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何を信用するのか? [正論!]

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<2022/03/20 日暮里 善性寺の枝垂れ桜。このお寺の前にこれもまた有名な羽二重餅のお店あり>



新しい寫眞始めました(*^_^*)



人は何を以て信用すべきものとそうでないものを見分けるのか。

私が見る限り人々の物事を見る目は偏りがあることは否めない。

友達を選ぶように人は自分の信じたいものだけを信じる。

嫌いなものあるいは忌みするものは遠ざけて目に入らないようにしたいと思う。

ゆえに自ずと己の天性や性向や感性に見合ったものを選んでしまう傾向にある。

だから公平な目を持つ人物は人が思うよりも遙かに少ない。

そうした現実から何を信じるか何を好きになるかで自ずとその為人を知ることが出来る。



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フェイクニュースに騙される者は信じる者にも騙される傾向にある。

好感や信頼感なんて実に危うく儚いもの。

現実なんて大抵ドロドロしていて醜く薄汚いもの。

そう思って世の中の動きや人々を改めて眺めれば信じられるものなど自分以外にないと気づくだろう。

しかし己を持たない人ほど周りから影響を受けやすく他人の意見を以て自分もそうだと思い込む。

一方自分は常に正しいと思い込むのもまた柔軟性がなく時に正解と正義を見失いがちである。

なぜなら己を持たぬ者も自我が強固な者も中庸とか公平な心境とは程遠いからだ。

日本のネットも含めた報道は世界の潮流から言えば正統な報道でない。

なぜなら事実をありのままに尚かつ過不足なく伝えるという姿勢がないからだ。

だが思惑が先にあって真実が伝わらない傾向はこれからも続くだろう。

それを望んでいるのが視聴者延いては国民の過半の考えであるからだ。

民意が低ければ国家も報道機関もそれこそ何もかもが低俗にならざるを得ない。



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だとしたら海外に目を向けるというのも一つの方策である。

しかし残念ながらいまの日本の若者は国内にいることで満足してしまう傾向にあるという。

だがそれは若者だけの傾向であるはずはない。

過去を作ってきたのは我々親の世代でありご先祖様である。

その延長線上に子どもの世代があり多少の軋轢はあるにしても親と子が断絶している訳ではない。

ゆえに我々日本人の過半は井の中の蛙大海を知らずで終わってしまう。



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そうではあってもそれでは駄目だと思う日本人も中にはいるだろう。

もっと違う視点で物事を見つめそこから真実を掴みたいと願うだろう。

そうして目覚めた者は外に目を向ける。

だが国内外を問わず陥穽はあることを知るべきだろう。

何事にも拘泥しない平らかな視点がなければ物事の本質を見誤る。

だからホンモノが欲しくなってあれこれ正しいと思えるものを探してみる。

しかしホンモノなど実は何一つないという現実。




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だからと言って海外のある特定のニュースソースだけに信頼を置くというのも正解とは言い難い。

ゆえに私は世界各国の報道番組をまんべんなく見たいと思う。

BS1の朝6時から8時までやっている『ワールドニュース』が私のお気に入りだ。

日によって異なるが毎日15前後の世界のTV局の報道番組が見られる。

だが視聴できるのは15前後とは限らない。

原則として世界のあらゆるTV局の報道番組を見ることが出来るようである。

私が何でこの『ワールドニュース』が好きかと言えば異なる立場にある報道が見られるからだ。

ウクライナとプーチンとの戦争(「ロシア」との戦争ではない)を例として挙げよう。

ここではウクライナ公共放送と同時に、カタール・アルジャジーラ、香港・TVB、

シンガポール・CNA、ドイツ・ZDF、インド・NDTV、オーストラリア・ABC、

フランス・F2、イギリス・BBC、中国・CCTV,韓国・KBS、タイ・MCOT、

アメリカ・ABC、トルコ・TRT、上海・東方衛視、ブラジル・バンデランデス、

ベトナム・VTV、等々世界各国から毎日この時間にウクライナの情報が流れてくる。

ここで異なった視点でウクライナ戦争の実体を見られるというのは貴重な経験である。

ここで養われるのは『公平な目』と『真実を見極める力』だと思うからだ。



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そこから分かることがある。



何事も偏ってはいけない。



絶対に信用できるものなどこの世には何一つない。



世の中は常に刻一刻と変化している。



一つ処に止まらないのは人間も同様である。



昨日善だった人が今日も善であるとは限らない。



その逆もまた真なり。



少なくとも保身の為に嘘をつき他人を陥れ多くの人を騙した者に正義も真実もない。



それがどれほど善人・聖人君子の顔をしていたとしても悪事を為したことは消せはしない。



禍福は糾える縄の如しというが人の心もまた糾える縄の如しで捉えどころがない。



突き詰めていけば最後に頼れるのは自分という事になるのだがこれが実に心許ない。



それでも尚最後に頼れるのが自分ならば己を鍛え上げなければならない。



自分の心が危うければ自ずとその結果も危ういものとなるであろうからだ。



『因果応報』は真実の理である。

 

 

 

 

 

今回は或る方のブログイメージを真似てみました。




  

 

 

 

 

 

掲載写真はすべて iPhone 13 Pro MAX で撮影したものです。

故に背景のボケが甘く主題が引き立たないのは悪しからず。←言い訳です!

 

 

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