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主観と客観の狭間、人の判断はどう為されるかを検証する [随筆]

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<満月は人の感情や精神状態に影響を与えるという。満月ではないがマレーシアに行く途中旅客機の中で見た臥待月> 

 

 人は常に正しい判断をするとは限らないのは誰もみな身を以て体験している。

 逆に常に判断を過つ事も有り得ない。

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 人が物事を判断したり行動を起こすのは主に過去の経験に基づいている。これは間違え様のない事実である。それが証拠に過去に経験した事のない事象に出会(でくわ)すと人はどう対処して良いか分からず途端に不安になるものだ。
 
 若い頃は感受性が強くあらゆるものに感動したものだが、近頃は何を見ても体験してもとんと心動かされ無い。・・・というのは多くの経験を重ねて来た者が新たに経験を重ねたとしてもその殆どが過去に経験したものに似通っているか全くの焼き写しである事が原因だ。それとは反対に年老いても時に感動を覚えるのはそれがこれまで出会ったどの出来事にも当て嵌まらない場面に遭遇したからに他ならない。つまり経験値にない事象に出会したという訳である。
 
 この様に感動は新鮮味が無ければ発動されない。それが経験を積むという事の正体であるのかも知れない。その様に人間の脳は出来るだけ神経細胞が興奮しない様に出来ているのだ。そうしないと実は身が保たない。つまり脳の中では自分を守る為に知らず知らずのうちに精神の鈍麻が起こっている。それは取りも直さず感情の発露による神経の過度の興奮を抑えて神経や精神に異常を来さない為の自己防衛本能が発揮されているという事だ。勿論無意識下にね。
 
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<成田空港離陸直前アプローチの端部で後方を振り返る。あ、A380> 
 
 閑話休題。ここで人の判断はどうやって為されるのかを検証してみよう。
  
 人はかつて経験した数々の事象にどう対処したかを一つ一つ脳の中にデータベース化している様に思われる。わたしは脳科学者でも脳の専門医でもないのでその器官が海馬なのか視床若しくは視床下部なのか扁桃体なのかはたまた大脳皮質なのかは知らないけれども、とにかく脳の中には過去の経験に自分がどの様に対処したかという記憶がその記憶の種類別に脳の何処かに貯め込まれているのは確かだと思う。
 
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<たぶん台南辺りかと> 
 
 この脳のデータベースに経験の記憶が納まる時に、経験に伴って自分の行った判断や行動が自分にとって良い結果をもたらしたのかそうでないのかも同時に記憶されるとわたしは考えている。この自分にとって良い結果をもたらしたのかそうでないのかという事は人にとってはとても重要なファクターで、意識無意識に拘わらず(多分に無意識)脳の中では必ず己の思考や行動若しくは言動の結果の良し悪しを個別にインプット、保管しているものと思われる。
 この過程を仮に「客観化」という事にしよう。国語辞典の字義にある意味ではなく、自分から少し距離を置いて自己の言動を冷静になって第三者的に見詰め直すという様な無意識下の行為をわたしはそう呼んでいる。しかし厳密に云えば人間は自分の言動や思考を客観化しているとは言い難い。何故なら人は感情を交えずに物事を判断する事がまったく出来ないからだ。云うまでもなく感情が混じればその時点で客観ではなくなる。だが、人は感情的動物であって機械やコンピュータではないのだから完全なる客観視などそもそも存在しないのだ。しかし敢えてこの脳の中の記憶の整理される過程とその結果をわたしは「客観化」と呼ぶ事にする。
 
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<上の写真の1時間前に撮った写真。知多半島ですね> 
 
 では一方の主観とは何かといえばじっくりと考える間もなく瞬間的に繰り出される判断や行動の基になっているものだと考えられる。しかしそれは本能とは違うもので後天性の経験値から無意識に発動されるものだ。注1) そしてその主観をコントロールしていると云おうか支配しているのは先ほど記述した「感情」そのものだ。そしてその過半は好悪、つまり好き嫌いという感情そのものだ。そして喜怒哀楽は言うに及ばず「勘」も感情の一つだし「第六感」だって感情だ。そして日々の行動や瞬時に為される判断はすべてこの感情が支配する主観によるものだ。だからけして客観の入り込む余地はない。
 
 「え~、それじゃさっき云った「客観化」する意味なんかないじゃん!」
 
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<飛行機の中から眼下に虹を見るというのもまた格別な体験です> 
 
 と、思われるかも知れないがそうではない。自分の経験を脳が整理するつまり「客観化」するのはその後出会うであろう新たな経験を処理する上でとても重要な事なのだ。人はどうしても感情が入ってしまう生き物だ。だが出来るだけ精神が醒めた状態に自分を置いて(つまり冷静になり)自分を外から眺める様な感覚で、自分に起こった出来事や変化をリプレイしながら整理し直し、それを経験値として脳の記憶の倉庫に仕舞う「客観化」という過程が是非とも必要なのだ。確かに人が判断するのは感情に支配された主観そのものかも知れないが、一旦客観化された経験は主観による判断の手前で必ず参照されそれがその判断に影響を与えるものなのだ。だから客観化してしまえば次の経験時にそれが役立つ公算は大だ。
 
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<ついにマレーシア上空です。一面に見えるのはパーム椰子の農園です> 
 
 人が「経験」を「客観化」して己の「経験値」とする事はその後の人生にどれだけ資するか計り知れないだろう。つまり本当の意味での客観ではないけれども感情を抜きにしないで注2) かつ出来るだけ感情を抑えた状態で物事を冷静に見詰める行為は必ず為さなければならないものだ。それが出来ないと新たな経験をする度にまた新たな失敗を繰り返す事になりかねない。でもね、感情を無くせと云っている訳ではないのです。何しろ感情は人間が生きる上で必要不可欠な身体機能であるのだから。

注1)因みに「経験」と「経験値」は字を見ても分かる様にまったく違うものだ。
注2)「感情を抜きにして」というフレーズは現実にはあり得ない。
 
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<クアラルンプール上空着陸数分前>
 
 ただ経験するのではなくそれを「客観化」しなければならない根拠を以下に述べたいと思う。

 「反省しない者は同じ過ちを何度も繰り返す」・・・そう思いませんか。
 
 「反省は猿でも出来る」というTVコマーシャルがかなり前ではありますが話題になりましたね。でもね、反省の質が人間と猿ではまったく違います。
 猿だけでなく犬や猫が反省している様に見えるのは実は条件反射やルーチンワークに依る学習効果がそうさせるのであって真の反省ではありません。もちろん犬猫猿にも感情はあるし知能も知恵もありますから反省らしきものはあると思われますがそれは本能に基づくものが殆どです。人も最近は劣化が激しい様で犬猫猿並み若しくはそれ以下な人間が増えて来ましたがその殆どは「反省」をしません。傲慢高慢驕慢な者ほど同じ過ちを繰り返して廻りに害毒を流すのはこういう事に由来しているのです。そうした身近な動物以下の反応しか示せない人が増えている現代社会は果たして進化や進歩をしているのか甚だ疑問です。むしろ退化ではないかと・・・(悲)

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<いつもながら着陸の前は少し緊張します(笑)> 
 
 脇道に逸れるのが大好きなわたしをお許し下さい。話を元に戻します。
 
 この「反省」と云われるものがその人の「経験値」であり「客観化」そのものなのです。そして前述の様にそこには感情が必ず入り込みます。複数の人間が同じ時刻に同じ場所で同じ事象に遭遇したとしても捉え方がそれぞれに異なるのはみな感情の成せる業です。そして感情の存在を感じながらも出来るだけその感情を抑制して「客観化」した者が真理に近づくという訳です。「客観化」よりも「感情」が優先した者は後に同じ様なシチュエーションに遭遇した時、また同じ過ちを繰り返します。反省が出来ていないのですから当然の帰結と云えるでしょう。

 この様に人の判断はその人独自の経験に根ざした主観によるもので、それを「客観化」が無意識下で下支えしています。結局のところ人がある事象を捉えてそれをどう感じ取りどう行動もしくは判断したか、またその行動や判断の結果どの様に自分の経験値にフィードバックしたか(つまり「客観化」する事)によって正しい判断が下されるかそうでないかが決定されます。そしてそれはその人がこれまで辿って来た道程と無関係ではありません。主観が人生の大半を支配しますが経験を客観化為されない人生は失敗の連続となるでしょう。つまり経験が経験値に変化しない場合は、その人にとって何の教訓にもならないただ経験したという実体が残るだけなのです。
 
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<そろそろ滑走路から誘導路に入ります> 
 
 かつてわたしは「人は経験によってしか学べない」と拙ブログに書いた事があります。それに対してソネブロメンバーのある人気ブロガーは「愚者は経験によって学び、賢者は歴史に学ぶ」と揶揄しました。かつてと云いましたが今はそのブロガーはソネブロに居ません。まあ淘汰されたという事でしょう。
 
 高慢な者を見ればその鼻をへし折ってやろうと思い、自慢する者は必ずその自慢の元を根底から覆さずにはおれない困った性格のわたしです。そのどこから引用したか分からない取って付けた様なフレーズがわたしを怒らせたのは当然です。わたしはそれに即座に反論しましたしそれが感情に基づくものである事は十分に認識していました。しかしわたしは怒った状態のままで反論した訳ではありません。必ず冷静な状態に一旦自分の身を置いて、それから目の前の問題に対処するというのがわたしの遣り方です。
 
 わたしがどう対処したのかといえば、 「もし賢者は歴史に学ぶというのならばその証拠は一体何処にあるとこの者は云うのだろう。所詮自分の考えではない付け焼き刃的などこかからの引用若しくは誰かからの入れ知恵であろう。わたしに云わせればその言葉がもし真実ならば歴史上には昔も今も、そして洋の東西を問わず賢者は一人も居なかった事に他ならない。このフレーズ自体が自己矛盾と云おうか理論崩壊しているとしか云いようがない。何故なら歴史とは突き詰めるところ民族の興亡を綴ったものであり絶え間ない戦争を記述したものに他ならないからで、人間の尤も愚かな行為は戦争をする事だが、それを綴った歴史から何かを学び取り戦争を回避した形跡が全く見られない事を考えるとかつても今もこの地球上には賢者は一人も存在しなかった事になりはしないだろうか? そもそもこの者は何一つ分かっていない。歴史とは勝者側から綴られた過去の出来事であり客観化されたものにはほど遠い勝利者に都合良く書かれた胡散臭い代物だ」と反論したのですね。あはは!
 
 ソネブロの利用規約を遵守してわたしは名指しこそしませんでしたが当然この人気ブロガーはわたしの反論を見たでしょうしそれが誰に対しての反論なのかは理解していたでしょう。しかしそれに対する返事は直接的にも間接的にもとうとうありませんでした。所詮その様な人物だったとわたしは思っています。元々血の気は多いわたしですが誰彼なくこの様な反論をする訳ではありません。自己の経験でもない取って付けた様な偉そうなフレーズを臆面もなくブログで公開するその姿勢がわたしの疳に障ったと申して置きましょう。
 
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<空港内ですがここはサテライトなのでシャトルに乗って少し離れた空港ビルに向かいました> 
 
 でもね、わたしは感情が高じる事はあってもその勢いに任せて、つまり感情に任せて物事を推し進めた事は四十を過ぎてからは一度もありません。
 
 何しろ「客観化論者」のわたしですから。勿論齢五十をとうに過ぎたというのに未だに反省しきりの毎日を過ごしているわたくしでありまする(爆)
 
 

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ryo1216

10/4より、謎のページに自動転送されるようになってしまいました。
自分の環境では、なんとか復旧できましたが、まだ、謎のページに転送される方も多いようです。
この度は、ご迷惑おかけして本当に申し訳ございません。
そこで、下記、新しいページに移行することにしました。

http://ryo1216-2.blog.so-net.ne.jp/

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

by ryo1216 (2013-10-07 01:19) 

枝動

おはようございます。
眼下の虹は貴重な画ですね、初めての経験です(^o^)
by 枝動 (2013-10-07 09:17) 

ソニックマイヅル

私も飛行機の旅を久しぶりにしてみたいです。もう何年前だろうと考えています。^^;
by ソニックマイヅル (2013-10-07 21:45) 

まさみ燻

noriho- 改め『まさみ燻』です。
日頃より『鯨君とRS』へのご訪問ありがとうございます。
『鯨君とRS』を通し、第三者のストーカー被害の元になる可能性が出て来たので、今回ブログを『だからなによっ!』として再出発することにしました、これもいつまで継続出来るか分かりませんが、よろしくお願いいたします。
http://kujiratohana.blog.so-net.ne.jp/
    -まさみ燻-
by まさみ燻 (2013-10-08 10:09) 

たいへー

先日、酒を飲み過ぎて反省しておる次第です。
分かっているんだけどなぁ・・・^^;
by たいへー (2013-10-09 16:06) 

青い鳥

お久し振りでございます。
いつものことながらU3さまのお考えに反論の余地は全くございません。
さて、私のブログへコメントを頂きましたが、
U3様が②だけだなんて・・・到底思えません。
①などU3様の得意とするところではないでしょうか?
③、④、⑤も当てはまりそうではございませんか?
by 青い鳥 (2013-10-11 00:25) 

U3

☆☆☆皆様へ☆☆☆
いつもながらnice!とコメントありがとうございます。お返しがなかなか出来ないこと心苦しく思っております。
安曇野生活も半年を越え北アルプスだけでなく麓にもまだ雪のある頃に着任したのですが昨日十月十三日には大町白馬の方はもう山々は白い薄化粧をまとっていました。あらかたすぐに消えてしまいましたがこうして何度か雪が降ってやがてそれが根雪になって降り積もるのでしょうね。
☆青い鳥さんへ
 それは買いかぶりというものです(笑)。
by U3 (2013-10-14 10:07) 

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