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COVID-19 Syndrome Part ⅩⅩⅩⅤ [日本の腐りきった政治をぶっ潰せ!]

ドレスデン2.jpg

<2015年7月29日 ドイツ ドレスデンにて>
 ドレスデンはチェコの首都プラハから最も近いドイツの東部の都市である。チェコ国境から30kmしか離れておらず、陶器で有名なマイセンからも25kmという位置関係にある。この写真は中欧5カ国周遊ツアーで行った時のものだ。ここがどこなのか記憶に定かではないがたぶんツヴィンガー宮殿の屋上回廊の上だと思う。第二次境大戦の空襲で市街の建物の殆どが破壊されたが、見事に復興した街ドレスデン。この像も見るからに新しいものだった。市内を歩いて観光した後に集合場所に指定されていた、エルベ川の辺の夕暮れの川風が心地良かった。

 諸外国に比べて日本の新型コロナウイルスによる感染者や、(特に)死者が少なかった理由は明白だ。

 それは日本人が押し並(な)べて、外国人が驚くほどの異様なまでの潔癖症であるが故に、この感染症に過剰に反応したことの結果であり、

 皮肉なことにそれによって『このウイルス感染症との接触機会を減らすことに成功した』唯一の国家となったのである。

 事実は雄弁に語る。

 欧米やアジアの国々で厳格な外出禁止令を出しても、片手で数えるほどの国家しかその施策が成功せず、あれだけの感染拡大と死者を出したという事実は(当初は休業補償をしたくないが故に法的な罰則もなく、厳密どころか何の罰則も補償もない自粛要請で済ませた、国民目線の欠如した)為政者がいてもいなくても、国民さえ結果的に『まとも』な対応さえすれば国難を乗り越えられるという先例を作った、という意味では大いに意義のあることなのかもしれない。しかも盲目的にお上の言うことを聞く日本に於いて、それが為されたことの意味は大きいのではないかと思う。

 しかしそれがネトウヨさんが好んで唱える「日本人の民度の高さ」、に因るものでないことも明らかだ。現時点でそれに否定的な証拠も明白な論拠もあり、従ってその要因も明々白々だ。

 日本は元々『個(人)を確立しにくい社会構造』であり『常に他人の目を気にする集団心理が働く社会』であったからこそ、この予想外の結果を得ることができたといえるのだ。

 しかし個人主義を否定している訳ではない。例えば個人主義が徹底しているスウェーデンが、普段通りの生活様式やパターンを変えることなく、特段外出禁止令などの政策を取らなくても、新型コロナウイルスによる感染者も死者も諸外国が懸念していたよりもかなり少なかった経緯から見て、またお隣のフィンランドが対照的な施策である厳密な外出禁止令と隔離政策を採っても尚、統計学的には誤差の範囲と見做されるほど、スウェーデンと大差ない感染率と死亡率という結果となっていることからしても、それは十分証明されている様に思う。

 言わば日本とスエーデンは真逆の手法で同じような結果を得たのだが、その分析と検証も次回で述べようと思う。

 冒頭にあるように『日本は感染機会が少なかった』と書けば、「えっ?」と思うかもしれないが、これこそが日本の実態であり真実だ。

 しかもこの結果(まだこの病禍は終息していないが)は皆が思うような偶然が重なった訳でも、僥倖であった訳でも、奇跡が起きた訳でもなく、ましてや先ほど述べた、日本人の民度が高かったからでもないのは明らかだ。

 これをひと言で表現するならば『日本の歴史の必然』であると言えよう。その必然とは、『穢れ』を忌み嫌う日本固有の文化、江戸時代以来の因習風習、時代錯誤的な村社会環境に根源をなすのは言うまでもない。

 このレポートは、この日本国内に於いてウイルス性感染症に因る死者が少なかったことを検証するものであり、しかも医学などの自然科学的な検証ではなく、人文科学的なアプローチからの検証であり、結果である。

 しかしそれ故に真実をしっかり捉えられたと自負している。

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