠状動脈造影を伴うその検査によって初めて明らかになります。
 実は三年連続で今夏も海外旅行を計画しているのですがその結果如何によっては心臓カテーテルでバルーン療法とか冠動脈バイパス手術とか施術することになり旅行にいけないかも知れません。
 しかし、何より辛いのは安曇野に着任となった時に、昔取った杵柄とばかりに靴箱の奥から引っ張り出して持って行った登山靴を履けない事です。どうやら着任中に北アルプスに登ることは叶えられない夢に終わりそうです。先日車で常念岳登山口まで行って写真を撮ったり野鳥の声を録音するに留まったのは至極残念であります。
by U3 (2013-07-06 23:34) 

アレクリパパ

北アルプス、残念です。
早く快復なさることを祈っています。
お大事にしてください。
by アレクリパパ (2013-07-07 10:38) 

侘び助

登山は心臓にとっては致命傷に・・・お体を大切に・・・
 今日の文章はすっきり気分(隣国の事)
by 侘び助 (2013-07-07 16:09) 

枝動

こんばんは。
御意。間違い無い!、そう私も思っております。あとの写真が、余計清々しく見えます(笑)
明治維新以降の近大日本史を、義務教育でもっと詳しく正しく教える必要がありますね。
検査結果は受け入れるしかありませんが、たとえ悪いとしても、大自然の癒しが治癒の手助けになってくれるよう、願っております。
by 枝動 (2013-07-07 20:33) 

くまら

政治に関しては。。。くそ官僚どもを一掃しない限り
どこが政権獲っても一緒かと・・・
by くまら (2013-07-07 20:36) 

小豆

安曇野の風景に癒されました。
どうぞお体を大事になさってください。
by 小豆 (2013-07-08 00:56) 

なかちゃん

田んぼに水が入っている風景って、とてもいいですね ^^
お身体、大切になさってくださいね (^^)

by なかちゃん (2013-07-08 15:49) 

青い鳥

七夕の日は東京にいた私です。
胸の痛み、しんぱいです。
検査結果をよく見極めて最良の治療をお受けになってください。
海外旅行はお元気になったらいつでも行けるのですから。
登山にしても同じことが言えます。
くれぐれも御身お大事になさって下さいますように。
by 青い鳥 (2013-07-11 19:42) 

Michikusa

安曇野という、言葉の響きが大好きです
お写真、素敵です
そちらは暑いのでしょうか?
胸の痛みが早くよくなりますように
どうぞご自愛くださいませ


by Michikusa (2013-07-12 08:38) 

ヒロ

こんばんは。
昨年の1月には私も心臓の病で一時入院しました。
お体にはくれぐれもご注意ください。
「歴史認識」は国によって著しく異なるでしょう。日本はそれをわかっているから、韓国の歴史認識に文句を言ったことはありません。
奴らはそれをまったくわかっていない。自分たちが常に正しく、お前らもそれに従え、という傲慢さにはいつも腸が煮え繰り返る思いです。
by ヒロ (2013-07-18 22:09) 

たいへー

七夕を知らずに過ごしたら、もう月末・・・^^;
by たいへー (2013-07-27 10:51) 

johncomeback

ご訪問&nice ありがとうございます。
拙宅ではコーギー飼ってます。10歳になりましたが、元気です(笑)
by johncomeback (2013-08-14 18:06) 

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